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2025年12月20日土曜日

(資料: Gemini)北方画家ブリューゲル・フェルメールの日本での普及

中学生のころ、学校の図書館にあった美術全集(十数巻の大部で、古代から現代まで)を1冊ずつ借り出して、興味が湧かぬ授業のとき、こっそり膝の上に置いてながめていた。有名な絵画や彫刻の写真を通じて、美術史を僅かだが知ることができた。
当時、「泰西名画」*という言葉がまだ残っていた。美術全集には、カラーとモノクロのページが混在した美術全集が発行された最後の時代だったのかもしれない。
(*)泰西名画の言葉から、滲んで粗悪なカラー印刷のイメージしか浮かばないのも事実。

日本絵画も含めて、主に西洋美術を中心にした本だった。その中でも、北方ルネッサンス絵画(ファン・アイクなど)を出発に、ブリューゲル(1525年~1530年頃)やフェルメール(1632年~1675年)を知った。また、彫刻について、ドイツ中世の宗教彫刻に関心がいった。天邪鬼だったせいもあって、イタリアルネッサンスの芸術には感心を持つことがなかった・・・。

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”、”ブリューゲル”、”フェルメール”)

高校生になって驚いたのは、(ある程度)リーズナブルなフルカラー美術全集が各出版社から競うように発行されたことだ。ますます絵画に近づいた気がした。

現在、ブリューゲルとフェルメールは大流行していて、Youtubeにもたくさんの解説動画ある。これほどポピュラーになったのは、フルカラーの美術全集が出版されたからに違いないと思い、生成AIの Gemini に確認してみた。


■ Gemini

Q.北方絵画の画家「ブリューゲル」や「フェルメール」が、日本で一般的に知られるようになったのはいつごろで、どんなきっかけだったのでしょうか? 例えば、カラー版美術全集の出版ブーム時代とか・・・。
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A.ブリューゲルやフェルメールが日本で一般的になった時期やきっかけについて、ご推察の通り「カラー版美術全集」の出版ブーム(1960年代後半〜70年代)は非常に大きな役割を果たしました。

それぞれの画家の普及プロセスを紐解くと、以下のようになります。

1. 普及の土壌:カラー版美術全集のブーム

1960年代、高度経済成長とともに日本の家庭に <「カラー版美術全集」> が普及しました。

  • きっかけ: 当時、平凡社や小学館、集英社などが競って豪華な全集を出版し、中流家庭のステータスシンボルとして応接間などに置かれました。

  • 影響: これにより、本場の美術館へ行けなくても、日本人は自宅で高精細な(当時の技術での)北方絵画のディテールに触れることができるようになりました。

2. ピーテル・ブリューゲル:1970年代に「知的な発見」

ブリューゲルが広く認知されたのは、1970年代に入ってからです。

  • 1972年の版画展: 日本初の本格的な紹介は、1972年に鎌倉近代美術館で開催された版画展と言われています。

  • 文学・思想界でのブーム: 1970年代、作家の森鴎外堀辰雄などの文脈から離れ、改めて「中世ヨーロッパの庶民の暮らし」を活写した画家として再発見されました。特に澁澤龍彦などの幻想文学や、歴史家たちが彼の絵を「社会資料」として紹介したことで、知的好奇心の強い層から一般へと人気が広がりました。

  • 現在の立ち位置: 「バベルの塔」などの象徴的なモチーフにより、現在は子供から大人まで知る人気画家となっています。

3. フェルメール:1960年代の初来日と2000年の爆発

フェルメールの認知度は、数回の大きな「波」を経て現在の国民的人気に至っています。

  • 第1波(1968年):初来日

    「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」で、フェルメールの作品が初めて日本にやってきました(『ギターを弾く女』など)。しかし、当時はまだ「レンブラントの影に隠れた名匠」という扱いでした。

  • 第2波(2000年):社会現象化

    大阪市立美術館で開催された <「フェルメールとその時代」展> が決定的なきっかけです。初めて「フェルメール」を冠した大規模な展覧会で、60万人以上を動員。ここから「寡作の天才」「光の魔術師」というイメージが定着し、爆発的なブームが始まりました。

  • なぜ日本で人気?: 静謐な室内画や、控えめな光の表現が、日本人の感性(侘び寂びや私小説的な世界観)にフィットしたことも一因と言われています。

まとめ

画家一般化の時期     主なきっかけ
ブリューゲル      1970年代〜美術全集での紹介、1972年の版画展、文学・歴史文脈での再評価。
フェルメール2000年代〜2000年の大阪での大規模展覧会(それ以前は、美術愛好家の間での人気)。

美術全集は、いわば彼らの「予習」の場となり、その後の展覧会ブームで一気に実物の人気が爆発した、という流れがあります。

当時の美術全集のラインナップや、特定の作品についての詳細な解説などもお手伝いできます。何か気になる作品はありますか?

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2023年12月7日木曜日

大雪2023

きょうは二十四節気の「大雪(たいせつ)」、本格的に雪が降るころ。ひとつ前の二十四節気は「小雪(しょうせつ)」だった。小雪から大雪へ寒気が増して、いよいよ降雪が本格化するを指すが、現状は暖冬(最高気温20.9℃、14:09)。雪の気配はさっぱりない。

(本ブログ関連:”大雪”、”小雪”)

こどもにとって、雪を使って遊ぶ「雪合戦」や、「雪だるま」作りほど楽しいものはない。一方、大人には「雪掻き」の手間や、屋根から雪が落ちる「雪ずり」の心配がある。歳をとると「雪道」で滑って転び、骨折なんてことになると目も当てられない。ますます家から出られない。

とはいえ、雪景色は世界を白一色に変える。深夜に降り積もって、朝目覚めたら景色が銀世界に一変したときの驚きはたらたまらない。


【国立西洋美術館 ギャラリートーク】
ピーテル・ブリューゲル(子)「鳥罠(わな)のある冬景色」
- [解説]国立西洋美術館 主任研究員 中田明日佳(撮影:2016年)

上掲Youtubeは、ピーター・ブリューゲル(父)の作品「鳥罠のある冬景色」を長子がコピー(複製)したもので、国立西洋美術館にあって、それを解説したもの。

(本ブログ関連:”ブリューゲル”)

北方ルネッサンス時代の主要画家は、工房(弟子を含めて)を立て作品作りしていた。名声を得た画家の場合、一族あげてその画術(画業)が引き継がれた。(ブリューゲル家系に、植物画に秀でた者も登場したりしている)
ピーター・ブリューゲル(子)のコピーは、おおかた平凡なものが多い中で、この作品は父親の持つふっくらした描写、質感を残している。

2019年7月30日火曜日

美術展「模写 ー 西洋絵画の輝き」

野川に沿った国分寺崖線の「はけ(崖)」のもとに小さな美術館がある。ここは、今回もそうだが、地方の美術館と連携して、個性的な美術展を開催(巡回)することがあるようだ。以前、イギリス絵画展「風景への視線」を鑑賞したことがある。

(本ブログ関連:”野川”)

今回は「模写ー西洋絵画の輝き」というタイトルで、イタリアおよび北方ルネッサンスやロシアのイコン画を中心に、模写した作品が展示された。しかも、原画が作成された当時の画材・技法を踏襲することにある。

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”)

1階の展示室で目に飛び込んできたのは、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」の新婦図像部分だ。どこまで目を凝らしても精緻である。修復を踏まえた、原画の画材や技法にそった模写の技術の凄さを知る。まさに、模写とは原画を「材質」から忠実に再現することにあるようだ。
油絵具を開発したヤン・ファン・エイクの時代は、「テンペラ技法」から油絵の過渡期であった。今回の美術展は、テンペラの技法を中心に据えており、彼の他作品および同時代の画家たちのテンペラ技法による絵画の模写も展示されている。

こちらも油絵による模写だが、ピーター・ブリューゲル(父)の「鳥罠のある冬景色」も、目を皿にして細部(筆致)を眺めた。模写の取り組みが感じられてくる。そして絵画の見方が一層深まったような気がした。

(本ブログ関連:”ピーター・ブリューゲル”)

2017年5月1日月曜日

ブリューゲルの「バベルの塔」

今年の主要絵画展の一つに、P.ブリューゲルのものがある。彼の作品「バベルの塔」を展示会タイトルにしている。

ブリューゲルとの出会いは、ボッシュにつづく怪奇な絵柄に、いかにも中学生らしい好奇心から関心を持ったのが最初だ。印象派絵画がポピュラーだった時代、表に登場して大きく捉えられたりはしなかったが、彼の題材に農民の生活を描いたものがあって、「農民画家」と呼ばれたりした。いってみれば、ミレーの「落穂ひろい」に、知的な戦前・戦後世代が勝手に共感した想いに似たものだった。それに比べれば、私の興味は漫画的だったかもしれない。

(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)

ところで、ブリューゲルと彼の作品「バベルの塔」との間に、私にとっていまだに距離感がある。「バベルの塔」は、因習と諧謔の世界から、アルプス越えを機会に世界を広げた、宗教的な題材探しの時代のものだろう。ひとまわりして帰着した、その後の作品が農民の風景だったが、もちろん、それを(村を賞賛し、村に還った)人文主義的な共感として描いたとは思えない。人生に対する十分な皮肉と、十分な達観が混じっていた。

「バベルの塔」の絵画理解に建築学的に整合性があるといわれると、ブリューゲルは一体どこへ行ってしまったのかと戸惑うばかり。(北方ルネッサンス特有の空間恐怖的な)細部への執拗なこだわりに、正直、魅かれたことはない。どうして、あんな絵を描いてしまったのかという分析があるのなら、一度は聞いてもいいかなと思う次第*。

(*)Youtube: 山田五郎 オトナの教養講座
① 「【バベルの塔とは?】本当にあったの?神様が怒って壊した?なぜ?高くしすぎたから?ノアの方舟とも関係?そもそもどこに建っていた塔なの?」(2023.9.15)
https://www.youtube.com/watch?v=7APlp7wu_lw
- 当時のアントワルペンの画家たちが、こぞって同じテーマで描いた時代背景まで解説
② 「【超細密な大傑作!】虫メガネ必須級!?「バベルの塔」を細かく見ると掘削隊や鳶職人など建築関係者、なんと洗濯物まで描かれている??さらに遠くの街にも人が!?【バベルの塔・大バベル小バベル】」(2023.9.20)
- https://www.youtube.com/watch?v=p63ARp1Yae0&t=23s
③ 「付録付きテロップ改訂版【完全版!バベルの塔論考】山田五郎オトナの教養講座公認切り抜き【ピーテル・ブリューゲル1世/バベルの塔総集編】」(2024.2.26)
- https://www.youtube.com/watch?v=C3BaIwJWuHs


いまどきの、ブリューゲルへの関心が、主要絵画を見漁った結果、二番手、三番手の希少さを逆に誇るような風潮に遇したものでないことを祈るばかりだ。

2016年11月25日金曜日

クラーナハ展

16世紀初頭活躍した、広義の北方ルネッサンスの画家「ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach)」(1472年10月4日~1553年10月16日)の展覧会が、上野の国立西洋美術館で開催されている。

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”)

昨日の雪降りの寒さとうって変わって、今日は陽射しもあり、この機会に出かけることにした。上野駅を出ると、路肩に雪跡すらない。人出も多く、まるで休日の賑わいだった。

展覧会の名称は、「クラーナハ展 ― 500年後の誘惑」である。この画家の名前を、昔から「ルーカス・クラナッハ」と聞いてきたが、今回、「ルカス・クラーナハ」と呼ばれている。(日本人にとって)ドイツ語らしさが半減するような気がする・・・ドイツ語で登録したYoutube映像を聞くと、「ルーカス・クラナハ」が自然のようだ。以下、親しみのある「クラナッハ」の名で記す。

ルーカス・クラナッハの制作拠点は、ヴィッテンベルク(Wittenberg)で、現在その都市名に「ルターシュタット(Lutherstadt)」を冠している。(クラナッハとルターの関係もあり)それゆえドイツ宗教改革と縁深い。芸術の時代潮流も広義の「北方ルネッサンス」というより、「ドイツ・ルネサンス」と細分化される。そうそう、今は「ルネッサンス」と呼ばず、「ルネサンス」というようだ。

今回、展示を見てクラナッハ作品の印象が変わった。北方ルネッサンスに見るような、繊細で<華奢>な女性像のイメージがあったが、それだけではないということ。クラナッハは宮廷画家として活躍しており、かつイタリアへの遊学(アルプス越え)もあるようで、人物画に多種多様な表現、すなわち豪奢、ふくよかさ、世俗さまである。
宮廷画家としての権威と、工房を持つ親方・プロデューサーの雰囲気も感じた。同時代性を確認する意味から、同じドイツ人の画家「アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)」( 1471年5月21日~1528年4月6日)の作品も配置されたが・・・。

今回、一番驚いたのは、目元が魅力的で惹き付ける「ヴィーナス」(1532年、シュテーデル美術館蔵)の絵のサイズが、37.7×24.5cmだったことだ。もっと大きな絵柄を想像していた。秘かに鑑賞するのか。

展覧会カタログ(ガイドブック)の解説に、「女性の刺激を攻撃的なまでに放つ表現」とある。この一見<華奢>なヴィーナス像に、展覧会のタイトルにある、<誘惑>が込められている。

私としては、この絵に決してふくよかではない、北方のルネッサンス特有の女性像を見てとれる。昔から、ルーカス・クラナッハの絵画として一番先に思い浮かべるものだ。

そうそう、カタログにある、この作品解説の最後に、「このあまりに刺激的な《ヴィーナス》は、もし単独で見つめられるなら、そうした道徳的なメッセージなど、なきものにしてしまうものである」と。

もちろん教科書に載る、ルターの肖像、不釣り合いなカップルなど見られる。また、版画について、その、木版の精緻さも驚く。エッチングに似た「エングレービング」の技法に迫るほどである。木版画の技法も知りたいところだ。なにしろ版画がなければ、作品を広く人々に知られることがなかったのだから。

(展示に、デューラーなど同時代の画家たちの作品を併置するのは了解できても、インスピレーションを受けた現代作家のものは疑問)


(追記:2024.08.28)
■ 山田五郎 オトナの教養講座
「【クラーナハ】エロの匠が描く女性はナイスバディじゃない⁉︎【ヴィーナスとクピド】」(2021/11/26)
https://www.youtube.com/watch?v=d9W7B5SdAJI

2014年10月25日土曜日

遠近法(消失点)

遠近法の絵画に、全てが集中して消える先に一体何があるのだろうか。絵画を見るままに見るといった、共通な視座があるのだろうか。もしかしたら、そのように見慣れているだけではないだろうか。時代とともに、絵画は、制作する者、所有する者、見る者それぞれにとって、入り混じったものがあるのではないだろうか。

(本ブログ関連:”遠近法”)

今の時代、映像を見慣れているので、遠近法は不思議でない。しかし、日本画に遠近法が登場したのは随分と後のことだ。なぜなのだろう・・・結局、日本画は、「日本画」という言葉とは違った存在だったのかもしれない。「西洋画」に対置して東洋画とか日本画といった配置をするのは、何かを歪めているかもしれない。

西洋画の遠近法について妄想したい。残念ながら、日本画の空間認識について何も知らないので・・・。

現実の世界を大きな升目を持つ網目を通して覗き、それと同じ升目のある画布に升目ごと転写すると、リアルな世界が再構成される。升目は一律でなく遠景が空気の厚い層に薄まり、全体像は遠近法の世界に収斂する。絵画工房の画工が気づかぬはずはない。

北方ルネッサンス絵画は、空間を緻密に埋める。隙間があってはならないのだ。間隙が存在したりすると、見える世界が崩壊するとでも思っているのだろうか、一部の隙があってはならないのだ。究極、視座をおろそかにできなくなる。
ファン・アイク(1395年頃~1441年)の「アルノルフィーニ夫妻像」は、遠近法の奥に壁に掛けられた鏡があり、そこに画家本人が描かれている。この絵画は、ファン・アイクの視覚を通したものでもあることになる。まるで、市民社会という視覚でもあるようだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)の初期作品「受胎告知」は、聖母マリアの右手の動きとは別に、精緻に描いた作品と評価される。この絵は、遠景に尖った峰を持つ白い山腹に視線が収斂する。けれど、その消失点を意識されることはないようだ。一点に集中する視座は、特に宗教画には好ましいのかもしれない。

遠近法を合理的な視点でとらえる道具に、ピンホール・カメラを原理にした、カメラ・オブスキュラがある。誰もが一度、ピンホールでできる上下さかさまの映像を見た経験があるだろう。まるで、手に取るように現実世界がすくい取れるような錯覚をする。

フェルメール(1632年~1675年)の絵画が特にアメリカで好まれるという。フェルメールの視座は、ファン・アイクのような自意識を感じられない。見たものを印画紙に落とした、対象化した世界のように見える。カメラ・オブスキュラの世界なのだ。多分、タイム・トリップして彼の時代を覗く即物的な感触が好まれるのだろう。

そして、シネマトグラフの動く映像に市民が驚嘆した時代、印象派の画家たちは格闘していた。当時、カメラ技術の進歩で、今は忘れ去られた写真家たちが絵画と対峙する世界を写し取っていた。画家が、視座を画家個人のものに取り戻そうとした時代、遠近法はどうやら重要ではなくなったようだ。

絵画は、遠近法の奥にある消失点の先に、結局何も見出しえなかったようだ。シネマトグラフがそれを越えたのだから、絵画は画家の自我に直結するしかなくなったのだろう。現代絵画は空間さえ再構成しようとした。

2014年10月19日日曜日

遠近法

子どもの頃、児童画といわれる、遠近法とは全く異なる表現が嫌だった。それは、子どもの時代に見られる独特なもので、(大人が忘れた)子どもらしい表現と絶賛されるものだ。でも、当時は見えるように描いてこそ絵ではないのかと思ったものだ。
(今の私には、児童画の伸びやかな表現が可愛らしくてたまらない・・・歳をとって気づいたが)

児童画は、運動会などを表現するとき、運動場を絵の中心に配置して、絵の上側に頭を上向きにした子どもたちを描くのに対して、絵の下側には頭を下向きにした子どもたちを描く。まるで、地球上の人々を宇宙遠くから眺めるようだ。

これは、視座が運動場の中心にあって、全て見るために頭(眼球)を回転させることからくるのだろう。つまり、視座が絵の中心に配置しながら、視線は固定しない。もし、遠くから俯瞰するように、つまり視座を鳥の目のように上空に置けば、登場人物たちの頭は、すべて上向きになるのだが。そこで、遠近法でない集団画の場合、地面を斜めにして、視座と登場人物とが等距離になるようする。一定の範囲内に、登場人物を集団に分けて配置すると、均等に描写することができる。

例えば、日本画で、屏風絵「洛中洛外図」は、集団を区分するのに雲のようなものを挟み込んでいる。また、好みの絵が多い、北方ルネッサンス絵画の場合、遠近法の表現はあるものの、説明的な要素が多いものがある。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」に見られる宗教的な説諭、ピーター・ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」に見られる世俗の風刺のように、解釈を一義にして見る目を動かすことになる。

(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)

これらの作品は、今でいう絵画というよりは、絵に語られる物語なのではないだろうか。作品を、見る側の立場も含めて理解しなければならないような気がする。作品には3つの立場があるように思う。作品の制作者という立場(所有者と見る者を意識する)、作品の所有者(見せる側)、見る者(見る側)。それぞれが別個であるとは限らない。また、今風の絵画鑑賞という見る側が大衆化してきた時代変遷は興味深い。・・・もしかしたら、遠近法の絵画技法は、世俗化と連動しているのかもしれないなんて考えてしまう。

絵画は最初から「絵画」ではなかったと思う。私は、仏像や仏画が美術や芸術作品として語られるのに、今も違和感を感じる。

2014年6月15日日曜日

ホキ美術館

FIFAワールドカップ「日本対コートジボワール戦」がおこなわれている丁度そのとき、有楽町マリオンにいた。実は朝日ホールで、日本では珍しい写実画専門の美術館である「ホキ美術館」の紹介を兼ねて、四人の画家たちの作品投影と、写実画家としての”本音”トークを聴く機会があった。

以前、クロッキー帳に、絵画集や雑誌写真などから、自分好みのものを毎日鉛筆で描き続けたことがある。15冊ほどになったけれど、転居したタイミングで、その習慣が薄れてしまった。今は、それをときたま懐かしく見ることがある。

(本ブログ関連:”絵画”)

素人がする模写の真似事だったが、丁寧に観察すればするほど、一日では描ききれない。そして、書き始めて気付いたことがある。北方ルネッサンス絵画に見られる、例えば聖母子像の聖母の衣装の襞などは、それ自体に意味があるように巧みに陰影をもって折れている。その執拗さを、たしかホイジンガだったか指摘していたと思うが、空間をそのままに何もないことへの恐怖があるという、ゴシック的な執拗さだ。

まあ、そんな大それた意識があった分けではないけれど、空間を細密に描く写実の世界に触れてみたかった。幸い、講演会場から、千葉の土気にある美術館までバスで運んでくれたのだ。

ホキ美術館は、スマートで近代的な佇まいをした個人美術館である。洒落た建築物の中に、講演会に出席された以外の画家たちの作品も多数展示されていて、十分に時間をかけて鑑賞できた。

作品の一つ一つ、作者の筆致が感じられ、題材を包む空気まで伝わってくるような気がした。一体どんな絵の具と筆を使い、どのような筆使いなのだろう。特に、展示作品のなかで、森本介という画家の、セピア色の絵に吸い込まれた。穏やかな世界が描かれた、(キャンバス自体が東日本大震災を経験したという)少女像の≪未来≫は、光が時間が未来へ流れていくことを気付かせるようだ。見えるものを見えるまま素直に、画家の視線に沿って、描かれた世界に心安らぐ気がする。画家の視線に遊ばせてもらった気がする。

電車で行くには大変かもしれないが、この美術館へまた行きたいと思っている。

2013年7月30日火曜日

旧いメディアは大丈夫かな?

その昔(あるいは今も?)、大きな会場のスクリーンに、リモコン操作でコマ送りできるスライド映写機が使われた。そのスライド写真は今も保管され参照できるのだろうか。

家族の思い出を楽しむツールに、家庭用8mm映像フィルム、VHSやβビデオカメラの録画テープなどがある。さらに、DVDやブルーレイ・ディスクはどうだろう。わずか一世代中に技術革新はすさまじく、次々新商品になって登場して、人々はそのたび付き合わされてきた。

後の世代は、残された様々な機器を操作できるのだろうか。陳腐化したメディアをどう扱えばよいだろうか。東京新聞の記事「開かずの電子資料 OS更新 図書館泣かせ」(7/28、中村陽子)は、PCのOSバージョンアップによる問題を次のように報じている。(抜粋)
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・融資の審査などに使う「第11次 業種別審査事典」CD-ROM版、江戸期に編さんされた名所案内「江戸名所図会」のデジタル解説書…。東京都立中央図書館で、CD-ROMの一枚をパソコンのドライブに入れると、目次までは表示されるが、その先はエラーメッセージが表示され、再生できない

・電子情報の長期保存について研究している小林敏夫氏(神奈川大非常勤講師)は「超長期に情報を保存し、必要な時に再生できる仕組みを作らなければ、やがて大量にデータが消える。その中には人類にとって貴重な情報も含まれるだろう」と指摘する。情報を処理する技術は、この数十年で飛躍的に発達してきたが、保存にはあまり目が向けられてこなかった。「社会活動のほとんどが電子技術に依存する時代。デジタルデータの長期保管の問題は、図書館だけでなく、研究機関や企業も一緒に取り組むべき課題だ」と話している。
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これって、後先き考えない技術進歩の呪縛に気付く・・・工学は時代を超えられない。

ところでわが家は、VHSテープをいつか見るためと、プレーヤーとブラウン管テレビを残しているが、利用した記憶はない。一方、Windows3.1対応の、北方ルネッサンスの画家を紹介したCD「ファン・エイク」(新潮美術ROMシリーズ、1997年)は、Windows7でも以前同様に動作してくれる。運がいいのかな。

2013年3月28日木曜日

ラファエロ展

昨日までの寒さは一体何だったのかと思うほど、今日は暖かだった。春らしい陽気に誘われて、上野にある国立西洋美術館で開催中の「ラファエロ(Raffaello)」展を見に行くことにした。

ルネッサンス期に、わずか37歳で生涯を終わらせたラファエロ・サンツィオ(1483-1520年)の作品展だが、同展によれば「ヨーロッパ以外では初となる大規模なラファエロ展」という。今までこのような特別展がなかったことにちょっと不思議な気がする。(ラファエロに対する評価の風潮がそうさせたのかもしれない)

(本ブログ関連:"ラファエロ")

上野駅の改札口を出て驚いた。小さな子ども連れが多いのだ。春休み?・・・地元の小学校のスケジュールを調べると「3月26日~4月5日までは春休み」とのこと・・・なるほど、もう春休みだったのか。子どもたちは、動物園に行くのかな。
ラファエロ展も観客が後を絶たないほど盛況だった。一部の絵の前では、人だかりして鑑賞がままならないものもあった。混雑時の音声ガイドは、鑑賞の流れにサオさすような気が・・・。

さて、今回の展示画のなかで、まず見たかったのは、作品「大公の聖母」(1505-1506年)だ。フィレンツェ時代に、レオナルド・ダビンチの「繊細な明暗法の影響を受けた」(ラファエロ展「カタログ」:p.76)もので、聖母の穏やかなまなざしに心安らぐ・・・慈愛と、そして未来への微かな不安まで感じる。
この絵の聖母子の背景は、後世に黒く塗りつぶされたというが違和感ない。そう思い込んでいるからだろうか、むしろ絵に落ち着きと静謐すら感じさせる。

北方ルネッサンス好きにとって、おやっという思う解説があった。作品「エリザベータ・ゴンザーガの肖像」(1504年頃)だ。ラファエロが生まれ育ったウルビーノの地に戻り、ウルビーノ公妃となったいささか権高さを漂わすエリザベータを描いたものだ。
「同時期のほかの画家と同様、ラファエロがウルビーノの宮廷でも人気を博していたフランドルの肖像画技法に高い関心を払っているが、その結果、背景に見える風景描写に注意を払うようになった」(同展「カタログ」:p.74)という。実際、あのゴツゴツした岩の雰囲気は、フランドルにあるというよりも、北方の画家がアルプス越えしてまでイタリアに学ぼうとしたとき、アルプスに至る道すがら見た山景ではないだろうかといつも思っているのだが。
フランドルの画法が、逆にイタリにも影響を与えていたというのは楽しい。

カタログの解説「ラファエロ像の変遷と偶像化の過程」(同展「カタログ」:p.34、渡辺晋輔)にも触れられているのだが、ラファエロの下絵を元に作られた版画「パリスの審判」(1513-1515年、マルカントニオ・ライモンディ)の人物配置がおもしろい。版画右下3人の人物配置が、発表時に道徳的に問題視されたマネの作品「草上の食事(昼食)」(1862-1863年)と同じだからだ。このモチーフは、古代のレリーフ以来使われたものだそうだが、どうやらモネの絵の強烈なインパクトから、版画の構図に目がいったというのが正解だろう。

そうそう、ラファエロの作品「自画像」(1504-1506年)はおなじみだ。

2011年10月22日土曜日

ピーター・ブリューゲル

テレビ東京の「美の巨人たち」は、小林薫の淡々として飄々とした語り口で、美術作品を様々な視点で解説する番組だ。先週(10/15)、伝ブリューゲル「イカロスの墜落の風景」を紹介した。

(大)ピーター・ブリューゲルPieter Bruegel, 1525/30年-1569年9月9日)の絵は、芸術作品というより、身近に馴染みやすい、もっと言えば、庶民の体臭さえ感じる。北方ルネッサンス絵画の中で、遊ぶ子どもたちの姿を、収穫の農作業にくたびれて昼寝する農民の姿を、最も人間らしく描いた画家ではないだろうか。以前、本ブログで触れたこともあるが、思い出方々、思ったまま再度記してみよう。

私の中学時代に、国別・時代別の大部の美術全集が学校の図書室に並んでいて、借り出しては、退屈な授業の合間に眺めていた。その全集の中にブリューゲルの作品が収められていた。
当時、「農民画家」と呼ばれて妙な持ち上げ方をされていた。美術全集の中の彼の作品を見れば、そんな評価に違和感を感じたものだ。子どもなので、ボッシュの系列に位置づけられたりする奇想さに関心もあったけれど。

高校時代になると、画家別の手頃な全ページカラー印刷の美術全集が登場して、ブリューゲルもその1巻となった。いろいろな意味で、ファン層が拡大したと思う。

社会人になって、ブリューゲル研究の第1人者である、森洋子教授のオープン講座に出席したところ、なんと会場を中年女性が埋め尽くしていた。海外旅行先を主要商業都市から、競い合うように地方古都市に移していったように、ブリューゲルにも関心が向けられたのだなと複雑な気持ちになった。(ああ、中年女性を敵に回してしまった・・・)

農夫であれ、職人であれ、商人であれ、そして彼らの子どもも含めて、庶民という名に生きて、働き、いつか死ぬひとびとの本当の強さを、ブリューゲルは感じていたのかも知れない。神や神話との距離の同心円内に、庶民も見ていたのだろう。
歴史を超えて、日々働き生活する庶民は、保守的だが強固にその立場を守る。ブリューゲルの絵に、そんな庶民の力強い生活観がいきいきと見えてくる。とはいえ、彼は安易な接近や同調もしなかったろうし、シニカルな目も持っていたことだろう。庶民だって、そのことは承知していたと思う。

今よりも静かな時代、遠くの教会から鐘の音が聞こえてくる、そんな農村風景の中に身を置いて、ブリューゲルの絵を眺めてみたい。

私の好きな、ブリューゲルの絵は、「農家の婚礼」と「農民の踊り」だ。

(本ブログ関連:"イカロス")

2010年1月22日金曜日

イカロス

中学時代、教壇から見て教室の後ろ側の席に座っていた。授業に気乗りしなくなると、図書室から1巻ずつ借りていた美術全集本を取り出しては、膝の上に載せて隠れるように眺めていた。お気に入りは、北方ルネッサンスの巻だった。

代表的な画家ファン・エイク(兄弟)やデューラーは、その正統さに好奇心をくすぐられることはなかった。もっぱら奇妙な画風の画家にひかれたものだ。ボッシュからブリューゲルと、グリューネバルトあたりだった。(もちろん、デューラーの銅版画「メランコリア」には、好奇心を傾けた)
また同美術本に写真で納められた、ドイツ教会彫刻(木彫)の執拗な細密さに驚嘆した。

特に興味を持ったのは、ピーター・ブリューゲル(父)だった。ボッシュの系譜の怪奇な要素と、風刺の効いた庶民の諧謔さの要素に、もっぱら関心が向いた。絵画の中に配置された、ひとこまひとこまを謎解きのように楽しみ見るだけで、授業の退屈さから逃れることができた。
当時、ブリューゲルに「農民画家」という感想を思い浮かべることはなかった。 (むかし「農民画家」といわれたことと、庶民史に通じた現在の「農民画家」の解釈は当然異なるだろう)

後に、ポスターサイズの写真や絵画が流行った時期に、ブリューゲルの作品「農家の婚礼」と「農民の踊り」の印刷物を購入して部屋に飾ったりもした。
また最近では、彼の絵は図象学に囚われているようで、近寄りがたい画家になってしまった。反面、市民講座では人気の画家である。

ブリューゲルの作品に「イカロスの墜落のある風景」がある。<ロウ>で固めた羽をつけたイカロスが上空に飛び、太陽の熱で<ロウ>が溶けて海に墜落したギリシャ神話を題材にしている。その絵は、イカロスがどこにいるのかと探すほどにドラマチックではない。作画同時代の日常風景が(意味を持たせているのだろうが)描かれている。

ところで、宇宙航空開発機構(JAXA)が本年度打ち上げ予定の小型ソーラ電力セイル実証機を「IKAROS(イカロス)」と命名している。太陽の光を受けて、金星軌道に向かって宇宙を航海するというが、神話の通り太陽の方向に近づいていくのだ。この実証機イカロスへのメッセージを公募しているが・・・。

★★★★★ 孫がテレビCMに夢中になり母親の呼びかけに一顧だにしない動画が届いた ★★★★★