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2015年9月28日月曜日

金木犀

そういえば、去年も同じ頃、金木犀(キンモクセイ)について記した。秋の落ち着きを感じさせる金木犀と、冬の寒さを和らげる沈丁花(ジンチョウゲ)の花は、季節の変化を香りで知らせる。

(本ブログ関連:”金木犀”、”沈丁花”)

子どものころ、実は、金木犀と沈丁花の香りは苦手だった。甘ったるくて濃い感じがした。それが歳とともに、季節感といった大きな感性で受容できるようになった。もしかしたら、嗅覚が鋭敏でなくなったからだろうか、なんて考えたりもする。

昼前、近くの公園を散策した。園内施設である建物園の入口両サイドに、金木犀の巨木が並んでいる。樹下を通るとき、甘い香りが漂うのを感じる。見上げると、オレンジ色の小さな花が咲き、飾っているのに気付く。

実は、もう一ヶ所、金木犀を楽しめる場所がある。公園への路に、金木犀が頭上まで、歩道を覆うように密集しているのだ。この歩道は、いずれ道路拡張工事のため取り除かれる運命にある。もしかしたら、この景観は今年で最後かもしれない。そう思うと、貴重な香りがしてくる。

(追記)
今夜の月は、いつもと比べて大きく見えるという「スーパームーン」だ。夜分、この目で確かめようと、近所の畑地まで出かけて空を見上げた。月は高く浮かんでいた。そうか・・・な、大きい・・・かな、ぶつぶついいながら佇んだ。乱視の目には、普段も「スーパームーン」だが。

2015年9月27日日曜日

十五夜 2015

旧暦八月十五日となる、この十五夜に昇る月を「中秋の名月」*という。帰宅路、雲の横たわるの東の空に、丸い月が、西の夕陽を受けて薄紅色に染まりながら顔を出していた。ところで今晩の月は、<満月>でなく、明夜に楽しめるという(それも、今年最大の「スーパームーン」になるそうだ)。

(* 今晩、地元公園で「お月見のつどい」が催されたが、昼間に、次の催事に出かけたので参加できなかった)

中秋の中日、日比谷公園で開催された「日韓交流おまつり 2015 in Tokyo」に、前の教室仲間たちとともに出かけた。薄曇りながら、雨が降ることなく、ときに晴れ間も広がり天候に恵まれた。会場は<昨年>と同じだが、人出は盛況だし、催事テントも増えたようだ。また、ステージとは別に、花壇広場で演じられた珍しい伝統綱渡りを見たりした。

大勢で出かけると、めいめいが売店で買った食べ物を持ち寄って昼食したり、休憩時にも菓子(ホットク)を食べたりといった祭り気分を味わえ満喫した。例によって例のごとく、(イ・ソンヒについて)ファン心理でいろいろしゃべった・・・しゃべり過ぎた。

(参考: 今年2015年、日韓民間交流関連「イベントカレンダー」・・・外務省の掲示より)

2015年9月26日土曜日

イ・ソンヒの童謡「秋の夜」

アルバム「イ・ソンヒ 愛唱童謡(이선희 애창동요)」に収録された2番目の曲、創作童謡「秋の夜(가을밤)」(1993年、作詞イ・テソン、作曲パク・テジュン)を耳にすると、母の帰りを待ちわびる子どもたちの不安と確信の切ない想いが浮んでくる。そんな秋に陽が沈むとき、子どもたちに語りかけてくれるのは、夜空の星々のきらめきしかない。童謡は、大人にも一時、郷愁と癒しをくれる。

(本ブログ関連:”童謡”)

秋の夜、さびしい夜、虫鳴く夜
わらぶき家の裏山道が、暗くなるとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

秋の夜、静かな夜、眠れぬ夜
雁の鳴き声が、高く低いとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

(Youtubeに登録のKi Young Anに感謝)

2015年9月25日金曜日

(雑談) 食欲が戻りつつあること

いまだに体調思わしくなく全快にいたらぬが、食欲が徐々に生じているらしい。

そう気付くのは、中華鍋の焼き入れに始まり、中華料理を調理するYoutube映像を見るようになったからだ。

「炒飯(チャーハン)」、「青椒牛肉絲(チンジャオロースー)」、それに大好きな「回鍋肉 (ホイコーロー)」ができあがっていくのを見ていると、自然と力が湧いてくる。独特な鍋の使い方、しゃもじの技にホレボレする。食欲を感じている。

スーパーの地下フードコートに、四川料理の店があって、そこの回鍋肉はたまらない。四川風の、黒々と味噌がからみ、花椒(山椒)の香りとピリピリとする舌。完全回復したら食べに行きたいものだ。

2015年9月24日木曜日

イ・ソンヒの家族史

イ・ソンヒの家族史について、何度かこのブログで触れた。仏教音楽の梵唄(ぼんばい:범패)指導者である父親から音楽的影響を受けたことや、優しい眼差しの祖父との関係などだ。

(本ブログ関連:”資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)

コリア・デイリーの記事「イ・ソンヒ、いま明す秘密の家族史 “ひとたびの女王は永遠の女王”」(9/23、イ・ユンミ記者)は、以前イ・ソンヒがイ・スンギと共にテレビ出演した際の話題で、本ブログに未入手の情報を、次の太字のように紹介した。(抜粋)

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イ・ソンヒの歌を教えた初の師匠チョン・ギョンス(정경수)*作詞家は、「イ・ソンヒに対する父の格別な愛情が、今日の国民のディーバ(歌姫)として、イ・ソンヒが愛された契機を作った」と話した。

(* チョン・ギョンスについて初耳である。2012年に「韓国歌謡作家協会第9代会長」に選出された(当時59歳の)人物か?・・・出会いの時期、場所について不明)

・イ・ソンヒは、ある放送に出演し、過去の政治に身を置いたビハインド・ストーリーを公開した。イ・ソンヒは、「もともと、”少年少女家長助け合い”に関心があった。海外進出を控えていたある日、所属会社で私に相談もなしに市会議員に登録した。それでやむを得ず、政治活動をするようになった」と、政治を始めることになった契機を明らかにした。

(cf.本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのソウル市議会議員選出馬の背景”、および ”(続き)”)

・続いて、「政治*をしながら、生涯初めて冷たい視線を受けた。とても恐ろしかった。私に社会を分からせる最も貴重で大切な時間だった。もし、それを体験しなかったなら、今も夢だけで暮らす十やはたちの少女だったろう。人間関係を結ぶことについて多くを学んだ」と話した。

(* イ・ソンヒは、政治と関わりで、歌手として境界が鮮明でない面がある。民自⇒民主⇒セヌリと大きく振れる傾向にある。政治的な痛みを政治で補おうとする限り、振れは止まらなくなる。)

・イ・ソンヒの(ソウル)市会議員出馬ポスターを見たネチズンは、「<イ・ソンヒの市会議員(登録?)記号1番の時期>、<あどけなくて整ったイ・ソンヒの記号1番の時期>、<麻浦(地区)の娘に笑わせるイ・ソンヒ記号1番のころ、あんな姿もあったなんて>、<イ・ソンヒの今日の栄光は父のため>、<妻帯僧である父、イ・ソンヒの幼い時の夢は、歌手でなく何だろう政治家>、<政治家に転進したイ・ソンヒ、歌手女王が似合うよ>」などの反応を見せた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの政治”)
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この記者、かなり皮肉っぽいのでは?

2015年9月23日水曜日

秋分の日 2015

祝日「秋分の日」の今日、のんびり外出したい予定があったが、体調が思わしくなく家におとなしくした。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

実は、阿久悠記念館に行ってみたかったのだ。森進一と桂銀淑が歌った、「昭和最後の秋のこと」(1997年、作詞阿久悠、作曲浜圭介)の秋を、それも昭和の秋を思い浮かべ、訪れてみたいと思っていた。

わたしたちより、もう一世代上の昭和のイメージかもしれないが、心の襞にしみ込む歌だ。繰り返される詞、「昭和最後の秋のこと」から、遠ざかった昭和をしみじみ思い返す。心にとどめる最後の秋は、「雨にうたれる彼岸花」であり、「時に晴れ間が広がって」、「山の紅葉に照りはえて」と色彩的である。四季の秋は、次の秋の循環を予兆させる。

ことばを大切にした作詞家の詞には、時代のドラマ性があった。今聞く意義を知らせた。見て聞くだけでない、歌えば自身にイメージが再生され、記憶を巻き戻すことができたのだ。

この機会に、過ぎ去った昭和の秋と出あってみたかったのだが。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 パンソリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、民族芸能のひとつで、物語りに節をつけて歌う「パンソリ(판소리)」にかかわる3曲を紹介した。今回は、意地悪い人物に焦点をあてる。

 (本ブログ関連:”パンソリ”)

始めに、パンソリ「興甫歌흥보가)」に登場する意地悪な人物、兄ノルボ(놀보)について次のように紹介された。
・漢方では、人の内臓すべて合わせて「五臓六腑」といい、五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓の内臓)、六腑(大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱)を指す。また、心の中を指す表現でもある。物語に、五臓六腑に意地悪が加わった、五臓七腑の者が登場する。パンソリ「興甫歌」の、善良な弟興甫に対する兄ノルボ*である。「興甫歌」は、ノルボの人物説明から始まる。火に油を注ぐのはもちろん、独り身の未亡人をいじめ、医師から針を盗み、美しい絹織物に水鉄砲で水をかける。乗馬して畑を横切り、泣く赤坊をいじめ、盲人を川に導くという悪者である。
・「興甫歌」の観客は、ノルボに似た人を思い浮かべ笑っただろう。意地悪い人物が、反省してまともになるストーリーである。

 (*)ノルボの漢字表記:ノル=”奴”の下に”乙”、ボ=甫 ・・・ (「パンソリ」申在孝、平凡社東洋文庫)

▼ 「興甫歌」から、「ノルボの意地悪(놀보심술)」を聴く。いつの世も身内の欲深さと善良さ。「興甫歌」の始まり。

次に、パンソリ「沈清歌(심청가)」に登場する継母となったペンドについて次のように紹介された。
・パンソリに、ノルボ以外にも意地悪な人物がいる。「沈清歌」に登場する淫女ペンドもそうだ。孝行娘の沈清は、盲目の父の目を治すため船乗りに身を売る。その金を目当てにペンドは、沈清の父に接近して妻となり、財産を酒やたばこに使い果たす。村人は彼女の悪口をいう一方で、悪口を楽しんだ。
・ペンドはノルボほど大罪でないかもしれないが、当時の女性への視線から、ノルボ以上に非難を受けたかもしれない。

▼ 「沈清歌」から、「ペンドばばあの行ない(뺑덕어멈의 행실)」を聴く。飯、肉、酒、滅多にしないこと。食うだけの楽しみ。

最後に、歌詞だけが伝わるパンソリ「ピョンガンセ打令(변강쇠타령)」の男女について次のように紹介された。
・当時、非難を受けた二人の男女が登場するパンソリ「ピョンガンセ打令」は、歌詞だけ伝わる。男ピョンガンセは怠け者で、博打にも手を出す。さらに、夫を次々亡くした哀れな女オンニョがいる。
・ピョンガンセ打令は、最も貧しい人々の暮らしを描いたもので、語り手が太鼓に合わせて物語りを歌う。

▼ 「ピョンガンセ打令」を聴く。歌詞だけ・・・巫女の歌のリズムを借りてパンソリにしているという解説がある。

2015年9月22日火曜日

ロコモ教室

今日は、シルバーウィークの連休後半、地元体育館で開かれた特別健康教室に行く。

ロコモといってもロコモコじゃない。ロコモティブ・シンドローム(Locomotive syndrome)とならぬよう、座学と軽い運動だ。

膝痛になったときの、膝のマッサージの仕方、立ち上がり方、そして予防のための歩き方などについて軽い実技があった。

今のところ痛みはないけれど、お世話になっている我が膝に目を向けることにした。

ビー・マイ・ベイビー

ラジオや白黒テレビの歌番組に、アメリカンポップスの新曲を求めた。ラジオの深夜放送で紹介される「ビルボード」や「キャッシュボックス」のヒットチャートを、明日の仲間内で披瀝するため、必死にメモしたりした。それを、日本人歌手が歌うころには、次はという得意顔している。まさに子どもである。

日本人歌手の歌が、カバーという意識はなかったし、原曲と聞き比べることもなかった。日本人歌手が演じて成立する独自の世界だったのだ。

そんな日本人歌手の中で、とりわけ歌のうまさに耳をそばだてたのは、弘田三枝子だった。ぽっちゃり顔した少女は、その後随分と変貌することになるが。彼女の発声はとても自然だし、余裕を感じた。パンチがあった。

弘田三枝子の歌唱力は、ロネッツ(The Ronettes)が歌う「Be My Baby」(1963年)と遜色ないというか、声質がピッタリである。当時の歌手の歌い方だったのかもしれない。この歌で、少女が男の子を「ベイビー」と呼ぶ気安さ、積極さに、もっといえば強引さに驚いたものだ。アメリカは違うなって。日本人歌手のカバーからアメリカを感じ、ますます染まっていくことになる。

そういえば、ブレンダ・リー(Brenda Lee)の「アイム・ソリー(I'm Sorry)」を聞いたときも、まず浮かび上がったのは弘田三枝子だった。いや、どっちが先だったのか・・・決まってるけれど。

(Youtubeに登録のMonotostereokingに感謝)

2015年9月21日月曜日

河津鉱山、高根山鉱山

昨晩の急な鉱物採集のお誘い、すぐに受けてしまったがちょっと心配事があった。この一週間、風邪から腹を下したようで、この数日、絶食に近い状態で過ごしていたからだ・・・大丈夫かな?

熟睡もままならず、早朝ひょいと出かけてしまった・・・フラフラしながら。欲に勝るものはない。待ち合わせのJR駅から車に同乗させていただき、目指すは伊豆、河津鉱山蓮台寺へ。

【河津鉱山(蓮台寺近辺)】

・朝の暖かい陽射しを受け、ガイドブックの採集場所(地図)を元に見当するが、それらしき場所が見つからない。迷い込んだ道先で、(H氏が)畑作業をしていた老夫婦から話しをうかがった・・・鉱山のズリ石は辺りに並んだ民家の石垣奥に埋込んだというのだ・・・途方に暮れる。
・結局、大沢川に架かる橋を渡って、採石場に至る最初の道端にある広場で採集を始めた・・・が、結果は全く思わしくない。磁鉄鉱、水晶、石英(微細群晶)のみ。テルルはいずこに。

【高根山鉱山】

・河津鉱山を早々にギブアップして、高根山鉱山へと転進する。住宅地の奥、こんな所にといった場所だ。民家の横を抜けて山に入る(ちょっと登る)とすぐにズリが目に入る・・・草木が茂って手の打ちようがない。硬マンガン鉱を割ると、石英?の透明薄片で埋まっていたが・・・そんなものなのだろうか。
・H氏はもう一段上側に探しに行く・・・お土産に、閃亜鉛鉱(べっ甲亜鉛)と水晶(美小群晶)をいただいた。

残念な成果、腹の回復は明日に持ち越しのようだ。

2015年9月20日日曜日

シルバーウィーク

実質、昨日(土曜日)から「シルバーウィーク」の長期連休に入った。月曜日と水曜日が祝日だった場合、その間の火曜日も<国民の休日>になるというルールがあるそうで、今年9月、6年ぶりの5連休となった。(月曜日:「敬老の日」、水曜日:「秋分の日」)

といって、この連休にとりたてて予定もない・・・連休特別教室の健康体操に出かけるくらいかな。

そんなとき鉱物採集のお誘いをいただいた。一度も行ったことがないけれど、誰もが知っている伊豆の河津鉱山だ。

昔、鉱物の会に同行して、河津海岸にある「やんだ」の浜で沸石を探した記憶がある。熱中しているうちに潮が満ちてきて、トレッキングシューズを水浸しにした。初心者の悲しさ、沸石の地味さがよくわからぬまま、隣りの菖蒲沢で金を夢見て銀黒を探した。眼力の乏しさ、銀黒らしきものを判別できず・・・、後日、リベンジしたものの再度要領をえなかった。

今回は、河津鉱山(蓮台寺方面)だ・・・さてどうなることか。夢も欲望も歌い流すことはできないよ。

2015年9月19日土曜日

社日 2015

雑節に「社日(しゃにち)」がある。余り耳にしない言葉だが、日めくりカレンダーの端に「社日」と小さく記してある。地元への関心の乏しさにあらためて気付く。

産土神(うぶすながみ)」(土地の守護神)を祀る日とのこと。昔は、生まれた土地から恵みを授かって、そこで一生を過ごし家をつないだことだろう。大地は命の源泉であり、郷土を意識したことだろう。(新田地帯の農家の次男・三男坊は独身のまま家付きになるか、養子や奉公人となって家を出るか決めねばならなかったが)

地元に「産土神」を冠した小さな社がある。300年ほど前に創建されたもので、毎年、初詣には必ず参っている。普段、鳥居をくぐることはあまりないけれど、そこに鎮座しているというそれだけで充分な、郷土の支柱のような存在だろう。

先ほど出かけてみたところ、境内に人々が集まって、来週の例祭に向けて何やら組み立てていた。子ども祭りもあるという、童心になって寄ってみようか。

2015年9月18日金曜日

もみじ

日本の秋は、木々の葉を色鮮やかに染める。特に、もみじの紅葉の美しさは欧米人を驚かせるようだ・・・、そんな感想を以前テレビで知ったことがある。山の起伏に展開する独特な景観であって、広い大地を波のように色付けていく様とは、およそ違った印象を持つのだろう。

日本建築の粋(美意識)に借景がある。部屋の内から望む、庭園と自然の背景が織り成す景色を、一幅の絵のように楽しむ。昔の室内は照明があるわけでなく、一層明暗と色彩が際立ったことだろう。残念ながら、今の私たちには贅沢過ぎるし、そんな余裕もない。

子どものころ、音楽の時間に歌った「紅葉(もみじ)」(作詞 高野辰之1876年~1947年、作曲 岡野貞一1878年~1941年)は、いつまでも忘れられない。おじさんの心に、歌や景色に、そんなにも素直に感じることができたという証である。ひとなみに無垢な時代があったんだ。

(本ブログ関連:”紅葉”、”もみじ”)

(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)

2015年9月17日木曜日

秋?なのにもうストーブを出してしまった

半袖から長袖へ、秋の衣替えしても今日は寒い。去年(2014年)の東京の平均気温は、9月が23.2℃、10月が19.1℃、11月が14.2℃、他方、一日雨の9月中旬の今日、気温は地元で17℃ほど。来月の10月より更に11月並みの冷え方だ。

秋の初めに降り続く長雨(霖)を「秋霖」というそうだ。墨絵の風情する、霞む山裾の森に降る雨のよう。止まぬ雨は、秋の深まりを一層感じさせる。

テレビで誰かが、秋を飛び越えそうなほどの冷え方といっていた。寝冷えもしたので(理由と言い訳を重ねて)、とうとうストーブを出してしまった。弱火にポカポカして、心地よくとろりとする。それにしても、これから先の冷え込みが思いやられる。

ところで、この秋、韓国ギャラップが秋といえば思い浮かぶ歌を調査(自由回答)した結果*を、スポーツ朝鮮の記事「秋といえば思い浮かぶ歌 ~」(9/16、イ・ジョンヒョク記者)が次のように報じている。(抜粋)
(* : 2015年9月8日~10日、全国満19歳以上の男女1011人=携帯電話に、「秋」といえば思い出す歌を尋ねた結果)
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(韓国)20/30代は「秋が来れば」、40代は「忘れられた季節」、50代は「コスモス咲いている道」、60歳以上は「コスモス咲いている道」と共に「秋」を最も多く思い出した。総じて若年層よりも40代以上の中高年層がより多彩な秋の歌を言及した。

・「コスモス咲いている道(코스모스 피어있는 길)」(キム・サンヒ 김상희、6.7%)
・「忘れられた季節(잊혀진 계절)」(イヨン 이용、6.3%)
・「秋が来れば(가을이 오면)」(イ・ムンセ 이문세、5.6%)
・「秋(가을)」(ペク・ナムソク백남석 作詞、ヒョン・ジェミョン현제명作曲童謡、4.3%)
・「秋を残していった愛(가을을 남기고 간 사랑)」(パティ・キム 패티김、3.7%)
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(Youtubeに登録者に感謝)

この調査結果に、イ・ソンヒの「秋の風」がランク入りしてないのが残念。

2015年9月16日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 船

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「船(배)」にかかわる3曲を紹介した。

始めに、李朝末の朴趾源(박지원、1737年3月5日~1805年2月5日)の文集「熱河日記(열하일기)」に記された、漁船の出港の曲「ペタラギ(배따라기)」について、次のように紹介された。
・海辺の人々に海はどんな存在か。最も有難く、恐ろしい存在でもある。漁船の出港に、無事を祈るのみだ。李朝末巨匠、朴趾源の文集「熱河日記」に、舟が去りいく意の「ペタラギ」の曲について記録がある・・・ただし、今、彼の描いた「ペタラギ」は継承されていない。
・悲しい曲調の歌だが、出舟する過程を記している。まず、舟を花などで飾り、妓生一組が並ぶ。そして、軍隊の礼節からはじめ、ラッパを吹き出す。すると、村中が音楽を奏し、妓生は絹織物に刺繍をした衣服を着て船の両側に立つ。みなが漁夫の歌を歌いだし、演奏がはじまる。舟が錨を上げて旅立つと、妓生は歌を歌って祝う。

▼ 舟の出るを歌う平安道民謡「ペタラギ」を聴く。厳かな祝い歌か。(cf. フォークグループのペタラギの歌もよい)

・「ペタラギ」を素材にした、1920年代の金東仁(김동인、1900年10月2日~1951年1月5日)の小説「ペタラギ」がある。兄は、美しい妻と弟の仲を疑い、結局、誤解の末、妻は自ら命を絶ち、兄弟は縁を切る。自分の過ちを後悔した兄は漁夫になり、数十年をかけて弟を探し歩く。でも、弟が歌う「ペタラギ」は聞こえてくるものの、弟を探すことはできなかった。

次に、2010年の砲撃事件の島、延坪島に伝わる民謡「難逢歌(난봉가)」について次のように紹介された。
北方限界線の南側にある延坪島は、海上に列車が走るように平らな形から、延坪島と呼ばれる。美しい景色があり、北の海を見渡すことができる、絵のような砂原が広がる。島に伝わる歌「難逢歌」で疲労を解消する人々の島だ。

▼ 延坪島の「難逢歌」の歌を聴く。難逢(난봉)は本来「放蕩の人」を指すという・・・海の大らかさか、今様に響く。

最後に、ソウルを横切る漢江を頻繁に往来した舟、「紫船ふね(시선배)」について次のように紹介された。
・朝鮮戦争(韓国戦争)の頃まで、ソウルを横切る漢江は重要な交通路だった。景色も見事で、昔、金持ちの両斑は妓生たち乗せて舟遊びを楽しんだ。地方から、税として穀物搬送船もあった。江原道の木材を筏で運ぶ人々もいた。特に、漢江を頻繁に往来した舟を「紫船ふね」と呼んだ。ソウルより車で約2時間にある江華島から肉や木材を、当時の都漢陽(現ソウル)に運んだ。最大限、内陸に行けるよう、船底を広く平らにした。麻浦、永登浦、露梁津などに有名な渡し場があったが、今は痕跡はなく、歌だけが伝わる。

▼ 紫船ふねの歌から「櫓を漕ぐ音(노 젓는 소리)」の歌を聴く。歌に調和して櫓を漕ぐ音も聞こえてきそう。

2015年9月15日火曜日

パク・ミンギュのこと

韓国を代表するといわれた小説家の申京淑とパク・ミンギュが、最近、文壇を騒がせた噂と問題について触れるのは、今回で終わりにする。朝鮮日報(日本語版)記事「【萬物相】盗作の告白」(9/129/8)、キム・グァンイル論説委員)は、書き出しにアメリカの有名人や小説家に起った盗作問題に触れながら、パク・ミンギュの印象(自家撞着した弁明)と今後の立ち位置について突き放すかのように、以下の通り語っている。(抜粋)

(本ブログ関連:”申京淑”、”パク・ミンギュ”)

同じ朝鮮日報(日本語版)の記事であるが、「『文芸創作学科が韓国文学を台無しに』有名作家発言が物議」(9/129/12)、パク・ヘヒョン文学専門記者)は、小説家の黄晳暎(황석영、1943年1月4日~)の、大学教育に文芸創作学科が必要かという発言を紹介している。ちなみに、パク・ミンギュは、中央大学校文芸創作学科卒である。

パク・ミンギュの小説「亡き王女のためのパヴァーヌ」しか知らないけれど、その作風は、Twitter風であり、ある意味書き留めたスケッチ集を使っているのではと思いながら読んだ。

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・女性小説家・申京淑(シン・ギョンスク)氏が故・三島由紀夫氏の作品を盗作したのではないかという騒動はまだ記憶に新しいが、このほど小説家パク・ミンギュ氏が盗作を告白した。2003年の長編小説『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』と、07年の短編小説『昼寝』がインターネット掲示板の文章や日本の漫画を見て書いたものだと認めたものだ。
出世作の『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』は1990年代、パソコン通信の掲示板に野球ファンが掲載した文章と多くの部分で似ていた。また、パク・ミンギュ氏は「ずいぶん前に日本の漫画『黄昏流星群』を読んだ記憶がある」とも言った。そして自ら「明らかな盗用だ」と言い切った。

・10年前に初の短編集『カステラ』を出したパク・ミンギュ氏にインタビューしたことがある。当時の同氏は変わった風ぼうで話題だった。ひざまでの長さがあるヒッピー風の長髪をある日突然バッサリと切り、ファンキーな金色に染めた。家でもヒッピー風の服やアクセサリーを身に着けて小説を書いた。スキーのゴーグルのように大きなサングラスをかけて現れ、インタビュー中もずっと外さなかった。
高校時代は「クラスの平均点を引き下げるヤツ」で、中央大学文芸創作科にはカンニングで入学したという。すべてが盗用でも同氏は反逆的な小説家として残ると思っていた。

・映画監督のキム・サンジン氏は、「一流は世の中を守り、三流は世の中を変える」と言った。その時、パク・ミンギュ氏は三流を自任し、世の中を変えてやるとでも言うように食ってかかった。「芸術は盗作であるか、革命であるか、そのいずれかだ」と言ったゴーギャンよろしく、パク・ミンギュ氏も「韓国文壇の近親相姦風潮が小説の発展を妨げている」と「革命」の声を上げた。当時は文壇をひっくり返すかのように見えたが、10年を過ぎた今はただ盗作をするだけの人間だったと告白した格好だ。実感はない。盗作の告白ではなく、世の中をばかにしているのかもしれない。今も不穏な存在だ。
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(資料) 韓国の音楽・小説など盗作・剽窃の状況 ・・・ ナムWiki

2015年9月14日月曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

イ・ソンヒの8集所収の「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」(1992年、作詞・作曲キム・ヨンドン)は、まるでオルゴール箱から聞こえてくるような、素朴な響き(編曲クロードチェ)がする。少女にあるような、そんな自分に夢見ているといった感覚だろうか。微笑ましい。とはいえ、この歌は彼女がソウル市議会議員選挙で民自党候補として当選後リリースされているわけで、そんなに華奢でもなかったろう。

(本ブログ関連:”あなたに会いたいときは”)

一日 眠れぬ孤独さよ
流れ去った、時を彷徨って
あなたは見知らぬ 場所で待つでしょう
私も見知らぬ 場所で待つでしょう

私の喜び 包んだ 暖かな心
私の悲しみ 触った 柔らかな手
今は草花散った 夢の中のなのに
今は過ぎた愛の ささやきだけなのに

*こんなに、あなたに会いたい時は
心深く 愛はるかにたずねて
どこかに どこかに 去らねばならないのね

(*以下繰り返し)

どこかに どこかに 去らねばならないのね


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)


(追記) <噴火警報・予報: 阿蘇山>
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火山名  阿蘇山  噴火警報(火口周辺)  平成27年9月14日10時10分  福岡管区気象台

<阿蘇山に火口周辺警報(「噴火警戒レベル」3、入山規制)を発表>
 火口から概ね2kmの範囲では、噴火に伴う大きな噴石に警戒をしてください

<「噴火警戒レベル」を2(火口周辺規制)から、3(入山規制)に引上げ>

1.火山活動の状況及び予報警報事項
 中岳第一火口では、本日(14日)09時43分に噴火が発生しました。
噴火に伴い、火口から弾道を描いて飛散する大きな噴石を確認しました。噴煙は火口縁上2000mまで上がりました。
 今後も同程度の噴火が発生し、弾道を描いて飛散する大きな噴石が火口から1km以上に飛散する可能性があります。
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2015年9月13日日曜日

スペック

人の品性を語るのに「人品」という言葉がある。道徳性や教養といった人として備わるべき特性を指す。それを、履歴書や健康診断書に記載されるような項目で判断することがある。韓国で一般に、「スペック(스펙)」といわれるものだ。

通常、スペック(spec)は、製品の諸元、機能仕様書の項目といった風に使われる。人にも「仕様書」項目があるごとく判断するのがすごい。学歴、身長、職業、年収、・・・顔の美しさ、といった按配である。不足すればルーザー(루저)、敗者となる。そうならないよう、親はわが子に期待し投資することになる。

KBS「【芸能手帳】 勉強で親孝行しました!派手なスペックのスター2世」(9/10)で、イ・ソンヒの母娘の関係についても、彼女が人並みに<親馬鹿?>であるが、それが錯覚でなかったと、次のようにレポートしている。(抜粋)

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・歌謡界の女王、イ・ソンヒさんの娘ヤン・ウォンさんもアメリカで留学中です。
・ヤン・ウォンさんは、アイビーリーグの一つの学校であるコーネル大学校でジャーナリズムを専攻しているんですが。
・イ・ソンヒさんは、少し前のある放送(2014.04.16 SBS)で、幼かったときの娘の逸話を聞かせてくれました。
・<録音>イ・ソンヒ(歌手):「私たちの娘が天才だと思いました。生まれてから胸に置いて童話の本を私が読んであげたが、二、三度読んだ後に再びそこをぴったり広げると、子がそのまま言うんですよ」
・世の中すべての親たちが、「私の子どもは天才」という錯覚をしますでしょ ~、幼いとき童話の本読んだ子供が、今は世界的な名門大に通っていますので、イ・ソンヒさんの思いは錯覚ではなかったようですね。
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参考) イ・ソンヒの家庭
92年  (91年ソウル市議会議員当選後)、86年以来のマネージャーだった前夫ユン・ヒジュン(윤희중)と結婚。
93年  娘(ヤンウォン、양원)生まれる。
98年  協議離婚。
99年  (IMF時代の後)夫のユン・ヒジュンは、事業の失敗で自死する。(6月5日)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの娘”)

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒが再婚した夫”)

2015年9月12日土曜日

早朝の地震(震度4)

早朝、うつらうつらしているところ、いきなりドンと揺れた。来た!と一瞬身構える。立て続けに、ドドドと部屋が振動する。昨晩から付けっぱなしのテレビ画面の中で、司会者たちが地震を伝えた。横になったままどうすることもできない。体感震度は優に4を越えていたが・・・。

何かが落ちたらしい。机の小さな本立てに無造作に積んだ書類がずり落ちたようだ。そんなものだった。幸い家財道具が倒れるほどでもなかった。充分目覚ましできていないときだけに、東日本大震災の恐怖がよぎった。

(本ブログ関連:”東日本大震災”)

テレビのチャンネルを次々切り替える。栃木・茨城・宮城各県の大雨のときもそうだったが、NHKの情報発信の初動に、さすが公共放送とその役割を認識する。どうやら、地元は震度4、近隣の街では最大の5弱だったようだ。

平成27年09月12日05時54分 気象庁発表
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12日05時49分頃地震がありました。
震源地は東京湾(北緯35.5度、東経139.8度)で、震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
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テレビ解説によれば、心配される首都直下型大地震と比べて震源の深さがより深いため、別のものと説明された。私にしてみれば、ただ恐れおののくばかりだったが・・・。

(付記)
今日、国勢調査の案内資料をもらった・・・ネット記入は便利だ。

2015年9月11日金曜日

大雨(続)

台風一過の空とは別に、昨日の大雨は北上し、宮城県に新たな堤防決壊の被害をもたらした。午前3時過ぎ、栃木県・茨城県に出されていた「大雨特別警報」が宮城県にも出されたのだ。

NHKのニュースWEBの記事「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水」(9/11、16時38分)によれば、「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水 - 国土交通省などによりますと宮城県大崎市を流れる渋井川は、11日午前、古川西荒井地区で堤防が決壊して氾濫したほか、宮城県を流れる吉田川とその支流は、富谷町と大和町で水位が上昇して水があふれ、周辺の地域が水に浸かっているのが確認されました。」とのこと。(抜粋)

(Wikpedia「鬼怒川」より)
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・(鬼怒川は)江戸時代までは毛野国(栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野河」あるいは穏やかな流れを意味する「衣川」「絹川」と書かれた。
・<六国史続日本紀>には古来毛野河は下総国と常陸国の境界を成しているとあり、また<常陸風土記>には、かつて筑波西部は紀の国であり毛野河が各郡の境界を成していたとある。
平安時代の書物(<延喜式兵部式>、<倭名類聚抄>など)には「河内郡衣川」や「下野国驛家衣川」などが見え、江戸時代の古地図にも「衣川」とあり、明治時代に編纂された<日本地誌提要>では「絹川」とされているが、<下野國誌>には「衣川」とあり、かつては「きぬがわ」が「衣川」「絹川」と書かれていたことが判る。
「鬼怒川」という表記は明治政府が編纂した<古事類苑>に見られ、これが「鬼怒川」の初出である。「鬼怒川」の表記は、暴れ川である「鬼が怒る川」から「鬼怒川」となった、などと云われるが、「鬼怒」は明治期以降の当て字である。
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今夕、午後8時前に、「大雨特別警報」がすべて取り下げられた・・・。