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2014年2月5日水曜日

(予定)イ・ソンヒの2014コンサート・スケジュール

イ・ソンヒの公式ホームページを覗いたら、自由掲示板に、ファンからのコンサート・スケジュールの問い合わせに、4月予定と回答が記されている。
(回答者は、イ・ソンヒの(ファンによる)30周年記念事業推進委員会の方のよう)

さて、チケットをどうしよう。

2014年2月4日火曜日

立春2014

春雨だ濡れていこう、といっても知られぬ時代になったのだろうか。無声映画を見たわけではないので、もしかしたら市川歌右衛門の映画のせりふだったのか・・・それとも、小雨の中を強気になって走り出した子どものころの掛け言葉だったのか。

昨日と打って変わって、一年の季節の始まりというに、小雨でひんやりしている。

(本ブログ関連:”立春2010”、”立春2012”、”立春2013”)

(追記) 立春に降雪
栗林に降る雪
あるテキストを求めて書店を巡って、昨日は地元の2軒になく、今日は小雨が霙(みぞれ)に変わりつつあるなか近くの街に出かけて、ようやく2軒目で手に入れた。さて、地元駅に戻って、駅ホームから外を眺めると、絶え間なくベタ雪というかドカ雪が回転しながら落ちてきた。真っ白な空に、隙間がないようにさえ見えた。

雪降りはますます勢いづいた。この街を走るマイクロバスで帰宅したのは正解だった。降雪の気配はしばらく続いたが、陽の沈んだ外に改めて様子をうかがうと、路面に積雪はなく、ただ夕暮れの中に存在を示すように、わが家のポストの上にこんもり雪が残っていた。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 旧正月

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第41回として、「旧正月元旦(ソルラル、설날)」にまつわる話を紹介した。

まず、ある晦日、貧しさに溜息つく妻へ玄琴(コムンゴ)の音で慰めたという逸話を次のよう紹介された。
・新羅時代、慶州の狼山の麓、貧しくて繕(つくろ)った服を着た男がいた。村人は「百結(ペッキョル、백결)先生」*と呼んだ。家は貧しくとも、昔を慕い、常に玄琴を弾き、人生の喜怒哀楽を表現した。

    (*)百結: KBS WORLD「韓国偉人伝-百結」参照

・大晦日に、近所から穀物を搗(つ)く「パンア(搗き、방아)ソリ(音、소리)」が聞こえて、ため息をつく妻に、百結先生は「人の生死はその命に関わるものであり、貧富は天の決断である。これに対してあがくことはできないのに、婦人はどうして心を痛めているのか?」と言い、玄琴で臼をひく音を再現して慰めた。この音楽が世に知られ、「碓樂(テアク、대악)」、または、「パンア打令(방아타령)」と呼ばれた。

▼ 霊山会想から玄琴演奏「下弦還入(하현도드리)」を聴く。ゆたりと風流に響く・・・そんな部分か。

次に、さまざまな旧正月の料理の品々を次のよう解説された。
・旧正月、家庭は名節料理の準備で慌しい。次のような元旦の詩がある。「牛肉を煮てのせ、白い餅も積み重ねる/年の暮れの豊かさだ/元旦に膏粱(こうりょう)珍味を腹いっぱい食べれば/一年中、空腹を感じることはない」。
・食物が十分でない時代、元旦に先祖を祭る大切な目的があり、料理を盛りつけて分かち合い、一年が豊かで実りあるよう祈願した。
・元旦の客に出すお節料理に「歲饌(세찬)膳(상)」がある。トックク(雑煮)に餃子などを準備し、「シッケ(식혜、甘酒)」や「スジョンクァ(수정과)」の飲み物に、果物や「ナバッキムチ(スープ状キムチ)」を添えた。本格的に宴には、さらに、もち米に栗やなつめなどを加えた飯である「ヤクシク」や、「トッポッキ」、肉を煮た料理の「ピョンユク(片肉)」、小麦粉に甘く味をつけ揚げた「ヤックァ」などの菓子類、さらにゆでた栗やしょうが、なつめなどで作った「スックァ(熟果)」などを並べた。

ビナリ「祝願徳談(축원덕담)」を聴く。歌と打楽器で賑やかな・・・ともに祝いあう空気が伝わる。

・元旦の朝に飲む「屠蘇酒(トソジュ)」は、様々な薬草を入れて作り、冷たくして飲むと、悪い気運が去ると信じられた。屠蘇酒は一番若い人から、新しく一年を得るため先に飲み、年長者が歳月を失っていくため最後に飲むという。

▼ 「報念(보렴)」を聴く。祈り、地の香りして・・・今年もよい年でありますように。

2014年2月3日月曜日

節分 2014

節分の今日、鬼も張り合いがないのか、わが家にその気配がない。豆まき用の豆を買い置くのも忘れたくらいだ。なにしろ彼らときたら、腰が引けているのか、おさなごたちの前にしか登場しないのだから・・・全くブルブル感が足りない。

一日中、体が追いつかないほどの暖かさだった。最高気温が都心で17.8度、もはや春の兆しして、鬼も現れるタイミングを失ったかもしれない。そう、明日は立春、新しい季節の始まりである春になるのだから。

鬼さん、出てくるなら今晩限り・・・まあ、会いたくはないけれど。

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「12.統一のための触媒になりたい」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その最終回である第12回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒのファッションの特徴であるズボン着用の理由、結婚について、統一公演などについて知ることができた。

これまで掲載のスター・ストーリー(第1回~12回)を、ブログ画面左にある「ブログ本文&資料」に「●資料:이선희 Profile (自伝)」として、まとめて掲載する予定。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[12] 統一のための触媒になりたい
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読者や視聴者が、私に対して最も気にかけられるのは「なぜズボンだけ着るのだろうか」と、「いつ嫁入りするのか」ということだ

・ズボンだけこだわる理由は、中高時代に制服のスカートだけ着ていたらズボンが着たかったし、また、大学へ行って洋服にネクタイ姿に変えてみると、そんなに楽なことではなかったためだ。また、スカートは女性だけ着るものなので、化粧もしなければならないようだし、随所に装いもたくさんすべきなようで、ちっとやそっとのことで着ないことに決めたのだ。スカートよりはズボンが「自己防衛」にも良いようだったし。

デビュー当初、「結婚はいつ頃になるか」という問いには、いつも「三十歳前です」と答えた。当時には、はるかに遠い未来の年齢だと感じた「30才」が、もうそろそろ目に見え始める。だが、私たちの年齢(数え年)で三十前まで結婚できないようだ。

・今年と来年には、「公人」としてすべきことが山のように前を遮っており、また、29才になれば大人がダブー視される、いわゆる「九数(九がつく年齢、人生の節目)」にひっかかることになるので、どうやらこうやら三十には皆さんに麺をもてなすこと(結婚式を挙げること)ができそうだ。

・私は、ある種責任意識を持っている。私を大切にしてくださった全ての方に、企業が利益を社会に還元するように、何かをお返ししなければならないという信念を持っていることだ。

「私たちの願いは統一」のように、私は必ず北韓公演を成功させてみる。過去の東西ドイツの例を見ても、大衆文化交流は明らかに統一のための触媒として作用できると信じる。

・「つつじの花、菜の花ひとかかえ、胸に抱いてみればいつも夢見るよ。・・・一つになった愛で、自由と平和を思いっきり享受して生きる(懐かしい)その夢を・・・」、6集(1990年)に入っている「懐かしい国(그리운 나라)」*の一部である。

    (*)本ブログ関連;”「懐かしい国」

・つつじが春の園を刺繍する北方の地から、菜の花満開な南端の済州道まで、わだかまりなしに行き来することができるその日を描いて、私は公演のたびごとに必ず「懐かしい国」と「美しい江山」を切実な心境で歌っている。

・来る5月頃には、すでに作られ、統一を念願する多くの人々の口から口へ歌われている「愛の世界」(イ・コンサン作詞、キム・ジョンイル作曲)という歌を収めたレコードも出す予定だ。この歌はソ連のルドゥミルラ・ナムイの来韓公演でも歌われたし、テナー(歌手)のパク・インス教授も愛唱する曲だ。

・また「愛の世界」は、北韓にも知られているようだ。歌詞中の「開けよう・・・開け・・・」という小節を巡って、北側では「開け」を「開こう」に直そうと要求するという声も延辺自治区のある僑胞(海外在住韓国人)から聞いた。

・北韓公演は、来る9月の韓民族体育大会とほぼ同時に可能だと耳打ちして下さった関係者もおられる。公演関連の詳細は、私のマネジメントを担当している、ヘグァン企画で緻密に推進中だ。

・これまで、私が経験した27年を記録した貴重な紙面を快諾された日刊スポーツに心より感謝し、今後もこの新聞の芸能面を通じて、読者の皆さんになんどもお会いするのを希望する。
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(付記)
上記自伝(掲載1991年)の最後に語られたように同年9月に、イ・ソンヒの平壌公演は実現したのだろうかよく知らない。

現代峨山の報道資料(2003年9月25日)によれば、2003年10月6日に、平壌にある柳京鄭周永体育館(류경정주영체육관、12,500人)で開催される、南側の公演に歌手のイ・ソンヒ、ソル・ウンド、チョ・ヨンナム、声楽家のキム・ドンギュ、新世代グループの神話、ベイビー・ボックスの出演が予定される・・・。
彼女の公式ホームページに、この公演の記録は掲載されていない。(Youtubeに映像はあるが・・・)

ちなみに、チョー・ヨンピルは、2005年に同場所で単独コンサートを行っている。

2014年2月2日日曜日

「女性歌王」イ・ソンヒ・・・2月出撃

歌謡界の2月の動向を記すスターニュース記事(2/1、キル・ヘソン記者)は、「女性歌王」イ・ソンヒ・・・2月出撃として、次のように記している。抜粋。
いよいよ待望の、イ・ソンヒのアルバム15集を、今月遅くとも来月始めに入手可能とのこと。どんな内容なのか知りたい。あわせて、30周年のイベントについて時期や場所など詳細情報を今後得たい。

(本ブログ関連:”15集”、”●資料:이선희 Concert”)
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・(旧)正月の連休が終わる2月、多彩なスター級歌手たちが、歌謡界に同時出撃する予定で、すでに歌謡ファンをときめかせている。

・「女性歌王」の一人と評価されるイ・ソンヒは、早ければ2月の内に正規(アルバム)15集を出す予定だ。

・イ・ソンヒ側関係者は、1日のスターニュースに「イ・ソンヒは、現在の新しいアルバムの追い込み作業に心血を注いでいる」といいながら、「現在としては2月末、遅ければ3月初めに15集をリリースする計画」と伝えた。

・特に、今年はイ・ソンヒが歌手デビュー30周年を迎える年なので、彼女の新しいレコードに注がれる関心はより一層大きい。

・イ・ソンヒは、去る1984年、満二十歳の初々しい大学生時代、「Jへ」により第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を獲得、シンドロームを起こしてデビューした。以後ずば抜けた歌唱力を前面に出して、「ああ、昔よ」、「秋の風」、「分かりたいです」、「ヨン(You)」、「愛が散るこの場所」、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などを次々大ヒットさせて、80年代と90年代初期を代表する女性歌手として地位を確立した。

・イ・ソンヒの音楽活動は以後も着実に続き、2005年発売した13集収録曲「因縁」は、(観客動員)1000万の興行映画「王の男」にも挿入*されて人気を独占した。2011年には、全国ツアーを盛況裏もまさに盛況裏のうちに終えた。

    (*)映画「王の男」: 未見であるが、サウンドトラックとしては使われたわけではないという。
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2014年2月1日土曜日

(資料)50代と漢字

新聞記事を通じて韓国の世代論をフォローしているが、時代を決定する50代に差し掛かった世代およびその下の世代であるハングル世代(한글 세대)が、漢字との親和が乏しいという現状を、朝鮮日報の記事「名前さえ漢字で書けない韓国人」(2/1、(魚秀雄(オ・スウン)記者 , 兪碩在(ユ・ソクチェ)記者)は次のように報じている。抜粋。

イ・ソンヒが1984年「江辺歌謡祭」で大賞受賞を紹介する、京郷新聞(テレビ番組紙面)にある記事は(氏名を除き)ハングルばかりだが、タイトルや写真の見出し部分に「熱気」、「大賞」、「音楽」など漢字が見られる程度である。
ちなみに、イ・ソンヒの2005年の13集アルバムタイトルは漢字で「四春期」(思春期ではない!)で、2009年コンサートのタイトルに「招待」の漢字が使われた。「인연(インニョン、因縁)」以降、彼女のヒット曲に東洋的香りする旋律が織り込まれている。

(本ブログ関連:”50代”)
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・1970年に「ハングル専用政策」が始まってから44年。今や、小学校で漢字を学んでいない最初の世代は50代に差し掛かった20-30代はもちろん、40代すらも漢字になじみがない時代になったということを意味する

スマートフォンやタブレットPCからは漢字の入力システムが姿を消し、ハングルだけで誤記された単語が、正しい表記として「定着」するケースも多い。

・成均館大学中文科のチョン・グァンジン教授は「漢字語は韓国語の語彙(ごい)の70%、学術用語の90%以上を占めている・・・

・仁済大学のチン・テハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は「漢字が多く使われている1980年代以前の本を大学生が全く読めないということは、韓国各地の大学図書館に所蔵されている資料の90%以上が、そのまま死蔵されるということを意味する・・・
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2014年1月31日金曜日

旧正月

今日で1月が終わり、あっという間に今年の12分の1を食ってしまった。時が過ぎるのを、消化に例えるとあっけない。まるで食いちぎったように消え去ってしまったよ。

太陽暦の西暦2014年の元旦に、まさに新年を迎えたつもりでいたし、新しい空気を感じたが、旧暦でみれば昨年の12月1日でしかなかった・・・けれど。そして今日、やっと旧暦の新年である旧正月を迎えた。

今日、旧暦ながら新年の香りを探したが何にもない。きわめて淡々と日常が終わった。五感に訴えるような変化を感じない。街には平日しかなかった・・・当たり前だ。

旧暦の正月行事など当然ないけれど、日常に探すと、このところストーブがうっとおしくなってきたかな。そして、日没が徐々に遅くなっているのに気付く。気候に小さな変化を見つけることができる。

寒中に感じる正月がよいか、それとも寒暖の緩みに感じる正月がよいか。まっ、どっちでもいいけれど。

それよりも、このところ、日めくりカレンダーの日めくり作業がルーズになってきたなあ。3日分まとめてはがすなんてこともある・・・カレンダーが目の前にあっても気にもならないなんて。

2014年1月30日木曜日

STAP細胞って?

STAPって、SMAPじゃないよね・・・そんなわけはない。凄い発見だそうで、同じ「命」とか「細胞」を持っているだけに、何となく分かったような気がしてくるが、本当はよくわからない。いっそ、素粒子のような世界なら、ただ受身一方でうなずくだけで済むのに。

今回の発見は、生命科学を究めるのにつながるだけでなく、医療分野への適用もあって、マスコミが大騒ぎして、わかったような気にしてくれるのはありがたい。

発見者のいうように、「数十年後、百年後」を見据えた長期的な視野の研究で、将来が期待される。それまで待っていよう・・・私の命では間に合わないって?・・・それも、いいじゃないですか。

研究リーダーの小保方(おぼかた)晴子さんは、何と30歳という若い女性だ。テレビで見る彼女は、率直な物言いでしっかりしているのだろうけど、どこかお嬢さんのような純な感じもする。可愛らしいね。
研究室は、全員が女性だそうで、壁色にいろいろあり、童話の「ムーミン」のキャラクターたちが描かれている。おまけに、ペットに亀のスッポンまで飼っているという。
うれしいことに、彼女の研究スタイルは、いわゆる白衣ではなくて、お祖母さんからの由来の「かっぽう着」だ・・・ますます、おじさんファンが増えるというもの。うれしいね。

それにしても、かつて彼女の論文を酷評した「Nature」誌の評者(論文審査員?)の面々は、今ごろ赤面していることだろう・・・と、どこか溜飲下げたように気になるが、結局はよく分からない。Natureさんにも、ごめんなさい。

すぐに科学雑誌「Newton」で特集が組まれることだろう。iPS細胞、STAP細胞など、比較した分かり易い絵解きを見よう、そしてその気になろう。楽しみだ。

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒの、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年)の映像はネット上で数々見てきたが、秋の枯葉が敷き詰められた木々の下で彼女が歌う珍しいビデオがYoutubeに登録されている。やわらかな西陽に照らされながら、いかにも彼女らしいズボン・スタイルで、樹間を歌い逍遥する。音量がやや小さいが、それを次に埋め込む。

(本ブログ関連:”Youtubeでイ・ソンヒを見たという友に返信”、”イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」”)

Youtubeに記載の<概要>によれば、MBCテレビの音楽番組「土曜日土曜日は楽しくて(토요일 토요일은 즐거워)」(357回、1993年8月21日)のもので、画面表示に、撮影場所は、ソウル市北東にある京畿道抱川市に位置する「光陵樹木園(광릉수목원)」(現「国立樹木園(국립수목원)」)としている。撮影は1990年10月、ちなみに6集アルバムは同年8月20日リリースしている。
(登録者:MBCfestival

 

2014年1月29日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「11.私の華麗な事件」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第11回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒの、音楽以外の側面での慈善活動や、詞に政治的なテーマと取り組む試行など、あるいは彼女のファン層について知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[11] 私の華麗な事件
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時折、このような質問をする人がいる。「同じ歌、何度も歌ってたらウンザリしない?」

そのような問いに触れると本当にあきれる。私は、私が好む歌をその時その時の気持ちと舞台の雰囲気に合わせて歌うことがとても楽しくて、その独特の雰囲気を「満喫」しているからだ。

「炎のように(불꽃처럼)」のようなダンスミュージック風の歌も入っているが、ポップ・バラードが中心である5集アルバム(1989年)は、私が歌手デビュー後、ぴったり5年ぶりに出た。このアルバムの最高人気曲は「私の街(나의 거리)」。放送とDJ人気チャートで、2ヶ月以上頂上に留まった歌だ。

5集で格別に愛着がある曲は、「五月の陽射し」である。「5月の光州の英霊」*たちを考えて、私が歌詩を書いた。少なくとも、国民の愛(支持)を受ける歌手ならば、私たちの社会の痛みに「他人任せ」していることはできないと思った。この歌は、大学街のデモの時も「愛唱」されたし、光州のローカル放送では10週連続1位に留まったりもした。だが、一つ物足りなさは残る。私が直接行ってみた光州を素材で映像ビデオを製作しようとしたが、色々な理由で失敗に終わってしまった苦々しい記憶のためだ。**

    (*)5月の光州の英霊: 1980年5月の光州事件参照
    (**)イ・ソンヒは、善意から政治に関わった経緯があるが振幅もあって、現在は遠ざかっているようだ。

1989年6月には、香港3MGレコード社で「これがオリジナルソングだ」*というディスクが出た。ホイットニー・.ヒューストンなどそうそうたる歌手10人が、自身のヒット曲を収録したアルバムだ。アジアでは私が「代表選手」に選ばれたけれど、チョー・ヨンピル先輩が抜けたという事実が、当時にはちょっと面食らってしまった。

    (*)「これがオリジナルソングだ」: 企画アルバムのようだが詳細不明(ジャケット写真:感謝)

しばしば、イ・ソンヒのファンは少女層が大部分であると知られているが、それは事実と違う。1990年7月のある世論調査結果を見ると、男子大学生の24%、女子大生の15%が私を「最も好きな歌手」と挙げたのだ。その調査で、男性歌手ではチョン・テチュン氏が1位であり、私は女性歌手の中で人気1位だった。

(人気)数字だけ次々並べて見ると、ちょっと目まぐるしい気がする。とにかく、私のレコードは男性がたくさん探して、カセットは女性ファンがたくさん買ったそうだ。職場の趣味サークルの内では、男性中心の同好者の集いで私をよく招待する方だ。

昨年の春(1990年4月)、ミュージカルに出演したことがある。世宗文化会館で幕を上げた「オズの魔法使い」の主人公「ドロシー」役だった。ドロシー役は、米国ではダイアナ・ロスが引き受けたとか。とても手に余る舞台であった。

スカートを着て靴をはいたまま、幕間ごとに明かりの消えた舞台裏を飛び回ったら、台詞をいうたびに息があがってフウフウしなければならなかった。また、緊張の連続だったので、体と心が別々に動いた感がなくはない。気球に乗って帰宅する最後の場面では、靴のかかとに装着された豆電球に点灯しなくて慌てたりもした。確かにかかとをぶつければ明かりが「パッ」と入ってくることになっていたが・・・分かってみれば、あちらこちら暴れる(?) 間に、つながれた電線が切れてしまったのだ。

何も知らずに飛びまわったミュージカルを通じて、私は多くのことを悟った。中学2年生だった末っ子の弟(妹?)*が生まれて初めて私の姿を見に公演会場にきて、また非常に不思議に思った。漫画の映画やビデオでは味わうことが出来なかった夢と希望を感じたと言った。「ずっと大きな」子がそうなのだから、まして子供たちが・・・

    (*)イ・ソンヒは長女で、弟とさらに2人のきょうだい(男?女?)がいる。

公演練習のために、放送出演など私の「生業」が支障をきたすことになって、公演後遺症で病んで横になることが心配だけれども、私は今春にもミュージカル「ピーター・パン」に出演する。ズボンではないが、草色のタイツを着た万年少年のピーター・パンの役に。

体が「パキムチ(葱キムチ)」*になれば、いいのだが。私には、万病に効く、薬のような参鶏湯(サムゲタン)一杯あれば軽く「元気回復」するのを・・・

    (*)葱キムチ: 疲労回復に効能があると、ネット上に記述ある。

ミュージカルにすっぽりはまってみると欲が出る。子どもと青少年に夢と希望をあたえる専用の文化空間をたてたいのだ。それで、今でも日本や米国など外国の資料をこまめに集めている。合わせて、誰かが「コンチュイ・パッチュイ」*など、私たちの話をミュージカルで脚色してくださるように祈る。

    (*)忘れ形見の娘コンチュイが継母とその娘パッチュイにいじめられるが幸せをつかむ。(シンデレラと似る)

また、学生家長と進学できない不遇な青少年のための奨学財団の設立も着々進行中だ。隠れてしようとしたことなのに、つい言論(マスコミ)に「見つけられて」'しまった。全国から多くの方々が寄付を送ってくださるが、ほとんど送り返している。例外は、ぴったり二件、①同じことなら障害者も助けようと直接お金を持って訪ねてこられたある障害者の寄付と、②自身も豊かではないスーパーマーケット女性従業員が寄託された「大金」の百万ウォンは、お二方の勢いがあまりにも「みなぎ」って、どうにもならなく「受付」してしまったのだ。

昨年秋(1990年10月)には、カナダのモントリオール室内管弦楽団と共演した。あの「敷居の高い」世宗文化会館大講堂で。その楽団が著名な外国クラシックオーケストラではなかったとしたら、私一人で世宗文化会館の舞台に立つということが可能だったのだろうか? ほろ苦い。また、私が望んだことは、外国楽団でない私たちのオーケストラであった。しかしながら、伴奏はできないというのだから、私だってどうすることができようか。

昨年の春(1990年4月)には詩集も出版して、詩朗唱会も持った。「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈 꿀 수 있다)」という自作詩集であるが、大型書店のベストセラー詩集部門1位に上がったりした。元老詩人の趙炳華(チョ・ビョンファ、조병화)先生は「きれいな露をうける小さい野草のような詩・・・繊細で愛らしい詩語・・・」と過分な評をしくださったりもした。

だが、詩をもって、話したい言葉を全て語ることが少し難しかったので、今年の末か来年の初め頃、私の考え、私の生活を書いたエッセイ集*を出そうと思う。

    (*)エッセイ集: 未確認

昨年の初冬には、哲学者金容沃(김용옥)教授と東国大講堂で「デュエット」で歌ったことがある。曲目は「美しい江山」、金教授の招待で行われた突然この日舞台は、私の歌が主でなく、東洋哲学の講義が目的だったが、教授は「芸術はすべからく大衆と近づかなければならない」という信念で、私を講壇上に呼び出したのだった。金教授はまた、私にまるで詩のようでもあって、幽玄な哲学のようでもある歌詞を二編もくださった。
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2014年1月28日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鷹狩り

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第40回として、「鷹狩り(매사냥)」にまつわる話を紹介した。

まず始めに雉猟に関わる諺について次のような紹介から始まった。
・諺に「雉の代わりに鶏(꿩 대신 닭)」がある。同様に「歯がなければ歯茎で(이가 없으면 잇몸으로)」もあって、必要な物がなければ他で代替する意だ。昔、餅の雑煮(トックク)に雉肉(現在は牛肉)を入れた。農耕社会で不可欠な牛肉を食べるのは難しく、雉肉は味もよく、また天からの使者として縁起よい鳥とされた。そこで新年を迎えて雉肉を食し、天の気運を頂く思いがあったが、捕えるのが難しい雉の代わりに鶏を使った。
・そうした風習から、旧正月目前に、雉を捕まえに寒い山に入る者が大勢いた。このときの猟師の猟法が鷹狩りだった。

▼ 「雌雉打令(カトゥリタリョン、까투리타령)」を聴く。雉の鳴声に似てかまびすしく・・・山々巡る。

・この「雌雉打令」のカトリ(까투리)は雌雉を表し、羽の美しい雄雉はチャンキ(장끼)という。

次に鷹狩りに使う鳥の種類や鷹狩りの伝統について次のように解説された。
・鷹が狩るので鷹狩りという。鷹狩りに、まだ飛べぬ幼鳥から手なずけるため「大鷹(オオタカ)」か「隼(ハヤブサ)」がよいとされる。①大鷹はスピードが速く、獲物に急降下して捕まえる。鋭い嘴(くちばし)で獲物を一撃して即死させる。②隼は鋭い爪で獲物の喉笛を襲い窒息させたり、嘴で胸元を突刺す。強い鳥で空の帝王ともいう。羽の抜け変わる前の幼隼を「ボラメ」という。
・鷹狩りに手なずけた鷹を「スジニ」といい、最初の1年ほどを「チョジニ」、2年過ぎて「チェジニ」、3年ほどで「サムジニ」と呼び方を変える。勇猛で素早いチョジニが狩りに最も適している。猟師が「ウーウー」と言って森の木を揺さぶると、隠れていた雉が飛び出したのを逃さず、綱を解かれた鷹は雉めがけて飛んでいく。

▼ 「南原山城(ナムォンサンソン、남원산성)」を聴く。・・・以前聴いた陽気な歌だが、鳥の美しさ?

・狩に使う鷹の尾の飾りつけを「ペジッチェ」と呼ぶ。飾りに、飼主の名を書いた「シチミ」と、鈴が付けられる。鷹が捕えた雉肉を引裂くとき鈴が鳴る、あるいは鷹を見失っても、この音で居場所を知ることができる。
・鷹狩りは古くから楽しまれたが、百済の法(ポプ、법)王は、仏教信仰から殺傷を禁止し、狩猟用の鷹全ての解放を命じた。一方、高麗のとき、鷹を訓練させ狩専門の官庁「ウンバン」が作られた。現在、鷹狩りを楽しむ人は少ないが、伝統は受け継がれている。2010年に、モンゴル、スペイン、アラブ首長国連邦など、11カ国共同で、ユネスコ人類無形遺産に登録された。

▼ 伽倻琴(カヤグム)演奏による「Flying bird」を聴く。・・・天空を軽快に泳ぎ漂うよう、今様である。

2014年1月27日月曜日

鉱物採集では落ち木を杖にする

寒い季節のこのごろ、負荷のかかる運動といえば、毎週の健康体操と、ほぼ毎月の鉱物採集くらいしかない。そんなわけで、たまに体を動かすと、その翌日以降にジワジワと筋肉痛になる。若い頃は、このくらいの運動なら平気だった・・・のに。

昨日、鉱物採集に行った錫高野の入り口にある小さな山越えと、採集場所の沢を上がり降りしたくらいだが、今日の夕方には「ひざ」と「ふくらはぎ」が筋肉痛するが・・・。

以前は、足腰が弱まってきているのに、鉱物採集の山歩きを痩せ我慢していた。この頃は、落ち木をひろって杖代わりにするようにしている。落ち木の杖を使うと、岩の沢や急坂を登り降りするとき安定感が増す。第三の足が加わって、ふらつくことも少なくなる・・・もちろん、落ち木の杖に頼り切るのは危険と承知している。

だいぶ前のこと、幅は狭いが水流の激しい沢にかかった丸太橋を渡ったことがある。橋の長さは2m位い、太い丸木一本だけなのだ。石仲間はそれをスイスイと渡りきる。私は沢の近場に落ちていた木を探して、杖代わりにした。丸太橋を横歩きして、落ち木の杖を流れに刺して、3点で体を支えながら渡った。

最近は杖を使う習慣がついてきて、鉱物採集の山に入るときは、まず落ち木の杖を探す。

2014年1月26日日曜日

錫高野#19

1年振りの錫高野。今日で通算19回目の採集だ。寒い1月は採取場所の選択に難儀するため、通い慣れた錫高野に毎回白羽の矢が当たる。幸いなことに、今日はしっとりと湿った、しかも温暖な気配して、冬場ながら絶好の日よりだ。

(本ブログ関連:”錫高野”)

早朝、暗いなか家を出る。路面は濡れても空気穏やか、寒気を忘れたよう。始発電車に乗り込むも、暖房がうっとおしいくらい。2度の乗り換えも、駅ホームで寒風に震えることもない。そして、待ち合わせ駅でH氏の車に同乗して、錫高野へ向かう。柔らかな陽の差した薄靄の朝、冬から春へ一っ飛びしたようだ。

さすがに、錫高野入り口にあたる仏国寺の林道を抜ける風はヒンヤリする。簡易のヤッケをジャンパーにかぶせる。今回、2人組の採集者たちと出会った。一組はやる気満々おじさん組、もう一組はほんわか父娘組だ。同好の士に次々出会うのも珍しい。

現地は、一年振りのため、風景が少々変わっていた。倒木多数。掘り起こした跡がずいぶんとあるのだ。また沢斜面にあるズリの小石が、多数滑り落ちていた・・・人為的なのか気になる。

我らは、堅実というか労を惜しんで表面採集に徹する。それでも、嬉しい良品である、この地名を表す「錫石」を収集したのだ。母岩表面にキラリと輝く(茶)黒褐色の結晶が点在する・・・錫高野の第1回採集のとき、磨耗した錫石を得て以来、それなりにしっかりしたものを手に入れたのだ。

今日の採集鉱物を次に記す・・・いただき物も含む。

・錫石(上記)、水晶(微小ながら透明)、鉄マンガン重石(再び目にするようになった)、ブロシャン銅鉱(膜状)、白鉄鉱
・(硫砒鉄鉱+黄鉄鉱+班銅鉱)、(断面:銅藍の周りをブロシャン銅鉱が包む?)

ところで、H氏採集のブロシャン銅鉱は、岩の隙間から濃い緑色した針状結晶を覗かせた。

2014年1月25日土曜日

Youtubeでイ・ソンヒを見たという友に返信

Youtubeで「赤いドレス姿」のイ・ソンヒを見たと、わざわざ今日の日付に変わった深夜にメールをくれた友へ返信した。昨日、「ファン」の心について記したところでもあり、ファンの気持ちのまま綴った返信内容をほぼそのまま載せる。筆と口が滑ったところは、ファンならではと容赦いただければ・・・。(一部変更)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ ファン”)
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またまた、深夜のメールありがとうございます。

ご覧になったイ・ソンヒの映像は「Turning the pages of memories」でしょうね。

タイトルは、「思い出のページをめくれば」(추억의 책장을 넘기면)です。
「추억(追憶、思い出)의(の) 책장(ページ)을(を) 넘기(繰る、めくる)면(れば)」

彼女の「ドレス姿」については、当時、コンサート会場のファンの間に「ため息」が流れたそうです・・・(賛否)いろいろな意味で。

ちなみに、彼女の「スカート」、「ズボン」(パンツというのですね)姿については・・・

イ・ソンヒは、基本的に「ズボン」姿が中心ですので・・・若い頃は「少年のよう」ともいわれました。
これは重要なポイントです。女性を前面に出す歌手が多い当時、ある意味で中性的な彼女のスタイルは、まだ性的なものに嫌悪感ある女子中高生たちに絶大な人気を得ました。そして、イ・ソンヒの人生とともに彼女たちファンは、恋愛、結婚、出産、破局、悲劇、再婚というイ・ソンヒの流転を共感できるほどに共に成長します。

ところで、イ・ソンヒの「メガネ」姿は、80年代POPやフォーク系の歌手の間で流行しました。チョー・ヨンピルもしかりです。やがて、ダンスブームの80年代末~90年代になると、歌手たちにとってメガネが邪魔になって・・・。俳優も、韓流初期の男優たちを思い出してください。

イ・ソンヒの変わらぬスタイルは、現在も韓国の中高年保守層に受け入れられています。
彼女は、無闇に音楽市場を広げようとしません・・・自身で音楽事務所や舞台を運営していたことがあって、業界のなかで生き抜く力と才知を合わせ持っているようです。
歌謡歌手として、若手を育てることもできる、とてもユニークな存在ですよ。

そうそう、彼女は高校時代に、ヘビメタに熱狂していたそうです・・・素養・素地は広いですよ。

・・・ああ、話が尽きません。次回に続けましょうか?
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2014年1月24日金曜日

ファン

気紛れなものだ、ファンっていうものは。黙っていればいいものを、言わずにおられないのがファンたる所以、熱狂というか、ファナティックというか。それを見て、常識人は「私にはわからないね」といぶかしむ。ファンは分かってもらいたいと、更に気負う。もしかしたら、反感を買うことになるかもしれないのに・・・。

食べ物だって好き嫌いがあるでしょ? 子どもは正直だから遠慮しない。それに近いかな。趣味の世界に、コレクター、マニア、あるいはオタクたちがいる。自称もあれば他称もある。そのことを秘匿するものもいれば、これ見よがしにするものもいる。

まあ、うるさがられない程度に、そしてたまには同好の士の集いでもあるコンサートや、映画館、会合に行くことになる。それで十分かな。

ところで、私は歌手の中でイ・ソンヒのファンを自認しているけれど、映画スターについては、キム・ベイシンガー(Kimila Ann “Kim” Basinger)かな。彼女がアカデミー賞(助演女優賞)を受賞した、「L.A.コンフィデンシャル(L.A. Confidential)」(1997年)は忘れられない。それは昔、八百比丘尼伝説をモチーフにした、NHKのテレビドラマ「女人幻想」(1972年)で主役を演じた佐藤友美を見て以来の感覚で、女性に心を心奪われていく展開に引き込まれた。釘付けされる心境だった。

キム・ベイシンガーの顔にどこか見覚えがある。子どもの頃の記憶か、映画雑誌のどこかで見たのか、リタ・ヘイワース(Rita Hayworth)の容貌だ。ちょっと釣り目の陰がある、我がままで奔放、意志の強そうなところが通じるよう。そして可愛い、不思議だね・・・そう思いませんか。

2014年1月23日木曜日

寒気の緩む気配して

最近、寒気の緩む気配がする。三寒四温には早過ぎるが、いっときでも春が近いと思わせてくれるのはありがたい。強張っていた体が、合わせるようにほぐれていくのを感じる。

春になれば、木々が幹中の水を走らせて若芽を膨らませるように、人の体も血流を巡らせるだろう。若ければ躍動に、年とればそれなりに元気につながる。おじさんは、ようやく背筋が伸びるというもの。

ところで人体を車に例えると、経年の痛みはあちこちキズや錆となって見つかる。よくぞ大きなトラブルもなく動いてくれたと思う。心臓は一時も休みなく脈打ち続けたのだから。人工物なら、そうはうまくいかない。随時の修理と定期的な部品交換が必要だ。生命体は丈夫だ、柔軟に内部から身を移し変えるのだから。

時として思うことがある。<セミ>は地中で幼虫に成長するのに「17年(アブラゼミは6年)」、地上に出て成虫として活動するのに「1-2週間(実際は、1ヶ月ほど)」という命であるが、彼らは一生をどう思っているのだろう。
そう、地中の孤独な時間だって、結構充実していたんじゃないだろうか・・・と。<セミ>にとって、人生の晴舞台は、もしかしたら地上に上がる時だったのかもしれないってね。

ぱあーっと明るく広がる直前は、何にも増して楽しい。

2014年1月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 長丞(チャンスン)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第39回として、日本の道祖神にも似た「長丞*(チャンスン、장승)」にまつわる話を紹介した。

    (*)長丞: 別名「将軍標」、近くでは高麗駅および高麗神社で二柱の境界標を見る。

まず始めに、長丞の姿と役割について次のような紹介から始まった。
・長丞は、手足もなく、ぶっきらぼうに突き立ち、顔だけギョロッと飛び出た目玉と、平べったい団子っ鼻が刻まれている。犬歯を突き出し、泣き笑いか分からない奇怪な表情だ。
・昔は村の入口に男女対の長丞が立ち、男の長丞は「天下大将軍」、女の長丞は「地下女将軍」の文字が体に刻まれ、村を守る役割をした。長丞の表情を滑稽・奇怪というが、見る人の心の投影かもしれない。訪れた人物が善良な場合はこれを歓迎し、悪徳な場合は足止めさせ戻るよう祈願して作られた。

▼ 「赤壁歌(적벽가)」*の中から「長丞打令(장승타령)」を聴く。敗走の曹操(조조)が長丞を押し倒したそうだが・・・

    (*)赤壁歌: 「韓国人の情緒に合わせて創作または修正された部分も多い」(Ko-wikipedia

この歌では、同じ木から生まれても、長丞となった不遇の身を嘆く。とはいえ、長丞は道端に立ち道標の役割も果たした。

▼ 「ピョン・ガンスェ(변강쇠)打令(타령)」を聴く。ピョン・ガンスェが長丞を薪にしてしまう・・・この歌でも、長丞はその身を嘆くとか。そこに、「横負歌」とかイロイロ情報が耳に入って・・・。ところで、歌声は読経の如し。

次に、長丞の起源や地域性について次のように解説された。
・長丞の起源や由縁について、確かなことは不明だが、古代の性器崇拝信仰や、民間信仰のひとつの「ソンドル(선돌/입석, 立石)」、「ソッテ(솟대)」の風習からという見方が有力のようだ。また、トッケビ도깨비)という鬼顔や、土俗的な仮面のイメージにつながるという考え方もある。
・長丞は、地域によって素材や顔の形が少しずつ違う。①湖南(ホナム:全羅南道と全羅北道の総称)や嶺南(ヨンナム:慶尚南道と慶尚北道の総称)の南道地方では石像が多く、平たく丸みを帯びた南方系の顔。②京畿道や忠清道地方では主に木像で、顔が長く目が切れ長で、鼻も長い北方系の顔。狭い国土の中、多様な文化が混じり合い発展したことを、長丞の顔つきからも推測できる。また、③済州島では、「トルハルバン(돌하르방)」と言われる石像が、長丞の役割を担った。このトルハルバンは本土の長丞の奇怪な姿と異なり、自愛に満ちた表情で、島に来る人々を迎える。

▼ 済州民謡「シナウェギソリ(신아외기소리)」を聴く。労働歌ながら子どもにも馴染みやすい歌で、今様編曲ながら楽しい。

2014年1月21日火曜日

40代、新しい文化消費の主役に

イ・ソンヒは、「旧暦」1964年11月11日生まれで「数え年」では50代とされるが、「新暦」に照らしてみると12月14日生まれのため、「満年齢」では現在49歳の40代である。
e-todayの記事「40代、大衆文化に応答する  少年の感性持った‘新世代中年’、新しい文化消費の主役に」(1/14、チェ・ドゥソン記者)は、韓国の40代が新しい文化消費の主役にという次のような紹介がある。(抜粋)

消費において新しい傾向であるが、流行の中身は復古調というのが特徴なのかもしれない。

ところで、若年と高年世代との狭間にある40代は、社会的に<現在の40代が、以前のような「安定的な階層」から「不安定な階層」に転落したという現実がある>という厳しい見方も他方にある。

(本ブログ関連:”40代”)
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・40代が大衆文化消費の中心層に浮び上がった。歌謡、映画、ドラマなどに復古熱風が激しい。 tvNドラマ「応答せよ1994」は文化産業全般的に大きい成功を収めたし、映画、公演界全般には初恋の思い出が主な素材として位置づけて1990年代を呼び戻している。

・昨年唯一の1000万観客映画「7号室のプレゼント」のリュ・スンニョンを始め、「雪国列車」のソン・ガンホ、「監視者たち」のソル・ギョング、「新世界」のファン・ジョンミン、イ・ジョンジェ、「かくれんぼ」のソン・ヒョンジュなど40代男性俳優の映画は、40代観客の好評に力づけられて全て興行に成功した。

・映画専門サイトのマックス・ムービー映画研究所発表は、2013年映画前売り観客分布資料によれは映画館客のうち、10代3.5%、20代24.2%30代40.5%40代24.9%、50代以上が6.9%を占め・・・「40代観客増加は、映画館客2億人突破を説明できる最も大きいキーワードだ。40代は家族単位観客でチケット購買量が20代より1~2枚さらに多い」と分析した。

・放送界では・・・やはり40代男性視聴者の共感を形成して新しい文化トレンドとして位置を確立した。

・大衆音楽界も同じだ。昨年「ハロー」を歌ったチョー・ヨンピルの突風の後にも40代ファンの「賓客(ひんきゃく)」があった。10年ぶりアルバムは40~50代消費者をレコード売り場とコンサート場に呼び入れ・・・20万枚の高い販売高を記録した。関係者は、40~50代が最もたくさん訪れたと説明する。

・キム・ナンド ソウル大教授は、最近発刊の「トレンド コリア2014」を通じて、「以前の中年世代のライフ・スタイルと決別を宣言した、新世代中年男性たちが文化の中心にある新しい40代は少年のような感性を持った『おとな子ども』たちだこれらは、既に社会的に強制された男性的イメージから抜け出して、美容・余暇・文化など多様な方面で消費の主役として位置を確立している」と40代の新しい文化消費主役での浮上を説明した。
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2014年1月20日月曜日

大寒2014 (冬哀傷)

今日は二十四節気最後の節気「大寒」である。次は二十四節気の最初に戻り、「立春」(2/4)となる。大寒は最も寒い時期といわれるが、ようやく一年の季節が一区切りされ、最終章を迎えたと考える方が先立つ。立春まで、ひと我慢である。

夕方の5時頃には陽が暮れて、一日が短くせわしく感じられたが、最近は5時過ぎでも薄明かりして余裕が出てきた感がある。夏のように、午後7時を過ぎても昼間の余韻が残っているのが理想だ。それなら、「白夜」なんか最高だろう・・・と思っても、その反対に「極夜」があって、うまい具合に我がまま通りにならない。地球が地軸を傾けて公転しているからだ。

寒い夜には、熱いラーメンがうまい。といっても、最近、夜食がきつくなってきた・・・。
ともあれ、ラーメンができあがるまでの時間に作詞したという逸話がある、5集所収の名曲「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)を聴いてみよう。まるで、氷世界が共振するような、透明感あふれる旋律も素晴らしい。そして、イ・ソンヒの安定感ある歌に聞き惚れる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面”、”冬哀傷”)


星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿
凍ってしまった悲しい後姿

(Youtubeに登録のksj25374110に感謝)