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2025年10月21日火曜日

高市早苗内閣総理大臣 初の女性首相

きょう、日本の憲政史上、初の女性総理大臣が誕生した。第104代内閣総理大臣(かつ、第29代自由民主党総裁)の 高市早苗氏だ。

■ Youtube(登録: 産経ニュース)
「高市早苗新首相、皇居で親任式」(2025/10/21)・・・ 音声はありません
    ー https://www.youtube.com/watch?v=hrNq6ncfPME
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衆参両院の首相指名選挙で選出された自民党の高市早苗総裁は、21日夜、皇居・宮殿「松の間」での親任式に臨んだ。天皇陛下は、高市氏に「内閣総理大臣に任命します」とお言葉を述べられた。
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就任会見
■ 首相官邸
「高市内閣総理大臣記者会見」(更新日:令和7年10月21日)
    ー 冒頭発言および記者会見(所属会社と名前を明示)の<動画>と<テキスト>も併載
    ー https://www.kantei.go.jp/jp/104/statement/2025/1021kaiken.html


海外の反応
ところで、海外の反応について知りたく、ネットに掲載の海外の新聞記事*の情報を探した。
(*)海外記事: 出典のリンク先を下記紹介文に付した。内容は詳細であり、必ずしも角度がついているわけではない。

■ 朝日新聞記事
「高市首相誕生、海外メディアも反応 『初の女性』『強硬な保守』」(2025年10月21日 20時46分)
    ー https://www.asahi.com/articles/ASTBP3T3BTBPUHBI01TM.html
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 自民党の高市早苗総裁の新首相選出は21日、海外でも一斉に報じられ、諸外国から様々な反応が示された。日本で初の女性首相誕生をたたえる報道がある一方で、対外強硬路線への懸念もにじむ。

 米ニューヨーク・タイムズは「初の女性首相。ヘビーメタルのドラマーで保守強硬派」との見出しで速報。英ロックバンドの「アイアン・メイデンのファン」との人物像も伝えつつ、「(元首相の)安倍晋三氏のように日本を右へ導こうとしている」との見方を示した。
    ー https://www.nytimes.com/2025/10/21/world/asia/sanae-takaichi-japan-prime-minister.html

 英BBCは、高市氏がサッチャー元英首相への憧れを公言してきたことから、「高市早苗はずっと日本の『鉄の女』になりたがっていた」と伝え、同性婚や選択的夫婦別姓に反対するなど、「一貫して強硬な保守」と評した。
    ー https://www.bbc.com/news/live/cy0ypj0nrgkt

(以下略)
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これから政治・経済に大きな変革をもたらすことになるだろう。下世話ながら、明日の株価に早速反映されるだろう。

(追記)
■ Youtube(登録: カナダ人ニュース)
「10.21 高市政権発足を、海外メディアはどう報じているのか?」**(2025/10/22)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=vzMES48Xidc
(**)日本のメディアが追随する米(カナダ)のメディアは、高市氏の政治姿勢について「極右」の表現をしていないとのこと。

(追記)
■ Youtube(登録: 長谷川幸洋のNEWSチャンネル)
「【高市政権による包囲網 片山ダブル起用で斬り込む!】『財務省vs政府効率化局***』」(2025/10/22)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=G2V3YPqdNDY
(***)政府効率化局:米トランプ政権が設置し、イーロン・マスク氏をトップにした「政府効率化省(Department of Government Efficiency - DOGE)」と類似の機関。

(追記)
■ Youtube(登録: プク太の世界時事ニュース)
「極右だ!強硬保守だ!左派メディアが嫌味たっぷりで伝える中、フロリダ州知事が高市早苗首相を称賛!CNNに正論をぶちかましてしまう【海外の反応】」(2025/10/24)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=Ia8zUMJhRhE

2022年10月26日水曜日

(資料)野田元首相の安倍晋三元首相に対する追悼演説 全文

昨日(10/25)、立憲民主党の野田佳彦元首相は、暴力に倒れた故安倍晋三元首相に対する追悼演説(産経新聞掲載掲載)をおこなった。以下全文を転載させていただく。感謝。
(テレ東BizのYoutube映像: https://www.youtube.com/watch?v=aWpTyWZWOwY )

(本ブログ関連:”安倍総理安倍首相”)

産経新聞
「野田元首相の追悼演説全文」(2022/10/25 13:57)
ー 立憲民主党の「野田佳彦元首相」は25日の<衆院本会議>で、参院選の応援演説中に銃撃され、死去した自民党の「安倍晋三元首相」に対する<追悼演説>を行った。
https://www.sankei.com/article/20221025-EDM7VVDAVBJU5BYWHCGHBJHCLY/
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本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選挙候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

わが国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。

挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時、内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇(かたき)のような政敵でした。

攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控え室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄(やゆ)することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙(たいじ)した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません

あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています

暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか

真摯(しんし)な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱(きょうじん)なものへと育てあげていこうではありませんか

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃(たお)れた故人へ、私たち国会議員がささげられる、何よりの追悼の誠である私はそう信じます

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元内閣総理大臣

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます

安倍さん、どうか安らかにお眠りください
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2022年9月27日火曜日

安倍元総理国葬儀の一般献花

本日(9月27日)、北の丸公園の日本武道館で午後2時より、元総理大臣の故安倍晋三氏の国葬儀がとり行われた。わたしたち一般の献花は、会場の外、靖国通りに沿った九段坂公園に張られたテントで受け付けられた。
(国葬の参列者4183人、一般献花者2万5889人 政府発表)

(本ブログ関連:”安倍総理安倍首相”)

昼すぎ、献花に出かけた。膝痛を気にしつつ、一歩一歩気を付けながら電車を乗り継いだ。大変な混みようで、実際、半蔵門駅から人の流れが続き、内堀通りを南下し、半蔵門交差点で折り返して九段坂公園の献花台へたどり着いた。わたしには少々きつい道のりだったが・・・汗だらけになった。

途中の駅で求めた献花を、献花台に供えることができた。

献花台付近の写真撮影は禁じられていたので、帰り道、九段下駅近くの坂道から武道館を背に「故安倍晋三国葬儀場」の案内が見える光景を撮った。


夕方、家に着いたとき、膝の調子に変化がなかった。ふだん、遠出をひかえていたのに、今回ばかり随分と気張ったせいだろうか。とにかく、一仕事したような安堵感がある。

(資料)
TBSテレビ
「『総理、あなたの判断はいつも正しかった』安倍元総理国葬 “友人代表” 菅義偉前総理の追悼の辞【弔辞全文】」(2022年9月27日(火) 15:07)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/164404?display=1

“友人代表” 菅義偉前総理の弔辞
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七月の、八日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

悔しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。―― これが、あなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感いたしました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。

三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。

どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。

私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国日本にとっての、真のリーダーでした。

衆議院 第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。

ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。


かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。

どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前 内閣総理大臣、友人代表 菅義偉
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朝日新聞Digital(抜粋)
「国葬の参列者4183人、一般献花者2万3千人 政府発表」(2022年9月27日 20時00分)
https://www.asahi.com/articles/ASQ9Q5J5PQ9QDIFI009.html
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19:10 国葬の参列者4183人、一般献花者2万3千人 政府発表
政府の「国葬儀事務局」は国葬の参列者が4183人、一般献花者が約2万3千人(午後6時時点)と発表した。いずれも速報値。
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(一般献花者数は、次の「時事ドットコムニュース」の通り更新)


時事ドットコムニュース
「安倍氏国葬、2万5889人が献花 政府」(2022年09月28日12時02分)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022092800509&g=pol
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磯崎仁彦官房副長官は28日の記者会見で、安倍晋三元首相の27日の国葬をめぐり、一般献花に2万5889人が訪れたと発表した。献花台は、国葬会場の日本武道館に近い九段坂公園に設置され、午前9時半から午後7時ごろまで受け付けた。
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NHK NEWS WEB(抜粋)
「安倍元首相「国葬」一般向け献花 午後7時半ごろに終わる」(2022年9月27日 21時10分)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220927/k10013838811000.html
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四ツ谷駅近くまで長い列 “献花まで3時間以上”
午後2時半の時点で、列の最後尾は献花台からおよそ3キロ離れた東京 新宿区の四ツ谷駅の近くまで続いていました。
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2022年7月14日木曜日

(報道) 安倍元首相の国葬 今年秋に

本日夕方、岸田首相は記者会見で、安倍元首相の国葬を今年秋に執り行うと発言した。

(本ブログ関連:”安倍 首相||総理”)

FNNプライムオンライン
「【速報】岸田首相 安倍元首相の国葬表明 新型コロナ『行動制限しない」」(2022.7.14、18:16)より抜粋
https://www.fnn.jp/articles/-/389316
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・会見は午後6時過ぎから始まり、岸田首相は冒頭、亡くなった安倍元首相について、「憲政史上最長の8年8カ月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力を持って、厳しい内外情勢に直面するわが国のために、総理の重責を担った」として、安倍元首相の「国葬」を2022年の秋に執り行うことを表明した。
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(追記) 7/20
NHK
「安倍元首相の『国葬』9月27日 日本武道館実施で最終調整 政府」(2022年7月20日)より抜粋
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220720/k10013727231000.html
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政府は参議院選挙の応援演説中に銃で撃たれて亡くなった安倍元総理大臣の「国葬」を9月27日に東京の日本武道館で行う方向で最終調整に入りました。
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(追記-米上院議院) 7/15
朝日新聞デジタル
「米上院で安倍氏の功績たたえる決議案提出 過去にはマンデラ氏らも」(2022.7.15、7:00)より抜粋
https://www.asahi.com/articles/ASQ7H254VQ7HUHBI005.html
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・安倍晋三元首相が銃撃されて亡くなったことを受け、米議会上院では13日、安倍氏の功績をたたえる決議案が提出された。提出者は前駐日米国大使のハガティ上院議員ら。超党派の70人近くが共同提出者に名を連ねており、近く本会議で採択される見通しだ
・決議案は、安倍氏を「一流の政治家で、世界の民主主義的価値観の不断の擁護者」だとした上で、「日本の政治、経済、社会、そして世界の繁栄と安全保障に忘れがたい足跡を残した」とたたえている。
・米上院決議では過去に、英国のサッチャー元首相や南アフリカのマンデラ元大統領らの追悼決議が採択されている。
(ワシントン=下司佳代子)
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(追記-米上院議院) 7/22
朝日新聞デジタル
「安倍氏の功績たたえる決議案、米上院が全会一致で採択」(2022年7月22日)より抜粋
https://www.asahi.com/articles/ASQ7Q15JNQ7PUHBI03M.html
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米議会上院20日、銃撃を受けて亡くなった安倍晋三元首相をしのび、功績をたたえる決議を全会一致で採択した。前駐日米国大使のハガティ上院議員(共和党)が起草し、超党派の68人が共同提出者に名を連ねていた。
(ワシントン=下司佳代子)
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2022年7月8日金曜日

(報道)安倍晋三元首相が亡くなった


安倍晋三元首相が亡くなった。国内的にも国際的にも深い影響をもたらす気がする。

(本ブログ関連:”安倍 首相||総理”)


(追記) 7/18追記
日テレNEWS
8日ニューヨーク 「【安倍元首相死去】国連安保理で黙とう 理事国15か国の代表ら全員が起立」
https://www.youtube.com/watch?v=qGbFJXhaYLg

2020年8月30日日曜日

(資料)2015年4月「米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説」

米国連邦議会上下両院合同会議における 安倍総理大臣の演説
「希望の同盟へ」(2015年4月29日(米国東部時間))
(外務省: https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html )
(英語版: https://www.mofa.go.jp/na/na1/us/page4e_000241.html )

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はじめに

 議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、
 1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。
 「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。
 以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。
 申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。
 皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。
 マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。
 民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。
 キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。
 私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

アメリカと私

 私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。
 家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル-フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。
 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。
 デル-フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。
 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。
 上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。
 ――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。

アメリカ民主主義と日本

 私の苗字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説*の有名な一節に求めてきたからです。

(*演説: 「人民の人民による人民のための政治」 )

 農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。
 日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

第二次大戦メモリアル

 先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。
 一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。
 その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。
 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。
 歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。
 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

かつての敵、今日の友

 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。
 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。
 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。
 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。

アメリカと戦後日本

 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
 アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
 焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。
 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。
 下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

TPP

 こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。
 日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。
 太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。
 許さずしてこそ、自由民主主義法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。
 その営為こそが、TPPにほかなりません。
 しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。
 経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私達の子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。
 日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

強い日本へ、改革あるのみ

 実は…、いまだから言えることがあります。
 20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。
 ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。
 日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。
 私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。
 世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。
 人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。
 日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。
 親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。
 日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

戦後世界の平和と、日本の選択

 親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。
 省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。
 日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。
 この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

地域における同盟のミッション

 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。
 日本は豪州、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。
 日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。
 日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。
 アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。
 第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。
 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。
 そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私達には、その責任があります。
 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。
 この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。
 戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。
 ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。
 いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。
 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。

日本が掲げる新しい旗

 1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。
 その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。
 これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。
 国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。
 人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。
 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。
 いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。
 繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。
 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。
 日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。
 自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

未来への希望

 まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。
 「落ち込んだ時、困った時、...目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。
 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。
 そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。
 私たちには、トモダチがいました。
 被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。
 ――希望、です。
 米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。
 希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。
 ありがとうございました。
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キャロル・キング:君の友達(You've Got a Friend)【訳詞付】

(Youtubeに登録のfreepasportに感謝)

2019年4月30日火曜日

退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば

今までなれ親しんだ「平成」の元号は、明日から「令和」にかわる。それにともない、今上天皇陛下が退位されることになり、「退位礼正殿の儀」で次のようなおことばがあった。

退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば(宮内庁、平成31年4月30日)*
(*)宮内庁: http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/46
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   今日(こんにち)をもち,天皇としての務めを終えることになりました。

   ただ今,国民を代表して,安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に,深く謝意を表します。

   即位から30年,これまでの天皇としての務めを,国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは,幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ,支えてくれた国民に,心から感謝します。

   明日(あす)から始まる新しい令和の時代が,平和で実り多くあることを,皇后と共に心から願い,ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。


(英文: Addresses by His Majesty the Emperor)

Today, I am concluding my duties as the Emperor.

I would like to offer my deep gratitude to the words just spoken by Prime Minister Shinzo Abe on behalf of the people of Japan.

Since ascending the throne 30 years ago, I have performed my duties as the Emperor with a deep sense of trust in and respect for the people, and I consider myself most fortunate to have been able to do so. I sincerely thank the people who accepted and supported me in my role as the symbol of the State.

I sincerely wish, together with the Empress, that the Reiwa era, which begins tomorrow, will be a stable and fruitful one, and I pray, with all my heart, for peace and happiness for all the people in Japan and around the world.
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