今日は二十四節気の「立冬」、冬の始まりだ。一方、気象庁の「冬」は、カレンダー上で定義していて、12月に始まり2月に終わる。この間、一ヶ月ほど間があるが、温暖化の進む今、カレンダーに合わせた方が案外実感に近いかもしれない。
(本ブログ関連:”立冬”)
立冬とはいえ、天気は穏やかで、窓越しに部屋を暖めている。こんな具合ならいいのだが。
でも油断してはいけない、寒さは後ろからやって来る。冬の陽は、春の陽の若芽、夏の陽に照る緑、秋の夕陽に映える黄金の穂といった、生命と直接関わるようにも思えない。冬の寒さは、生命を強靭にする、四季の一局面かもしれないけれど。
近頃、童謡「たきび(たき火)」のような冬の風物はない。枯葉で焼き芋作りの思い出も無理だろう。家々は頑丈で、ガラス窓は小さく、隙間風の心配はない。冬は、街並みから排除されている。
それでも変わらないのは、子どもたちの遊ぶ声だ。何でも遊びにしてしまう彼らの声はありがたい。
2014年11月7日金曜日
2014年11月6日木曜日
(訂正) 砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯
一昨日、本ブログの「マーマレードとザボン」の中で、「中学時代、国語の教科書に、エベレストを初登攀したニュージーランドの養蜂家出身のエドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Percival Hillary)について次のように書かれた文章があった。山中、彼は体を暖めるため、熱い紅茶にマーマレードを溶かし入れて飲んだという(記憶に違いがあるかもしれないが)。」と記述したが、記憶の不確かさが気になり、図書館で確認した。
ヒラリー著「わがエヴェレスト」(松方三郎・島田巽訳、「世界ノンフィクション全集3」、1956年)を見ると、ヒラリーが口にしたのに次のようなものが書かれていた。上記「マーマーレード」について、記述を「砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯」と訂正する。
エベレスト頂上へ登攀途上、高さ8,500メートルに張ったテント中、テンジンが作ってくれた(用意してくれた)のに次のものがあった。
・鶏肉とヌードルのスープ
・ビスケットとサーディン
・ナツメヤシの実
・砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯
・アンズの缶詰
後述に、「しかし、いちばん活動を与えてくれるのは、砂糖を山のように入れた熱いレモン湯だった」とある。ひと寝入りして、いよいよ頂上へと向かう。登頂の結果について、以降、わたしたちは、ヒラリーとテンジンとの固い友情を知ることになる。
上記の書籍が、中学時代の教科書に採用されたものとして、年代的に妥当と思う。図書館で見た本が年代を示すように古色蒼然としていたのに驚いた。紙質の悪い頃だったのだろうか。
中学時代、この全集で最初に読んだのは、「1914年7月」(エミール・ルードウィッヒ、「世界ノンフィクション全集13」)だった。いずれ・・・。
ヒラリー著「わがエヴェレスト」(松方三郎・島田巽訳、「世界ノンフィクション全集3」、1956年)を見ると、ヒラリーが口にしたのに次のようなものが書かれていた。上記「マーマーレード」について、記述を「砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯」と訂正する。
エベレスト頂上へ登攀途上、高さ8,500メートルに張ったテント中、テンジンが作ってくれた(用意してくれた)のに次のものがあった。
・鶏肉とヌードルのスープ
・ビスケットとサーディン
・ナツメヤシの実
・砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯
・アンズの缶詰
後述に、「しかし、いちばん活動を与えてくれるのは、砂糖を山のように入れた熱いレモン湯だった」とある。ひと寝入りして、いよいよ頂上へと向かう。登頂の結果について、以降、わたしたちは、ヒラリーとテンジンとの固い友情を知ることになる。
上記の書籍が、中学時代の教科書に採用されたものとして、年代的に妥当と思う。図書館で見た本が年代を示すように古色蒼然としていたのに驚いた。紙質の悪い頃だったのだろうか。
中学時代、この全集で最初に読んだのは、「1914年7月」(エミール・ルードウィッヒ、「世界ノンフィクション全集13」)だった。いずれ・・・。
2014年11月5日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 天然痘(媽媽)
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第78回として、天然痘を指す「媽媽(마마、マーマ)」にまつわる話を紹介した。
(参考) 韓国民間信仰の伝統的シャーマニズム「巫俗(무속)」で行なわれる祭儀を「クッ(굿)」という。地に根ざした姿をYoutube映像で知ることができる。
始めに、おそろしい感染症と民間信仰の儀式の関わりについて次のように紹介された。
・恐ろしいものを指して、「虎患媽媽(호환마마)よりも怖い」という。恐ろしい人や飲酒運転などのスローガンやタイトルとしても使われる。虎患媽媽の「虎患」は「虎に襲われる災い」を指す。韓国は山が多く、山奥の虎が村に下りてくることも少なくなかった。
・「媽媽」は「天然痘」を指す。昔は、世界的に最も脅威を与えた病のひとつだ。薬もない当時、世界中の死者の1割がこの病で亡くなった。神にお告げを行う「クッ」の儀式で、必ず天然痘を退ける順番があった。また、天然痘を客の意の「ソンニム(손님)」とも呼び、この儀式を「ソンニム・クッ(손님굿)」とも呼んだ。
▼ 東海岸地域の「東海岸別神(동해안 별신)クッ」の中から「ソンニム・クッ」の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。
次に、天然痘に敬称を付ける習わしについて次のように説明された。
・「憎い者にほど良きことをしてあげる」ということわざがある。災いを追い払う方法もこれに似て、災いをむちゃに退けるのでなく、心を込めてもてなすという。王や王妃につける最高の敬称「媽媽」を、最も恐ろしい天然痘にこの敬称を付けた。また、お客様を「ソンニム」とも言い、心を込めてもてなすが、召し上がった後は留まらずに去ってくださいの意があった。
・済州島でも面白い呼び方で「神夫人拝送(マヌラ・ペソン、마누라배송)」とした。現代韓国語で、マヌラは自分の妻を指し、家内とか女房の意だ。媽媽と表現したように、王族や官吏を指す言葉としてマヌラと言った。拝送は見送るの意で、早く去って欲しいことを指す。大切な客でも、早く帰って欲しい相手であった。
▼ 黄海道のクッ「マングデタク(만구대탁)クッ」の中から「ビョルサン・コリ(별상거리)」(ビョルサン:天然痘の神)の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。
最後に、天然痘の予防接収と撲滅の歴史について次のように紹介された。
・朝鮮後期、天然痘予防の「種痘」という予防接種が伝わり、一部地域で実施されたが広く伝わらなかった。薬もない天然痘にかかると、迷信以外に頼るものがなかった。WHO(世界保健機関)は、1967年から天然痘の撲滅を推進して、ソマリアで発生した患者を最後に、1977年には天然痘の根絶を宣言した。
▼ 珍島地域のクッ「珍島シッキム(진도씻김)クッ」の中から「ソンニム・クッ」の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。
(参考) 韓国民間信仰の伝統的シャーマニズム「巫俗(무속)」で行なわれる祭儀を「クッ(굿)」という。地に根ざした姿をYoutube映像で知ることができる。
始めに、おそろしい感染症と民間信仰の儀式の関わりについて次のように紹介された。
・恐ろしいものを指して、「虎患媽媽(호환마마)よりも怖い」という。恐ろしい人や飲酒運転などのスローガンやタイトルとしても使われる。虎患媽媽の「虎患」は「虎に襲われる災い」を指す。韓国は山が多く、山奥の虎が村に下りてくることも少なくなかった。
・「媽媽」は「天然痘」を指す。昔は、世界的に最も脅威を与えた病のひとつだ。薬もない当時、世界中の死者の1割がこの病で亡くなった。神にお告げを行う「クッ」の儀式で、必ず天然痘を退ける順番があった。また、天然痘を客の意の「ソンニム(손님)」とも呼び、この儀式を「ソンニム・クッ(손님굿)」とも呼んだ。
▼ 東海岸地域の「東海岸別神(동해안 별신)クッ」の中から「ソンニム・クッ」の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。
次に、天然痘に敬称を付ける習わしについて次のように説明された。
・「憎い者にほど良きことをしてあげる」ということわざがある。災いを追い払う方法もこれに似て、災いをむちゃに退けるのでなく、心を込めてもてなすという。王や王妃につける最高の敬称「媽媽」を、最も恐ろしい天然痘にこの敬称を付けた。また、お客様を「ソンニム」とも言い、心を込めてもてなすが、召し上がった後は留まらずに去ってくださいの意があった。
・済州島でも面白い呼び方で「神夫人拝送(マヌラ・ペソン、마누라배송)」とした。現代韓国語で、マヌラは自分の妻を指し、家内とか女房の意だ。媽媽と表現したように、王族や官吏を指す言葉としてマヌラと言った。拝送は見送るの意で、早く去って欲しいことを指す。大切な客でも、早く帰って欲しい相手であった。
▼ 黄海道のクッ「マングデタク(만구대탁)クッ」の中から「ビョルサン・コリ(별상거리)」(ビョルサン:天然痘の神)の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。
最後に、天然痘の予防接収と撲滅の歴史について次のように紹介された。
・朝鮮後期、天然痘予防の「種痘」という予防接種が伝わり、一部地域で実施されたが広く伝わらなかった。薬もない天然痘にかかると、迷信以外に頼るものがなかった。WHO(世界保健機関)は、1967年から天然痘の撲滅を推進して、ソマリアで発生した患者を最後に、1977年には天然痘の根絶を宣言した。
▼ 珍島地域のクッ「珍島シッキム(진도씻김)クッ」の中から「ソンニム・クッ」の雰囲気を、近似のYoutube映像と合わせて聴く。
2014年11月4日火曜日
マーマレードとザボン
ジャムにいろいろあれど、私の好みは「マーマレード」だ。とりわけ、鼻腔にツンと来るものがよい。近頃見当たらないが、一体どこへ消えたのだろう。このツンとくる香り、実は塗料の「ニス(ワニス)」に通じる気がする・・・なかなか説明しづらい。
中学時代、国語の教科書に、エベレストを初登攀したニュージーランドの養蜂家出身のエドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Percival Hillary)について次のように書かれた文章があった。山中、彼は体を暖めるため、熱い紅茶にマーマレードを溶かし入れて飲んだという(記憶に違いがあるかもしれないが)。そこだけ妙に心に残って、以来真似している。
(追記)
上記「マーマーレード」の記述を「砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯」に訂正する (11/6)
図書館で、ヒラリー著「わがエヴェレスト」(松方三郎・島田巽訳、「世界ノンフィクション全集3」、1956年)を確認したところ、次のように書かれていた。エベレスト頂上へ登攀途上、高さ8,500メートルに張ったテント中、テンジンが作ってくれた(用意してくれた)ものに次のものがあった。
・鶏肉とヌードルのスープ
・ビスケットとサーディン
・ナツメヤシの実
・砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯
・アンズの缶詰
後述に、「しかし、いちばん活動を与えてくれるのは、砂糖を山のように入れた熱いレモン湯だった」とある。ひと寝入りして、いよいよ頂上へと向かう。登頂の結果について、以降、わたしたちは、ヒラリーとテンジンとの固い友情を知ることになる。
柑橘系の香りが好きなのかもしれない。「ザボン(ブンタン:文旦)」を砂糖水で煮漬け、砂糖をまぶして乾燥させた菓子「ザボン漬」がある。普段、砂糖をまぶしているような菓子を手にしないのに、こればかりは違う。砂糖が落ちないように、ゆっくり口にするのがおかしい。そして、甘いだけでなく、このときも同様に口中に柑橘類特有のツンとくる香りが広がる。
ザボン漬は子どもの頃よく食べた。長崎や熊本などの物産展やアンテナショップで見つけたとき、懐かしさも手伝って購入するくらい。家に帰ると、必ず他の品に一緒にくっついてきている。この菓子、皮肉だけで作るものもあれば、輪切りにしたものもある。どちらもいいが、できれば肉厚でネットリした重量感のものが最高。それなら、前者の方かな。
(追記)
Youtubeにマーマレードの作り方を探していたら、なんと「夏みかんピールの作り方」(登録者marronrecipe、感謝)があった。材料に「オレンジや文旦でも」とのこと・・・なるほど、ザボンの代わりに、夏みかんを使って、ザボン風の菓子ができるということのようだ。(映像では丁寧に作られていたけれそ)真似してみようかな。それにしても砂糖の量の凄いこと。
中学時代、国語の教科書に、エベレストを初登攀したニュージーランドの養蜂家出身のエドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Percival Hillary)について次のように書かれた文章があった。山中、彼は体を暖めるため、熱い紅茶にマーマレードを溶かし入れて飲んだという(記憶に違いがあるかもしれないが)。そこだけ妙に心に残って、以来真似している。
(追記)
上記「マーマーレード」の記述を「砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯」に訂正する (11/6)
図書館で、ヒラリー著「わがエヴェレスト」(松方三郎・島田巽訳、「世界ノンフィクション全集3」、1956年)を確認したところ、次のように書かれていた。エベレスト頂上へ登攀途上、高さ8,500メートルに張ったテント中、テンジンが作ってくれた(用意してくれた)ものに次のものがあった。
・鶏肉とヌードルのスープ
・ビスケットとサーディン
・ナツメヤシの実
・砂糖をいっぱい入れた熱いレモン湯
・アンズの缶詰
後述に、「しかし、いちばん活動を与えてくれるのは、砂糖を山のように入れた熱いレモン湯だった」とある。ひと寝入りして、いよいよ頂上へと向かう。登頂の結果について、以降、わたしたちは、ヒラリーとテンジンとの固い友情を知ることになる。
柑橘系の香りが好きなのかもしれない。「ザボン(ブンタン:文旦)」を砂糖水で煮漬け、砂糖をまぶして乾燥させた菓子「ザボン漬」がある。普段、砂糖をまぶしているような菓子を手にしないのに、こればかりは違う。砂糖が落ちないように、ゆっくり口にするのがおかしい。そして、甘いだけでなく、このときも同様に口中に柑橘類特有のツンとくる香りが広がる。
ザボン漬は子どもの頃よく食べた。長崎や熊本などの物産展やアンテナショップで見つけたとき、懐かしさも手伝って購入するくらい。家に帰ると、必ず他の品に一緒にくっついてきている。この菓子、皮肉だけで作るものもあれば、輪切りにしたものもある。どちらもいいが、できれば肉厚でネットリした重量感のものが最高。それなら、前者の方かな。
(追記)
Youtubeにマーマレードの作り方を探していたら、なんと「夏みかんピールの作り方」(登録者marronrecipe、感謝)があった。材料に「オレンジや文旦でも」とのこと・・・なるほど、ザボンの代わりに、夏みかんを使って、ザボン風の菓子ができるということのようだ。(映像では丁寧に作られていたけれそ)真似してみようかな。それにしても砂糖の量の凄いこと。
2014年11月3日月曜日
入間航空祭
西武池袋線の「稲荷山公園駅」そばにある入間基地に行ってきた。本日開催の「入間航空祭」で演じられるブルーインパルスのアクロバット飛行を見るためだ。飛行場といっても、地元の都営「調布飛行場」と違い、自衛隊基地のため、このような機会がなければ中に入ることはできない。幸い、航空祭は穏やかな天気に恵まれた、絶好のタイミングだった。
それに、右膝打撲の本格的リハビリテーションも兼ねて、いざ行かん・・・。
(本ブログ関連:”調布飛行場”)
駅から大変な人混み様、流れに任せてたどり着いた滑走路前の(整備場前の)広場は、既に場所取りされていた。しかも、滑走路近くに至っては、左の写真のように、イベントの迫力を楽しもうと人垣ができ、更に集中した。
(写真: 左手に駐機するのはブルーインパルスのT-4、右手奥は輸送機C-1と点検機YS-11FC、手前で太鼓演奏が轟いた)
圧巻は、何といっても4+2のブルーインパルスの隊形だ。轟音とともに、ときに編隊で、ときに数機でひとびとの視線を青空に釘付けする。そのたび、地上に歓声と拍手が起こった。
歳とともに、パイロットひとりひとりの存在を重く感じるようになった。彼らの妙技に感嘆すると同時に、彼らを待つ家族も考えずにおられない。実は、会場に入るとき、基地内を横切る西武線の踏み切りで、客を誘導する若い隊員が手を挙げたとき、結婚指輪がキラッと輝いた。彼も家族を背負っているのだと思った。
ブルーインパルスの飛行を間近に見て、子どもの頃の夢が十分満たされた。パイロットになれなかったが、夢は忘れていない。大人になって、宮崎駿のアニメ「紅の豚」や「風立ちぬ」を一人秘かに見に行ったりした。
(追記)
そういえば、ニコラス・ケイジが、映画「ザ・ロック(The Rock)」のラストで、サンフランシスコ湾に浮かぶ監獄島アルカトラズを消滅させるため飛び立った空軍機に、間一髪で回避させる場面を思い出した。映画のように低空飛行ではないけれど、迫力十分だった。
それに、右膝打撲の本格的リハビリテーションも兼ねて、いざ行かん・・・。
(本ブログ関連:”調布飛行場”)
駅から大変な人混み様、流れに任せてたどり着いた滑走路前の(整備場前の)広場は、既に場所取りされていた。しかも、滑走路近くに至っては、左の写真のように、イベントの迫力を楽しもうと人垣ができ、更に集中した。
(写真: 左手に駐機するのはブルーインパルスのT-4、右手奥は輸送機C-1と点検機YS-11FC、手前で太鼓演奏が轟いた)
圧巻は、何といっても4+2のブルーインパルスの隊形だ。轟音とともに、ときに編隊で、ときに数機でひとびとの視線を青空に釘付けする。そのたび、地上に歓声と拍手が起こった。
歳とともに、パイロットひとりひとりの存在を重く感じるようになった。彼らの妙技に感嘆すると同時に、彼らを待つ家族も考えずにおられない。実は、会場に入るとき、基地内を横切る西武線の踏み切りで、客を誘導する若い隊員が手を挙げたとき、結婚指輪がキラッと輝いた。彼も家族を背負っているのだと思った。
ブルーインパルスの飛行を間近に見て、子どもの頃の夢が十分満たされた。パイロットになれなかったが、夢は忘れていない。大人になって、宮崎駿のアニメ「紅の豚」や「風立ちぬ」を一人秘かに見に行ったりした。
(追記)
そういえば、ニコラス・ケイジが、映画「ザ・ロック(The Rock)」のラストで、サンフランシスコ湾に浮かぶ監獄島アルカトラズを消滅させるため飛び立った空軍機に、間一髪で回避させる場面を思い出した。映画のように低空飛行ではないけれど、迫力十分だった。
2014年11月2日日曜日
イ・ソンヒの「リンゴの木の下で」
この時期、リンゴの話になる。それも輪切りして食ってしまった大きさを思い返して、一年を無為に徒食したと慨嘆する、ついついそんな例えにリンゴの実は都合がよい。
リンゴは花が咲き、実が実のり、その香りするときがよいけれど、物語のリンゴ畑には、アンビバレンツな要素が欠かせない。それに、どこか異国の風がするのはなぜだろう。Wikipediaによれば、「日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたもの」との記述がある。
イ・ソンヒの13集「四春期」に所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)は、洒落た旋律に想いを深く重ねたよう。リンゴ畑には、本当は何もないのだが・・・。
(本ブログ関連:”リンゴの木の下で”)
ところで、最近は見かけなくなった印度リンゴが好きだったなあ。
(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)
リンゴは花が咲き、実が実のり、その香りするときがよいけれど、物語のリンゴ畑には、アンビバレンツな要素が欠かせない。それに、どこか異国の風がするのはなぜだろう。Wikipediaによれば、「日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたもの」との記述がある。
イ・ソンヒの13集「四春期」に所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)は、洒落た旋律に想いを深く重ねたよう。リンゴ畑には、本当は何もないのだが・・・。
(本ブログ関連:”リンゴの木の下で”)
ところで、最近は見かけなくなった印度リンゴが好きだったなあ。
(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)
2014年11月1日土曜日
11月のある日
いよよ残り2ヶ月。といえば日々忙しく振舞う言い草のよう。けれど、そうじゃない。いつのまにか、気付けば11月になっていた。一年を一個のリンゴに例えると、縦割りした実をとっくに、5/6も食ってしまったわけ。今は1/6しかない。
小さな頃、親父がリンゴを剥いて切ってくれたとき、何度も呼び寄せようと実を小さくしてくれた・・・何度も何度も戻っては頂だいをいって、口に入れてもらった記憶がある。小さなリンゴも悪くはない。
ところで、それぞれ年末の計画を教室で語り合ったけど、私には計画も予定もないとしか答えようがない。残りが少ないのに、まだある、まだあると考えていた。何もかも含めてそんなものだ。
今日、11月に入ったばかり。右膝が回復したら、薄紫の妖精(結晶)、セリウム・フローレンスに会いたい。そういえば、今月末、魚の干物巡りなんてことを計画していたのを思い出した。
今月にちなんだ、ギター曲「11月のある日(Un día de noviembre)」(1968年、レオ・ブローウェル(Leo Brouwer、1939年~))を聴いてみよう。キューバの作家とはいえ、ジュリアードで師事したような方だから、この曲に、11月にどんな思いを込めているのだろう。ハバナとニューヨークでは趣も感傷も誘い方が異なるだろうけれど(映画のサウンドトラックだったという噂もあるようだが)。さあ、年の瀬に浮かび流れていこうか・・・。
(Youtubeに登録のCecilio Pereraに感謝)
小さな頃、親父がリンゴを剥いて切ってくれたとき、何度も呼び寄せようと実を小さくしてくれた・・・何度も何度も戻っては頂だいをいって、口に入れてもらった記憶がある。小さなリンゴも悪くはない。
ところで、それぞれ年末の計画を教室で語り合ったけど、私には計画も予定もないとしか答えようがない。残りが少ないのに、まだある、まだあると考えていた。何もかも含めてそんなものだ。
今日、11月に入ったばかり。右膝が回復したら、薄紫の妖精(結晶)、セリウム・フローレンスに会いたい。そういえば、今月末、魚の干物巡りなんてことを計画していたのを思い出した。
今月にちなんだ、ギター曲「11月のある日(Un día de noviembre)」(1968年、レオ・ブローウェル(Leo Brouwer、1939年~))を聴いてみよう。キューバの作家とはいえ、ジュリアードで師事したような方だから、この曲に、11月にどんな思いを込めているのだろう。ハバナとニューヨークでは趣も感傷も誘い方が異なるだろうけれど(映画のサウンドトラックだったという噂もあるようだが)。さあ、年の瀬に浮かび流れていこうか・・・。
(Youtubeに登録のCecilio Pereraに感謝)
2014年10月31日金曜日
ハロウィン
毎年、この時期、「日本でハロウィンは・・・」とブツブツいっても始まらない。でも、一つだけ、いいたいことがある。あれって、まだ子どもたちに受け入られてないでしょ、だって彼らは、何とかウォッチに夢中だもん。
(本ブログ関連:”ハロウィン”)
ファッション・娯楽イベント・食品・メディア業界 ⇒ 若い女性(⇒若い母親⇒子ども) ⇒ 周りの男性
流行の注入口が、バレンタインデーのように、日本オリジナルになってしまってないだろうか。バター風味がして、オレンジ色ばかりがが目立つ。
でもねえ、若い人たちへ、ブツブツいえるかどうか。高度成長時代、全員が謳歌したときは、もっと凄まじかった。この時期、遊びの名目(イベント)が足りないからと、若者たちが遊ぶ機会を作ったとしても、それをとやかくいうものじゃない。
おじさんは、そういって納得する。でもねえ、ケルトだ、キリスト教との習合だとか・・・いってもねえ。
(本ブログ関連:”ハロウィン”)
ファッション・娯楽イベント・食品・メディア業界 ⇒ 若い女性(⇒若い母親⇒子ども) ⇒ 周りの男性
流行の注入口が、バレンタインデーのように、日本オリジナルになってしまってないだろうか。バター風味がして、オレンジ色ばかりがが目立つ。
でもねえ、若い人たちへ、ブツブツいえるかどうか。高度成長時代、全員が謳歌したときは、もっと凄まじかった。この時期、遊びの名目(イベント)が足りないからと、若者たちが遊ぶ機会を作ったとしても、それをとやかくいうものじゃない。
おじさんは、そういって納得する。でもねえ、ケルトだ、キリスト教との習合だとか・・・いってもねえ。
2014年10月30日木曜日
紅葉(もみじ)
道で転んで、右膝小僧をすりむいたのが、ちょうど3週間前の夜。今も歩くに少々かばい気味。急なねじりや、しゃがんでハンマーを振り下ろす、山中の鉱物採集に出向くには、ちょっと時間が要りそう。どっぷり秋が深まったというに、身動きできないのは残念。
秋といえば、小学生の頃好きでよく口ずさんだ歌に「秋の夕日に 照る山紅葉(もみじ)」で始まる、「紅葉(もみじ)」(作詞 高野辰之(1876年~1947年)、作曲 岡野貞一(1878年~1941年))がある。紅葉の織り成す華やかさというよりは、夕暮れに薄まる山裾が処どころ陽を受けて、そこだけ彩る静かな情景を想像したりした。当時、子どもの耳に日常入ってくる音楽と比べて、上品さがよかった。
(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)
2014年10月29日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 煙草
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第77回として、「煙草(담배:tobaco)」にまつわる話を紹介した。
始めに、朝鮮王朝22代国王正祖(정조/이산、1752年~1800年)と煙草のまつわる話しを次のように紹介された。
・正祖の代、文化が大きく花開き、煙草が伝わったのもこの頃。正祖は愛煙家と知られ、国の高官選抜試験に煙草について出題したほどだ。
・学問に優れ、ハングル創生の世宗(세종、1397年~1450年)の如く学問好きの王と知られた。国政に情熱を注ぎ、疲れも人並み以上だったろう。そんな彼の唯一慰めが煙草だった。読書以外に趣味はなく、若い時から学問にだけ没頭し、疲れをに眠れぬ夜も多かった。王位に就いて以来、病がひどく薬も効かぬとき、(日本伝来の)南靈草(남령초=煙草)だけが症状を和らげた記録がある、彼は煙を吸うと胸がすっきりしてよく眠れたと話した。
▼ (童謡)民謡「辛い唐辛子食べてめーめm、煙草の煙吸ってめーめm(고추 먹고 맴맴 담배 먹고 맴맴)」を聴く。(「めーめm」:子どもたちがぐるぐるまわり遊びをしながら唱える掛け声)
次に、正祖が愛した煙草の起源と伝来について、次にように説明された。
・正祖は、煙草好きだが、健康への影響は考えなかったか。煙草に、肺を痛める可能性があると、伝来時に知られていた。煙草を止めなかったのは、公務のストレスのためと推測される。
・1616年、朝鮮に煙草が伝わった。その数年後の1622年、身分や老若男女を問わず煙草が広まった。アメリカのインディアンに始まったとされる煙草は、1550年代後半、ヨーロッパで栽培されるようになり、その約50年後、既にアジア、朝鮮まで伝わる。南米のジャガイモがヨーロッパに伝わるのに200年近くかかったのに比べて、煙草は速く世界に広まった。
▼ 煙草の打令(타령)の歌「煙草打令(담바귀타령)」を聴く。たたみ掛けるように、次へ次へと移る。
最後に、煙草の商品化、風俗化にまつわる話しを次のように紹介された。
・当時、煙草は食糧にも深刻な影響を与えた。農家が米よりも煙草栽培を優先したからだ。米を作るべき田が煙草栽培の畑に変わったのだ。
・また、煙草は人の関係にも影響した。正祖の臣下、蔡濟恭(채제공)は、煙草に関わる出来事で、官職を辞そうとしたことがある。あるとき、道端で、乱れた服装で煙草を吸う若者の一団に注意したところ、反発した若者を結局捕えたが、彼らの友人たちが押し寄せ徹夜して座り込んだため、結局、煙草のせいで恥をかいたという逸話がある。
▼ 「煙草の害悪(담배의 해악)」を聴く。・・・
始めに、朝鮮王朝22代国王正祖(정조/이산、1752年~1800年)と煙草のまつわる話しを次のように紹介された。
・正祖の代、文化が大きく花開き、煙草が伝わったのもこの頃。正祖は愛煙家と知られ、国の高官選抜試験に煙草について出題したほどだ。
・学問に優れ、ハングル創生の世宗(세종、1397年~1450年)の如く学問好きの王と知られた。国政に情熱を注ぎ、疲れも人並み以上だったろう。そんな彼の唯一慰めが煙草だった。読書以外に趣味はなく、若い時から学問にだけ没頭し、疲れをに眠れぬ夜も多かった。王位に就いて以来、病がひどく薬も効かぬとき、(日本伝来の)南靈草(남령초=煙草)だけが症状を和らげた記録がある、彼は煙を吸うと胸がすっきりしてよく眠れたと話した。
▼ (童謡)民謡「辛い唐辛子食べてめーめm、煙草の煙吸ってめーめm(고추 먹고 맴맴 담배 먹고 맴맴)」を聴く。(「めーめm」:子どもたちがぐるぐるまわり遊びをしながら唱える掛け声)
次に、正祖が愛した煙草の起源と伝来について、次にように説明された。
・正祖は、煙草好きだが、健康への影響は考えなかったか。煙草に、肺を痛める可能性があると、伝来時に知られていた。煙草を止めなかったのは、公務のストレスのためと推測される。
・1616年、朝鮮に煙草が伝わった。その数年後の1622年、身分や老若男女を問わず煙草が広まった。アメリカのインディアンに始まったとされる煙草は、1550年代後半、ヨーロッパで栽培されるようになり、その約50年後、既にアジア、朝鮮まで伝わる。南米のジャガイモがヨーロッパに伝わるのに200年近くかかったのに比べて、煙草は速く世界に広まった。
▼ 煙草の打令(타령)の歌「煙草打令(담바귀타령)」を聴く。たたみ掛けるように、次へ次へと移る。
最後に、煙草の商品化、風俗化にまつわる話しを次のように紹介された。
・当時、煙草は食糧にも深刻な影響を与えた。農家が米よりも煙草栽培を優先したからだ。米を作るべき田が煙草栽培の畑に変わったのだ。
・また、煙草は人の関係にも影響した。正祖の臣下、蔡濟恭(채제공)は、煙草に関わる出来事で、官職を辞そうとしたことがある。あるとき、道端で、乱れた服装で煙草を吸う若者の一団に注意したところ、反発した若者を結局捕えたが、彼らの友人たちが押し寄せ徹夜して座り込んだため、結局、煙草のせいで恥をかいたという逸話がある。
▼ 「煙草の害悪(담배의 해악)」を聴く。・・・
2014年10月28日火曜日
イ・ソンヒの参加はなかった: MCモン6集
ニュースを見て、正直MCモンの音楽分野に関心が薄いせいもあって、そうだったのか・・・という感じだ。MKスポーツの記事「MCモン6集『Miss Me or Diss Me』(私を恋しいか、それとも、ののしるか)、イ・ソンヒの参加はなかった」(10/28、イ・チヨン インターン記者)は、MCモンの最新アルバムにイ・ソンヒが参加しなかったと次のように報じている。
関心の薄さについて断っておくと、MCモンだからではなく、今回のアルバムがどんなものかも知らないが、ヒップ・ホップの世界に寄っていく気力はないのです。おじさんとしては、既に「選択と集中」の時代に突入しているのですから・・・相済みません。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒ、MCモンとコラボか”)
----------------------------------------------------
・MCモンのカムバックが目前に迫ってきた。MCモンは、11月3日、5年ぶりに正規アルバムを発表する。2009年に発表した正規5集以後、5年ぶりのカムバックである。MCモンの6集アルバムは、全13曲の収録曲で構成されており、9曲目(トラックリスト)の「0904」を除く12曲が、同僚歌手のフィーチャリングで飾られた歌だ。
・今月初めに、MCモン、イ・ソンヒ、ケリー、ペク・チョン、ホ・ガク、ヒョリン、エイーリーなど国内有名なミュージシャンがフューチャリングした音源を出すと予告した。しかし、公開されたトラックリストによれば、イ・ソンヒは、今回のアルバムに参加していなかった。
(以下略)
----------------------------------------------------
関心の薄さについて断っておくと、MCモンだからではなく、今回のアルバムがどんなものかも知らないが、ヒップ・ホップの世界に寄っていく気力はないのです。おじさんとしては、既に「選択と集中」の時代に突入しているのですから・・・相済みません。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒ、MCモンとコラボか”)
----------------------------------------------------
・MCモンのカムバックが目前に迫ってきた。MCモンは、11月3日、5年ぶりに正規アルバムを発表する。2009年に発表した正規5集以後、5年ぶりのカムバックである。MCモンの6集アルバムは、全13曲の収録曲で構成されており、9曲目(トラックリスト)の「0904」を除く12曲が、同僚歌手のフィーチャリングで飾られた歌だ。
・今月初めに、MCモン、イ・ソンヒ、ケリー、ペク・チョン、ホ・ガク、ヒョリン、エイーリーなど国内有名なミュージシャンがフューチャリングした音源を出すと予告した。しかし、公開されたトラックリストによれば、イ・ソンヒは、今回のアルバムに参加していなかった。
(以下略)
----------------------------------------------------
2014年10月27日月曜日
Chromeの管理(ブックマーク、タブなど)文字が”囗”になること
実は困ったことがあった。Chromeのバージョンが「38.0.2125.104 m」に上がって以来、Chromeの管理(ブックマーク、タブなど)文字のうち、ハングルだけが ”囗” 表示になってしまった。(漢字、かな、アルファベットは表示)
この現象をChromeのヘルプにある「問題報告」に通知したが・・・いつか改善されるだろうと。
ユーザーに解消策がないものか気になりネットに探してみると、次のYAHOO「知恵袋」で名案を見つけた。感謝。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12137179822
質問者の回答者に対するお礼コメントに述べられた通り実行(Chrome再起動も!)すると、ハングルが無事表示された。(「その他の返信」にある、書体は”Meiryo UI”に変更するのが見やすくていいですね)
この現象をChromeのヘルプにある「問題報告」に通知したが・・・いつか改善されるだろうと。
ユーザーに解消策がないものか気になりネットに探してみると、次のYAHOO「知恵袋」で名案を見つけた。感謝。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12137179822
質問者の回答者に対するお礼コメントに述べられた通り実行(Chrome再起動も!)すると、ハングルが無事表示された。(「その他の返信」にある、書体は”Meiryo UI”に変更するのが見やすくていいですね)
2014年10月26日日曜日
和菓子「御栗林」
近所の駅のそばに小さな和菓子屋があって、地元伝統の(幕府献上品であった)栗の実を使った、新しい和菓子を知らせる幟(のぼり)を店頭に立てている。外出の折、寄ってみた。
(本ブログ関連:”栗林”)
栗の実を丸々使った洋菓子や和菓子は他にもいろいろある。この和菓子がどんな工夫をしているのか関心があったからだ。柔らかにした栗の実の周りを、ぼそぼそ乾いた餡でくるみ、全体を固めの皮で包み仕上げている。総じて甘みは抑えられている。年配者には、栗の実の食感の乏しさと、(ビニールパックしているが)乾燥気味なのが少々気になる。
観光地の土産品と似たものにならぬよう、地元の歴史を備えた栗の実を使っているゆえ、まだまだ工夫を加えてしっかりした銘菓になって欲しい。
(本ブログ関連:”栗林”)
栗の実を丸々使った洋菓子や和菓子は他にもいろいろある。この和菓子がどんな工夫をしているのか関心があったからだ。柔らかにした栗の実の周りを、ぼそぼそ乾いた餡でくるみ、全体を固めの皮で包み仕上げている。総じて甘みは抑えられている。年配者には、栗の実の食感の乏しさと、(ビニールパックしているが)乾燥気味なのが少々気になる。
観光地の土産品と似たものにならぬよう、地元の歴史を備えた栗の実を使っているゆえ、まだまだ工夫を加えてしっかりした銘菓になって欲しい。
2014年10月25日土曜日
遠近法(消失点)
遠近法の絵画に、全てが集中して消える先に一体何があるのだろうか。絵画を見るままに見るといった、共通な視座があるのだろうか。もしかしたら、そのように見慣れているだけではないだろうか。時代とともに、絵画は、制作する者、所有する者、見る者それぞれにとって、入り混じったものがあるのではないだろうか。
(本ブログ関連:”遠近法”)
今の時代、映像を見慣れているので、遠近法は不思議でない。しかし、日本画に遠近法が登場したのは随分と後のことだ。なぜなのだろう・・・結局、日本画は、「日本画」という言葉とは違った存在だったのかもしれない。「西洋画」に対置して東洋画とか日本画といった配置をするのは、何かを歪めているかもしれない。
西洋画の遠近法について妄想したい。残念ながら、日本画の空間認識について何も知らないので・・・。
現実の世界を大きな升目を持つ網目を通して覗き、それと同じ升目のある画布に升目ごと転写すると、リアルな世界が再構成される。升目は一律でなく遠景が空気の厚い層に薄まり、全体像は遠近法の世界に収斂する。絵画工房の画工が気づかぬはずはない。
北方ルネッサンス絵画は、空間を緻密に埋める。隙間があってはならないのだ。間隙が存在したりすると、見える世界が崩壊するとでも思っているのだろうか、一部の隙があってはならないのだ。究極、視座をおろそかにできなくなる。
ファン・アイク(1395年頃~1441年)の「アルノルフィーニ夫妻像」は、遠近法の奥に壁に掛けられた鏡があり、そこに画家本人が描かれている。この絵画は、ファン・アイクの視覚を通したものでもあることになる。まるで、市民社会という視覚でもあるようだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)の初期作品「受胎告知」は、聖母マリアの右手の動きとは別に、精緻に描いた作品と評価される。この絵は、遠景に尖った峰を持つ白い山腹に視線が収斂する。けれど、その消失点を意識されることはないようだ。一点に集中する視座は、特に宗教画には好ましいのかもしれない。
遠近法を合理的な視点でとらえる道具に、ピンホール・カメラを原理にした、カメラ・オブスキュラがある。誰もが一度、ピンホールでできる上下さかさまの映像を見た経験があるだろう。まるで、手に取るように現実世界がすくい取れるような錯覚をする。
フェルメール(1632年~1675年)の絵画が特にアメリカで好まれるという。フェルメールの視座は、ファン・アイクのような自意識を感じられない。見たものを印画紙に落とした、対象化した世界のように見える。カメラ・オブスキュラの世界なのだ。多分、タイム・トリップして彼の時代を覗く即物的な感触が好まれるのだろう。
そして、シネマトグラフの動く映像に市民が驚嘆した時代、印象派の画家たちは格闘していた。当時、カメラ技術の進歩で、今は忘れ去られた写真家たちが絵画と対峙する世界を写し取っていた。画家が、視座を画家個人のものに取り戻そうとした時代、遠近法はどうやら重要ではなくなったようだ。
絵画は、遠近法の奥にある消失点の先に、結局何も見出しえなかったようだ。シネマトグラフがそれを越えたのだから、絵画は画家の自我に直結するしかなくなったのだろう。現代絵画は空間さえ再構成しようとした。
(本ブログ関連:”遠近法”)
今の時代、映像を見慣れているので、遠近法は不思議でない。しかし、日本画に遠近法が登場したのは随分と後のことだ。なぜなのだろう・・・結局、日本画は、「日本画」という言葉とは違った存在だったのかもしれない。「西洋画」に対置して東洋画とか日本画といった配置をするのは、何かを歪めているかもしれない。
西洋画の遠近法について妄想したい。残念ながら、日本画の空間認識について何も知らないので・・・。
現実の世界を大きな升目を持つ網目を通して覗き、それと同じ升目のある画布に升目ごと転写すると、リアルな世界が再構成される。升目は一律でなく遠景が空気の厚い層に薄まり、全体像は遠近法の世界に収斂する。絵画工房の画工が気づかぬはずはない。
北方ルネッサンス絵画は、空間を緻密に埋める。隙間があってはならないのだ。間隙が存在したりすると、見える世界が崩壊するとでも思っているのだろうか、一部の隙があってはならないのだ。究極、視座をおろそかにできなくなる。
ファン・アイク(1395年頃~1441年)の「アルノルフィーニ夫妻像」は、遠近法の奥に壁に掛けられた鏡があり、そこに画家本人が描かれている。この絵画は、ファン・アイクの視覚を通したものでもあることになる。まるで、市民社会という視覚でもあるようだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)の初期作品「受胎告知」は、聖母マリアの右手の動きとは別に、精緻に描いた作品と評価される。この絵は、遠景に尖った峰を持つ白い山腹に視線が収斂する。けれど、その消失点を意識されることはないようだ。一点に集中する視座は、特に宗教画には好ましいのかもしれない。
遠近法を合理的な視点でとらえる道具に、ピンホール・カメラを原理にした、カメラ・オブスキュラがある。誰もが一度、ピンホールでできる上下さかさまの映像を見た経験があるだろう。まるで、手に取るように現実世界がすくい取れるような錯覚をする。
フェルメール(1632年~1675年)の絵画が特にアメリカで好まれるという。フェルメールの視座は、ファン・アイクのような自意識を感じられない。見たものを印画紙に落とした、対象化した世界のように見える。カメラ・オブスキュラの世界なのだ。多分、タイム・トリップして彼の時代を覗く即物的な感触が好まれるのだろう。
そして、シネマトグラフの動く映像に市民が驚嘆した時代、印象派の画家たちは格闘していた。当時、カメラ技術の進歩で、今は忘れ去られた写真家たちが絵画と対峙する世界を写し取っていた。画家が、視座を画家個人のものに取り戻そうとした時代、遠近法はどうやら重要ではなくなったようだ。
絵画は、遠近法の奥にある消失点の先に、結局何も見出しえなかったようだ。シネマトグラフがそれを越えたのだから、絵画は画家の自我に直結するしかなくなったのだろう。現代絵画は空間さえ再構成しようとした。
2014年10月24日金曜日
ノート(筆記帳)サイズ、A4それともB5
仕事で文書作成にパソコンだけを使い、手書きの習慣からすっかり疎遠になって以来、あるとき驚いた。久し振りにノート帳に手書きすると、文字が恐ろしく汚いのだ。もともと綺麗な文字だったわけではないが、それにしても余りにまずい。
指先のコントロールがきかなくなったのか、すっきりした線が引けなくなっているのだ。もしかしたら歳のせいかと思い、文字を小さくすれば力も要らず小奇麗にまとまると思いきや、それも満足なものでなかった。どうやら、手書きの基本動作を忘れてしまったようだ。手書きの習慣の必要性を痛感した。
ノート(筆記帳)の場合、書道と違い、コンスタントに簡潔な文字を書き記した方が後で見やすい。指先を力まず、流れるように書ければベストだ。0.5mm、4B芯のシャープペンシルと、ノック式の消しゴムを使っている。どちらも力をコントロールしやすいからだ。
学生時代、授業内容を漏らさず記そうと、大判のA4サイズを使った。書き足し、補足、付記に便利だからだ。しかし、そんな余力もなく、何もかも書くことを止めてエッセンスだけ残せばよいという風に考えを改めると、ノートサイズは小型のB5サイズで十分と気付いた。
適時、適当な場所で見直すのに便利なノートサイズはB5だろう。一般書もB5サイズが多い。日本人の体形にあっているのかもしれない。もしA4サイズのノートを使うと、持ち運びにA4が入るバッグが必要になり、ついつい何でも入れてしまい重くなる。ノートを基準に、動作につながる物のサイズを考えるとよいのかもしれない。
最近は、A6のメモ帳を重宝している。思いつくものを何でも記入している。つまり、どんどん身軽になってきている。
指先のコントロールがきかなくなったのか、すっきりした線が引けなくなっているのだ。もしかしたら歳のせいかと思い、文字を小さくすれば力も要らず小奇麗にまとまると思いきや、それも満足なものでなかった。どうやら、手書きの基本動作を忘れてしまったようだ。手書きの習慣の必要性を痛感した。
ノート(筆記帳)の場合、書道と違い、コンスタントに簡潔な文字を書き記した方が後で見やすい。指先を力まず、流れるように書ければベストだ。0.5mm、4B芯のシャープペンシルと、ノック式の消しゴムを使っている。どちらも力をコントロールしやすいからだ。
学生時代、授業内容を漏らさず記そうと、大判のA4サイズを使った。書き足し、補足、付記に便利だからだ。しかし、そんな余力もなく、何もかも書くことを止めてエッセンスだけ残せばよいという風に考えを改めると、ノートサイズは小型のB5サイズで十分と気付いた。
適時、適当な場所で見直すのに便利なノートサイズはB5だろう。一般書もB5サイズが多い。日本人の体形にあっているのかもしれない。もしA4サイズのノートを使うと、持ち運びにA4が入るバッグが必要になり、ついつい何でも入れてしまい重くなる。ノートを基準に、動作につながる物のサイズを考えるとよいのかもしれない。
最近は、A6のメモ帳を重宝している。思いつくものを何でも記入している。つまり、どんどん身軽になってきている。
2014年10月23日木曜日
イ・ソンヒがファッションコレクションを待つ写真
イ・ソンヒについて、実はよく語れないことがある。彼女の髪型とか服装のファッションなど、女性ならご存知だろうが、そのスタイル名についてだ。もともと、短髪にメガネとズボンスタイルという飾り気のないのがトレードマークのため、過去の新聞記事などで、彼女のファッションを詳しく触れているものをあまり見たことがない。
(日本の)女性ファンが、イ・ソンヒのファッションについて解説していただけると、Google画像検索で適度に検証できるのだが。
WOW韓国経済TVの記事「イ・ソンヒ 『私も、チ・ジュンヒのコレクションを見に来ました』」(10/23、キム・チユン記者、bntニュース配信)は、イ・ソンヒの写真を掲載して、次のように書いているが・・・上記のような分けでファッション関連についてよく分からない。(抜粋)
・「2015 S/Sソウル・ファッションウィーク」が22日午後、ソウル東大門区東大門デザインプラザで開かれた。チ・ジュンヒの「Miss Gee Collection」のコレクションで、歌手イ・ソンヒがショーを待っている。
(以下略)
今年の「Miss Gee Collection」について紹介しているブログ(Style N)を覗いてみたら、おじさんには全然無縁の世界のようで・・・。
これからも、イ・ソンヒについては、ファッション以外について記してみよう。それで十分だと思う。
(日本の)女性ファンが、イ・ソンヒのファッションについて解説していただけると、Google画像検索で適度に検証できるのだが。
WOW韓国経済TVの記事「イ・ソンヒ 『私も、チ・ジュンヒのコレクションを見に来ました』」(10/23、キム・チユン記者、bntニュース配信)は、イ・ソンヒの写真を掲載して、次のように書いているが・・・上記のような分けでファッション関連についてよく分からない。(抜粋)
・「2015 S/Sソウル・ファッションウィーク」が22日午後、ソウル東大門区東大門デザインプラザで開かれた。チ・ジュンヒの「Miss Gee Collection」のコレクションで、歌手イ・ソンヒがショーを待っている。
(以下略)
今年の「Miss Gee Collection」について紹介しているブログ(Style N)を覗いてみたら、おじさんには全然無縁の世界のようで・・・。
これからも、イ・ソンヒについては、ファッション以外について記してみよう。それで十分だと思う。
2014年10月22日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 節気と贈り物
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第76回として、昔の「節気と贈り物」にまつわる話を紹介した。
まず、朝鮮後期の書家、秋史・金正喜(김정희、1786年~1856年)と茶の関わりについて、つぎのように紹介された。
・節気は、1年を24等分して約15日毎に分けた季節。四季のある地域では、ここに春、夏、秋、冬など季節の名を付けた。季節に、人々はどんな風習を楽しみ、プレゼントをし合っただろうか。
(参考)日本の「二十四節気」
・「秋史体(추사체)」の書体を生み出した、書家、金正喜(号は秋史)は、島流しの済州島で寂しく生活する中、茶をよく飲んだ。金正喜に茶を送ったのは、草衣禅師(초의선사、1786年~1866年)だ。全羅南道海南(해남)の大興寺(대흥사)に住み、茶文化を花咲かせた。金正喜が草衣禅師に送った手紙に、「茶の収穫の時期はまだですか。首を長くして待っています。茶を収穫したら壺にしっかりと包んで送ってください」といった内容がある。送って欲しい茶に細かく注文できるほど、親しい間柄を表している。
(本ブログ関連:”KBS WORLD「国楽の世界へ」 茶、済州島”)
▼ ヘグム演奏「世の中で美しいもの(세상에서 아름다운 것들)」を聴く。情感あふれる穏やかで心地よい今様の音色だ。
次に、金正喜が草衣禅師に茶を願った手紙と一緒に扇子を贈った話しを、次のように紹介された。
・金正喜は、貴重な茶をねだる手紙と一緒に、贈り物として、彼の書体の入った扇子を送った。当時、扇子の価値は今と違ったはず。庶民にとっては、うちわであり、虫よけの道具でもある必要なものだ。上流階級のヤンバンにとっては、地位を表す手段であり、人前で表情を隠す道具でもある。また、自分を守る武器としても活用した。扇子を送るのは、今年もよろしくという意があるという。
▼ 演奏「贈り物(선물)」を聴く。これも映画音楽のような、情緒深い今様の旋律だ。
最後に、年間を通して、節気のいろいろな風習(行事)について、次のように解説された。
・冬至(12/21)は、一年で昼が最も短い日だ。この日から昼が長くなる。一年を締めくくり、新年を迎えるこの時期に、新しいカレンダーをプレゼントした。カレンダーには色々な節気が記される。
・釈迦の誕生を祝う「初八日(초파일)」に、家族の名を刻んだ提灯をつるす。また、日本の中元に当たる「百中(백중)」には、使いの物に新しい服を作ってやる。新穀を神に供える「上月(상달)」には、祭祀を捧げた餅を分け合う。餅にも色々な種類があった。
▼ 各月の節気を歌った雑歌「タルコリ(달거리)」を聴く。 月巡る中、大衆の交わりを歌う・・・民謡と違って。
まず、朝鮮後期の書家、秋史・金正喜(김정희、1786年~1856年)と茶の関わりについて、つぎのように紹介された。
・節気は、1年を24等分して約15日毎に分けた季節。四季のある地域では、ここに春、夏、秋、冬など季節の名を付けた。季節に、人々はどんな風習を楽しみ、プレゼントをし合っただろうか。
(参考)日本の「二十四節気」
・「秋史体(추사체)」の書体を生み出した、書家、金正喜(号は秋史)は、島流しの済州島で寂しく生活する中、茶をよく飲んだ。金正喜に茶を送ったのは、草衣禅師(초의선사、1786年~1866年)だ。全羅南道海南(해남)の大興寺(대흥사)に住み、茶文化を花咲かせた。金正喜が草衣禅師に送った手紙に、「茶の収穫の時期はまだですか。首を長くして待っています。茶を収穫したら壺にしっかりと包んで送ってください」といった内容がある。送って欲しい茶に細かく注文できるほど、親しい間柄を表している。
(本ブログ関連:”KBS WORLD「国楽の世界へ」 茶、済州島”)
▼ ヘグム演奏「世の中で美しいもの(세상에서 아름다운 것들)」を聴く。情感あふれる穏やかで心地よい今様の音色だ。
次に、金正喜が草衣禅師に茶を願った手紙と一緒に扇子を贈った話しを、次のように紹介された。
・金正喜は、貴重な茶をねだる手紙と一緒に、贈り物として、彼の書体の入った扇子を送った。当時、扇子の価値は今と違ったはず。庶民にとっては、うちわであり、虫よけの道具でもある必要なものだ。上流階級のヤンバンにとっては、地位を表す手段であり、人前で表情を隠す道具でもある。また、自分を守る武器としても活用した。扇子を送るのは、今年もよろしくという意があるという。
▼ 演奏「贈り物(선물)」を聴く。これも映画音楽のような、情緒深い今様の旋律だ。
最後に、年間を通して、節気のいろいろな風習(行事)について、次のように解説された。
・冬至(12/21)は、一年で昼が最も短い日だ。この日から昼が長くなる。一年を締めくくり、新年を迎えるこの時期に、新しいカレンダーをプレゼントした。カレンダーには色々な節気が記される。
・釈迦の誕生を祝う「初八日(초파일)」に、家族の名を刻んだ提灯をつるす。また、日本の中元に当たる「百中(백중)」には、使いの物に新しい服を作ってやる。新穀を神に供える「上月(상달)」には、祭祀を捧げた餅を分け合う。餅にも色々な種類があった。
▼ 各月の節気を歌った雑歌「タルコリ(달거리)」を聴く。 月巡る中、大衆の交わりを歌う・・・民謡と違って。
2014年10月21日火曜日
イ・ソンヒの「冬哀傷」
まだ秋が終わらないというに、ストーブは入れるし、厚着して、去年よりも早く冬に向けて身支度している。年々早まる(歳とともにそう感じるのだろうけれど)、冬の気配を恨み、暖かい春を待ち望んでいる。
ここ数年、雪の積もり方がおかしい。雪融けに、2階の屋根から塊りがドスンと落ちるついでに雨樋(あまどい)を2度も破砕している。また、玄関先を雪掻きしたばかりなのに、すぐに屋根から雪が落ちてうず高く積もる。そこで、雪国のものと思っていた雪止めの必要性を感じ、業者さんに取り付けてもらうことにした。温暖化といわれながら、雪の量が極端過ぎる。
気分一新、美しく澄んで輝き、やがて消える雪の結晶のような儚(はかな)い恋歌、イ・ソンヒの5集に所収の名曲「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)を聞いてみよう。この歌にハッとしてわれに返り、冬へのわだかまりも溶けるというもの。
(本ブログ関連:”冬哀傷”)
(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)
ここ数年、雪の積もり方がおかしい。雪融けに、2階の屋根から塊りがドスンと落ちるついでに雨樋(あまどい)を2度も破砕している。また、玄関先を雪掻きしたばかりなのに、すぐに屋根から雪が落ちてうず高く積もる。そこで、雪国のものと思っていた雪止めの必要性を感じ、業者さんに取り付けてもらうことにした。温暖化といわれながら、雪の量が極端過ぎる。
気分一新、美しく澄んで輝き、やがて消える雪の結晶のような儚(はかな)い恋歌、イ・ソンヒの5集に所収の名曲「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)を聞いてみよう。この歌にハッとしてわれに返り、冬へのわだかまりも溶けるというもの。
(本ブログ関連:”冬哀傷”)
(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)
2014年10月20日月曜日
ブルーライト(再)
ノーベル物理学賞で話題の青色LEDだが、ちょっと前に、PCの液晶画面の青色成分(ブルーライト)が問題になっていた。PCを見続けると、目の奥に青色光が強く差し込むので、それを低減するためにいくつかの策が語られた。ひとつにブルーライト対応メガネ、もうひとつにディスプレイの青色成分の調整、最後に年齢に応じた対応だ。
(本ブログ関連:”PCのブルーライト”)
① 情報誌の付録についていた、ブルーライト対応メガネを装着する。PC画面全体に薄く赤味がさす。
② PCのデスクトップの色補正して、青色成分の明るさを抑える。PC画面全体から青味が減るような。
③ 年齢的には青色の感度が衰えているので、対応の必要なしとの情報を知る・・・ああ、そうですか。
年齢は別にして、対応メガネを装着し、ディスプレイの青色成分を減衰すると、両目の奥に四方から飛び込むようなインパクトが和らぎ、PC画面が穏やかになる・・・ちょっとモヤッとした感じで目に優しそう。そうすることで、眼精疲労に効果があるのか、正直よく分からないが、やらないよりはやった方がよいだろう。目に差すような青色光のエネルギーが弱まる気がする。長時間ディスプレイを見続ける場合、こんな対策もありだろう。
ところで、今年のクリスマスは以前に増して、街の何処かしこ青いLED照明に包まれることだろう。今まで以上に。
Youtubeの「ブルークリスマス」は、別の意味でブルーな若者たちのクリスマス。プレスリーの歌で聞いてみよう。
(本ブログ関連:”ブルークリスマス”)
(Youtubeに登録のElvisPresleyVEVO に感謝)
(本ブログ関連:”PCのブルーライト”)
① 情報誌の付録についていた、ブルーライト対応メガネを装着する。PC画面全体に薄く赤味がさす。
② PCのデスクトップの色補正して、青色成分の明るさを抑える。PC画面全体から青味が減るような。
③ 年齢的には青色の感度が衰えているので、対応の必要なしとの情報を知る・・・ああ、そうですか。
年齢は別にして、対応メガネを装着し、ディスプレイの青色成分を減衰すると、両目の奥に四方から飛び込むようなインパクトが和らぎ、PC画面が穏やかになる・・・ちょっとモヤッとした感じで目に優しそう。そうすることで、眼精疲労に効果があるのか、正直よく分からないが、やらないよりはやった方がよいだろう。目に差すような青色光のエネルギーが弱まる気がする。長時間ディスプレイを見続ける場合、こんな対策もありだろう。
ところで、今年のクリスマスは以前に増して、街の何処かしこ青いLED照明に包まれることだろう。今まで以上に。
Youtubeの「ブルークリスマス」は、別の意味でブルーな若者たちのクリスマス。プレスリーの歌で聞いてみよう。
(本ブログ関連:”ブルークリスマス”)
(Youtubeに登録のElvisPresleyVEVO に感謝)
2014年10月19日日曜日
遠近法
子どもの頃、児童画といわれる、遠近法とは全く異なる表現が嫌だった。それは、子どもの時代に見られる独特なもので、(大人が忘れた)子どもらしい表現と絶賛されるものだ。でも、当時は見えるように描いてこそ絵ではないのかと思ったものだ。
(今の私には、児童画の伸びやかな表現が可愛らしくてたまらない・・・歳をとって気づいたが)
児童画は、運動会などを表現するとき、運動場を絵の中心に配置して、絵の上側に頭を上向きにした子どもたちを描くのに対して、絵の下側には頭を下向きにした子どもたちを描く。まるで、地球上の人々を宇宙遠くから眺めるようだ。
これは、視座が運動場の中心にあって、全て見るために頭(眼球)を回転させることからくるのだろう。つまり、視座が絵の中心に配置しながら、視線は固定しない。もし、遠くから俯瞰するように、つまり視座を鳥の目のように上空に置けば、登場人物たちの頭は、すべて上向きになるのだが。そこで、遠近法でない集団画の場合、地面を斜めにして、視座と登場人物とが等距離になるようする。一定の範囲内に、登場人物を集団に分けて配置すると、均等に描写することができる。
例えば、日本画で、屏風絵「洛中洛外図」は、集団を区分するのに雲のようなものを挟み込んでいる。また、好みの絵が多い、北方ルネッサンス絵画の場合、遠近法の表現はあるものの、説明的な要素が多いものがある。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」に見られる宗教的な説諭、ピーター・ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」に見られる世俗の風刺のように、解釈を一義にして見る目を動かすことになる。
(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)
これらの作品は、今でいう絵画というよりは、絵に語られる物語なのではないだろうか。作品を、見る側の立場も含めて理解しなければならないような気がする。作品には3つの立場があるように思う。作品の制作者という立場(所有者と見る者を意識する)、作品の所有者(見せる側)、見る者(見る側)。それぞれが別個であるとは限らない。また、今風の絵画鑑賞という見る側が大衆化してきた時代変遷は興味深い。・・・もしかしたら、遠近法の絵画技法は、世俗化と連動しているのかもしれないなんて考えてしまう。
絵画は最初から「絵画」ではなかったと思う。私は、仏像や仏画が美術や芸術作品として語られるのに、今も違和感を感じる。
(今の私には、児童画の伸びやかな表現が可愛らしくてたまらない・・・歳をとって気づいたが)
児童画は、運動会などを表現するとき、運動場を絵の中心に配置して、絵の上側に頭を上向きにした子どもたちを描くのに対して、絵の下側には頭を下向きにした子どもたちを描く。まるで、地球上の人々を宇宙遠くから眺めるようだ。
これは、視座が運動場の中心にあって、全て見るために頭(眼球)を回転させることからくるのだろう。つまり、視座が絵の中心に配置しながら、視線は固定しない。もし、遠くから俯瞰するように、つまり視座を鳥の目のように上空に置けば、登場人物たちの頭は、すべて上向きになるのだが。そこで、遠近法でない集団画の場合、地面を斜めにして、視座と登場人物とが等距離になるようする。一定の範囲内に、登場人物を集団に分けて配置すると、均等に描写することができる。
例えば、日本画で、屏風絵「洛中洛外図」は、集団を区分するのに雲のようなものを挟み込んでいる。また、好みの絵が多い、北方ルネッサンス絵画の場合、遠近法の表現はあるものの、説明的な要素が多いものがある。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」に見られる宗教的な説諭、ピーター・ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」に見られる世俗の風刺のように、解釈を一義にして見る目を動かすことになる。
(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)
これらの作品は、今でいう絵画というよりは、絵に語られる物語なのではないだろうか。作品を、見る側の立場も含めて理解しなければならないような気がする。作品には3つの立場があるように思う。作品の制作者という立場(所有者と見る者を意識する)、作品の所有者(見せる側)、見る者(見る側)。それぞれが別個であるとは限らない。また、今風の絵画鑑賞という見る側が大衆化してきた時代変遷は興味深い。・・・もしかしたら、遠近法の絵画技法は、世俗化と連動しているのかもしれないなんて考えてしまう。
絵画は最初から「絵画」ではなかったと思う。私は、仏像や仏画が美術や芸術作品として語られるのに、今も違和感を感じる。
登録:
投稿 (Atom)
