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2017年6月23日金曜日

ヘルムの町の日時計

短ければ短いほど切れ味がいいのが小話だ。「イディッシュの民話」(ベアトリス・ヴァインライヒ著、秦剛平訳、青土社)に、例によっておバカな村(町)「ヘルム」の人々がしでかしたおもしろ小話がある。
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ヘルムの町の人たちが日時計をつくったことがある。ところが、大雨に襲われて、びしょびしょに濡れてしまった。そのため彼らは、濡れないようにその上に屋根を作った。
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(本ブログ関連:”ヘルム”)

粗忽さ、迂闊さには笑える。うっかりやりそうなミス、真剣に考えたつもりでやってしまうミス、頓珍漢さだ。思いつくまま挙げればこんなことだろうか。
・機械不要な発明といって、日時計製の腕時計を作る。
・白夜の反対の極夜がある地に太陽光発電装置を置く。
・氷の彫刻が汚れたからといって、風呂に入れる。

2017年6月22日木曜日

始めの11歩 イディッシュ語

11日目。山あり谷ありだったが、先行きが明るんだようだ。先生のご配慮に感謝。気後れせず、今まで通り怠らず・・・真摯に謙虚に前向きに頑張っていこう。おじさんもついていくよ。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生推奨の入門書の「レッスン8」(ייִדן אין געטאָ)を輪読: 先週に続き、第2次大戦下、ゲットー居住のユダヤ人の困窮と疲弊、そして抵抗について。ちょっと刺激的だが、イディッシュ語で読む意義がありそう。(ポーランドのひとびとのワルシャワ蜂起も話題にしつつ)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル2-2」(איך טו מײַן הײמאַרבעט)。動詞の人称変化(単数)。主に規則変化について、不規則変化も。(冠詞+名詞は頑張って覚えよう)

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、ユダヤ人家族の、子どもたちの「ままごと」と、それをやさしく見守る両親の眼差し。

2017年6月21日水曜日

夏至 2017

朝から雨が続く。ときに激しく、風も吹く。それなのに、今日は日長が長い「夏至」だというのに・・・。そんなわけで、夏至も気にすることもなく一日過ごす。・・・それが、夕方には雲間に青空が覗くほどに、路面もすっかり乾くほど回復した

(本ブログ関連:”夏至”)

昨夜 豊後水道の地震

今日に日付が変わろうとした昨晩遅く、午後11時27分ごろ、大分県佐伯市で震度5強の地震が発生した。日本経済新聞の記事「大分で震度5強 M5.0、津波の心配なし」(6/21)は下記の如く報じている。(抜粋)

先月来地割れで避難勧告が出ている「大野市」と、今回、震度5を観測した大分県「佐伯市」とは隣接しており、因果関係が気になる。震源の「豊後水道」(北緯32.9度、東経132.1度)をはさんで、愛媛県側に「伊方原発」があって、これも心配の種だ。

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・20日午後11時27分ごろ、大分県「佐伯市」で震度5強を観測する地震があった。気象庁によると、震源は豊後水道で、震源の深さは約40キロ。地震の規模はマグニチュード(M)5.0と推定される。・・・

・四国電力によると、愛媛県の「伊方原発」では異常は確認されていない。九州電力によると、鹿児島県薩摩川内市の「川内原発」と佐賀県玄海町の「玄海原発」にも異常はないという。

・大分県豊後「大野市」では5月中旬、多数の地割れが見つかり、市が一部地域を災害対策基本法に基づく警戒区域に指定。立ち入りを原則禁止し、避難勧告を出した。同市の担当者は「地割れの変化などは確認されていない」としている。
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KBS WORLD「国楽の世界へ」楽器「太平簫」

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、管楽器「太平簫(태평소)」に関する曲を紹介した。

始めに、王や軍隊の移動時に演奏する曲「大吹打(대취타)」について次のように紹介された。
・王のお越しや、軍隊が行進する時に演奏した曲に「大吹打」がある。曲名にある「吹打」は、吹く・叩くの意があり、口で吹く管楽器と、細長いもので叩く打楽器の演奏を指す。行進に、弦楽器のカヤグムやコムンゴを演奏するのは難しく、移動に便利な管楽器と打楽器が主に使われた。「吹打」をそのまま曲名にしたものがある中で、「大吹打」は代表曲を意味する。

▼ 「法螺貝製の楽器『螺角(나각)』と、リズム主体の楽器『太平簫』」で曲「大吹打」を聴く。睥睨するよう響く。

次に、楽器「太平簫」の構造と、農村での演奏曲「ヌンゲ(능게)」について次のように紹介された。
・韓国伝統の管楽器は、ほとんど竹製であるが、「太平簫」は固いナツメやヤナギの木で胴を作り、多年草の葦を薄く削ったダブルリードを吹口にはさんで音を出す。先端に金属ラッパを持ち音が遠く広がるようにする。音量が最も大きい管楽器のため、主に屋外で演奏する。宮廷の演奏曲で、強大な感じを与える。楽器名にある「太平」は、「天下太平」から取っている。農村で演奏するときも、重要な役割を果たす。中でも、「ヌンゲ(능게)」は、代表的な太平簫の演奏曲だ。

▼ (曲名の意が明らかでないが)「ヌンゲ」の演奏を聴く。明るく楽しく騒がしく・・・。

最後に、太平簫の起源と、その響きに安寧の祈りに通じるものがあるのではと次のように紹介された。
・西域(ササン朝ペルシア)で作られ、シルクロードを通じて、高麗時代末にモンゴルから伝来したという太平簫は、日本で「嗩吶(チャルメラ)」、中国で「嗩吶(Suǒnà)」と呼ぶ。(トルコの管楽器「ズルナ」が思い浮かぶ)
・インドの葬儀に、太平簫に似た楽器を演奏することがあるという。いずこも楽器の役割は似ているようで、この世の暮らしを終えてあの世に行く人に、その旅立ちが平和であるように祈る心が込められているのだろう、とのこと。

▼ 太平簫の演奏「あなたが踊るので私も踊る(너가 춤을 추니 나도 춤을 춘다)」を聴く。愉快に楽しく今様に・・・。

2017年6月20日火曜日

日めくりカレンダー

「日めくりカレンダー」を、一枚一枚はがすたび、最近揺れるようになった。そういえば、半分近く減って軽みが増したようだ。時があっという間に過ぎたようだ。

時は刻々と進み、後ろから押すような感じがする。時間のカウントが引き算に変わった。子どものころ、早く大人になりたいなんて思ったりしたのに、それが今では引き算となり、計算結果がどんどん小さくなっている。

ところで、海外の「ひめくりカレンダー」にはどんなものがあるかと探せばいろいろある。イディッシュ版がないかとネット検索したら、「イディッシュフレーズ」という「ひめくりカレンダー」があった。

サンプル表示された1月5日(木)のフレーズを見て笑った、「どこの村にもアホがいる」。イディッシュの民話には長老がみな間抜けな村もあったりして、笑いに事欠かない。笑いの楽しさは、その笑いが置かれた時代、環境、ひとびとの感覚に思いいたることでもある。時代を経た笑いは人生の価値まで教えてくれる。

(本部ブログ関連:”おバカな村”、”「イディッシュの民話」”)

ちなみに、わがPCデスクにぶら下がっているひめくりカンレンダーの今日は、「善悪の報いは影の形に従うが如し」。報いは付いてまわる、逃れることができない・・・、ああ、それよりもっと笑いを。

2017年6月19日月曜日

プリンの味見

今晩韓国語の教室で、先生が「プリン」菓子のことで、コンビの棚に並んだものではないだろうけれど、初めて日本に来たときに食べたプリンが美味しかったといわれた。若い女性のこと、パティシエがいるような洒落た洋菓子屋で食べたんだろうな・・・と、想像しつつ、思いのほか涼しい帰り道、コンビニに寄って「プリン」を数種類買った。久し振りのプリン、味比べしようというわけだ。

サイズ別に、「濃厚 卵のカスタードプリン」(森永乳業) < 「クリームのせ ジャージー牛乳 プリン」(OHAYO) < 「明治 ザ プリン くちどけプレミアム」(製造 バンビー食品)の3品。一気に全部食ってしまったら、みな同じ味になってしまった。分かったのは量の違いだけ。私は何か間違えたようだ。「プリン」オタクになれない。

ところで、3品ともネーミングに「プリン」が入っている。近頃、「プデイング」という名称も聞くが、コンビニの菓子はみな「プリン」を守っているようだ。そもそも、プリンとプディングはどう違うのだろうか。
ちなみに、核酸のDNAといえばATCGの4種の塩基で構成されていて、そのAとGの骨格を作っているのが「プリン」塩基で、痛風にもつながっているようで・・・おいおい、全然違うよ。菓子の「プディング」の「カスタードプディング」を「プリン」というそうだが、それ以上分からない。

「プリン」は、子どものころ、お袋が作ってくれた味でもある。材料の少ない昔のこと、それでもそのときの味が今も残っている。(木枠の、氷塊を入れて冷やす旧い冷蔵庫の中で、プリンが固まるのを待ったような・・・) それに、いろんな形にできあがった「シュークリーム」も作ってくれたな。そのとき以上の菓子に出会ったことはない。

2017年6月18日日曜日

イ・ソンヒ 「父は妻帯僧でした」

今日は父の日。このブログでは、イ・ソンヒの父と家族について、父と母、祖父の生き方、父の仕事、そしてイ・ソンヒの政界進出時の父との関係などさまざまな情報を記してきた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと父”)

イ・ソンヒの音楽的才能は、祖父譲りのおおらかさと、父の音楽的素養と躾、さらに母の慈愛があって開花したのだろう。その父が、仏教音楽「梵唄」の指導者と知って確信を深めた。彼女の高音とパワフルな声に、そんな背景があったに違いない。彼女の自伝的な「スター・ストーリー」を読めば納得できるだろう。

しかしながら、イ・ソンヒに才能を与えた父が仏教と深い関係があることに葛藤があったのも事実のようだ。仏教における僧侶の妻帯問題だ。この点についてもいろいろと記してきた。
(2014年4月7日午後放送されたSBS「ヒーリング・キャンプ」で、彼女は音楽仲間のとの語らいの中で、この事実を吐露する場面があった。そのとき、歌手仲間たちは初めて知ったといった顔を見せた。本人の口から直接聞かない限り、ネット上で、あるいは書籍で既知であっても、そういった対応をせざる得ないものだ)

(本ブログ関連:”韓国仏教”、”妻帯僧(韓国では帯妻僧)”)

韓国仏教の中で特異な存在と見られる帯妻僧について、Ko-Wikipediaに次のような解説がある。(参照記事:「韓国仏教の歴史」と「帯妻僧」)
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韓国では、既婚僧侶を可能にする《帯妻僧》の伝統がなかったが、朝鮮後期の《抑仏政策》の中で、寺院の生活を管理(寺院の運営実務を担当)する僧侶を、(参禅・看経・念仏をはじめとする修道に従う)修行僧の『이판승(理判僧)』に対応して、『사판승(事判僧)』と呼んだことから結婚した僧侶という概念が生まれた。
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ここで着目するのは、仏教弾圧下の李氏朝鮮時代に遡って、「事判僧」という存在である。韓国仏教について素人なため、事判僧が当時どのような生活をしていたか知らなかったところ、「事判僧」に当ると思われる、戦前・戦後を経験したある無名の僧侶に光をあてたケーススタディがある。「さまよえる『鬼神』一 日本の植民地支配と『近代化』」(岡田活樹 神戸大学国際文化学部助教授、「人類学研究所通信」13・14号、2006年3月)は、いわゆる戦前の朝鮮(韓国)での仏教統治の「寺刹令」、および戦後に持ち越された「帯妻僧」の存在について淡々と多様に事例を紹介している。

実は、帯妻僧問題は、その起源が上記の事判僧の存在にあるように思われるのだが、日韓の特別な課題につながりかねない《微妙な問題を含んでいる》 と思われる。

2017年6月17日土曜日

イ・ソンヒの歌う「麦畑」

KBSの国際放送「KBS WORLD」が放送する「国楽の世界へ」を毎週楽しく聴取している。といっても、短波でも中波でもなく、もっぱらネットを通じてだ。「国楽」というと重々しく聞こえるが、内容は豊富で、かつての支配階級の宮廷音楽や教養人の雅趣に富んだ風流音楽、日々たくましい庶民の歌(民謡、祝い歌や労働の歌)、庶民の娯楽であった物語りのパンソリ、更には宗教に関わる仏教音楽(梵唄)や土着的な巫俗音楽まで。そのうえ、ネイティブの録音版から、いまどきの音楽家によるモダンにアレンジした演奏まである。一週間に一度、ある意味直截的に理解できるよい機会でもある。
(解説紹介のキム・ボエさんの優しい語り口が素晴らしい)

国楽について、いつも気になることがある。物語りのパンソリを、市民が果たして聴き取れているのかということだ。実は、漢語の羅列といっていいほど満ちている。東洋文庫の「パンソリ」を参照すれば分かることだが、大筋は大衆的物語りをベースにしているのだろうが、採録者の教養と自負がなせるせいか極めて晦渋で衒学的なのだ。
歌舞伎の演目の場合、通しというより、代表的な幕を選んで観劇することが多い。パンソリも、そんな鑑賞スタイル(大衆受けする場を聞く)かもしれない。聞くところによると、若い人にパンソリの浸透は低いというが・・・。

上記番組で「麦刈りや脱穀に関する曲」の紹介があったのを、一昨昨日(6/14)のブログに記した。麦は、水はけの整わぬ土地柄でも収穫できる貴重な食べ物だ。わたしの地元も、江戸時代に開発された武蔵野新田の歴史がある。以前、郷土の「麦打ち歌」について図書館で調べてみたことがある。旧い村ごとに違っていて、意外に多様なのに驚いた。とはいえ、いくつかのバージョンに、若い男が娘を探すような味付けがされているのを見てニヤッとしたものだ。民謡はこうでなくちゃ。

(本ブログ関連:”麦打ち ”)

ところで、韓国大衆に愛されている愛唱歌に「麦畑(보리밭)」(1952年、作詞パク・ファモク、作曲ユン・ヨンハ)がある。イ・ソンヒも随分と格調高く歌っている。この曲を、韓国のクラシック歌手たちも歌っているのをYoutubeで多数見る。ベルカント唱法というのか、聴いているうちに重くなってしまう。イ・ソンヒの場合は、大衆歌手だから素直に聞き入ってしまう。それに、Youtube映像の、彼女のつけまつげが、かわゆくてしょうがないのだ。


麦畑(むぎばた) 間道(あいだみち)、通り抜ければ
誰かが呼ぶ  声がして
私を止める
昔の想いが  寂しくて
口笛吹けば
きれいな歌、耳元に  聞こえてくる
振り返れば、誰れも  見えなくて
夕焼けの  空だけが
目に満ちる

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2017年6月16日金曜日

電信の応用

科学が発展するのに、ひとりの天才が突然現れて世界を一変させる・・・なんてことを、子どものころ偉人伝を読んですっかり刷り込んでしまった。けれど、ガリレオを先導したジョルダーノ・ブルーノの存在が如何に大きかったかを、浪人中に岩波新書を読むまで知らなかった。

天才の種は、すでに深く耕された肥沃な土壌があってこそ開花し実を結ぶ。物語で理解すると、豊穣な大地に気付かず果実を求めてしまう。物語はわかりやすく理解しやすいが、誰かの手で書かれたものでしかない。事実をひとつひとつ丁寧に積み上げて実証する研究者は大切な存在と思う。

ところで、アメリカのモールスが電信機を発明したのが1837年。それ以前に電気信号をワイヤーに通す様々な発明があり熾烈な競争があった。驚くことに、この電信が「南北戦争」(1861年~1865年)で大いに利用されたことだ。情報戦(暗号化)であり、南北相互に「信号司令部」が存在し多数の人材を養成した。
Wikipediaによれば、信号司令部に参加した総人員は次の通り。
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(北軍の)信号司令部が戦時任務終了後、1865年8月に解隊されるまでに、146名の士官が任命されるか任官を提案された。実際は297名の信号士官が任命されたが、非常に短期間の者もいた。戦争中に携わった兵士の総数は約2,500名になった
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(モールスが「奴隷制度」支持だったとは実に皮肉なことだ)

日本でも1877年の「西南の役」に電信は使われている。東京から熊本へのワイヤーが、街道の松並木を電信柱にして張り付けられた、そんな錦絵がある。現地の政府軍には、Wikipediaによれば、電信掛74名(電信掛長:大島貞恭少佐)が編制されている。(1874年の「佐賀の乱」で、電信が既に使われていた)

電信は、科学というより技術工学だから、実りもはやく大きなものだったのだろう。

(本ブログ関連:”運が良けりゃ”、”インディアン・ラブ・コール”)

2017年6月15日木曜日

始めの10歩 イディッシュ語

ようやく10日目。カリキュラムの道のりを半分を越えたけれど、思うように定着が進まない。どうやら、我が頭と口が空回りしているようだ。イディッシュ語の滑走路を走り回るだけのタキシングばかり、いっこうに浮揚しないのだ。いろいろと教材を工夫される先生の期待に応えられるか、不安が止まない。

メイン教材は次第にヘビーな内容を扱うようになり、ネット教材はテンポよく先へ進む。追加された教材は入り口と比べて、後半が覚悟の必要なボリュームになっている。これからきっと、単語力(格変化)の重要さを思い知るだろう。結局、記憶力なんだよね。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の復習、命令形の口頭練習。

・先生推奨の入門書のレッスン8(ייִדן אין געטאָ)を輪読: 第2次大戦下、ゲットーに居住を強いられたユダヤ人の窮乏について。後半は次回。ドイツ(”דײַטש”:「ダイチュ」)の発音に、”German”でもない、”Deutsch”でもない、どこか東洋的な響きがするのは気のせいか。

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、① 教室風景、② ユダヤ人家族の朝の風景:起床・朝の挨拶・着替え・洗顔・朝食・登校といった日常。内容についてQ&A。

2017年6月14日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 麦刈りや脱穀に関する曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、麦刈りや脱穀に関する曲を紹介した。

始めに、朝鮮21代王「英祖영조)」が、「貞純(정순)」を王妃に選んだ逸話について次のように紹介された。
・朝鮮時代、最も長生した王と知られる21代王「英祖」は、在位期間52年、82歳まで生きた。60代で最初の王妃を亡くすと、66歳にして51歳下の「貞純」(15歳)を王妃に迎えた。ところで、彼は王妃を選ぶ際、候補たちに「この世で最も高い峠(コゲ:고개)は何か」と問うた。そのとき、貞純は、「麦(ボリ:보리)」と「峠(コゲ)」を合わせた、「春の端境期」の意を持つ「ボリッコゲ(보릿고개)」と応えた。この言葉を最近聞かないが、昔は農民の暮らしに直結した。食糧が底をつくと植物の根など食べたが、栄養失調で命を失うことも多く、貞純が「ボリッコゲ(別名「春窮期」)」を最も高い峠と応えたのは、それだけ農民の暮らし振りを理解しており、ために王妃に選ばれたという話につながる。

▼ 慶尚道地域の麦打ちの曲「オンヘヤ(옹헤야)」を聴く。ドイツ人が韓国民謡をアメリカンフォーク風に演奏する。

次に、麦の脱穀の歌「オンヘヤ」について次のように紹介された。
・今は麦刈りから脱穀、袋入れまで作業を全て機械が行なう。昔は、作業を人が行なった。脱穀では、長い棒に木の枝を結び付けた「殻竿」を使い、これで麦を打ち落とした。一日の脱穀作業に疲れたとき、「オンヘヤ」を歌って仕事のテンポを合わせた。「オンヘヤ」は、本来ゆっくり歌ったが、歌手が歌うようになって、テンポも速く、楽しい民謡となった。最近、若いミュージシャンが、モダンに編曲して演奏することも多い。

▼ 済州島の麦の脱穀の歌「脱穀の音(타작소리)」を聴く。満腹の期待を込め、元気が湧いてくる民謡。

最後に、病苦の詩人韓何雲(한하운、1919年~1975年)の詩「麦笛(보리피리)」について次のように紹介された。
・麦は晩秋に芽が出て、春に収穫する。麦が実る頃、子供たちは麦わらの茎を笛の形に削って吹いたり、麦を焼いて食べたりした。詩人「韓何雲」の詩に「麦笛」がある。ハンセン病に苦しんだ彼の詩は様々な活動をしながらも、寂しい生活をした。「麦笛」の詩は、子供の頃麦笛で遊んだ記憶の中の故郷を懐かしむ作品だ。

▼ 「麦笛」の曲を聴く。楽しい思い出だけが浮かんでくる、そんな懐かしさもあるだろうから。今様に。

2017年6月13日火曜日

チョン・ドヨン

韓国の映画について教室で話題があり、私としては、女優チョン・ドヨン(전도연)主演の映画、邦題「シークレット・サンシャイン」(2007年、밀양《密陽》)をあげた。先生から邦題を確認されて、「密陽」と答え、英語名を「Secret Sunshine」といってしまったが、正しくは上記の通り。

チョン・ドヨンは、最も気になる韓国の映画俳優だ。この映画で「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を獲得している。VHS版の「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を見たのが最初だ。その同時期作品の、全く逆のイメージの映画にも出演していたと後で知って驚いた。

(本ブログ関連:”チョン・ドヨン”)

「密陽」のチョン・ドヨンは、最大の悲劇に翻弄され、その中で救いを求める母親を演じる。それも決して強くない、むしろ追い詰められる生身の女性を表現する。小柄で華奢な彼女が、どん底にいて、弱く繊細な立場からどう状況を変えていくか興味を持たせる。まさにうってつけだ。彼女は映画によって、善人であったり悪人にも変貌する演技者だ。

ところで、この映画は、プロテスタント(キリスト教)を素材にすることで、主人公の孤独を一層明らかにする。遠くソウルから密陽に訪れたばかりのよそ者であり、土着的な絆の弱い立場にある。その点を考え、もしプロテスタントでなく、癒しをシャーマンの「ムーダン(巫堂、무당)」に訪ねていたらどうだったろうか気になる。


(Youtubeに登録のCat'sCradleに感謝)


(追記)
■ Youtube(登録: 小林拓馬の裏クラ政治NEWS)
「韓国キリスト教会の闇を暴露! 4つの "混ぜもの" がされた別宗教!」(2025/11/21 )
    ー https://www.youtube.com/watch?v=wMCDzwmJ5ro

2017年6月12日月曜日

パンダの赤ちゃん誕生とGoogleニュース

いえねぇ、どうってこともないんですが、今晩23:30現在の「Googleニュース」記事一覧に、上野動物園でパンダ(「シンシン」)の赤ちゃんが誕生したという報道が載ってないんですよね。おじさんでもうれしくなってくるのに。

新聞各社のネットニュースは、ちゃんと写真入で掲載してるんだよね。Googleニュースは、独自のアルゴリズムで記事を自動掲載しているそうだけど。もしかしたら、「大人の中にある子ども視点」という選択機能を省いているのかな。

先日、深夜テレビの再放送?なのか、和歌山にある動物園(「アドベンチャーワールド」)でパンダの出産が成功している背景を説明した。出産後、母子を離さないことが必須のようだ。そのための飼育員の皆さんの昼夜の努力が紹介された。出産後の母子一体感が自然な子育てにつながるなんていい話しだと思う。(そういう言い方が気に入らないといわれても、わたしはそう思うんだ)

これから子どもたちは大変だ。かれらを見守り、動物園に連れて行く家族はもっと大変だろう。パンダは、子どもたちの愛らしさとマッチする。神様はどうして、あんな動物をつくったんだろうね、本当に不思議だ。

2017年6月11日日曜日

「入梅」

暦上、二十四節気の「芒種」、「夏至」、「小暑」を基準にその数日後を雑節の「入梅」と呼ぶそうで、今日が「入梅」にあたる。とはいえ、先週水曜日(6/7)に、気象庁から「梅雨入り」が発表されている。そっちの方が実感がある。ちなみに、気象庁は「入梅」の用語をひかえているそうだ。

(本ブログ関連:”梅雨入り”)

Weathernewsの記事「梅雨入りとの違いは?暦に書かれた入梅の意味」(6/11)は、梅雨入りと入梅の違いを分かりやすく説明している。「まとめ」として次の記述がある。
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・「梅雨入り」は、天気と密接に関係しており、梅雨前線の状態によって早まったり遅れたりする。
・入梅は暦上の梅雨入りであり、天気とは関係ない。
・入梅は、田植えの日取りを決める目安として使われていた。
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「入梅」は、昔の農事カレンダーといったところだろうか。麦作だった武蔵野新田に、田植え(水田)の光景はないので、実感に乏しいのも納得できる。(昔、野川沿いの狭い一体に水田が作られたという。ほんのわずかな面積だったのだろう)

2017年6月10日土曜日

運ぶもの

文字が容易でない時代、魂に託して想いを伝えることもあれば、獣がかわりに魂を運んだり伝えたりした。柳田国男の「遠野物語 一○○)に、狐が夢をかすめ取り、夢見るものの想いを悪知恵で運んでしまう話がある。

(本ブログ関連:”遠野物語”)

ある女房が、夢の中で、帰りの遅い主人を気遣って迎えに行こうかとするのを、狐の身を傭(やと)ってしまうことになる。深夜のこと、坂道で出くわした女を怪しみ、主人はそれをあやめて急いで帰れば、女房は命を取られそうな夢から覚めたばかりという。主人は元の場に戻って見れば、そこに一匹の狐が横たわっていた。

人の夢に潜り込んで、人の想いに便乗したのが狐の間違いだった。何かが足りないことに気付かぬ狐は、いっぱい食わしたつもりが、わけも分からぬうちに命を落としてしまうことになる。ことの顛末、子細がわからぬまま命を落とすくらいなら、知恵を落とすだけに留めて置けばよかったものを。

忘れたようで忘れられない、人の夢や魂を鳥や獣が運ぶシャーマニズム的世界がまだある。人の代わりをする超自然なものを身近に感じて託すことがある。もしかしたら、いまどきの何かがそれを担っているのかもしれない。

2017年6月9日金曜日

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

ロシアのメディア「スプートニク」(日本語版)に、「ロシアからこんにちは! 『食べると幸せになれる花』」(6/1)として、5月後半に入るとその季節になるという「ライラック」の花が紹介されている。花に囲まれた美しい風習なわけだが、「願い事をしながら食べると願いが叶う、幸せになれると言われている」と知って、心そそられる。

ライラックについて、この記事は、ロシアのひとびととライラックとの距離感、親密な度合いを分かりやすく説明している。私ごときには、ライラックの花がどこか余所行きの感が大きく占めていて、こんな風にライラックと身近に、日常的に接する話題に驚いたし、うらやましく思う。


(Youtubeに登録のスパシーバ!に感謝)

イ・ソンヒの10集所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때)」(1996年)は、彼女がシンガーソングライターとして初めて発表した曲だ。こころ変わりして去って行った様を、ライラックの花が散るのにたとえる。でも、歌詞には「ライラック」の言葉はない。冷え切った想いに、気付けば未練だけが残っている・・・そんな感じかな。女性はその気になって聴くだろうし、おじさんはファンとしていい歌と思って聴く。

(本ブログ関連:”ライラックが散るとき”)


さよならという言葉は
私にただ一度も語らなくても
私は気付いていた
もう再び会えないことを

*変わっていくあなたの心が
私に鋭い跡を残しても、会いたいのは
未練が残っているのよ
もう 私の胸から逃れているね

振り返えらないで、わたし切なくて
何にしても、見つめないで
思い返さないで、もうあなたの人生で
私と一緒だったその記憶を
二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を

(*以下繰り返し)

二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を

2017年6月8日木曜日

始めの9歩 イディッシュ語

遠くに聞こえる祭りのざわめきに誘われて、気付けば踊りの列に加わっている・・・そんな感じのするイディッシュ語学習9日目だ。それも、流暢に喋る(読む)仲間につられてその気になり、やさしく導いてくださる先生のおかげ。目を覚ますのが怖い、このまま突っ走って行こう。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)の形容詞の復習(QA練習)と、「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の縄跳びとランニングの命令形(動詞末尾の ען、-ן-をはずす、plの場合 ט-に換える)の理解と練習。

・先生推奨の入門書の「レッスン7」(משפּחה אין אנדערע לענדער)を先週から引きつぎ輪読。(富む者が仲間を支援するユダヤ人の共同意識=単位が分かるような気がする・・・もしかしたら、宗族を超えた宗教的な屋根=民族性の下に水平な一義的で原則な関係があるのだろう)

今日は、睡眠不足か、知恵熱か、ちょっと冷やしてリブートしよう。私のPCもそうしている。

2017年6月7日水曜日

梅雨入り 2017

どんよりした空に窓の明かりがくすめば、気掛かりがあるわけでもないのに何となく気が重くなる。ネットの注文とコピーついでにコンビニに行けば、途中、ぽつぽつと雨滴を感じる。そして、それ以上のこともない。

ハフィントンポストによれば、「気象庁は、6月7日(水)、四国、中国、近畿、東海、関東甲信地方が『梅雨入りしたとみられる』と発表しました」(6/7)とのこと。以前ブログに記したものを見返せば、だいたいこの時期。桜の開花時期と違って心が踊らないことに、モンスーン地帯の米作の末裔のくせ申し訳ない気がする。ちなみに、一週間天気予報では、曇り空がしばらく続くようだ。

(本ブログ関連:”梅雨入り”)

(付記)「新聞エンマ帖」
話しは違うが、月刊「文芸春秋」に「新聞エンマ帖」があった。辛口な小批評で、大手紙の事件記事を中心に比較していたが、いつのまにか消えたようだ。中学生のころ、いわゆる中2世代にとって、面白いページだった。大手紙を当時でも併読するユーザーがそんなにいたとは思えなかったと思う。ただ、小ネタに終始していたような気がする・・・。今は、ネットがいろいろな幅を以ってその役割を果たしている。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 想像の生き物

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/31)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、想像の生き物に関連した曲を紹介した。(未聴取のため他語版を参考にした)

火を吹く西洋の「ドラゴン」と違って、東洋の「」は水中(地中)に発生する。仏教伝来の水神を「竜王」とも呼ぶ。朝鮮時代初期の宮廷曲目に「水龍吟(수룡음)」があった。(今回聞く、「水龍吟」は朝鮮時代初期のものと違う)

▼ 「短簫(タンソ:金管)」と「笙簧(センファン:日本の「」に似る)」の演奏による「水龍吟」を聞く。

いままで使われることのなかった「笙簧」は、構造・材質を新しくして、現代曲演奏に登場するようになった。

▼ 「Libertango」を聞く。音色はアコーディオン(小型の「コンサーティーナ」のよう)に似る。今様に軽快に。

李氏朝鮮後期の風俗画家、「申潤福(신윤복、1758年~没年不明)」の絵に、蓮の花の池を眺めながら、長めの喫煙パイプと笙簧を持った女性を描いた「蓮の池の女(연못가의 여인)」がある。

▼ 「蓮の池の女」を想像しながら、笙簧演奏「거울자아(鏡自我)2」を聞く。今様に。