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2015年9月12日土曜日

早朝の地震(震度4)

早朝、うつらうつらしているところ、いきなりドンと揺れた。来た!と一瞬身構える。立て続けに、ドドドと部屋が振動する。昨晩から付けっぱなしのテレビ画面の中で、司会者たちが地震を伝えた。横になったままどうすることもできない。体感震度は優に4を越えていたが・・・。

何かが落ちたらしい。机の小さな本立てに無造作に積んだ書類がずり落ちたようだ。そんなものだった。幸い家財道具が倒れるほどでもなかった。充分目覚ましできていないときだけに、東日本大震災の恐怖がよぎった。

(本ブログ関連:”東日本大震災”)

テレビのチャンネルを次々切り替える。栃木・茨城・宮城各県の大雨のときもそうだったが、NHKの情報発信の初動に、さすが公共放送とその役割を認識する。どうやら、地元は震度4、近隣の街では最大の5弱だったようだ。

平成27年09月12日05時54分 気象庁発表
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12日05時49分頃地震がありました。
震源地は東京湾(北緯35.5度、東経139.8度)で、震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
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テレビ解説によれば、心配される首都直下型大地震と比べて震源の深さがより深いため、別のものと説明された。私にしてみれば、ただ恐れおののくばかりだったが・・・。

(付記)
今日、国勢調査の案内資料をもらった・・・ネット記入は便利だ。

2015年9月11日金曜日

大雨(続)

台風一過の空とは別に、昨日の大雨は北上し、宮城県に新たな堤防決壊の被害をもたらした。午前3時過ぎ、栃木県・茨城県に出されていた「大雨特別警報」が宮城県にも出されたのだ。

NHKのニュースWEBの記事「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水」(9/11、16時38分)によれば、「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水 - 国土交通省などによりますと宮城県大崎市を流れる渋井川は、11日午前、古川西荒井地区で堤防が決壊して氾濫したほか、宮城県を流れる吉田川とその支流は、富谷町と大和町で水位が上昇して水があふれ、周辺の地域が水に浸かっているのが確認されました。」とのこと。(抜粋)

(Wikpedia「鬼怒川」より)
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・(鬼怒川は)江戸時代までは毛野国(栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野河」あるいは穏やかな流れを意味する「衣川」「絹川」と書かれた。
・<六国史続日本紀>には古来毛野河は下総国と常陸国の境界を成しているとあり、また<常陸風土記>には、かつて筑波西部は紀の国であり毛野河が各郡の境界を成していたとある。
平安時代の書物(<延喜式兵部式>、<倭名類聚抄>など)には「河内郡衣川」や「下野国驛家衣川」などが見え、江戸時代の古地図にも「衣川」とあり、明治時代に編纂された<日本地誌提要>では「絹川」とされているが、<下野國誌>には「衣川」とあり、かつては「きぬがわ」が「衣川」「絹川」と書かれていたことが判る。
「鬼怒川」という表記は明治政府が編纂した<古事類苑>に見られ、これが「鬼怒川」の初出である。「鬼怒川」の表記は、暴れ川である「鬼が怒る川」から「鬼怒川」となった、などと云われるが、「鬼怒」は明治期以降の当て字である。
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今夕、午後8時前に、「大雨特別警報」がすべて取り下げられた・・・。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梅窓

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、妓生の梅窓(매창、1573年~1610年)にかかわる3曲を紹介した。
(本放送は先月末までアーカイブされたが、今月から聴けなくなった)

始めに、梅窓と詩人の劉希慶(유희경, 1545年~1636年)の関係を歌った詩について次のように紹介された。
・朝夕に涼しい風も感じられ、夏が過ぎて、秋が訪ねくるようだ。今年も終わりに近づく。なぜか、懐かしい人を思い出す季節でもある。全羅北道の扶安地域に、妓生の梅窓が住んでいた。昔の恋人を愛しく思い詩を書いた。梨の花が咲く春に涙で見送った彼は、秋になっても戻ってこないという内容だ。彼とは詩人の劉希慶で、梅窓が二十歳のとき、28歳年上の彼と恋に落ちた。低い身分出身の詩人であった。梨の花がまるで雨のように降る様を指して、「梨花雨(이화우)」と言う。

頭学時調(지름시조、定型詩)の歌「梨花雨」を放送と別に、”ustreamの댕기언니”で聴く。秋風に舞う花弁・葉の如く。

次に、梅窓は、黄真伊(황진이、1506年?~1567年?)と並ぶ妓生(詩妓)だったことを次のように紹介された。
・梅窓は、黄真伊と並ぶ朝鮮時代を代表する詩妓だ。梅窓が亡くなると、人々は彼女の詩を探し、地方で身分を誇示した村役人が金を集めて詩集を作った。男女や身分の関係が厳しい時代、、妓生の詩集を出したのは驚くべきことだ。
・梅窓は、「洪吉童(홍길동)」の著者、許筠(허균、1569年~1618年)とも親しかった。彼は、梅窓を妓生としてでなく、人生や芸術を語り合える友としたようだ。梅窓に送った面白い手紙がある。梅窓がコムンゴを奏でながら歌っている姿を、通りがかったソンビが詩に表し広く知られた。詩を聞いた許筠は、梅窓へ冷やかす手紙を送った。梅窓が歌ったのは許筠を恋しいからという噂が流れ、悔しいという内容だ。梅窓がそのとき歌ったのは、「山慈姑鳥(산자고새)」という鳥の名の曲・・・だ。

▼ 「山慈姑鳥」の演奏。

最後に、梅窓は様々な人に囲まれて人生を終えたと次のように語られた。
・梅窓はコムンゴが好きで、亡くなる時もコムンゴと一緒に埋葬して欲しいと遺言を残したという。38歳の若さで亡くなると、許筠は残念な気持ちを文に残した。梅窓は妓生だが、詩や歌、コムンゴにも優れ、人柄が良く、清い人で、自分はその才能が本当に好きだったと。妓生であったが、彼女は幸せな人だった。劉希慶のような恋人と許筠のような友がいたからだ。それに、自身の詩を詩集にしてくれる人々までいた。

▼ 愛しい気持ちを込めた詩を音楽にした「남하여 편지 伝치말고」(他の人に手紙を渡さず、あなたが運び人となって直接手紙を持ってきてください)を放送と別に、”Youtube”で聴く。聴く。歌い手の恋しい気持ちが伝わるという。今様である。

2015年9月10日木曜日

大雨

昨日の昼過ぎ、映画会へ出かけた。雨はようやく晴れ、一時西の空に青空さえ見せた。夕方到着した地下鉄駅を出ると、映画会場までの道は土砂降りに変わった。そして今日、連日の雨も、昼過ぎには小雨となって止んだ。台風が日本海へ抜けたとほっとしたところだった。

そんなとき、テレビで栃木県鬼怒川の堤防決壊という実況中継ニュースが続いた。NHKのニュースWebによると、「茨城・鬼怒川で堤防決壊 各地で河川増水 : 国土交通省によりますと、茨城県内を流れる利根川水系の鬼怒川は、10日午前6時すぎに常総市の若宮戸付近で堤防から水があふれ、午後0時50分ごろには常総市新石下付近で堤防が決壊して氾濫しました。」(9/10、17時35分)という。(抜粋)

水没家屋からヘリコプターで救援される様子を見ながら、被災の大きさに驚く。被災者一人ひとりに名前があること、救援者に一人ひとり名前があること、忘れてはならないと感じた。

栃木県は日頃の鉱物採集の範囲で、鬼怒川沿いに車を走らせ、鬼怒川温泉を脇に見ながら鉱物産地へ向かうことがある。常に同乗者の身なれど、ナビゲータ能力については、行きと帰りの道筋が同じだと気付かないほど。そんなわけで、鬼怒川が栃木から茨城方面に南下しているということも未だ理解できていない。

いいわけすると、小学校高学年で地元地理を学ぶわけだが、そのころ九州から東京に転向したため、都内はもちろん関東周辺の地勢が直感できないままでいる。土地勘が鈍いのはそのためかもしれない・・・。

2015年9月9日水曜日

映画「シークレット・サンシャイン(密陽)」

以前、レンタルのDVDで視聴した、チョン・ドヨン(전도연)主演の映画「シークレット・サンシャイン(密陽、밀양)」(2007年)を、韓国文化院のホールで見た。これで2度目の鑑賞である。

(本ブログ関連:”密陽”、”チョン・ドヨン”)

DVDの場合、自分のペースで見てしまい、思い込みが生じるのではないかと気になる。それを大勢の息遣いに触れながら大ホールで観覧すると、意識の共有が感じられ、あらたな理解を楽しめる。

もう一つの楽しみは、スクリーンのチョン・ドヨンに会えることだ。彼女は、この映画で、「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を受賞した。「接続」(TV放送)、とりわけ「わが心のオルガン」(VHS)以来のファンである。

映画の最後に登場する陽だまりの光景にいたる、ストーリー展開をじっくり見ることができた。主人公イ・シネ(チョン・ドヨン)が悲劇的な事件の結果、キリスト教会へ宗教的に傾倒する中で生じる、神へ、自己へ、そして他者への不信(疑念)と葛藤を描いている。信仰を持つことで、果たして許されるのか、許すことができるのかと。映画は、そこにソン・ガンホが演じる、主人公に興味を持つ気のいいおじさんを登場させる。彼は、主人公を日常へと結びつける役回りだ。

神は見えない、もしかしたら、裏庭の隅の平凡な陽だまりにあるのかもしれない。

2015年9月8日火曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」

イ・ソンヒの11集に所収の「神がまた許すなら(신이 다시 허락한다면)」(1998年、作詞・作曲:チョン・ヨンア)は、愛を語るのに、魔法のような想いであり、神に願いたいという切なさがある。情熱的でありながら、一方で、旋律は結晶を透過する研ぎ澄まされた光のよう。

イ・ソンヒの高音の世界に美しく輝く、とても印象深い曲だ。だから本ブログで何度も想い入れさせていただいている。

(本ブログ関連:”神がまた許すなら”)


何を いっているのかと、見つめられた ときは
何も 感じられなくて、あなたから去ってしまいたい

<分かるでしょう、どんなわけか、始まった全てのことを
時が経ち みな変わっても、この瞬間の記憶は欲しくて、

わからない 魔法のように、あなたへの 想い
神がまた 許すなら>
あえてあなたを、最後の愛で、う~う

(<  >繰り返し)
私の想いを 受けてくださるなら

わからない 魔法のように、あなたへの 想い
神がまた 許すなら
あえてあなたを、最後の愛で


(Youtubeに登録のMusic Mookに感謝)

2015年9月7日月曜日

パク・ミンギュの記事

小説家パク・ミンギュ(朴玟奎)の噂(盗作)について、今日の韓国紙日本語版記事に一斉に掲載された。
記事では、パク・ミンギュの小説「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」(15万部の売り上げ)で、盗作についての釈明は報じられているが、「昼寝」の盗用元になったといわれる「黄昏流星群」(弘兼憲史作)については、釈明という直接的なものはない。以下一部抜粋する。

(本ブログ関連:”パク・ミンギュ”)

① 朝鮮日報 「韓国の小説家、『黄昏流星群』盗用認める」(9/7、キム・ギョンピル記者)

・「パク氏は『月刊中央』9月号に寄稿し、『チェ・ガンミン氏とチョン・ムンスン氏の指摘について』という文章で、人生の黄昏時を迎えた男女を主人公にした『昼寝』の盗作疑惑について「『黄昏流星群』は昔読んだ記憶がある』とし、『普遍的なロマンスの構図とはいえ、客観的に見て似た面が確かにあるようだと認めた。その上で、『(作品を)あらためて検討し、必要があると思えば措置を取る。ご指摘に心から感謝する』と述べた。」

② 中央日報 「韓国人小説家、盗作認める…『インターネットの文章と日本の漫画を盗用した』」(9/7

・「パク氏は月刊中央8月号に掲載されたインタビューでも『三美スーパースターズ』の盗作事実を認めるような発言をしていた。やはり小説に使っていたインターネット著作物『プロ野球記名事典』を「著作権のあるものと認識していなかった」と釈明した。だが、『昼寝』については認知症になって苦労した自身の母親のために書いた作品で、盗作論争がおきて心が痛いと述べた。しかし、冷静になって検索をしてみると該当作品を読んだ覚えがあるとし、今回、その類似性を認めた。」

③ 東亜日報 「『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』の朴玟奎氏、盗作を認める」(9/7

・「申京淑(シン・ギョンスク)氏に続き、盗作疑惑を受けてきた小説家の朴玟奎(パク・ミンギュ)氏(47、写真)が、盗作指摘を認めた。」
・「朴氏は最近発売された小説レビュー文芸誌・アクストの9月号と10月号(← 隔月刊)に掲載されたインタビューで、文壇の盗作を巡る議論について、自分も同様に盗作疑惑を受けていると明らかにしながら、「最小限のガイドラインでもまとめてこそ、この問題を解決できるだろう」と指摘した。このインタビューは最初に盗作疑惑が持ち上がったごろに行われたと、アクスト側は明らかにした。」

2015年9月6日日曜日

同じ本の二度買い

同じ本を2度買ってしまった。昨日のこと、久し振りに近隣の街に出て、大きな本屋に寄り、いつのように地学関連のコーナーで何かおもしろい書籍はないものかと探す。山梨県の山梨日日新聞社発行、山日ライブラリー(新書版)の「山梨の奇岩と奇石」(石田高著)に、「甲州金山」の紹介があるのを目にして購入した。

商店街の喫茶店で読んでいるうちに、もしかして、わが家の書棚にあるのでは?と気付いた。そんなわけで、現在手元には同じ本が2冊ある。

以前だったら、おのれの粗忽さに呆れるわけだが、今はそうでない。やっちまったという諦念しかない。いいじゃないかと笑い飛ばす余裕もある。

ちなみに、上記紹介の末尾に「甲州金山一覧」があり、「湯之奥金山」について「下部町湯ノ奥にあり、地質は新第三系の火山砕屑岩や泥岩で、金を多く含んだ鉱石。”湯之奥千軒”などといわれたくらい往時は盛んに採掘された。金山に係わる下部町営の博物館が町内にある」とある。

(本ブログ関連:”砂金”)

2015年9月5日土曜日

イ・ソンヒの「涙に咲く花」

イ・ソンヒの作品に、ささやくように始まる、2集所収の「涙に咲く花(눈물속에 피는 꽃)」(1985年)がある。デビュー時の彼女の特徴である、突き抜けるような高音を遺憾なく発揮している、やや硬質な感じする作品だ。挿入の独白は、独特な雰囲気がある。後にLPで、語り(台詞)だけのもの、詩集まで出した。

アルバム第1集と2集は、本格デビュー初年(1985年)に出されたものだ。この曲は、彼女のイメージから、傷心の少女が精一杯に女ごころを歌うようで、当時の大人から見れば可愛らしく見えたかもしれない。柔道着を着た少女が女ごころを歌っているようなさまが浮かぶ。彼女の童顔は後の強力な武器になる。

(本ブログ関連:”涙に咲く花”)


“愛は 別れに、なおいっそう輝くでしょう
一人で寂しさを感じたとき、なおいっそう美しいでしょう”

あなたの目に映った 私の姿は
そんなに悲しい顔で 泣いていたのですか
思わず流れた 私のこの涙は
そんなにもあなたの心を 苦しめましたか

遠い空 見つめながら悲しみを消し去ろうと
気づかうあなたの姿は、むしろ私の心に
石を投げているのですね 涙に咲く花よ

“孤独が訪ねてくれば、こらえてしまうでしょう
こらえ続けて寂しくなれば、それだけで泣いてしまうでしょう”

こんなにつらい別れを 始めなければならないのは
もしかしたらあなたと私の 試練ではないでしょうか
私たちの目に宿る 涙に咲く花よ

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年9月4日金曜日

パク・ミンギュの噂

正直言うと、イ・ソンヒを除いて、関心を持った韓国の歌手や小説家に戸惑いを覚える。韓流以前の頃、人気のあった歌手ケイ・ウンスクの歌を聞き続けたが、彼女のその後の生き方に大変残念な思いがある。母国へ帰った後も厳しい。

また、文学とは縁遠いながら、イ・ソンヒとほぼ同年輩であり、社会的評価もほぼ同時期に進んだ作家の申京淑(신경숙)の小説を読んだりした。ところが、今年6月に盗作問題が大きく報じられることになる。(実は、以前にも指摘されていたという)

(本ブログ関連:”盗作問題-”、”申京淑”)

ところで、今年7月、東京国際ブックフェアに出かけて、一般向けの韓国産鉱物図鑑について問い合わせた。その際、ある出版社の方にも相談したこともあって、同社の文学シリーズにある「亡き王女のためのパヴァーヌ」(パク・ミンギュ、박민규、吉原育子訳)を求めたりした。この小説については、Twitter風小説とでもいうのだろうか、恋愛小説であり・・・若い女性向けで、映画化の話にぴったりのストーリー展開である。

(本ブログ関連:”東京国際ブックフェア”)

何と、この若手人気作家パク・ミンギュにも盗作疑惑の話しが出ているという。東亜日報掲載のニュース1の記事「”盗作疑惑” 小説家パク・ミンギュ、『盗作は交通事故のような問題・・・』」(9/3)は次のように報じている。

盗作は交通事故とは違う。小説家の言葉として随分軽すぎる。私の方こそ交通事故にあったみたいだ。

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・「盗作が倫理的な談論でなく、交通事故のような現実的な問題になりました。最小限のガイドラインでも設置しなければなりません」

・デビュー作「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」の盗作疑惑が提起された小説家パク・ミンギュが、小説専門文芸誌「アクストゥ(Axt、斧)」秋号を通じて、盗作を防ぐガイドラインの設置が必要という意見を出した。

・加えて、文学での盗作是非が、他分野よりもっと大きな波紋を起こす理由が、文学に書かれた「純粋」という概念のためだと主張した。だが、パクは自身の盗作疑惑については明らかで詳しい立場を明らかにすることはなかった。

・パクは、ペ・スア「アクストゥ」編集委員と行ったインタビューで、「盗作が交通事故のような問題」になって、「接触事故、追突、衝突でのひき逃げ、保険詐欺などの多様な形態の盗作がありえることになった」とし、「故意でなければ口をつぐむ理由も、隠す理由もない。その場ですぐ提起され、調整するのが最善」と話した。

・「だが(文人たちは)文を上手く書いて、登壇をして作家になる訓練だけ受けるだけで、これに伴う危険、乃至は安全規則遵守についてはどんな準備も対策もない」と、文壇内部のシステム問題を指摘した。

・彼はまた、「大衆音楽の場合には、ガイドラインと合意を導く調整機構により、大半の問題を解決することを知っている。今からでもそのようなシステムを構築しなければ、一方的な主張と黙秘権の悪循環は絶えず繰り返されるだけだ」といった。

・また、「お互いの文学観がみな違ので、盗作に関する考えもみな違うため、ガイドラインの構築のためには長い間の協議が必要だ」とし、「(しかしながら)最小限のガイドラインでも設置してこそ、この問題を解決することができる」と強調した。

・文学界にだけこのようなシステムが樹立できず、他分野に比べて盗作の是非が大きく浮び上がる理由は、文学を純粋なものと見る観点から求めた。パクは、「(盗作が繰り返されることが)文壇権力の保護という問題が台頭したが、私の観点ではさらに長い間の本質的な理由がある。 一つの単語でまとめようとするなら『純粋』だ」と語った。

・彼は、「純粋文学(순수문학)」という単語がヨーロッパの「fine art」を翻訳した日本語からきたものと見ている。彼は、西洋文学を輸入したことについて劣等感を隠すために*、日本が「純粋」という言葉を入れたと見て、長い時間が経って徐々に単語の意味そのままに、文学のアイデンティティになってしまったと解釈した。

(* ここだけ、パク本人の言葉がない間接的な語りだ。言質をとられないためか、それとも記者の思い入れか)

・「長官や総理候補の論文盗作にも鈍感な韓国人が、一介の作家の盗作に公憤する理由」は、世の中がいくら腐ってくずれても文学は純粋だろうという、人々の普遍的信頼が裏切られたところのためという指摘だ。

・彼は、「(この)純粋の監獄から抜け出さなければならない」としながら、盗作でない「模倣」については擁護する態度を見せた。彼は、「模倣と創作は絶えずお互いに影響を与えて発展すること」と付け加えた。

・一方、作家は「三美スーパースターズ・・・」などに対して提起された盗作疑惑について、「アクストゥ」のインタビュー提案を受けて、詳しい解明と反駁文を書こうか考えもしたが・・・無意味である気がした。いうことは(その前にもマスコミに)大まかに話した。その後の判断は、各自の役割」と、言葉を慎んだ。

・先月の「月刊中央」8月号では、パク・ミンギュの2003年デビュー作「三美スーパースターズ・・・」と、短編「昼寝」がインターネット掲示板の文章と、日本の漫画*を盗作したという疑惑が提起された。「三美スーパースターズ・・・」は第8回ハンギョレ文学賞受賞作であり、「昼寝」は2007年「文芸中央」夏号に掲載された短編だ。**

(* 「月刊中央」によれば、小学館「ビッグコミックオリジナル」連載の「黄昏流星群」(弘兼憲史作)・・・見てない⇒見たに変化)
(** 韓国ハフィントンポストの記事「小説家パク・ミンギュ、盗作を認めて心から謝罪する」(9/4))

・パク・ミンギュは、その後あるメディアとのインタビューで、「三美スーパースターズ・・・」盗作疑惑について、「当時インターネット掲示板に『人名辞典』という書き込みが掲載された。私は、この文を一種の80年代スズメシリーズ(참새시리즈)のようなユーモアで認識した。そこに、三美の選手たちの名前も数人入っていた」とし、「著作権がある文だと全く認識できなかった」と明らかにした。

・また、「昼寝」は、当時痴呆にかかった母を療養院に送り、心が痛くて書いた文だと釈明した。
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(追記)
他者の作品からヒントを得て、自分の世界で膨らますことはよくあるのではないだろうか。和歌で言えば本歌取りがある。それは、時代の状況に光と影を与えられ、命を吹き込む作業の結果だろう。素人には、文学史に作品が残ったでしか知りえないことだ。作家の内面にどうして入り得よう。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」の最終直前の節で、スイスの光景が描かれる。「黄昏流星群」(弘兼憲史作)の1巻に、スイスの雪山の場面が登場するのをネットでちらりと見て、素人はいらぬ詮索をする。疑心暗鬼になったのは事実だ。

2015年9月3日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 盂蘭盆

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/26)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、旧暦の7月15日の「盂蘭盆(うらぼん、백중*)」にかかわる3曲を紹介した。(* 백중を一律「盂蘭盆」と呼ぶことにする)

(本ブログ関連:”盂蘭盆”)

始めに、夏の「草刈り(김매기)」から解放される、旧暦7月15日の「盂蘭盆(백중)」について次のように紹介された。
・漢字の米は、十に八を上下に重ねる。米一粒できるまで、八十八回の手がかかる意だ。中でも「草刈り」は、真夏の強い日差しと地面から上がる熱で、本当に大変な作業だ。汗が目に入り、色々な虫が飛びつく。時間の余裕もなく、休む時間もない。こんな作業を三回ほど経て、やっと草刈りが終わると、今年の農作が終わった気がして、みな祭り気分で楽しむ。それが旧暦7月15日、「盂蘭盆」と呼ばれる日で、今年は8月28日だ。

▼ 「盂蘭盆の日(백중날)」の歌を聴く。家族の平穏を祈る・・・今様に洗練した歌いはアフリカのリズムのよう。

次に、盂蘭盆を「作男日(奴婢日、머슴날)」と呼んだり、「道軍楽(길군악)」について次のように紹介された。
・盂蘭盆は、草刈りを終えて「草取り鎌(호미)」を洗うことから、この日を、来年のために「草取り鎌を洗っておこう」とも呼ぶ。盂蘭盆は、草刈りを終えてみなで喜ぶ日で、一番一生懸命働いた者、農作の「壯元(장원)」を選ぶ。本来、壯元は科挙の首席合格者を指す。農作の壯元になった者を牛に乗せて帰る風習があった。地主は、新しい服や、休暇も与えたという。歌い踊りながら村に帰る時に歌うものを「道軍楽」 という。歩きながら演奏する音楽だ。また、盂蘭盆は「作男日」ともいい、村に市場が開かれ、余裕のできた作男のため、民族競技の「相撲(씨름)」が開かれたという

▼ 「道軍楽」を聴く。豊年満作、誇りと勇壮、湧き出る自信、エネルギー、民俗の逞しさ。いいね。

最後に、釈迦の優れた弟子「目連」と盂蘭盆について次のように紹介された。
・盂蘭盆は盂蘭盆節とも呼び、仏教で、祖霊を供養して「倒懸(逆さ吊り)の苦」を救う日だ。釈迦の弟子に「目連」がいた。目連の母は生きている時の行いが悪く地獄で苦しんだ。目連が悲しむと、釈迦は母を助ける方法を教えた。僧侶が精進を終えて日常の修行に戻る日に、百種類の馳走と五つの果物で供養をすれば救われるという。その日が陰暦の7月15日、盂蘭盆が盂蘭盆節と呼ばれるようになった。供養すると、生きた親はもちろん、亡くなった親も生まれ変わることができるという。

▼ 仏教音楽の供養を終えてから歌う詩歌「悔心曲(回心曲、회심곡)」を聴く。経文でなく、民謡要素が強いとのこと。

・盂蘭盆には、色々な意味がある。両親を想う日であることはもちろん、草刈りを終えて楽しむ日でもあった。

2015年9月2日水曜日

東京オリンピック・パラリンピック

東京オリンピックの話題で何かとせわしいけれど、五年先のこと、さほど心配していない。それより、どうやって見ようか、ちゃんと見られるだろうか、チケットはどうすればいいのだろうと、考えればきりがない。

どんな競技に関心あるかと問われれば、体操(個人)かな・・・。

1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、10月10日(⇒「体育の日」)~10月24日の間開催された。一方、2050年の東京オリンピック・パラリンピックは、7月24日(金)~8月9日(日)で、前回より2ヶ月半ほど早い。温暖化による暑さが増しているので、熱暑対策が必要だろう。

天気に左右されない室内競技がようさそうだ・・・。

1964年の馬事公苑、霧雨けぶるなか行なわれた、乗馬競技を観戦した。といって、クラスに配布されたチケットを持って出かけたわけで、どんな競技なのかもよく分からなかった。遠くで行なわれる正装した人馬一体の競技をただただ見ていた。

それにしても、2050年のオリンピックを見る楽しみって一体なんだろう・・・。(チケットは子どもたちに譲りなさい)

2015年9月1日火曜日

二百十日 2015

今日は雑節の「二百十日」。この言葉、今よりも子ども時代の方が馴染んだ記憶がある。昔、台風襲来のたび、木造家屋は強くなかったのだろう、親父が木の雨戸に釘を打ち付けて固定していた思い出がある。

いまどきの戸建ては、とっくに縁側がなくなって久しいけれど、庭に面して雨戸を使う、大きな背丈サイズのガラス戸を並べるものが少ない。耐震構造のためか、エアコンなどの普及もあってか、できるだけ戸口を小さくする傾向にあるように見える。一見、洋風だが、湿度の高いモンスーン地帯の伝統的な家屋とは、かけ離れた気がする。

私の記憶にある、最大の台風被害は、「伊勢湾台風」(1959年、昭和34年)だ。子どもの頃、転校してきた級友から被災の経験をそれとなく聞いた。けれど、それ以上深入りすることがはばかれた。テレビや新聞記事から知っていたからだ。子どもながらに、興味本位に聞く話ではなかった。

今夕、帰り道に本屋へ寄って外に出ると、路面に小さな点がついていた。始めは微かに雨粒を感じた。次第に、雨脚が強くなった。帰宅してまもなく、屋根を叩く本降りとなった。どうも天候に恵まれない日のようだ。

1923年(大正12年)の今日、関東大震災が起きた。「防災の日」である。

2015年8月31日月曜日

導かれるように石とめぐり合うこと

今日で、多分、子どもたちの夏休みは終わりだろう。長くて、短かった思い出いっぱいの夏だったに違いない。明日から新学期、久し振りに友だちに会う楽しさもある。へいちゃらに時間がやってくる彼らがうらやましい。

私には、暑くてどうしょうもない夏だった・・・おまけに、今年の2/3が終わってしまったのだ。何もしないまま、何もできずに、今年も記憶より早く夏が通り過ぎた。こちらはあっけない。

導かれるように時を過ごしたい。更にいえば、導かれるように石と巡り会いたいものだ。少しも上達しない石集めは、幸運の導きを願うだけ。時間は待ってくれないのだから。

そういえば、江戸時代の終わり近く、琵琶湖畔に居をかまえた木内石亭も、しっかり全国に石を探した。彼ほどになれば各地の石好き(弄石家)から産地情報も得たろう。そんな彼でも、「近江の田上山で道に迷って、思はぬ谷底へはひり込んで、そこで図らずも大きな水晶を拾ったことなどを記して、『これらは石が自分を導いてくれたのであらう』などとしてゐます」と、森銑三は「石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭」で語っている。(「日本の名随筆88 『石』」より・・・「おらんだ正月」所収)

この話し、石集めに長じた人だからこそ導かれるように石にめぐり合うことができたのだろう。そうでなくても、例えば団体で採集に出かけたとき、採集場所に至る山道でとんでもない石を拾ったりする人がいる。実にうらやましい限りだ。私は、一度も導かれたことはないけれど、分けてもらうのはしょっちゅうだ。

2015年8月30日日曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

秋の風は、言葉の災いを気付かせる警告であり、親しい仲に隙間風が吹く前兆である。どちらにしろ、秋風はひんやりして沁みる。もう夏には戻れない。

秋風に舞い散る落ち葉を見ると、とたんに詩人になって憂いに浸ったりする。取り返しのつかない事態に気付いたふうでもない。風のせいにするには、あまりに軽すぎる。こんなこと繰り返して過ぎるのだろう。

ところで、イ・ソンヒの2集収録の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、思い出を運ぶ西風だ。彼女の歌は、秋にとまどう心に吹く、凡庸の心に一種の清涼剤である。(今月始めに記したというに、デビュー当時の初々しい声をまた聴きたくなった)

(本ブログ関連:”秋の風”)

 「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」

今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年8月29日土曜日

花火

遠くで花火の音がする。随分乾いた響きだ。十数分間のこと、大きな祭りではないのかもしれない。それでも、あのドンと突き抜けるような振動に、しばらく耳をそばだてる。

(本ブログ関連:”花火”)

子どもの頃の花火の思い出は、父が働いた会社の工場敷地で行なわれた夏の行事だ。夜の薄暗がりの中、ずっと低いところから見上げた空に、四方に広がり走る光の粒と、地響きのような揺すぶる音。遠くから眺めたはずなのに、記憶の花火は、私の周りを光で覆った。

やがて、花火が天空に炸裂して光の粒が散り、消滅するさまを鑑賞できるようになる。興奮とその余韻、静かに終わりゆく夏に、秋の涼しさが呼びさまされるような気配すらする。

海外での「日本デイ」のイベントに、花火を打ち上げる光景をYoutubeで見ることがある。ヨーロッパでのこと、観客の歓声から、どんな花火のスタイルに関心があるか分かる。空間、余白を残すことの少ない彼らの感覚からだろうか、光が点で消滅するよりも、筋を残しつつ消える方が好まれるようだ。自然体験や幼い頃の思い出など重なって表象されるだろう美意識の違いかと思ったりする。

2015年8月28日金曜日

「玉石の事」

先日、教育社版の「耳袋」(根岸鎮衛著、長谷川政春訳)に掲載の木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」について記したが、岩波文庫版「耳嚢」(長谷川強 校注)に「玉石の事」として類話が載っている。

(本ブログ関連:”石の中に潜んでいる竜”、””)

愛石家の木内石亭は、石に対して在るままに振舞ったが、今回の話しの主人公(商人)はせっかくの奇石を欲に走らせて台無しにする。ある意味、教訓的な展開であるが、唐人は、それにしてもどうしてその価値が分かったのだろう。彼らの石に対する偏愛は大したものだ。

石の中に、竜がいたり、魚がいたりする空想は、世界が入れ子になったような感覚がしてたまらない。この話で、もし唐人の指示通り石が磨かれたならば、その結果、玉を愛するのだろうか、それとも玉中の水に泳ぐ魚を愛するのだろうか。空想は膨らむ。

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いつの頃にやありけん、長崎の町家の石ずへ(礎)になしたる石あり。不断水気潤ひだしを唐人見て、「右石を貰ひたき」よし申しければ、「子細ある石ならん」と其主人是をおしみ、右石ずへを取替て取入れて見しに、とこしなへにうるをひ水の出るにぞ、「是は果たして石中に玉こそ有りなん」と色々評議して、ふちより連々に(引続いて)研とりけるに、誤って打割ぬ。其石中より水流れ出て小魚出たるが、忽ちに死しければ取捨て済しぬ。其事、跡にて彼唐人聞て涙を流して是をおしみける故委敷(くわしく)尋ければ、「右は玉中に蟄せし(隠れひそむ)ものありて、右玉の損ぜざるやうに静に磨あげぬれば千金の器物也。おしむべしおしむべし」といひしとや。世に蟄竜などいへる類ひもかかるものなるべしと、彼地へ至りしもの語りぬ。
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2015年8月27日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 七夕

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「七夕칠석)」にかかわる3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”七夕”)

始めに、年に一度だけ彦星(牽牛)と織姫(織女)が出会う「七夕」について次のように紹介された。
・昔、玉皇上帝の治める国に、牛飼の彦星と機織りの織姫がいた。恋に落ちて仕事を疎かにした二人に怒った玉皇上帝は、二人を天の川の両端に送り、年に一度だけ会えるようにした。いざその日も、二人は天の川にさえぎられて会えない。これを知ったカササギは、二人が会えるよう翼を連ねて架け橋(烏鵲橋)を作った。それを織姫が渡って彦星に出会う日を「七夕」という。明日(8/20)は旧暦7月7日、「七夕」だ。

▼ 演奏曲「牽牛と織女(견우직녀)」を聴く。国楽をカテゴリーにした東洋風バンド。今様である。

・七夕に雨が多い。七夕の前日や当日の雨は、彦星と織姫の喜びの涙、また当日の夜や翌日の雨は、悲しみの涙という。彦星は「わし座」のアルタイル、織姫星は「こと座」のベガにあたる。この二つは天の川を挟み東西に位置し、七夕の頃、空の中央に並ぶ。架け橋を作ったカササギは、七夕が過ぎると頭の毛が抜ける。二人が橋を踏んで渡ったから、橋を作るため石を頭で運んだからなど説がある。実際はこの頃、古い羽から新しい羽に換羽する。伝説は人々が自然を理解する方法でもあった。

次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」から李夢龍(이몽룡)と春香(춘향)の出会いについて次のように紹介された。
・地方官の息子、李夢龍は、ある春の日、楼閣「広寒桜(광한루)」で南原地域の景色を鑑賞した。晴れた日に外出して、美しい乙女に巡り合えるのではと期待した。

▼ パンソリ「春香歌」から「赤城歌(적성가)」を聴く。彦星と織姫に例えて、高いトーンが地声のように歌う。

・<広寒桜も良いが、彦星と織姫の烏鵲橋の方が好きだ>から始まる。<自分は彦星になるが、織姫は誰だろう。ここでその相手と巡り合いたい>という。後に李夢龍と春香が、彦星と織姫に劣らぬ恋に落ちるのを予告する場面である。

最後に、七夕の節句に、星に向かって願い事することについて次のように紹介された。
・七夕は星に関連した節句で、この日に星に向かって願い事をした。北斗七星に向かっては家族の長寿を願った。また、子供たちは学問を、乙女は縫い物が上手になれるように祈った。

▼ 二弦の擦弦楽器の奚琴(해금:ヘグム)の演奏で、「七夕」を聴く。「たなばたさま」(1941年、作詞権藤はなよ、作曲下総皖一)・・・子ども時代を懐かしむ。

2015年8月26日水曜日

イ・ソンヒが歌う「幸せの国へ」

フォークロック歌手ハン・デス(한대수*、韓大洙, 1948年3月12日~)が作詞作曲して歌った「幸せの国へ(행복의 나라로)」(1974年)を、解放70周年を祝う「国民大合唱」(8/15)の舞台で、イ・ソンヒが大学連合合唱団とともに歌った。

(*)ハン・デスの生い立ち(Wikipediaより)
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核物理学者である父ハン・チャンソクとピアニストである母パク・チョンジャの間に生まれた。慶尚南道釜山で生まれ育ったハン・デスは、7才の頃アメリカに留学中だった父が失踪して、後に続いて母が再婚するため、神学者である祖父と住んだ。彼の祖父ハン・ヨンギョ博士はアンダーウッド博士とともに延世大学校を設立して初代学長と大学院長を勤めた。1955年釜山ナム・イル初等学校に入学したが、3年後の1958年にアメリカに移民し、ニューヨークのハーレムにあるP.S 125初等学校を卒業した。1961年、韓国に戻って慶南中学校に入学した。1964年に入学した慶南高等学校を通う間、父を発見したという報せに接して、1965年再びアメリカに渡り、ロングアイランドのA.G Berner高等学校に転校するなど、紆余曲折の末高等学校を終えた。1966年ニューハンプシャー大学獣医学科に入学したがすぐに退学して、適性に合ったニューヨークの写真学校に入学した。・・・
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名門に生まれながら、無力な子ども時代のハン・デスにとって、守るべきものが不在という直面するには余りに大きな人生の波だった。その経験から、本当の幸せを、愛に恵まれる渇望を、軽快なフォーク調ながら青春の葛藤に歌いこんだのではないかと推し量る。四季、人生、風、流れる先に幸せの国を見つけよう・・・。未来への応援歌である。

(Youtubeに登録の강기남に感謝)


(追記) 「3放世代」

若い韓国世代の問題に「3放世代」がある。「就職で非正規職雇用に苦しむ青年を、『88万ウォン世代』と呼び、更に恋愛・結婚・出産を放棄する『3放世代』とも呼んだ。マイホームと人間関係まで放棄した『5放世代』、夢と希望も放棄する『7放世代』が登場した」と、国民日報の記事(8/28)は語っている。ひとごとではない・・・。

2015年8月25日火曜日

「こうのとり」5号の把持・結合完了

宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の5号機「こうのとり5」は、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームにより、昨晩(8/24)19時29分に把持され、本日02時28分に、電力・通信ラインの結合をもって「結合完了」された。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

「こうのとり」は円筒形した少々地味な姿であるが、ISSで油井亀美也宇宙飛行士がロボットアームを操作してキャッチし、NASA管制センターから交信担当者の若田光一氏が支援する様子を見た子どもたちに、宇宙がよりリアルにそしてより身近に感じられたのではないだろうか。子どもたちは未来に生きるのだから、大きな夢を与え託すことは大人の責務だ。

朝日新聞の記事「日本チーム、こうのとりドッキング成功『感慨深い』」(8/25)は、今回のミッションに日本チームが関わっていることについて次のように報じている。(抜粋)
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・こうのとりは19日、鹿児島県の種子島宇宙センターからH2Bロケットで打ち上げられた。24日午後7時29分、ISSに滞在中の油井亀美也宇宙飛行士が操作するロボットアームでキャッチされ、ドッキングに向けて金具による固定や電源の接続などの作業を進めていた。

・キャッチは米ヒューストンの米航空宇宙局(NASA)の管制センターから若田光一さんが支援。筑波宇宙センターからこうのとりの管制にあたったJAXAの松浦真弓リードフライトディレクターは「日本チームで成功できたのは感慨深い。日本人同士通じるものがあり、やりやすかった」と語った。
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8/24 : ISSのロボットアーム(SSRMS)による宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機の把持ライブ中継 =録画
- 映像の時間35分40秒頃から 油井氏、若田両氏の日本語談話が聞こえる。
(Youtubeに登録のJaxa映像)