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2020年10月27日火曜日

絵本「ちいさなタグボートのバラード」

現代ロシアの裏社会を代表するマXxXの起源は「ブラトノイ」と呼ばれ、その中にいわゆる「無頼派」として、今なおロシア人のこころを揺する詩人「セルゲイ・エセーニン」(1895年10月3日~1925年12月27日)がいた。ロシア文学について全く不案内にもかかわらず、このブログに感想を記した。

(本ブログ関連:”ブラトノイ”、”エセーニン”)

詩人が生まれた国で現在出版される詩集の装丁を見ると、読者の心性が浮かんでくることがある。とりわけ若い女性の読者は詩人に純粋さを夢見るようで、それを感じた編集者はくすぐるような挿絵を詩集に刷り込んだりする。それは洋の東西をとわない。

時代においては、詩人は言葉だけでなく生き方まで象徴的になる。しかし時代が固着してしまうと、詩人の中には派手に立ち回ることもせず、社会に寄生するだけの存在としてあしらわれ、胡散臭い「徒食者」の烙印を押される。
1960年代以降のソ連社会はいろいろなものが見え始めたようで、目障りな者への風当たりが強くなってきたのだろう。ユダヤ系の詩人「ヨシフ・ブロツキー」(Ио́сиф Бро́дский、Joseph Brodsky、1940年5月24日 ~1996年1月28日)も若いころ徒食者扱いされたという。

彼が初めて(1962年)書いた詩が、いまでは絵本「ちいさなタグボートのバラード」(ヨシフ・ブロツキー詩、イーゴリ・オレイニコフ絵、沼野恭子訳)となって手にすることができる。まことに美しい絵本に仕上がっている。
大型の絵本サイズに描かれた表現は穏やかで読者を安定させる。そして詩は、タグボートの「ぼく」を通して語られる。港にいるだけの「ぼく」にとって、海は遠くにあって、大型船もあこがれの存在でしかない、それらはいつかは去っていくのだから。そんな「ぼく」はタグボートの役目をしっかり果たすだけ。そして・・・。

(参考)原詩露・英対訳 Andrey Kneller氏による。 ← ロシア語はわかりません。
https://sites.google.com/site/poetryandtranslations/joseph-brodsky/a-ballad-about-a-small-tugboat

ところで時代は違うけど、機関車を黒い馬に例えたり(エセーニン)、クレーンの光景をレース模様に例えたり(ブロツキー)するのを見て、ソ連だなあとつくづく思ったりして。

ブロツキーは、アメリカに移って活躍した詩人で、作品は難解といわれる・・・未読。

(参考)北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターデータベース: ブロツキーの解説
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/brodskii.html

昨日(10/26)、この「ちいさなタグボートのバラード」の絵本を購入した。

(追記)
Youtubeに、上記とは別グループ*による、360°フォーマット展開(画面上、マウスを使ってタグボートを追ったり/フルスクリーンにすると拡大・縮小することが)できる、アニメ「ちいさなタグボートのバラード(Баллада о маленьком буксир)」が登録されているので次に埋め込む。
(*)Youtubeに戻って、画面下の解説に、サンクトペテルブルグの制作陣が記されている。

(Youtubeに登録のWHALETALESに感謝)

2020年10月24日土曜日

野鳥観察(4)

今朝の野鳥観察会は、今までで(といっても過去3回の経験でしかないけれど)、参加者がいちばん多かった。一つに天気が良く晴れ渡ったせいもあるが、これからの時期、飛来する野鳥の種類が増えて観察を楽しめるからということもあるようだ。

(本ブログ関連:”野鳥観察会”)

公園内の観察順路には、木立あり、原っぱあり、さらには小川ありといった具合で、それぞれの場所に適した野鳥を見ることができる。ちなみにマーケティングで、商品テストの地域に静岡県が選ばれたりするが、海や山があり、都市や工業地帯があるといった日本の縮図だからと聞いている。もっと雑談すれば、米国大統領選挙の動向を見極めるのに、オハイオ州の結果が判断になるというが、この場合はどうだろうか。

ところで、鳥は植物と違って動く(飛翔する)。ベテランは、姿が見えなくても鳴き声だけからでも判定する。一方入門者は、あそこにいると遠くを指さされてもすぐに見つけられず、探すうちに鳥は飛んで行ってしまう。今の力量では、鳥の雌雄の違いとか、状況に応じて鳴き分けているのを判別できるには、いたってほど遠い。

今回も多くの種類が観察されたけど、わが視覚・聴覚は追いつかない。(場所を教えてもらったうち)手持ちの双眼鏡で確実に見えた野鳥だけ次に記してみる。
・「ヤマガラ」: 樹上でしきりにエサをついばんでいた。逆光で、黒色の頭頂・茶褐色の腹をしっかり識別できなかったが。
・「アオサギ」: 公園近くの民家のベランダの手すりにじっととまっている青灰色の姿が見えた。
・「カルガモ」: 小川の水に身を任せるように、4羽が一列になって呑気?に流れていた。
・「バン」: 小川の葦の茂みに黒色の姿がいた。2羽というが1羽しか見つけられない。

以上は、ヤマガラを除きやや大きめの鳥なので、指さされて何とか見つけられた。しかし、「シジュウカラ」のようにサッと飛んで行ってしまう小鳥は、鳴き声を知らなければ見当もつかない。とはいえ、少しずつ身近に感じていければよいかなと思っている・・・双眼鏡で確実に見えるというのが、初めの一歩のような気がする。

2020年10月23日金曜日

(雑談)ちらりと聞いて早とちり

とりとめもなく、ちらりと聞いてネットを上滑りした与太話。

ラジオから、センセーショナルというかショッキングな場面が展開するという映画「異端の鳥」の映画評が聞こえてきた。遠くの国の人間が語るにはおぞましい、第二次大戦下の悲惨な経験を経たユダヤ人少年がいかに生き延びたかを描いた映画についてだ。映像化に賛否両論があったという。

1965年出版の「異端の鳥(ペインティッド・バード)」(西成彦訳、2011年)の原著者イェジー・コシンスキはとても個性的な人物で、ネットでは盗作などいわくつきの背景があるように紹介されている。この小説を自伝的といったり、架空の話といったり変転するくらいだそうだ。(未読のため深入りできないが)

ところで、この物語と大筋が似た児童書「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)がある。こちらの場合、作家オルレブ自身の経験ではなく、体験者というべきモデルが存在すると巻末に訳者解説がある。

(本ブログ関連:”走れ、走って逃げろ”)

「走れ、走って逃げろ」の原著「Run, Boy, Run(רוץ、ילד、רוץ)」が発表されたのは、なんと2001年とのこと。コシンスキとオルレブがほぼ同年代のため、コシンスキのよからぬ噂からあらぬ疑いを想ってしまったが・・・しかし発表時期から、それはとんでもない濡れ衣だった・・・早とちりにもほどがある。

(参考)
イェジー・コシンスキ:ポーランド系ユダヤ人、יז'י קושינסקי、Jerzy Nikodem Kosiński、1933年6月18日~1991年5月3日
ウーリー・オルレブ:ポーランド系ユダヤ人、אורי אורלב、Uri Orlev、1931年2月24日~


雑談
「走れ、走って逃げろ」の原題「Run, Boy, Run」をYoutubeで検索したところ、おもしろいミュージックビデオ(MV)と出会った。映像作家でミュージシャンであるヨアン・ルモワンヌ(プロジェクトWOODKID)の作品のようだが・・・初めて知るわけで。WOODKIDのMVを次の①、②の順に見ると、いろいろ思いを巡らすことができそう。これらに共通して登場する塔を持つ白い建造物に、どこか純正芸術的な臭いがする、それを狙ってのことだろうか?

(本ブログ関連:”純正芸術”)

① Iron:
・ https://www.youtube.com/watch?v=vSkb0kDacjs&list=RDvSkb0kDacjs&start_radio=1
・ https://www.youtube.com/watch?v=lmc21V-zBq0&list=RDvSkb0kDacjs&index=2
・(和訳) https://www.youtube.com/watch?v=HWx-PV5ptTs (Stay Aliveに感謝)


(追記 2025.6.23)
・ウーリー・オルレブ 原作「The Island on Bird Street:האי ברחוב הציפורים」(1981)が映画になっている。
    ー 映画(日本語タイトル)「マイ・リトル・ガーデン」 (1997年)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=O468As0i-B4

2020年10月18日日曜日

自然観察(3) ニガキは苦い

公園は朝から晴れて、草原(くさはら)はひんやりするものの夜露に濡れた風もなく乾いていた。幸いな天気のせいか、きょうの自然観察会は多数の参加者がつどった。(3回しか参加経験がないので、いうはおこがましいが、こんなに大勢そろったのに驚く)

観察会の植物分野のベテラン(リーダーの一人というべき方)からレクチャーを受けてメモしたものから以下に記す。聞き間違いがあるかもしれないがご容赦願いたい。(手帳11ページに及ぶ豊富な情報であり、その中から少しだけ・・・)

まず、経験の浅い入会者の務めというか洗礼というか、樹木「ニガキ(苦木)」の(次の写真の枝の分かれ目、矢印の先にある)<新芽>を味見をするよういわれ噛んだところ、次第に舌の奥あたりが苦くなった、しかも強烈に。会員からいただいた飴でしのいだのだが、苦味がしばらくのあいだ続いた。
・ニガキは、漢方薬「苦木(くぼく)」として苦味健胃剤の材料に使われるそうだ。ニガキの苦味は枝、葉にもあるが、漢方薬には樹皮などが使われるという。
(ちなみに、マグネシウム(Mg)は「苦土」と表現されて苦味を持つが、苦木の苦味は有機物「クアシン(C22H28O6)」によるもので、当然ながらMg元素を持たない。苦土と苦木の苦味の程度はどちらが大きいのか、ネットで検索したがよく分らない)

ニガキ
公園の原っぱ中ほどに木立があり、その中に「イイギリ(飯桐)」の木が赤い実をならしていた。実の様から「ナンテンギリ」ともいわれるが、次の写真のように赤い実を下に垂らしていて、「ナンテン」木の実のように上向きのものはないとのこと。また、イイギリの実は野鳥の「ヒヨドリ」に食べられるそうだ。
・飯桐(イイギリ)の飯は、葉を皿代わりにした意という。
・葉の広がるもとに小さな黒いつぶが2つほどあり(どうやら葉柄の途中にもあるとネットに記載がある)、それを「花外蜜腺」と呼ぶとのこと。アリを使って他の生物からの食害を防御しているようだ・・・。
・ところで、昔の金属金庫の内側に「キリ(桐)」の棚が作られていたが、桐の断熱性(燃えるのではなく、炭化するすることで防火)を利用したという。

イイギリ
観察会の最後に見たのは、「クサギ(臭木)」の木の赤い花だ。中心が黒い実で、周りの赤いのは花弁でなくて顎(がく)である。葉をつぶして臭いを嗅いでみるが、いわゆる青臭い臭いでしかなかった・・・。むしろ、つややかな赤い花の独特な姿、形に関心がいった次第。

クサギ

この他、いろいろ興味深い話題や感想を聞かせていただいた。
・「イヌタデ」:植物の名称に「イヌ~」が付く場合、劣った意を含むことがあるようだ。
・「ドングリ(団栗)」:「ドン」は「団」よりも「鈍」が似つかわしいかもしれないと感想を述べられた。

上記は樹木についてだが、野草についても解説がいっぱいあって・・・書ききれない。

(追記)
先日(10/16)の観察園外側で見たキク科の花は、現場で「ユウガギク」と同定していただいた。

2020年10月16日金曜日

ミゾソバ

ここ四五日、週の始めは日が照ったりしたものの、他日は概して曇り空。きょうは晴れ空が見えて、立川市にある「国営昭和記念公園」のコスモス畑に行ってみようかと、昼前、外に出たものの、ひんやりとする風に躊躇して行き先を変更した。日向と日陰の寒暖差が激しい。

いつものごとく公園併設の自然観察園を巡る。紅紫色の「ツリフネソウ」の花の群落にかぶさるように、淡紅色の「ミゾソバ」(タデ科)の花が群がっていた。湿地に設けられた板橋の上から眺めだが、小さく膨らんだ花が印象的である。その花は花弁でなくて、顎(がく)が色づいたもの。(ミゾソバの和名は、生え方がタデ科の代表穀物である「蕎麦」と見た目が似ていることに由来しているとWikipediaに解説がある)

自然観察センターのレンジャーの方に、観察場所を伝えてカメラ写真を見て検討していただいた。現物を観察してではないので、正式な同定ではないが、他に似たものとして「アキノウナギツカミ」(タデ科)を紹介いただいた。(こちらを観察園で見つけられなかったが・・・)
ミゾソバ、アキノウナギツカミは共にタデ科であり、茎に棘がある。ただし、葉の形態に違いがあって、ミゾソバは「先は鋭くとがり、茎部は耳状にはりだす(牛の顔のイメージ)」に対して、アキノウナギツカミは「卵状披針形 - 長披針形、茎を抱くようにはりだしている」と絵解きいただいた。

ミゾソバ

同じくタデ科の植物で茎に棘のある、上部が赤く下部が白い花の「ママコノシリヌグイ」(タデ科)の紹介を受けて、観察園に戻り、指定の場所で見つけた。つる草にからまれて息苦しそう(写真はつるをほどいたもの)。この花も花弁ではなくて、上記同様に顎片からできている。(ママコノシリヌグイの和名の由来は残酷。洋の東西を問わず、継子に対する継親の心理は複雑)

ママコノシリヌグイ
キク科の花
観察園の柵の外側にキク科の花が咲いていた。写真をレンジャーの方に見てもらったが、「コウガギク」、「カントウヨメナ」などあって同定が難しいといわれた。初心者が先走るのを、慎重に説かれ戒められたような気がした。

2020年10月12日月曜日

ハナミズキの実

夜型の生活をしていて朝寝坊を決め込んでいたのに早起きするようになったのは、自然観察の会へ参加するようになってのこと。健康にもよいと生活リズムを再構築しているのだが、少々調整に苦心している。

よく昼寝は正午から午後3時までの間でした方が良いといわれる。それ以降は生活のリズムを狂わせる。ところが、私ときたら午後5時ころになると眠くなるようになった。

奇妙な進路をとった台風(14号)も過ぎて台風一過、きょうは晴天に恵まれたので、これを機会に外出しようと、3時過ぎに公園へ出かけた。太陽の低い光線がまぶしい。木立は幹の影を地面に長く這わせている。路肩の雑草「チカラシバ」は、ブラシのような穂に西日を受けてキラキラ輝き揺れている。すっかり秋の気配だ。

公園を横切る小川の土手に、更に一段盛った小路があり、その両側に「ツツジ」や「ハナミズキ」が植えられている。この時期のハナミズキは、葉をまだ残しているもの、写真のように枯らして落としているものさまざまあるが、一様に赤い実をつける。赤い実といえば「ナンテン」の木の実を思い出すが、こちらは冬になってのこと。

正直、ハナミズキと赤い実のイメージがつながらない。というのも、通りすがりに気付いたくらいだから。(普段自然をぼんやりとしか見ていない証左である・・・)

2020年10月6日火曜日

キンモクセイ

この時期、民家のつづく路地を歩いて「キンモクセイ(金木犀)」の香りに気づくことがある。どんなに小ぶりの枝でも、橙色の花を身に着けると辺りにあの独特な甘い匂いを漂わせる。寒くない秋晴れの日によく似合う。それが大木となって見上げるほどになれば、圧倒されることになる。

公園に併設の「たてもの園」入り口の両側に、大きなキンモクセイの木が並んでいる。足元を柵で囲われており、公園内の他の木立と比べれば驚くほどでないかもしれないが、それでも高さ10m、枝幅8mあるという。大きな樹影と香りに、傍を通る誰もが思わず立ち止ってしまう。

(本ブログ関連:”キンモクセイ”)

ただ、わたしら世代には、キンモクセイの香りに人工的なものを感じることがある。その理由を、Wikipediaに、芳香剤の香り付けに利用した時代があったと解説している。思えばそうだったと合点する、田幸和歌子氏の出典*が明記されている。
(* 出典: https://www.excite.co.jp/news/article/00091161497065/ )


ところで公園内を巡ると、空気圧をクッションにしたような大きな遊具があって、その上で何人もの幼児たちが歓声をあげながら飛び跳ねている。通りかかりに管理員の方に聞いたところ「ふわふわドーム」という。なんとも可愛らしいネーミングだ。小さな体が宙に舞い、ゆっくりと上下する視点の動きがたまらないのだろう。
そんな遊び場の隣に「コスモス」畑がある。きょうは目いっぱい、コスモスの花を楽しんでみようと寄ってみた。


昨日見た、小川の堤に続く柵のかたわらに寄せ植えしたコスモスと違って広がりがある。こうなると欲が出るもの、もっともっと広大なモスモス畑を見たくなる。

2020年10月5日月曜日

コスモス

秋の気配が濃厚になった先週の金曜日(10/2)、自然観察園で「ヒガンバナ」の群生を見てきた。きょう、もう一度眺めてみようと思い出かけたが、月曜日が休園であることをとんと忘れていた。

そこで、せっかく来たのだからと、公園近くで「コスモス」を探してみることにした。二つの公園にまたがる橋のそば、堤に沿ってこじんまりとコスモスの花が連なっているのを見つけた。

(本ブログ関連:”コスモス”)

コスモスの花は愛らしい気がする。パステルカラーの薄桃色の花弁が身を任せるように風に揺れているさまは、幼子のようにあどけない。いつまでも見入ることができる花だ。

コスモスは秋桜とも記す。しっとりとした情感をさそう、山口百恵の「秋桜」が聞こえてくる。明治近代に渡来した外来種だが、日本人の感性に合っていたのだろう、まさに秋の桜だ。

以前、埼玉県の日高市にある巾着田でヒガンバナ(曼殊沙華)を見た帰り、巾着田の内側一面にコスモスの花で埋まっていたのを思い出す。正直、月並みかもしれないが天国の光景が浮かんだ。わたしにも、そんな想いがしたのだ。

今年は新型ウィルスのせいで、残念ながら遠出を控えている。できるなら都内で大規模なコスモス畑を訪れてみたい。立川市にある「国営昭和記念公園」で「コスモスまつり 2020」*を今月下旬まで開催しているとのこと、しっかり目に焼き付け、胸いっぱいに畑の空気を吸ってみたい。
(コスモスまつり: https://www.showakinen-koen.jp/event/cosmos2020/ )

日本画の掛け軸風に、コスモスの写真を縦長にトリミングしてみた。

2020年10月3日土曜日

野鳥観察(3)

公園の野鳥探鳥会に初めて参加したのは8/22(土)のこと。以前、早朝の公園で「カワセミ」を観察中のベテランと偶然出会い、探鳥のイベントを教えていただいた。そんなわけで初回に、雰囲気だけでもとうかがった次第。実際、会員の後ろに付いて回っただけだったが。(そのときのことを本ブログに記すにはあまりに知識・経験不足。語彙もない。右も左も分らぬ超初心者には書くことも覚束ない。)

(本ブログ関連:”野鳥観察会”)

第2回目(9/26)はブログに記した通り。野鳥は、植物と違って動き廻る。遠くにいても双眼鏡を使って視認するしかない、一方、声だけでも判別することができる・・・という。そんなわけで、会員の足手まといにならぬようひたすら追いかける。

そして今日、3回目の参加となった。何が変化しただろうか、成長しただろうかなんてとんでもないが、会員の方々から野鳥にまつわるいろいろな話をうかがう。耳学問であるが、門前の小僧にならい少しづつ蓄積していこう。

今回まさに野鳥らしい野鳥の「ヤマガラ」を双眼鏡で見た。エゴノキのむくろに留まっているのを自分の双眼鏡で観察できたのは幸いだ。視野いっぱいに見た第一号となる。(「野鳥」図鑑に、秋にスダジイやエゴノキの実をよく食べ、貯食行動もおこなうとある)

飛翔がユニークだ。「波状飛行」といい、羽ばたいて上昇しては、羽を休めて下降する。エネルギーの消費効率がいいからだろうとのこと。(降下するさまに、義経の「鵯越え」の奇襲が想い浮かばれる)

カルガモ
夏の小川にいるのはカルガモ。冬になるとマガモが北たから飛んでくるので、見間違えないように注意とのこと。

その他、遠くの木立で「コゲラ」が数羽飛び交うのが見えたり、「アオゲラ」が大きな声で鳴いているのを間近で聞いたりした(つまり声だけ)。

とはいえ、以上は教えていただいてのこと。

2020年10月2日金曜日

ヒガンバナ

早起きして公園の自然観察園に「ヒガンバナ(彼岸花・曼珠沙華)」の群生を見に行く。観察園の扉が開くのに少々早く着いたようだ。観察センターに立ち寄って、(新型ウィルスの余波もあって昨年版だが)今月の「花だより」の野草リストをいただく。裏面には観察順路が図示されていてありがたい。

(本ブログ関連:”ヒガンバナ”)

実は、今年の観察園のヒガンバナの開花が遅いと話題になっていたが、昨年同様、観察園の西側の一画を赤く敷き詰めた。葉を見せず、細身の茎の上に真っ赤に燃えるような花弁を揺らせ、細い雄しべと雌しべで飾っている。それが妖しいとか妖艶とか、毒性もあって死のイメージにまで広がる不思議な花だ。

来園のひとびとは、そんなイメージと関係なく、赤く広がるヒガンバナの群生に見入り、シャッターを切ったりした。今年も会えたという喜びの方が勝っているかもしれない。



ヒガンバナは、上掲のような群生でないが公園のあちこちにも咲いている。日本のヒガンバナは遺伝情報の持ち方から、有性でなく球根を分けることで、つまり人手を介して人為的に増える。チューリップ畑を見て感動するようなものかもしれない。でも、それでもひきつける。

2020年9月26日土曜日

野鳥観察(2)

自然観察会に野鳥探索(探鳥)のイベントがあり参加した。今回で2回目、全くの初心者である。
今朝早く霧雨模様で、そのまま曇り空になるのか小雨になるか分らぬまま、かような天気なら本来中止となるところを、リーダーの厚意で実施の運びとなった。参加者が極めて少数だったにもかかわらず。感謝。

(本ブログ関連:”野鳥観察会”)

実は、先日購入に手間取った双眼鏡をようやく手にできたので、試してみたいこともあって参加した次第。6×30の視野の広さと明るさの効用を体験したかった。

ベテランリーダーの後ろについて探鳥する。鳥の姿だけでなく、鳴き声も聞き分けるという。植物観察の場合、足元の野辺の野草に目が注がれるのに対して、野鳥観察の場合、鳥たちが樹上に留まったり頭上を飛翔するため視点が上がる。観察リストの作成に当たって、観察場所を巡るとき前方で見つけた鳥だけをカウントし、後方の野鳥は対象外になるそうだ。

超初心者の視野に入った野鳥は次の通り。
・カラス: ハシボソカラス(高圧線上に十数羽並ぶ)、ハシブトカラス
・アオサギ: 野川に足を浸かり、岸辺の草の中に頭を突っ込んでエサを探していた。
・カルガモ: 野川の流れに身を任せるように2羽が浮かんでいた。
カワセミ: 野川の岸の小枝に静かにたたずんでいた。(「コバルト色の背、緑色の翼」が美しい)

その他、アオゲラの影を探したり、オオヨシキリの声を聞いたりした。初心者には、それ以上の観察はむつかしい。一方、ベテランはカワセミやコサギをしっかり写真に収めて、つぎつぎ鳥をカウントしていく。

次回、もっと天気がよければ、多くの種類を見つけられるだろうとのこと。ぜひ参加してみよう。

2020年9月21日月曜日

自然観察(2)(追記)

昨日(9/20)の自然観察会で撮った写真と、そのとき聞き書きしたメモと一致する花をネット上で見つけることができないでいた。放って置くのも気分がよくないので、近くの街にある書店へ出かけ、雑草図鑑を購入して、ぴったり当てはまるものを探した。

先日のラジオ番組*に出演されたのを聴いて知った、植物生態学の研究者でもある多田多恵子氏の「もっと 美しき小さな雑草の花図鑑」(山と渓谷社)の中に、「ツリフネソウ」の紹介があった。まったくもって観察会での写真と同じだ。どうやら<ツリガネソウ>と聞き間違えてメモしたようだ・・・しっかり聞き直すべきだったと反省。

ツリフネソウ(ツリフネソウ科)

(*)ラジオ番組:
・Youtube: 2020.9.2 NHK ラジオ深夜便「野に咲く花/雑草に 魅せられて」
 ( https://www.youtube.com/watch?v=wtxrcVv6wMI )
・NHKらじる★らじる:2020.9.19 石丸謙二郎の山カフェ「憧れの紅葉の山」(9時台
 ( https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=4750_01 )

ドクダミについて
ところで、わが家の庭を悩ますドクダミについて、多田氏の上記の図鑑にこんな記述があった。ドクダミは、被子植物の「単子葉類」と「双子葉類」とは別に、それ以前に存在した原始的被子植物「基部被子植物」にあたるという。1990年代のDNA研究で系統樹が書き換えられたという。ドクダミは古いやつなのだ。
上記Youtubeの同氏の解説によれば、今でこそ嫌われもののドクダミだが、家庭の庭先に多いが山の中に見なれないのは、昔常備薬として庭に植えていたからという。それじゃしょうがないか。

(本ブログ関連:”ドクダミ”)

2020年9月20日日曜日

自然観察(2)

曇り空の午前中、公園(および自然観察園)を巡っての自然観察の会に参加する。草花から昆虫・野鳥まで多様な対象をカバーして解説いただくわけだが、手帳にメモしているうち、それぞれの名前が飽和・沸騰して蒸発・揮発してしまう。何とかカメラに収めたりしたが、帰宅して確認してみると、メモの記録と写真が結びつかない・・・混乱するばかり。

次に、分かる範囲の野草や樹の花の写真を並べてみる。他にも多数撮ってみたたが、手帳の記述とネット情報を照合しても不明が多い。(かように記憶がおぼつかず定まらない)
タマスダレ(ヒガンバナ科)
ヤマザクラ(薄桃色が数輪、他に白色が数輪)
カリガネソウ(シソ科)
白色のヒガンバナ(ヒガンバナ科)

野草について、「メ(雌)ヒシバ(日芝)」、「オ(雄)ヒシバ」は互いに属が異なること。「イボクサ」はイボ(疣)取りの薬用として使われたこと。「キツネノマゴ」は<ガク>がキツネの尻尾に似ていることなど、大ベテランの方から様々教示いただいた。

鳥に詳しい方からは、遠く高圧線鉄塔上に留まっている「モズ」や樹上で鳴く「クサヒバリ」を、昆虫に詳しい方からは、「ショウリョウバッタ」や「エンマコオロギ」の雌雄の違い(体形・羽)について教示いただいた。

観察会の終わり、小雨のぱらつく帰り道、公園をおおう草木の豊富なことにあらためて感じいった。今まで見ていたはずの緑の光景が実に多様なことを思い知らされた。

2020年8月30日日曜日

(資料)2015年4月「米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説」

米国連邦議会上下両院合同会議における 安倍総理大臣の演説
「希望の同盟へ」(2015年4月29日(米国東部時間))
(外務省: https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html )
(英語版: https://www.mofa.go.jp/na/na1/us/page4e_000241.html )

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はじめに

 議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、
 1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。
 「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。
 以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。
 申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。
 皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。
 マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。
 民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。
 キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。
 私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

アメリカと私

 私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。
 家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル-フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。
 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。
 デル-フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。
 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。
 上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。
 ――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。

アメリカ民主主義と日本

 私の苗字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説*の有名な一節に求めてきたからです。

(*演説: 「人民の人民による人民のための政治」 )

 農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。
 日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

第二次大戦メモリアル

 先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。
 一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。
 その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。
 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。
 歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。
 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

かつての敵、今日の友

 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。
 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。
 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。
 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。

アメリカと戦後日本

 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
 アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
 焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。
 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。
 下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

TPP

 こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。
 日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。
 太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。
 許さずしてこそ、自由民主主義法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。
 その営為こそが、TPPにほかなりません。
 しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。
 経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私達の子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。
 日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

強い日本へ、改革あるのみ

 実は…、いまだから言えることがあります。
 20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。
 ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。
 日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。
 私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。
 世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。
 人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。
 日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。
 親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。
 日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

戦後世界の平和と、日本の選択

 親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。
 省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。
 日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。
 この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

地域における同盟のミッション

 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。
 日本は豪州、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。
 日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。
 日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。
 アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。
 第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。
 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。
 そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私達には、その責任があります。
 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。
 この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。
 戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。
 ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。
 いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。
 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。

日本が掲げる新しい旗

 1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。
 その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。
 これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。
 国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。
 人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。
 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。
 いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。
 繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。
 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。
 日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。
 自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

未来への希望

 まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。
 「落ち込んだ時、困った時、...目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。
 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。
 そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。
 私たちには、トモダチがいました。
 被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。
 ――希望、です。
 米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。
 希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。
 ありがとうございました。
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キャロル・キング:君の友達(You've Got a Friend)【訳詞付】

(Youtubeに登録のfreepasportに感謝)

2020年8月20日木曜日

イヌキクイモとプロペラカフェ

午前中、日射が厳しくなる前に、公園併設の自然観察園へ行く。家を出るときも、公園に入るときにもしっかりと水分補給した。自然観察園内では緑陰を探しながら巡ったが、やはり汗がにじむ。

イヌキクイモ
林の奥に、ぽつんと「かがみ池」がある。以前訪れたとき濁っていたが、きょうは名前の通り澄んで輝き、池の底までくっきりと見えた。木立に囲まれ、木漏れ日に水面が揺れているさまは、童話に出てきそうな光景だ。

かがみ池は、園内に設置された板橋の上から臨むことができる。板橋のわきに、大きな「イヌキクイモ」がぬっと生えている。ざっくばらんに黄色の花弁を見せる。全体に大ぶりな感じがする。(どうやら「キクイモ」も似ているのかもしれない)

イヌキクイモは、キクイモと同じヒマワリ属に属している。先日の観察会で、両者の違いについて、塊茎(かいけい:地下茎)の大きな方がキクイモと解説を受けた。キクイモから果糖をとったと図鑑に解説がある。とはいえ、キクイモを直接観察したわけでないけれど、類似のものの対比は意外と記憶に残りやすい。

プロペラカフェ
久しぶりに足を延ばして、「調布飛行場」わきにある「プロペラカフェ」で昼食をとることにした。大通りからカフェ施設へ向かう道の入り口で、氏名や用途をチェックされる。毎度のことながら空港管理が厳しくなった。

(本ブログ関連:”調布飛行場 プロペラカフェ”)

プロペラカフェに隣接(ガラス窓の仕切り越しに見ることができる)格納庫に、グライダーL-13 Blaník(JA2146)が置かれていた。NCA(新中央航空)の双発ドルニエ228旅客機が頻繁に離着陸を繰り返すこの空港で、グライダーを飛ばしたりはしないだろうにと考えた。
(ネット情報では、本グライダーは登録抹消済みのよう)

その他に面白い小型ヘリがあった。ロビンソン R44(JA7985)で、1990年代に開発されたものだそうだが、いかにも1950年代にありそうな何とも古めかしいデザインを思い出した。

2020年8月18日火曜日

フジカンゾウとマメコガネ

始めに余談。
ネット販売A社が掲載の商品を発注・入金したところ、キャンセルとのメールが届き驚く・・・なにしろこんなことは初めての経験で少々戸惑った。とりあえず、同社の商品カード(≒商品券)に切り替えることで一件落着。夜分だがスムーズに電話対応(国内)され安心した。
その商品というのは双眼鏡で、以前購入したものが倍率10倍だったところ、野鳥観察には倍率6倍程度のものがよいと経験者から助言があった。高倍率は遠くが見えてよさげだが、対象物が視野におさまりきらずブルブル震えてしまう欠点があることをフィールドで確認した。あらためて倍率6倍の双眼鏡を購入しようとしたところ・・・。


新型コロナウィルスを警戒して家にこもる日が続いた。そこで、先日の自然観察会に参加して以来、少しずつ外出を復活するようにしている。このところ熱射の連日だが。

フジカンゾウとマメコガネ
きょう、公園併設の自然観察園の入り口そばに茂るマメ科の野草「フジカンゾウ」の茎や花先に甲虫の「マメコガネ」が大勢たむろしているのを見た。

フジカンゾウとマメコガネ
フジカンゾウ
細い茎が伸びてその先に淡紅色の小さな花がいくつも咲いている(フジの花に似ている)。葉は複葉で、7枚でセットであるのを先日教えてもらった。合わせて、カンゾウは「甘草」と表記され、字義通り甘みがあって漢方薬に使われているという・・・フジカンゾウが漢方薬に使われているかどうかは分からないけれど。

マメコガネ
小さな甲虫で緑色に光沢する。写真では一匹だが、ほかに交尾中のものやセミの抜け殻と一緒だったりと、カンゾウの上でこの虫のさまざまな場面を見ることができる。マメ科のフジカンゾウを餌食とする害虫のようで、調べてみれば、な~んだといった感想がする。でもせっせと生きていることに違いない。

2020年8月17日月曜日

キバナコスモス

入門者向けに、文庫サイズの野草図鑑「日本の山野草」がある。ショルダーバッグに入れてフィールドで手軽に参照できる。ただ、似た花の写真を見つけられないと、皆目見当がつかなくなるのが初心者の定めだ。

きょう月曜日の大型公園で「キバナコスモス」の花が咲いているのを見た。人影が少ないせいもあってか、キバナコスモスの橙色の花弁が地味に感じてしまう。

(本ブログ関連:”キバナコスモス”)

キバナコスモスに、いわゆる「コスモス」のイメージとちょっと違った野暮ったさを感じるのはなぜなのだろう。コスモスのように誘う気配がないのだ。

以前、埼玉県日高市にある「巾着田」の外延に咲く真っ赤な「曼殊沙華」の鑑賞に行ったとき、巾着田の中央一面を埋めるコスモスの花と出会った。そのパステルカラーの軽やかな色彩は、私にどこか天国へ繋がるような高揚感を与えてくれた。

実は、上記の「日本の山野草」図鑑に、コスモスもキバナコスモスも掲載されていない。外来/園芸植物といった区分で制限されているのかもしれない。それも妙な感じがする。

ところで公園では、コスモス専用の畑が準備されているようだが、キバナコスモスが先んじて別の場所で咲いたことになる。キバナコスモスとコスモス(=オオハルシャギク)は、Wikipediaによれば「同属別種にあたり互いを交配する事は出来ない」とのこと。お互い縁が薄いようだ。

2020年8月16日日曜日

自然観察(1)

朝、地元の公園の自然(植物、昆虫、鳥など)を観察する会に出席した。新参ものの素人の私であるが、観察巡りの始め、リーダーから路傍の草や虫について丁寧な解説いただき、それらの名を手帳にメモをとった。

次々、紹介があり、メモを書き連ねているうちに、私のキャパをすぐにこえてしまった。日頃のんびり散策している野川の脇道にこんなにもいっぱいの生き物(草や虫)がいたのかと驚き感心した。

植物で、「カンゾウ」の葉が7枚でセット(複葉)だったり、「エノキ」の木の葉の葉脈が非対称だったり、「ヤブガラシ」の葉が鳥足状のセットだったりと、観察を深めれば気付くことがいっぱいあった。(エノキの赤い実をかじってみたところ少しだけ甘みを感じた)

きょうメモしたことを、これからじっくりと図鑑やネットで照合・整理してみたい。(歳を取ると若いころのように大食いできない。小皿に分けて咀嚼してみよう)

2020年8月13日木曜日

カワセミ

以前(4年前の5月)、京王線つつじヶ丘駅から深大寺(城跡)を経て、東京天文台横まで北西にかけて国分寺崖線の観察ポイントを巡る催しに参加したことがある。そのとき、崖線に沿って流れる野川を何度も交差する機会があった。

(本ブログ関連:”国分寺崖線を歩く”、”国分寺崖線”)

観察途中、野川の川面を野鳥の「カワセミ(翡翠)」が飛ぶ姿を見た。テレビで見慣れた、<青い宝石>といわれるカワセミとこんなに間近に出くわすなんて驚きだった。美しい青い羽根が日の光に輝いていたのだから。

ところで今朝早くのこと、公園を散歩したとき、野鳥観察のマニアたちと野川の川っぷちで出会い、野鳥観察についていろいろと教示いただいた。そのとき、目の前の葦にカワセミがすっととまった。朝陽を受けて腹の橙色が目立ったのだが、野鳥観察マニアがいうには「くちばしの下側が赤いのでメスだ」という。もちろん野鳥観察マニアはしっかりした望遠カメラで撮影しており、わたしは先日購入したばかりの小型双眼鏡で覗いてのことだったが。

(本ブログ関連:”公園散歩”)

カワセミは、すぐに川筋に沿って西へ消えた。どうやら、近くに巣があるらしいという。野鳥観察マニアがじっくり観察していての推断だろう。彼らから、野鳥の観察は9月、10月に入ってからの方が、種類も多く見られると教えられた。私にしてみれば、まったくの素人、もう少し涼しくなってから観察を始めてみようかと思っている。

2020年8月6日木曜日

おかしな主人公たちの住む町

世の中には色んな阿呆がいる。わたしもその一人で気持ちがよく通じる。もし阿呆たちがそろったらどうなるだろう。収拾の付かないことばかりかもしれないが、意外とよく事が済むかもしれない。

イディッシュ語を少しかじったとき、語学テキストに閑話休題として小話が用意されていた。ストーリーの舞台に「ヘルム」の町(村)が出てくる。当然ながら、架空の町(村)で、ポーランドにあるという。まさにイディッシュの息づかいを感じる気がする。以来、彼らの粗忽さに落語と似た親近感を感じている。

(本ブログ関連:”阿呆”、”ヘルム”)

イディッシュ語作家でもあるアイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の訳者解説に、同書で話題にしたポーランドのユダヤ人が住む町「ヘルム」の他に、おかしな主人公たちのいる民話の町として次が紹介されていて、以前このブログの「おバカな村」にも記した。
・イギリス「ゴタム」
・オランダ「カンペン」
・イタリア「クネオ」
・ドイツ「シュリートブルク」など

ところで、ドイツにはシュリートブルクの他に「シルダ」というおバカな町があるという。

アンソロジー「日本の名随筆40 愚」(山田風太郎選)に収載の、北杜夫の「阿保について」(「マンボウ人間博物館」の第一話)に、児童文学者のケストナーが記した、<賢人が出張して阿保ばかりが残った*ドイツ中世の「シルダ」の町>について紹介している。
(*)阿保ばかりが残ったのか、賢い者が戻ってきて阿呆の振りをしているだけなのか諸説あるようだ。

■ まず、北杜夫の「阿保」の定義が面白い。精神科医の作家なればこその紹介だが、孫引きする。
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ドイツの誇る精神科医、故ホルスト・ガイヤー博士に、『愚鈍について』という著作がある。彼は白痴患者の専門家であった。その一説、
勤勉は阿呆の埋め合わせにはならない。勤勉な阿呆ほど、はた迷惑なものはない。
・・・・
そもそも世に名高きシルダ人の愚行を記さぬ法はなかろう。シルダ人は、ドイツ中世の伝説の一つで、『ティル・オイレンシュピーゲルのいたずら』と共に、双璧をなしている。いろんな作家がシルダ人の愚行について、童話や小説を書いているが、ケストナーのものがいちばん面白いようだ。
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というわけで、ケストナーの「シルダの町の人びと」が少し触れられている。一匹の海老(ザリガニ)が巻き起こす騒動が面白い。

■ ちくま文庫「ケストナーの『ほらふき男爵』」(池内紀、泉千穂子訳)に所収の「シルダの町の人びと、ザリガニを裁判にかける」は、次のように書かれている。
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ある日、町にやってきたザリガニが、はさみを持っていることから仕立て屋に違いないと町長が結論を出す。さっそく布を切らせてみるとズタズタになる。そこからドタバタが始まり、結果、ザリガニは裁判にかけられる。裁判長は「溺死させるのがよろしい」と死刑を宣告する。
シルダの町の人びとは刑の執行を見守った。「かわいそうだがしかたない。法は曲げられぬ」と。
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こんな具合で、ザリガニは溺死の刑に処せられた。

■ そういえば、上記のシンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」にもこんな話がある(「ヘルムのとんちきまぬけな鯉」)。
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ヘルムの長老から大とんまな男へ贈られた鯉が、ぴしゃりと跳ねて男のお顔を叩いた。罰を与えようといろいろ算段したあげく、結局、溺死の刑に処すことになった。
鯉を湖に投げ込む処刑を見ながら、ヘルムの市民は歓声を挙げた。「卑怯きわまる鯉はおぼれてくたばれ!」と。
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ちなみに、ユダヤ料理の一品に使われる「ゲフィルテ」は、鯉のすり身団子だ。瓶詰から取り出してそのまま食べればさっぱりした味わいだ。わたしは、うどんと一緒に煮こんだりした。少々甘みが出てくるが、ふうふういいながら食うのも美味いものだ。

(本ブログ関連:”ゲフィルテ”)


(参考1)
学問的なことは全く不案内だが、ヘルマン・バウジンガー「ドイツ人はどこまでドイツ的?(2)― 国民性をめぐるステレオタイプ・イメージの虚実と因由 ―」(河野眞訳、愛知大学 言語と文化 No. 21)の翻訳に「シルダ」の町について次のような<訳注>がある。
https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO21/04KonoS.pdf
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p.68  シルダ(Schilda):シルダは,架空の都市の名前で,民衆本に頻繁に現れ,その市民はいたずら好きな主人公や,また主人公にからかわれる馬鹿な民衆でもあった。シルダの元になった町としては,ザクセンの「シルダウ (Schildau)」 やブランデンブルクの「シルダ (Schilda)」 などが挙がられる。
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(参考2)
学問的なことは全く不案内だが、「論説 《世間》は日本社会の特異性か?  - 欧文の翻訳における《世間》の用例に即した検証 -」(河野眞)も参考に記す。
https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=9219&file_id=22&file_no=1