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2017年9月14日木曜日

(雑談)電動アシスト自転車

歳をとって気付くのは、歩きが遅くなること。駅まで、若い頃に比べて、1.5倍ほど、いやもっとかもしれない、時間が掛かるようになった。とうとう、若い女性にも追い抜かれるのが平気になってしまった。まさか、こうなるとはねえ。

自転車の場合もそうだ。最近、あれよという間に先を越される。特に、電動アシストのママチャリが多い。おじさんたちの会話で知ったのは、電動アシスト自転車は、15~20Km/hくらい速度を出せるという。さっさと追い抜いて行くのは結構だが、小さな子どもを乗せているのを見ていてハラハラするばかり。

(本ブログ関連:”自転車”)

自転車屋の店頭に並ぶ電動アシスト自転車を見ると、6,7万円~12万円ぐらいの価格帯だ。付属のマニュアルに、バッテリー交換の目安として1.5年~2年ぐらい。バッテリーの値段をネットで調べれば、3万円前後とある。

廉価版の(子どもを乗せない)ママチャリは、1万円~2万円程度。それと比べて、電動アシスト自転車のコストパフォーマンスはどうだろう。

しかし考えてみれば、幼児を抱える若い家族にとって、子どもの急病や、子連れの外出に、まず自動車が必須だろうし、子どもが幼稚園や保育園へ通うのに電動アシスト自転車は随分と役立つはず。そう算段すると、無駄ではないことになる。

一方、おじさんにとって、電動アシスト自転車はどうだろうか。・・・それが、電動アシスト自転車に乗っているおじさんをさっぱり見ないのだ。どうも、男は見栄っ張りなのか、意地っ張りなのか、弱みを見せたくないのだろう。エレキテルに頼るなんて。

そんなわけで、電動アシスト自転車に心傾いたものの、見栄が勝る結論に達したようだ。

2017年9月13日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」船遊び

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「船遊び」に関連する曲を紹介した。

始めに、金弘道(김홍도、1745年~1806年頃)が描く「月夜船遊図(월야선유도)」について次のように紹介された。
・夏が過ぎ、秋の雰囲気が漂う頃、昔、川に船を浮かせて船遊びした。景色だけでなく、妓生や歌い手と風流を楽しんだ。船遊びの様子を描いた絵がある。朝鮮後期の画家「金弘道」による、平壌の監察使が夜、船遊びする「月夜船遊図」だ。華やかで大きな船を中心に、幾艘も小船が浮かび、船遊びに興じる人びとの他に、川辺でそれを見物する者もいる。楽しい見ものだったようだ。

▼ 「新しい船遊び(신 뱃놀이)」の曲を聞く。楽器の掛け合いが楽しい、今様に。

次に、中国宋代の詩人蘇軾の「赤壁賦」を引用した女唱歌曲「壬戌の秋(임술지추)」について次のように紹介された。
・中国宋代の詩人「蘇軾」は、文賦「赤壁賦」で知られる。彼は、ちょうど秋の初め、島流しにあう。その地を知人が訪ねたところ、川に船を浮かべ、船遊びすることになった。<清風穏やかに吹き、穏やかな川>で、<酒を挙げてすすめ、歌を楽しむ>内容で風雅な気がする。「赤壁賦」を引用した、女唱歌曲「壬戌(じんじゅつ)の秋」がある。<蘇軾のように風流を楽しむ友がいないので、ただ一人で楽しむ>という内容だ。

▼ 「壬戌の秋」の歌を聴く。(20世紀初頭の短歌(パンソリ喉慣らし曲)か?)

最後に、「尹善道(윤선도、1587年~1671年)」が「甫吉島(보길도)」で作った「漁父四時詞(어부사시사)」について次のように紹介された。
・船遊びはいかに楽しくても、毎日出かけるものでない。たまのイベントに満足できぬ人もいる。学者ソンビに、漁師になろうとする者がいた。川辺や海辺で生活しながら、暇に釣りをして素朴に生きる。島流しを繰り返した「尹善道」は、老後官職を捨て、南の「甫吉島」で暮らした。そのとき作ったのが、漁師の春夏秋冬を歌った「漁父四時詞」だ。
・春について、引き潮の後に満ち潮、春にふさわしい花の様子、漁師の暮らしだけでなく、季節の変化も楽しめる。

▼ 「漁父四時詞」の春、<小川の朝霧の後に日が昇ると、船を浮かばせる>にリズムをつけた同名曲を聴く。今様に。

2017年9月12日火曜日

イ・ソンヒのカバー「少女と街灯り」

両親の問題で離ればなれになっていた、兄(チャン・ヒョン)と妹(チャン・ドク)は、再会して仲のいいデュエットを結成する(1974年)。その後しばらくして、舌癌に倒れた兄の看病に疲れた妹は痛ましい最後を遂げる(1990年)。兄もそれを追うように、半年後に亡くなる。

チャン・ドクは、未遂とはいえ、それまでに何度かその傾向があったようだ。

(本ブログ関連:”チャン・ドク”)

そんな話しを少し聞き知って、チャン・ドクが中学2年生のとき作詞・作曲した「少女と街灯り(소녀와 가로등)」(1977年)を聞けば、< 悲しみに疲れて、星ひとつない夜空を眺める > 憂いの深い少女が浮かんでくる。

次は、イ・ソンヒのカバーである。イ・ソンヒにもあった悲しいできごとが聞こえてくるような気がする。


(Youtubeに登録の님의침묵に感謝)

2017年9月11日月曜日

イ・ソンヒ 9/27 シドニーオペラハウス コンサート

イ・ソンヒは、今年(2017年)の海外公演として、5/20のロスアンゼルスに続き、今月9/27、シドニー オペラハウス コンサートホールにて、コンサート ”The Great” を開催する。

(本ブログ関連:”シドニー”)

シドニー現地マネジメント会社、JKEntertainmenのサイトに、同コンサート紹介とチケット申込画面がある。

★ コンサート案内:  https://www.leesunheejk.com/

2017年9月10日日曜日

(寓話)熊撃ち名人

こんな寓話を考えた。決してマスコミ世界を暗喩しているつもりはない。
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あるところに熊撃ちの名人Bがいた。彼は、熊の習性とその獣(けもの)道をよく知り、待ち伏せしては数多く仕留めていた。それでも欲が止まず、猟場を共にする猟師仲間Sをライバル視するようになった。

あるとき、猟師Sの後をそっとつけた。Sが、数日後に狩りをする場所を下見するのを知っていたからだ。出し抜くチャンスと思った。だが、Sはとっくに気付いていた。そうとも知らず、猟師Bは盗み見を繰り返した。

あるとき、猟師Sから、仲間の前で卑怯な振る舞いをしたことを白日にさらされた。名人を自称する猟師Bはたまらず、猟場はみなのものといって否定して白を切った。

猟師Bは、山を降りて、日頃くちうるさい麓の村人たちの騒ぎを好機と加わり、まるで村の衆になったように行動した。そして、身を潜めて時を待った。

村の騒ぎが治まったころ、猟師Bは新しい猟銃を手に、ひそかに山に戻った。そして、誰もが知る大きな人喰い熊を撃ち倒すのに成功した。猟師仲間も村人たちもみな喝采した。久し振りに、猟師Bは酔った。彼は、まさに、その機を見計らったように、猟師Sに卑怯な振る舞いをしたことを人陰で謝罪した。
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2017年9月9日土曜日

桐生祥秀選手、100m 9.98秒

テレビでニュース速報が流れたほどのこと。日本陸上男子100mが、いよいよ9秒台に突入した。今年の「世界陸上」100m代表選落ちした、桐生祥秀(よしひで)選手が、まさに挽回するかのように、日本人選手として初の9秒台を記録したのだ。

時事通信の記事「桐生、9秒98の快挙=日本勢初、10秒の壁突破-陸上100メートル」(9/9)は次のように報じている。(抜粋)
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福井市の福井運動公園陸上競技場で9日行われた陸上競技の日本学生対校選手権男子100メートル決勝で、桐生祥秀(21)=東洋大=が日本選手で初めて10秒の壁を破る9秒98(追い風1.8メートル)の日本新記録を樹立した。
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走るという、誰もがやったこと。だから、その凄さは誰でも分かるはずなのに、余りな超人的記録ゆえ、再び靄がかかってくる。身近に見ることのない世界、強靭なアスリートの闘いだからだ。

これから日本男子100mは、9秒台を競うことになる。こんなときが来るなんて。21歳の若者はそれを成し遂げた。元気をいただいたよ、本当にありがとう。凄い、凄すぎる。


(Youtubeに登録のEKIDEN NEWSに感謝)

2017年9月8日金曜日

今年も残り1/4

毎度のことながら節目ふしめに、一年の経過を「リンゴ」の実の食べ具合に例えている。9月に入れば今年も残り1/4、あと4ヶ月しかない。3/4も食ってしまったことになる。それにしても、秋になったばかりというに、新聞広告には、正月の「おせち料理」の予約広告が掲載され、店には来年の「カレンダー」が並び始めた。

(本ブログ関連:”リンゴ”)

書店に、年賀状印刷のムック誌が平積みされるのも遠くない。その前には、なぜか若者が好きな「ハロウィン」、子どもたちに待ち遠しい「クリスマス」があるというに。そして、渾然一体となって年末を迎え、元旦には、神社に初詣に行く。

ところでリンゴについて、戦後、再生と復興を願った、並木路子、霧島昇の「リンゴの唱」(作詞サトウハチロー、作曲万城目正、1946年1月)がある。リンゴは癒しであり、ある意味出発点でもある。


(Youtubeに登録のuchukyoku1に感謝)

さて、今日のテレビの重大ニュースに、「太陽フレア」の話題があげられた。週刊誌の大スクープとでもいうべき、もっと世俗な関心ごとがあったけれど、その順位を下げるためか「磁気嵐」の方に焦点が当てられた。結局、東京でオーロラが見れるわけじゃなし、その場限りになりそうなものを。

2017年9月7日木曜日

白露 2017

きょうは二十四節気の「白露」。旧暦、新暦の入り混じりから起る混乱だろうか、残暑のせいか夏の気配も冷めやらず。白露から《露が生じるころ》の意が馴染めない。なにしろ今日は、旧暦でいえばまだ7月17日なのだから。

(本ブログ関連:”白露”)

「白露」の言葉から「白露西亜(ベラルーシ)」が浮かんでくる。しかし、ベラルーシの国について茫(ぼう)としてよく知らない。地理的に東西南北を、ロシア、ポーランド、ウクライナ、バルト三国(のラトヴィア、エストニア)に囲まれていること、国境線間近にあるウクライナ側「チェルノブイリ」の原子力発電所事故による被災国だったということくらいだ。

(本ブログ関連:”ベラルーシ”、”ウクライナ”)

どんな国なのか知るため、まずは手軽に、ベラルーシで開催されたと思われる「日本語スピーチコンテスト」のYoutube映像を視聴した。発表者が日本語で語るのを聞いて、なんとなく身近に感じてみよう。それが一番の近道。

(それにしても日本語が大変上手ですね)

(Youtubeに登録のベラルーシ国立大学日本語科・古澤晃講師に感謝)

(付記)
上記登録者の古澤晃氏は、ベラルーシ在住だからこそ語れる言葉があって、被災地を知るため現地を視察した「善意の観察者」日本人たちと、「見られる側の被災者」との微妙な関係を報告されているようだ。
日本では、公害被害者への補償に対する周辺住民の見方・とらえ方、また、反公害運動に加わった結果、現地に土着した学生たち。「善意の観察者」たちの言葉とは違った、いろいろなものの見方があることを忘れてはならない。

2017年9月6日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」初数大葉

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「初数大葉」ほか関連する曲を紹介した。(Web音源が前々回のため、英語版放送の音楽を参考にする)

始めに、「伽倻琴(カヤグム、가야금)」作成の祖、伽耶の「于勒(ウルク、우륵)」について次のように紹介された。
・6世紀半ば、古代国家伽耶の「于勒」は、中国の箏を模した「伽倻琴」を初めて作り演奏した。彼は、伽耶が新羅に滅亡されると、伽倻琴と共に新羅に亡命する。新羅王真興は彼を受け入れ、若者たちを彼の弟子にしたが、彼らは于勒の音楽を改編し自分好みに奏でた。伽耶の文化を台無しにされたと感じたのか、于勒は怒ったが、弟子たちの演奏に感嘆したともいう。
・残された記録から、于勒や弟子らの音楽を想像するのは難しい。滅びた国の音楽を継承させるために弟子たちを育てたのか、或いは弟子たちの音楽が素晴らしかったのか。楽しくも楽し過ぎず、悲しくも悲し過ぎぬ音楽。感情を刺激するより、安定的な音楽を好んだ。

▼ 伽倻琴演奏で、伝統正楽曲「数大葉(수대엽)」の最初の「初(초)数大葉」を聴く。空気に溶け込むよう。

次に、世宗大王が直接作曲したといわれる「宗廟祭礼楽(종묘제례악)」について次のように紹介された。
・朝鮮時代、世宗大王の作曲といわれる「宗廟祭礼楽」がある。最初は、王室の宴で奏でたという。それを息子の世祖が手を加え、祭祀を捧げるときの音楽として演奏し始め、今日にいたる。平和な世を願う気持ちが込められている。

▼ <ゆっくりと雄々しく優雅なテンポとリズム>の「宗廟祭礼楽」を聴く。雅楽を思わせる雅さ。

最後に、貴族音楽とは別に、民の音楽について次のように紹介された。
・伝統音楽は、貴族音楽と民の音楽に二分される。上記の2曲の節制した貴族音楽に対して、民の音楽は感情の変化に満ちる。民は、心と体が反応する、感情を刺激する音楽に惹かれただろう。貴族と民の両方、それぞれの目的に合った音楽だった。

▼ 民俗音楽を代表する、横笛の大笒(대금)による「元長賢(원장현)流、大笒散調(산조)」を聴く。洗練されている。

2017年9月5日火曜日

待宵草

マツヨイグサ待宵草)」は、初夏から晩秋にかけて黄色い花を咲かす。その仲間に白い花弁の「ツキミソウ月見草)」がある。いずれも名前だけは、しっかり頭にあるものの、実際、いつ何処で見たかはっきりしない・・・けれど、見たような気分だけは確かにある。

この「待宵草」の文字を並べ替えて作られた、竹久夢二作詞、多忠亮作曲の「宵待草」(1917年、大正6年)は、微風に揺れ動く待宵草のイメージの通り、儚(はかな)げである。旋律からして、いかにも大正浪漫の香りする。夢二の周りの女性を写真で見れば、彼の挿絵に似た雰囲気がある。当時、美人にあげられた柳原白蓮のごとく、実はもっと奔放な女性たちだったのかもしれない。単に、夢二がだらしなかっただけかもしれないが。時代は斯様に作られる。

(本ブログ関連:”竹久夢二”)

元は、或る女性との再会を期待した夢二の原詩があってのことだそうだが、歌曲になれば、夢二式美人に似つかわしい、いかにも消え入りそうで華奢な女性が、月明かりのない夜を待ち続けるイメージする。

ちなみに、端唄の「秋の夜」は、丸い月明かりのもとで男を待つ女性が浮かんでくる。端唄という江戸の気風を漂わせ、どこかおおらかで、のんびり構えた世界。(「秋の夜」のYoutube登録者の注記によれば、また違った場面が想起されるが)


(Youtubeに登録のakiraplastic5、ototatchinuru18に感謝)

2017年9月4日月曜日

ヤン・スギョン「イ・ソンヒが曲を書いている」

以前、耳にしたことのあるメロディ、聞けば思い出すが、さていつ何処で? そんな歌に、ヤン・スギョン(양수경)のトロット風味のある「あなたはどこにいるの(당신은 어디 있나요)」(1990年)がある。ヤン・スギョンとイ・ソンヒの深い友情については、以前ブログに紹介している。ちなみに、ヤン・スギョンはイ・ソンヒより一つ歳下で、1965年生まれである。

(本ブログ関連:”ヤン・スギョン”)

その彼女が、3日午後放送のMBC「セクションTV芸能通信」で次のように語ったと、中都日報の記事「『セクションTV』 ヤン・スギョン、これからの活動計画は? ”イ・ソンヒが曲を書いている” 」(9/4)は伝えている。(抜粋)

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ヤン・スギョンは、イ・ソンヒと親しいあいだがら。これについて彼女は、「イ・ソンヒは、最も苦しかった時、何も言わずに『通帳番号、知らせて』と語る友」と話した。それと共に「ソンヒが私の曲を書いている。イ・ソンヒの曲で、そのうちにご挨拶するだろう」と表明した。
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来る8~10日に、ヤン・スギョンのコンサートがあるという。そのとき、イ・ソンヒの作った曲が聞けるかもしれない。

2017年9月3日日曜日

(雑談)雑誌を分冊すること

昔、「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」といった週刊少年漫画雑誌が華やかなころ、連載漫画ごとに雑誌をバラして合冊するという、面白い工夫をする奴がいた。週刊誌の紙質と同じサイズのままもう一度読み返せるのがみそだ。それを、兄弟で楽しんでやっていたという。漫画雑誌は読み捨てのようなものだったが、好みの連載を合冊するアイデアに感心した。(私はいい読者じゃなかったので、そのようなチャレンジをしなかったが)

また、どこかで聞いたか読んだ話しだが、ある作家が旅の途中、(月刊)文芸誌を読むのに部厚過ぎるので分冊して、手軽にして読むという。なるほど、それもうなづける。

私も真似して、一通り読んだ雑誌(例えば月刊誌「文芸春秋」)をしばらく置いておくが、廃棄する前に手ごろの厚さにバラしている。それを家の中のあちこちに置いて、気が向いたら拾い読みする。

面白いことに、ちょっと前の話題について、その時期らしく書いているが、やがて時間が経過して、今となってそれが果たして正確に世情を読みとっていたのか判定するという楽しみがある。じっくり書き込んでいるもの、散文程度の流し書きも含めてどうであれ、寄稿者の感度が分かるようで、皮肉な読者の目を養ってくれる。


(付記)
鉱物採集をしばらく休んでいる。久し振りに石仲間と会食しようと選んだ、おじさんにぴったりの、カレー屋も喫茶店も日曜休店とは・・・。

2017年9月2日土曜日

狐にだまされる

随分と涼しい一日、半袖から長袖に変えて過ごした。こうなると冷蔵庫の麦茶を忘れ、熱い緑茶を飲んでほっとする。この変わり身の早さ、自然さに驚く。

それでも、はた目に今までと違った動作をしているわけだが、自分は変わっていないと主張する。ついには苦しまぎれに「狐にだまされた」といいわけするしかないのか、本当にそう思っているのか。

山暮らしの長い猟師でさえ、猟場の道筋を間違えることがあるという。しばらく振りに入った山道で行方不明となり、ようやく戻ってくれば「狐にだまされた」ことで結着する。回りがそういい、本人もやがてそう思い込む。みな納得する。

(本ブログ関連:”山怪”、”黒部の山賊”)

山道で一休憩がいけなかったのか、一瞬のめまいか白昼夢か、意識が遠のいて目の前の光景がゆがみ、記憶とは別の道に誘い込まれる。自分は変わっちゃいないと歩き出し、そして道に迷う。

過信は、そうはいっても漠然としたものでしかない。景色が変わっているのに、思い込みにこだわるなら、「狐にだまされた」という結果を待つしかない。

2017年9月1日金曜日

イディッシュ語カセットテープ届きました

先日予約した、「イディッシュ語カセットテープ」が届いたと地元書店から連絡があった。携帯カセットプレイヤーを準備して出かけたのはいうまでもない。プレイヤーを手にするのは何年振りだろう。困ったことに乾電池が入ったままの状態。当然ながら化学変化していた。乾電池をこさぎ出し、新しいものに入れ替えたところ大丈夫だった。アナログ機器の凄さ、しっかり作動してくれたのだ。

書店で受け取ったカセットテープを、何処で聞こうかと思案する。図書館の学習室では、再生・停止ボタンの動作音がカチャ・カチャとうるさいだろうし・・・ということで、近所の公園にあるテラスで、風に涼みながら試し聞きした。(ヤブ蚊多く3ヶ所刺される)

男性の音声で、テキストの最初からしっかり対応して吹き込まれている。第1章以降の会話編は、速さが<ゆっくり>、<普通>の2種類が収められている。(贅沢いえば、会話を別々の声だと楽しいけれど)

音声を小出しに、リピートを繰り返しできるといいのだが。カセット音源をMP3プレーヤーで聞けるよう、変換できたらいいのだが。そんなデバイスもあるようだ・・・でも、昔はカセットに入魂集中して聞いたものだ。そう考えると、じっくり聞くことから始めようかと思う。

(付記)
今日は、「防災の日」、1923年(大正12年)9月1日に発生した「関東大震災」の日でもある。あまりにも有名な「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉をあらためてかみしめる。

二百十日 2017

子どものころ、台風の記憶といえば、親父が雨戸を釘で打ちつけて待ち受けたこと、伊勢湾台風を経験した転校生に被害をたずねるのを小学生ながらはばかれたこと。大人になって、居住地域のせいもあるが、最近思ったほどでないと楽観している。

温暖化の影響か台風の進路が一回転したり、強風になったりして様変わりした感がある。迷走というか、うろうろというか。「二百十日」と重なり台風時期とはいえ、その様態が微妙に変化しているのが気になる。

(本ブログ関連:”二百十日”)

台風15号は、いつまで小笠原諸島、父島周辺に居座るのだろうか。早く去れといいたいし、同時にこちらに近寄っても欲しくない。「ウェザーニュース」(8/31)によれば、「8月の台風存在日数は歴代2位を記録」しており、「9月前半は台風の発生ピーク」で注意すべきとのこと。

この一帯、真っ直ぐな道が続き、平らな場所と思っていたが、市の「浸水予想区域図」を見ると意外に凹凸があるのに気付く。

2017年8月31日木曜日

イ・ソンヒ「この雨やんだら」

雨の日だから、久し振りにイ・ソンヒの7集所収の「この雨やんだら(이 비 그치면)」(1991年、作詞/作曲ソン・シヒョン)を聴く。彼女らしい透明感あふれる美しい曲だ。それを編曲者は高音弦とガラス楽器だろうかを見事に駆使して飾っている。
(CDアルバムには編曲者名が不明だが、maniadbにクレジットがあって編曲者3名が記されている・・・どなたか)

今日のこの雨模様、いつ降り始めるのか、いつまで続くのか気掛かり。おじさんは雨を口実にするが、若い恋人たちにはそれが舞台。まったく違って見えるんだね。夏休みもそろそろ終わり。

(本ブログ関連:”この雨やんだら”)


この雨やんだら、あなたに行きますよ、
あなたよ少しだけ、待っててください

霧が晴れたら、私は見えるのよ、
あなたよ少しだけ、とどまってください

*濡れた顔であなたを見られません、
こんなに悲しい顔では、なおさら

この雨がやめば、その美しい陽射しが、私にも光を与えるよ、
その時は、私も笑えて、私の涙も止まるよ

(*以下、繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年8月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」桐

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「桐の木」に関連する曲を紹介した。

始めに、「男唱歌曲、言楽(남창가곡 언락)」の歌詞から学者ソンビと鳳凰について次のように紹介された。
・「男唱歌曲、言楽」に、恋人を待つ学者ソンビが登場する。<紗張の窓から、月明が満ちる庭に影が映つるのを見て、きたかと飛び出せば、鳳凰が梧桐(アオギリ)の枝に座っていた。夜が幸い、昼であれば笑いものになったろう>という歌詞。昔のソンビは、部屋近くに梧桐をよく植えた。太平を意味する鳳凰は、唯一竹の実を食べ、梧桐にだけ留まる。鳳凰が休むよう、太平を祈る気持ちを梧桐に込めている。

▼ <鳳凰の影に慌てるソンビの姿を想像して>、「男唱歌曲、言楽」を聴く。のんびりとして・・・。

次に、歌「バンムルカ(小間物歌、방물가)」のゆわれと桐について次のように紹介された。
・桐の葉は大きい。夏に日陰を作り、雨に濡れる音が大きい。普段、涼しい音だが、落着かぬ夜に寝そびれることもあるだろう。昔、息子を産めば松を植え、娘のときは桐を植えた。松の木は、子が亡くなる時に棺を作り、桐の木は、娘が嫁に行くときに家具を作った。桐は木目が美しく、軽く、湿気や火に強い良材だ。「バンムルカ」の曲がある。「バンムル」は、女性の部屋の家具や飾り物の意で、別れを告げた男が女性に、あらゆる豪華なものを買うとなだめるが・・・。家具や飾り物、桐製と思われる品などたくさん登場する。

▼ 京畿雜歌「バンムルカ」の歌を聴く。(物で心が納まるわけもなく・・・)

最後に、詩才があった妓生の「梅窓(매창)」と玄琴(コムンゴ、거문고)について次のように紹介された。
・桐は、よく響く特徴もあり、楽器の材料として使われた。撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)は、丸太の中身を削って作り、弦楽器の玄琴という琴は、裏側は栗、表は桐材で作る。中身を空けて音を反射させ響かす。妓生の梅窓は、詩才があり、普段玄琴をよく奏した。恋人の官吏が村を去ると、彼のために立てられた石碑の前で毎日玄琴を奏でた。そして、亡くなるとき、玄琴と一緒に埋葬して欲しいと遺言した。

▼ 「玄琴を奏でて(거문고를 타면서)」を聴く。奏法は今様に・・・。

2017年8月29日火曜日

ロバート・レッドフォード

昔、テレビ番組に「裸の町(The naked city)」*があった。渋い老練の刑事と彼に従う若い刑事が、ニューヨークの町で起る事件と取り組むストーリーだ。アクションというより、事件の深部に目を向け、犯罪に追い込まれていく人びとの姿をとらえたように記憶する。(* 「裸の町」: 日本語放送について【海外ドラマ番組ガイド☆テレプレイ】に解説あり、感謝)

(本ブログ関連:”裸の町”)

今も強烈に焼きついている回に、「ホームレスのための墓碑(Tombstone for a Derelict)」(米:1961年4月5日)がある。ホームレスを襲撃する、4人の若者たちが身にまとったのは、放送の16年前まで存在した狂気のサインだった。

子どもの目に、戦後がまだ終わり切れてなかった当時、ニューヨークの下町の荒れた界隈で、なぜホームレスを襲うのか、なぜ狂気のサインが必要だったのか、彼らが世に訴えようとしたのが一体何だったのか理解できなかった。彼らが凶行に走った心の闇は深かったのだろう。わずかな記憶でしか語れないが。

今回、このストーリーをネットで確認して驚いた。仲間のひとりを演じたのが、何と若き日の「ロバート・レッドフォード(Robert Redford)」だった。今なら役柄に躊躇するかもしれない。それが56年前の放送のこと、戦勝国の自信がまだ残ったことでテレビ番組ができたのか、あるいは、戦後も続いたいくつかの戦争(朝鮮戦争、アラブ・イスラエル戦争)も含めて残した傷を洞察したからだろうか。

No Ep Title                                  Directed by        Written by              Original air date
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60 21 "Tombstone for a Derelict" Elliot Silverstein Howard Ehrenman April 5, 1961
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Guest stars: Robert Redford as Baldwin Larne, ・・・
Four young men murder derelicts and don Nazi uniforms to "make a statement" about society.
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(Youtubeに登録のgmt3010に感謝)

2017年8月28日月曜日

(雑談)スッテンころりん

どうもこの世は、ままならぬ。といっても、大げさなことではない。小市民の恥ずかしいできごと。調剤薬局へ行く途中、自転車を転ばせてしまったのだ。久し振りにサドルを上げたのがいけなかった。ある裏路地の斜面で、Uターンしようとしたところ、足先が届かずスッテンころりん。したたか右膝(ひざ)と右肘(ひじ)を強打して擦りむいた。

調剤薬局*で、肘の擦り傷のため<大判>のバンドエイドを求めたが、「アンパンマン」パッケージしかなかった。思いっきり可愛らしいアンパンマンの絵柄付きだ。窮余の策、かまわず貼り付けたが、やはり人目が気になる。おじさんの肘に貼っているものが、まさかバンドエイドに見えないのではないかと・・・。
(* 調剤薬局 : ドラッグストアと違い、市販薬・関連商品の品揃えは十分でない)

帰宅して、膝も見ればけっこうな擦り傷。さっそく、肘と膝の両方を消毒し、以前購入してあった大人用バンドエイドで傷口を押さえる。とりあえずケガ人らしい出で立ちになる。

原因は、自転車のサドルを上げ過ぎたこと。危険だから下げろと、息子に散々注意されていた。それを守って何年振りか、ちょいと上げた途端こんな不様なことに。頭を強打しなくて本当に運が良かった、驚いている。

2017年8月27日日曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

夏休みもそろそろ終わり。先日、地元公園を巡れば、ツクツクボウシが鳴いていた。それにヒグラシが加われば秋である。残り4日間、小学生たちにとっては、宿題との格闘でさぞかしせわしいことだろう。

西の風に驚くほどではないが、夕方の涼みに秋の気配を感じるようになった。それが本格的になれば、季節感あふれる紅葉や栗の実など楽しみが広がる。もう心は秋にとんでいるようだ。うんざりしていた暑さを、すっかり忘れてしまったらしい。心移りというか、心変わりがあっけない。まあいいか、暑さはしみじみ感じるものでもなかったし。

秋を思うとき、イ・ソンヒの「秋の風(カルパラム、갈바람)」が聴こえてくる。この名曲、デビュー間もない、1965年の第2集アルバムに収められていたのは驚きだ。

(本ブログ関連:”秋の風(カルパラム)”)


小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」

今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ寂しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
行ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」


(Youtubeに登録のShield&Armor for Euna.Kに感謝)