昔、SFの短編小説が好きだった。今は本屋の棚に見られなくなったフレドリック・ブラウンのおやっと思わせるどんでん返しはいかにもアメリカンだった。ショートショートの系列かもしれないが、星真一とは違ったウィットがある、まさにストーリーテラーだった。
同じSF短編小説の範疇だが、いわゆるSFファンタジーと呼ばれる、レイ・ブラッドベリの短編は少し文学風というか、どちらかといえばウェットだった。ナイーブな少年に好まれたのだろう、そんな奴に紹介されたのが、レイ・ブラッドベリの短編集「10月はたそがれの国(The October Country)」だった。
(本ブログ関連:”10月はたそがれの国”、”レイ・ブラッドベリ”)
おかげで、レイ・ブラッドベリの短編集に関心が増した。ハロウィンがこんな風に身近になる以前の頃だった。ベッドの下、扉の奥、部屋の隅に潜む未知の暗闇。サーカスの一団が訪れ来るときの期待と合わせて、ピエロの化粧の下にある見知らぬ者への恐れ。あるいは、新しいスニーカーを履き、まるで宙を飛び跳ねるような空想と歓び。少年のいろいろな思いが瓶詰めされていた。
「10月はたそがれの国」には、「みずうみ(The Lake)」という、幼い頃に(といっても12歳だが)、湖の浜辺で一緒に遊んだ少女とその後邂逅する掌編がある。主人公は、新婚旅行の途中、その湖に立ち寄る。浜辺に出た彼は、12歳の少女の姿を見る。
なんというか、男の回想には、少年時代の(少女にも共通するか知れないが)記憶を美しくしてしまう独特の心理が、10月の秋冷えのせせらぎを包む川霧のように、ある気がしてならない。