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2017年12月11日月曜日

印象派絵画と写真

印象派絵画と写真撮影が表現を競った時期があったようだ。そのような写真を記録した展示会や冊子を見かけないのは残念だ。(写真の出現は、画家たちに大いに驚異だったに違いない・・・、そこで画家たちは、映像を「個性」という名の個人的な美意識の世界に取り込んだ)

(本ブログ関連:”絵画”)

静止画から動画(シネマトグラフ)に変わったとき、画家は、三次元を二次元に分解したキュービズムで競った。こちらは、両者は映画や抽象画に発展したが。

印象派の絵画で気になることがある。緑陰を青で表現することだ。はたして、人間の視覚で感じ取れたことだろうか。

光を直接捉えるのに、ピンホール利用のカメラ・オブスキュラや、レンズの色収差からヒントを得たのではないだろうか。

(フェルメールの世界を髣髴させる、カメラ・オブスキュラの映像)

(Youtubeに登録のNational Geographicに感謝)

2017年12月10日日曜日

梵音

イ・ソンヒの音楽的な才は、伽耶琴(カヤグム)と唱を楽しみ、こよなく彼女を慈愛した祖父、そして声がよく通り、仏教音楽の梵唄(ボンバイ:범패)指導に長くたずさわった父親の影響を大きく受けたようにみえる。

資料)「梵唄」の解説(「NAVER百科事典」)
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・寺院で主に斎を上げるとき歌う歌。
・「梵音」(ぼんおん、ボムウム)、「魚山」(オサン)とも呼ばれている。仏の功徳を賛美する歌で、「梵唄」は、インドの声という意味だ。荘重で厳粛、「和請」(화청)を除いては声に意味が含まれていないことが特徴だ。
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梵唄、梵音ともいうこの仏教の詠唱を、俗人に果たしていかに聞こえたか。まれに葬儀のときにしか聞かない、仏僧の読経に、意味も分からずいささか眠く惑わしくなる、かも知れない。

昔、中国の唐の時代に、商人が < 玄陰池(げんいんち) > で経験した不思議なできごとも、眠りに誘われてのことのようだ。(岡本綺堂「中国怪奇小説集  宣室志」の < 玄陰池 >)
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商いに出かけた商人が大樹の下で眠っていたとき、一人の僧が現れて、五台山の麓に居をかまえているのでと誘われ付いて行く。大勢の僧が、玄陰池にひたり暑気をしのぎながら、< 梵音 > を始めた。商人は、なかば強引に冷たい水中に引き込まれる。・・・夢が覚めた商人は、元の木の下で、びしょ濡れになって眠っていたのである。(以下略)
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ありがたい梵音も、実は蛙の鳴き声だったというわけだが、単調な繰り返しは宗教的な表現にありがちで、歌であれ動作であれ共通して見られるようだ。(シャーマニズムにおいては、繰り返しの回転、跳躍、あるいは前後の揺すりがあって、ある種境地へ到達する手段のようにもみられる)

2017年12月9日土曜日

(TED講演)リサ・ジェノヴァ「アルツハイマー病を予防するためにできること」

物忘れするたび、漠然とした不安がある。やがて具体的なアルツハイマー病へとつながる恐れだ。何車線もある広い道路を進んでいたつもりが、いつのまにか、片側が深くえぐれた峡谷の後戻りできない細道を走っているのではないかと。考えない方がましなことの一つだ。

そんな時、作家・神経科学者のリサ・ジェノヴァが、TEDカンファレンス(NHK「スーパープレゼンテーション」で放送)に登場して、「アルツハイマー病を予防するためにできること」をスピーチした。気休めかもしれないが、少し安心をくれた気がする。(彼女は小説「アリスのままで」の著者だそうだ・・・未読だが)

(本ブログ関連:”TED”)

講演者リサ・ジェノヴァの話題に、次のような言葉があったので記す。

・研究開始時に75才以上だった678人の修道女を、20年以上追跡調査したものがある。
・彼女たちの死後、脳は全て解剖研究に提供された。
・科学者たちは、いくつかの(アルツハイマー病羅患の)脳に驚くべき発見をした。
・アルツハイマー病の兆候があるのに関わらず、こうした修道女たちは、生前何の症状も示していなかった。
・これは、彼女たちがより機能的なシナプスを持っていたといえる。
・長年、正規の教育を受け、識字率が高く、精神的で刺激的な活動に定期的に従事する人は、すべて認知予備力がある。
・アルツハイマー病のような病気があっても、或いはシナプスのいくつかが傷ついても、 バックアップ接続が可能である。
⇒ 迂回するシナプスの可能性
(アルツハイマー病にかかりにくい脳を作るため、クロスワードパズルのような <知っていること> をやるのでなく)
・ 外国語を習ったり、新しい友達を作ったり、本日のようなTEDトークを聞くことです・・・と。

(TED講演に感謝)


2017年12月8日金曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 林芳蔚、スクテモリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、林芳蔚임방울、1904年~1961年)の「スクテモリ(쑥대머리)」ほか関連する曲を紹介した。
(ネット未聴のため解説記事のみを記す)

始めに、「林芳蔚」が歌った「スクテモリ」について次のように紹介された。
・1925年、ソウルの景福宮で開かれた毎日新報社の歌い手大会に、小柄の男が舞台に立ち、みすぼらしいみなりに注目されぬも、彼が歌いだすと場内は静まり、歌い終わる頃には、涙する人も見られた。彼こそ伝説の歌い手「林芳蔚」だった。曲は、「春香(춘향)」の獄中歌を表現した「スクテモリ」で、レコードになり、20万枚とも100万枚以上が売れた。当時の状況を考えると、20万枚も決して少なくない。

▼ 「スクテモリ」の歌。⇒ Youtube(登録者に感謝)

次に、林芳蔚と妓生「珊瑚珠(산호주)」との物語について次のように紹介された。
・人々は、林芳蔚のパンソリに惹かれ心を慰めた。彼の葬儀に多くが訪れた中に、ホームレスもいた。歌を聴きたい彼らに、無償で観覧させてくれた恩返しだ。そんな林芳蔚は、妓生の珊瑚珠に夢中になり、歌を忘れ、声が出なくなったとき、何も言わず彼女も元を去った。珊瑚珠は、病になり亡くなる。その彼女を抱きかかえて、林芳蔚は「思い出(추억)」の曲を歌った。

▼ 「思い出」の歌と演奏。<切ない歌詞に、今も涙を流する人がいるという>⇒ Youtube(以上の登録者に感謝)

最後に、林芳蔚と金演洙(キム・ヨンス、김연수:1907年 ~1974年)の関係について次のように紹介された。
・英雄にライバルがあるように、林芳蔚に、「金演洙」がいた。林芳蔚は貧しい生まれで、学問とかけ離れ、歌一筋で生きた。喜びも悲しみも、人々と共感した歌い手として知られる。一方、金演洙は、豊かな家に生まれ、漢文も学んだ。パンソリに漢詩文表現が多数あるため、適当に歌う歌い手があった中、金演洙は、その意味を生かして歌った。林芳蔚の人気に対して、金演洙は、事の内容も知らぬとけなしたが、林芳蔚は、事の内容を求めては歌が台無しになると返した。また、林芳蔚には、きれいな音質のレコードがほとんど残っていないのに、金演洙には、本やレコードなど保存されて、二人の人生の違いが垣間見られる。

▼ パンソリ「水宮歌(수궁가)」から「皐皐天邊고고천변)」。⇒ Youtube(登録者に感謝)

2017年12月7日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-10th

イディッシュ語教室の、今年の残り回数は、今日を含めて後2回。あっという間に進んできたが、こうべを倒れるほどの実りは乏しく、ただすっくと天を見上げる能天気。このまま、足手まといにならぬよう付いていこう。

今回も、いろいろ多彩な授業だった。
文法編1:名詞の単数/複数と性に応じた「形容詞の接尾辞」・・・ 今回のところ!
・単数: ① 男性名詞 + ער-形容詞 + אַ/דער、② 女性名詞 + ע-形容詞 + אַ/די、③ 中性名詞  + 接尾辞なし形容詞 + אַ、中性名詞 + ע-形容詞 + דאָס
・複数: 名詞 + ע-形容詞
文法編2: 副詞 ≒ 形容詞(接尾辞なし)
文法編3: 名詞 + נישטקײן + 動詞、נישטは動詞の後ろ、קײןは名詞の前

前回の練習時に、いくつかの単語が話題になり、辞書「Comprehensive English-Yiddish Dictionary」から紹介された。
・SF(Sci-Fi:Sience fiction): די װיסנשאַפֿטלעכע פֿאַנטאַסטיק 
   SFの分類に、科学中心の「ハードコア」と、文学的ストーリー中心の「SFファンタジー」があるが。

その他の話題
・書籍:遠藤周作著「聖書の中の女性たち」の紹介。キリスト誕生の場面に、人間的視点とその洞察があるようだ。
・DVD:  映画「א געשעפט(A Gesheft)」を前回に続き結末まで見る。主人公が宗教的救いを得てラビとして生きる。

(ただ、遠藤周作すなわち「狐狸庵先生」の姿を見たくて)

(Youtubeに登録のLINDMINATORに感謝)

2017年12月6日水曜日

(雑談)テレビについて

(白黒ブラウン管の)テレビが初めて家に来たとき、毎日が映画館だと歓喜した。アメリカのテレビ番組「ハイウェイ・パトロール」に始まり、子ども向け番組(正義の味方の)「月光仮面」など楽しんだ。漫画雑誌は、まだ購買層の年齢アップにシフトしていなかった。

随分と年を経た現在、そんな興奮は当然ながら残っていない。それどころか、テレビは気のいい友人のように、いつのまにかこちらに入り込んで来ることがある。ある意味うっとおしい、野放図な存在なのだ。

一方、PCでWEBにしばらく集中した後、テレビを久し振りに見ると、最近の傾向だろうか、効果音がやたらうるさいのに気付く。聴き取りが悪くなって、音量を上げざる得ないからかもしれない・・・悩ましいところだ。そこで、思い切ってリモコンの「消音」ボタンを押すと、急に落ち着く。この効用はばかにならない。

電気工事のついでに、高精細の4K有機テレビの紹介を受けたが、今後購入することはないだろう。Youtubeに、新型テレビの基本設定を紹介するものがあって、いろいろな機能を解説してくれる。でも、それが面倒なことに思えるし、必要も感じない・・・「それが、そんなにいいことなの」といった思いしか浮かばないのだ。さように、新しいことに関心がなくなっている。

ただし、イ・ソンヒさんが歌う姿を、4Kテレビで一度見てみたいものだ。(聞くところによると、来年中に8Kテレビまで登場するという)

(付記)
「Windows 7でアップデートに失敗する不具合が発生中」(PC Watch 12/5
- 今のところ、解決の糸口はない模様!
⇒ 次の「ネットセキュリティブログ」を参照して、解決しました(12/9)・・・ 感謝。
    「『Windows 7』の『Windows Update』の確認が終わらない場合の対策方法について

2017年12月5日火曜日

年齢と誕生日について

韓国では、今も年齢を「数え年」でいうようだ。昔の日本もそうだったが、今は満年齢なので数え年を直感しにくい。また、誕生日について、韓国では旧暦でいうようだ。(70年代初頭までは、旧暦の誕生日を祝ったそうだ・・・ 新暦カレンダー上、毎年日にちが違うので変な感じがしただろう)

現在、イ・ソンヒのファンクラブも、誕生日を(日本風に今様に)新暦で祝っているようだ。

彼女の誕生日は、旧暦で1964年11月11日、新暦で12月14日になるのだが、いまだに、<旧暦を新暦に変換した該当日と、旧暦当日の新暦そのままの日 >を混乱して、ブログに記述の誤りがあるかもしれない心配がある。

正直、ネットの「新暦・旧暦変換」ツールで、つど確認しないと不安だ。作成者に感謝。

2017年12月4日月曜日

月明かり

今夜の「満月」は、「スーパームーン」といって、いつもより大きく見えるそうだ。韓国語教室の帰り道、雲間から明るい月明かりが射すのを感じたが、立ち止まって見上げる余裕はなかった。何しろ寒い、急いで帰った。

部屋で温もって気付いた。ちゃんと見ておけばよかったと。少々残念な思いしながら、じゃあ実際に窓を開けて覗くかといえば、寒さに躊躇する。その程度の根性なのだ。

だから、美しい旋律で、月明かりを想像してみたい。月光に包まれたような、浮遊感すら感じさせる、ドビッシーの「月の光」を、フジ子・ヘミングの演奏で聞かせていただくことにしたい。

月明かりに色があるなら、この曲には白光を感じる。漢詩なら青いだろう。さて邦楽ならどんな色になるだろう。


(Youtubeに登録のpinkurouに感謝)

2017年12月3日日曜日

そろそろ「第九」の季節

年末、この時期になると、各地の交響楽団と合唱団によるベートーベンの交響曲「第九番」(合唱付)が演奏される。なぜ12月なのか、日本での盛況ぶりについて、いろいろ話題があるが、大勢でやれる恒例の(文化)行事になっているのだから、楽しめればいいのではないだろうか。(日本は年末行事が好きだし、ヨーロッパはニューイヤー行事が好きなようだ)

学生時代にオケラにいて、「第九」演奏で、ある金管パートを経験したことがある。発表場所も上野駅前にある演奏会場、といえば大層に聞こえるだろうけど・・・本当は・・・そうだったに違いない。

練習の際、分厚いスコア片手に、各パートの特徴部分を蛍光ペンで色付けしたりした。ところで、実際の演奏譜面はどうだったかといえば、ヴァイオリンの場合、冊子といっていいほどの厚さをしていたのに比べて、われらの金管パートは、(A3よりもちょっと大きい)用紙一枚の見開きに全4楽章があり、しかも第2楽章と第4楽章しかないのだ。(ベートーベンの時代、金管楽器は、リズム楽器的な扱いが多かった。歴史的なわれらの金管は、合唱と親和していたので・・・第4楽章が華だったのかな)

(本ブログ関連:”ベートーベン”)

まあ、そんなわけで、勲章は大きいけれど、内実は正直なところ、第3楽章の待ち時間がとても辛かった記憶がある。(ワグナーの時代になると、金管が俄然輝きをます・・・こちらはとても手に負えない)


(Youtubeに登録のRay Nittoloに感謝)

2017年12月2日土曜日

三隣亡

どういうわけか存ぜぬが、今日は「三隣亡(さんりんぼう)」で、ネットによれば、 < この日に建築をすれば火事を起こし、近所隣をほろぼすといって忌む日 > だそうだ。手元の日めくりカレンダーには「三りんぼう」と書いてある。

ご近所に新築現場があるが、誰も気にしない。(Wikipediaによれば)起源も不明、歴史も古くない、「三隣宝」から「三隣亡」へ、吉日から凶日に転じた俗信という。縁起でもないとはいえ、どうもピンとこない。家作りはそうそうないのだから。

年末になると、「火の用心」の掛け声が聞こえてくる。思いつきだが、今晩からこれを始めると、実感が増す気がする。夜分、寒い中を廻ってくださるボランティアのみなさんに、そんなこと正面から言えるわけはないけれど。

(本ブログ関連:”火の用心”)

この「三りんぼう」の発音、どこかのんびりした響きがして、凶日のイメージが湧かない。ひらがな書きすると、ますます気が緩む。

2017年12月1日金曜日

今日から12月

ついにやって来ました、12月が。年末も残り31日間しかありません。一年(365日)で見れば、11/12が過ぎてしまい、あと1/12しかないのです。いつものように、食ったリンゴで例えるなら、もう味わえるほどもないのです。

書店に、カレンダーどころか、「家計簿」までもどっさり並んでいます。気分は来年です。とはいえ、町に変わった様子は見られませんが、気ばかり焦ります。師走です。

実は、今日のブログ、テレビを見ていてうっかり今日中に書くのを失念してしまいました。タイムスタンプはアリバイ作りですが・・・日付が回った後から、つじつま合わせしています。

リンゴの例え話をしたので、イ・ソンヒの13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年、作詞・作曲イ・ソンヒ、編曲チェ・テワン)を聴いてみましょう。

思い出に別離が刻まれては辛いでしょう。花咲くリンゴの木の下で、そんなこともあったねと笑えればいいのですが、そのときは5月、まだだいぶ先のこと。春になればと想えば、しばらく寒い冬も耐え忍べるかもしれません。

(本ブログ関連:”リンゴの木の下で”)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年11月30日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-9th

先週、大学祭のための休講をまたいでの授業、久し振りの感がするのは不思議。何のことはない、日ごろこつこつと積み重ねを怠っていた証かも知れない・・・、かすかに雨粒を感じながら出かけた。

今回は、いろいろ豊富な授業だった。
・文法編:(名詞の<複数>の続き)複数形の作り方、① 接尾辞に、ער, -ס, -וח- を付ける、② 名詞の母音の変更、③ 接尾辞に、ן, -ען- をつける、④ ヘブライ語男性名詞に ים- を付ける。
         例 (Book)    複数     単数
         ----------------------------
         Yiddish      בוך   ביכער
         Hebrew    ספֿר  ספֿרים
                       [sforim] [seyfer]
         ----------------------------
その他の話題
・書籍:「Unchosen」超正統派コミュニティーからの離脱について(社会学者の調査を元にした本)
・DVD:  映画「א געשעפט」、前回、音声が聞こえなかったが、前半一部を鑑賞できた。
・余談: Tevaサンダル

前回の教室で、仲間に紹介された、イディッシュ語作家「アイザック・バシェヴィス・シンガー」の小説「悔悟者」(大崎ふみ子訳、吉夏社、2003年)を読んだので、感想方々持参した。俗(肉欲)なるものから聖なるものへの転換だが、実はそれが二重らせんしていて、作者は物語の背景にシニカルな独特な視点を持って描いているようだ。(主人公が作家に語りかけるといった体裁は、どこかで見たようで、随分と直截的だ)

(本ブログ関連:”アイザック・バシェヴィス・シンガー”)

(気分しか記憶にないけれど)大審問官との論争や、状況に屈する転向論のような苦さを、心に準備ないままこの物語から感じ取るには遠いかもしれない。「本来あるべきユダヤ人」をイメージできる知識も情報もないのだから。でも、主人公のヨセフ・シャピロが、悔悟者にいたるふらつきぶりが人間らしくて面白い。どうやら彼は、非ユダヤ的ではなくなったようだ。身の置き場をやっと見つけたといった方が、分かりやすいかもしれない。
(他の教室仲間も、この小説を読まれるとのこと)

ユダヤ人も、そのコミュニティーの中で、あるいはその出入りにおいて、それなりに大変でやっかいな問題を抱えながら生活しているようだ。人に共通なこと、ユダヤ人ならではのことで・・・。

2017年11月29日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 高麗の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、高麗時代の歌「双花店(쌍화점)」ほか関連する曲を紹介した。
(ネットの日本語放送未聴のため英語版ほかを参考にした)

始めに、高麗時代の歌「双花店」について次のように紹介された。
・「双花店」は、餃子店を意味する。「双花」は、最近の餃子ではなく、肉と野菜の具が小麦粉生地の中に詰め込まれたもの。発酵したワインで作られた味のないパンのようなもの。この歌に、イスラム教徒の商人が触れられたわけは、昔、高麗の首都(開京)に中央アジアのイスラム教徒商人たちが居住するコミュニティがあった。

▼ 高麗時代の「双花店」(推定の歌)を聴く。女性が行くところ男たちが手首をつかむという、大らかな時代か。

次に、高麗時代の <別れを惜しむ歌>「去りしや(가시리)」について次のように紹介された。
・高麗時代の俗謡は、朝鮮時代になって儒教精神のため排され、残るものが少ない。この「去りしや」も、「双花店」の歌と同様に推定された歌である。これらは、<「楽章歌詞(악장가사)」(高麗時代から朝鮮朝初期までの歌謡・楽章など集めた歌集)にある>。

▼ 高麗時代の歌「去りしや」を聴く。幻想的な雰囲気にして聞かせる、今様に。

最後に、高麗時代の「青山別曲(청산별곡)」について次のように紹介された。
・高麗時代に歌われた「青山別曲」は、朝鮮前期の成宗代に編纂された「時用鄕樂譜(시용향악보)」に記録された。それぞれの(階層などの)立場からさまざまに歌われた。

▼ <緑の山々で余暇と幸福の生活を送るための歌>「青山別曲」を聴く。今様に。

2017年11月28日火曜日

3人兄弟と魔物

シベリアの少数民族の民話集「シベリア民話集」(斉藤君子編 訳、岩波文庫)に、魔物に取り付かれた3人の兄弟の話がある。民話というか物語に、神話の祖形ともいえる共通な部分がある。3人の兄弟、長男と次男の非業の死と三男の活躍。その場面に <火> が登場すること、そして <生と死> が背中合わせのことなど。

(本ブログ関連:”シベリア”、”シャーマニズム”)

① ケト族の「月と太陽」の話。
3人兄弟の、上の二人はシャーマンで、下の一人は普通の人。ある夕方、家に魔物(ムィラク)が入ってきて、長男、次男に死を告げ、順に棺桶に入れてしまう。三男は戦い挑んで、逆に魔物を棺桶に閉じ込めてしまい、天に逃げのびる。若者は、そこで若い女性と出会って妻にする。七年後、兄たちの死を悼む彼は、地上に戻ることになる。
その機会を待ったように、魔物は、閉じ込められた棺桶から飛び出し、いどみ掛った。三男はやっとのことで魔物を棺桶に再び閉じ込め、天へ登りながら、妻からもらった「櫛」で森を、「火打石」で崖を作って魔物をかわし逃げた。
やっと妻の手を握った瞬間、魔物にもう片方の腕を掴まれてしまう。両方から引っ張られた彼は半身に裂けてしまう。以来、妻は昼の間、人びとを照らしながら夫をあやし、夜にになって妻が眠るとき、夫は半身で大地を照らすことになった。

② エベン族の「三人の息子」の話。
ある朝、祖父と三人の息子が住む家のまわりにヘラジカの足跡があった。長男は祖父の制止も聞かずあとを追った。そしてヘラジカを見つけて仕留めたが、日が沈み夜営することになる。夜の闇の中から老婆が現れて肉を求めた。そして寝袋と銃まで貸し求めた。明け方、老婆は熊や狼を呼び寄せ、長男を襲わせる。その翌日、同じくヘラジカの足跡を追って出かけた次男も老婆の手にかかる。
一番下の息子は、三たびヘラジカの足跡を追うことになるが、用心深く、老婆のたくらみを見破り反撃する。熊と狼の腹から、兄たち骨と肉を引き出す。彼は、老婆をいたぶって、兄たちが蘇るわざを聞き出して、「命の湖」まで連れて行かせる。老婆は焼け焦げる湖など使って欺こうとするが、ついに「命の湖」にたどりついた三男は、そこの水を持ち、老婆の背にまたがって、兄たちの元に戻り、蘇らせることに成功する。
三人は老婆を穴に投げ込み、虫けらになるまで燃やした。這い出そうとする虫けらを集めて三日三晩、灰になるまで燃やし続けた。みなが安心して暮らせるようになったのはそれからのことという。

民話、もっと大きくいえば神話やシャーマンの物語につながるストーリー。小屋の中、焚き火(たきび)のまわりで、ひとびとがじっと耳を澄ます時、語り継がれたものだろう。民族にとって、人間にとって、そこには教訓があるのかもしれない。死を厭わぬこと、その中で知恵を付けること。そして、帰還して繁栄に結び付けること。神話には基本のかたちがあるようだ。

2017年11月27日月曜日

方向音痴

子どものころ、自転車に乗って知らない場所へよく遠出した。闇雲に走るのだ。電信柱の住所表示が今ほどない時代、完全に道に迷うことになる。

そこから始まる。大平原や砂漠を旅するように太陽を眺めながら、現在地を推測しつつ元に戻るのだ。来た道をそのままたどるのではない。いかに、見知らぬ道を通り抜け、帰還するかを内心ヒヤヒヤしながら楽しんだ。

あるとき、中年になって、都心の地下鉄駅から地上に出て脳内コンパスが全く効かないことに気付いた。愕然とした。いったん、方向音痴を自覚してしまうと、以来見当がつかなくなる。常習化するのだ。自信をなくした。あっけないほどに方向音痴に身をやつした。

(本ブログ関連:”方向音痴”)

冒険心をなくし、都内地図も目にしなくなった。今は、方向音痴を認め、通りがかりの人に素直に聞いてしまう。意固地に気張ることも、信念を押し通すこともなく、考えてみれば、街の環境もすっかり変わっているわけで、自分の方向感覚がいつまで通用するものでもないと・・・そう考えたりする。(たまに通る道で、すっかり更地になった空き地を見て、さて以前何があったか思い返しても浮かんでこないことがある。ましてや街の様変わりはなおさらだ)

2017年11月26日日曜日

(資料)朝鮮の地震(明治38~昭和9)

国立国会図書館のデジタル資料に、近代朝鮮半島の地震観測資料がある。「朝鮮気象三十年報」(朝鮮総督府観測所編、昭和11年(1936年))に掲載の、「十三章 地震」(隼田公地 執筆)に、明治38年(1905年)~ 昭和9年(1934年)の30年間の、各行政地域別地震発生回数が表示されている。

行政地域ごとの測候所・簡易観測所で観測した地震回数が記されている。地域別に最大観測回数の観測地とその回数を転記するにとどめる。
・当時、観測の地震震度は、微震~弱震程度
・測候所は十数か所、簡易観測所は150数箇所

行政区域  観測地     回数
----------------------------
平安北道  龍岩浦       6
平安南道  平壌        16
黄海道     馬山          4
京畿道     仁川        31
忠清北道  報恩        12
忠清南道  扶余        12
全羅北道  全州        15
全羅南道  木浦          8
咸鏡北道  清津          1
咸鏡南道  元山          7
江原道     横城          5
慶尚北道  大邸         15
慶尚南道  釜山・昌寧  6
----------------------------

上記は、参考資料であって、観測設備や機器の精度など、現在と比べるべき点があるかもしれないが、大邸は昔ながらの地震観測地であるようだし、他地域にも特異な偏りが見られるようだ。

2017年11月25日土曜日

公園のススキ原

朝、起きるのがつらい季節になった。勢いで起床しても、しばらくストーブで暖まる。着替えも遅れ、外出までに時間がかかる。窓越しに陽射しのぬくもりを感じる昼ごろ、ようやく出かけた。

昨日、「外語祭」の帰りに寄り道した公園に隣接する小公園を散歩する。太陽の高度は低くまぶしい。やがて、遠くの木立の奥に落ちると、一挙に冷えびえすることを知っている。長居はできないけれど、しばらくベンチで温もる。そして、うつらうつら心地よい時を過ごす。

目の前の河原に群生するススキは、逆光の中で穂を真っ白にして揺れていた。冬を知って身支度をしているようだ。そんな様を見ていると、おじさんはなぜか身近に感じる。

堤を(滑るように)よろよろと降りて、秋空に浮かぶススキの姿をカメラにおさめた。

2017年11月24日金曜日

外語祭 2017

平日の金曜日、人出を案じつつ、「外語祭」(11/22~26)に出かけた。ここ数年、学生たちの演じる <語劇> の観劇を楽しんだが、今年は大学祭の雰囲気だけ味わうことにした。(日頃お世話になる者の勤めとしてお邪魔したしだい)

(本ブログ関連:”外語祭”)

キャンパス中央にある円形広場は、思いのほか多くのひとびとであふれていた。平日もあって、(受験生や家族連れというよりは)他大学の若者たちが中心か。もちろん、年配者もそれなりに隙間を埋めていたが。(他方、講義棟の展示は少々寂しい気がした・・・)

広場を囲む回廊に、学生たちが専攻する言語と密接な民族料理店が開かれていた。いわゆる大学祭の屋台だが、ここは外語大らしい品揃えになっている。ビルマ料理の屋台で、菓子「サヌイマキン」(少し弾力のある < ココナッツミルクと小麦粉で作る優しい味のしっとりケーキ >)とミルクティー「ラペイエ 」(ものすごく甘い < 濃厚なミャンマー風ミルクティー >)をいただく。今年も甘い菓子を楽しんだことになる。

帰り道、紅葉に彩られた公園に寄る。人影はまばらで、辺りは静まりかえっていた。まさに黄、紅、茶、緑の色づくし。春の生気あふれる華やかさと比べて、やがて冬を迎える束の間の紅葉に染まった公園には、落ちついたたたずまいがあった。

2017年11月23日木曜日

勤労感謝の日 2017

今日は国民の祝日「勤労感謝の日」、勤労を尊ぶ日だ。昔、子どものころ、食事が済んで茶碗に飯粒が残っていたりすると祖母にたしなめられた。「お百姓さんが一生懸命働いて作ってくださったものを、最後まで大切に食べなさい」と。食事を通して、勤労との結びつきを知り、子どもながらにもそれを感謝する(単に商品ではない)意義を理解できたと思う。

(本ブログ関連:”勤労感謝の日”)

この祝日に、収穫祭でもある、宮中の「新嘗祭(にいなめさい)」がある。国民行事の名から離れてしまったためか、戦後生まれの者には、あまり身近に感じることはなかった。親世代が口にした、昔の行事といった記憶でしかなかった。(もし近くに水田があって、米の収穫を目にし、神社へ奉納する祭事があれば、違ったろうけれど)

歳をとると、伝統のいわれが気になるものだ。新嘗祭に、新米を食べることを知れば、その継承の必要性もわかる。<勤労感謝の日> と <新嘗祭> がようやく結びつき、実感するようになった。

今年も、電車内に、新米ブランドの広告が賑やかに飾られた。次々と新しいブランド米が出てくると、何がいいのか、どうやって食べればいいか気になる。美味い食べ方を知りたいものだ。

(付記)
木曜日に定例の「イディッシュ語」教室は、大学祭の期間中でもあり、休講となった。この余裕を、何に振り向けているというのか・・・。

2017年11月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 步虛子

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「步虛子(보허자)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、中国伝来の「唐楽(당악)」曲、「步虛子」と「洛陽春(낙양춘)」について次のよう紹介された。
・韓国伝統文化も、他文化との交流を通じて発展してきた。伝統音楽も同様、古来の「太平簫(태평소)」は中央アジアの、「奚琴(해금)は遊牧民の楽器だ。「仮面劇(탈춤)」に「獅子舞(사자춤)」があるが、韓国に獅子はなく、他地域の影響が推測される。現在ある宮廷楽には、統一新羅~高麗時代に中国伝来の唐楽曲の、「步虛子」と「洛陽春」がある。一千年以上経たものの、他の宮廷楽と少し違う。「步虛子」は、元々、漢詩歌詞があったが、吹奏楽だけが伝わる。

▼ <空中を歩く> 意の「步虛子」の演奏を聴く。そう思って聞けば浮遊感あふれるよう。

次に、歌詞を(復元という名で)盛り込んだ「步虛子」について次のよう紹介された。
・現「步虛子」は、道教との関連を推測して、国家太平を祈る歌詞が盛り込まれる。<天の美を仰ぎ、天の楽を奏でると、金色の鳳凰、銀色の鵞鳥が並ぶ>と平和な様を表わし、<王の長寿、民の平安、天の楽があまねく広がるよう、この杯を捧げる> という。ゆたりとしたテンポ、平和なリズムだ。

▼ フュージョングループ演奏によるモダンに編曲された「步虛子」を聴く。こちらは近距離で露に聞くよう。

最後に、中国宋代の政治家で文人「欧陽脩」(1007年~1072年)作「洛陽春」について次のように紹介された。
・もう一つの曲、中国宋代の政治家で文人「欧陽脩」作と知られる「洛陽春」は、<夕日の春> の意を持つ、(1960年代に付した)歌詞も幻想的だ。<まだ日は昇らないのに、鶯の鳴き声が響き> で始まる、幻想的な様を表わす。<渡り鳥にむかって、夫の便りはないかと尋ねる> 歌詞。愛する人を待つ想いを表わす歌だ。

▼ コムンゴとフルート二重奏に編曲した「洛陽春」の演奏を聴く。掌に聴くような小品、印象深い。今様に。