それは、「ハロー・マダー、ハロー・ファダー(キャンプからの手紙)」(Hello Muddah, Hello Fadduh! (A Letter from Camp))*だ。そして、歌詞が何より傑作・・・そんな歌詞だったなんて知る由もなかった。それは、きっと、子どもの成長のため、両親からキャンプに放り込まれたのだろうけれど、苦痛でしょうがない少年の感想というか、ドタバタ劇のような展開をうまくまとめられないとぼけた表現で手紙文が構成されている。結局、男の子の、典型的な阿呆さを見事に描いている。
ところで、わたしらオールディーズ・ファンにとって、「ザ・スリー・ディグリーズ」の「天使のささやき(When Will I See You Again)」(1976年)は懐かしい。女性の「いつまた会えるの?」といったり、わたしたちは「恋仲なのか?/友だちなのか?」といったり、「始まりなのか?/終わりなのか?」といったり、全文疑問形でまことに初々しい歌詞である。まあ、男たちが女性に託す、そう思って欲しいという勝手な願望であるが。(この人気曲、Wikipediaによると、日・英で先行ヒットしたため米本国ではそうでもなかったと、今回初めて知った)
彼の代表曲に、「砂に書いたラブレター(Love Letters in the Sand)」(1957年6月:原曲は 1931年に出版)と、「四月の恋(April Love)」(1957年10月)がある。オールディーズ世代にとって、彼の甘いメロディーは、ともに懐かしく胸に響く。パット・ブーンの端正なイメージは、これらの曲と重なり合いできあがった。
イ・ソンヒは、その昔、高校時代の頃に通った音楽室で、実力を試された際に歌った曲が、ニールセダカの「きみこそすべて(You Mean Everything to Me)」(1960年)だったと、彼女の自伝的記事に次のように記されている。
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・チャン・ウクチョ音楽室に入って、歌を歌ってみたいと話すと、当時あまり名が知られなかった作曲家のイ・セゴン(이세건)、ソン・ジュホ(송주호)氏などが「一度、見せてください」と冷ややかな反応を見せた。
・私が全情熱を傾けて、ニール・セダカの「きみこそすべて(You Mean Everything to Me)」(1960年)を終わらせた時、その方々は非常に満足な表情であったし、したがって私はいつでも喉が「うずうず」したら、音楽室に立ち寄るようになった。
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この「きみこそすべて」の韓国語タイトル(당신은 내게 모든 의미입니다)が、ネットにあるが、彼女が音楽室に通った高校3年生当時、韓国語歌詞があって歌われたのだろうか、どのように流行したのだろうか。
さて、Youtubeには、ユダヤ系のニール・セダカ(ניל סדקה)が歌う、ヘブライ語版「きみこそすべて(למה שוב אינך עמי)」が登録されている。(ヘブライ語は分かりませんが)
(Youtubeに登録のulai1212に感謝)
ちなみに、歌詞内容(英語版)を知るには、<Google検索>で「You Mean Everything to Me」を検索すると、トップに歌詞が公開されている。
日本語題で、「悲しき~」と決まり文句のような曲名が流行ったのがオールディーズの60年代。このブログでも、デル・シャノンの「悲しき街角(Runaway)」(1961年)や、カスケーズの「悲しき雨音(Rhythm of the Rain)」(1963年)の思い出を記したけど。ビートルズの日本登場以前の世界だ。
”Tie Me Kangaroo Down Sport”は、オーストラリアなまりで、<おいらのカンガルーを縛り付けといてくれ、お前さん>という感じだそうだ。オーストラリアとカンガルー、ちょっとドキッとする歌詞だけど、形見わけか。ロルフ・ハリス、この人にもやっぱりドキッとしたことがあったようだ。
60年代の記憶にあるポップスの「ブルーレディに赤いバラ(Red roses for a blue lady)」(作詞:Roy C. Bennett, Sid Tepper)は、様々なミュージシャンに歌われ演奏されたが、耳に残っているのは当時の雰囲気を今も感じさせる甘い口調のヴィック・ダナ(Vic Dana)の盤だろう。
Sunnyの愛称で知られる、イ・ソンヒ(イ・ソニ、Lee Sun Hee、이선희、李仙姫、旧暦1964/11/11・新暦1964/12/14生まれ)の「Jへ(J에게)」(1984年)の登場は、日本のファンにとって韓国歌謡トロット(트로트)以外にも関心を向ける大きな岐路になりました。もちろん、「国民歌手」といわれる彼女の凄さは、トロットも民謡もカバーする歌唱力にあります。