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2017年6月6日火曜日

(雑談)知恵の葉っぱ

子どものころ、祖母が「あの人もスーツを着れば立派に見える」といったりした。衣装が立場を現す古い時代を経験したからだろう。モードの発達に歴史的背景があるように、当時スーツに意味があった。

ネクタイなしで着るのが流行っている。シャツの襟を立てたりすると、IT業界の切れ者のポーズになる。そればかりか、スティーブ・ジョブズの影響で、黒タートルを着たりするものもいるようだが、さすがにこれは気が引けているのか、なかなか目に付かない。おじさん体形にも難しいのだろう。

昔、日本のレーシングドライバーの先駆者といえる方がとてもカジュアルな話し方をしていた。若者雑誌が流行した時代とかぶさっていたのじゃないかな。今では、そんな喋り方も普通になった。深夜ラジオが大いに話法を開発したのかもしれない。

つい最近まで、マーク・ザッカーバーグのような早口喋りをする連中がいたが、それもテレビから見かけなくなった。結局、業界での実力が追いつかないのだから真似るには限界がある。

テレビが白黒時代だったころ、米ドラマの「ハイウエィパトロール」に登場する警官の制服と、日本の警官の制服を比べてだいぶ違うなと、あこがれ半分、感心したものだ。その頃、ある国の警官のスタイルが米国と似ていて、それを見て日本が遅れているのではと思ったりしたが・・・実は、その国、いまだにワイロなどの問題を抱え続けているという。

表面だけ整えたり、真似しても続かないことが多い。凡人はどうすればいいものやら。

ある平凡な男が、アダムとイブの知恵の園から嵐が運んできた知恵の葉をサンダルの裏に偶然貼り付けて、知恵者になるという寓話がある。流行に乗るでもない、衣装や振る舞いを真似るでもない、そして見掛けも関係ない・・・ただ、幸運と巡り会うだけ、そんな秘かなバイパスがあるといいのだが。

2017年6月5日月曜日

青天の霹靂

隣り町の図書館で借りた書籍を返却した帰り道、ちょうど西に向かって進んでいた。正面に傾いた陽がきらきらしてまぶしい。天空の7割以上に青空が残っているそのとき、ゴロゴロと雷鳴がした。「まさか?」とひとりごとする。充分晴れていて、青空をのぞかせているのに・・・。

商店街の通り道をはさんで、おばあさんが二人向かい合いながらしゃべっていた。東の空を指して「あっちは真っ暗だねえ」。振り返ると、真っ白な積乱雲が横たわり、その下を鈍色の雲がたれ、さらにその下を雨雲だろうか黒雲が遠く東の町を埋めていた。

再び雷鳴がつづいた。しかもかなり近くに聞こえる。イ・ソンヒの「キツネの嫁入り(여우비)」を思い出したが、今回は、お天気雨でない。晴れ空に雷鳴とは、まさに「晴天の霹靂」。さすがに、彼女の歌にそんなものはないだろう・・・。

Youtubeを探すと、なんと青森県産の米「青天の霹靂」のCMソング"が登録されていた。県民が「青天の霹靂」と書いた書を持って次々登場してくる。最後がいい、一転おにぎりを美味そうに頬張るのだ。「真っ白いおにぎり」は絶対、唯一無二の日本食の原点だと思い起こさせる。こちらは、「まさか?」ではない。



(Youtubeに登録の青森県広報広聴課に感謝)

(追記)
どうも、青森県産米「青天の霹靂」のCMはシリーズ化されているようだ。ああ、おにぎりが食べたくなる。

2017年6月4日日曜日

「レッドブル・エアレース千葉2017」 行ってみたかった・・・

昨日(6/3)、今日(6/4)、千葉県幕張で開かれた「レッドブル・エアレース千葉2017」に行ってみたかったけれど・・・気持ちがあっても体力がない。でも、当日の様子をYoutubeで見られると期待した。

早速Youtubeに、エアレースのサイドアクトとして実施された、「零戦」と「DC-3」の飛行映像が登録された。それも、会場にかなり接近した様子の近距離撮影で。(6/3撮影のようだ)
(6/4については、ハフィントンポストに、零膳DC-3の飛行写真が掲載されている)

DC-3は九州から順次北上して、今回のイベントでぶことが事前に知らされていたが、零戦は昨日のニュースで知った。どちらも、レシプロの排気音がたまりません・・・飛行機を生命体に例えるなら、エンジン音はまさに心臓の鼓動。その爆発音に一体化してしまう不思議な魅力がある。

(本ブログ関連:”飛行機”)

零戦(日本人所有の機体だそうだ: 低空を低速のためか、その身軽さが分かる)

(Youtubeに登録のあおのそらに感謝)

DC-3

(Youtubeに登録のgigazineに感謝)

2017年6月3日土曜日

イ・ソンヒの「水仙」

イ・ソンヒの5集収録の「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)は、「ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲」(チョン・イルソ)だ。当時、24、5の女の子がちょっと大人ぶって、少し、小悪魔的に(今じゃこんな表現もなくなった・・・)独白した。イ・ソンヒだからいいんだな。

自己愛の例えに、鏡(あるいは水面)に映る自身を眺める構図がある。独白もそんなものかもしれない。無限ループのフィードバックに迷わねばいいが、若いときは巨大渦に巻き込まれるものだ。でも、イ・ソンヒだからいいんだな。

イ・ソンヒの「水仙」に、ついつい聞き込んでしまう。彼女の清雅さを後ろ盾にしてね。


(ふふふ) みんな過ぎたこと

いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい

未練! (ふん、ふふ)

わたしが 水仙を好きだったとしよう

その花が散ったとしよう

それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう

それも日を決めておいて

ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(はぁ~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ


(Youtubeに登録の이원호に感謝)

2017年6月2日金曜日

(雑談)見えないものが見えること

眼力のある人が、あるいは直観力のある人が素晴らしい鉱物を発見する。ズリを掘り返して探し出すこともあれば、岩塊を叩き割って見つけることもある。それもこれも、背景に鉱物への深い関心と素養があってのこと。もっといえば、経験を忘れていないことだろう。これは全てあてはまるにちがいない。研究者から職人、マニアにいたるまで。

昔、CG創成期のころ、期待されながらも亡くなった中堅の研究者からこんな夢を直接聞いたことがある。子どものころ見た、手作業で撮った(コマ撮り)恐竜映画をCGで再現したいというのだ。ジュラシックパークのはるか以前のこと。

その研究者が、一般向けにCG作りの擬似体験をする機会を設けてくれたので参加した。とはいえ、動画以前の写真一枚分の作業だったが。ワイヤーフレームから作りこむことはなく、モジュール化した立体部品を使い、空間に配置するだけなのだが・・・。

基本の立体モジュールを変形・合体し、表面の材質をパラメーターで決める。空間配置は頭の中に座標を作って決めよというのだ。そのとき作ってみたい画像は、「金属の飛行船に突き破られたガラス片が散る様子」だった。(紙飛行機のほうが面白いかとも思ったが・・・)

真っ暗闇に浮かぶ飛行船と散乱するガラス片を見えるようにすることから始まる。まず、見えないものが見えるには、光源(複数)が必要だと知った。当り前だが、カメラの位置(アングル)も。そして、空中に浮かんでいるというのは、下側があるから・・・ということも。

次に、ガラス片は厚さがあって初めて光線を屈折して輝くことも知った。ガラス片はどれくらいの数量定義すればいいのか・・・。ガラス表面にあたった光がしっかり反射するよう、三角形にした。力の限り大小おりまぜて書き出した。

できあがった写真は、恥ずかしいものだった。そして思った、これを一体どうすれば動くように見せられるのだろうかと。それ以来、見える意味について考えるようになった。つまり、見えるというのは、光源と視点があるということなのだと。多分、何ごとにも通じるのではないかと思う。

そしてCG動画に対する関心も大きく変わった。

2017年6月1日木曜日

始めの8歩 イディッシュ語

今日で8歩目(8日目)。今年前半に通うべき回数の、ほぼ半ばまで至った。しかしながら、この”8”の字を横にすると、”∞”(無限)になる。そう、理解は微分的世界をさ迷っていて、はるか遠くおよびもつかないのだ。

今日は、配布教材、オンライン教材、特別教材と盛りだくさんにすすめられた。

・先生推奨の入門書のレッスン6(אַ שמועס)を輪読: 近しい者同士の会話(独特の含みがあるのか・・・今一歩意が届かない)、レッスン7(משפּחה אין אנדערע לענדער)の通読:海外に住む一族の文通と経済的関係(こちらの話題はユダヤ的宗族意識が垣間見えるようだ)・・・といった内容。

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)を元に、カーニバルに出てくる歪んだ鏡に映る姿を見て楽しむ場面。体の部位名称を使って互いの高低、大小、長短などを表現(所有形容詞、形容詞)する。
ところで、ブラッドベリの「10月はたそがれの国」の一番最初のものがたりが「こびと」だ。「鏡の迷路」にたたずむ男が登場する、陰鬱な気分にとりこにしてしまう濃い短編だ。教材ソフトの方は、がらりと明るくて、教材作者が楽しんだに違いない。対話の最後に一番の笑いがある。

・先生がネットで探した、古い、イディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)の一部が紹介された。海外で、老婦人から登場人物(少年少女のベレーレとセレーレ)を懐かしく語られたという。日本の中学英語教科書でいえば、「Jack & Betty」かもしれない・・・教室では誰も知らなかったが。

2017年5月31日水曜日

「イディッシュの民話」

単純なデザインを始まりにして、「いれこ」に繰り返していくと、現実の自然景観のような複雑な形になる。あるいは空想だが、物質を微細に奥深く探っていくと、その先に別の空間(次元)が存在する、無限な「いれこ」構造の世界観が好きだ。

先日のブログで、落語に「思い込みと逆転世界」(例えば「粗忽長屋」、「頭山(あたまやま)」)があると記したが、今日、Amazonから届いたベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice  Weinreich)の著「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)に、こんな話(第3話「不幸は不幸を呼ぶ」)が載っていた。説教調だが、物語の場面(構造)に興味深いものがある。
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昔あるところに、貧乏な男がいた。物乞いして歩くのがいやでたまらず、そのことを神に訴えた。そのため、彼の背中にこぶができて大きくなりはじめ、そればかりか、そこからはまた男が出てきて大きくなりはじめた。その男には口もついていた。乞食が一切れのパンを食べようとすると、背中の男がそれを奪ってしまうのだった。

そこで乞食は祈った。「主よ、消したり書いたりしないでください。すべてあるがままにしておいてください」

だから人は、自分が不幸だなどと決して口にしてはいけないのです。不幸はさらに不幸を呼ぶからね。
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KBS WORLD「国楽の世界へ」 ブランコ(鞦韆)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/24)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「端午節句」の楽しみ「ブランコ(그네:鞦韆しゅうせん)」に関連した曲を紹介した。

始めに、端午節句の楽しみブランコと、パンソリ「春香歌(춘향가)」について次のように紹介された。
・田植えが終わる頃、5月5日は端午節句だ。旧暦の場合、今年は5月30日となる。この時期、各地に様々な風習がある。仮面をつけて踊る「仮面踊り(탈춤)」や、江原道の江陵では、シャーマニズムの山神への祭儀(굿)がある。男は市場に設けた舞台で、民族競技「相撲(씨름)」をする。女性はブランコを楽しむ。パンソリ「春香歌」は、鮮やかな春の日、地方官の息子「李夢龍(이몽룡)」(=李道令이도령)が、ブランコに乗る妓生の娘、美しい「春香」に一目惚れする愛の物語だ。

▼ 「李夢龍(道令)が、春香がブランコに乗る姿を見る場面( 이도령이 춘향이 그네 타는 모습을 보는 대목)」を聴く。余程に元気にブランコをゆらしたのだろう。

次に、詩人「徐廷柱서정주)」(1915年~2000年)の「鞦韆詩(추천사)」について次のように紹介された。
・詩人徐廷柱は、春香がブランコ(鞦韆)に乗る場面を「鞦韆詩」にしたためた。副題に「春香の言葉」がつく。小間使いの香丹(향단)に、ブランコを空に向かって力強く押して欲しいと歌っている。届かぬ夢への渇望を、ブランコに託したのだろう。

▼ 「鞦韆詩」を歌にした曲「鞦韆の詩(추천사)」を聴く。空を切る、風を切る、海の彼方へ今様に。

最後に、春香と李夢龍初めて出会った、端午の時候について次のように紹介された。
・民は生活のため、朝早くから畑や干潟で働いた。一方、豊かな家の女性は閉じこもるように生活した。最近、端午の頃は夏のようだが、昔はのどかな春の侯だった。山緑の美しい端午の季節に、ひさびさに外出した女性たちがブランコに乗る解放感は、想像を超えはず。春香と李夢龍がすぐ恋に落ちた背景に、端午の時期に初めて出会ったからという理由もあるだろう。

▼ しだれ柳の合間、空を切って自由を感じる女性たちを描いた南道民謡「しだれ柳(휘여능청)」を聴く。まさに溌剌。

・端午節句に、韓国では相撲やブランコ、日本では鯉のぼりを立て祝うなど、各々違った風習が興味深い・・・とのこと。

2017年5月30日火曜日

アナベル・リー

青春はなつかしい。でも、そんなにいい思い出がない。なければ作ればよい。でも、美しいままに密かに置いておきたいものもある。

昔、テレビのSF番組「アウターリミッツ」で、たしか「グリーンスリーブス」の旋律が流れ、森の奥深く迷った少年が、古式な館にひとり住む少女と出会う。つかの間のことだった。時空はやがて戻り、朽ちた館を残して少女は消え去る。

(本ブログ関連:”アウターリミッツ”)

ブラッドベリのSFファンタジー集「10月はたそがれの国」に納められた「みずうみ」では、新婚旅行の途中に立ち寄った湖のほとりで、若者は子どものころに、ここで一緒に遊んだ少女の姿と再会する。昔、水死したときのままの少女と。

(本ブログ関連:”10月はたそがれの国”)

始まりになぜかPPMの「パフ」を思い出す、エドガー・アラン・ポーの詩「アナベル・リー」に、やはり少年の思い出作りが聞こえてくる。木枯らしの夜に命を奪われた少女を回想する。どこか納得に似た、甘味で残酷な魔法の世界を感じる。


(Youtubeに登録のPsycheDeliaInMotionに感謝)

2017年5月29日月曜日

(雑談)遅れていくこと

若いとき、時代遅れになるのを恐れた。今は、時代を超越すると妄想している。

日記代わりに、このブログを毎日更新している。少なくとも一日一回の更新でよい。

Twitterにユーザー登録したがそのまま。書き込むタイミングがわからないのだ、

フェースブックにいたっては、全く知らない。第一、周りで使っている人がいない。

そう、身近で十分なのに、ネットにまで友だち作りしようというのだろうか。

もしかしたら、ガラケーで充分と思ったころ、つまずいてしまったのかもしれない。


ちゃんと続けていることもあるし、新しく始めたこともある。まだまだだ。

2017年5月28日日曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

5月には、イ・ソンヒの5集所収の「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ、イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)を聞かなくては。この5集、昨日(5/27)記したソン・シヒョンの回想の通り、過去史と因縁を持っている。さらに直接的でもある。しかも、イ・ソンヒは、このまま1991年のソウル市議会議員への立候補と当選まで突き進むことになる。そして大きく政治の振幅を経験する。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”、”ソウル市議会議員”)

そんな時代背景とは別にして聞けば、五月の陽射しは力強く差し込んでくる: 広い意味でのレクイエムといえる。彼女の歌唱力に、そんな普遍性があると確信する。彼女が格別の愛着を持った曲である。


どこかで呼ぶ声に  振り返りみれば
見えるのは寂しい通りを  吹く風だけど
風に乱れる  髪をなであげながら
歩んだ足取り止めて  また振り返るよ
*
暗い夜一緒だった若い声が  虚空に散らばって
朝が来るまで歌おうとした  友よどこへ行ったのか
留まっていた束の間  残されたきみのその声
五月の陽射しあふれる日  私たちの心暖まらん

(*以下繰り返し)

留まっていた束の間  残されたきみのその声
五月の陽射しあふれる日  私たちの心暖まらん


(Youyubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)

2017年5月27日土曜日

「ひとしきり笑いで」の背景

作詞・作曲家であるソン・シヒョンは、イ・ソンヒの初期アルバム(4~6集)にかけて大きく関わり、彼女の代表作を送り出すのに貢献した。昨年、ソン・シヒョンがカムバックしたとの記事があり、本ブログに紹介した。

(本ブログ関連:”ソン・シヒョン”)

このたび、ソン・シヒョンの新たなミュージカル曲を紹介する、東亜日報記事「ソン・シヒョン 『ハーグ特使たちの胸詰る話に二晩徹夜しました』」(5/23、ソン・ヒョリム記者)の中で、イ・ソンヒの作品背景について知る部分があり次の通り抜粋する。
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(1980年の「光州事件」)「5・18民主化運動」を思って、(イ・ソンヒの歌である)「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(作詞・作曲、5集、1989年)を作りました。「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(作詞・作曲、4集、1988年)は、別れる男女がベンチに座ってどんな会話をするか想像して書いたし。
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これらの作品発表は、1980年の事件から8、9年後のことであるが、同時に、大きな変換を迎えた(1987年)の翌年・翌々年にあたる。これらの意味も含めて、作品背景があったといえるかもしれない。ちなみに、イ・ソンヒは、5集(1989年)にからめて、光州事件(1980年)の地を訪れた際、次のような苦い経験をしている。
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私が直接行ってみた光州を素材に、映像ビデオを製作しようとしたが、色々な理由で失敗に終わってしまった苦々しい記憶・・・
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実は、「苦々しい記憶」とは何だったのか、ネットに詳細情報を見つけられない。もう少し時間を待つことにしよう。

(付記)
ミュージカルに登場する「ハーグ特使」と、民謡アリランの採譜者でもある米人「ホーマー・ハルバート」との関係(連係)について以前ブログで紹介した。これがホーマー・ハルバートの個人的アクション(正義感)なのか、使命(密命)を帯びた(暗躍)なのか・・・謎解きが面白そうな素材でもある。

2017年5月26日金曜日

おバカな村

この世に、とりあえず納得できることなら何でも信じてしまう頓珍漢な人がいて、そんな人たちの住む村や町があるという。先日(5/22)、冬場に家々の暖炉から熱気が排出して上空に溜まった結果、「夏が暑い」のだと思い込んでしまった村人が登場する童話について記した。

そんなおバカというか愉快な人々が住む(ポーランドの)村ヘルムについて、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の巻末に訳者解説があり、他にも似た町があると紹介している。
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民話のなかで、おかしな主人公たちの住む町としては、イギリスではゴタム、オランダにはカンペン、イタリアではクネオ、ドイツではシュリートブルクなどがある。
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そこで、ネットに探してみたところ、唯一、「イギリスのゴタム村」を舞台にした昔ばなしの紹介ページがあった(ブログ「アマミツル空の色は Ⅱ」に感謝)。ゴタム村の人々もなるほどと思わせる粗忽振り。それ以外の町については、これからゆっくり探していきたい。

日本におバカな村を舞台にした昔ばなしがないものかと考えた。それらしい所が思いつかない。でも、おバカな人々が出てくる話しがある。「落語」の長屋であり、熊さん八さんの世界だ。イディッシュ語の昔ばなしに通じる、思い込みと逆転世界といったおバカな物語りだ。(例えば「粗忽長屋」、「頭山(あたまやま)」)

(本ブログ関連:”(雑談)本当は誰なの”)

イディッシュ語テキストの代表である「College Yiddish」の著者ウリエル・ヴァインライヒ(Uriel Weinreich)の妻、民俗学者のベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice  Weinreich)の著「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)をさっそく注文した。楽しみだ。

2017年5月25日木曜日

始めの7歩 イディッシュ語

情報通信のルールに、OSI参照モデルがあって、コンピュータの通信機能を7つの段階(階層)に定義している。まずコンピュータ間をつなぐケーブル間の信号から、ネットワークの経路やデータ伝送の仕方(区切り方・まとめ方)から、通信アプリケーションまで、規約化した国際標準だ。これを難しく、「ネットワークアーキテクチャー」なんていったりする。(どうも、欧米人は7つに区分するのが好きなのかもしれない・・・)

コンピュータ同士がデータをやり取りするためには、互いに共通した、7つの階層のルール(プロトコル)を持ち、それを満足して可能になる。プロトコル(例えば TCP/IPなど)は対話の基本ルールだ。(ところで、「国際儀礼」を「プロトコール」といったりする・・・円滑にする知恵か)

イディッシュ語教室に通って、今日で7歩目(7日目)。せっかくの「7」が付く日なのに、いまだイディッシュ語の理解(プロトコル?)が定着していないようで、授業の進展に迷惑をかけ続けている。

今回は、先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-4」(?װאָס האָסטן)を中心に、ピクニックでサンドウィッチやすし作りの話題から、「持つ(האָמן)」の現在人称変化、名詞の単・複数形、二重否定(~ נײן, איך האָב נישט/ןיט קײַן)など。

2017年5月24日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 孔明歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/17)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「三国志演義」をもとに「孔明歌(공명가)」など関連した曲について紹介した。

始めに、「三国志演義」に武功が描かれた「諸葛亮(孔明)」について次のように紹介された。
・「三国志」を一度も読まぬ人を相手にしてはならぬ、逆に、三国志を三回以上読んだ人も相手にしてはならぬといわれる。無知と賢さにかなわぬからだ。ここでいう三国志は、史書でなく、逸話など取り込んだ「三国志演義」を指す。長い間にある様々な事件や人物が描かれる。本分を守った者、ずる賢く利益にこだわった者、空しい権力争いに命を失った者もいた。韓国でも漫画、文学作品、歌として親しまれ、中でも孔明が南屛山で南東風を祈る場面はよく知られる。

▼ <南屛山で南東風を祈る孔明>を歌った西道雑歌「孔明歌」を聴く。淡々と南屛山の場面を歌う。

次に、孔明が高く評価した将軍「趙雲」との関係について次のように紹介された。
孔明は、「劉備」の信を得て活躍した人物だが、三国志で目立った活躍はないが、「三国志演義」で神出鬼没な人物として、「曹操」の軍を撃破する武功が描かれる。
・中国で最も長い川、長江を挟んで、「曹操」と「劉備・孫権」連合軍が向かい合った。曹操の船を火攻めしようとするが、南東の風が吹かぬ、まさに北西風の季節だった。そのとき、風の方向を変えたのが孔明。彼は南屛山に祭壇を築き、何日も祈り捧げると南東の風が吹き始めた。孔明がただ者でないと知った孫権の武将「周瑜」は、無理難題を突きつけて孔明を除去しようとしたが、これを予測した孔明は、将軍「趙雲」と準備した。

▼ <趙雲が、追撃する孫権の船に弓を射て孔明を逃がす>「趙雲弓射(자룡 활쏘다)」を聴く。音楽ドラマのよう。

最後に、赤壁の戦いをもとにした「蘇軾(蘇東坡)」の詩「赤壁賦」の歌唱について次のように紹介された。
・「趙雲弓を射る」は、パンソリ「赤壁歌」の「赤壁の戦い」の場面とともに、最も緊迫する場面だ。赤壁は、曹操が劉備・孫権の攻撃に敗れた所で、後に、中国北宋時代の代表的詩人「蘇東坡」が赤壁で「赤壁賦」の詩を作った。人生の空しさを表現した詩で、韓国では、短歌(단가)や誦書(송서)の歌唱法で継承されている。
・赤壁で戦った兵士は、ほとんどが力のない民だった。故郷の家族を、切なく想ったことだろう。

▼ 誦書「赤壁腑(적벽부)」を聴く。力まず御詠歌のよう。

2017年5月23日火曜日

イ・ソンヒ 5/20 LAコンサートの雰囲気

もしかしたら鮮明な画像があるかもしれないが、5/20(日本時間5/21)に、イ・ソンヒが米ロスアンゼルスで単独コンサート「The Great Concert」を開催したときの、わずかながらYoutube映像がアップされた。会場の雰囲気だけでも味わってみよう。(今後、放送映像が公開されるかもしれないが。米国内のものはむつかしいかな・・・)

(本ブログ関連:”LAコンサート”、”ザ・グレートコンサート(The Great Concert)”)

イ・ソンヒのコンサートで、クライマックスに導く定番曲の一つ、「葛藤(갈등)」に呼応して観客がペンライトを振る様子がうかがえる。熱気がそのまま伝わってくるようだ。(Youtube登録者は米在住の方だろうか、著作権が重視される国にあって画面を慎重に選んだようにみえる。あくまで会場の撮影であって、彼女のアップはない・・・)

昨年来の「The Great Concert」のワールドツアー版の第一次というべきLAコンサートは無事終了したようだが、第二次にあたるシドニーコンサートが待っている。その9月が楽しみである。


(Youtubeに登録のEunice Kimに感謝)

2017年5月22日月曜日

ヘルムの夏が暑いわけ

「夏日」があたりまえになると、「真夏日」を期待したりする。まるで高い吊り橋から深い谷底を覗き見る、危ういものへ引き寄せられるように。昨日、近在で「真夏日」に到達した。今日は夏日に戻ったが、それでも暑かった。

       夏日   :日最高気温が25度以上の日。
       真夏日:日最高気温が30度以上の日。
       猛暑日:日最高気温が35度以上の日。

ところで、「夏がどうして暑いのか」。イディッシュ語作家、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)に所収の短編「ヘルムの長老とゲネンデルの鍵」にこんな明快な説明がある。

(本ブログ関連:”アイザック・バシェヴィス・シンガー”、”イディッシュ語”)

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(ヘルムの村の大長老グロナムが言った)
「ゆうべはまんじりともできなんだ - 夏がどうして暑いのか、そのわけを考えあぐんでな。やっと答えは出たが」
「して、どんな」と長老連が声をそろえた。
「つまり、冬のあいだ、村じゅうが暖炉をたく、するとその熱がヘルムぜんたいにたまる、おかげで夏は暑い、こういうわけじゃ」
長老連はうなずいた、ただぼんくらレキッシュだけは別で、こう聞きかえした。
「なら、冬が寒いわけは?」
「わかり切っとる」とグロナムは答えた。「夏場は暖炉に火をくべない、だからせっかくの暑さも冬まで残らん、ただそれだけのことよ」
長老連はグロナムのどえらい知恵をほめそやした。
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そう、夏が暑いわけは、探せば見つかる。むつかしく考えなければ答えは出る。あとはそれに同意するかどうかだ。日常はそれで充分だった。(今だって、そんなものかもしれない。それに、むつかしく考えれば正解というものでもないし・・・)

2017年5月21日日曜日

キャンプファイヤーの歌

昨日、キャンプファイヤーについて記した。いつの合宿だったか、若いころ、楽しさと期待を混じえながら参加したことがある。立ちのぼる赤い炎と白いきらめきに吸い込まれそうな錯覚をしたが、結局、楽しさは残っても期待は外れた。当り前だがが、ぎこちないキャンプファイヤーはそうやって終わった。

今の若者たちは、キャンプファイヤーをどのように楽しんでいるのだろうか。Youtubeを覗いてみると、意外と変わらぬ純情さに気付く。そりゃそうだ。輪になれば、みな目に入るわけで、それ以上は無粋というもの。

Youtube映像で初めて知った「洗濯の歌」がいい。一週間を日毎に、月曜日の「洗濯」に始まり、「すすぎ」、「脱水」、「物干し」、「取り込み」、「アイロン」と日を巡り、最後に日曜日に「デート」で終わる。どこか気持ちがこもった、くすぐったい展開だ。(子ども向けなどいろいろなバリエーションもあるようだ)

輪の中を廻って歌う女の子に合わせて、回りの反応も次第に高まる。「ボーイスカウト奈良第4団」のメンバー(若者たち)による、楽しいキャンプファイヤーのようで、久し振りに新鮮な感じがよみがえった。


(Youtubeに登録のにBSJ MC AAY感謝)

2017年5月20日土曜日

暑い夜には

天気予報の通り、今日は暑かった。そして、都心、都下とも軒並み今年最高の気温を記録した。気象庁のデータによれば、都内で「真夏日(30℃以上35℃未満)」になった観測点もあり、当地近在でも最高気温29.4℃に達した。

夕方、背中に西陽を背負いながら帰宅した。忘れていたジリジリした夏を思い出した。しんどい一日も、日が暮れれば落ち着く。とはいえ、明日はもっと暑くなるという。

遠い昔の暑い夜、すっかり忘れたものに、キャンプファイヤーがある。赤い炎が夏の熱気を吸い上げて空にのぼっていく。キャンプファイヤーを囲んでいると、空と地と、炎に照らされたみなが一体になる。そんな懐かしい記憶を呼び覚ますイディッシュ語の歌「キャンプファイヤーを囲んで(ארום דעם פייער)」(イディッシュ語英語訳楽譜)を聞いてみよう。日本人になぜか哀調を帯びて感じる独特な旋律が耳に残る。


(Youtubeに登録のVoix nomadesに感謝)

2017年5月19日金曜日

イ・ソンヒのLA公演案内 あと2日

KoreaDaily(中央日報のUS版)のHotDeal欄に、「国民の歌姫 イ・ソンヒ ザ・グレートコンサート」の米5/20(土)公演のポスター、座席チケット、場所など掲載されている。

◆公演日:2017年5月20日(土)7:00 pm(→ 日本時間 5月21日 11:00)
◆公演場所:ファンタジースプリングスリゾート(Fantasy Springs Resort Casino
◆チケット:60$~200$
◆企画会社:Tune Entertainment主催(←同社サイト、FBの更新が気になる?)

《 公演ポスター 》が当り前だが英語版になっていて、なんだか不思議な感覚だ。

カウントダウンのタイマーまであって・・・
カリフォルニア州は、韓国系アメリカ人の最大居住地だそうで、観客が多数詰め掛けることだろう。