それでも、石好きの端くれにいる。ところで、イ・ソンヒのコンサートで韓国を訪れたことはあるけれど、鉱山、地質博物館どころか、鉱物標本がありそうなソウル市内の自然史博物館すら行ったことがない。それも・・・なんだなあと反省している。
以前、ある物産フェアに、韓国の宝石・鉱物装飾商のブースがあった。ちょっと覗いて、鉱物採集に興味があるなどと(日本語で)話しているうちに、私が参加している石仲間の会の名前をあげたところ、様子が変わってしまった。そう・・・会の名前に、韓国では馴染めない単語が混じっていたのだ。
ソウルの大型書店で、韓国産のきれいなカラー版の鉱物図鑑を求めたが、洋書(=外国産鉱物)ならあるといわた。(Smithsonian Handbooksの鉱物図鑑を韓国語版にしたものはあったが)
(本ブログ関連:”鉱物図鑑”)
ブックフェアでも、韓国の出版社の人に同様の質問をしてみたが無いらしい。韓国の鉱物マニアは、一体どんな図鑑を持っているのだろうか。(もちろんアマチュア向けの図鑑だが)
あるとき、鉱物フェアで、韓国産鉱物標本の「灰重石」(CaWO4)が販売されていたので、早速購入した。産地は、忠清北道(충청북도)の中原郡(중원군)仰城面(앙성면)(現忠州市충주시)大華鉱山(태화광산)で、「楽しい鉱物図鑑」(掘秀道著)に記載されていて、代表的な産地のようだ。
(本ブログ関連:”灰重石”)
灰重石標本を、手元にあるチープな紫外蛍光ランプで照らしてみたが、蛍光作用しない・・・残念。
ちなみに、大華鉱山以外の韓国の鉱山(蔚山、月岳、山内、日光)と、日本の鉱山(喜和田)で産出された灰重石中のイットリウム(Y)含量を分析して、鉱床の違いを考察した資料がネットにある。(「韓国及び日本の6鉱山産の灰重石中のY含量」)
(付記)
<重石>の名の通り、タングステン仲間の「鉄マンガン重石」((Fe,Mn)WO4)は、何度も訪れた茨城県錫高野で手に入れた。山道に転がっていたが、今はズリでもあまり見つからない。(掘り返す気力のある人は別だが)
2015年6月4日木曜日
2015年6月3日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 花に関する音楽
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、美しい季節、春の花に関する3曲を紹介した。
始めに、イパブの木(이팝 나무)の花と米粒の例えから、亡くなった子供たちの伝説について次のように紹介された。
・5月に咲く花に、イパブの木の花がある。日本でヒトツバタゴと呼ばれ、4月から6月に咲く、白い花びらと細長い形が特徴。飯(팝)の米粒に似ることから名付けられた。大きな木を覆うほど大変華やかだ。
・昔、白い米粒を「イバブ」と発音し、「イパブ」に変わった。食べ物が十分でない当時、花が米粒にも見えた。全羅北道鎮安の馬耳山付近、馬嶺小学校があり、樹齢の長いヒトツバタゴの小さな森がある。もとは、栄養不足で亡くなった子供たちの墓場であった。あの世で満腹になれるようにと、ヒトツバタゴを植えたのだ。木や花に色々な逸話が伝わるが、この伝説は悲しい。
▼ 山に咲く花「山有花(산유화)」の曲を聴く。こちらは山の花、海にオギヨディオラがあったことを思い出す。今様だ。
・詩人金素月(김소월)の詩「山有花」は、大変有名な詩で知られるが、特定の花でなく、山に咲く花を指す。
・ヒトツバタゴの花が満開になると、その年は豊作になるという。田仕事の合間、花が目に入っただろう。豊作への念願だった。
次に、桐の木(오동 나무)で、娘のため作る箪笥、またその花の香りについて次のように紹介された。
・この季節、桐の花が咲く。乾燥させると、軽く、虫にも強いので、家具に適している。箪笥や楽器、宝石箱にも使われる。昔、娘が生まれると、桐を植え、嫁入りの年頃になえうと、箪笥を作った。
・また、学者のソンビは、桐に鳳凰が訪れるとして、大事にしていた。桐は葉が出る前に紫の花を咲かせ、香りも見事だ。
▼ 打弦のコムンゴ演奏「音を夢見る木(소리를 꿈꾸는 나무)」を聴く。現代風思念的な間合いが響く。
最後に、花にはそれぞれ象徴があるという、次のように紹介された。
・昔の人々は花にも意味をつけた。花に、それぞれ地位と品格があり、花に関する歌もあるが、歌詞が興味深い。牡丹の花は花の中の王で、ひまわりは太陽を見つめる忠臣。蓮の花は君子で、華やかなアンズの花は小さい者を指す。アンズの花がどうして小さい者を指すか理由は知られない。どう評価されようとも、それぞれ役割がある。
▼ 女唱歌曲(여창가곡)、編数大葉(편수대엽)、「牡丹の花は(모란은)」を聴く。ゆたりとして、花の空間が現れるよう。
・編数大葉には、菊や梅の花にいたるまで、その花の特徴を興味深く表現している。
始めに、イパブの木(이팝 나무)の花と米粒の例えから、亡くなった子供たちの伝説について次のように紹介された。
・5月に咲く花に、イパブの木の花がある。日本でヒトツバタゴと呼ばれ、4月から6月に咲く、白い花びらと細長い形が特徴。飯(팝)の米粒に似ることから名付けられた。大きな木を覆うほど大変華やかだ。
・昔、白い米粒を「イバブ」と発音し、「イパブ」に変わった。食べ物が十分でない当時、花が米粒にも見えた。全羅北道鎮安の馬耳山付近、馬嶺小学校があり、樹齢の長いヒトツバタゴの小さな森がある。もとは、栄養不足で亡くなった子供たちの墓場であった。あの世で満腹になれるようにと、ヒトツバタゴを植えたのだ。木や花に色々な逸話が伝わるが、この伝説は悲しい。
▼ 山に咲く花「山有花(산유화)」の曲を聴く。こちらは山の花、海にオギヨディオラがあったことを思い出す。今様だ。
・詩人金素月(김소월)の詩「山有花」は、大変有名な詩で知られるが、特定の花でなく、山に咲く花を指す。
・ヒトツバタゴの花が満開になると、その年は豊作になるという。田仕事の合間、花が目に入っただろう。豊作への念願だった。
次に、桐の木(오동 나무)で、娘のため作る箪笥、またその花の香りについて次のように紹介された。
・この季節、桐の花が咲く。乾燥させると、軽く、虫にも強いので、家具に適している。箪笥や楽器、宝石箱にも使われる。昔、娘が生まれると、桐を植え、嫁入りの年頃になえうと、箪笥を作った。
・また、学者のソンビは、桐に鳳凰が訪れるとして、大事にしていた。桐は葉が出る前に紫の花を咲かせ、香りも見事だ。
▼ 打弦のコムンゴ演奏「音を夢見る木(소리를 꿈꾸는 나무)」を聴く。現代風思念的な間合いが響く。
最後に、花にはそれぞれ象徴があるという、次のように紹介された。
・昔の人々は花にも意味をつけた。花に、それぞれ地位と品格があり、花に関する歌もあるが、歌詞が興味深い。牡丹の花は花の中の王で、ひまわりは太陽を見つめる忠臣。蓮の花は君子で、華やかなアンズの花は小さい者を指す。アンズの花がどうして小さい者を指すか理由は知られない。どう評価されようとも、それぞれ役割がある。
▼ 女唱歌曲(여창가곡)、編数大葉(편수대엽)、「牡丹の花は(모란은)」を聴く。ゆたりとして、花の空間が現れるよう。
・編数大葉には、菊や梅の花にいたるまで、その花の特徴を興味深く表現している。
2015年6月2日火曜日
イ・ソンヒの清雅さについて
イ・ソンヒについて語るとき、ネット記事に「清雅(청아)」という表現を目にすることがある。また、彼女の初期の歌で、3集所収の「清らかな恋(청아한 사랑)」(1986年)のようにタイトルにも使われている。昔風スタイルのイントロは、どこかで聞いたような懐かしさもある。いってみれば、見守る恋の歌である。
日本語の「清雅」は、「きよらかでみやびなこと」(広辞苑)。どちらかといえば日常あまり使わない、みやびな雰囲気する雅語だ。
イ・ソンヒについて一言でいえばということになって、「清雅(청아)」と表現したところ、この言葉は韓国でも余り使わないという。電子辞書に用例として、「清雅な笛の音」(Prime)という表現があった。
彼女のデビュー当時のイメージに、健全さがある。くしくも時代の風潮に適合した。結果として、歌謡界の<女性>を前に出す雰囲気にそぐわぬ女子学生たちに、すぐに受け入れられた。
彼女の、健全さは時代におもねたわけではなかったが、放って置かれなかった。一時期、時代の波に右に左に揺れた。今は、国民歌手として存在を自ら認めているようだ。
彼女の清雅さのベースには、健全さ、健康さがある。デビュー当時、ボーイッシュなと表現されたが、今は少女のような童顔と形容される。これは、彼女とともに時代を経た、現在のアジュンマたち(かつての女高生たち)が求める理想の姿かもしれない。
日本語の「清雅」は、「きよらかでみやびなこと」(広辞苑)。どちらかといえば日常あまり使わない、みやびな雰囲気する雅語だ。
イ・ソンヒについて一言でいえばということになって、「清雅(청아)」と表現したところ、この言葉は韓国でも余り使わないという。電子辞書に用例として、「清雅な笛の音」(Prime)という表現があった。
彼女のデビュー当時のイメージに、健全さがある。くしくも時代の風潮に適合した。結果として、歌謡界の<女性>を前に出す雰囲気にそぐわぬ女子学生たちに、すぐに受け入れられた。
彼女の、健全さは時代におもねたわけではなかったが、放って置かれなかった。一時期、時代の波に右に左に揺れた。今は、国民歌手として存在を自ら認めているようだ。
彼女の清雅さのベースには、健全さ、健康さがある。デビュー当時、ボーイッシュなと表現されたが、今は少女のような童顔と形容される。これは、彼女とともに時代を経た、現在のアジュンマたち(かつての女高生たち)が求める理想の姿かもしれない。
2015年6月1日月曜日
(まとめ)2014年のイ・ソンヒについて
歌うひと、イ・ソンヒの2014年の音楽分野について<まとめ>るなら、こんなのはどうだろうか。
▼ 陰暦の1964年11月11日(陽暦12月14日)、忠清南道保寧郡珠山面篁栗里に、歌手イ・ソンヒは最初の子として生まれた。両親は、虎や唐辛子畑で草取りする夢を見て、男の子を期待したようだ。
▼ とりわけ、祖父は優しく大切にしてくれただけでなく、音楽への関心を植えつけてくれたようだ。
音楽的才能を開かせたのは、父親が「梵唄」の指導者だった影響があるように思われる。
▼ 小柄な体ながら、爆発的な発声力を持って、1984年にMBC「江辺音楽祭」に「Jへ(J에게)」で登場した、めがね姿にパーマをした少女は、その実力をためて、昨年デビュー30周年を迎えた。
▼ 80年代の歌手といわれながら、様々な試行を経て、音楽性豊かなアーティストであると同時に、今なお、後進の発見や育成に余念がない。
▼ 昨年の2014年、ある意味久し振りのカムバックといわれたが、その実力は、韓国ギャラップの調査で、次の通りわかる。
・「韓国人が最も好きな歌手(2004年~2014年)」で2位 (1位:チョー・ヨンピル)
・「2014年を輝かせた曲」で3位 (1位:IU 「あなたの意味」)
⇒ イ・ソンヒ「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)
・「愛唱曲 2004年~2014年」で7位 (1位:オ・スングン「私の歳がどうだから」)
⇒ イ・ソンヒ「因縁(인연)」(2005年)
▼ 2014年リリースした「その中であなたに出会って」は、NABugs!、Soribada、NAVER MUSICなどの音楽配信サイトで、1位を獲得した。
▼ 2014年の30周年コンサート、「歌う人 イ・ソンヒ」は、最初のソウル世宗文化会館に始まり、全13都市、27回公演の全国ツアーを全席完売している。
▼ その結果もあって、彼女の所属する「フックエンターテインメント」事務所の業績も大幅に上昇して、昨年の売上高は、159億3,500万ウォンで、前年比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。
▼ 現在、「歌王」と呼ばれる男性トップ歌手がチョー・ヨンピルであるのに対して、女性のトップ歌手は、国民歌手としてあげられる、イ・ソンヒである。
2009年、2011年、そして2014年のソウル世宗文化会館での彼女のコンサートを見ることができたのは、私の幸運であり自慢である。
▼ 陰暦の1964年11月11日(陽暦12月14日)、忠清南道保寧郡珠山面篁栗里に、歌手イ・ソンヒは最初の子として生まれた。両親は、虎や唐辛子畑で草取りする夢を見て、男の子を期待したようだ。
▼ とりわけ、祖父は優しく大切にしてくれただけでなく、音楽への関心を植えつけてくれたようだ。
音楽的才能を開かせたのは、父親が「梵唄」の指導者だった影響があるように思われる。
▼ 小柄な体ながら、爆発的な発声力を持って、1984年にMBC「江辺音楽祭」に「Jへ(J에게)」で登場した、めがね姿にパーマをした少女は、その実力をためて、昨年デビュー30周年を迎えた。
▼ 80年代の歌手といわれながら、様々な試行を経て、音楽性豊かなアーティストであると同時に、今なお、後進の発見や育成に余念がない。
▼ 昨年の2014年、ある意味久し振りのカムバックといわれたが、その実力は、韓国ギャラップの調査で、次の通りわかる。
・「韓国人が最も好きな歌手(2004年~2014年)」で2位 (1位:チョー・ヨンピル)
・「2014年を輝かせた曲」で3位 (1位:IU 「あなたの意味」)
⇒ イ・ソンヒ「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)
・「愛唱曲 2004年~2014年」で7位 (1位:オ・スングン「私の歳がどうだから」)
⇒ イ・ソンヒ「因縁(인연)」(2005年)
▼ 2014年リリースした「その中であなたに出会って」は、NABugs!、Soribada、NAVER MUSICなどの音楽配信サイトで、1位を獲得した。
▼ 2014年の30周年コンサート、「歌う人 イ・ソンヒ」は、最初のソウル世宗文化会館に始まり、全13都市、27回公演の全国ツアーを全席完売している。
▼ その結果もあって、彼女の所属する「フックエンターテインメント」事務所の業績も大幅に上昇して、昨年の売上高は、159億3,500万ウォンで、前年比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。
▼ 現在、「歌王」と呼ばれる男性トップ歌手がチョー・ヨンピルであるのに対して、女性のトップ歌手は、国民歌手としてあげられる、イ・ソンヒである。
2009年、2011年、そして2014年のソウル世宗文化会館での彼女のコンサートを見ることができたのは、私の幸運であり自慢である。
2015年5月31日日曜日
イ・ソンヒと友人たち
イ・ソンヒが、関わりある友人と共に登場する「イ・ソンヒと友人たち(이선희와 친구들)」(2004年8月21日)は、自身の曲だけでなく、途中、トロットもはさんで歌い聞かせる、まさに歌謡ショーである。(別コーナーでは、愛弟子イ・スンギとのデュエットもあった)
番組の5日後、「Jへ 20年 イ・ソンヒ コンサート」が世宗文化会館で開かれる(2004年8月26日~28日)ことになる。このような形で、イ・ソンヒがテレビ登場するのは、コンサートに向けて高揚させる意味もあるのだろう。スタジオの観客は最高で幸運なプレゼント受けたことになる。(もっとも収録はずっと前だったろうけれど)
イ・ソンヒ曲から
・5集所収「私の街(나의 거리)」(1989年)
・4集所収「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이자리)」(1988年)
・2集所収「秋の風(갈바람)」(1985年)
・5集所収「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(1989年)
トロット曲からカバー
・シム・スボン 「憎い(미워요)」 ⇒ (本ブログ関連:”シム・スボン”)
・チュ・ヒョンミ 「片思い(짝사랑) ⇒ (本ブログ関連:”チュ・ヒョンミ”)」
イ・ソンヒ曲から
・12集所収「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」(2001年)
・4集所収「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年)
가요쇼 - 이선희와 친구들 ('04. 8. 21) from Forever Sunny on Vimeo.
(追記)真夏日、夏日
5月の締めに暑い日が続いた。本日(5/31)も何と真夏日となった。読売新聞の記事「東京・千代田区32.2度…5月の観測史上最高」(5/31 19時22分)は、東京の真夏日と夏日の日数について、次のように報じている。(抜粋)
----------------------------------------
・31日は本州を中心に晴天が広がり、東京都千代田区では午後2時45分頃、5月として観測史上最高となる32.2度を記録した。
・5月に同区で30度以上の真夏日となったのはこれで3日目で、1876年の観測開始以来、2004年と並んで最多。5月の夏日も22日目となり、これまでの記録の18日を大きく更新した。
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番組の5日後、「Jへ 20年 イ・ソンヒ コンサート」が世宗文化会館で開かれる(2004年8月26日~28日)ことになる。このような形で、イ・ソンヒがテレビ登場するのは、コンサートに向けて高揚させる意味もあるのだろう。スタジオの観客は最高で幸運なプレゼント受けたことになる。(もっとも収録はずっと前だったろうけれど)
イ・ソンヒ曲から
・5集所収「私の街(나의 거리)」(1989年)
・4集所収「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이자리)」(1988年)
・2集所収「秋の風(갈바람)」(1985年)
・5集所収「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(1989年)
トロット曲からカバー
・シム・スボン 「憎い(미워요)」 ⇒ (本ブログ関連:”シム・スボン”)
・チュ・ヒョンミ 「片思い(짝사랑) ⇒ (本ブログ関連:”チュ・ヒョンミ”)」
イ・ソンヒ曲から
・12集所収「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」(2001年)
・4集所収「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年)
가요쇼 - 이선희와 친구들 ('04. 8. 21) from Forever Sunny on Vimeo.
(追記)真夏日、夏日
5月の締めに暑い日が続いた。本日(5/31)も何と真夏日となった。読売新聞の記事「東京・千代田区32.2度…5月の観測史上最高」(5/31 19時22分)は、東京の真夏日と夏日の日数について、次のように報じている。(抜粋)
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・31日は本州を中心に晴天が広がり、東京都千代田区では午後2時45分頃、5月として観測史上最高となる32.2度を記録した。
・5月に同区で30度以上の真夏日となったのはこれで3日目で、1876年の観測開始以来、2004年と並んで最多。5月の夏日も22日目となり、これまでの記録の18日を大きく更新した。
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2015年5月30日土曜日
小笠原諸島西方沖地震
今夜、CDデータの移動に四苦八苦していたとき、嫌な予感する小さな揺れが始まった。次第に強まり、やがて一瞬激しい横揺れして家が軋んだ。いよいよ来たなと焦ったが、意外なほど短時間に減衰した。体感は、震度3+、ないし震度4(急な横揺れのとき)といった感じだった。
すぐに、テレビをつけた。緊急放送がこれほど待ち遠しかったのは久し振りだ。アナウンサーが伝える、震源の深さや、マグニチュードの規模を聞いて、その値の大きさに驚いた。ぜひとも、詳しい解説を聞きたい。
気象庁発表: 平成27年05月30日20時30分
---------------------------------------------------
30日20時24分頃地震がありました。
震源地は小笠原諸島西方沖(北緯27.9度、東経140.8度)で、
震源の深さは約590km、地震の規模(マグニチュード)は8.5と推定されます。
---------------------------------------------------
(修正) 5/31 震源要素(暫定値) 気象庁発表)
・地震発生時刻 平成27年5月30日20時23分
・緯度 北緯 27度51.6分
・経度 東経 140度40.9分
・深さ 682km
・マグニチュード 8.1
気象庁発表の通り、当地の震度は体感通り、震度3だった。
(付記)
最近、震源とは違って、別場所で震度が大きいことがあった。今回もそうだ・・・「異常震域」の可能性とのこと。
・5/25 : 震源地、埼玉県北部、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6
⇒ 茨城県土浦市常名、震度5弱
・今回: 震源地、小笠原諸島西方沖、震源の深さは約590km、地震の規模(マグニチュード)は8.5
⇒ 東京都小笠原村母島、震度5強 / 埼玉県鴻巣市中央ほか、震度5弱 / (追記)神奈川県二宮町中里 震度5強
すぐに、テレビをつけた。緊急放送がこれほど待ち遠しかったのは久し振りだ。アナウンサーが伝える、震源の深さや、マグニチュードの規模を聞いて、その値の大きさに驚いた。ぜひとも、詳しい解説を聞きたい。
気象庁発表: 平成27年05月30日20時30分
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30日20時24分頃地震がありました。
震源地は小笠原諸島西方沖(北緯27.9度、東経140.8度)で、
震源の深さは約590km、地震の規模(マグニチュード)は8.5と推定されます。
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(修正) 5/31 震源要素(暫定値) 気象庁発表)
・地震発生時刻 平成27年5月30日20時23分
・緯度 北緯 27度51.6分
・経度 東経 140度40.9分
・深さ 682km
・マグニチュード 8.1
気象庁発表の通り、当地の震度は体感通り、震度3だった。
(付記)
最近、震源とは違って、別場所で震度が大きいことがあった。今回もそうだ・・・「異常震域」の可能性とのこと。
・5/25 : 震源地、埼玉県北部、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6
⇒ 茨城県土浦市常名、震度5弱
・今回: 震源地、小笠原諸島西方沖、震源の深さは約590km、地震の規模(マグニチュード)は8.5
⇒ 東京都小笠原村母島、震度5強 / 埼玉県鴻巣市中央ほか、震度5弱 / (追記)神奈川県二宮町中里 震度5強
2015年5月29日金曜日
口永良部島新岳が噴火
鹿児島県の南に浮かぶ、屋久島の西にある口永良部島(くちのえらぶじま)で、今日の午前9時59分に、新岳が噴火した。最近、国内であまり見かけない幅広い垂直な黒い噴煙が高く舞い上がり、一部が重みに耐えられず落下して火砕流となった。マグマ爆発といわれている。(災害緊急放送で定評の放送局が、「火砕流」の定義に慎重だったためか、島の地図上に図示するのが遅かったのが気になった)
幸い島民に重大な事故はなかったようだが、全島避難の事態とになり、ほとんどの方が隣りの屋久島へ一時避難している。この先、大変不安なことだろう。(三宅島、大島の事例を思い出す)
素人は、先の東日本大震災の影響を考える。プレートの動きと大規模地殻変動を想像し、近々の地震や噴火を結び付けてしまう。この時期、地震火山学者の冷静な語り口を、冷静に受容できないのが残念だ。(自然のメカニズムは、もっと単純ではないかと、いぶかしむばかり)
九州には巨大カルデラが存在する。阿蘇カルデラ(阿蘇山)、 姶良カルデラ(桜島)、鬼界カルデラ(薩摩硫黄島)などが並んでいる。その南に、今回の口永良部島がある。(九州南部のカルデラ群をモデルにした小説を読んだことがあるだけに気がかりだ)
(参考) 産業技術総合研究所「口永良部島火山地質図」
今は、早く沈静化して欲しいと願っている。
幸い島民に重大な事故はなかったようだが、全島避難の事態とになり、ほとんどの方が隣りの屋久島へ一時避難している。この先、大変不安なことだろう。(三宅島、大島の事例を思い出す)
素人は、先の東日本大震災の影響を考える。プレートの動きと大規模地殻変動を想像し、近々の地震や噴火を結び付けてしまう。この時期、地震火山学者の冷静な語り口を、冷静に受容できないのが残念だ。(自然のメカニズムは、もっと単純ではないかと、いぶかしむばかり)
九州には巨大カルデラが存在する。阿蘇カルデラ(阿蘇山)、 姶良カルデラ(桜島)、鬼界カルデラ(薩摩硫黄島)などが並んでいる。その南に、今回の口永良部島がある。(九州南部のカルデラ群をモデルにした小説を読んだことがあるだけに気がかりだ)
(参考) 産業技術総合研究所「口永良部島火山地質図」
今は、早く沈静化して欲しいと願っている。
イ・ソンヒが合唱団審査委員に立つこと
第二次世界大戦直後、朝鮮半島は政情が複雑化し、南北に国家が成立した。そのため、建国の時期やその政府について多様な議論がある。韓国では、1945年8月15日を「光復節」と定めている。混乱の時期から国家樹立の経緯をたどると次のようになる。
1945年08月15日: (日本)太平洋戦争終戦
1945年09月02日: (日本)米戦艦ミズーリ号上で日本政府が連合国と降伏文書調印
(朝鮮)第二次世界大戦終結に伴い連合軍軍政下
1945年09月09日: (連合軍軍政期)朝鮮総督府の降伏文書調印、以降連合軍軍政期
1948年07月12日: (韓国)大韓民国憲法を制定 (同月17日発布)
1948年08月15日: (韓国)大韓民国の成立 (李承晩大統領が大韓民国樹立を宣言)
今年は、光復節から70年になるため、いろいろなイベントが予定されているようだ。その一つに、KBS NEWSの記事「【芸能】 『わたしは テハン・ミングク』 イ・ソンヒ - イ・クムヒ、解放ベビー世代合唱団の審査委員に立つ」(5/28)が伝える、「解放ベビー世代合唱団(해방둥이 합창단)」の話題がある。
(本ブログ関連:”ソウル市議会”)
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・今年で70周年を迎える光復節に大韓民国の国民が、一つになって楽しもうという新概念のフェスティバル、KBSの国民大合唱「わたしはテハン・ミングク」に歌手イ・ソンヒが加わった。
・国民大合唱「わたしはテハン・ミングク」は、公式ホームページはもちろん、公式YouTubeやFaceBook、毎週火~金の夜10時55分に放送される KBS 1TV「私たちは(우리가)」、そして6月13日(土)午後8時から60分毎週放送される事前ドキュメンタリーなど、SNS、インターネット、オフラインを網羅して国民と直接コミュニケーションを楽しむ3ヶ月間の大長期プロジェクトだ。
・また、光復節当日である8月15日には、ソウル・ワールドカップ公演会場で、このプロジェクトに申請をした7万名の国民が大合唱を繰り広げる予定だ。
・こうした中、「解放ベビー世代合唱団(해방둥이 합창단)」が、7万国民大合唱プロジェクトの一部門に参加するため、新たに結成されて関心が集まっている。大韓民国の光復と同じ年の、1945年に生まれた人たちで構成された「解放ベビー世代合唱団」 は、光復70周年を迎えた大韓民国の現代史を全身で証言する人々であるだけに、815プロジェクト「わたしはテハン・ミングク」に重厚な意味を加える。
・総360名が志願した「解放ベビー世代合唱団」は、二度のオーディションを経て最終45名が選抜されて本格的な歩みに出る。何より、歌手イ・ソンヒがこれらを導いていく予定と期待が集まっている。
・イ・ソンヒは、「解放ベビー世代合唱団」のオーディション現場に審査委員として登場、参加者一人一人と率直に通じ合って、彼らの歌に耳を傾けるのはもちろん、貫禄の音楽家らしい専門家的姿で現場をとりこにした。
・特に、イ・ソンヒとの友情で一緒に審査委員席を輝かせたアナウンサーのイ・クムヒと天才ピアニストのチェ・テワン*によってさらに活気あふれる進行を継続することができた。三名の審査委員は、緊張した参加者を配慮して気楽に話を続けられる雰囲気を誘導したし、参加者たちも自然にそれぞれの熱い人生を打ち明けて感動の波を誘った。
(参考)先日5/21の、イ・ソンヒ、イ・スンギ「セブランス家族音楽会」に参加している。
・このために、オーディション現場の高潮した雰囲気をほてるように熱くしたこれらのさまざまな事情に対して、すでに期待感が造成されている。イ・ソンヒと解放ベビー合唱団員が共に作っていく胸の熱くなった3ヶ月間の旅程は、国内全域に次元が違う感動をもたらすと関心を集めている。
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1945年08月15日: (日本)太平洋戦争終戦
1945年09月02日: (日本)米戦艦ミズーリ号上で日本政府が連合国と降伏文書調印
(朝鮮)第二次世界大戦終結に伴い連合軍軍政下
1945年09月09日: (連合軍軍政期)朝鮮総督府の降伏文書調印、以降連合軍軍政期
1948年07月12日: (韓国)大韓民国憲法を制定 (同月17日発布)
1948年08月15日: (韓国)大韓民国の成立 (李承晩大統領が大韓民国樹立を宣言)
今年は、光復節から70年になるため、いろいろなイベントが予定されているようだ。その一つに、KBS NEWSの記事「【芸能】 『わたしは テハン・ミングク』 イ・ソンヒ - イ・クムヒ、解放ベビー世代合唱団の審査委員に立つ」(5/28)が伝える、「解放ベビー世代合唱団(해방둥이 합창단)」の話題がある。
(本ブログ関連:”ソウル市議会”)
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・国民大合唱「わたしはテハン・ミングク」は、公式ホームページはもちろん、公式YouTubeやFaceBook、毎週火~金の夜10時55分に放送される KBS 1TV「私たちは(우리가)」、そして6月13日(土)午後8時から60分毎週放送される事前ドキュメンタリーなど、SNS、インターネット、オフラインを網羅して国民と直接コミュニケーションを楽しむ3ヶ月間の大長期プロジェクトだ。
・また、光復節当日である8月15日には、ソウル・ワールドカップ公演会場で、このプロジェクトに申請をした7万名の国民が大合唱を繰り広げる予定だ。
・こうした中、「解放ベビー世代合唱団(해방둥이 합창단)」が、7万国民大合唱プロジェクトの一部門に参加するため、新たに結成されて関心が集まっている。大韓民国の光復と同じ年の、1945年に生まれた人たちで構成された「解放ベビー世代合唱団」 は、光復70周年を迎えた大韓民国の現代史を全身で証言する人々であるだけに、815プロジェクト「わたしはテハン・ミングク」に重厚な意味を加える。
・総360名が志願した「解放ベビー世代合唱団」は、二度のオーディションを経て最終45名が選抜されて本格的な歩みに出る。何より、歌手イ・ソンヒがこれらを導いていく予定と期待が集まっている。
・イ・ソンヒは、「解放ベビー世代合唱団」のオーディション現場に審査委員として登場、参加者一人一人と率直に通じ合って、彼らの歌に耳を傾けるのはもちろん、貫禄の音楽家らしい専門家的姿で現場をとりこにした。
・特に、イ・ソンヒとの友情で一緒に審査委員席を輝かせたアナウンサーのイ・クムヒと天才ピアニストのチェ・テワン*によってさらに活気あふれる進行を継続することができた。三名の審査委員は、緊張した参加者を配慮して気楽に話を続けられる雰囲気を誘導したし、参加者たちも自然にそれぞれの熱い人生を打ち明けて感動の波を誘った。
(参考)先日5/21の、イ・ソンヒ、イ・スンギ「セブランス家族音楽会」に参加している。
・このために、オーディション現場の高潮した雰囲気をほてるように熱くしたこれらのさまざまな事情に対して、すでに期待感が造成されている。イ・ソンヒと解放ベビー合唱団員が共に作っていく胸の熱くなった3ヶ月間の旅程は、国内全域に次元が違う感動をもたらすと関心を集めている。
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2015年5月28日木曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 仏教音楽
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、今年の5月25日(月)(陰暦4月8日)の釈迦誕生を祝う日(「灌仏会」)にちなんで、仏教に関連する3曲を紹介した。
(付記)
イ・ソンヒの父が、梵唄の指導者であったことから、彼女の音楽の源泉(才能)がそこにあったような気がしてならない。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「3.宗教家である父と、自然とともに過ごした幼い子供」”)
始めに、「初八日(초파일)」の祭事と、風流を楽しむ曲「霊山会相(영산회상)」について次のように紹介された。
・「初八日」は、毎月8番目の日だが、昔は陰暦4月8日の釈迦誕生の日を指して祝った。寒暑もない春に、人々は米を持って寺に向かった。交通も不便な時代、寺にたくさんの知り合いが集い、親に付いてきた子供たちもいて、おもちゃや菓子を売る人もいた。五色の提灯や音楽も聞こえる。そんな素晴らしい季節に誕生された。
▼ 霊山会上(浄土)の仏と菩薩を讃嘆する意の「霊山会相仏菩薩(영산회상불보살)」を聴く。荘重に編曲したもの。
・両斑の風流曲に「霊山会相」がある。もともと仏教の声楽曲だった。「霊山会相仏菩薩」の歌詞からなり、歳月を経て、風流を楽しむときの音楽になった。
次に、釈迦と摩訶迦葉(マハーカッサパ)の間の拈華微笑と、仏教音楽の梵唄(ぼんばい)について次のように紹介された。
・古代インドのマガダ国の首都の近くにある、霊鷲山(りょうじゅせん)での出来事。釈迦が菩薩に対して仏教の教義を説いていると、空から花の雨が降ってきたという。また、ある日、説法を聞きに集まった大衆の前で、釈迦は一輪の花を見せたが、何も語らない。大衆は訳が分からないまま黙っていると、ただ一人、弟子の摩訶迦葉だけは釈迦を理解し微笑んだ。仏心を伝える仕草の拈華微笑は、字や言葉を使わぬ以心伝心に通じる。この光景をあらわした「霊山会相図」や、音楽にした「霊山会相」がある。
▼ 僧侶が梵唄で長く伸ばして歌う「ジッソリ挙霊山(짓소리 거령산)」を聴く。一体どんな場面で歌ったのだろうか。
・僧侶が儀式で歌うものを「梵唄(범패=声明)」と言う。「ジッソリ(짓소리)」は梵唄のひとつ、「挙霊山(거령산)」は曲名で、16文字の歌詞を長く伸ばして歌うのが特徴。長くは一時間も歌うため、世の中で最も長い歌だろう。梵唄は、梵の音、「梵音(범음)」とも言う。「梵」はインドを意味し、宇宙の原理を指すこともある。また、このリズムを、水中で泳ぐ魚に例えて、「魚山(어산)」とも言う。統一新羅時代に唐から入り、歌曲や民謡など民間の音楽にも大きな影響を及ぼした。伝統文化ともいえる。
▼ 「霊山会相」の中から、シタール、弦楽器ヘグムとヤングムの演奏「細霊山(세령산)」を聴く。インドの香りは・・・静かな曲だ。
(付記)
イ・ソンヒの父が、梵唄の指導者であったことから、彼女の音楽の源泉(才能)がそこにあったような気がしてならない。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「3.宗教家である父と、自然とともに過ごした幼い子供」”)
始めに、「初八日(초파일)」の祭事と、風流を楽しむ曲「霊山会相(영산회상)」について次のように紹介された。
・「初八日」は、毎月8番目の日だが、昔は陰暦4月8日の釈迦誕生の日を指して祝った。寒暑もない春に、人々は米を持って寺に向かった。交通も不便な時代、寺にたくさんの知り合いが集い、親に付いてきた子供たちもいて、おもちゃや菓子を売る人もいた。五色の提灯や音楽も聞こえる。そんな素晴らしい季節に誕生された。
▼ 霊山会上(浄土)の仏と菩薩を讃嘆する意の「霊山会相仏菩薩(영산회상불보살)」を聴く。荘重に編曲したもの。
・両斑の風流曲に「霊山会相」がある。もともと仏教の声楽曲だった。「霊山会相仏菩薩」の歌詞からなり、歳月を経て、風流を楽しむときの音楽になった。
次に、釈迦と摩訶迦葉(マハーカッサパ)の間の拈華微笑と、仏教音楽の梵唄(ぼんばい)について次のように紹介された。
・古代インドのマガダ国の首都の近くにある、霊鷲山(りょうじゅせん)での出来事。釈迦が菩薩に対して仏教の教義を説いていると、空から花の雨が降ってきたという。また、ある日、説法を聞きに集まった大衆の前で、釈迦は一輪の花を見せたが、何も語らない。大衆は訳が分からないまま黙っていると、ただ一人、弟子の摩訶迦葉だけは釈迦を理解し微笑んだ。仏心を伝える仕草の拈華微笑は、字や言葉を使わぬ以心伝心に通じる。この光景をあらわした「霊山会相図」や、音楽にした「霊山会相」がある。
▼ 僧侶が梵唄で長く伸ばして歌う「ジッソリ挙霊山(짓소리 거령산)」を聴く。一体どんな場面で歌ったのだろうか。
・僧侶が儀式で歌うものを「梵唄(범패=声明)」と言う。「ジッソリ(짓소리)」は梵唄のひとつ、「挙霊山(거령산)」は曲名で、16文字の歌詞を長く伸ばして歌うのが特徴。長くは一時間も歌うため、世の中で最も長い歌だろう。梵唄は、梵の音、「梵音(범음)」とも言う。「梵」はインドを意味し、宇宙の原理を指すこともある。また、このリズムを、水中で泳ぐ魚に例えて、「魚山(어산)」とも言う。統一新羅時代に唐から入り、歌曲や民謡など民間の音楽にも大きな影響を及ぼした。伝統文化ともいえる。
▼ 「霊山会相」の中から、シタール、弦楽器ヘグムとヤングムの演奏「細霊山(세령산)」を聴く。インドの香りは・・・静かな曲だ。
2015年5月27日水曜日
夏日和というより、夏そのものといった感じ
気象区分でいう「春」(3~5月)の終わりに迫る今日、寒いのが苦手で暖かい方がいいといった私でも、2日連続の<真夏日>には少々ウンザリする。外出すれば、逃げ場のない陽射しにくるまれてしまい、空調の効いた体操教室では、すぐに汗がにじんでくる。家に帰れば、扇風機が登場した。
ところで朝のテレビで、気象予報士が、5月の東京都心での<夏日>はこのままいくと過去(1876年以降)最多だし、<真夏日>の2日連続!は過去2回目になるだろうといっていた。どうやら、その通りになってしまった。
どちらを向いても、陽が暮れても、暑い暑い。
▼ 東京都心観測地点
葵町(1875年6月~) → 代官町 → 竹平町 → 大手町 → 北の丸公園(2014年2月~))
▼ 気象用語(夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など): 気象庁「天気予報等で用いる用語 」より
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夏日 :日最高気温が25度以上の日。
真夏日:日最高気温が30度以上の日。
猛暑日:日最高気温が35度以上の日。
熱帯夜:夜間の最低気温が25度以上のこと。(備考: 気象庁の統計種目にはない。)
冬日 :日最低気温が0度未満の日。
真冬日:日最高気温が0度未満の日。
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ところで朝のテレビで、気象予報士が、5月の東京都心での<夏日>はこのままいくと過去(1876年以降)最多だし、<真夏日>の2日連続!は過去2回目になるだろうといっていた。どうやら、その通りになってしまった。
どちらを向いても、陽が暮れても、暑い暑い。
▼ 東京都心観測地点
葵町(1875年6月~) → 代官町 → 竹平町 → 大手町 → 北の丸公園(2014年2月~))
▼ 気象用語(夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など): 気象庁「天気予報等で用いる用語 」より
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夏日 :日最高気温が25度以上の日。
真夏日:日最高気温が30度以上の日。
猛暑日:日最高気温が35度以上の日。
熱帯夜:夜間の最低気温が25度以上のこと。(備考: 気象庁の統計種目にはない。)
冬日 :日最低気温が0度未満の日。
真冬日:日最高気温が0度未満の日。
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2015年5月26日火曜日
イ・ソンヒ「私はいつもあなたを」
イ・ソンヒの音楽的変化が起き始めたといわれる4集に所収の、「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)は、彼女の曲集の中では大衆的でトロット寄りである。だから、お笑い映画「家門シリーズ」のOST(映画音楽)に採用されたし、チャートのトップにも立ったし、カラオケ曲の定番である・・・(私のカラオケ必須曲でもある)。
2004年、世宗文化会館で催された「20周年記念コンサート」で歌う、彼女の映像がYoutubeにある。余裕と自信、そして清雅さの全てを視聴できる。鮮明な映像を何度も見て、澄んだ声を何度も聴くことができる。さあ視聴しよう。
(本ブログ関連:”私はいつもあなたを”、”家門シリーズ”)
「私はいつもあなたを」
いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ
戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(Oh~Oh~Oh)
燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ
(*以下繰り返し)
(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ
燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ
(Youtubeに登録のpops8090に感謝)
(追記)
昼下がり、歯科医院に行く途中、太陽光に押されるような(まるで「太陽風」?)、そして巻きくるめられるような圧迫感があった。
毎日新聞の記事「天気:東京都心の夏日、最多タイ…5月に入り18日目」(5/26)によると、「東京都心では午後0時台に30度を超えた。都心で最高気温が30度以上の<真夏日>となるのはことし初めて。午前中から25度以上に達し、最高気温が25度以上の<夏日>となっていた。5月に東京都心が<夏日>となるのは18日目で、1967年と98年と並んで過去最多タイとなった」とのこと。
2004年、世宗文化会館で催された「20周年記念コンサート」で歌う、彼女の映像がYoutubeにある。余裕と自信、そして清雅さの全てを視聴できる。鮮明な映像を何度も見て、澄んだ声を何度も聴くことができる。さあ視聴しよう。
(本ブログ関連:”私はいつもあなたを”、”家門シリーズ”)
「私はいつもあなたを」
いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ
戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(Oh~Oh~Oh)
燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ
(*以下繰り返し)
(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ
燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ
(Youtubeに登録のpops8090に感謝)
(追記)
昼下がり、歯科医院に行く途中、太陽光に押されるような(まるで「太陽風」?)、そして巻きくるめられるような圧迫感があった。
毎日新聞の記事「天気:東京都心の夏日、最多タイ…5月に入り18日目」(5/26)によると、「東京都心では午後0時台に30度を超えた。都心で最高気温が30度以上の<真夏日>となるのはことし初めて。午前中から25度以上に達し、最高気温が25度以上の<夏日>となっていた。5月に東京都心が<夏日>となるのは18日目で、1967年と98年と並んで過去最多タイとなった」とのこと。
2015年5月25日月曜日
久し振りの強い地震
窓がざわついて突風でも吹いたかと思った。グラグラと揺れが始まり、次第に強まる地震に、不思議と落ち着いていた。あの日以来なんとなく震度がわかったような気がして、妙な気がする。大丈夫だろうという予感すらしていた。
とはいえ、すぐにテレビをつけた。各局はテロップで地震速報した。こんなとき、やっぱりNHKに限る、すぐに詳しく放送が始まった。
気象庁の、地震速報は次の通り。当地の体感は、震度3といったところかと思った通り・・・下記速報にある<各地の震度>と同じだった。だから、どうということはないのだが。
平成27年05月25日14時33分 気象庁発表
-----------------------------------
25日14時28分頃地震がありました。
震源地は埼玉県北部(北緯36.1度、東経139.6度)で、
震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6と推定されます。
-----------------------------------
「平成27年5月25日14時28分頃の埼玉県北部の地震について」 気象庁発表
http://www.jma.go.jp/jma/press/1505/25a/kaisetsu201505251545.pdf
とはいえ、すぐにテレビをつけた。各局はテロップで地震速報した。こんなとき、やっぱりNHKに限る、すぐに詳しく放送が始まった。
気象庁の、地震速報は次の通り。当地の体感は、震度3といったところかと思った通り・・・下記速報にある<各地の震度>と同じだった。だから、どうということはないのだが。
平成27年05月25日14時33分 気象庁発表
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25日14時28分頃地震がありました。
震源地は埼玉県北部(北緯36.1度、東経139.6度)で、
震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6と推定されます。
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「平成27年5月25日14時28分頃の埼玉県北部の地震について」 気象庁発表
http://www.jma.go.jp/jma/press/1505/25a/kaisetsu201505251545.pdf
(資料)イ・ソンヒの歌が国境をまたいで流れたこと
女性の声で相手側(兵士)に対し、戦意を萎えさせる心理戦がある。例えば、太平洋戦争中、ラジオから流れた東京ローズはよく知られている。当時、ドイツでも、Axis Sallyと呼ばれる女性がプロパガンダ放送されたという。
現在の朝鮮半島の南北対立は、朝鮮戦争停戦の延長であり、さまざまな心理戦が行なわれていると、中央日報の記事、「韓国、対北ビラにラーメン・ストッキング…北は『DMZ女性軍入浴』心理戦(1)、(2)」(2014年10月14日)は伝えている。(抜粋)
その中で、イ・ソンヒが歌謡界に出るきっかけになった曲「Jへ」(1984年)を、休戦ラインをまたいで拡声器を使って南から北側へ流したと語られている。しかも、「イ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった」。裏面史である。
(本ブログ関連:”Jへ”、”ソウル市議会”)
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・「ビラ(bill)」は知っている。70年近い分断の時期、南北が休戦ラインを挟んでどんなことをしてきたのか。今は「伝単」という高尚な名前で変身したビラには、分断と対決の歴史がそのまま反映されている。
・心理戦は放送や手紙など、さまざまな手段を動員する。四面楚歌という故事成語も結局は漢の劉邦の軍に包囲された楚の項羽軍に故郷の歌を聴かせて投降させたという古典的な心理戦術といえる。
・休戦ラインの拡声器で南北は、数キロ離れた場所の兵士の耳が痛くなるほど出力競争をした。北朝鮮は帰順誘導放送を、韓国は歌謡で対抗する局面だった。主に女性歌手の曲を流したが、84年に「Jへ」でデビューしたイ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった。
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現在の朝鮮半島の南北対立は、朝鮮戦争停戦の延長であり、さまざまな心理戦が行なわれていると、中央日報の記事、「韓国、対北ビラにラーメン・ストッキング…北は『DMZ女性軍入浴』心理戦(1)、(2)」(2014年10月14日)は伝えている。(抜粋)
その中で、イ・ソンヒが歌謡界に出るきっかけになった曲「Jへ」(1984年)を、休戦ラインをまたいで拡声器を使って南から北側へ流したと語られている。しかも、「イ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった」。裏面史である。
(本ブログ関連:”Jへ”、”ソウル市議会”)
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・「ビラ(bill)」は知っている。70年近い分断の時期、南北が休戦ラインを挟んでどんなことをしてきたのか。今は「伝単」という高尚な名前で変身したビラには、分断と対決の歴史がそのまま反映されている。
・心理戦は放送や手紙など、さまざまな手段を動員する。四面楚歌という故事成語も結局は漢の劉邦の軍に包囲された楚の項羽軍に故郷の歌を聴かせて投降させたという古典的な心理戦術といえる。
・休戦ラインの拡声器で南北は、数キロ離れた場所の兵士の耳が痛くなるほど出力競争をした。北朝鮮は帰順誘導放送を、韓国は歌謡で対抗する局面だった。主に女性歌手の曲を流したが、84年に「Jへ」でデビューしたイ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった。
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2015年5月24日日曜日
向谷鉱山
明け方、階段を3段、踏み外してズルズルと落下。右足の親指と人差し指を捻挫したようだ。せっかくの鉱物採集日だというに、なんということ。
でも、石採りの妄想は既に始まっていた。止めるわけにはいかない。行かないわけにはいかない。
早朝、石仲間のS氏とJR駅前で待ち合わせして、迎えに来ていただいたH氏の車に同乗し、全員集合場所のPAで指導者Y氏と合流。長野県茅野市にある向谷(むかいだに)鉱山へと向かう。
今回の目的は、都茂鉱(Tsumoite、BiTe)だ。噛み付く(bite)わけではない。組成が、Bi(ビスマス)とTe(テルル)という、島根県の都茂鉱山で発見された珍しい鉱物なのだ。それが、何と長野県の向谷鉱山でも発見されて話題になった・・・。
そんなわけで、都茂鉱目指して、山中を車が走る、走る。まさに(春最終の)、夏日和だ。
なだらかなズリ跡には、すでに、訪れた採集者が砕いたらしく、岩が散乱していた。斜面はやがて急勾配になるが、冒険はしない。ゆるりとした場所で、石割りを始めた。ガイドブックなど資料によれば、似た鉱物を含めて、多くが<石英>の中にあるという・・・。
しかし、見当たらない、石英の片鱗すらないのだ。
結局、目指す都茂鉱と、誰も出会うことができなかった。現地で、朝はオニギリ一個だけ、昼は食を忘れてまで探したのに、見つからなかったけれども、久し振りにリフレッシュできるよい機会に恵まれた。感謝。
強いて、採集物を列挙すれば、次の通り。
・毒鉄鉱、水晶(群晶)+雲母、黄鉄鉱、硫砒鉄鉱
鉱山につながる山道の入り口に戻って帰り仕度をしている時、地元の方だろうか、車が止まった。気のいい親父さんから、「ずいぶんと沢山の人が来たよ」と話しかけられた。やっぱり、採集し尽くされたのかもしれない、皆で納得した。
でも、石採りの妄想は既に始まっていた。止めるわけにはいかない。行かないわけにはいかない。
早朝、石仲間のS氏とJR駅前で待ち合わせして、迎えに来ていただいたH氏の車に同乗し、全員集合場所のPAで指導者Y氏と合流。長野県茅野市にある向谷(むかいだに)鉱山へと向かう。
今回の目的は、都茂鉱(Tsumoite、BiTe)だ。噛み付く(bite)わけではない。組成が、Bi(ビスマス)とTe(テルル)という、島根県の都茂鉱山で発見された珍しい鉱物なのだ。それが、何と長野県の向谷鉱山でも発見されて話題になった・・・。
そんなわけで、都茂鉱目指して、山中を車が走る、走る。まさに(春最終の)、夏日和だ。
なだらかなズリ跡には、すでに、訪れた採集者が砕いたらしく、岩が散乱していた。斜面はやがて急勾配になるが、冒険はしない。ゆるりとした場所で、石割りを始めた。ガイドブックなど資料によれば、似た鉱物を含めて、多くが<石英>の中にあるという・・・。
しかし、見当たらない、石英の片鱗すらないのだ。
結局、目指す都茂鉱と、誰も出会うことができなかった。現地で、朝はオニギリ一個だけ、昼は食を忘れてまで探したのに、見つからなかったけれども、久し振りにリフレッシュできるよい機会に恵まれた。感謝。
強いて、採集物を列挙すれば、次の通り。
・毒鉄鉱、水晶(群晶)+雲母、黄鉄鉱、硫砒鉄鉱
鉱山につながる山道の入り口に戻って帰り仕度をしている時、地元の方だろうか、車が止まった。気のいい親父さんから、「ずいぶんと沢山の人が来たよ」と話しかけられた。やっぱり、採集し尽くされたのかもしれない、皆で納得した。
2015年5月23日土曜日
パティ・キムの「愛するマリア」
韓国歌謡を聞くとき、女性歌手の大ベテランとして、トロットならイ・ミジャ(李美子:이미자、1938年2月28日~)があるように、洋楽からパティ・キム(패티김、1938年2月28日~)があげられるだろう。昔、私にとっては、パティ・キムの名はどこからともなく聞こえていたが、あるとき秋葉原での仕事帰りに購入した彼女のアルバムを聴いて驚いてしまった・・・大袈裟にいえば驚天動地した。帰宅して、その夜はパティ・キム漬けになってしまった。
ブログで何度か触れたが、彼女は日本でいえば、雪村いづみ(1937年3月20日~)のような気がしてならない。その歌唱力は、圧倒的で衰えを知らなかった。先日、パティ・キムは引退発表したけれど。
(本ブログ関連:”パティ・キム”)
彼女のアルバムの中で、ずっと耳の底に残った(韓国風にいうと”中毒性のある”)のは、「愛するマリア(사랑하는 마리아)」(作詞・作曲吉屋潤:길옥윤、1969年)だった。彼女とこの歌の作家との関係については、とても大きな物語があった・・・しかし、ネットでは忘れられようとしている、時代は無情だ。
心の痛手と違って、軽快なリズムとリフレインが明るさを盛り上げる、楽しい曲だ。
「愛するマリア」
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
君と別れてから、花を植えたよ
悲しい心に、花を植えたよ
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
春が再び戻って、花が咲いたよ
懐かしいように、花が咲いたよ
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
君を思いながら、花を見たよ
この胸に戻ってこいよと、花を見たよ
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
忘れるためにと、花を折ったよ
涙を流しながら、花を折ったよ
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、マリア、マリア
マリ~~ア~
(Youtubeに登録のJohn Nohに感謝)
ブログで何度か触れたが、彼女は日本でいえば、雪村いづみ(1937年3月20日~)のような気がしてならない。その歌唱力は、圧倒的で衰えを知らなかった。先日、パティ・キムは引退発表したけれど。
(本ブログ関連:”パティ・キム”)
彼女のアルバムの中で、ずっと耳の底に残った(韓国風にいうと”中毒性のある”)のは、「愛するマリア(사랑하는 마리아)」(作詞・作曲吉屋潤:길옥윤、1969年)だった。彼女とこの歌の作家との関係については、とても大きな物語があった・・・しかし、ネットでは忘れられようとしている、時代は無情だ。
心の痛手と違って、軽快なリズムとリフレインが明るさを盛り上げる、楽しい曲だ。
「愛するマリア」
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
君と別れてから、花を植えたよ
悲しい心に、花を植えたよ
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
春が再び戻って、花が咲いたよ
懐かしいように、花が咲いたよ
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
君を思いながら、花を見たよ
この胸に戻ってこいよと、花を見たよ
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
忘れるためにと、花を折ったよ
涙を流しながら、花を折ったよ
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、マリア、マリア
マリ~~ア~
(Youtubeに登録のJohn Nohに感謝)
2015年5月22日金曜日
イ・ソンヒ、イ・スンギ「セブランス家族音楽会」
![]() |
| 写真=フックエンターテインメント |
今回、所属事務所のイ・スンギと共に、関係者の入院先の病院で、小児患者のための家族音楽会を開いたと、中央日報の記事「【フォト】 イ・ソンヒ 『爆発する歌唱力』」(5/21、ニュース・エン、イム・セヨン記者)は、次のように伝えている。師弟のなかで、慈善の継承が行なわれていることがわかる。
小児癌患者を助ける「新村セブランス病院」での才能寄付(=재능기부:能力を活かしたボランティア行為)
(本ブログ関連:”慈善活動”、”ソウル市議会”)
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イ・ソンヒ、イ・スンギが、子ども患者のために立った。
イ・ソンヒ、イ・スンギと一緒に「セブランス家族音楽会」が5月21日午後、ソウル西大門区新村洞セブランス病院で開かれた。
この日の公演には、イ・ソンヒ、イ・スンギなどが参加した。
イ・スンギ、イ・ソンヒの所属事務所「フックエンターテインメント」関係者は、ニュース・エンと通話で、「イ・スンギが新村のセブランス病院の小児患者のため、治療費を後援したのは事実」と伝えた。
(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”)
関係者は、「最近、所属事務所の代表が、新村のセブランス病院に入院し、イ・スンギが病気見舞いによく来て、小児病棟の患者たちをもどかしく思い、支援したいという考えを伝えた。病院側と支援策について協議して、治療費を支援した」と説明した。
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(追記)
この音楽会で、イ・ソンヒは、「私はいつもあなたを」、「その中であなたに出会って(그중에 그대를 만나)」、「因縁(인연)」、および「Jへ」を歌ったようだ。
2015年5月21日木曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 先生の日
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「先生の日(교사의 날)」(5月15日、1964年~1972年、1982年~)に関連する3曲を紹介した。
始めに、孔子の言葉から「先生の日」の意義を、世宗大王の「龍飛御天歌(용비어천가)」から「与民楽(여민락)」の始まりについて、次のように紹介された。
・孔子いわく、「三人行けば必ず我が師あり」(三人連れで行けば、その中に学ぶべきものがある)。5月15日は「先生の日」であり、ハングルを作った世宗大王の生まれた日でもある。この日に、世宗大王を記憶し、先生に感謝する。世宗大王はハングル創生後、楽章 · 叙事詩「龍飛御天歌」の作成を命じた。朝鮮時代、歴代王の業績を記録した最初のハングル文献である。そして、この詩を歌にしたのが、民と共に楽しむの意の「与民楽」だ。今は歌は消え去り、器楽曲として伝わる。
▼ 「与民楽」の演奏を聴く。宮廷曲にしては軽快、なるほど歌いだしそうな旋律がする。
次に、朝鮮後期、丁若鏞(정약용、1762年~1836年)と黃裳(황상、1788年~1863年)の出会を次のように紹介された。
・朝鮮後期最高の学者と言われた丁若鏞は、政治的理由で、長い間島流しになった。ある時、少年、黃裳が訪ねてきた。ソウルの立派な学者の噂を聞き、学びに来たのだ。身分も低く賢くもない少年は、少し内気になって、「こんな者でも勉強ができますか」と尋ねた。丁先生は、「学ぶ者には三つの大きな病がある」と答え、① 記憶力が良く、何事もすぐに覚えてしまう人は、自分の能力を信頼して適当になってしまう。② 書く能力が優れて、すぐに詩作し、どうしても内容が軽くなってしまう。③ 理解力が良く、何事もすぐに理解して、悟ることができず長続きしない。でも、「君にはそんな病気はない」と答えた。感動を受けた少年は勉学に励み、後日、作った詩は、著名な金正喜(김정희)も感動させた。
▼ 茶を嗜みつつの「草堂の白い湯のみに広がる茶花の香り(초당 흰 찻잔에 스며 퍼지는 찻꽃향기)」を聴く。視覚的今様。
・丁若鏞は、茶山草堂(다산초당)で茶をしながら多くの本を書き上げた。
最後に、朴貴姫(박귀희)(1921年-1993年)の国楽芸術学校設立について次のように紹介された。
・伝統音楽、特に(低く見られた)パンソリや民謡などは、師から弟子へと伝わってきた。だから師弟関係は強固である。日本統治時代、朝鮮戦争を経験した朴貴姫など歌い手たちが集まって、国楽芸術学校(국악예술학교)*を設立する。この学校で多くの学生が勉強に励んだ。・・・(* 「国楽芸術学校」の正式名称不明)
▼ 夏の美しい景色の意の「緑陰芳草(녹음방초)」を、カヤグム演奏と歌で聴く。乾いた風のように淡々として・・・。
始めに、孔子の言葉から「先生の日」の意義を、世宗大王の「龍飛御天歌(용비어천가)」から「与民楽(여민락)」の始まりについて、次のように紹介された。
・孔子いわく、「三人行けば必ず我が師あり」(三人連れで行けば、その中に学ぶべきものがある)。5月15日は「先生の日」であり、ハングルを作った世宗大王の生まれた日でもある。この日に、世宗大王を記憶し、先生に感謝する。世宗大王はハングル創生後、楽章 · 叙事詩「龍飛御天歌」の作成を命じた。朝鮮時代、歴代王の業績を記録した最初のハングル文献である。そして、この詩を歌にしたのが、民と共に楽しむの意の「与民楽」だ。今は歌は消え去り、器楽曲として伝わる。
▼ 「与民楽」の演奏を聴く。宮廷曲にしては軽快、なるほど歌いだしそうな旋律がする。
次に、朝鮮後期、丁若鏞(정약용、1762年~1836年)と黃裳(황상、1788年~1863年)の出会を次のように紹介された。
・朝鮮後期最高の学者と言われた丁若鏞は、政治的理由で、長い間島流しになった。ある時、少年、黃裳が訪ねてきた。ソウルの立派な学者の噂を聞き、学びに来たのだ。身分も低く賢くもない少年は、少し内気になって、「こんな者でも勉強ができますか」と尋ねた。丁先生は、「学ぶ者には三つの大きな病がある」と答え、① 記憶力が良く、何事もすぐに覚えてしまう人は、自分の能力を信頼して適当になってしまう。② 書く能力が優れて、すぐに詩作し、どうしても内容が軽くなってしまう。③ 理解力が良く、何事もすぐに理解して、悟ることができず長続きしない。でも、「君にはそんな病気はない」と答えた。感動を受けた少年は勉学に励み、後日、作った詩は、著名な金正喜(김정희)も感動させた。
▼ 茶を嗜みつつの「草堂の白い湯のみに広がる茶花の香り(초당 흰 찻잔에 스며 퍼지는 찻꽃향기)」を聴く。視覚的今様。
・丁若鏞は、茶山草堂(다산초당)で茶をしながら多くの本を書き上げた。
最後に、朴貴姫(박귀희)(1921年-1993年)の国楽芸術学校設立について次のように紹介された。
・伝統音楽、特に(低く見られた)パンソリや民謡などは、師から弟子へと伝わってきた。だから師弟関係は強固である。日本統治時代、朝鮮戦争を経験した朴貴姫など歌い手たちが集まって、国楽芸術学校(국악예술학교)*を設立する。この学校で多くの学生が勉強に励んだ。・・・(* 「国楽芸術学校」の正式名称不明)
▼ 夏の美しい景色の意の「緑陰芳草(녹음방초)」を、カヤグム演奏と歌で聴く。乾いた風のように淡々として・・・。
2015年5月20日水曜日
聊斎志異「石清虚」
希少な石を愛する人は、とどめがない。そこには、物欲と紙一重の世界がある。しかし、何かしら意義を求めるなら、志において、その高まりなのだろうけれど・・・。
「聊斎志異」(蒲松齢著、1640年~1715年)、岩波文庫版(立間祥介編訳)の最終所収の「雲の湧く石 - 石清虚」は、主人公(邢雲飛)の愛石ぶりを、その始まりから死後に至るまで顛末を語る。
(本ブログ関連:”聊斎志異”、”石”)
(概要)
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あるとき、川底で見つけた石が深い襞にきざまれ峨々たる山容をあらわし、雨が降りそうになると、いくつもの穴から綿のような雲が黙々と湧き出した。
これを求め奪おうとする権力者から逃れたところに、元来の所有者である老人(それが証拠に、石の穴の奥にある「清虚天石供」*の五文字を指摘する)が現れる。主人公は、寿命(石の穴の数)を減らして(潰して)までして、老人から貰い受ける。
(*) 注釈に、「清虚天は、清虚洞天ともいい道教説話中の仙境。また月の宮殿ともいう。そこの石供(石の飾り物)の意」とある。
その後、泥棒に石を盗まれ、その取調べに関与した役人に奪われてしまうが、夢の中に登場した男に、再び取り戻す機会を知らされる。役人没後、その家の者に盗まれた石が、市場に売りに出さたのを知りようやく手元に置くことができる。
主人公は、八十九歳でなくなるとき、石を墓に供にするよう息子に言いつける。ところが、墓荒らしにあい、息子は思いあぐねて道を歩いていると、二人の男が彼の前に来て、売ってしまったと詫びる。
役所に賊を突き出し、石が見つかったものの、そこの役人は我が物にしようとする。倉庫に納めるよう命じられた下僕は石を落としてしまう。息子は、砕けた石を集めて、主人公の墓に供えた。
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岩波文庫版は、展開を淡々と語って終わる。
ところで、石の世界を集めたアンソロジー「書物の王国6 鉱物」(国書刊行会)では、同作品を「石を愛する男」(増田渉訳)として採りあげている。物語の最後、次のような文が続いている。
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「身をもって石に殉じる」とは・・・石狂いにもほどがあるけれど、そんな世界にどっぷりはまった人には、選択の余地はないようだ。精神性までが、文字通り物化してしまった世界のようだ。
「聊斎志異」(蒲松齢著、1640年~1715年)、岩波文庫版(立間祥介編訳)の最終所収の「雲の湧く石 - 石清虚」は、主人公(邢雲飛)の愛石ぶりを、その始まりから死後に至るまで顛末を語る。
(本ブログ関連:”聊斎志異”、”石”)
(概要)
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あるとき、川底で見つけた石が深い襞にきざまれ峨々たる山容をあらわし、雨が降りそうになると、いくつもの穴から綿のような雲が黙々と湧き出した。
これを求め奪おうとする権力者から逃れたところに、元来の所有者である老人(それが証拠に、石の穴の奥にある「清虚天石供」*の五文字を指摘する)が現れる。主人公は、寿命(石の穴の数)を減らして(潰して)までして、老人から貰い受ける。
(*) 注釈に、「清虚天は、清虚洞天ともいい道教説話中の仙境。また月の宮殿ともいう。そこの石供(石の飾り物)の意」とある。
その後、泥棒に石を盗まれ、その取調べに関与した役人に奪われてしまうが、夢の中に登場した男に、再び取り戻す機会を知らされる。役人没後、その家の者に盗まれた石が、市場に売りに出さたのを知りようやく手元に置くことができる。
主人公は、八十九歳でなくなるとき、石を墓に供にするよう息子に言いつける。ところが、墓荒らしにあい、息子は思いあぐねて道を歩いていると、二人の男が彼の前に来て、売ってしまったと詫びる。
役所に賊を突き出し、石が見つかったものの、そこの役人は我が物にしようとする。倉庫に納めるよう命じられた下僕は石を落としてしまう。息子は、砕けた石を集めて、主人公の墓に供えた。
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岩波文庫版は、展開を淡々と語って終わる。
ところで、石の世界を集めたアンソロジー「書物の王国6 鉱物」(国書刊行会)では、同作品を「石を愛する男」(増田渉訳)として採りあげている。物語の最後、次のような文が続いている。
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異史氏曰く----
並みすぐれた物は、禍のもとである。身をもって石に殉じようとするにいたっては、執着もまた甚だしい!だが結局は石が人と最後までいっしょになっていたのだから、石に情がないなどとだれが言えようか!昔の人は、「士は己を知る者のために死す」と言ったが、それは決して言い過ぎではない。石ですらなおこんなふうである。まして人間においておやだ!
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「身をもって石に殉じる」とは・・・石狂いにもほどがあるけれど、そんな世界にどっぷりはまった人には、選択の余地はないようだ。精神性までが、文字通り物化してしまった世界のようだ。
2015年5月19日火曜日
トロピカーナ エッセシャルズ カルシウム BANANA BLEND
テレビの築地場外市場の取材で、美味しそうに卵を焼いている光景があった。職人が作るのだから、美味くてきれいに仕上がるに決まっている・・・と分かっているが、真似したくなった。
早速、スーパーで専用の卵焼きフライパンを買った。而して、玉子も大量購入し試してみた。しかし、返しがうまくできない。ふわふわした感触もなければ、きれいに丸まって、美味しそうな姿にならない・・・そして作り過ぎた。
それはそれとして。
スーパーへ行けば、必ずバナナ味した食べ物・飲み物を探す。今回、ジュース棚に、バナナの姿をデザインした小さな紙パック(330ml)があった。横書きに「Tropicana Essentials カルシウム」と表記し、縦書きに「BANANA BLEND」の表示がある。バナナピューレを含む4種類(ぶどう、バナナ、いちご、ブルーベリー)の果実をブレンドしているというのだ。
バナナ味の巡礼は、バナナ味一本で勝負するものを本来の主旨にしているが、この際、バナナの絵柄を前面に出したパッケージデザインを慮って取りあげた。(以前、ミックスジュースに触れたこともあるが)
果汁20%の中、バナナの割合はいかに・・・飲んだ瞬間、バナナを探した。しかし、口中にミックスジュース特有の甘い香りだけが残った。もう一度飲んだ。いがいが感が喉奥に微妙に感じた。もっと飲んだ。330mlは、意外と腹にこたえる。
今回、無理強いした感がある。思いが強すぎたようだ。捲土重来、次回を期したい。
バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。
(本ブログ関連:"バナナ")
早速、スーパーで専用の卵焼きフライパンを買った。而して、玉子も大量購入し試してみた。しかし、返しがうまくできない。ふわふわした感触もなければ、きれいに丸まって、美味しそうな姿にならない・・・そして作り過ぎた。
それはそれとして。
スーパーへ行けば、必ずバナナ味した食べ物・飲み物を探す。今回、ジュース棚に、バナナの姿をデザインした小さな紙パック(330ml)があった。横書きに「Tropicana Essentials カルシウム」と表記し、縦書きに「BANANA BLEND」の表示がある。バナナピューレを含む4種類(ぶどう、バナナ、いちご、ブルーベリー)の果実をブレンドしているというのだ。
バナナ味の巡礼は、バナナ味一本で勝負するものを本来の主旨にしているが、この際、バナナの絵柄を前面に出したパッケージデザインを慮って取りあげた。(以前、ミックスジュースに触れたこともあるが)
果汁20%の中、バナナの割合はいかに・・・飲んだ瞬間、バナナを探した。しかし、口中にミックスジュース特有の甘い香りだけが残った。もう一度飲んだ。いがいが感が喉奥に微妙に感じた。もっと飲んだ。330mlは、意外と腹にこたえる。
今回、無理強いした感がある。思いが強すぎたようだ。捲土重来、次回を期したい。
バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。
(本ブログ関連:"バナナ")
2015年5月18日月曜日
「石の中に潜んでいる竜」
鉱物には、相容れぬものが恰も共存しているように見えることがある。水晶(SiO2)の、透明で美しい六角柱の中に、例えば細い針状の植物が見える。実は、苦土電気石の針状結晶が抱有されたもので、「ススキ入り水晶」と呼ばれる。草状以外に、水が入っている場合もある。
透明柱状の先に、尖った錐状の頭を持った、満足できる水晶を採ったことがない。まして、「ススキ入り水晶」のような珍しいものは、標本でしか接したことがないけれど・・・。
メノウ(瑪瑙、主成分SiO2)の塊りに水が入っているもの(「水入りメノウ」)がある。こちらは、なぜか市中に出回っている。商品性があるのだろう。振ると、削り込んだ奥で水が揺れているのが見えたりする。その中で、魚が泳いでいないかと空想したくなる。
江戸時代、奇談を収集したものに「耳嚢」(根岸鎮衛著)がある。その一つに、石集めの奇人の代表である、木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」にまつわる話が収められている。長谷川政春訳の「耳袋」(教育社)で読んでみる。
(本ブログ関連:”石亭”、”石”)
(概要)
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あるとき、行脚の僧が石亭の家に泊まった。石亭が愛石を見ていると、僧が「珍しい石を持っていて、荷物に入れております」と答えた。
石亭の頼みに、僧はその石を見せた。色は黒く、こぶしのような形であって、くぼんでいるところに水気があった。石亭は、自分の石と交換を申し出た。僧は、欲を持つ身でないので譲った。
そして、この石を机の上に置き、硯の上にのせてみると、清浄な水が硯の中にみちて、その有様は、言い尽くしがたいものであった。
この石を大切にしていると、ある老人がつくづくと眺めて、「このように水気を生ずる石には、きっと竜がひそんでいるはず」、遠くへ捨てるようにと言った。しかし、石亭はかまわずいた。
ところがある時、空も曇ってどんよりしている時に、この石の中から気を吐く様子があった。驚いた石亭は、老人の言葉を思い出し、村人に捨てるよう頼んだところ、老人は焼き捨てるべきとまで言ったが、人里離れたお堂に納め置いた。
その夜更けに風雨も強く、雷鳴もはなはだしくなり、その堂の中から雲が立ち起こり、雨の激しく降る中を昇天するものがあった。後になって、このお堂に行ってみると、あの石は二つに砕け、堂の有様は、まったく竜が天にのぼったかのようであった。
そのため、村では奇妙なこともあるらしいと話しをした。そして、その折に、あの石を焼いてしまうべきといった者の家は、恐ろしいことに、こなごなに壊されていたと、ある人が語った。
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(参考)
「忍石(しのぶいし)」も、装飾的意味合いでよく見かける。まるで植物の葉の並びを石灰表面に描いたようだ。
透明柱状の先に、尖った錐状の頭を持った、満足できる水晶を採ったことがない。まして、「ススキ入り水晶」のような珍しいものは、標本でしか接したことがないけれど・・・。
メノウ(瑪瑙、主成分SiO2)の塊りに水が入っているもの(「水入りメノウ」)がある。こちらは、なぜか市中に出回っている。商品性があるのだろう。振ると、削り込んだ奥で水が揺れているのが見えたりする。その中で、魚が泳いでいないかと空想したくなる。
江戸時代、奇談を収集したものに「耳嚢」(根岸鎮衛著)がある。その一つに、石集めの奇人の代表である、木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」にまつわる話が収められている。長谷川政春訳の「耳袋」(教育社)で読んでみる。
(本ブログ関連:”石亭”、”石”)
(概要)
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あるとき、行脚の僧が石亭の家に泊まった。石亭が愛石を見ていると、僧が「珍しい石を持っていて、荷物に入れております」と答えた。
石亭の頼みに、僧はその石を見せた。色は黒く、こぶしのような形であって、くぼんでいるところに水気があった。石亭は、自分の石と交換を申し出た。僧は、欲を持つ身でないので譲った。
そして、この石を机の上に置き、硯の上にのせてみると、清浄な水が硯の中にみちて、その有様は、言い尽くしがたいものであった。
この石を大切にしていると、ある老人がつくづくと眺めて、「このように水気を生ずる石には、きっと竜がひそんでいるはず」、遠くへ捨てるようにと言った。しかし、石亭はかまわずいた。
ところがある時、空も曇ってどんよりしている時に、この石の中から気を吐く様子があった。驚いた石亭は、老人の言葉を思い出し、村人に捨てるよう頼んだところ、老人は焼き捨てるべきとまで言ったが、人里離れたお堂に納め置いた。
その夜更けに風雨も強く、雷鳴もはなはだしくなり、その堂の中から雲が立ち起こり、雨の激しく降る中を昇天するものがあった。後になって、このお堂に行ってみると、あの石は二つに砕け、堂の有様は、まったく竜が天にのぼったかのようであった。
そのため、村では奇妙なこともあるらしいと話しをした。そして、その折に、あの石を焼いてしまうべきといった者の家は、恐ろしいことに、こなごなに壊されていたと、ある人が語った。
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(参考)
「忍石(しのぶいし)」も、装飾的意味合いでよく見かける。まるで植物の葉の並びを石灰表面に描いたようだ。
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