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2026年7月20日月曜日

海の日 2026、土用入

3連休のきょう、7月の第3月曜日に制定された、国民の祝日「海の日」*である。
(*)起源は、1876年に明治天皇が初めて灯台視察船(明治丸)で航海し、7月20日に横浜港へご帰港されたことによる。(Google検索 Labs)

(本ブログ関連:”海の日”)

当然、対になる国民の祝日として、来月8月11日に「山の日」**となるわけ。
(**)起源は、(案の定)1996年に「海の日」が祝日になったことを受け、山岳団体や自然保護の関係者から「山の日も作ってほしい」という声が上がったことがきっかけで、2016年に制定された。(Google検索 Labs、Wikipedia)

海といえば、仕事仲間と行った「ゴチ(マゴチ)」釣りを思い出す。吊り上げて喜んだのはいいが、慎重に針を取り外すことを知らず、素手でつかんだ瞬間、背鰭(せびれ)の棘に思いっきり刺されてしまい、しばらく中断して、仲間の釣りを眺める羽目になった。以来、魚釣りは、鰭(ひれ)に注意するようになった・・・そんなに出かけたわけではないが。


土用の入り
合わせて、きょうは土用の入りで、鰻(ウナギ)を食いたくなる季節だ。そういえば、以前触れたことがあるが、日光街道を北に進む、千住新橋の手前に、歩道にモウモウと「蒲焼」の煙を立てた、店頭を開けっ広げにした持ち帰り専門店があった。あれはいけない反則だ・・・客足が絶えなかった。思わず列に加わりそうになった。

(本ブログ関連:”蒲焼”)

2019年7月15日月曜日

海の日 2019

昨日のブログに、「くらげ」と「うんも」の漢字(水母、雲母)に、「母」の文字があり、母性のイメージとつながるのではと想像した。今日は、国民の祝日「海の日」(7月の第3月曜日)である。この「海」の文字の「毎」に「母」がある。

(本ブログ関連:”海の日”)

「海」は、地球の生命史から、生命の起源の場所であることは間違いない。その意味で、「海」は大地と同様に命を育む「母」なる場所だ。

ところで「海」の文字について、Wiktionaryにある字源の項ををみると、特に「毎」に次のような説明がある。(白川静『常用字解』の解説からの引用のようだ)
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形声: 「水」+音符「毎」。晦、悔、昧、黒、灰等と同系で、共通する意味は「暗い」。
           元は中華地域に対する周辺の未開の地域を言う。もしくは、暗い海。
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意外なことに、「くらげ」や「うんも」ように光を透かす明るさとは反対に、「海」は暗さの意を含むというのだからイメージが混乱してくる・・・まとまらない。

2016年7月18日月曜日

海の日2016

今日は、祝日「海の日」だが、海と関係ない一日を過ごした。近隣の公共施設で「江戸時代の寺子屋」について講演があり聴講した。次回につづくため、感想はこの後にしたい。

(本ブログ関連:”海の日”)

考えてみれば、このところずっと海から離れている。海そのものを楽しむ機会がなくなったようだ。とはいえ、海の思い出はある。子どものころ、親父と一緒に乗った船で、地元の湾を出て沖合いで釣りをしたこと。富津の臨海学校で溺れそうになったこと。夏休みに、仲間たちと神津島まで東海汽船のフェリーに乗ったこと。三崎の浜で海浜生物採集の合宿をしたこと。職場の同僚と相模湾で沖釣りしたこと。まだまだあるけれど。

ところで、石採りが趣味で山に向かうことが多いが、海岸線での鉱物採集がないでもない。静岡県河津町浜の、石ころだらけの「菖蒲沢海岸」で自然金を、同じく垂直の岩肌を見せる崖の「やんだ」で沸石を採集したことはある。他に、鉱物採集へ向かう道すがら、海の家に寄って飯を食い一風呂浴びたこともあるけれど、総じて石採りと海は似つかわしくない。

今となっては、海は唱歌の「」(作詞:林柳波作詞、作曲井上武士、1941年)のように、なつかしい思い出にあるようだ。


(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)

2015年7月20日月曜日

土用の入り、海の日 2015

今日は、「土用の入り」、今週土曜日の「丑」の日まで後6日間ある。土用の丑といえば鰻だが、年々<鰻重>への関心が薄らいでいる。暑い日が続けばなおさらだ。

土用の丑の日に、鰻を食べるキャンペーンをしたのが平賀源内という。よほどにタフな人だろう、秩父鉱山まで足を運び鉱山開発したり、秋田藩に出かけて蘭画の指導をしたり、方々におもむいている。実感するのは、秩父鉱山へつづく中津川沿いをたどっていた途中、江戸市中からここまでよくぞ歩いて来たものだということだ。

(本ブログ関連:”平賀源内”)

もちろん、泊まりなくずっと歩き通したわけではなかろうが、よほど信念がなければこんな手間は選ばない。源内のエネルギーの源に、もしかしたら本当に鰻があったのではと思えなくもない。

源内の一族は信濃の出とのこと。彼は、近くに小豆島をながめる、讃岐の志度湾沿いに生まれた。出自の自負か、海への進展に関心は薄かったように思われる。むしろ、細部に真実が宿るといった考えの持主だったのかもしれない。

今日は「海の日」なれど、源内と結びつくのは、日本の南の海で産れた<鰻>くらいしかないようだ。