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2016年1月13日水曜日

初氷2016

今朝、都心で「初氷」が観測された。今年最初の結氷日となる。冬の寒さはジワジワ来るものだが、暖冬に油断したせいか突然やってきた感じだ。昨晩の教室帰り、余りの寒さに頬がしばられて、ついに冬到来を実感したばかり。

朝、ストーブをつけて横になりながらテレビ番組を見ていたら、気象コーナーで東京都心の初氷について解説していた。BIGLOBEニュースの天気記事、「東京で 最も遅い初氷を観測!」(1/13、tenki.jp)は、遅い初氷を次のように報じている。(抜粋)

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・今朝の東京都心は冷え込みが強まり、午前6時30分までの最低気温は氷点下0度9分まで下がりました。
・東京都心では、1925年の統計開始以来、最も遅い「初氷」が観測されました。(東京大手町での観測)
平年より27日遅く昨年より29日遅い観測です。
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「1925年の統計開始以来、最も遅い『初氷』」というのは驚き。子どものころ、道路の水溜りに張った氷を踏んでバリバリという響きを楽しんだ。軒先に氷柱(つらら)がさがっていたこともあった。つい、もぎとって陽にかざしたり、舐めたりしたものだ。子どもは何でもする。

そういえば、東京に転校してびっくりしたことがあった。「霜柱」だ。前に住んでいた所より緯度が高いこともあり、火山性の関東ローム層という土質もあって、霜柱の成長が大きい。踏み込むとぐしゃりと折れてへこむ感触がなんとも嬉しくて、辺りを踏み散らしながら歩いた。それも数年で慣れてしまったが。

雪の中ではしゃぐ子どもたちの様子を見たい気がする。やっぱり冬はあった方がいいのかもしれない。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 昔話

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「昔話」に関連した3曲を紹介した。番組、新年最初の放送である。

最初に、一粒の栗に悩むかわいらしい話による童謡「セサンダルグン(세상달궁)」について、次のように紹介された。
・昔、冬になると部屋に火鉢を置いた。部屋の空気を暖かくし、鍋料理を温めのにも使う。孫が遊びにくれば、火鉢で栗やサツマイモなど焼いてやった。そんなとき、昔話や歌があればなお楽しい。童謡に、栗のお話しがある。ソウルへの途中、栗を拾い台所の食器棚に入れたところ、ネズミが食べたようで、一粒だけ残り、どの窯で蒸して食べるか悩む内容だ。栗が出来上がったら、<包丁で皮をむき、二人で分けて食べよう>という、一粒の栗に悩む姿がかわいらしい。

▼ 子どもたちが歌う童謡「セサンダルグン」を聴く。童謡というより舞台で歌われるよう、結構力強い。

次に、「独脚鬼(トケビ、도깨비)」のおかげで大金持ちになった物語を次のように紹介された。
・昔話に、虎やキツネ、お化け、独脚鬼と呼ばれる化け物などがよく登場する。物語りで人々を脅かす存在だが、時には人間が上に立つという、愚かで哀れな姿だったりもする。パンソリに、独脚鬼のお蔭で金持ちになった話しがある。ある男が道端でばったり出会った独脚鬼は、金を貸して欲しいと言う。男は持ち合わせの金を独脚鬼に渡し、急いで帰った。すると、翌日から独脚鬼は金を返し始めたものの、それを忘れ毎日くる。それがいつまでも続き、男はすぐに大金持になる。でも男は、毎日くる独脚鬼が面倒になりどうしたことだろう。

▼ 創作パンソリ「独脚鬼のお蔭で金持になった男」から、「独脚鬼を追い出して大金持になる場面」を聴く。饅頭怖いか、今様。

・面倒になった男は、トケビが一番怖がるものは何か尋ねると、鶏の血が一番怖いとう。男は金が一番怖いと返す。そして、家中に鶏の血を付けると、男に恨みを抱いた独脚鬼は、庭に金束を投げて行ったとのこと。

最後に、白石(백석、1912年~1996年)の詩「カエルの食卓の物語(개구리네 한솥밥)」について次のように紹介された。
・詩人白石は、南北分断後に北側で活躍し、最近になって韓国でも作品が読まれるようになった。土着の情緒を独自の表現で表す詩人として挙げられる。子どものための作品も多い。彼は、言葉を保存する方法はただひとつ、文学を高いレベルに引き上げることといい、それを後世に受け継がせるのに、子供向けの良い作品を残すという。彼の作品に、「カエルの食卓の物語」の詩がある。貧しいけれど善良なカエルが、困難な立場の動物を次々と助ける内容だ。

▼ カヤグム(伽耶琴)併奏の「カエルの食卓の物語」を聴く。素直な旋律。(「善良な人優しいあなたを愛します」に感謝)

・カエルが友達を助けると、今度はカエルが大変な目にあったとき、友達が助けてくれる。そして、みんなでカエルの家に集まり、暖かい食事をしたという、心温まる話しだ。

(付記) 「いっしょにごはんたべたよ」(平凡社)

2016年1月12日火曜日

初雪2016

今日の午前、日の明けぬころに都心で初雪が降った。朝日新聞の記事、「東京都心や横浜で初雪観測 平年より9日遅く」(1/12)によれば、暖冬のせいか遅い初雪になったようだ。(抜粋)

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気象庁によると、東京都心(大手町)で12日午前3時55分ごろ、初雪が観測された。平年より9日昨冬より29日遅い
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(本ブログ関連:”初雪”)

明るんだころのテレビのニュースで知った。外を覗いて見れば、雪が降った気配もなく、辺りをしっとり濡らしている。この湿りで、乾いた空気がようやく落ち着いた気がする。冬らしくなったようだ。

ところで、気象庁は、1日の時間を「1日の時間細分図(府県天気予報の場合)」として次のように示している。今日の初雪は、「明け方」に降ったことになるが、冬の場合、寝静まった日の明けぬ暗い<夜更け>といった感がするが、「<夜更けては>対象時間が不明確な用語なので用いない。」(気象庁「時に関する用語」)そうだ。

1日の時間細分図(府県天気予報の場合)

2016年1月11日月曜日

イ・ソンヒの「Young(영)」

今日は成人の日。(彼らは)二十歳になったとはいえ特段変わることはない。むしろ気付かぬことの方が多いだろう。自覚する・しないかの差だけだ。
このころまでに、人としての大方の器量が定まる。昔のひとは、元服を十代半ばですませた。生き方が多様な今、さすがにそぐわないが、覚悟を促すことにおいていずれの時代にも共通する通過儀礼だ。

そうはいっても、青春は謳歌したいもの。イ・ソンヒの3集所収の「Young(영)」(1986年)は若さあふれる溌剌とした歌だ。次のYoutubeは、イ・ソンヒが2011年世宗文化会館でのコンサートで、ゲスト歌手キム・ボムニョン(김범룡)と共に歌っている。


Young しおりに挿した
Young イチョウの葉は色あせても

Young たまらなく会いたい Young うーん・・・
あなたは 今 どこに

Young わたしだけ 一人 寂しく
Young 残しておいてどこへ行ったの

Young 戻って来ることができないの  Young うーん・・・
私はあなたを愛してる

夕闇背負って  川岸に座って
花の指輪をさして  ささやいたその言葉

Young あなたは忘れてしまったの  もう忘れたの
帰ってきて  私はあなたを あなたを愛してる

(Youtubeに登録のP Chan Wooに感謝)

2016年1月10日日曜日

竹久夢二美術館 ギャラリートーク

暖冬のせいで、冬から春への橋渡しが定まらない。旧暦と新暦の季節区分にときどき混乱する。いっそ新暦の1月(冬)を、旧暦の1月(春)とみなせば、この冬を春に置き換えられて納得いくのだが。

【月別の季節区分】
・冬 : 新暦12月~02月、旧暦10月~12月
・春 : 新暦03月~05月、旧暦01月~03月
・夏 : 新暦06月~08月、旧暦04月~06月
・秋 : 新暦09月~11月、旧暦07月~09月

今日は、旧暦の12月1日、まだ去年のうち、冬のうちである。この先、寒波が急襲するかもしれぬ。とはいえ、厚着して外出すれば、額に汗がにじんでくる。風に当たれば冬、屋内にいれば春、そんな按配だ。

昼過ぎに、竹久夢二美術館に行く。東大工学部裏手にある、言問通りから暗闇坂に進む途中にある。竹久夢二(1884年【明治17年】9月16日~1934年【昭和9年】9月1日)の生涯について、学芸員の方のギャラリートーク、「夢二をめぐる人々 - 家族・友人・恋人…大正浪漫交遊録 -」があり、お話しを聞くことができた。

夢二作品の人物像は、黒く大きな瞳をした華奢な女性像が特徴で、哀愁を漂わせた、どこか薄幸な雰囲気を感じさせる。浮世絵の美人図にならって、鼻梁の長い細面した容貌をしている。大正浪漫の画家として人気を博した後、いつしか人々の記憶から遠のいていったものの、「一九六三年(昭和三八)、<講談社版日本近代絵画全集>において刊行された『竹久夢二・村山槐多・関根正二』が契機」となって再評価される(「竹久夢二 大正ロマンの画家、知られざる素顔」の「はじめに」(石川圭子)より)。

独学で挿絵画家として出発した後、書籍の装丁家、作詞家、舞台造形家など多才だった。一方、彼の奔放な生き方についても話題が多い。画家として売れっ子になると、その才能がフェロモンの如く女性たちを吸い寄せるに事欠かなかったようだ。
関わった女性たちが、彼の美人図にそうように見えるのはどうしたことだろう。お気に入りの女性に、次々デッサンして渡すというのも同様な感じがする。美人図の世界に男女自ら飛び込んでいったように思える。

また、装丁デザイナーとして活躍し、さまざまな作家たちとの交流もあって、時代の特色がうかがえる。装丁で関わった作家たちがセンセーショナルな話題を提供したこともあいまって、大正浪漫の自由すぎる香りを知る。もしかすると今の時代、似た臭いする人たちにも然りなことかもしれない。

夢二の代表的な歌、「宵待草」を高峰三枝子が歌うものがある。Youtubeで彼の絵も楽しめる。なお歌詞の第2番は、西条八十による追加という。


(Youtubeに登録のakiraplastic5に感謝)

2016年1月9日土曜日

イ・ソンヒとイム・ソンギュンがTV番組で「Jへ」を歌う珍しい映像

1984年7月29日(日)、春川の南怡島(춘천 남이섬)で開催された「江辺歌謡祭」に参加した、混声デュエット「4幕5場」のイ・ソンヒ(李仙姫、仁川専門大環境管理科 1年)とイム・ソンギュン(林成均、同機械科 2年)は、「Jへ」を歌い大賞受賞した。

(本ブログ関連:”イム・ソンギュン”)

同年10月21日に、若者にチャレンジ精神を与えたというMBCの番組「ヤング11(영11)*」に早速出演して「Jへ」を歌っている。二人がTV番組でデュエットする珍しい映像をYoutubeで見ることができる。
(* 「ヤング11」については「失われた思い出を探して」の「思い出のTV」に紹介あり。感謝。)

(本ブログ関連:”Jへ”)


J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2016年1月8日金曜日

40代に吹く「レトロブーム(復古熱風)」

最近、アナログLPレコードが復活し、ターンテーブルが売れているという。大手家電メーカーもターンテーブルの製品化に合流を始めた。何のきっかけなのか、どんな曲を聴きたいのか知りたいところだ。最新楽曲までLPレコード化する話しもある。

懐かしい思い出に、忘れがちなことがある。蒸気機関車の動きに人間らしさを感じる面もあるが、トンネル内を走る時の排煙とススの煩わしさを忘れることはできない。LPレコードの音質が柔らかいという感想もあるが、レコード盤面のキズによるノイズを気にしながら聞いていたことがよみがえる。

ところで韓国で、tvNドラマ「応答せよ1988」にあやかり、80年代のレトロブームが、40代世代に湧き上がっているという。NEWS DIVEの記事、「40代に吹く『復古熱風(=レトロブーム)』・・・トッポッキ・コート(=ダッフルコート)、ミニカセット、消費↑【データ視覚化】」(1/8)は、LPレコードの中古価格までアップしていると次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:”応答せよ~”)

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・オークションの中古市場では、チョー・ヨンピル、野菊、山びこ、キム・ヒョンシクなどのLP盤が2万ウォンを上回る価格で取り引きされている。また、ピョン・ジンソプ、イ・ムンセ、キム・グァンソク、イ・ソンヒ、ミン・ヘギョンなど80年代後半の人気歌手のLPレコードは1万ウォン台で販売される。

・オークション関係者は、「関連プログラム(番組)に関心を持つ40代が増えて、復古商品の購買も頭角を現わしている」として、「アナログ一色だった80年代を記憶する40代にターン・テーブル、LPレコードなど復古商品が過去に対する郷愁を刺激して購買を呼び起こすと見られる」と分析した。
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以前、2011年、2014年に、イ・ソンヒのコンサートに合わせて、ソウルの「会賢(회현)駅」地下商店街で、彼女の中古LPを探した。そのとき、中古LPが一枚5000ウォン(≒500円)という、余りの低価格に驚き呆れた覚えがある。

(本ブログ関連:”ソウル1日目:LP収集”、”探してきました! イ・ソンヒ LPレコード(ソウル2日)”)

2016年1月7日木曜日

(雑談) 七草

今日で正月気分がすっかり抜けて一新する。芽吹きの春を体に実感するよう、春の「七草粥(せり/なずな、ごぎょう/はこべら/ほとけのざ、すずな/すずしろ)」を食べる風習がある。今年こそ・・・と思いながら、またしても忘れてしまった、が。

(本ブログ関連;”七草”)

正月行事を振り返ってみると次の通り。終われば、明日から小学校は3学期が始まる。

1月1日 元旦
1月3日 正月明け(三が日の終わり)
1月4日 仕事始め
1月7日 松の内(正月)の終わり、飾り納め
           小学校の冬休みの終わり
           七草(節句のひとつ)、七草粥を食べる


■ 佐賀市富士町産 「春の七草」。日本の伝統食「七草粥」レシピ紹介 (健康をいただけそうです!)


(Youtubeに登録のJa Sagaに感謝)

2016年1月6日水曜日

小寒2016

二十四節気の「小寒」。寒さが一段と増すというに、暖冬のためか、厚着に迷い、ストーブの火加減に手間取る。冬であることをすっかり忘れそうだ。

(本ブログ関連:”小寒”)

テレビ各局のニュースで報じられているが、富士山の山肌の雪模様について、読売新聞の記事「暖冬の影響か…富士山の『農鳥』、早くも姿現す」(1/6)は、「毎年4月下旬から5月中旬に現れる」、「富士山の残雪が鳥の形に見える農鳥(のうとり)』が早くも、富士山の7~8合目付近(標高約3000メートル)に姿を現した。」という。

最高気温について、三月とか四月並みといわれる。今日を「寒の入り」とはますますいい難い気がする。天気予報では、今週末から本格的な寒さが増すとのこと。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 厄払い

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2015年12月30日)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「厄払い」に関連した3曲を紹介した。昨年末の放送である

始めに、古代中国伝承の鬼神「方相氏(방상시)」と、それを追い払う儀式(追儺)について次のように紹介された。
・「仮面を被る」という行動がある。仮面は、自分と違う存在に見せる役割をする。昔、仮面に優れた力があると見做し、悪鬼を追い払うのに、仮面を被って行うのも多かった。朝鮮時代の宮中で、年末に悪鬼を追い出す儀式をした。四つ目の仮面「方相氏」を被り踊った。また、「処容舞(처용무)」がある。一年最後の日に行う行事で、処容(처용)という者が歌い踊りながら鬼を追い払ったことに由来する。統一新羅時代から伝わり、処容の仮面を被り舞う。一年間の恨みや悩みなどの気運の象徴を追い払う。

▼ 新羅時代の「処容歌(처용가)」を新しく構成した「月よ月よ明るい月よ」を聴く。異国の香り漂う今様の編曲だ。

次に、厄払い「エクメギ(액맥이)」の、巫俗(무속)信仰や農楽隊「風物牌(プンムルペ、풍물패」について次のように紹介された。
・年末に悪鬼を追い払い、年初に厄払いの「エクメギ」をした。「エク(厄)」は人を害する悪気運の意だ。巫俗信仰で、ムーダン(巫堂、무당)を呼び儀式をしたり、占いをして厄払いした。正月に農楽隊の「風物牌(牌=集団)」が家々を回り厄払いするタリョン(打令)の「エクメギ・タリョン」を歌ったりした。東西南北で将軍が見守る内容だったり、季節ごとの厄払いを紹介することもあった。

▼ 「エクメギ」の曲を聴く。今様の新しいテンポに載せて軽快に歌い響く編曲だ。

最後に、様々な悪鬼を追い払う「罷経(파경)」を唱える「盲覡(パンス)~盲僧」について次のように紹介された。
・昔、正月に村中を回りながら厄払いした楽隊「風物牌」の他に、正月などの祭祀に経を唱えた盲覡の「罷経」という歌がある。盲覡に盲人が多いため、そのような人が幸福を唱える経ともいはれる。経が終わると、罷経は、最後に経を終える意で、悪鬼を追い出す内容で構成される。色々な悪鬼が登場するが、経の中で必ず食べることを勧める。悪鬼を追い出す儀式でも、満腹にさせてから追い出すのが人情だったようだ。一年間の悪い気運を洗い流し、新たな気持ちで新年を迎えようとした人々に、知恵が伺えるいろいろな伝統がある。

▼ 「罷経」の歌を聴く。色々な信仰が習合したとも・・・読経のようでもあり、民間信仰の様でもありおもしろい。

・最後に、キム・ボエさんの言葉で、「みなさんも、良いお年をお迎えください」とのこと。

2016年1月5日火曜日

イ・ミヨンとイ・ソンヒの「ガム戦争」

「応答せよ~」にあやかった、青春懐旧の話題がはやっている。ハンギョレの記事、「応答せよ1988・・・イ・ミヨン - イ・ソンヒの『ガム戦争』」(2015年12月31日)は、無糖ガムの広告について、<ハイティーンスター>のイ・ミヨン(이미연)がロッテ製菓の「ノタイムガム(No Time Gum)」(1988年)、<江辺歌謡祭に浮上した歌手>のイ・ソンヒがヘテ製菓の「ノノガム(No No Gum)」(1985年?)の広告モデルであったと報じている。

(本ブログ関連:”コマーシャル”)


(Youtubeに登録のYONG KUN Joungに感謝)


(Tvポットに登録者<DCinsideより>に感謝)

2016年1月4日月曜日

万珠鉱山・富井鉱山

昨晩、電話をいただき都合を聞かれたが、二つ返事で鉱物採集に出かけることにした。前回(昨年10/25)不発だった「万珠鉱山」へのリトライだ。そんなわけで、早朝の始発電車に乗る。辺りはまだまだ暗いが、寒さは例年と比べて凍みるほどでない。東の地にある待ち合わせ駅の方が、返って冷えたりした。

万珠鉱山
前回、採集場所が不明のままに終わったが、今回同行のH氏がルートを再検討して目的の採集場所へ連れて行っていただく。どうやら、前回は左折すべき場所を誤ったようだ。進行の途中、道筋のない斜面を登ることになる。
結論からいえば、私の力では、微小群晶だが、色合いが希望通りの濃い紫色した「紫水晶」しか採れなかった。まあまあの成果だ。もちろん、頂き物がなければ、手元に置いて睨(ね)め回すことはできなかったろう。

富井鉱山
午前中を万珠鉱山で費やしたので、昼食後、場所を富井鉱山に移した。年々採集が難しくなってきている。採集訪問者がずいぶんといるようだ。落ち葉が敷き詰められて採集に手間取る。掘り返すパワーもなく、落ち葉の少ない場所を見つけては石を割る。もしかしたら、採集地は枯葉で埋まってしまうかもしれない。
鉄分などで赤黒く染まった母岩に付いた微小群晶を手にしたが、紫水晶といえるか・・・、とりあえず、自称「紫水晶」とした。他に、黄鉄鉱も。

2016年1月3日日曜日

(雑談) 絵本探し

不思議な絵本だった。親父の本棚の引き出し奥に、まるで隠れるようにしまわれていた。子どもたちに見せてくれたことのない絵本だった。

当時としては大きなサイズだが、さほどページ数のない薄い冊子だった。時代を経た古書の雰囲気がした。表紙に何があったか覚えていない。遠く異国の香りがするように思えた。紙質はくすんで変色していた。絵本の内容は、ページ全面を黒色に塗りつぶして、白線で物語を描画していた。まるでネガフィルムの世界のようだった。登場人物の記憶が無い。遠くから覗き見るように情景が淡々と続いていた。

思い出を強引に結びつけると、物語の展開が、ポー(Edgar Allan Poe)の短編「メールストロムの旋渦(A Descent into the Maelström)」と似ていた気がする。巨大な漆黒の渦面に小船がしがみつくようにしながら飲み込まれていくさまに、何度も覗いてはおののいた。この物語挿絵に、ハリー·クラーク(Harry Clarke)が描いたものがあるが、記憶の絵と違う気がする。もっとシンプルな線描だった。

(本ブログ関連:”メールストロムの旋渦”)

昔見た絵本を知りたくて、ネットを探したが、それらしいものが未だ見つからない。それに、絵本が本棚にひっそりしまわれていたことに別の意味で興味がある。

2016年1月2日土曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(1989年)は、同じ5集所収のアピール性の強い「五月の陽射し」と比べて追想的だ。こころの痛みは、思い出そうとしてのことではない。ある瞬間、あるきっかけで、突然こころによみがえる。隠していたものが、冬の夜の月明かりに照らし出されてしまう。「冬哀傷」は、そんな凍りついた心を哀切に歌う。

(本ブログ関連:”冬哀傷”、”五月の陽射し”)


星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に
*
風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

(*以下繰り返し)

凍ってしまった悲しい後姿

(Youtubeに登録の나무하나に感謝)

2016年1月1日金曜日

初詣2016

昼前、からりと晴れた渡った青空の下、山手線原宿駅横にある「明治神宮」へ初詣に行く。余りの人出に、境内の混み合いをコントロールするため、一方通行で進む。外国人観光客の多さにも驚く。おみくじをひくも、「寧静」と書かれていて、「心はいつも平静に豊かに保ちましょう」とのこと。「健康長寿の基であり、万時成功の秘訣」という。

(本ブログ関連:”明治神宮-初詣”、”初詣”)

新元素(原子番号113)

話題の新元素(原子番号113)の命名権を日本が獲得したと、理化学研究所のプレスリリース、「113番元素の命名権獲得 -元素周期表にアジア初、日本発の元素が加わる-」(昨年12/31)は次のように伝えている。(抜粋)

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理化学研究所仁科加速器研究センター超重元素研究グループの森田浩介グループディレクター(九州大学大学院理学研究院教授)を中心とする研究グループ(森田グループ)が発見した、「113番元素」を、国際機関が新元素であると認定しました。12月31日、国際純正・応用化学連合(IUPAC)より森田グループディレクター宛てに通知がありました。これに伴い、森田グループには発見者として新元素の命名権が与えられます。欧米諸国以外の研究グループに命名権が与えられるのは初めてです。元素周期表にアジアの国としては初めて、日本発の元素が加わります。
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即物的な者なので、元素周期表に名前が載るという醍醐味、歓びしか理解できないが、凄いなあとつくづく思う。なにしろ、加速器など写真を見るたび、AKIRAの世界をイメージしてしまう程度なので・・・。(⇒ 理化学研究所「113番元素特設サイト」)

Wikipediaの解説によれば、新元素(原子番号113)の元素名候補がいくつか挙げられている。もしかしたら、「Jp」(ジャポニウム)なんて名前になるかもしれないそうだ。お気楽な頭には、Jつながりで、イ・ソンヒの歌「Jへ」が浮かんでくるよ。

新年早々、めでたい話しだ。

(【一般】 理研サイエンスセミナーⅤ 第2回(2012年1月20日(金) 開催・・・約1時間20分)

(Youtubeに登録のrikenchannelに感謝)

2015年12月31日木曜日

蛍の光2015 (イ・ソンヒ「惜別の情」)

(丁寧に)さようなら、(洋画にも使われそうに)サヨナラ、(関西風に)さいなら、いずれにしても、(ちあきなおみの「紅とんぼ」風に)いろいろお世話になりました。

一年というリンゴの実も食い尽くし、残るは種だけです。これが来年の実になるといいのですが。酸っぱいもあれば、甘いも・・・なかったな、そんな一年でした。あっというまに過ぎ去った、鞍馬天狗かはたまた月光仮面、疾風のように去っていくのです。

「いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。」(唱歌「蛍の光」)、いよいよ今年とお別れです。明日になれば、来年がおはようといって入ってきます、猿ですけど。今年を送る大掃除も、来年を迎える正月飾りもしてないので、今日は軽く過ごすことにしましょう。

(本ブログ関連:”蛍の光”)

ところで、韓国では国歌が正式に決まるわずかの間、「蛍の光」の旋律が使われたそうです。「蛍の光」を、イ・ソンヒは「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年)に所収の「惜別の情(석별의 정)」として次のように歌っています。


久しく付き合いし 親しき我が友よ
別れとはどうしたことか 行かねばならぬか
いずくへ行こうとも忘れようか 厚い我らが情
再び会うその日のため 歌を歌おう

さらば立派であれよ 祝杯を挙げた手に
惜別の情忘れ難く 涙だけ流すよ
いずくへ行こうとも忘れようか_厚い我らが情
再び会うその日のため 祝杯を挙げよう

いずくへ行こうとも忘れようか 厚い我らが情
再び会うその日のため 歌を歌おう

(Youtubeに登録の이예재に感謝)

2015年12月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 聖夜

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「聖夜(クリスマス)」に関連した3曲を紹介した。

始めに、クリスマスと冬至の意味について次のように説明された。
・昨日(12/22)、一年で昼が最も短い「冬至」だった。昔、太陽に依存した暮らしの人々に冬至は大きな意味があった。やがて昼が長くなり、明るく温かくなる。草木、動物、人々も豊かな春を目指す。東洋西洋とも、冬至は重要な日だ。キリスト生誕日のクリスマスが冬至頃なのも、決して偶然でないだろう。救世主がこの世に生まれ、人々が光の中に生きる意が含まれる。

クリスマス・キャロルを韓国伝統楽器と演奏する「雪が降る日の日記(눈 내린 날의 일기)」を聴く。今様の楽しいメドレー。

次に、クリスマス行事と伝統的遊び「カンガンスルレ강강술래)」について次のように紹介された。
・クリスマスは宗教や民族を越えて、多くの人々が楽しむ日だ。昔は12月になると、クリスマスツリーを飾り、クリスマスキャロルが聞こえて、寒い冬も温かく感じられた。最近、クリスマスキャロルが、著作権の問題で商店街で流せなくなり、人々の音楽の好みも変わった。クリスマスキャロルは、西欧中世の祝祭に由来する。輪になって踊る風習があり、みなで歌うには、歌詞やリズムが単純で、繰り返し歌ったのがキャロルに根付いたようだ。韓国に、女性が手をつなぎ丸く輪を作り、回りながら歌い踊る、伝統的な「カンガンスルレ」の遊びがあって、ダンスに似ている。

▼ 「カンガンスルレ」の歌を聴く。小正月にもあるという月夜の遊び、南の風がするよう。

最後に、朴東鎭(박동진、1916年~2003年)の創作パンソリ「イエス伝(예수전)」成立のいきさつを次のように紹介された。
・伝統音楽には、仏教に関連したものは多いが、キリスト教のものは余りなく、稀に貴重なものもある。朴東鎭のパンソリ「イエス伝」もそのひとつで、曲成立を回想している。1972年、草洞教会の趙香祿(조향록)牧師と東亜放送の作家朱泰益(주태익)の訪問があり、放送台本を元に、イエスの話のパンソリ化を頼まれた。一旦断ったものの手がける。ラジオが人気あった時代で、台本はイエス誕生から復活までの内容を含んだ。台本と聖書で、キリスト教の知識を身に付け、4時間に渡る公演をした。朴東鎭は後にクリスチャンとなる。

▼ 新パンソリ「イエス伝」中から、「イエスが馬小屋で誕生(예수 마구간에서 탄생)」の曲を聴く。語りはパンソリだ。

イ・ソンヒの「愛してます 母さん」

イ・ソンヒのキャロルアルバム「私たちの物語(우리들의 이야기)」(1991年)に所収の「愛してます 母さん(사랑해요 엄마)」(作詞キム・ミンジョン、作曲ソン・シヒョン、編曲ピョン・ソンリョン/ユ・チヨン)は、情感あふれる美しい曲だ。普通、親子をほほえましく描くことが多いのに比べて、想いを確かめるように歌い上げる。心に母の姿が浮ぶ、まさに賛歌である。


愛してます 母さん、母さんのその微笑を

愛してます 母さん、母さんのそのすべてを

* 隠れたその笑顔の裏に 麗しい皺(しわ)の刻まれたその顔

私にくださった その愛で世界を愛します

愛してます 愛してます

母さんの顔だけ思い浮かべれば 私の心は平和です

(* 以下繰り返し)


音楽サイトIZMの記事「家族として記憶されるわたしたちの歌謡」に再掲されている、「イ・ソンヒ - 『愛してます 母さん』(1991年)」(2011/05 キム・ジンソン)は、この歌について次のように紹介している。
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子どもに向けた<母さん>の愛は、「アンリミテッド」、それこそ無制限だ。厳密に父情とは別の次元の母情. 本来一体から分離して生まれ出た子どもは、<母さん>に(とって)別の分身と等しい。新しい生命を懐妊し、世界の光を見られるようにする<母さん>の存在はそれだけ偉大だ。イ・ソンヒの「愛してます 母さん」は、その偉大な愛に対してただ<母さん>のすべてを愛しているという歌唱曲といえるだろう。

シンセサイザーを主な楽器として、ピアノ、アコースティック・ギター、フルート、ドラム、歌声などを結合した伴奏は典型的な歌謡の感じそのままだ。イ・ソンヒの歌唱は、ゴスペルのように厳粛で敬けんな感じの伝達力で迫ってくる。初めは滑らかに、次第に強い訴える力で<母さん>に対する愛を歌う。「愛してます」という言葉それ以上の何が必要だろうか。常に近くにいながらも、容易に呼んであげられない言葉、「愛してます、母さん」をこの歌で直接伝えてみるのも遅くないだろう。

「隠れた微笑の後にうるわしい皺の刻まれたその顔、私にくださったその愛で世界を愛します。愛してます、愛してます、母さんの顔だけ思い浮かべれば私の心は平和です」、クライマックスという後半部に達すれば、心が涙声になる感動を受けることになるだろう。サウンド的な面で、昔ながらの感性が豊かだけれど清純ながらも生一本のイ・ソンヒのボーカル・パワーをアピールする力は実にすごい。チェ・ブラムとチョン・ヨジンのデュエットで有名な「パパの言葉(아빠의 말씀)」(Anthony Quinn  & Charlieの「Life itself will let you know」の翻案曲)と並んで、他の一方で親子の情を交わす代表的な賛歌(さんか)である。
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(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)

2015年12月29日火曜日

イ・ソンヒ、1980~90年代の象徴

ケーブルテレビtvNの番組「名簿公開」で、80年代・90年代に輝いた歌手としてイ・ソンヒが選出されたと、10asiaの記事「『名簿公開』イ・ソンヒ、姉さん部隊*率い青春スター・・・『国民のディーヴァ(歌姫)』」(12/28、チュ・ヒョンジョン インターン記者)は次のように報じている。

(* 「姉さん部隊」 イ・ソンヒのデビュー当時(20歳頃)の女子中高生を中心にしたファングループ)

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・歌手イ・ソンヒが、1980~90年代の象徴になったスターとして選ばれた。

・今日(28日)放送された、tvN(番組)「名簿公開2015」(94話)で、「応答せよ8090」*をテーマに、その時期最も眩しかった青春スターの名簿(リスト)を公開した。

    (* 「応答せよ~」の「~」に、”年代”や”世代”を当てはめるのが最近のはやり)

・この日、イ・ソンヒは7位に名前を上げた。過去、膨大なファン層を誇ったイ・ソンヒは、「Jへ」でデビューするやいなや、5週連続、音楽番組1位を記録し、大人気を享受した。

    (本ブログ関連:”Jへ”)

・「Jへ」でトップ歌手の仲間入りした彼女は、持続して人生の黄金期を続けており、1985年の「ああ、昔よ」を皮切りに、「私はいつもあなたを」、「私の街」などで、各放送局1位をさらって大衆の愛を受けた。

・2004年、レコード制作者に変身した彼女は、高校生だったイ・スンギへ歌手活動を提案、彼をスターに育て、制作者としての能力も実証した。

    (本ブログ関連:”イ・スンギ”)
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(Youtubeに登録のtvNに感謝)

2015年12月28日月曜日

火の用心2015

今年最初の「火の用心」の呼びかけが拍子木を響かせながら家の前を遠ざかった。やっぱり冬だなと、しみじみ納得する。記憶では12月26日(2014年と2012年26日)、28日(2013年)に、この夜回りを聞いている。もしかしたら全て26日に開始されていたのかもしれない。これから以降数日、何度か聞けるかもしれない。

(本ブログ関連:”火の用心の拍子木 2012年2013年2014年”)

以前は、子どもの声をまじえながら「火の用心」の掛け声がしたこともあった。残念ながら今晩の「火の用心」の声は届かなかったが、拍子木の「カチ、カチ」という響きはちゃんと届いた。この行事、一体どこのどなたがされているのか。例年の地道なボランティア活動に、本当に感謝。


(付記)師走の街
自動録音機能付きラジオがメモリー不足メッセージを表示し始めたので、マイクロSDカードを購入しに、近くの商業町に出かけた。買物ついでに設定も頼むという、すっかり他人頼みになってしまった。
街は賑わっていた。行列で有名なメンチカツ店も、いつもの倍くらい客が並んでいた。駅ビルの酒店で、ホットワイン用の甘~いブドウ酒を買う。そのままではアルコール分が強いので、飲み頃の50~55℃に温める。そこにデコポン茶用のジャムを加えてさらに甘~くする。柑橘系の香りも加わって美味い。

2015年12月27日日曜日

澤穂希選手の引退

女子サッカーの澤 穂希(ほまれ)選手(INAC神戸レオネッサ)が、今日の「皇后杯全日本女子選手権」(於:等々力陸上競技場)の決勝戦(対アルビレックス新潟レディース)で、自身のヘディングシュートにより、1-0の勝利に導き、本試合を最後に引退した。結婚を機にしたものである。

試合後、インタビューで次のように語ったと日刊スポーツの記事「澤穂希が現役最後の試合で決勝ゴール 涙見せず」(12/27)は報じた。(抜粋)
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試合後、ピッチで胴上げされた澤は「みなさんの力で勝てた。素直にうれしい。(先制のCKは)川澄選手のボールが良かった。今日は得点を狙っていた。とにかく現役最後の試合で点を取れたのはうれしく思う」と、涙を見せずに話した。
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「涙を見せず」というのが彼女らしくてうれしい。

先の2011年7月17日、「FIFA女子ワールドカップ」で日本女子サッカーチームが優勝した。「大会最優秀選手」、「得点王」(5点)の栄誉を獲得したのが澤選手だ。彼女の存在は、日本の女子サッカーだけでなく、男子サッカーへも刺激を与えたろう。そして、わたしを含めて多くをにわかファンにしてくれた。
その年の3月11日に、「東日本大震災」に襲われ沈滞した空気にあった国民を一変したことはいうまでもない。感謝。

澤選手は永遠に記憶に残り、マイルストーンの役割を果たすだろう。

(追記)
サッカーの試合で、特に男子選手を見て感じることがある。選手同士の試合中の衝突時、(世界共通して)痛い痛いアピールが過ぎるように思えてならないことがある。女子選手にそのような振る舞いをほとんど見かけないからだ。
ところで、最近のラグビー人気の急上昇が何となく分かる気がする。観客のスポーツへの観戦態度が変わってきているようだ。女子に澤選手があったように、ラグビーに五郎丸 歩選手が登場した。

2015年12月26日土曜日

イ・ソンヒの誕生日(陽暦)

イ・ソンヒは、今日満51歳の誕生日を迎える。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として、1964年11月11日(陰暦誕生日)に誕生した。イ・ソンヒの本籍地は、公式ホームページによれば、「忠清南道(충청남도) 保寧郡(보령군:現在は市) 珠山面(주산면) 篁栗里(황율리)」(GoogleMap)と記されている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの生誕”、”イ・ソンヒの誕生日”、”数え年と満年齢”)

同本籍地を地図上に探ると、すでに記したことだが、<鉄道「長項線」と国道21号線が接する珠山の街を北上する市道の途中にある篁栗里を左折した先に彼女の故郷がある。篁栗里は、保寧市の黄海に面した大川にある海水浴場観光特区の南東の山間にあり、また北東には南北に延びる「保寧湖」がある。なお長項線にあった「珠山駅」は、2006年6月に廃駅されたとのこと。>

なお、彼女の誕生から27歳までの自伝的な語りがある。⇒ 本ブログ資料編


(付記)
「1964年の韓国」について、新聞、Wikipediaの歴史年表、Youtube映像など。

2015年12月25日金曜日

イ・ソンヒの「過ぎ去りしひととせを思い返しみると」

イ・ソンヒのアルバム「私たちの物語」に所収の「過ぎ去りしひととせを思い返しみると(지나간 한 해를 다시 생각해보면)」(1991年、作詞・作曲ソン・シヒョン송시현)を聞きながら、この一年を振り返ると、果たしてどんな年だったのだろうか。

若者には大いに内省してさらに逞しくなって欲しいけれど、おじさんにとってこの期におよんでは人生を二度楽しむことをモットーにしている。先行きを案じるよりも、楽しむこと、それを思い返すことを期待するばかりだ。

来年もいい年でありますように。

1.
街を 思いきり あてなく歩き 帰り
寂しい 心に 蝋燭の火を 灯すよ

過ぎ去りし ひととせは なぜかあまりに寒かった
悲しみの 意味だけ 教えてくれたね

ときには 喜びもあったけど とても つらかった

過ぎ去りし ひととせは 私を 覚らせてくれた
あまりにも 尊い 人生の意味を

2.
来たる 新年には 果たしてどんなことが
大切な 自分の人生を 照らしてくれるのだろうか

過ぎ去りし ひととせを 思い返しみると
来たる 新年は さらに大切で

ときには 悲しみもあるだろうけど 私を 愛さなくちゃ

明るくなる 朝は 私を歓び迎えてくれるよ
自ら 立ち上がって 来たる 朝

(Youtubeに登録のUnInvited Guestに感謝)

2015年12月24日木曜日

イ・ソンヒの「ラスト・クリスマス」

イ・ソンヒがアルバム「冬のものがたり」(1988年)にカバー収録した、ワム(Wham!)のクリスマスヒット曲「ラスト・クリスマス(Last Christmas)」(1984年)は、イ・ソンヒがデビューした同じ年にリリースされている。

(本ブログ関連:”ラスト・クリスマス”、”クリスマス”)

軽快なイ・ソンヒのカバー(副題:Happy Christmas)は、原曲の持つ恋の結果を自問する複雑な心理とは裏腹で、むしろ願いを込めたとても前向きなのだ。いかにも彼女らしく若々しい、副題の通り幸せを予感する歌に仕上がっている。

今日は、誰にとってもクリスマスイブ。


(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)

インディアン・ラブ・コール

昔は筆でしたためた恋文(手紙)、まさか電信はなかったろうから飛ばして、次に来たのが電話だろう。その電話機は、近所に一台に始まり、家庭に一台となり、今は一人に一台の携帯となって、進化を遂げてスマホとなった。わたしはそれに追いつく気もなく、ガラケーを使っているが。

あの重いアナログ据置電話機を使った思い出深い映画場面がある。「パリ、テキサス(Paris,Texas)」(1984年)だ。隣り合わせながら知らず、受話器を通して語りかけるその先に埋まらぬ空白があった。電話がまだ、言葉をひとつひとつ選び費やすことができる時代のものだった。だから映画に共感できた。(イ・ソンヒがデビューしたころの映画だ)

受話器には、恋文の行間にもひとしい息遣いがあった。想いめぐらせ重ねるに充分だった。それなのに、「Indian Love Call」(Slim Whitman、1954年)ときたら、恋の電話に何と呑気なのだろう。もっと昔の時代なのに。火星人をなぎ倒すファルセットが癇に障ったのだろうか、監督ティム・バートンの映画「マーズアタック(Mars attacks!)」(1996年)に採用されたのだ。

もし、「マーズアタック2」が作られたら、どんな歌が威力を発揮するのだろうか。楽しみである。


(Youtubeに登録のLeonard Nosferatuに感謝)

2015年12月23日水曜日

祝日にくつろぐこと

今日は「天皇誕生日」の祝日である。町内は実に穏やかで、まるで正月のような静けさだ。自然に和らいでくる。緊張することの少ない気ままな身だが、更にのんびりとして緩み、くつろぐ気がする。

なのに日頃、アリスの前を「遅れてしまう!」とばかりに走るウサギのよう振舞って、果たして何に遅れるというのだろう。今日のような静かな一日に、いろいろな思いが浮かび、いろいろと考えさせる。

月日の過ぎるのがあっけないと気付き、やがて年月の経つのは早いと実感する。若い頃は傲慢で、歌舞伎や落語ファンが「先代は」とか「何代目は」とかいう話しをうるさく感じたものだ。それが、今では自然に聞こえる。どうやら、背中が重くなってきたようだ。

子どものころ感性をはぐくんだ土地を忘れがたいが、親の転勤にともなって以来、この地に住みここの空気にすっかり染まった。すみかにふさわしい処と思い定めたようだ。遠に、羽ばたくことのたくらみはないけれど、といって仙人の境地にもいたらない。たわむれに仙人の真似ごとをして、壁抜けしようとしても、頭をごっつんことぶつけるのが関の山だろう。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 水龍吟

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、李白「笛奏龍吟水」に由来する「水龍吟(수룡음)」ほか関連した3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”水龍吟”)

始めに、朝鮮後期の林熙之(임희지、1765年~未詳)と「笙簧(センファン:생황)」の関係について次のように紹介された。
・朝鮮後期、中国語通訳官だった林熙之は、竹と蘭をよく描いた。(日本の笙に似た管楽器)「笙簧」の演奏に優れ、弟子も多かった。酒が好きで、食事代わりにもした。貧しいなか、刀や鏡、硯の蒐集を好み、住まいよりも高いものもあった。芸術に没頭して、芸術そのものになった人とも言える。もう一つ面白い癖があった。明るい月夜、髪を両側に結いあげて、裸足で歩き回った。ガチョウの羽で作った服をまとい、笙簧を吹きながら市場を歩き回った。その姿を見て、お化けと思い逃げる者もいた。実は、このいでたちは神仙の姿を表したものだ。

▼ 宮中や宴会で奏された、笙簧と竹笛短簫(タンソ:단소)による「水龍吟(수룡음)」を聴く。雄大に龍と鳳凰が交差する。

次に、林熙之の神仙的風態について次のように解説された。
・林熙之は、自ら「水月道人(수월도인)」と呼び、竹や蘭を描いたのを見ると、複雑な世から逃れ、清く生きようとしたのが感じられる。体格もがっちりとして、夜中、変わった服装で歩き回ると、人々がびっくりしたのも分かる。彼が作った、ガチョウの羽の服は、神仙が鶴に乗って飛ぶ姿を表現したのだろう。
・神仙の絵に、「大笒(テグム:대금」に似た横笛や笙簧のような管楽器を奏するものが多い。神仙はいつ何処にも自由に移動した。運ぶのに便利な楽器を持ち、美しい景色と風流を楽しんだ。また、神仙の姿を歌った詩に、鶴に乗って笛を吹くで始まるものがあり、ヒョウタン形をした瓶をぶらさげて不老草をかつぎ、髪を結いあげている子供に話しかける内容だ。

▼ 詩にリズムのついた時調唱(시조창)「辞説頭学(사설지름)時調、鶴に乗って(학 타고)」を聴く。瑤池宴に行くのか?

最後に、小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)の女仙、あるいは姮娥について次のように紹介された。
・「瑤池宴」は、中国最高の女仙「西王母」が開く宴で、神仙の集まる場として知られる。李朝期の古典小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)に、8人の女仙が登場する。些細な罪を犯し、しばらく人間世界を生きる、それだけ美しく善良なものだ。今いる場所以外の他の世界で暮らしたい思いを、この詩は表現しているようだ。仙女の中で一番といえば、「姮娥(こうが)」が挙げられる。彼女は、西王母の不死の薬を盗み、月に逃げてしまう。唐の詩人李白は、月を眺めながら彼女を詩「把酒問月」に謳う。白兎は薬をついて、仙女の姮娥は寂しいという内容だ。仙女の姮娥は、さぞ寂しい思いをしたろう。

▼ 撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)演奏「鏡花水月(거울 속의 꽃, 물 속의 달)」を聴く。飄々と響く、今様である。

・最後に、キム・ボエさんの言葉、「どんなことでも、長所があれば短所もあるものです。どんなに寂しくても、人間とはまた違う形で我慢をしなければならないのが、神仙の暮らしでもあったようです。」

2015年12月22日火曜日

冬至2015

今日は、昼の時間が一年で一番短い「冬至」だ。二十四節気の22番目で、残り2つとなる。昼時間の長短を実感するのは、夕方の陽が沈む時間帯だが、冬至の今日が一番早いわけではない。実は10日前がそうで、むしろ現在、次第に日没時間は遅くなっている。なんと日の出時間の方がまだ!遅くなっているわけだ。

(本ブログ関連:”冬至2014”、”冬至2013”、”冬至2012”、”冬至2011”、”冬至2010”、”冬至2009”)

テレビの気象解説で、今年の冬は、「エルニーニョ」と「温暖化」が過去最大化したそうだ。その結果、日本海側では降雪が減り、太平洋側では大雪またはゲリラ豪雨にみまわれるかもしれないという。寒さが苦手な私にとっては、ここ連日の暖かさにホッとしているが、事態はそんなに呑気なものではないらしい。

今日の「最高気温」(気象庁によると)は、近隣の街で14.8℃で平年と比べて+3.3℃(11月下旬並み)。都心では、15.9℃で平年と比べて+4.8℃(11月中旬並み)となった。とはいえ、15℃前後というのは、真夏なら冷たいプールの水温よりも低いわけだ。

今夜の帰り道、上着を首まで締めた。寒いのだ。何度もいうが(誰に?)、私は寒いのが苦手だ。

2015年12月21日月曜日

東京クリスマスマーケット 2015

薄曇りの昼過ぎ、日比谷公園で催されている「東京クリスマスマーケット 2015」(12/11~25)に出かけた。祭りのスタイルは、「ドイツをはじめヨーロッパ各地にある、中世から続く(クリスマスにちなんだ)伝統的なお祭り」という。ドイツのクリスマスマーケットを主体にしたもので、こじんまりした規模だが、結構な人出だった。

テレビの旅番組で見かける、クリスマスツリーの飾り(オーナメント)や木工の手造り玩具などを売る屋台が並ぶ夜祭りをイメージしたが、大部分をドイツ料理の売店が占めた。夜間の開催もあり、防寒をしっかりした飲食専用施設が充実している。他方、クリスマス飾りなどを売る数少ない店に客の列がつづいた。(そんなわけで、オーナメントの買物は断念した)

もっぱら飲食を中心にした。まず、クリスマスの定番菓子である「シュトーレン」のスライスをつまむ。次に、これまた定番の赤ワインを温めてスパイスを効かせた「グリューワイン」を飲む・・・結構な量があって、次第にアルコールがまわってくる。もっと砂糖が欲しい。

(本ブログ関連:”ドイツ菓子”)

酔い覚ましに、会場のモニュメントである、様々な木製人形で構成された6層の「クリスマスピラミッド」(14m)を眺める。公式ガイドブックによれば、クリスマスツリーの原型とも書いてあるが。さらに、同ガイドブックの中で、(ドイツのエルツ地方にあるザイフェンの木工玩具の)クリスマスピラミッドについてこんな記載がある。
「鉱山で働く人々が、地下から荷物をくみ上げるために使用した装置を模している。キリスト生誕シーンや鉱山労働者、伝統的なモチーフなどが人形で組み込まれ、中央の上部に取り付けられたプロペラが、ろうそくの上昇気流でゆっくりと回る。」

確かに、会場のクリスマスピラミッドにも、天辺に複数の羽根が重なるように水平に放射して、ゆっくりと回転している。なにより関心を持ったのは、このクリスマスピラミッドが、鉱山施設に由来していることだった。

2015年12月20日日曜日

「応答せよ 1988」のイ・ソンヒ コンサート

ケーブルテレビtvNで放映中のドラマ「応答せよ 1988(응답하라 1988)」は未見だが、若い二人がイ・ソンヒのコンサートを見に行く場面がある。このシリーズは、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のような、庶民の青春懐古ドラマだろうか。

ブログや新聞記事に、イ・ソンヒのコンサート観覧に訪れるまでの場面として、そのチケットやコンサート会場前の写真が掲載されている。(「CLARA♪LA・LA・LA~♪」、「韓国経済」紙に感謝)

▼ まずチケットについて、チケット拡大写真から、「ライブコンサート '89」、「'89 1月28日 午後7:00」、「オリンピック体操競技場」が分かる。チケットのイ・ソンヒ写真は、彼女が1985年リリースした第1集アルバムのレコード・ジャケット写真に似ている。

▼ また会場について、ロケ写真から、蚕室近くのオリンピック公園で最大規模の「オリンピック体操競技場 Olympic Gymnastic Hall」の入り口が見える。ちなみに、1988年、ソウル・オリンピックが開催された。

イ・ソンヒが1989年に実際に公演したものを、彼女の公式ホームページで参照すると次の通りである。
・1989年04月16日 : 「イ・ソンヒ & チャン・ククヨン(レスリー・チャン) ジョイント・コンサート」(蚕室体操競技場
・1989年12月03日 : 「学生家長助け合い イ・ソンヒ コンサート」(88体育館)

イ・ソンヒとレスリー・チャンとの関係について話題はあるが、これは別にして、蚕室にある「オリンピック体操競技場」での公演は、1989年4月16日だけということになる。

以上から、① ドラマで使われたチケットの日付やイ・ソンヒの写真、② ドラマの公演会場となる舞台写真から、チケットは、実際に使用された物の複製というより、ドラマの小道具として新たに作られたのではないだろうか?

(余談)
ところで、売れっ子になったイ・ソンヒは、2002年に、自身の(歌手はもっぱら公演を主体にしていたので)専用劇場を入手する。後に、愛弟子となるイ・スンギをそこで見出すことになる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと小劇場とフックエンターテインメント”、”イ・ソンヒとイ・スンギの関係”)

2015年12月19日土曜日

イ・ソンヒは何色?

ファンは、極端な場合、ファン対象を自分と同一化することもあれば、神話化してあがめることもある。いずれのファンにもありそうなことだが。そんなファンが集まるといっそう象徴化が進む。例えば、ファングループの名前に始まり、応援カラー(色彩)にまで及ぶ。イ・ソンヒの場合、子どものころからニンジンが大好物だったこともあり、あるファンクラブではそれに目をつけて、ニンジンを共通の記号としたようだ。(現在もそうなのか知らない)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと「ニンジン」、「サニー」”)

ニューシスの記事「歌手中の歌手 イ・ソンヒ 『ありがとうございます』、ショーケースの現場」(2014年3月25日)によれば、イ・ソンヒが舞台に登場したとき、彼女のあるファンクラブの大部分が、「橙(だいだい)色の服を合わせ着て、"ニンジン"を形象化した<橙(だいだい)色>の夜光棒(ペンライト)を持って舞い上がった」という。

(本ブログ関連:”ショーケース”)

ファンには個々にファン対象があるから、自然なかたち棲み分けされる、はず。ところが、あるイ・ソンヒのファングループが選んだ上記の<橙色>について、ネットでちょっとした話題になったようだ。この<橙色>が、別の歌手グループの応援カラー(ペンライトなど)とバッティングするからだ。

まあ、そんな話しがあったという。

わたしにしたら、ニンジン色の<橙色>もいいし、イ・ソンヒが中学時代につけられたあだ名の「サニー」から<空色>もいいのではと思っている。彼女の日本語の歌「見せたいけしき」から何となくそんな気がする。

(本ブログ関連:”見せたいけしき”)、

2015年12月18日金曜日

(雑談) 人についてひとこと

以前、あるテレビ番組で、人類学者、霊長類学者である山極寿一京都大学総長が、<人と動物を分けるもの>として、次のように語られていた覚えがある。人類は、家族を持ち、一緒に「食べ物を別け合い、向かいあって食べる」という。ひとが人となるというのは、自身の生物的進化と合わせて、食べ物を別け合う家族の階層を持ったからのようだ。

個人がいて、男女(雌雄)の関係があって、家族がいて、共同体ができる。これら階層を、ひとりの人間の中で同時に合わせ持つのが人なのだろう。いずれかの階層が巨大化して膨らめば、他の階層を圧倒し、押しつぶすことになる。ひとりの人間の中で、すべての階層をいい按配に保つのが知恵というものだろう。(ひとりの人間は、これら階層をいやでも持たざる得ないのだから)

もう一つ大事なことがある。例えば、最近つくづく実感することだが、古書店の書棚で、古人の言葉と対面できること。あるいは、普段、気にもとめずにいた、町内の伝統の祭りに出かけてみれば気付くこと。郷土に受け継がれた時間と命の存在だ。だから、時間がこれから先にもずっとつづくことを知ってしまう。(ひとりの存在は、時間の変化の中でいやでも他の人と関わりを持たざる得ないのだから)

存在の階層それ自体であれ、水平であれ、垂直であれ語るために、人は言葉を持っている。果たしてそれが幸せなことだったのか分からない。階層に関係なく同じ言葉を使ってしまうのだから。共感を求めようとして、自身の存在を忘れ、言葉に溺れ、配慮をなくすことのないように、老境に入ればこそ自覚したいものだ。

2015年12月17日木曜日

(資料)2015年を輝かせた歌手 - イ・ソンヒ 7位

韓国ギャラップ(Korea Gallup)は恒例の、この一年を省みて最も輝かせたエンターテイナーを各分野別にランク発表している。本日(12/17)、歌手分野について、「2015年の今年を輝かせた歌手と歌謡(曲)- 最近9年間の推移を含む」を同社サイトに掲載した。

(本ブログ関連:”2014年”、”2013年”、”2012年”、”2011年”、”2010年”、”2009年”)

イ・ソンヒは、昨年(2014年)の歌手別で5位(曲別では3位、「その中であなたに出会って」)につづいて、今年(2015年)は10位圏の7位を獲得した。代表曲として、「幸せの国へ」、「その中であなたに出会って」が挙げられた。

今年の7月、9月、11月の3回に渡って、済州を除いた、満13~59歳の男女4,200人を対象に、「今年一年、活動した歌手の中で最も好きな歌手」を三人まで自由回答する、面接調査員インタビューを実施した結果が次の通りである。(%:支持率)
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1位:BIGBANG(15.5%)、
2位:IU(15.4%)、
3位:少女時代(11.9%)、
4位:チャン・ユンジョン(8.9%)、
5位:SISTAR(6.9%)、
6位:イム・チャンジョン(6.6%)、
7位:イ・ソンヒ(5.7%)、EXO(5.7%)、
9位:AOA(5.0%)、
10位:イ・スンチョル(4.9%)
-----------------------------------

なお、世代別に見たイ・ソンヒの支持率は、40代:5位(9.7%)、50代:4位(9.5%)である。イ・ソンヒは、今月21日(陰暦11月11日)で満51歳になる。デビュー当時(満19歳)からのファン層(中高女学生を中心)と時代を共にしてきたが、今回、総合でも7位という支持層の厚さを示したことになる。

この調査で、イ・ソンヒの(今年の)代表曲に選ばれた「幸せの国へ」は、本年の国家記念行事で合唱団と共に歌われたものだ。イ・ソンヒは、以前の曲「美しい江山」を換骨奪胎して彼女の代表曲にしたように、この曲も今後大きな変身を遂げるかもしれない。それは、未発表のまま風前の灯であった「Jへ」に命を与え、デビュー曲として大成功をおさめたように、再生の力を予感させる。

2015年12月16日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 關山戎馬

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代中期の文人、申光洙신광수、1712年~1775年)の詩「關山戎馬(관산융마)」を元にした3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”關山戎馬”)

始めに、申光洙の詩「關山戎馬」とその背景について次のように紹介された。
・漢詩にリズムをつけた「詩唱(시창)」に、晩秋の趣を歌う「關山戎馬」がある。朝鮮時代の文人申光洙の詩を歌ったものだ。「秋江寂寞魚龍冷(秋の川はわびしく、魚は冷たい)」に始まり、西風を受けて楼閣に立つ人、梅の花、笛の音色などが登場する。中国の詩人杜甫に「登岳陽樓」の詩がある。楼閣「岳陽楼」に登り、広く美しい洞庭湖を眺めながら、戦の絶えぬ故郷を憂い歌った。申光洙は、この詩をモチーブに、岳陽楼に登り、關山の戦を心配する「登岳陽樓嘆關山戎馬」を詩作した。

登岳陽楼 (杜甫)
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昔聞洞庭
今上岳陽楼
呉楚東南坼
乾坤日夜浮
親朋無一字
老病有孤舟
戎馬関山北
憑軒涕泗流

▼ <清い音色が晩秋を思わせる>竹笛短簫(단소)の伴奏で、詩唱「關山戎馬」の歌を聴く。語尾を延ばす詩吟のよう。

次に、關山戎馬にまつわる、申光洙と平壌の妓生牧丹(모란)との逸話について次のように紹介された。
・關山戎馬は、申光洙が35歳の頃、科挙の一次試験で2位に入った作品で、すぐに歌として歌われ、広く知られた。当時の学者ソンビは、生前に作品が親しまれた人として、中国の白居易と朝鮮の申光洙を挙げた。申光洙の詩は、特に平壌の妓生によく歌われたのを聞いて感想を残している。平壌に留まったとき、妓生の牧丹と共に東屋に訪ねたり舟遊びを楽しんだ。牧丹が彼の詩「關山戎馬」を歌うと、その声に空の雲も止まってしまったという。この歌はしばらく歌われなかったが、最近、新民謡で歌われる。

▼ 新民謡「關山戎馬」を聴く。新民謡といっても、それほどくだけたわけでない。むしろスッキリしているくらい。

最後に、新民謡について次のように説明された。
・新民謡に、昔の民謡のメロディーそのままではなく、柔らかく美しいメロディーに、伝統的な楽器全てを含めて、声楽法も変えた朝鮮北部のものがある。この關山戎馬も同じで、詩唱のリズムに似ても、孤独感や哀切感はなく少し明るい。

▼ <關山戎馬を恋の物語に解釈した、秋の江を意味する>「秋江추강이)」の歌を聴く。イ・サンウンを思い出した。

・「秋江」は、愛する人と別れた後の心境を歌っている。戦時に、關山戎馬を聞いた人々が涙を流したという。これを、「秋江」は、恋のストーリーに解釈して歌っている。

2015年12月15日火曜日

インスタグラムって何?

スマホを持っていない。先日、<ガラ携S>から<ガラ携A>へ換えたばかりで、スマホにチャレンジしようという気すらなかった。だから、スマホ・アプリの話しが出ると皆目見当つかないのだ。

今晩もそうだった。教室で、「インスタグラム」について話題になり、その関心や知識について聞かれたが、幸いにも私の席まで質問が回ってこなかった。インスタグラムは、写真共有のスマホアプリだそうだが、スマホがないためかインスタグラムに興味がない。もちろん、PCでも利用できるそうだが。

PC環境で、Twitterを登録したことがあるが、その後使ったり見たこともない。食わず嫌いといっているうちに、置いてけぼりされたようだ。歳をとると、新しいことが億劫になる。必要性を感じない。新規な仕組みやシステムの前で、それを話題にすることもないのだから。

スマホもない、LINEも知らない。歳をとると、ひとの絡むことが煩わしくなる。SNSの世界は、人間関係を求めたい若者によいかもしれない。おじさんは、コミュニケーションそのものが面倒になっているのかもしれない。

インスタグラムって、何がべんりなのだろうか、相変わらず分からない。今度、教えてもらおう。

2015年12月14日月曜日

ママがサンタにキスをした

街を歩いているとき、若い親が小さな子どもを連れて歩く姿をほほえましく思う。うれしそうに、子どもがスキップするのはいつまでだろうか。親の先を歩いては振り返って走り戻ってくるのはいつまでだろうか。わが子のときどうだったか、きちんと覚えていない。今になってとても残念だ。

子どもはいつも視線を感じている。そして、その奥に慈愛を探している。自分が存在する理由を、自信を見つけるために必要なことだ。成長すれば世界がもっと見えてくる。クリスマスの晩に「ママがサンタにキスをした」のを見て、サンタがだれだか薄々分かってくるのはいいことだ。クリスマスを家族の中で楽しむ意味を理解できるのだから。最初は、パパとサンタが別々に見えるかもしれないけれど、いつかきっと知るだろう。子どもはその秘密をやさしく内緒にする。

13歳の少年ジミー・ボイド(Jimmy Boyd)が最初に歌った、「ママがサンタにキスをしたI Saw Mommy Kissing Santa Claus)」(1952年、作詞・作曲トミー・コーナー(英国))は、その年末大ヒットしたそうだ。Youtube映像に、当時の少年の姿がある。なんだか、Jack&Bettyの世界に登場するような少年で、古きよきアメリカを思い起こさせる。あるいは、もっと以前(1920、30年代)のフィルム作品だが、テレビで放送された「ちびっこギャング(Our Gang)」にまで遡ってしまいそうな雰囲気がする。

もしかしたら、この年頃の子どもにうってつけの歌かもしれない。

(Youtubeに登録のlovedesignに感謝)

2015年12月13日日曜日

お、驚くじゃないですか

スポーツ朝鮮の写真記事、「【フォト】 イ・ソンヒ、『体つきそのままに露にした密着ドレス~』」(12/10)という見出しが目に飛び込んできた。えぇっ!と見直して写真をみると、そこには肩肌を見せながら両手を頭上にマイクを掲げた女性の姿があった。顔を眺めれば、歌手のイ・ソンヒではないのはすぐにわかるのだが・・・お、驚くじゃないですか。

写真のイ・ソンヒは、声優の方だそうで、「KBSラジオ演技大賞(声優演技大賞)」授賞式のものという。同紙の別写真タイトルに、「セクシーな熱唱」というのもある。

歌手イ・ソンヒの昔のYoutube映像には、赤いドレスや、白いドレスで歌うものがある。それと思い比べれば、スポーツ朝鮮の写真と違うのは私でも分かる。写真の女性は、だいぶ色っぽいのだ。でも、歌手イ・ソンヒがこれまで受け入れられ、支持が続いて来たのは、むしろ普通の女性っぽさにあったのかもしれない。

ところで、イ・ソンヒの名(=発音)は漢字にすると色々あり、男性では野球関係者がいたりする。女性では、軍人、テレビ作家、ファッション、国楽など様々な分野で活躍する同姓同名の方がいる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒという名前”、”李仙姫の名前から”)

2015年12月12日土曜日

イ・ソンヒの「水仙」

中島みゆきの作品に「元気ですか」がある。モノローグで通す曲だ。後追いする惨めさをこれほど感じさせるものがあるだろうか。言葉は、かさねるほどその重みに耐えられないことに気付かせる。

イ・ソンヒにも、やはり独白だけの作品「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)が、5集に収録されている。こちらは、もしかしたら若気の強がりかもしれないが、言葉のジレンマから結局は逃れそうもない。

この「水仙」を収めた4集・5集アルバムリマスター版(「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」)を解説する記事(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)に、次のような紹介がある。社会性を強めたといわれる5集のなかでは、独特な位置づけとなってる。
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ナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」・・・、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。
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試聴: 「水仙」  ← このリンク先で聞くことができる)


(ふふふ) みんな過ぎたこと

いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい

未練! (ふ

わたしが 水仙を好きだったとしよう

その花が散ったとしよう

それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう

それも日を決めておいて

ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(は~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ



(追記) 「忘年会」

久し振りに、昔の仲間との忘年会に参加した。私なりに1年間の成果があってこその忘年会だが、果たして振り返ってどれほどだったのか自問する。とは前置きで、毎度ながら美味しい食事と楽しい会話でたっぷり時間を過ごすことができた。皆さんに、刺激とエネルギーを注入された思いする。
今回も、幹事さんに感謝。プルコギ、美味かったです。

2015年12月11日金曜日

なんと最高気温、24.6℃

昨晩、PCデスクのそばに置いたガスストーブの火がシュルルと消えてしまった。慌てて再点火するが反応がない。台所のガスコンロを見ると、弱火の位置のまま火がなかったのだ・・・そのためだろう、屋外のガスメーター器が自動停止して、ガスを遮断したようだ。(危険を回避してくれた装置の賢さに感心する)

それも深夜のこと、回復させるために外へ出るのも面倒なので、うっちゃってしまう。今朝になれば土砂降り。傘をさしながら、ガスメーター器をリセットした。寒いときの赤い炎、あらためてありがたい。

午前に雨音が止むと、気温が上がった。何と、今日の最高気温(近隣街観測)は、24.6℃(昨日より13.0℃も高い)、9月下旬並みという。どうりで、いつもの防寒着を軽めのものにチェンジして外出したが、衣服のなかにこもった温もりがまとわり締め付けるようだった。体温の調節ができない。

帰宅すれば、夜風が吹き、通り雨する。一体、今日の天気は何だったのだろう。再びストーブをつけながら嘆息している。


(追記) 油井亀美也宇宙飛行士、無事帰還

昨夜、航空自衛隊のパイロット出身の油井亀美也(ゆいきみや)宇宙飛行士が、国際宇宙ステーション(ISS)から無事帰還したと、読売新聞の記事、「油井亀美也さん、無事帰還…『重力感じますよ』」(12/12)は次のように伝えている。(抜粋)
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【ジェスカズガン近郊(カザフスタン)=冬木晶】 国際宇宙ステーション(ISS)に今年7月から(141日16時間)滞在していた油井亀美也宇宙飛行士(45)が、日本時間の11日午後10時12分頃(現地時間午後7時12分頃)、ロシアの宇宙船ソユーズで地球に帰還した。
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油井宇宙飛行士により、8/24に「宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の5号機『こうのとり5』は、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームで」把持・結合された。

(本ブログ関連:”油井亀美也”)

2015年12月10日木曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

ホワイトペーパー記事、「【ウォークマン ◀ プレイ】 イ・ソンヒなしに 8090を論ずるな! 『思い出のページをめくれば』」(12/7、パク・ジンヒ記者)は、イ・ソンヒの6集に所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年)が、懐古ドラマ(「応答せよ1988」)の舞台や他歌手(リナ・パークなど)にカバーされたことを通して、時代を戻りながら次のように触れている。(抜粋)

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

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16枚の正規アルバムと18枚の非正規アルバム。各種編集アルバム参加のみ69回。デビュー30年目の歌手イ・ソンヒの数字だ。1980~1990年代の大衆文化でイ・ソンヒを抜きにして指標はないほどだ。

「思い出のページをめくれば」は、1990年8月に発売したイ・ソンヒ6集タイトル曲である。イ・ソンヒのヒット曲「懐かしい国(그리운 나라)」も同アルバムの収録曲である。当代最高の作曲家ソン・シヒョンが作詞・作曲にすべて参加した。イ・ソンヒはこの曲でロック唱法を完全に除いた。歌唱力が要求される(この)曲だが、後輩たちの(歌いこなそうとする)挑戦も絶え間なく続いた。
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ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

(Youtubeに登録のJTBC Entertainmentに感謝)

2015年12月9日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 百済歴史遺産

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、古代三国時代のひとつ、<百済時代>の遺跡地区が世界遺産に登録されたことに関連した3曲を紹介した。

始めに、百済(紀元前18年(神話)~660年、백제)の概要について次のように紹介された。
・百済の領土は、漢江流域から中部の忠清道と南部の全羅道を含み、日本とも緊密な関係を持った。滅亡後は統一新羅時代となる過程で、その歴史の多くがベールに包まれたが、僅かな遺跡と遺物、記録や物語りが継承され、美しい文化を有していたことが分かる。百済滅亡後、国を失った遺民の悲しみはいかばかりか。国楽に、彼らの悲しみの歌ある。

▼ 忠清南道にあった夫餘の田植え歌「山有花歌(산유화가)」を聴く。呼応して歌い合う農事の民謡は気持ちが良い。

次に、遺民と(高麗時代に記載の)新羅の「卿歌(郷歌향가)」にある「薯童謡(서동요)」について次のように紹介された。
・新羅と中国の唐との連合軍に敗れた百済は、多くの遺民ができ、王族や一般民が唐に連れられたりした。人々は川の入り口、南堂山に登り見送ったその日が8月17日だ。人々は8月16日にこの山に登り、去った人々のため祭祀を捧げ、唐からの知らせはないかと集まった。以来、この日は遠くに住む親戚が集まる日に変わる。また「卿歌」にある、百済に関する歌「薯童謡」は、百済の武王が王位につく前の若いころ、新羅の善花姫との結婚のため作った歌という。リズムは消え、歌詞だけが伝わる。

▼ 脚色した歌「綿のような善花姫(햇솜 같은 선화공주)」を聴く。お月様、お星様、キラキラ響くよ、今様の可愛い童謡。

最後に、「三国遺事」(1270年代後半~1280年代に記述)の薯童(後の武王)と善花姫の話について次のように紹介された。
・「三国遺事」に、百済の薯童は貧しい田舎の出身で、善花姫が美しいと噂を聞き、あてもなく新羅に向かう。そして、善花姫が夜中に薯童と会いに出かけるという歌を子どもたちに歌わせた。歌は一気に慶州に広まり、姫は王宮から追い出され、薯童と姫は結婚(姫は後に王妃になる)するという話しだ。
全羅北道の益山の「彌勒寺」に、韓国で一番で古く大規模な国宝の彌勒寺址石塔がある。武王と善花姫が建てた寺との伝説もあるが、最近の発掘調査では、百済の貴族の娘とも言われる。そうならば、善花姫は誰だったのだろうか、いつかその真実が明らかになる日も来るだろう。

▼ 月の歌「月よ(달하)」を聴く。昔を思い浮かべるような響きする、今様である。


(追記)  「アリラン・ファンタジー」

今晩、新宿の初台にある「オペラシティー・コンサートホール」で、日韓国交正常化50周年記念(主催韓国(外交部)大使館、後援日本外務省)の「アリラン・ファンタジー」公演の鑑賞に出かけた。韓国「国立国楽管弦楽団(국립국악관현악단)」がメインの演奏を行ない、他に日本の琴(木村玲子演奏が凄い)、テグム大笒대금)、ピアノなどとのコンチェルトがあった。

国楽に興味を持って以来、気になっていたのが韓国国立国楽管弦楽団だ。一体どのような演奏を中心にしているのだろうか。宮廷音楽のような正楽風の演奏なのか、あるいは伝統楽器を洋楽のオーケストラ・パートに配置する洋楽風の演奏なのかということだった。結果は、後者すなわち、伝統楽器を使って国楽の伝統曲・新曲を洋楽風に演奏するようだ。
今の時代、韓国国楽へ関心を向ける使命のためにも、聴きやすく馴染みやすい最適な演奏スタイルかもしれない。その意味で、洋楽主体の生活をしている都会人には、ゆっくり耳を傾ける良い機会になった。

今までに聴いたことのない楽しい曲があった。京畿地域の巫俗音楽をテーマにした「シンネリム(神憑りの儀式、신내림)」だ。実に軽快で引き込まれる。次のYoutube曲で同様な経験ができる。五線譜で演奏しているのが分かる。(なお演奏は「江原道立芸術団」とのこと)


(Youtubeに登録の권용석に感謝)

2015年12月8日火曜日

年賀状デザイン

街はすっかりクリスマスの装い。マスコミはその先をいそいで、来年の年賀状モードに入っている。追いつくのに大変。

あるテレビ番組(局名などもすっかり忘れた)で年賀状について話題にしていた。申年(さるどし)にちなんで、次のような話が紹介された。
十二支は時刻や方角を指し、後から覚えやすいように動物(猿)をあてはめた。
② (諸説あるが番組では)申年は、<神(しん)>の文字のつくり<(しん)>につながる。
③ 申は雷に通じ、象徴として(ラーメンのドンブリの模様に見る)「雷紋」がある。
そのほか、大正、昭和初期のものだろうか、ノスタルジックな年賀状デザインも紹介していた。

そんなわけで、そろそろ年賀状を準備せねばならない。

ネットで<猿>を検索したところ、江戸時代の画家、伊藤若沖(いとう じゃくちゅう、 1716年3月1日~1800年10月27日)の猿図が見つかった。実際は、親と子が手とつないでいる様を描いた縦長のものだが、左図のように、親の部分だけトリミングしたものを、チャッカリ使わせていただくことにしようかと思う。

以前、(練馬区立美術館だったような気がするが?)伊藤若沖の作品展を見に行ったことがある。奇想な感じするばかりだった。

ロック(バンド)にバラードがあるように、こんな心休めさせる作品もある。

2015年12月7日月曜日

大雪2015

二十四節気の「大雪(たいせつ)」、先日の「小雪(しょうせつ)」からの今日で、雪が本格的に降るころとなる。とはいえ新暦なので、おまけに暖冬だしで実感がわかない。近頃経験の雪景色は、鉱物採集に行ったとき見た遠景しかない。陰暦12月7日は、新暦でいえば年明けの1月16日となり大分先のこと。その時期なら納得できそうだ。

(本ブログ関連:”大雪”)

「小雪(しょうせつ)」を「こゆき」と呼んでしまうと記したことがあるけれど、「大雪(たいせつ)」は何としよう。やっぱり、「おおゆき」だろうか、浮かんでくるイメージに可憐さはない。「大」は「小」がたくさん重なるわけではないようだ。

ところで、Youtubeにイ・ソンヒのカバーによる「雪が降る(눈이 내리네)」があって、最新の登録(2015/12/03公開)のようだ。音質がとても素晴らしい。

(Youtubeに登録の이예재に感謝)

2015年12月6日日曜日

新大久保、新宿の街巡り

曇り空の昼過ぎ、久し振りに都内を巡る。行き先は電車内で何となく決めた、山手線上の街、新大久保と新宿だ。どんよりした景観に気が重くて、さらにの遠出は躊躇する、ほどほどの距離である。

新大久保の駅前は相変わらずの混雑振り。メディアがいうほどもないと思いながら、<大久保通り>を進む。次第に客足の鈍さが気になり始めた。日曜日にしては、最盛期の半分、いや三分の一といったところだろうか。想像以上に変化が進んでいるようだ。冬の厳しさを感じた。

コリア・プラザのCD、書籍売り場を廻る。CD棚に、イ・ソンヒの2集リマスタリング・アルバム、最新の15集アルバム、30周年記念コンサート・ライブのCDが並んでいた。売り切りを急いでいるように見えて気になった。これ以上、新大久保にとどまることもなくて新宿に移動する。

紀伊国屋書店で、中島みゆきの歌詞集である、「中島みゆき全歌集 1975-1986」、「中島みゆき全歌集 2001-2014」(ともに朝日新聞出版)を求める。彼女の歌詞集は、以前購入の「中島みゆき最新歌詞集 1987-2003」と「中島みゆきnakajima miyuki全歌集」*(ともに朝日新聞出版)が手元にある。

(本ブログ関連:”中島みゆき”)

ちなみに、今回手にした「中島みゆき全歌集 1975-1986」は、以前購入の「中島みゆきnakajima miyuki全歌集」の新装版である。両巻末に詩人の谷川俊太郎の同じあとがき「大好きな『私』」があって、歌われる歌詞を文字で読むことについて、「歌の魅力がときにことば以上に、そのメロディやリズムや歌い手の声によっていることは誰もが知っている」ことを承知して、歌詞と詩を対比するかたちで次のような記述している。(下線は今回付記した)
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歌はことばの隠している意味と感情を増幅する。あるいは誇張すると言っていいかもしれない。だがそうすることで、歌は私たちがふだんとらえ損なっていることばの意味と感情を新しくよみがえらせてくれる。メロディとリズムに支えられたひとりの生身の歌い手の声がそれを可能にするのだ。だから活字になった歌のことばは、ある意味ではぬけがらにすぎないと言えるかもしれない。しかしまた音楽と声の助けなしにことばを読むことで、私たちは歌の肉体だけでなく、骨格とでもいうべきものを知ることができる。特にそのことばが、歌い手自身によって書かれている場合には、ひとりの歌い手の心の中にわけいることさえできるのだ。ことば音楽はひとつののうちで、決して分解できぬものとして存在しているのだが、書物は音楽にあふれたスタジオやコンサートホールとはまた違った静けさのうちでしか聞くこのできない隠された声、それをと呼んでもいいのではないだろうか。
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2015年12月5日土曜日

イ・ソンヒのアルバム12集 「この歌をかりて」

イ・ソンヒのアルバム12集は、ソウルの中古レコード店でCDを見つけることができなかった。日本国内で一度購入のチャンスがあったのを見逃してしまい後悔している。韓国のネットでは探し出せるが、購入手続きが面倒そうなので、いつか好機を待つ他になしとしている。

ところで、放送PDから(本格)制作者への道を進むキム・ソンフンという方のTwitter(‏@omstv101)に、この12集について次のような紹介がある(感謝)。日本ではなかなか見つからなかった理由があるようだ。
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歌手イ・ソンヒの12集アルバムは、2001年に発売されるやいなや配給会社の問題で販売が中止された。12集アルバムの中で、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」の曲は、イ・ソンヒの歌手人生最高の音楽として挙げられる。しかし、中古CDどころか、音源サイトでも聞くことがない。そうした・・・
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上記のTwitterの中で語られている通り、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」は本当に美しい曲で、ドラマチックな響きがして、すぐ感応してしまう。

(本ブログ関連:”この歌をかりて”)

参考)  投稿サイトの”トゥデイ・ユーモア”で、「この歌は、実話を基に作った歌だそうです・・・聴覚障害のある方が障害のために、愛する人を去り、別れるしかなかった痛みを表現した」という伝聞を紹介されている。感謝。


分かってよ、多分私もそうしたわ
私に反対の家族は もう許してくれたの
あなたもおそらく親になれば、その心分かるわ
あなたを惜しんで そういうのを

幸せでなければならない、私の掌(てのひら)に書かいて
走って行ったあなたに 電話しようとしたの
そんなにも あなたのために練習した言葉
あなたを愛してる、私の声で

この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと

この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ

私は祈って、またこの世に来るなら
その時は このようにどうか生まれないように
誰かをただ愛することさえ
罪にならねばならぬ自分が嫌いです

この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
*
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)

2015年12月4日金曜日

(資料)「歌謡番組が危ない?」

韓国歌謡界といえば、オーディション、メディアの変化、ランキングシステムといった状況のもと、グループ・アイドル歌手の生産と消費、それに対極する歌手の居場所といったものが話題にあがる。それに伴い将来の「歌謡番組が危ない?」といった歌謡番組存立そのものの話しまで出ている。

KBS WORLD RADIO(日本語放送)の番組「アジュンマの井戸端会議」の第376話「歌謡番組が危ない?」(11/19)は、随分ショッキングなタイトルだが、歌謡番組の出演システムや番組の存在について次のように伝えている。(抜粋表示)

(本ブログ関連:”アイドル”)

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・地上波やケーブルテレビ各局の歌謡番組の放送は、楽曲のランキングを発表し、それで出演者が決まる。ランキングの意味が全くなくいずれの番組も廃止するべきという声が上がっている。アイドル中心に反感が強いこと、それに番組の影響力が弱くなっていることが原因。

・ほとんど毎日放送される歌謡番組では、1位になる歌手が毎週のように変わるのが最近の趨勢。ランキング番組の主な視聴者は、ビジュアル重視で、アイドル歌手追っかけの忠誠度の高い10代だ。番組のランキングは、CD売り上げ、聴取回数、ミュージックビデオ再生回数などが評価対象となる。また視聴者の事前投票もかなりを占め、忠誠度の高いファンを持つアイドルに有利なシステムである。出演時間は3分前後だが、数回のリハーサルに半日は放送局で過ごさねばならない。

最近まで音源チャートの上位ランクインしていた歌手たちは、最新曲で歌謡番組にほとんど出演しない。新曲で活動再開をアピールし、カムバック披露するのが、アイドルたちを除いて意味合いもなくなっている。

歌謡番組のランキングは何の意味もないと切り捨てる歌謡関係者もいる。特定事務所の所属歌手により多くの時間を割き、忠誠度の高いファンを多く持つアイドルグループがカムバックと同時に1位になるような、構造的な問題を抱えている。

・マルチメディアの時代の到来で、放送局の歌謡番組に出演しなくとも、自身の楽曲を宣伝することができる機会が増えたのも、歌謡番組が軽視されるようになった理由の一つだろう。これからは新人も含めて歌謡番組には出演しない歌手がますます増えるのではないかと、業界ではみている。
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2015年12月3日木曜日

イ・ソンヒ「一人になった愛」

イ・ソンヒの登場に驚いた作家たちには力が入っただろう。初集アルバムの作品は今も素晴らしい名曲揃いだ。それらを、力いっぱいに響かせたデビュー時と違い、時間を経るごとに更に豊かな作品になっていく。

イ・ソンヒの1集に所収の「一人になった愛(혼자된 사랑)」(1985年、作詞キム・キルソプ、作曲ソン・ジュホ)を、1990年10月に訪れたモントリオール室内楽団と協演している、次の映像を見て、いっそう洗練されていることが分かる。(それでも若々しい)この機会にソウルの世宗文化会館に立つことができた。

(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)

協演当時、音楽界での自身の立場について複雑な思いがあったようだ。彼女の自伝というべき思い出語りに、次のような記憶がある。
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昨年の秋(1990年10月)には、カナダのモントリオール室内管弦楽団と共演した。あの「敷居の高い」世宗文化会館大講堂で。その楽団が著名な外国のクラシックオーケストラではなかったとしたら、私一人で世宗文化会館の舞台に立つということが可能だったのだろうか? ほろ苦い。また、私が望んだことは、外国楽団でない私たちのオーケストラであった。しかしながら、伴奏はできないというのだから、私だってどうすることができようか。
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風が雨を巻きあげて  さらっていった街に
捨てられた傘ひとつ  さびしく泣いていた
*
足もとには夕闇せまって  孤独な夜が深まれば
行く辺のないこの心 静寂(しじま)の中で明かした
しずむ 孤独だけが  切なくて

散らばる葉を集め  火をつけて
去った愛を探して  さびしい心 (Oh~)
そっと寄りそいみれば  それでも 暖かい、暖かい
ひとりいるより

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年12月2日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 別れの歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<別れの歌>に関連した3曲を紹介した。

始めに、昔は特定の木を植えて道程(距離)を示したこと、東屋(あずまや)を置いたことについて次のように紹介された。
・昔の道は、目的地までの距離を示すのに木を植えて表した。10里の地点にハリゲヤキ、5里の地点にハンノキを植えた。5里を「オリ(오리)」と発音し、ハンノキを「オリナム(오리나무.=五里木)」と言うのは、これにちなんだと言われる。ちなみに、日本の1≒4Kmは、朝鮮の10≒4Kmとなり、単位は同じ「里」だが距離に違いがある。また、ハンノキは高く、遠くから見える。村々に東屋を5里ごとに建てたことから、5里(오리)の発音を付して「五里亭(오리정)」とも呼ぶ。人を迎え、別れる場所でもあった。例えば、パンソリ「春香歌(춘향가)」で、春香(춘향)と李夢龍(이몽룡)が別れたところが五里亭だ。

▼ 「春香歌」から、「五里亭の別れ(오리정 이별대목)」の場面を聴く。どことなく物静かだが、千遍思案を重ねてのこと。

次に、「春香歌」で春香と李夢龍の五里亭での別れと、その心情について次のように紹介された。
・李夢龍は地方官の息子で、地方官の家族が都に去る日、妓生の娘春香が五里亭まで追った。当時にすれば無茶と思えるが、それだけ切ない別れだったのだろう。京畿地域の歌い手が、この場面を歌で構成した、十二の雑歌の中に「出引歌」がある。日常の惣菜の青唐辛子、作りたてのキムチを、また昔も今も高級なタコ、アワビなどの食材を用意して五里亭に向かうところから始まる。別れを前に馳走を味わう余裕はないものの、心を込めて準備したのだろう。

▼ 京畿地域の雑歌から「出引歌(출인가)」を聴く。いつまでも明るく生きることを願う、恋すればの歌だろうか。

最後に、別れの後に恋人たちが安否を気遣い託した「青い鳥(청조)」の伝説について次のように紹介された。
・別れは悲しい。旅立たねばならぬ者がいて、その後に、いつまでも待つ者がいる。手紙のやり取りもままならぬ当時、人々は飛び交う鳥を見て心を慰めた。昔、朝からカササギがさえずると喜ばしいことがあると信じられた。中国では青い鳥がその役割をした。青い鳥に、恋人の安否を問う歌がある。女性歌曲(가곡)で、伝統的音階の「ウジョ(우조)」に、「チュンゴ(중거)」という歌曲がある。

▼ 鳥に歌いかける歌「青い鳥よ(청조야)」を聴く。柔らかい詩吟のよう。安否と安堵が重なる。

・最後に、キム・ボエさんの言葉「別れがあるからこそ、また再会の喜びもあるのだと思います。」

2015年12月1日火曜日

師走2015

今日から12月、旧暦名であるが「師走」となった。やっと冬らしい寒さが来た。外出に、思わず厚手のジャンパーと手袋を用意したくらいだ。夜の帰り道、冬着してよかったとつくづく思った。それほど頬をさすように冷えた。

(本ブログ関連:”師走”)

今年も残り1ヶ月しかなくて、部屋の「月別カレンダー」は一枚だけになってゆらゆら揺れている。「日めくりカレンダー」も薄くなり落ち着かないようだ。町中、クリスマスムード作りして、駅前や公園の木立をLED照明で飾っている。(こんな寒い夜中に、子どもたちが見に来るのだろうか)

1年をリンゴの実に例えて、軸を中心に縦に12等分すると、既に11/12食ってしまったことになる。1/12は一片というより、一枚といったほうがよいかもしれない。まるで一年がスライスされ、ポテトチップのようになっている。

師走の名と違い、生活はあわただしくない。歳のせいだろうか。カウチポテト族のように、この31日間を無為に過ごすことになりそうだ。それでも時間は過ぎていく、過ぎて行ってくれる。

2015年11月30日月曜日

イ・ソンヒの「少女の祈り」

総じて暖冬。昼の日向の温もりも、日陰に入ればヒンヤリする。月面であれ、宇宙であれ、太陽光のあたる部分とそうでない部分の温度差は想像以上。地上でも、砂漠の昼夜で随分と差がでる。そう考えると、この寒暖に不平もいえない。

紅葉は温度差が激しいほど美しいという。最盛期は過ぎたが、高尾山の紅葉はまだ見ごろとのこと。行ってみようかと思案するが、寒さと人の混み合いを想像するだけで足が遠のく。詩情がわかないが、近場の紅葉でおさめる。それにしても、紅葉を愛でるにふさわしい(人生の)時期もあるようだ。

イ・ソンヒの初めてのアルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、思い出が落葉のように重なる乙女の歌だ。次のYoutubeの歌声は、20周年コンサートのものだろうか。高音につやが加わって、なめらかに響く。たぶん、最も美しい紅葉だろう。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)


風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして   空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ

引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら

(*以下繰り返し)

この夜が明けたら

(Youtubeに登録のseony7676に感謝)

2015年11月29日日曜日

なぜ仙人の話しをするのか

このブログは、イ・ソンヒのファンブログだ。とはいえ、毎日彼女のことを書き続ける力はない。そこで、彼女の歌の曲名や歌詞内容にキーワードを探し、思い浮かぶことを話題にしたりしている。テレビドラマの「僕のガールフレンドは九尾狐」挿入曲である、彼女の歌「狐の嫁入り(여우비)」(2010年)から、狐信仰、九尾狐、稲荷神社、(狐に関連して)山海経、聊斎志異、耳袋(嚢)など調べている。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

また、イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄(ぼんばい:범패)」の指導者だったことから、韓国仏教、国楽などに関心を向けている。

そんな一つに、イ・ソンヒの名前がある。漢字名「李仙姫」に、なぜ「仙」の文字があるのかについて、彼女が誕生する前に父親が見た「夢」から選ばれたということを何度か触れた。

(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)

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「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」

・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
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ここ数日、仙人について書き連ねている。いつか、仙人のいる仙境、あるいは桃源郷の世界を覗くことができたらと期待している。(とはいえ、仙人の事典のような列仙伝をめくると、彼らが普遍的な存在というよりは、一つの生き方に見えてくる。人模様というか、人様々というか。)

2015年11月28日土曜日

仙人になりそこなう

国立国会図書館には、古書をネットで参照できるサービス、「近代デジタルライブラリー」がある。<仙人 支那>で検索すると、最近気になり探している中国の仙人話しを読むことができる。

(本ブログ関連:”仙人”、”国立国会図書館”)

池田大伍編の「支那童話集:新訳」(富山房、大正13年)に、「聊斎志異」*をもとに書いた「仙人修業」がある。仙人になりたいという思いはあるが、それを浅慮と見抜かれた男の話しだ。彼は、仙人になる一途さも、仙人になる躊躇もない。あるのは、その気になってしまう粗忽さだけだった。

(* 「聊斎志異」の「仙術修業 - 労山道士」を童話にした)

仙人になりたくて、(労山にいる)道士に弟子入りしたものの長続きしない王生は、ひと月、ふた月と我慢したものの、とうとう暇を申し出る。何を思ったか、一つだけ秘術を教え乞うたのだ。道士は、「それ見ろ。だから、わたしはお前には辛抱はできないといったのだ。」といいながらも、壁抜けの術を授けた。そして、その時は、王生にもそれができた。
家に戻った王生は、仙道を学んできたといいわけするが、長い留守に女房に散々なじられる。そこで、壁抜けの術を見せようとする。
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「ではやってみせるぞ」
と、家の壁から、五六尺離れて、呪文を唱えて、頭を突き出して、駆けぬけようとしますと、堅い壁で、どさんと頭が突当たって、目が眩んで転倒(ひっくりかえ)りました。お嫁さんが助けおこしてみると、額の上に、大きな卵ほどの瘤(こぶ)が出来ました。お嫁さんはあんまり馬鹿々々しさに、笑い出しました。王はぷんぷん怒って、「悪道士め、欺(だ)ましたな。」と、次団駄ふみましたが、どうすることもできませんでした。
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人にも見極めがある。適不適だけでなく、人格まで見抜くことだ。勘といってもよいし、経験から体得したものといってもよい。重要な仕事を共にする場合に至極当り前の判別だし、自分が編み出した術を伝授するとなればなおさら肝心である。

ところが、見極めからはずれた当人は、なぜそうなのか理解できない。はずした側にすれば、きつくいえないし、早く気付いて欲しいと願うばかりだ。

2015年11月27日金曜日

仙人の心変り

季節が巡り、ようやく訪れた春に思いをあらたにするものだ。薄田泣菫は和やかな春に接して、掌編「春の賦」の後半に、次のような話しを紹介している。念願の仙人修行を成就したものの、一瞬の<ちょっとした>心変りした男を省察する。

中国のいつの時代だったか、馬明生は仙術の不老不死と飛翔にあこがれ、第一人者の安期生に弟子入りする。修業の後、「金液神丹方」を伝授される。この「神丹」を飲めば、不老不死となり、鳥のように空を飛べるというのだ。そこで、華陰山の山深く入り、教えられた秘法で仙薬を錬り、できあがった薬をてのひらに載せて、ほがらかな微笑さえも浮べて言った。
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  「わしは、今これを服そうとしているのだ。次の瞬間には、わしの身体は鸛(こうのとり)のように、ふわりと空高く舞ひ揚ることができるのだ。大地よ。お前とは久しい間の……」
 彼はこういつて、最後の一瞥を長い間の昵懇(なじみ)だった大地の上に投げた。
 その一刹那、彼の心は変った。彼は掌面に盛っていた仙薬の全分量の半分だけを一息にぐっと嚥み下したかと思うと、残った半分を惜し気もなくそこらにぶち撒けてしまった。
 飛仙となって、羽ばたきの音けたたましく大空を翔けめぐるべきはずだった馬明生の体は、見る見るうちに傴僂(せむし)のように折れ曲って、やがて小さな地仙*となってしまった。
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(* 地仙: 超越して飛翔できる天仙に対する、位の下る地上の仙人)

泣菫は、馬明生の一刹那の行動について、「彼の心変りも、詮じ詰めると、(時季がちようど春だったから感じる)そんなちよっとした理由にもとづくものではなかったろうか。/世の中にはよくそんなことがあるものだ。」と語る。

冬に枯れた心に、春は生命力を吹き込む。そんな自然を感応したとき、仙人の境界を知り、それを越えることに躊躇したのだろう。そうであるからこそ、人はより自然に引き寄せられる。わが身がどうであれ、地上の風景とともにあることを選んだのかもしれない。

(本ブログ関連:”仙人”)

2015年11月26日木曜日

(資料) 金泳三と歌手イ・ソンヒの握手

イ・ソンヒは27才となる1991年(6月20日)に、ソウル市会議員選挙にて麻浦地区から民自党候補として出馬し当選した。

(本ブログ関連:”ソウル市議会議員”)

連合通信の記事、「<YS死去> 金泳三と歌手イ・ソンヒの握手」(11/22)に、(イ・ソンヒがソウル市会議員選挙に出馬した)当時民自党代表だった金泳三(元大統領、1927年12月20日~2015年11月22日)と握手する写真(1991年6月)が掲載されている。

ちなみに、「金泳三」のローマ字名「Kim Young-sam」から「YS」と表記。(最近の)大統領名の略称として使われる。

金大中元大統領は「DJ」と呼ばれる。イ・ソンヒと握手している写真を、ネットで見たことがある。)

2015年11月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 島々の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<島々の歌>にふさわしい3曲を紹介した。

始めに、全羅道地域の多島海にある「巨文島(거문도)」ついて次のように紹介された。
・韓国には3,300の島があり、その内2,300は南側に位置する。特に、珍島を中心とする西南海岸、全羅道地域だけで、2,000近くの島が散在し、海域を「多島海」と呼ぶ。海辺で海苔やカキを養殖し、その向こうに島々が並ぶ。海は田、島は山に思える。島は陸地ほど往来の自由がないが、それぞれ独特で貴重な文化を残している。全羅南道の麗水沖に「巨文島」がある。

▼ 多島海の島歌「巨文島の舟歌(거문도 뱃노래)」を聴く。潮風を受け、波越える海の男たちのみなぎる力が聞こえる。

次に、巨文島の歴史と「甫吉島(보길도)」の文化(尹善道:윤선도、1587年~1671年)について次のように紹介された。
・巨文島は麗水に属し、麗水から船で2時間かかる多島海最南端の島だ。麗水と済州島の中間に位置する。1885年から2年間、英国に占拠された「巨文島事件」で知られる。巨文島の漁夫歌に、船で使う綱をないながら歌う「スルビ歌(술비소리)」、帰港するとき歌う「ソル歌(썰소리)」など様々ある、全羅道のリズムと方言が特徴だ。
また、南の島、「南島(남도)」には、観光客が多く訪れる「甫吉島」がある。朝鮮時代、詩人の尹善道が済州島へ渡るとき、その景色に魅了されて定着したほどだ。ここで風流を楽しみながら書を読み詩作した。甫吉島の四季を描いた「漁父四時詞(어부사시사)」も、ここで出来た作品だ。尹善道が手入れした建物と庭園は、「尹善道園林」といい多くの人々が訪れ、甫吉島の自然保護にも役立っている。

▼ (管)ソグム、(弦)ヘグム・カヤグム演奏「甫吉島の朝(보길도의 아침)」を聴く。陽光が次第に広がり渡る、今様である。

最後に、「珍島(진도)」の地理と、葬儀の歌「珍島タシレギ(진도다시래기)」について次のように紹介された。
・また、南島文化に欠かせなぬ場所が「珍島」だ。韓国で3番目に大きい島で、漁業より農業が盛んだ。美しい環境の影響か、数々の有名アーティストを輩出している。また、歌と関連した多様な無形文化財も保有しており、住民が積極的に参加、継承している。珍島には、葬儀を行う際、村人が喪家で歌い踊る風習があり、そのとき「珍島タシレギ」を歌う。珍島の人々の生き方がうかがえる歌だ。

▼ ”大きな悲しみも歌を歌いながら乗り越える”という歌「珍島タシレギ」を聴く。Youtubeでは寸劇もあるようで・・・賑やか。

2015年11月24日火曜日

イ・ソンヒのカバー「未練」、「あなたの愛は」

民謡を含む国楽からトロットまで、あらゆるジャンルを網羅するイ・ソンヒの歌唱力について今更語ることはないだろう。先人の曲をカバーする際に、独自の色に染め上げるのではなく、真摯に向かい合い、その曲が本来持っているだろう音楽性を繊細にすくいあげる。歌声は聴く者の心に深く沁み込み響く。

(本ブログ関連:”「愛しか私はわからない」”、”トロット・メドレー ”)

めずらしい(京畿道抱川市にある光陵林業試驗場での)映像がYoutubeにある。イ・ソンヒがカバーする次の2曲を聞くとき、原曲の持つ大衆性を、イ・ソンヒがいとも容易に引き出していることに気付く。しかも、今聞いても古色でなく、時代の臭いを感じさせないのに驚く。

・チャンヒョン(장현、1945年~2008年)の「未練(미련)」
・ヤン・ヒウン(楊姫銀、양희은、1952年~)の「あなたの愛は(내님의 사랑은)」

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2015年11月23日月曜日

小雪2015 外語祭

二十四節気の「小雪(しょうせつ)」にしては、冷え込みは鋭くないが、小雨まじりの曇天は重く、いかにも雪がぱらつき始めるこの候らしい気配がした。私は、「小雪」をどうしても「こゆき」と呼んでしまう。

(本ブログ関連:”小雪”)

そんな午前中、少し先の街にある大学の学園祭に、空模様を気にしながら出かけた。東京外国語大学(TUFS、タフス)の「93回 外語祭」である。各語学専攻の学生たち、主に2年生による「語劇」が催された。27の芝居の中から、「さようなら、カン・ハンナ(강한나、안녕)」(11:30~12:30)を観劇した。

(参考: TUFS外語祭2015朝鮮語科語劇

芝居は、映画「カンナさん大成功です!미녀는 괴로워!、美女はつらい)」のストーリーのようだ。歌唱の才能はあるが容姿のため、芸能界では影としてしか扱われず、強いコンプレックスを持った若い女性(カン・ハンナ)が、美容整形して(ジェニーに変身して)大成功をおさめる。その分、失ったものもあるが、それをどう回復させるかまでを若い学生たちが熱演した。

おもわず見入ってしまったが、考えてみれば演劇サークルの芝居ではない。彼らの演技に驚いたし、映像を取り入れたり、観客席を劇中の劇場に変換したりする演出にも感心した。久し振りに若い世代の熱気に触れた気がする。

(付記)
帰り道にある公園で、紅葉と落ち葉の景観を楽しんだ。紅葉が遅れているそうだが、うっかりすると見落とすかもしれない。大切な景色なので、ひとつひとつの機会を大事にしたい。

2015年11月22日日曜日

いつまでも若いね

子どもの頃、両親が、映画俳優の山本富士子(1931年12月11日~)をいつまでも若いねえといっているのを聞いて、一体いつの話しかと距離を感じていた。今、私が、同じく(青春スターだった)俳優の吉永小百合(1945年3月13日~)がいつまでも若々しいねといえば、子どもたちが果たして納得してくれるだろうか。

お二人を記憶した時期による印象の差がそうさせたのだろうけれど。考えてみると、お二人の歳の差はわずか13歳だ。今の私の年齢からすれば、その差はほんの些細なこと。むしろ意外な感じがしたほどだ。

ちなみに、イ・ソンヒ(1964年12月14日~)もいつまでも若い。ただし、教室の先生から見れば、母親世代の歌手の話しになる。イ・ソンヒより芸歴が先輩で、70年代に「本当に本当に(진짜 진짜)」シリーズでヒロインを独占した青春スターのイム・イェジン(임예진、1960年1月24日~)との歳の差はたった4歳でしかない。イム・イェジンが10代の頃の笑顔は、本当に自然で健康的で愛らしい。Youtubeの映像で確認できる。

(本ブログ関連:”イム・イェジン”)

女性の若々しさを表現するのに「童顔(동안)」という言葉がある。彼女たちが人気を博したときも、無垢に通じるわらべの要素が多分に残っていたのだろう。まさに頃合いによろしいようだ。(若い頃整い過ぎると、老いて後その変化に驚くことがある)

2015年11月21日土曜日

仙人はたいへんだ

薄田泣菫のひとくち話集ともいえる随筆「艸木虫魚(そうもくちゅうぎょ)」に、仙人と路傍の石がいっとき対話をする「仙人と石」がある。本来、動と静、変幻と不動の対比を持つべき、仙人と石が互いに存在を語り合う不思議な話しだ。

(本ブログ関連:”薄田泣菫”)

仙人は、雲に乗って飛び回る、そんなイメージがあるが、石との対話で人間らしい悩みを見せる。出会いと別れは次のように語られる。

法力でこさえた驢馬にまたがり、一日五万里を巡る仙人がいた。あるとき旅に疲れて一休みした際、路傍に昔からいる白い石に呼びかけられて、なぜ駆け回るのか問われた。
「わしは幸福の棲む土地をたずねて、方々捜し歩きたかったからだ。」と仙人はこたえた。だが、その幸福は、「まだ見つからない。そしてわしはすっかり年をとってしまった。」とつぶやく。
石は、「どうだい、いっそここに落ちついて、わしと一緒に棲んじゃ。」と申し出るが、仙人は断わって、「そうだ。幸福を求めて。……こんなにして方々駆けずり廻って、やがて死ぬのが、わしの一生かも知れない。でも、わしは出かけなければならない。」といい、嵐のように飛んでいった。
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白い石は低い声で独語を言って、そのまま黙ってしまいました。
秋の日はそろそろ西へ落ちかかりました。途を間違えたらしいこがね虫が、土をもち上げて、ひょっくりと頭を出しましたが、急にそれと気づいたらしく、すぐにまた姿を隠してしまいました。
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何もかもが見えてしまう、見えると思っている仙人はたいへんだ。無為を手柄にする石とて同様。幸福を探しても気付かず、分からない。遣り過ごしている傍らにある、かわらぬことにこそ、本当の幸福があるかもしれないからだ。

(本ブログ関連:”仙人”)

2015年11月20日金曜日

仙人になりたい

上方落語に「口入屋(くちいれや)」(職業斡旋所)がある。船場にある大店の一番番頭が、今度こそ美女が奉公に来るよう、丁稚を使って口入屋に頼む。望み通り美人の女中が来て、店の男たちは大騒ぎになる。早速、夜分に、二番番頭が二階で寝ている彼女に近づこうとする。そんなことを用心したおかみさんが、二階につながる梯子を外していたため、膳棚を使ってよじ登ろうとするが崩れてしまう。次に一番番頭も同様で、二人して棚を支える羽目になる。また、手代は天窓の紐を使ってよじ登ろうとするが、紐が切れて池に落ちてしまう。・・・どれだけドタバタなことだろう。

美女に近づこうとして、夜中に棚を担いだり、池に落ちたりする凡人の滑稽な結末だが、仙人とて同じこと。久米仙人は、久米川の川辺で洗濯する若い女の脛(すね)足を見るや、飛術に失敗して墜落する。久米仙人に、凡人ながら共感してしまうのは私だけではないだろう。

芥川龍之介に「仙人」という短編がある。何をヒントにしたのだろうか、次のような話である。

その昔、大阪の口入屋に、不老不死の仙人になりたいと、権助という者が頼みに来た。口入屋は思案にくれるが、医者の家にひとまず奉公させることにする。
仙人になりたいと申し出る権助に、医者がなぜなりたいのかと問えば、大阪城の太閤様もいずれ死ぬ、栄耀栄華のはかなさからという。そこで、狡猾な医者の女房は、仙人になる術を教える口実に、二十年間ただ働きの約束をさせる。
そして、二十年目を迎えて、権助は仙人の秘術を願い出る。すると、何を思ったか医者の女房は、庭の松の木の一番高い梢にまで登らせて、しかも両手を離させたのだ。落下すれば、下の石に当たって命はない。
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権助はその言葉が終らない内に、思い切って左手も放しました。何しろ木の上に登ったまま、両手とも放してしまったのですから、落ちずにいる訣はありません。あっと云う間に権助の体は、権助の着ていた紋附の羽織は、松の梢から離れました。が、離れたと思うと落ちもせずに、不思議にも昼間の中空へ、まるで操つり人形のように、ちゃんと立止ったではありませんか?
「どうも難有うございます。おかげ様で私も一人前の仙人になれました。」
権助は叮嚀に御時宜をすると、静かに青空を踏みながら、だんだん高い雲の中へ昇って行ってしまいました。
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まるで落語のようだが、落ちに、落ちることのない話しだ。仙人のごとく空中に浮かんだ権助がうらやましく思える。彼は自ずから飛ぶ術を体得してしまったのだから。しかも、近所の日常のなかで成し遂げた。

(本ブログ関連:”仙人”)

2015年11月19日木曜日

イ・ソンヒの「歳月は流れても」

思い出を語るのに、イ・ソンヒの4集収録の「歳月は流れても(세월은 흘러도)」(1988年)ほど、素直な曲はないだろう。まるで窓から差し込む陽を受けながら、アルバムのページをめくり見るような懐かしさだ。それは、日常の平穏に包まれながら感じる遠い記憶かもしれない。

4集がリリースした1988年はソウル・オリンピックの年であった。

以前、本ブログに掲載した、釜山日報「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)に、次にように紹介されている。(抜粋)
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4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山」である。(略) それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン作詞、作曲の「歳月は流れても」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ
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ちなみに、本来ロック的な抵抗心があった「美しい江山」は、1988年には国民鼓舞的なものへと変身することになる。


「歳月は流れても」

歳月は流れても  私たちの心は
忘れられたその街に  残っています

歳月は流れても  私たちの愛は
散ったその時間に  残っているわよ
*
その昔の記憶を  たどってみましょう
忘れられたその街を  歩いてみましょう

その昔は夢のように  散ってしまった
その時間はどこにあるのか  探してみましょう

歳月は流れても  思い出は残っている
忘れようとすればするほど  思い出します

(*以下繰り返し)

忘れようとすればするほど  思い出します

(Youtubeに登録のJ-GODに感謝)

2015年11月18日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 人を思いやる歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<人を思いやる心の歌>にふさわしい3曲を紹介した。

始めに、人と心をつなぐ最近のイベント日について、次のように紹介された。
・「バレンタインデー」(2/11)に、好きな人へチョコレートをあげ、「ホワイトデー」(3/14)にはキャンディをあげる。恋人たちに特別な日だ。他にも特別な日がある。恋人のいない者同士が集まって中華風ジャジャン麺を食べる日を「ブラックデー」と呼ぶ。また、11月11日は、1が四つ並ぶことから、(グリコの)「ポッキー」に似た菓子である(韓国ロッテの)「ペペロ」を恋人同士だけでなく、職場の同僚や学校の先生、友達などに配る「ペペロデー」がある。企業主導のイベントとの批判もあるが。

▼ 自分の愛を綿の布団に例えた詞が温かい歌「愛の歌(사랑가)」を聴く。ステップを踏んで愛を確かめる、今様である。

次に、「端午の節句」に扇子(부채)の下賜や、クネ(ブランコ、그네)に乗ることについて次のように紹介された。
・上記の他に、特定の贈り物をする日があった。「端午の節句」に、宮中で臣下に扇子が下賜されたりした。昔のソンビは、扇子を持ち歩き、自分の喜びや怒りの表情を隠すのに使用したという。ところで、端午の節句といえば、「春香伝춘향전)」に、端午の節句にクネに乗った春香を、李夢龍(이몽룡)が見染めるという話がある。

▼ クネに乗る春香の姿を素材にした南道民謡「フィヨヌンチョン(휘여능청)」を聴く。風がかすめる気がしてくる。

最後に、真冬の冬至に「暦(カレンダー、달력)」を贈る風習について次のように紹介された。
・真冬の冬至に「暦(こよみ)」を贈る風習があった。冬至は、昼が最も短かく、次の日から長くなるので、昔は「小正月」とも呼ばれた。朝鮮時代、この頃に新年の暦を作って、王に捧げる風習があった。王が暦に印を押して官吏に配ると、それを家族や親戚に分けた。農業社会の当時、暦に種まき時期や農作物の刈り入れ時期を記した。祭祀を捧げる時期を記す重要な役割もした。暦を贈り合うのに、相手が健康で良い年を迎えるようにという思いが込められたのだろう。

▼ 人々の健康を祈る厄払いの歌「厄除け打令(액맥이타령)」を聴く。東西南北と中央、辺り四方に厄除けする。

(感想) 確かに、新しいカレンダーを持つことは、その一年が無事平穏であることの思いにつながりますね。

2015年11月17日火曜日

天気予報

今回(11/16)の鉱物採集は運がよかった。全員のスケジュールを重ね合わせると、実施は昨日しかなかった。調整が難しい場合、私の今日の予定をキャンセルすることも想定していたが・・・

昨日でよかった。小春日和、インディアンサマーという穏やか日和だったのだから。それに比べて、今日は天気が一変して、しとしと降りだ。

鉱物採集プランは、まず大ベテランに採集地を決めてもらい、もろもろ相談する。その上で、長期の天気予報から日程が決まる。大体1ヶ月前と2週間前くらいだ。できるだけ、採集日の前3日と後1日に好天が続くのが望ましい・・・。

そこで、1ヶ月前および2週間前の予報として一番あてにしているのは、ネットの「AccuWeather」を参照する。さらに、1週間前の予報として「Weathernews」も加えて参照する。両者が大きくずれることはないが念のためだ。

とはいえ、今回のように翌日の天気が大きく変化したりすると、天気予報のありがたさを思い知る。

鉱山*は山中なので、天気が山並みに影響されることがないか気になる。ピンポイントで天気予報を表示するけれど、その精度がどれくらいか知りたいところだ。

*) ちなみに、鉱山は産業であるので交通の便が要される。特に、近代まで稼動した鉱山の場合、道路事情が思いのほか良く、ときに「横付け」という、道路から直ぐに鉱山へ入る道があったりする。

2015年11月16日月曜日

秩父鉱山(大黒川原)

早朝とはいえ明るいだ頃、鉱物採集に家を出た。今回は余裕がある。いつもと比べて3時間遅いのだ。東の空は朱に輝やき、日の出を待っている。

駅ホームに入ってきた電車に戸惑う。休日・祝日に鉱物採集して、気にもとめなかったが、まさに通勤電車なのだ。つい、車内での自分の姿を想像してしまう。待ち合わせ駅でも、平日モードの人々が改札口から次々出て来るのに更に驚く。

落ち合った鉱物仲間S氏と、いつもお世話になっているH氏の車に同乗させていただき、目的地の埼玉県秩父鉱山へ向かう。県道210号線に入れば、進むほど紅葉が増す。大黒坑手前にある広場でY氏と合流して、いよいよ鉱物採集を開始する。

(本ブログ関連:”秩父鉱山 - 大黒渦の沢石灰沢小倉沢”)

小春日和に恵まれ、空気は澄み、川原は少しひんやりしている。期待に胸が膨らむ。昼飯を挟んで約4時間、採集に没頭・・・果たして、オーソドックスなものばかり。成果は、私の謙虚さを表しているようだ。

・黄鉄鉱、磁鉄鉱、閃亜鉛鉱、硅孔雀石、柘榴石、(水晶)、(方解石)

平日の鉱物採集の特典は、帰り道に混雑がないことと発見した。次回から、おじさんたちの行動は、平日の方が都合よいかもしれないと覚った。

2015年11月15日日曜日

(資料)1980年代の大衆歌謡

1984年に登場のイ・ソンヒがデビューを飾った1980年代の韓国大衆歌謡について、DAUM掲載「韓国民族文化大百科事典」の「大衆歌謡」から「5.1980年」の項を見る。(事典の「大衆歌謡」に、70年代以前および90年代以降について解説がある)

80年代に流行した音楽ジャンルの変遷を次に載せさせていただく。当時の世相やメディアの変化についても知ることができる。(区分タイトルとして、音楽ジャンルなどを< >で追記した)

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5.1980年代

1980年代は、大きく1987年を基点に分かれて1991年頃まで持続する。 単純に説明しようとするなら初中盤はスーパースター、チョー・ヨンピルの主導が、後半はバラードの主導の中にダンスミュージックアンダーグラウンド(=公演を中心とする音楽活動)ロックが躍進する様相を見せた。

<スタンダード・ポップとロックの結合>

1980年代前半を通して最高のスターの座を譲らなかったチョー・ヨンピルは、一方で1980年代前半を主導する新しい作品傾向を創出して先導しつつ、他方で韓国大衆歌謡史の重要な様式を総網羅したデパート式作品世界に、多くの世代や趣向の需要者を受け入れた。1980年代式の「窓の外の女(창밖의 여자)」は、おなじみの1960年代式短調スタンダードポップの旋律を基本にして、ロックを組み合わせつつ、起承転結を破壊した分節的構成とシャウトなどロックの特性を華やかなハーモニーと旋律で包み込んだ。その結果、壮年層まで馴染む悲劇的な情調にロック的な強烈さを加えた新しい傾向を作り出したし、以後、「悲恋(비련)」、「蝋燭の火(촛불)」、「見つけられない鶯(も~いいかい、못 찾겠다 꾀꼬리)」を経て、「涙のパーティー(눈물의 파티)」、「マドヨ(마도요)」に至るまでのヒットを継続し、1980年代初中盤の主導傾向に固めていった。スタンダード・ポップの旋律にロックを結合するこの方法は、「花一輪(꽃한송이)」のキム・スチョル、「偶然に出会った君(어쩌다 마주친 그대)」の隼(はやぶさ)、「Jへ」のイ・ソンヒ、「熱愛(열애)」のユン・シネなど、この時期、ほとんどの人気歌手たちヒット曲​​が採用された方式であった。また、これらの主導傾向に加えて、モダンロックの「ショートヘア(단발머리)」、「あまりにも短い(너무 짧아요)」から、本格的な短調スタンダードポップの「情(정)」、トロットの「一途なタンポポよ」、「憎い、憎い、憎い(미워 미워 미워)」、「虚空(허공)」、民謡のリメイクの「恨五百年(한오백년)」に至るまで、フォークを除く韓国大衆歌謡史の全様式を網羅した作品世界を同時的に示した。したがって、チョー・ヨンピルは、10代から中高年層に至るまで、ほぼすべての世代を需要者に抱き込み、自作曲歌手でありながらも、作家主義的とはいえない大衆志向的態度を見せてくれた。

<バラード>

・一方、1988年のピョン・ジンソプの「一人になるということ(홀로 된다는 것)」のヒットから、新しい主導の様式に登板したバラードは、1980年代初中盤のイ・ヨン、チェ・ソンス、イ・グァンジョなどの人気を踏まえて様式を形成し始めた。1980年代前半期には、チョー・ヨンピル主導の中にロック的な強烈さが主導したというなら1985年を契機に、より繊細な内面を華麗な旋律とハーモニーを歌う作品の人気が登り始めた。ついに、アンダーグラウンドといえる「愛しているので(사랑하기 때문에)」のユ・ジェハ、イ・ヨンフンが作った「私は分からないでしょう(난 모르잖아요)」、「愛が過ぎ去れば(사랑이 지나가면)」を歌ったイ・ムンセの人気を経て繊細さと華やかさが深まり、1988年ビョン・ジンソプを契機にしてバラードの典型的な姿が完成されたようだ。以後、「悲しい絵のような愛(슬픈 그림 같은 사랑)」のイ・サンウ、「最後のコンサート(마지막 콘서트)」のイ・スンチョル、「悲しい表情しないでください(슬픈 표정 하지 말아요)」のシン・ヘチョル、「別れの陰(이별의 그늘)」のユンサン、「微笑の中に映った君(미소 속에 비친 그대)」のシン・スンフンに至った。

<ダンスミュージック>

・これと共に、1984年チュ・ヒョンミの「雨降る泳東橋(비 내리는 영동교)」をきっかけに、トロット特有の非劇性が清算された新しい演歌傾向が浮上してヒョンチョルなどが人気を得て、ナミの「クルクル(빙글빙글)」を初発に始まったダンスミュージックは、「今夜(오늘밤)」のキム・ワンソン、「愛の不時着(사랑의 불시착)」のパク・ナムジョンなどによる独自の様式で場をつかんだ。

<フォーク>、<ロック>

・一方、フォークは、1980年代前半まで、ナムグン・オクブン、。ヘバラギ(向日葵)、シン・ヒョンウォンなどがときたま大衆的なヒット曲を出したが、多くはアンダーグラウンドで新しい模索をした。「木漏れ日のなかで(나뭇잎 사이로)」、「スミレ(제비꽃)」などのチョ・ドンジン、「北漢江で(북한강에서)」のチョン・テジュンが、フォーク・アンダーグラウンドの流れをリードした新鋭の「愛の日記(사랑일기)」のシン・イングァに至るまで、思索と熟視の姿勢を鋳造していった。しかし、フォークで出発した人のうち何人かは、ブルース、ロックなどに作品世界を移動させた。ついに1985年に、フォークで活動を始めたチョン・イングォンとチェ・ソンウォンが主導するロックグループのトゥルクッカ(野菊)の最初のレコードが、テレビの助けがなくても、30万枚を販売する気炎を吐きながら韓国のアンダーグラウンドとロックの時代の新しい誕生を知らせた。何よりも「それだけが私の世界(그것만이 내 세상)」、「行進(행진)」などトゥルクッカの歌は、シン・ジュンヒョンからソンゴルメ(隼)に至るまで、テレビに向かって走ってきたロックが示せなかった、ロックな世界認識と態度を示した点でより一層意味がある。

<ヘビメタル>、<ブルース>

以後、「ラジオをつけて(라디오를 켜고)」のシナウィをはじめ、プハル(復活)、白頭山などヘビメタルグループがレコードを出してアンダーグラウンドの中心を固めており、1970年代末からロックでスタートして、1980年代後半、「愛しました(사랑했어요)」、「雨のように音楽のように(비처럼 음악처럼)」などのヒット曲を出したキム・ヒョンシクがロックの新しい時代を開いていった。
一方、フォークで開始したイ・ジョンソンがオム・インホと手をつないで、ハン・ヨンエ、キム・ヒョンシクなどを糾合して作成された、新村ブルース신촌블루스は韓国大衆歌謡の様式の地平を広げたし、このメンバーは「誰かいない(누구 없소)」のハン・ヨンエで見られるように、各自ソロとしての地位を固めた。

<民衆歌謡>

・1987年6月市民抗争(시민항쟁)をきっかけに、大衆歌謡界の外側で(歌い)継がれたものと運動組織に依存して存在していた民衆歌謡大衆歌謡市場の中に進入したのも韓国大衆歌謡史全体で空前絶後の事件である。(民衆歌謡グループの)歌を探している人、ノレマウルなどは、民主化展開と共に人気を享受しながら、民衆歌謡「松の木よ、青い松の木よ(솔아 푸르른 솔아)」、「四季(사계)」、「その日が来れば(그날이 오면)」、「白頭山(백두산)」などを一般の人たちにも人気のある曲にした。
これらの存在は、この間散発的に存在していたキム・ミンギ(「朝露(아침 이슬)」)、돌(?)などの社会批判的フォーク自作曲の歌手の存在を一陣営に束ねて認識させた、以降、チョン・テチュン、キム・グァンソク、アン・チファンなど大衆歌謡圏中の民衆歌謡の流れを作っていった。これらの活動は、放送メディアで力を発揮できなかったが、レコードと公演で人気を集めながら、影響力を発揮しており、1990年代以降、大衆歌謡の表現の自由を伸長させ、ついにレコード検閲撤廃にまで進む実質的な動力となった

<LPからカセット、ウォークマン、CD>

・1980年代にも大衆歌謡の媒体は、多くの変化を示した。すでに、1970年代半ばに定着したカセットテープは、LP(レコード)に比べて複製と持ち運びが楽なレコードとして脚光を浴びていたが、1980年代に入っては、いわゆるウォークマンと呼ばれた小型カセットプレーヤーが急激に普及した。ウォークマンのような1人機器で歌を一人で聞く文化が青少年の間で拡散しながら、1980年代後半アンダーグラウンドは、この土台の上で成長することができた。そして作品性を重視するアンダーグラウンドの需要者たちは、1980年代末に始まった高音質のコンパクトディスク時代の最も重要な需要者に浮上した。一方、テレビは本格的なカラーテレビの時代に突入して、大衆歌謡の視覚性はますます重要になり、1980年代半からのダンスミュージック旋風は、これらの媒体の変化の中で行われたものだった。
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2015年11月14日土曜日

時雨

二十四節気の「立冬」(11/8)を過ぎても冬らしくない。気象庁の用語で「冬」は、12月から2月の期間、まだ冬でない。曖昧な時期だ。

陰暦で今日は10月3日、晩秋の候である。この時期に降る雨を「時雨」という。気付けば辺りを湿らせ、手を差し出せば濡らす。ひとの活動を鈍らせる。

女性の髪を霧が濡らすように、時雨のことば「しぐれ」にもどこか女性的な感がある。面白いことに、演歌の題名に使われるとき、漢字ではなく、ひらがなの「しぐれ」が使われることが多い。

しばらくなのか、通り過ぎるからなのか、時にかなうわけでもないこの時雨(しぐれ)の語源ははっきりしないようだ。

2015年11月13日金曜日

曇り空の今晩、月を見ることはない。<月齢1.4>ゆえ、晴れても気付くことはないだろうけれど。

月の明るさに驚くことがある。先日の帰り道、夜空に雲が白くたなびいていた。更に上空に煌々と輝く満月がいた。もし窓辺から庭を覗いたら、余りの白さに霜かと驚いたろう、李白のように。

ブログに記したが、KBS WORLDラジオ番組「国楽の世界へ」の「晩秋」の回で紹介された、朴木月の詩「旅人」に、雲間の月が旅人と共に進むよう詠われている。これは、実感することだ。月と追いかけっこした子どものころの記憶は鮮明だ。

木から落ちたときより、潮の満ち引きに、重力のスケールの大きさを実感する。テレビのSF番組で、固い流星が月に衝突して、月の公転がずれて地球に衝突するというパニック物語があった。結果がどうなったのか、番組を最後まで見ることができなかったので知らない。どのように危機を回避したのだろうか。

火星航路のキャビンで、近づく月を見晴るかすとき、きっとナット・キング・コールが歌う「私を月へ連れてって(Fly Me to the Moon)」(1954年)が流れてくるに違いない。火星で待つ家族を思いながら。