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2019年8月21日水曜日

清瀬ひまわりフェスティバル

念願の「清瀬ひまわりフェスティバル」*へ行ってきた。例年、清瀬市の農家や関係者によって開催されるもので、今年で12回目という。ブログ情報などで知ってはいたが、訪れたのは今回初めてのこと。現地には、JR武蔵野線の新座駅前からバスに乗って行く。バス停からさほど距離もなく会場に着いた。
(*)http://www.city.kiyose.lg.jp/s029/050/010/010/010/20190628172128.html

(本ブログ関連:”ひまわりフェスティバル”、”ひまわり”)

本当は、昨日(8/20)行こうとしたが、午前中に雑用のため出かけるタイミングを失い、あれよあれよというまに午後には曇り空と雨。今週の天気は余談を許さない。そんなわけで、今日は早めに出かけた。一瞬、お天気雨もあったが、「ひまわり」の花の海を十分堪能できた。

ひまわり畑中央の見晴台より
会場はとにかく広く、農地いっぱいにひまわりの花が咲き、所狭しと群集している。しかも大人の丈ほど成長していて、間近で見ると花が視界に入りにくく、実感が湧かないほど。小さな子どもたちに、どう見えただろうか。そこで、花畑全体を俯瞰するには、フィールド中央にある見晴台から臨むしかない。見渡す限りひまわりだらけなのがよく分かる。

ここは、住宅街の狭間にあるような畑地と違い、本格的農地ということに気付かせられることがあった。密集したひまわり畑は、意外と空気の流れがなくて、堆肥の臭いがこもっていたのだ。そんなとき、ソフィアローレンが、映画「ひまわり」の中で、ひまわり畑(ウクライナで撮影)の中をくぐり抜けたとき、どんな香りがしたのだろうかと思ったりした。

ところで、会場の休憩広場の木陰で、「猿まわし」*が演じられていた。まだまだ一歳という幼い小猿が、一生懸命「輪くぐり」や「走り高跳び」を頑張って見せてくれた。私は最近、よその家族の子どもも可愛いだけでなく、小猿のような小動物まで愛しくてしょうがない。そんな思いができる歳になった。
(*)戦豆のさるまわし: https://sen-zu.com/

2018年8月10日金曜日

ひまわり

例年この時期、小学校前の畑を埋めつくすように小ぶりな「ひまわり」が栽培され、ひとびとが歩を休めては眺めたり、写真に撮る人もいる。ところが、今年の畑は裸地のまま置かれ、ひまわりを見ることができないのは、少々惜しい気がする。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

近所を巡って、ある畑地にひまわりを見つけた。むかしから知る背の高いひまわりで、それも20本近く群生したこじんまりしたものだ。これでは物足りない、フラストレーションがたまりそう。

ネットをさがすと、今年の暑さのせいで、ひまわりがの花が早く萎れているという。そんな中、ひまわりフェスティバルが近隣市で開催されているようで、機会を見つけて出かけてみようかと思う。
・当初予定の日程で開催された、50万輪規模の武蔵村山市の「ひまわりガーデン武蔵村山」は、8/6に閉園してしまったそうだ。出遅れてしまい、残念。
・西武線清瀬駅近くの農園で、8/18~28の間、10万本のひまわりを楽しむことができるという。10万本がどんなスケールか想像もつかないが。(「清瀬ひまわりフェスティバル2018」arukikata)

2016年6月13日月曜日

ひまわり

この時期、小学校の南側にある畑一面、「ひまわり」の花が咲く。腰の丈ほどの小型のものが栽培されている。園芸用だろうか。花瓶に飾るのに丁度よい大きさかもしれない。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

子どものころのひまわりは、見上げるほどだった。だから、ひまわり畑に入ると、初夏の青い空と陽射しを葉陰の隙間から覗くことになる。そんなヒマワリも最近では、目的が違うのだろうか、超ミニサイズのものまであるそうだ。

ひまわりの花が密集する畑は、乾いた風の通り道を見せてくれた。黄色の外輪が一斉に揺れるさまは、美しくもあり、風にあらがえぬ運命のようでもある。映画「ひまわり( I Girasoli )」は、そんなひまわり畑を描いた。

(本ブログ関連:”映画「ひまわり」”)

第2次世界大戦の対ソ戦に参戦した、イタリア兵士は瀕死の傷を負い、そこで手当てしてくれた女性と結婚する。しかし、彼はイタリアに結婚したばかりの妻を残していたのだ。戦後、夫を探した妻がソ連で見たのは、現地の家庭だった。突然尋ねた彼女は、駅まで連れて行かれ、仕事から帰宅する夫と再会する・・・。


(Youtubeに登録のCG Entertainmentに感謝)

2015年7月12日日曜日

イ・ソンヒ「ヒマワリ」

近くにあるこじんまりとした農地に、例年ひまわりの種が撒かれ、次第に成長して畑いっぱいに黄色の花を咲かせる。黄に塗られた景観に、素人考えだが、苗どきに間引きなど調整をしなかったのではないかと思うほど密だ。畑を埋める黄色い花のにぎやかさに誘われて、幼い子どもと一緒に写真を撮ろうと親子連れが集まって来る。

太陽の光を浴び、熱い風に身を任せ揺れるひまわりの佇まいを見るとき、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演した、映画「ひまわり(I Girasoli)」(1970年日本公開)で、(物語上)ウクライナの大地に広がるひまわり畑の光景が浮かぶ。人の歴史も悲しみも知らず、ひまわりの花は、自然のままに畑を黄色に染める。それに感応する者に、自身が自然の存在であることを知らせる。そして、永遠に続くものにこそ託すべきものがあることに気付かせる・・・癒えぬことのない悲劇に対置して、ひまわりの意味が描かれているようだ。

以前、ソウルの音楽ショップで購入した、8090の中高年向けアンソロジーのCD全集に、音楽グループ「ひまわり해바라기)」の歌が入っていた。残念ながら彼らの代表曲「愛のままに(사랑으로)」 (1989年)が選ばれてなかったが。ひたすらに未来を信じる若者たちの純な心する作品で、その点において、なんとも郷愁を誘われる。(Youtubeに登録のpops8090にいつもながら感謝)

さて、イ・ソンヒについても、14集に「ひまわり(해바라기)」(2009年)の歌がある。女性らしい愛の心残りを揺り戻すようにして歌う。ドラマチックな展開をする。降りそそぐ愛を永遠に待ち続けるよう(おんな心は難解すぎて・・・)。この作品を含めて同アルバムについて、「安定圏に入った作法とは別に依然として新しいスタイルに対する好奇心が感じられる。歌の感情線もさらに深まった」(ムン・ジョンホ)という評論が聞かれた。


(Tvポットに登録のKnightmareに感謝)

2014年7月5日土曜日

ひまわり畑

今日は、外出の行き帰り霧雨がけぶる。通り道にある畑のひまわりは、夕方に近づく頃も顔を東に向いたままだ。太陽に向けて顔を廻すというのに変化が見られないのは、あいにくの天気のせいか、それともただ億劫なだけか・・・どうして?

(本ブログ関連:”ひまわり”)

畑一面に咲くひまわりにそっと近づいて見ると、黄色の花弁に蜂が一匹とまっていた。まるで雨宿りして小休止しているよう。

傘をさしながら写したせいで、蜂に焦点が当たる工夫が足りないため、彼、否、働き蜂はみな雌であるから、彼女の表情が読み取れないのは残念である。

さらに一歩近づいても、蜂は、霧雨をやり過ごすように、ひたすら黙して動かない。
晴天なら、蜂にとってひまわりは重要な蜜源なのだろうが、今日は動きにくいようだ。そのまま、たまの風に揺れる花弁にじっと身をゆだねている。

まだ、開花してさほどでないにもかかわらず、顔を動かさぬひまわりと、静止したままの蜂がいる。よく見れば、二つの命が出会う、そんなのんびりとした世界がそこにあるのに気付く。

ひまわりに、いろいろなイメージがあるけれど、雨の日に咲く命の糊しろの大きい若いひまわりも良いものだ。

2017年7月7日金曜日

ひまわりとミツバチ

夏を思わせる昼過ぎ、近所の「ひまわり畑」に寄る。腰丈ほどの小型のひまわりが畑を黄色に染めていた。郊外の宅地の間に残った農地ゆえ、映画「ひまわり」のシーンに見る圧倒的な光景とは違うのはいうまでもない。でも、畑地の横を通り過ぎる人びとは、しばし歩を休めて黄色の群生に目を向けていた。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

考えてみれば、ひまわりの花弁の構造を正確に言いあてられない。太陽のプロミネンスのように外周に広がる花弁と、まさに核融合の連鎖を繰り広げるように中央に密集する花弁がある。外側の花弁を「舌状花」、内側の密集する花弁ひとつずつを「管状花」と呼ぶ・・・そうだ。

花弁の名称の違いは、行きずりの観察者にとっても、蜜をさがすものにとっても知らぬことだろう。でも、太陽の陽射しを受けて、花弁に食い入るものたちには共感がある。(一方的かもしれないが)そんな気にさせる。

ひまわり畑にみつばちが訪れていたのだ。彼らは、春先から花蜜を求めてせっせと働いていたに違いない。そんなみつばちの存在を忘れていたことに気付き、自然の営みに気付き、生命への畏怖というか、なぜか申し訳なく思う自分の存在にようやく気付いた。

画面をクリックするとみつばちが見えてきます

2019年8月18日日曜日

ひまわり

例年、小学校近くの畑地に観賞用だろうか丈の低い「ヒマワリ」(キク科の一年草)が栽培されていたが、昨年につづき今年もその様子が見られない。農家の都合なのでなにもいえないが、夏の日を浴びた黄金色の花を畑いっぱいに見渡すことができないのは惜しまれる。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

その代わりに、去年訪れてみようとして果たせなかった「西武線清瀬駅近くの農園で、8/17~24の間、10万本の『ひまわり』を楽しむことができるという」清瀬市の「ひまわりフェスティバル」*に、明後日の火曜日(8/20)にでも行ってみたい気がする。盆休みと重なった今日(8/18)の日曜日は一番賑わったかも知れない。
(*)http://www.city.kiyose.lg.jp/s029/050/010/010/010/20190628172128.html

合わせてこの時期になると、1970年にマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した映画「ひまわり( I Girasoli )」のことが思い出される。今となっては、WWⅡは70数年前に終わったことだろうが、この映画が公開された時期、終戦から35年ほどしか経過していなかった。大戦と関わったひとびとが50代という中年期にかかり、人生を振り返るころでもあったと思う。その中で、イタリア人夫婦の別れと再会そして別離という運命に、映画を見た当時のひとびとは十分に共感できる体験を持っていたはず。

(本ブログ関連:”映画「ひまわり」”)


(Youtubeに登録のlemikeylesに感謝)

さて、明日は夏期一般公開講座の「ロシア・スラヴの言語と文化入門」の2回目を聴講する。久し振りに都心に出かけることになる。曇りの昼間より、雨が降るかもしれない夕方の方が暑いという変わった天候のようだ。

2025年8月16日土曜日

夕方のひまわり

夕方(午後6:30ころ)の帰り道、民家の花壇に「ひまわり」が咲いていた。鑑賞用なのか小振りの花だ。そういえば今年になって、いつもの畑地で見かけなかった・・・少なくともこのところは。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

そこで、遠回りして畑に寄ったところ、ひまわりの畝がつくられているのを見て驚いた。
でも、夕闇のせいか、例年と違って全体に力がなく見える。葉が極端に少ないのだ・・・どうしたことだろう。それに、畑全体に雑草が生えていて、手入れが気になる。

それでも、今年もひまわりが、いつもの畑地に咲いてくれてホッとした。

2013年6月3日月曜日

ひまわり

随分と以前、「戦争を知らない子供たち」(1970年、作詞北山修、作曲杉田二郎)という歌が流行った。当時の若者は、確かに戦争を知らないけれど、共通するのは、彼らの親の世代がいずれかの形であれ戦争を経験していたことだ。直接の思い出であろうとなかろうと、親は戦争の体験を問わず語りして、子供たちはその言葉を耳に残したと思う。もしかしたら日常のひょっとした瞬間に聞かされたかもしれない。

当時の若者は、直接知ることもない戦争の残渣をどこかに感じていた。それは消えることのない、ある意味、心の中に直接的な響きを持っていた。自分たちが、戦争という多くの犠牲の中を生き抜いた両親の子であることに気付かないはずはなかった。戦後に生まれたこと、その命が続くという自身の存在を、いずれは問わざるを得なかったのだ。

戦争を本当に知らない今の若い世代には、身内に戦争の鮮明な記憶を聞かされることは極めて少ないだろう。だから、「戦争を知らない子供たち」のような歌が生まれてくるはずもない。ある意味、必然性もないのだろう。

時に思うことがある。ひとは個人の経験の中でしか過去を語ることができない。どんなに時代のうねりが大きくても、経験はちっぽけな一つでしかない、今にいたる一つの糸でしかないことを思い知る。たとえ記憶の糸を紡ぎ合わせて時代を知ったとしても。

DVDで映画「ひまわり(I Girasoli)」(1970年日本公開)を見た。「戦争を知らない子供たち」の視点を越えることはできないが、齢を重ねて気付き、響いてくるものを感じた気がする。時代に翻弄されても、懸命に生き、そして小さくてもよい、生きるしかないのだから。生きるために幸せを求めたことを咎めることはできない。時代が運命を切り裂いたとしも、生きる価値を見出さなくては、ひとは生き続けることができないのだから。

(本ブログ関連:”ひまわり(映画)”)

大地に咲くひまわりは、陽射しをうけて黄色の花を輝かせ、ゆったりと風の動きに身をまかせる。無限に広がる畑に咲き続けるひまわりは、命を咲かせ種を残す。


(Youtubeに登録のsrbigote owariyaに感謝)

2022年11月6日日曜日

11月の「ひまわり」

畑に小振りの「ひまわり(向日葵、ヒマワリ)」が、一本の畝に連なって咲いていた。季節を遅らせての栽培だろうか(ネットを検索すると、冬用のひまわり品種もあるようだが)。西陽を受けた花びらは、光が透けて、黄色の輝きを一層増していた。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

8月に見たヒマワリの畝は複数本あったが、今回は限定しているのか一本だけのようだ。丈が短いため、カメラを水平にすると住宅街の屋並が写ってしまい、いささか無粋なので、高さを工夫して見おろすように撮った。この時期に貴重な光景が見られた。


最近家に籠ってしまい、きのうの <野鳥観察(探鳥会)> をさぼってしまった。その埋め合わせにと、きょう、小公園の人工池へ「カルガモ」を探しに行ったが見あたらない。それに比べて、探鳥会のベテランの方が連日配信されるメール情報では、他の池に多種のカモが集まりつつあるのを紹介されている。やはり、出歩かなければ何事も始まらない・・・入門者ならなおさら。

(付記)
先日、足を引きずりながら出かけた近隣の街にある北欧家具店で購入したPC作業用の椅子が快適だ。奇妙なことに、膝の不具合が少し治まったような気がする・・・気のせいかもしれないが。

2013年7月10日水曜日

え~っ、東京はこんなに暑いのか

昨日まで3泊4日、新潟・秋田・岩手の三県をまたがって鉱物採集巡りをした。戻ってみて東京がこんなに暑いなんて想像もしなかった。なにしろ、雨合羽を着てずぶ濡れになりながら鉱山ズリ跡を探していたのだから。

(本ブログ関連:"新潟・秋田・岩手鉱物採集")

雨に濡れた毎日、地元に温泉を探しては、暖まり着替えしなければならなかったが・・・いい経験だった。「鉱物採集≫温泉」もいいが、「鉱物採集≒温泉」はもっといいだろう。

近所のひまわり畑が今年も花を咲かせている。姿も小さく、畑地も大きくはないが、一面に埋まる黄色いひまわりは、暑い夏の風に相応しい。ひまわりはまだまだ大きくなるだろうから、これから楽しみだ。

2024年8月5日月曜日

(パリ五輪) フェンシング男子フルーレ団体 金メダル、ひまわり

熱帯夜*が続き、パリ五輪のライブ中継もあってなかなか寝付けない。夜明け前に、金メダル獲得の報道があった。
(*)熱帯夜: 夜間の最低気温が25度以上のこと(気象庁の統計種目にはない)。

フェンシングの男子フルーレ団体で、日本チーム(敷根崇裕飯村一輝松山恭助永野雄大の各選手)が優勝した。この種目で、日本の金メダルは史上初とのこと。にわかファンは勝利しか理解できてないけど、「金」はやっぱりめでたい。

朝寝することなくブログを書き始めた。どこかで昼寝するかも知れないが・・・。
以前、昼夜逆転していると医師に相談したところ、切れぎれの転寝時間を合計して、6~7時間もあれば十分とのこと(ただし、午後3時以降の転寝は避けるよう注意された)。

時間がたっぷりあるので、「早起きは三文の得」にならって出かけることにした。

ひまわり
先日(8/3)の外出の際、畑地の一区画に「ヒマワリ」の花が咲いていたのを思い出した。それより前に、人の丈ほどなくて、葉が密集した草地にしか見えなかった区画に、やっと黄色の花が現れた・・・例年と比べて開花が遅く感じる。
不思議なことに、ここの畑地に咲くヒマワリは、なぜかみんな東を向いている。

(本ブログ関連:”ひまわり”)



軽い熱中症?
ヒマワリの写真を撮った後、カンカン照りで最高気温 35.4℃(11:49)のなか、野鳥観察のフィールドを一巡りすることにした。先日の順路を行きつ戻りつ、時間をかけて廻った(~12:30ころまで)。

早朝のオリンピック中継以降、一寝入りすることもなく、昼間に熱射のなかを出かけたことになる。結果、軽い熱中症になったのかもしれない。公園の自販機で冷たい缶ジュースを飲んだが、体中に熱気がこもったままで・・・だるい状態が続いた。
急遽、空調の効いた公民館に飛び込んで、15:00ころまで涼んで家に戻った。体を冷やしながら転寝した。

2026年8月5日水曜日

公園散歩(小金井公園)

桜の名所である小金井公園に、昼前(11:00ころ)に出かけた。気温は 28℃、雲間から青い空が顔をのぞかせる。北風のおかげで湿度も48%とさわやか。テニスコートから、学生や社会人のラリーの掛け声が聞こえてくる。
子ども広場に、小さな子どもを連れた家族が見える。公園の散歩道を、次の写真のようにのんびり縦断した。

日時計(写真左)、ヒマワリ(写真中央)、シラカシ(写真右)
・明るい日射しとはいえ、「日時計」に、11時を指すほどの影がない。手をかざして影を作ってみたが、ぼんやりとして写真の通り・・・現在時刻(10:53)と識別できるほどでない(以前、強い日射しのとき、くっきり影ができて時刻をピッタリ示したことがある)。
・熱暑のこの時期、園内に「ヒマワリ」を栽培している場所が2か所ある。西口エリアに小畑があって、小規模だが群生している。一番元気なひまわりを撮ってみた。
・子ども用ソリゲレンデの裏側に雑木林があって、そのなかに(未熟な)小さな実がなった常緑広葉樹の高木「シラカシ」の木がある。花を付けたその年に <どんぐり> になる・・・ 、一方、先日(7/29)見た「クヌギ」は、翌年(2年かけて)になってやっと <どんぐり> となる。

(本ブログ関連:”日時計”、”ひまわり”、”シラカシ”)

2025年12月26日金曜日

仕事納め(御用納め)

きょうが「仕事納め(御用納め)」と聞いて、「?」が浮かんだ。仕事納めからすっかり遠ざかった身には、カレンダーの日程を気にもとめなかったからだ。

(本ブログ関連:”仕事納め”)

官公庁の仕事納めは 12月28日と定められていて、「12月28日が土曜日、日曜日に当たるときは、それぞれ前日の12月27日、または前々日の12月26日が御用納めとなる。」(Wikipedia)。今年はそれにあたる。
さらに<正月休み>は、来年1月3日までだが、来年の同日は土曜日にあたるため、期間は明日の 12月27日(土)から来年1月日()までの9日間になる。

子どもがいる家庭は大変だろう。父親は神社への初詣、お年玉を楽しみにした年始挨拶などイベントを考えねばならぬし、母親は食事など日常の面倒を見なければならぬし。あっという間に過ぎてしまう正月休みなので、親は頑張ってほしい。

「はやく来い来い  お正月」と念を押す童謡「お正月」(作詞:東 くめ、作曲:滝 廉太郎、明治34年【1901年】)を聴いてみよう。

■ Youtube(登録:ひまわり [童謡・唱歌・日本のうた] )
「お正月🎍(♬もういくつ寝るとお正月~)byひまわり🌻歌詞付き【日本の歌百選】唱歌|Osho-gatsu|New Year」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=hghHqrYPALE

2025年5月1日木曜日

自然観察園、八十八夜

暖かな陽射しのもと、心地よい南の風が吹く。そんな昼過ぎ(午後2時)、公園併設の「自然観察園」へ出かけた。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

コバノタツナミ(写真左)、オドリコソウ(写真右)
・目指す野草が見つからず、観察園の東奥へ進んだとき、「コバノタツナミ」の群れに出会った。木洩れ日の下に突然現れた白い花は、実に清楚だ。紫色の花が咲く「タツナミソウ」の仲間だそうで、白い花は「白花品種として区分される」(Wikipedia)という。
・観察園内の随所に「オドリコソウ」が群生している。散策路を巡っていると、白い花のオドリコソウと出会った。そういえば、目を凝らすとあちこちに見つかる。オドリコソウの花は薄紅色と思っていたが、白いものもあることを知った。花の色の違いを陽の当たり方のせいかとネットで調べたが、そうでもないようだ。そもそも、オドリコソウは陽当たりのよい場所で好んで生育するという。


シラン(写真左)、ミズヒキ(写真右)
・観察園入口から金網柵に沿って少し東に進むと、南向きの小さな斜面に、鮮やかな紅紫色~紺色の「シラン」の花が群生していた。とても目立つたたずまいだ。
・観察園入口に近い金網柵の足元に、葉に奇妙な記号が付いた野草がいる。写真に撮って、自然観察センターに尋ねたところ、「ミズヒキ」だろうとの回答を得た。
ー 「時季(初夏の頃)によっては葉に『八』の字の模様(鼻緒のような模様)が入る。」という。(Wikipedia)


観察園の「かがみ池」は水が干上がって、あちこち水底が顔を出している。そんな岸辺を、「キセキレイ」がいつものように1羽歩いていた。また、干上がった場所で「カルガモ」が1羽、首をすくめて休息していた。


きょうは、「八十八夜」とのこと。

■ Youtube(登録:ひまわり [童謡・唱歌・日本のうた] )
「茶摘み(♬夏も近づく八十八夜)byひまわり×6🌻【合唱/日本の歌百選】歌詞付き」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=D6R0UJqjHXQ

2022年8月1日月曜日

カルガモのヒナ、ヒマワリの花

暑い日が繰り返される。「猛暑日(35.0℃以上)」が、先々月(6月)末の 6/26(35.4℃)、6/27(35.8℃)、6/28(35.0℃)、6/29(36.0℃)、6/30(36.9℃)、そして先月の7/1(37.1℃)へと連続した。7月が深まった 7/23(35.2℃)にもあったが、月末の 7/31(36.5℃)、今月初の 8/1(35.5℃)と再び猛暑日が続いている。
今夏(6~8月)は、月末と翌月初をまたいで猛暑日が繰り返されているように見える・・・カレンダー上の偶然に過ぎないけれど。

そんな暑い日のきょう、体操教室の横にある小さな池を覗いた。生垣で囲われているため、池に棲むカルガモたちに刺激を与えず観察できる・・・と思っていたが、どうやら近くの住民がエサを与えているのを目撃した。そうか、思った以上に彼らの警戒心が薄く見えるわけを納得した。

この池でおなじみの、母と3羽のカルガモ親子が、他の成鳥たちと混じってのんびり泳いでいた。エサ場となった階段状の水場で、子ガモが成鳥の食事を真似をするよう、ミズゴケをせっせと食(は)んでいた。生垣越し、私の足元といった近い距離で見守る・・・まことに可愛い。(子ガモを一羽だけ写真にすると、大人びて見えるが)


帰宅の途中、畑に植えられた小振りの「ヒマワリ(向日葵、ひまわり)」を見つける。4,5日前からつぎつぎに花を咲かせている。みな顔を東に向けている。
ところで、ヒマワリは太陽に合わせて動くというが、Wikipediaによれば「つぼみが大きくなり花が開く頃には生長が止まるため動かなくなる」、「完全に開いた花基本的に東を向いたままほとんど動かない」という。大きな顔をしたヒマワリの花は、さんさんと降り注ぐ熱射にあらがわず健気である。

(本ブログ関連:”ひまわり”)


(付記)
暑い夏の時期、太陽熱にかかわる「熱中症」、「熱射病」、「日射病」といった障害があるが、私がこどものころ親から注意されたのは 日射病だった。最近、日射病といった言葉をテレビで聞かない(というかテレビを見てないだけかもしれないが)。
小中学校で、子どもたちに「熱中症」、「熱射病」、「日射病」のどれに気をつけるよう指導しているのだろうか。

2017年7月23日日曜日

大暑 2017

今日は、二十四節気の「大暑」。連日の暑さゆえ納得するものの、昨年は22℃近くと冷え冷えしていた・・・と、ブログを見直して思い出す。その程度に、季節の変化について思い出が定かでないのだから、その他の物事をしっかり記憶できるはずもない。

(本ブログ関連:”大暑”)

外出しようか、どうしようかと迷っているうちに、一日が過ぎてしまった。

最近、南極から分離した氷塊(棚氷)が、日本に流れついたら随分涼しくなるなんて妄想する。そんな空想のできるおもしろツールが、Gigazineに紹介(7/23)された。

ドイツの新聞社「Berliner Morgenpost」が公開したもので、「南極大陸から分離した総重量1兆トンの『ラーセンC棚氷』」を地図上の任意の場所に移動できるツールだ。

関東地方の地図上にプロットしたら、その規模がとんでもなくでかいのに驚く。これじゃ、関東地方全体が極寒に戻ってしまうだろう。

ところで、昨日(7/22)、「暑気払い」に出かける途中、小学校前に栽培されていた小型のひまわりが全て刈り取られているのを見た。畑地が茶色の地肌に戻っているのに残念な気がした。でも、小学校が「夏休み」に入った後のこと・・・子どもたちに心配りしたのだろうか。

2018年9月1日土曜日

二百十日 2018

二十四節気の「立春」(2/4)から210日目の今日を、雑節の「二百十日」と呼び、台風の多いころを指す。tenki.jpの用語辞典によれば、「稲の開花期にあたることから、古くから台風に警戒すべき日とされている。」とのこと。

(本ブログ関連:”二百十日”、”立春”)

二百十日の言葉を子どものころよく聞いた。それが最近あまり聞かれないのはどうしてだろう。昔、住んでいたのは日本有数の工業地帯だったが、それでもこの言葉は身近にあった。まだ農業が日本の生活に深く根をおろしていた時代だったからだろうか。

「温暖化」の影響か、台風の動きが今までと変わり、強風や豪雨のせいで山崩れや堤防決壊などの災害(人命被害)発生に話題が集中している。二百十日と関連付けて、農業被害に注意を呼びかけるふうでもない。農事のなかで語られる二百十日より、台風と豪雨が今は一大事になっている。台風21号については、そのエネルギーが強力と注意喚起されている。

ところで、テレビで、静止地球環境観測衛星ひまわり8号」の気象観測性能が格段に向上していると紹介された。従来の観測衛星と比べて、海洋上の温度(水蒸気)の観測精度が上っているという。その結果、海洋の温度(水蒸気)の影響を継続して受ける、地上の集中豪雨を精緻に予測できるようになったそうだ。そんな分析システムが開発されたら、台風災害を格段に減らすことだろう。

2017年7月20日木曜日

始めの15歩 イディッシュ語

15日目。今年の前期受講は、後2回を残すのみになった。思えば遠く来たものだ。でもよく見れば、スタート地点がすぐ後ろにある。(夏休みにイディッシュ漬けになるしかないのだろうか・・・)

・先生推奨の入門書(復習編):「レッスン2」(דער לערער און די תּלמידים אין קלאַס)のExercise。先生手作りの問題で、本文中の空欄に動詞を穴埋めする。世界に住むユダヤ人の人口マップを紹介された。
(テキストを復習したにもかかわらず、穴埋めどころか穴だらけ・・・となる)

・先生紹介のネット公開教材ソフト(YiddishPOP)の「レベル2-5」(!הײַןט בױען מיר אַ סך )。スティックを使って模型の家作り。材料の依頼に関わる動詞の命令型、家の構造に関わる名詞の複数形など確認。

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、柱時計の時刻を見て、一生懸命答えようとする小さな女の子と、それを暖かく見守る母。(いかにも賢い子どもが育つ環境だと話題になる)

他の言語を専門にする若い参加者と先生の間でとりかわされた話題を傾聴する。言葉と民俗(あるいは民族)の気質は、密接なつなりを持っているに違いない。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

私ら世代に知らぬものがない、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」から「日は昇り、日は沈む」を聴こう。人生は一粒の種。やがてひまわりの花が美しく咲く。


(Youtubeに登録のMsLijeBaileyに感謝)

2016年12月6日火曜日

「汽車は8時に出る」

昔、汽車が出るとき、窓を開けて見送る人たちと別れを惜しんだ。岸壁の船出と心情的に通じる光景だ。去る人と残る人の影を心に焼き付けるようにして、汽車は次第に離れていく。映画なら遠近法の消失点に消えるまで。

有無をいわせず、汽車は時間通りに発(た)つ。まるで馬車を牽引する馬のように機関車はいななき、スピードをあげる。短編・戯曲作家にとってクレーンが時代の響きであったように、詩人に機関車は赤い火を吐く鋼鉄の馬であった。かつて新しかった、そんなものへのイメージをいまだに共有する人々にとって、汽車は特別なものだ。

(本ブログ関連:”汽車”、”ひまわり”)

ところが新幹線の窓は固定して開かない。最近は通勤電車まで(一部の窓は開くそうだが)。窓を通じて、互いにジェスチャーで伝えるしかない。だから、テレビニュースでは、車窓を境におどける子どもたちや、孫との別れが切ない祖父母の姿が報じられる。でも、交通網の発達のおかげで、いつでもえるようになった。本当に最近のことだ。

少し以前、汽車に乗るのに決意が必要なこともあった。運命の境界になることも。曲そのものがドラマチックな、「汽車は八時に出る(Το τρένο φεύγει στις οχτώ)」(作曲:Mikis Theodorakis、作詞:Manos Eleftheriou)は、余韻が残る。何度か本ブログで聴いてきたが、今回は、マリア・ディミトリアディの歌だ。(昔のギリシャは極めて政治的な時代があった)


(Youtubeに登録のΈνας αγέραςに感謝)