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2012年6月7日木曜日

SFの巨匠レイ・ブラッドベリ

AFPBBニュースは、「SFの巨匠レイ・ブラッドベリ氏が死去、91歳」(6/7)と次のように伝えた。

・SF小説の古典「華氏451度」などで知られる米SF作家レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)氏が5日、米ロサンゼルスで死去した。91歳だった。
・バラク・オバマ(Barack Obama)大統領も「彼の物語を作る才能は、われわれの文化の形を変え、わたしたちの世界を広げた」という追悼コメントを発表した。「それだけでなくレイは、想像力というものは理解を深め、変化をもたらし、わたしたちの最も貴重な価値観を表現する手段になり得ることも知っていた」と述べ、ブラッドベリ氏の死去を悼んだ。

星新一や小松左京といったSFの大家も初期の作品に、レイ・ブラッドベリの影響があった。彼は、だれもが一度は洗礼を受け、そして永遠の拠りどころとなる存在だったのだろう。読者にだってそうだった。

レイ・ブラッドベリのSF(ファンタジー)の世界を見て、サイエンス・フィクションはメタリックな未来を語ることだけではなく、そこに変わらぬ懐かしさを、いつの世にも、どんな場面でも、ひとは持つのだということを知った気がする。
「火星年代記」と「10月はたそがれの国」はいつまでも忘れられない。

2016年10月18日火曜日

10月はたそがれの国

昔、SFの短編小説が好きだった。今は本屋の棚に見られなくなったフレドリック・ブラウンのおやっと思わせるどんでん返しはいかにもアメリカンだった。ショートショートの系列かもしれないが、星真一とは違ったウィットがある、まさにストーリーテラーだった。

同じSF短編小説の範疇だが、いわゆるSFファンタジーと呼ばれる、レイ・ブラッドベリの短編は少し文学風というか、どちらかといえばウェットだった。ナイーブな少年に好まれたのだろう、そんな奴に紹介されたのが、レイ・ブラッドベリの短編集「10月はたそがれの国(The October Country)」だった。

(本ブログ関連:”10月はたそがれの国”、”レイ・ブラッドベリ”)

おかげで、レイ・ブラッドベリの短編集に関心が増した。ハロウィンがこんな風に身近になる以前の頃だった。ベッドの下、扉の奥、部屋の隅に潜む未知の暗闇。サーカスの一団が訪れ来るときの期待と合わせて、ピエロの化粧の下にある見知らぬ者への恐れ。あるいは、新しいスニーカーを履き、まるで宙を飛び跳ねるような空想と歓び。少年のいろいろな思いが瓶詰めされていた。

「10月はたそがれの国」には、「みずうみ(The Lake)」という、幼い頃に(といっても12歳だが)、湖の浜辺で一緒に遊んだ少女とその後邂逅する掌編がある。主人公は、新婚旅行の途中、その湖に立ち寄る。浜辺に出た彼は、12歳の少女の姿を見る。

なんというか、男の回想には、少年時代の(少女にも共通するか知れないが)記憶を美しくしてしまう独特の心理が、10月の秋冷えのせせらぎを包む川霧のように、ある気がしてならない。

2025年5月2日金曜日

(資料)時空を超えた愛の映画「アデライン、100年目の恋」と・・・

ネットを巡っていたら、映画アデライン、100年目の恋(原題:The Age of Adaline)」(2015年)を紹介するYoutubeがあった。時空を超えた恋愛を描いたファンタジーだ。まあ、ちょっと若い女性向きの物語といっていいのかもしれない。

■ Youtube(登録:ansson rongstad)
「不老不死を手に入れた女性が108歳まで生きた結果【アデライン、100年目の恋】《映画》」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=M9XVVx9PUyg


伝説「八百比丘尼」
上記映画について、「事故の影響で老化が止まり、100年以上も生き続けた女性の数奇な運命を描いている」(Wikipedia)ということから、まず思い浮かんだのは、伝説「八百比丘尼」(たまたま人魚の肉を食べてしまった少女が八百~千歳の長寿を得てしまう)だ。ただし、伝説には恋愛要素が見受けられない・・・比丘尼を主人公としていることから、仏教説話の要素が大きい。

(本ブログ関連:”八百比丘尼”)

映画「ある日どこかで(原題:Somewhere in Time)」
創作に悩んだ脚本家が、旅に出た先のホテルに併設の資料館で、舞台女優の古い写真と出会う。彼女の美しさに衝撃を受けた彼は、いつの間にか過去の世界へ戻り女優を探して恋に落ちる。原作のきっかけは、舞台女優「モード・アダムス」の写真からインスピレーションを受けたようだ。
このストーリー、アメリカのシニア夫婦に絶大に受け入れられ、いまでいう「聖地巡礼」のごとく、映画の舞台となったホテルで、毎年物語にちなんだ催しが開かれている。

(本ブログ関連:”ある日どこかで”、”モード・アダムス”)

レイブラッドベリ の短編「みずうみ」
時空をこえた物語に、レイブラッドベリ の短編「みずうみ」があるが、あまりも痛ましい展開なので本ブログのリンク先を示すのみ。

(本ブログ関連:”みずうみ”、”レイ・ブラッドベリ”)

昔のアメリカのTV番組「アウターリミッツ」(毎週内容が変わる)だったと思う。ある回に、少年が深い森をさ迷い、古い館にたどり着き、そこに住む少女と出会う物語があった。二人の展開が進むのだが、少女は館とともに忽然と消える。いってみれば、女性を神聖化する少年の幻想かも知れない。暗い映像に合わせて流れる、古いイングランドの音楽を思わせる旋律が印象的だった。

(本ブログ関連:”グリーンスリーブス”)

これも昔のアメリカのTV番組「世にも不思議な物語」(毎週内容が変わる)で、「(死産を経験して後、アルコール依存になった)冷え切った(中年の)妻のもとに、破綻した結婚生活をやり直したいと願う<若い頃の夫>(ウォーレン・ベイティ)がやってくる」(原題:"The Visitor")という回がある。こちらは、大人の愛の物語である。
ところで物語に、雨の降る道を走る車が窪地に落ちる場面がある。まるで上記映画「アデライン、100年目の恋」で、車が雪中の川に転落するのに通じる気がする。

(本ブログ関連:”世にも不思議な物語”)

■ Youtube(登録:つむともきのムービーチャンネル)
「世にも不思議な物語 1 『時空を超えた再会』(1/2)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=YS3LD2bqpfw&t=744s
「世にも不思議な物語 2 『時空を超えた再会』(2/2)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=NpbFAm8Xiuc&t=580s


2025年10月11日土曜日

太陽の黄金の林檎

きょう(10/11)の東京は一日どんよりして雲は重く、昼前から夕方まで小雨がつづいた。秋雨前線と、日本の南を進む「台風23号」から流れ込む湿った空気のせいのようだ。まだまだ余韻を残しそう。

この時期、林檎(リンゴ)は「中生種」の季節で、品種で知っているのは「紅玉(こうぎょく)」くらい。スーパーの青果売り場の林檎ときたら小粒ばかりで・・・。

ところで林檎といえば、懐かしいレイ・ブラッドベリの短編集「太陽の黄金の林檎」がある。同書のタイトルについて、アイルランドの詩人イェイツの詩「さまようイーンガスの歌(The Song of Wandering Aengus)」(1899年)にある最終「連(スタンザ)」の最終行からとられたという(Wikipedia)・・・ 同紹介に「尾島庄太郎・金子光晴 訳」が掲載されているが、尾島庄太郎氏ご自身の著書「イェイツ詩集」(北星堂書店)を古書店で見つけたので、次に転載させていただく。(注記は抜粋)
ー 黄金の林檎(Wikipedia

(本ブログ関連:”レイ・ブラッドベリ”、”黄金の林檎”)

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窪地丘地のさすらいひに
老いはてし身にはあれども、
みいでばや おとめがゆくへ、
かくて その唇に接吻(くちづけ)し
手を取りて 斑(まだら)なす長き草をわけ
時のほろぶまでも 摘みとらん、
月のしろがねの林檎を
陽のこがねの林檎を。

(詩集注1)妖精は姿を変え、海にいたり女の姿を装う。あるいは森の中での出会い。
(詩集注2)イーンガス アイルランド神話の中の美と愛の神(若い青春の神)。
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ちなみに、ブラッドベリの短編集「よろこびの機械」には、アイルランドの<ダブリン市民>の情景を描いたものがある。

■ Youtube(登録: Other Brother Studios)← 字幕を日本語化して見る
「The Song of Wandering Aengus (2017) - Award Winning Animated Short Film, narrated by Liam Cunningham」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=cyqC2AMrRZQ

2012年10月25日木曜日

ハロウィンのイメージ

ハロウィンを知ったのは、だいぶたってのこと。高校時代に、レイ・ブラッドベリ好きがいて、作品を紹介されたのがきっかけだ。

最初に読んだ、ブラッドベリの短編集「10月はたそがれの国」(創元SF文庫)の表紙に、ジョーセフ・ムグナーニ(Joseph Mugnaini)による、捻じ曲げられたように古びた陰気な家屋が描かれていたのを記憶している。ファンタジー・マニア好みのイラストである。

ブラッドベリの作品に、ハロウィンを題材にした物語がいくつもあるが、そこには邪悪なものが漂うマジカルな印象が共通する。見えないものが見えてしまう子どもたちの恐れをハロウィンは抱えている。ハロウィンの夜、だが重く塗り込められた暗闇に対する子どもたちの視点をブラッドベリは忘れていない。

そんな印象があってか、今流行の「ハロウィン」にはちょっと違って、若者たちのお祭りのようなものを感じる。ファッション・ショーなどのイベントで、「ハロウィン」舞台に立つ子役たちが怪しい衣装を着ても、実際ご近所を夜な夜な菓子もらいに巡る彼らと会うことはないだろうし・・・今のところ。

闇にうごめく邪悪なものを感じさせないハロウィンは、子どもたちの心に残るだろうか。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

2014年9月11日木曜日

星を求めて

文学の世界で、SF小説は相変わらずマニアック、辺境のままだろうか。サイエンス重視が強調されたハードコアとか、ちょっと哲学的なニューウエーブとか、いろいろあったけれど、今はどんな感じかな。

私にすれば、肩がこらない、空想世界に翼を広げたファンタジーが一番気楽だった。レイ・ブラッドベリの場合、ハロウィンの世界からホラーへ半歩、ダブリン市民について文学へ半歩といった具合に、縦横無尽なところがよかった。

うすうす気付いたのは、日本のSF作家の重鎮たちが若い頃に、ブラッドベリの洗礼を受けたであろうことを。どこかウェットな彼らの初期作品に、ブラッドベリに通じるものを見たことがある。

ところで、私はサーカスを身近に知らなかったからこそ、その歓声と照明の裏側に、得体の知れない何かがあるのではないかというファンタジーを容易に受け入れた。なにより、アメリカの子どもたちにも共通するだろう闇に対する好奇心に触れた楽しさがあった。そこは屋根裏だったり、部屋の隅だったり、ベッドの下だったり・・・日常の中にこそ闇は大きく広がっている。

そんなわけで、何度か触れたけれど、楽しいはずのサーカスと犯罪が組み合わさった意外性に関わらず、旋律が美しい「星を求めて(Look For A Star)」の流れる映画「恐怖のサーカス(Circus of Horrors)」(1960年)がある。映画は未見であるが、音楽の方はビリー・ヴーン(Billy Vaughn)楽団の演奏でおなじみだった。

(本ブログ関連:”星を求めて”、”サーカス”)


(Youtubeに登録のTheRadioVenusに感謝)

2016年10月29日土曜日

ハロウィンを受け入れること

世の中、習慣といわれるものは、モードでフォーマルがあるように、いつの間にか流行(はやり)が固定して様式化されたもの。神道の「初詣」も「神前結婚式」もそうだった。今では当たり前のことだが、始めは奇異だったろう、さぞ違和感を感じられたかもしれない。でも、そこにつながる源流があったればこそなのだ。

ところが「ハロウィン」は、いまだに疑問を感じている。でも、それは風物として習慣化し、行事となってしまったようだ。最早、合点いかぬと言えば、時代遅れだの烙印を押されかねない。むげに逆らえば孤立する。といって承服とか、したり顔もしたくない。ただ、若者の遊びがひとつ増えたぐらいに傍観するしかない。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

私にしたら、ハロウィンは、レイ・ブラッドベリのSFファンタジー小説で初めて知った、文字を空想に置き換えた世界だった。だから今様の騒ぎを見ると、漫画を生身の役者が演じる「実写化」といったものに対して、若者よ、君らだって異論はあるだろう。そういうことなんだよ。

まあいいや、ハロウィンを受け入れよう。そして、それに乗じてちょっと他愛ないことでもしてみよう。

(レイ・ブラッドベリ原作 ”The Halloween Tree”のアニメ化より: メインタイトル”)

(Youtubeに登録のess89に感謝)

2009年10月31日土曜日

孫のハロウィン

半月振りに孫に会いに行く。毎回ながら初めは、お前は誰なんだいとじっと見つめられる。そのうちに、わたしの胡坐の上で足をピョンピョンと跳ねて遊んでくれるのだが・・・。しばらくすると、ほら!わたしの顔をみて笑ってくれる。これだから、可愛いったらありゃしない。
今日はハロウィンである。ハロウィンを知ったのは、高校時代にSFファンタジーのレイ・ブラッドベリの作品を読んだときだ。彼の短編集には、どこか叙情的な、詩的なものがあって、いわゆるSFハードコアが苦手な分、親しみやすかった。あの小松左京や、星新一の初期SF作品に、レイ・ブラッドベリの臭いを感じたことがある。
ところで、お嫁さん姉妹が、それぞれの旦那さんから、ディズニーシーMIRACOSTAの宿泊プレゼントがあったとのことで、そのお土産にディズニー・ハロウィン2009のクッキーをいただいた。最上階のテラスから夜の水上ショーの鑑賞を楽しんだり、朝食をしている様子をビデオで見せてもらった。孫も孫の従兄弟も、母親達のはしゃぎぶりとは対照的に、何となくあっけにとられているところが可笑しい。
いただいたハロウィンのクッキーは、もったいなくて、孫にありがとうをいいながら、一日に食べる枚数を制限しよう。

2018年10月31日水曜日

ハロウィンの夜に

今日(10/31)の「ハロウィン」の夜に、悪霊(死霊)がやって来るそうだ。日本なら、仏教行事の盆の夜、祖霊を迎え入れるのだが。キリスト教以前に起源を持つ、精神の古層に沈殿したハロウィンを、キリスト教は拭い去ることができないため、子どもたちの祭りに融合したのだろう。宗教の常套であるが。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

ふだんの生活にないものが、ときどきやってきた。大人は、旅芸人、吟遊詩人、瞽女などを迎え入れ、子どもはサーカスの一団に興奮する。サーカスやハロウィンは、SFファンタジーの巨匠レイ・ブラッドベリの舞台である。(ところで、最近の映画は、なぜかピエロが恐怖をもたらすようだが)

(本ブログ関連:”レイ・ブラッドベリ”)

何かがやってくる。そんな予感は、現実世界でも気付く。逃げ足の速い、嗅覚の鋭いひとがいる。誰よりも巧みに逃げる。ファンタジーとは違う世界の話しだが、多分、広く情報収集能力があり、行動に移せる越境のネットワークがあるのだろう。

(本ブログ関連:”逃げる”)

何かがやってくる不安は、アメ粒一つで追い返せるわけではない。だから、逃げることも重要だ。ところで、年寄りは人生で上手に逃げる。どうやってかって、それは生きている誰よりも早くあちらに逃げるのだ。(こんな軽口をたたける歳になった)

2026年6月12日金曜日

予告編だけで映画館に行きたくなる「WHALEFALL」

昔、映画館に行くのが苦でない、むしろ楽しんだ時代に、スティーヴン・スピルバーグの「JAWS」を見て驚いた。これでもか、これでもかといった緊迫感がたまらなかった。・・・そういえば、エンターテイメント施設にもあった。そして、サメ・シリーズといったB級映画まで誕生させてしまった。

Youtubeで偶然に、クジラのエサ取りに巻きこまれる男の映画「WHALEFALL」(邦題:『クジラに落ちた男』、日本では 2026年10月 劇場公開予定)の予告編と出会った。PCのディスプレイの中でこんなに息詰まる映像を見たことがない。・・・ クジラが潜る水深のことを考えたらゾッとする。ぜひとも10月に映画館へ出向きたい。

■ Youtube(登録: KinoCheck.com)
「WHALEFALL Official Trailer (2026) Josh Brolin」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=K2Iz4vudW7I



海洋ものといえば、映画「白鯨」(脚本は、あのレイ・ブラッドベリ)がおもしろかった。メルヴィルの原作「白鯨」は未読なのだが ・・・ 聖書の引用などで「通読の難しさで名高い」とのこと。

(本ブログ関連:”白鯨”、”レイ・ブラッドベリ”)

もし海洋映画として可能なら、アラン・ポーの短編「メールストロムの施渦(せんか)」(A DESCENT INTO THE MAELSTROM、青空文庫)を、最新技術で映像化して欲しい。

(本ブログ関連:”メールストロムの施渦”)

ポーの短編の DESCENT といい、上記映画の FALL といい、どっちも深く落ちていく・・・!!
DESCENT: 抗えない力でじわじわと引き込まれ、沈んでいく。
・FALL: 事故のように真っ逆さまに落ちる。

(参考)
ちなみに「メールストロムの施渦」と同名のドキュメンタリー音楽映画がある。

■ Youtube(登録: Classical:NEXT)
「C:N Encore | Film: Descent into the Maelstrom - Trailer」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=MBxmFbGIoTQ
    ー 解説欄に次の紹介がある:
---------------------------------------------
この(ノルウェイの)ドキュメンタリー(音楽)映画(「Descent into the Maelstrom」)は、アークティック・フィルハーモニー管弦楽団による、フィリップ・グラス作曲の作品「メールストロムの施渦」*のリハーサルと、演奏の模様を記録しています。
---------------------------------------------
(*)指揮者:ティム・ワイス(Tim Weiss)、フル・オーケストラ版編曲:アレクサンダー・ヴァークトール(Aleksander Waaktaar)とのこと。

2011年12月17日土曜日

華氏451度

いつの間にか積(つ)ん読(どく)で、本の山ができる。知識の山ではない。仮に知識を山のように積もらせても、整理できるとも思えないし。序の口でつまづいているのだからしょうがない。燃やすわけにもいかないし・・・。

過去に膨大な書籍を破壊・焚書した行為は、歴史に記されている。未来の危機もSF小説などに暗示されている。当然ながら、焚書は精神の自由を奪うことになる。

レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)のSF小説「華氏451度(Fahrenheit 451)」は、消防ならぬ火付けを仕事に、焚書する物語である。紙の燃える温度が華氏451度というわけだ。(ちなみに、それを摂氏に換算すると232.8℃になる。油性インクで印刷される書籍のためか思ったより低い温度だ。)

ところで、電子本が中心の時代になったらどうなるのだろう。わざわざ燃やしに出向く必要がなくなる。ウィルス一つで消去できるのだから。温度は・・・。それ以前に、電子本のダウンロードを繰り返せば、書棚を見せているようなもので、読書傾向も丸見えになる。

最近、書店で、レイ・ブラッドベリの大部の伝記本が出ているのを見た。

2012年10月18日木曜日

白鯨

今日のGoogle検索の初期画面は、Google文字を織り込んだ<「モビーディック」出版107周年>を示す絵を表示している。

親父と映画「白鯨Moby Dick)」(1956年、原作ハーマン・メルヴィル)を見たのはいつ頃のことだろう。
洋画は子どもには苦手だった。なにしろ字幕があるのだから。茶褐色の暗い画面に滅入りながら、字幕を読むのが億劫だったにもかかわらず、印象は強烈だった。

映画のラスト、エイハブ船長は荒々しい捕鯨のなかで、激しくもがく白鯨のモービーディックにしがみつき一人死闘を繰りひろげ、白鯨と共に水中に消える。やがて海面に、捕鯨のロープをからめたモービーディックが姿を現わす。そこには、ロープに挟まれたまま、手招きするように揺れる船長の亡骸があった・・・のを覚えている。それに、棺桶が浮かんでいた場面も。

後になって、この映画の脚本執筆にSFファンタジー作家のレイ・ブラッドベリ(およびジョン・ヒューストン)が参加したことを知った。レイ・ブラッドベリがインタビューなどでこの作品に関わったことを何度か語っているのを読んだことがある。正直、彼の小説のイメージにつながらなかったけれど、思い入れは通じた。でも映画の思い出はずーっと昔のことだった・・・のだから。

(Youtubeに登録のtudoissojuntoに感謝)

2024年10月1日火曜日

十月はたそがれの国

10月といえば、SFファンタジーの大御所のレイ・ブラッドベリ(Ray Douglas Bradbury、1920年~2012年)の短編集「十月はたそがれの国(The October Country)」(US 1960年 / 宇野利泰訳、創元推理文庫、1965年)がある。高校生のとき、友人にすすめられて以来、ファンになった。

(本ブログ関連:”レイ・ブラッドベリ”)

SF小説のジャンルは多様で、ハードコアから対極のSFファンタジーまである。ファンタジーといっても、妖精物語ではない。物語りの舞台(時代や空間)を自由に駆け、あるいは日常のふとした闇を深堀りし、そこに潜む幻想を語った。そういえば、少年を主人公にしたものが多い気がする。

文庫本の表紙や挿絵を描いたJ.ムグナイニ/ムニャイニ(Joseph Mugnaini)の独特な表現が忘れられない。表紙の建築物の絵は、アルフレッド・ヒッチコックの映画「サイコ」(1960年)に登場した、モーテルに隣接した丘に建つ2階建ての建物(カルフォルニア・ゴシック様式の建築物)のイメージへつながる。後の世代のティム・バートンの子ども向けの怖い映画もそうだ。

ところで、10月となれば、今年も一年の1/4しか残っていないことに気付く。毎年気付いていて、同じ思いを毎度繰り返しているわけだが。10月を何度繰り返せばいいのだろうと、つくづく思うきょうこのごろ。

2019年1月19日土曜日

(雑談)小さなできごとの結果

風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがある。何かのできごとに始まり、突拍子も脈略もなく連続して廻りまわって、自分の都合のよい結果がもたらされるという牽強付会の例えだ。

できごとがわずかでも、例えば「蝶の羽ばたき」ですら、もしかすると遠くの気象変動に影響するかもしれないという「バタフライ効果」の考えがある。予測できないものを扱う理論をベースにしたもの。遠くない将来を捉えようとするものだが。

ところで、気象予報のようなある程度連続した空間とは別に、一挙に未来に影響するとしたらどうだろう。タイムマシンに乗って過去にもどり、もしそこで「蝶」を踏み殺したら、現在に何か影響を与えるのではないか。レイ・ブラッドベリの短編集「太陽の黄金の林檎」にそんな物語がある。

(本ブログ関連:”レイ・ブラッドベリ”)

小さなできごとが儲け話につながる程度ならよいが、時間をこえて知らぬ間に大きな災禍をもたらしたらたまらない。

2022年10月31日月曜日

ハロウィン

今年も「ハロウィン」の夜が来た。日本では子どもたちのためというより、若い男女の空騒ぎ、あるいは商業主義的なイベントになってしまった感がして残念な気がする。とはいえ、雑踏に酔っ払いがあふれたかつての「クリスマス」が、今では家庭行事におさまったように変遷するかもしれない・・・と願いたい。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

呼称で気になっていたことがある。「ハロウィン」なのか「ハロウィーン」なのか・・・、メディアで両者を耳にするが、米語でどうなのだろう。Youtubeの英語ショート動画「矢作(やはぎ)とアイクの英会話」*で、アイクさんがいうにはアクセントを後ろに置くので「ハロウィーン」という、「自然とソウルから出てくる」のだと楽しく回答していた。
(*)Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=i_Do0GMaI8Q

ところで以前に触れたことだが、私がハロウィンを初めて知ったのは、米SFファンタジーの大御所(日本の同人誌「宇宙塵」に参加したSF作家たち*に影響を与えた)「レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)」の短編集「10月はたそがれの国(The October Country)」(宇野利泰訳、創元社 1965年)のある短編**を読んだときのこと。高校時代に仲間から、強く進められた記憶がある。
(*)SF作家たち: 小松左京や星新一の若いころの作品にある、ファンタジー的表現からうかがい知れる。
(**)ある短編:「集会(Homecoming)」

そのころの文庫本「10月はたそがれの国」のカバーは、ジョセフ・ムグナイニ/ムニャイニ(Joseph Mugnaini)による不思議な建物が描かれていた。いってみれば、ハロウィンやホラー(ナイトメア:悪夢)映画に登場する魔物や怪物が棲みそうな、おどろおどろしい屋敷を想わせた。ブラッドベリの語りから、部屋の隅やベッドの下に広がる暗闇に何かがいることを気づかされた・・・すでに高校生になっていたので、納得するだけだったが。SF小説に、ハードコア以外の、ファンタジーの領域があるのが新鮮だった。

2017年10月17日火曜日

もうじき Halloween

私にとって「ハロウィン」の原点は、レイ・ブラッドベリの「10月はたそがれの国」で、遠い昔のこと。だから、日本のいまどきの、ハロウィンの熱狂は唐突でしかなかったが、沸騰振りが年々高まり、クリスマス前行事としてどうやら定着してきたようだ。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

昨年10月31日のハロウィンのときもそうだった。韓国語教室の晩、通う夜道の途中、ある教会前に大勢の人だかりがあった。まるで道を塞ぐ賑わい。子どもたちは熱狂し、親の注意もうわの空で、通行人に道を譲ることをすっかり忘れている。

子どもたちが、大声を張りあげて歓喜するのも楽しい思い出になると思えば、道を開けてくれるまでしばらく待とうというもの。いつの間にか、ハロウィンの渦に巻き込まれている気がした。

不思議なことに、今様のハロウィン騒動にすっかり冷ややかでなくなった。ハロウィンは子どもたちのものといった前提で臨むようになっている。気持ちも随分変わった。

(「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」より)

(Youtubeに登録のNobuyoshi Takeuchiに感謝)

2009年12月3日木曜日

人工衛星と音楽

1961年、宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリン(Ю.Гагарин)が初めて地球を周回したとき、子どもたちはおおいに興奮した。そして大人たちよりも先に宇宙へ飛び出した。子どもたちはすでに、雲の上、天かける夢を持っていた。
このできごとの前の1957年、世界初の人工衛星「スプートニク1号(Спутник-1)」が飛んでいる。大人たちのショックとは関係なく、スプートニクは子どもたちに宇宙空間を手に届くほど身近にした。

60年代当時、ようやく近づいた宇宙にちなんで名付けられたバンドや曲がある。印象に残ったバンドの出身国が、ノルウェーとイギリスで、アメリカでないのが面白い。

・【スプートニクス(The Spotnicks)】の「霧のカレリア(karelia)」(1965): 初の人工衛星スプートニク
グループの奇抜な名前に対する関心よりも、エレキバンドの音色にすっかり馴染んだ。

・【トルネード(The Tornados)】の「テルスター(Telstar)」(1962): 通信衛星テルスター
この曲の出だしにあるロケット噴射音はもっと強烈だったはずだが・・・。当時、とてもモダンで軽快な電子音に引き寄せられた。忘れられない曲だ。テルスター人工衛星が民間のAT&T製で、衛星通信が目的などと、国家の威信とは違う平和な新鮮なイメージがした。
(YouTubeに登録のlenau55、babosfilm、SuperMogera、crossking24に感謝)

後に、レイ・ブラッドベリの「火星年代記」のなかで、その星に生まれた子どもにとっては、火星が静かな日常であり、懐かしい故郷になることを想像できるようになった。

(追記)
この際、宇宙とつながりはないが、この頃のもう一つの思い出の曲、コニー・フランシス(Connie Francis)の「ボーイ・ハント(Where The Boys Are)」(1961)を書かずにはおれない。ふんわりと暖かい甘くしっとりとした彼女の声は今も耳に残る。それからずっと後のことだが、彼女のLPが欲しいという友人と一緒に荻窪のレコード店について行ったことがある。彼はぽつりと「ファンだったんだよ」と言った。
(YouTubeに登録のpigzagに感謝)

2011年2月2日水曜日

七つの水仙

中学時代に仲間と集まって、フォーク・グループのブラザーズ・フォア(The Brothers Fourの曲を歌っていた。「七つの水仙」、「花はどこへ行った」、「グリーン・スリーヴス」、「グリーン・フィールズ」、「500マイル」、そして「遙かなるアラモ」などだ。随分とロマンチックな歌もあれば、歴史や時代を語る歌もあったけれど、フォーク・ソングのハーモニーを楽しんだ。

若者には何もないけれど、千の丘の上にのぼる朝陽を見せたり、キスと「七つの水仙(Seven Daffodils)」を贈ることができるという歌詞から、なぜ<七つ>なのか、そしてなぜ<陽のもとにきらめく黄金の水仙>なのかと思いもしなかった。もちろん今でも答えを知らない。
仕事がらコンピュータ通信の国際的な参照モデルの7つの階層(機能)に、いつもこの歌の水仙の数を思い浮かべていたし、それに太陽の黄金の林檎」のタイトルに同様に、この歌の歌詞を思い出した。

(Youtubeに登録のsenniesoに感謝)

(本ブログ関連:”パフ”、”グリーンスリーブス”)


★★★★★ 孫が、ベビーチェアに座って、「おぁよう」(おはよう)とご挨拶する動画が届いた ★★★★★

2011年10月26日水曜日

ハロウィンのこと

テレビなどで、アメリカの白人家庭の子どもたちが夜に、骸骨や魔女の奇怪な仮装で、ご近所を廻ってはお菓子をいただく「ハロウィン」の風習を見かけたことがある。カボチャをくりぬいて作った暗闇に光るランタンもお決まりだ。宗教行事というよりは、お祭りのような気がするが、一体どうなのだろう。

超現実的になれる子どもだからこそ、ハロウィンのお祭りのなかで、大人には見えない悪魔的世界と一瞬通じる不思議な感覚を持つことができるのかもしれない。恐怖を感じ、恐怖を楽しんでいるのだろう。それは、子どもだけが知っている、互いに共有できる感覚だ。もう忘れてしまったが。

ハロウィンの言葉を身近に知ったのは、高校時代に読んだレイ・ブラッドベリの短編小説のなかのことだ。読書というものは自分の閉じた世界で楽しみ記憶に残すもので、ことさら見える形にしてまで求めるものではない。だから、ハロウィンは曖昧なまま心に残してきた。子ども時代に感じた、恐怖と平穏の境を懐かしむように。

ところで、日本のハロウィンブームはどうだろうか。子どもたちは、塾やお稽古ごとに忙しく、集団になることにも慣れていないし、ご近所にしてもコミュニケーションがとれていないこのご時世、アメの準備どころか唐突に来られても戸惑いがあることだろう。子どもを平気で暗闇に出してやる親もそうそういない。まして、いただいたアメに対す信頼性も怪しい時代なのだから。

日本ではまだ、若い女性がイノベーターとなって支持する、ファッション感覚のイベントに近い気がする。それを、ファッション誌や特定の都心の商業地がブームを形成しようとしているのだろう。
ところで、ご近所で子どもたちのハロウィンごっこの光景を一度だって見たことがないが、回を重ねて、年を経れば、バレンタイン行事のようになるかもしれない。(弁明として、フォーマルなものの起源も、先端ファッションであり、それが変遷して定着したものであることを考えれば、ハロウィンもバレンタインのようになるかもしれない。)
ただ、子供の方が正直だとだけ言っておきたい。

ふと気になったことがある。アメリカにも昔の日本のような駄菓子屋があれば、こんな大騒ぎをしなくても済んだのに・・・、そんな訳ないか。


(付記)
日本経済新聞の記事「東京に冬の訪れ『木枯らし1号』」(10/26)によれば、寒い今日、「木枯らし1号」が訪れたことを次のように知らせている。
・気象庁は26日、冬の訪れを告げる「木枯らし1号」を東京都心で観測したと発表した。昨年と同じ日で、この10年間では最も早かった
・同庁によると、26日は西高東低の冬型の気圧配置となり、東京都心で午後5時前、最大瞬間風速15.0メートルの北西の風を観測。寒冷前線が南下した影響で最高気温は20.3度と、25日の26.9度から大幅に下がった。
・気象庁は、東京都内について、10月半ばから11月末までに初めて吹いた最大風速8メートル以上西北西~北の風木枯らし1号としている。


★ 孫ふたりが、父親の上になったり横になったり、纏(まと)わりついている写真が届いた