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2017年2月3日金曜日

小林信彦「60年代ポップ少年の嘘」

「週刊文春」に連載の小林信彦の「本音を申せば」は、あたかもタイムマシンで往来したように昔のさまざまな話題を引き出してくれる。記憶力の強靭さに驚くばかり。同誌の少し前の号に書かれたものだが、「60年代ポップ少年の嘘」(2016.11.17号)はおもしろい。

<記憶>を遡り、当り前のように繰り返し語るうちに、自身その気になってしまうことがある。その時よりも、今を優先することでやってしまう無自覚な嘘だ。しかも、共犯関係になろうとする。青春の饒舌には、そんな嘘が隠されていたりする。

さて本題、「60年代ポップ少年の嘘」の中に次のような話題がある。
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大滝(詠一)さんはよく言っていた。
「ビートルズをリアルタイムで聞いていたという奴は嘘つきです。舟木一夫を聞いていたのが、せいぜいですよ」
それは何かというと、ビートルズを持ち出す同世代者への批判だった。
「そうでしょう」
日本テレビで仕事をしていたぼくは、そういう(世代)というのがよくわかった。まったく同感といってよかった。
亀和田武さんの「60年代ポップ少年」(小学館)にも同じような台詞がある。
ビートルズの登場によって耳触りのよいアメリカとイギリスのポップスは一夜にして”懐メロ”と化した。三十代の半ばになって、「ねえ、カメちゃん。あのころはビートルズをよく聴いたよな。オレたち、やっぱりビートルズ世代なんだよね」
というまったくの歴史の捏造を口にする友人に対して、亀和田さんは
「オマエが休み時間に毎日、楽しそうに歌っていたのは、三田明の『美しい十代』と、舟木一夫の『高校三年生』じゃないか」
とひそかに言いかえす。
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□ Youtube削除される
(Youtubeに登録の8823 terminalに感謝)

ビートルズの神話性に、軽やかに乗っかってしまう初期世代に、相容れない違和感を感じることがある。後の世代に秘匿して、なぜそんなに時代を脚色したがるのかと。私の場合、ラジオから流れるエルヴィス・プレスリーが主で、映画は「ブルーハワイ」だったが、もしかするとそれも記憶を違った色に塗り重ねただけかもしれない・・・自信がなくなる。

(本ブログ関連:”ビートルズ”、”エルヴィス・プレスリー”)