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2016年1月10日日曜日

竹久夢二美術館 ギャラリートーク

暖冬のせいで、冬から春への橋渡しが定まらない。旧暦と新暦の季節区分にときどき混乱する。いっそ新暦の1月(冬)を、旧暦の1月(春)とみなせば、この冬を春に置き換えられて納得いくのだが。

【月別の季節区分】
・冬 : 新暦12月~02月、旧暦10月~12月
・春 : 新暦03月~05月、旧暦01月~03月
・夏 : 新暦06月~08月、旧暦04月~06月
・秋 : 新暦09月~11月、旧暦07月~09月

今日は、旧暦の12月1日、まだ去年のうち、冬のうちである。この先、寒波が急襲するかもしれぬ。とはいえ、厚着して外出すれば、額に汗がにじんでくる。風に当たれば冬、屋内にいれば春、そんな按配だ。

昼過ぎに、竹久夢二美術館に行く。東大工学部裏手にある、言問通りから暗闇坂に進む途中にある。竹久夢二(1884年【明治17年】9月16日~1934年【昭和9年】9月1日)の生涯について、学芸員の方のギャラリートーク、「夢二をめぐる人々 - 家族・友人・恋人…大正浪漫交遊録 -」があり、お話しを聞くことができた。

夢二作品の人物像は、黒く大きな瞳をした華奢な女性像が特徴で、哀愁を漂わせた、どこか薄幸な雰囲気を感じさせる。浮世絵の美人図にならって、鼻梁の長い細面した容貌をしている。大正浪漫の画家として人気を博した後、いつしか人々の記憶から遠のいていったものの、「一九六三年(昭和三八)、<講談社版日本近代絵画全集>において刊行された『竹久夢二・村山槐多・関根正二』が契機」となって再評価される(「竹久夢二 大正ロマンの画家、知られざる素顔」の「はじめに」(石川圭子)より)。

独学で挿絵画家として出発した後、書籍の装丁家、作詞家、舞台造形家など多才だった。一方、彼の奔放な生き方についても話題が多い。画家として売れっ子になると、その才能がフェロモンの如く女性たちを吸い寄せるに事欠かなかったようだ。
関わった女性たちが、彼の美人図にそうように見えるのはどうしたことだろう。お気に入りの女性に、次々デッサンして渡すというのも同様な感じがする。美人図の世界に男女自ら飛び込んでいったように思える。

また、装丁デザイナーとして活躍し、さまざまな作家たちとの交流もあって、時代の特色がうかがえる。装丁で関わった作家たちがセンセーショナルな話題を提供したこともあいまって、大正浪漫の自由すぎる香りを知る。もしかすると今の時代、似た臭いする人たちにも然りなことかもしれない。

夢二の代表的な歌、「宵待草」を高峰三枝子が歌うものがある。Youtubeで彼の絵も楽しめる。なお歌詞の第2番は、西条八十による追加という。


(Youtubeに登録のakiraplastic5に感謝)