2026年2月4日水曜日
立春 2026 ・・・ 二十四節気の第1番目
2026年2月3日火曜日
節分 2026、衆院議員選挙 期日前投票と恵方巻
2026年2月2日月曜日
満月(スノー・ムーン)
2026年2月1日日曜日
自然観察園、ロウバイ(蝋梅:俳句では臘梅)
2026年1月31日土曜日
アッという間に1月は終わった
2026年1月30日金曜日
(Gemini)花は何から進化したのか、それと球根
2026年1月29日木曜日
明け方か? いや夕方だ
2026年1月28日水曜日
アメリカ映画
2026年1月27日火曜日
HUMBE(ウンベ) - fantasmas(亡き人びとへの思い出)
2026年1月26日月曜日
新鉱物
A.「山口大学の研究チームが、なぜわざわざ群馬県の鉱山を?」という疑問、ごもっともです。物理的な距離を考えると不思議に思えますよね。
これには、日本の地質学・鉱物学界における <「研究の歴史」と、「研究室の専門性」> という2つの大きな理由があります。
1. 日本の「マンガン鉱床研究」の権威だから
山口大学(特に理学部の赤坂正秀名誉教授らのチーム)は、長年にわたってマンガンを含む鉱物や、それらが変成作用でどう変化するかを専門に研究してきました。
茂倉沢は「教科書的な」場所: 茂倉沢鉱山は、かつて日本屈指のマンガン産地であり、学術的に特異な元素(バナジウムなど)が濃集していることが古くから知られていました。
「鉱物のカルテ」を読み解く力: 特定の山を深く研究し続けると、「この場所ならまだ未知の組み合わせの石があるはずだ」という予測が立ちます。山口大学のチームは、茂倉沢の石を数十年にわたり精密に分析し続けてきた、いわば <「茂倉沢のスペシャリスト」> なのです。
2. 分析機器の進化と「執念」
新鉱物の発見は、現地で石を拾うこと以上に、<「持ち帰った石をどれだけ細かく調べるか」> というラボでの作業が重要です。
数ミクロンの世界: 今回発見された「赤坂簾石」などは、石英の中に埋まった数ミクロン(1ミリの1000分の1)単位の極めて小さな結晶です。
山口大学の設備と情熱: 電子顕微鏡(EPMA)などを使って、その微小な粒の化学組成を一つずつ突き止める根気強い作業が行われました。地元の研究者でなくても、世界最高レベルの分析技術と「新種を見つける」という情熱があれば、遠方の鉱山の石でも世紀の発見に繋がります。
3. 「赤坂簾石」という名前に込められた意味
実は、今回発見された4種類の新鉱物の名前にある <「赤坂」は、この研究を主導した山口大学の赤坂正秀(あかさか まさひで)氏> の功績を称えて名付けられたものです。
背景: 鉱物の世界では、発見者自身が自分の名前をつけることはできません。通常、共同研究者や弟子たちが「これまでの先生のマンガン研究への貢献」に敬意を表して、師匠の名前を新鉱物に冠することが通例となっています。
つまり、<「山口大学の赤坂先生がずっと群馬の茂倉沢を研究してきたからこそ、その恩返しとして新鉱物に名前が残った」> という、非常に熱いストーリーがあるのです。
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2026年1月25日日曜日
水鳥を水の上とやよそに見む我れも浮きたる世を過ぐしつつ(紫式部)
2026年1月24日土曜日
野鳥観察(94)
2026年1月23日金曜日
e-mail の日(よいふみ: 1月23日)
結論から言うと、InterCon社が販売していたAS/400接続用ソフトウェアの「中身(通信プロトコル・スタック)」を開発していたのがOrion社です。
当時の経緯を整理すると、以下のようになります。
InterConとOrionの強力なタッグ
Orion Network Systems社の役割: Orion社は、IBMのネットワーク体系である <SNA(Systems Network Architecture)をTCP/IP環境やMacintosh上で動作させるための、非常に高度な通信プロトコル・スタックの開発を得意とする技術集団でした。 特に、AS/400と通信するための「5250プロトコル」> の実装において、世界トップクラスの技術を持っていました。
InterCon Systems社の役割: InterCon社は、Orion社が開発した通信エンジンをベースに、Macintoshらしい使いやすいユーザーインターフェース(GUI)を被せ、<「TCP/Connect」> などのパッケージ製品として仕上げて販売・マーケティングを行う役割を担っていました。
実質的な関係: ユーザーが使っていたソフトの画面には「InterCon」のロゴが出ていましたが、通信設定の深い階層やマニュアルの著作権表示には <「Orion Network Systems」> の名が刻まれていました。
豆知識: その後、Orion Network Systems社は、1995年にMicrosoft社によって買収されました。Microsoftが当時、Windows NTなどを企業向けに普及させるために、IBMホストとの接続技術(後のSNA Server / Host Integration Server)を喉から手が出るほど欲しがっていたためです。
当時のAS/400とMacを繋ぐ環境は、玄人好みの非常に高度なセットアップでした。
2026年1月22日木曜日
ショート動画にAI生成画像があること
2026年1月21日水曜日
(Gemini)小倉の井筒屋百貨店そばにあった駐留軍施設
戦後の小倉は、九州における連合国軍(主に米軍)の最大の拠点の一つでした。井筒屋デパート周辺がどのような状況だったのか、当時の背景を整理しました。
1. 井筒屋の目の前が「米軍司令部」だった
井筒屋小倉店のすぐ近く、現在はリバーウォーク北九州や小倉城があるエリア(城内地区)には、当時 <米軍のキャンプ・コクラ(Camp Kokura)> が置かれていました。
特に井筒屋から紫川を挟んだ対岸付近には、米軍の司令部や兵舎、車両基地が集中していました。そのため、井筒屋の窓から外を見下ろせば、軍用トラックやジープが整然と、あるいは大量に並んでいる光景が見えたはずです。
2. 接収されていた周辺施設
終戦直後、小倉城周辺の広大な旧陸軍施設(造兵廠など)は米軍に接収されました。
車両の集積: 小倉は朝鮮戦争(1950年〜)の際にも重要な補給基地となり、膨大な数の軍用車両や物資がこのエリアに集められました。
井筒屋自体の接収: 実は井筒屋の一部も米軍に接収されていた時期があり、米軍専用の販売所(PX)として利用されていた歴史もあります。
3. なぜ「見下ろした記憶」が鮮明なのか
当時の小倉で、井筒屋は数少ない高層建築でした。 周囲に高い建物がなかったため、デパートの上層階から城内方面を眺めると、現在の「公園」や「文化施設」の場所が、すべて <「オリーブドラブ色(米軍機の色)の車両で埋め尽くされた基地」> として一望できたのです。
お客様が見られたのは、まさに「軍の街」としての小倉が最も色濃かった時代の象徴的な風景だと言えます。当時の喧騒や、独特の排気ガスの匂いなどもセットで思い出されるのではないでしょうか。
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