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2025年6月3日火曜日

巨人・大鵬・卵焼き

早朝、長嶋茂雄さん*が亡くなられた。89歳だった。子どものころのプロ野球選手といえば、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、(福岡県に住んでいたので)中西太、稲尾和久の方々が浮かぶ。存命されているのは、王さんだけになった。
(*)1936年〈昭和11年〉2月20日~2025年〈令和7年〉6月3日

■  読売新聞オンライン
「長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が死去、89歳…巨人の黄金時代築いた『ミスタープロ野球』」(2025/06/03)
    ー https://www.yomiuri.co.jp/national/20250603-OYT1T50046/

長嶋選手が三塁手として見せてくれた守備が実に格好良かった。捕球した球を一塁に向かって投げるとき、すっと伸びる右手がスマートだったのだ。後に、そのスタイルを意識していたと語られた。

昔の子どもたちの野球は、原っぱに三角ベースを作って遊んだものだった。世間に空き地があり、年齢をこえてみなが集まってきた時代だった。今のように少年野球チームが、大人たちの指導を受け、ユニフォームを着て練習することのないころのこと。塾もビデオゲームも知らなかった。

(本ブログ関連:”草野球”、”ユニフォーム”)

プロ野球のテレビ中継を始めて見たのは、父の会社のいわゆる福利厚生施設の庭だった。大人も含めて芝生に座り、屋外に向けたテレビ画面を観覧したものだった。まさにプロレス中継の時代と重なる。

昭和に、絶大の安定を示した言葉「巨人・大鵬・卵焼き」がある。強いものにあこがれる子どもたちは、自然と巨人チームのファンであり、長嶋・王選手のファンであった。同時に、子ども時代に住んだ福岡県の西鉄チームのファンでもあった。打の中西、投の稲尾は日本シリーズを熱狂させた。

(付記)
WWⅡの時、父が召集されたのは千葉県にあった佐倉連隊だった。子どものころ、「佐倉」を「さくら」とばかり思っていた。長嶋さんの通った高校は、千葉県立佐倉第一高等学校(現・千葉県立佐倉高等学校)とのこと。

2025年6月2日月曜日

ウィスキー・ララバイ

カントリーミュージックの「Whiskey Lullaby」は、約束(あるいは契り)について男女の立場を、Brad PaisleyとAlison Krauss(男女デュエット)が歌う。次の公式ミュージックビデオ*に描かれるドラマはわかりやすい。WWⅡの復員兵が、約束の再会を期待して、妻の待つ家に帰る。しかし、そこで見たのは、約束が壊れていたのを知ることだった。二人は、結局、それぞれアルコールに溺れ、破滅へ向かうことになる。天使の子守歌が、柳の木の下の二人を包む。
(*)公式ミュージックビデオの仕上がりは、少々図式的であったが・・・。

■ Youtube(登録:BRADPAISLEYVEVO)
「Brad Paisley - Whiskey Lullaby (Full Version - Official Video) ft. Alison Krauss」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=IZbN_nmxAGk
    ー 歌詞:Googleで「ブラッド・ペイズリー   ウイスキー・ララバイ 歌詞」で検索表示。



(参考)
■ 生成AI Gemini
Q.ブラッド・ペイズリーのカントリーミュージック「ウイスキー ララバイ」について解説してください。
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A.ブラッド・ペイズリーとアリソン・クラウスがデュエットしたカントリーミュージック「ウイスキー・ララバイ (Whiskey Lullaby)」は、非常に悲しい物語を歌った楽曲です。2004年にリリースされ、カントリーチャートでヒットを記録しました。

楽曲の概要とテーマ
この曲は、心に傷を負ったカップルが、別れと苦痛から逃れるためにアルコールに溺れ、最終的に命を落としてしまうという、痛ましいストーリーを描いています。物語は、男性が先にアルコール中毒で亡くなり、その後、後悔と罪悪感に苛まれた女性も同じように酒に溺れて命を絶つという形で展開されます。

歌詞は非常に詩的で、比喩的な表現が用いられています。例えば、「He put that bottle to his head and pulled the trigger (彼はそのボトルを頭に当て、引き金を引いた)」というフレーズは、アルコールが銃のように命を奪うことを示唆しています。

歌詞の背景と意味
曲はアコースティックギターとドブロギターを伴奏とするカントリーバラードで、ブラッド・ペイズリーの朴訥な歌声と、アリソン・クラウスの天使のようなソプラノボイスが、物語の悲劇性をより一層際立たせています。

この曲の共同作詞家の一人であるジョン・ランドールは、自身の離婚やレコード契約の喪失といった辛い経験を経て、この曲を書き上げました。彼の友人が「たまにはボトルを頭に当てて、引き金を引くしかない時もある」と言った言葉が、この曲の重要なフレーズのインスピレーションになったとされています。

「ウイスキー・ララバイ」は、単なる失恋の歌ではなく、心の痛み、罪悪感、そして依存症がもたらす悲劇的な結末を深く掘り下げた作品であり、多くの人々の心に響く、カントリーミュージックの中でも特に印象的な楽曲の一つです。
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2025年6月1日日曜日

夏、衣替え

きょうから気象庁の季節区分の「夏」が始まる。

気象庁の月別季節区分
「時に関する用語 > 季節を表わす用語」
    ー https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/toki.html
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・冬 : 新暦 12月~02月、(旧暦 10月~12月ころ)
・春 : 新暦 03月~05月、(旧暦 01月~03月ころ)
・夏 : 新暦 06月~08月、(旧暦 04月~06月ころ)
・秋 : 新暦 09月~11月、(旧暦 07月~09月ころ)
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最近、季節が二分化しているといわれる。すなわち、春・夏・秋・冬から、夏・冬になっているというのだ。温暖化のせいと説明される。そうかもしれないが、今、日本の生活環境が整備・整理されて、夏・冬の受け渡しである春・秋が見えなくなったのではないかと思ったりする。更にいえば、この現象が世界各地でもそうなのかといぶかしむ・・・。つい身の周りのことからだけで判断しがちだ。

■ facebookにこんな記事が載っていた。
「90's History   Wilkes County*, North Carolina, 1939」(5月23日 5:42)
    ー https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1122798116557476&set=a.233310568839573&type=3
世界恐慌の時代、米国の田舎で慎ましく生き続ける女性の話しである。多くは、そのようにして命を継承した。(ただし、コメント欄に写真について AI の可能性を記すものがある・・・そういう「事例」はあったろうけれど)
(*)当時のノースカロライナ州ウィルクス郡は非常に田舎で、タバコ栽培ムーンシャイン(密造酒)製造で有名だったらしい。

衣替え
季節の変わり目に合わせて、夏の始まる6月には「衣替え」がある。学生服が冬服から夏服に交代したのを思い出す。公立学校の場合、小学生は自由に服を選んでいるが、中学生以上ではどうなんだろう。最近、学生服というものを見かけない気がする。というか、あまり意識してないのに気付く。公園近くに中学校があるというのに・・・。

2025年5月31日土曜日

マカロンちゃん、バスクのサンセバスチャンへ行く

海外で暮らしている日本人妻と現地の夫、そして子どもたちのYoutubeチャンネルがある。以前のブログに、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス在住の4家族の様子をよく見ると記したことがある。

(本ブログ関連:”海外の家族”)

その中で、南フランスのピレネー山麓に住む日仏家族が、スペインのバスク地方サンセバスチャンを訪れて観光・食事を楽しむ様子が紹介された。同家族のひとり娘「マカロンちゃん」が着物姿になって街を巡り食事する場面を見せてくれる。日本文化の紹介でもあり、女の子のかわいい着物に現地の人びとの目が釘付けになるのも面白い。

(本ブログ関連:”サンセバスチャン”)

■ Youtube(登録: Macaron Chan 南フランス田舎娘)
「遂にフランス以外のスペインで着物を着て歩いたら…まさかの結果になりました!サンセバスチャン【海外の反応】」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=hc6lQlm8DBo

ところで、同地サンセバスチャンは、バスク語学習者でなくても、バスク料理の代表的な場所として知られている。土地柄、海あり山ありの食材の宝庫で、美食の街(地域)である。行ったことはないけれど!

■ Search Labs | AI による概要
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サンセバスチャンとミシュラン星付きレストラン
・ サンセバスチャンは、人口あたりのミシュランの星の数が世界で一番多い街として知られています。
・ 世界TOP10レストランに2件がランクインしており、世界一の美食の街としても知られています。
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なお、サンセバスチャンの地名について、Wikipedia は次のようにスペイン語とバスク語の両方を記している。
・サン・セバスティアン(スペイン語: San Sebastián  [san seβasˈtjan])
・ドノスティア(バスク語: Donostia  [doˈnos̺tia])

(本ブログ関連:”バスク” 最下段で「次の投稿」に続く)

2025年5月30日金曜日

雨降り

きょうの日付に変わる少し前(きのうの深夜)に降り出した小雨は、昼過ぎまで止むことなくしとしとと辺りを濡らした。雨雲の薄暗い空、おまけに北風が吹いて寒い。不思議なことに物音がしない・・・街の生活音は、静かに降る雨に吸収されたようだ。

夕方(午後4時過ぎ)に、窓を通して外を覗くと、雨がおさまったように見えた。気分転換に、外出してみようと玄関ドアを開けたところ、想像以上に冷気を感じた。路地の奥に一匹の白ネコがいて、驚いたように腰をかがめてこちらを警戒した。

どうも天気に期待が持てない。きょうは一日中、北風が吹き、気温も 15℃ → 14℃ → 13℃ → 14℃ → 15℃と、4月の平均気温(14.3℃)並みに寒い。

寒い夜は、昭和の歌でも聞こうか。昭和初期の歌手 北廉太郎(1920年【大正9年】3月20日 ~ 1940年【昭和15年】9月15日、20歳没)が歌う、(戦前)昭和の香り豊かな「港は雨」がある。雨降る夜の港を舞台に、別れの暗転を歌う。各番の冒頭を記すと次の通り。
    港は雨 日暮の雨 小糠雨
    港は雨 別れの雨 霧の雨
    港は雨 侘しい雨 夜の雨

■ Youtube(登録: 笠原修平)
「港は雨  北廉太郎」(野村俊夫作詞・飯田景應作曲: 昭和15年3月)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=Ru29HE8hnqk


(付記)
港の歌といえば、中島みゆきの「歌姫」を思い出す。

2025年5月29日木曜日

ルーマニアのチーズ

ルーマニアにつながりがある二人の歌手、タチアナ・マリエ、ローラ・ブレタンを知って、彼女らの歌を本ブログに載せた。といっても彼女らの曲をよく聞いてのことではない、たまたまネットで巡り合わせただけなのだが・・・。

(本ブログ関連:”ルーマニア”、”タチアナ・マリエ”、”ローラ・ブレタン”)

子どものころ、語学好きの親類がいて、晴海埠頭で開かれた国際見本市*に連れて行ってもらったことがある。親類はルーマニア語に興味があって、同国大使館の紹介でルーマニア語を学んでいたようだ。同言語は、ラテン語を起源とする言語**で、ユニークなのだと教えてもらったことがある。
(*)国際見本市: 各国の産業・商業の商談が行なわれた。同会場では、他に自動車ショーなども開催された。
(**)ルーマニア語: Wikipedia「ルーマニア」の「言語」の項に次のように記されている。
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ルーマニア語はロマンス諸語の一つであり、古代ローマ帝国で話されていたラテン語方言が変化したものである(なお、東欧ではロマンス系言語を公用語とする国家はモルドバルーマニアだけである)。
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ラテン語の名詞の7格に比べて、ルーマニア語は簡略化されているそうだが・・・。

見本市へ行った理由は、ルーマニアのブースに行くと何か面白いことがあるかもしれないということだった。言語マニアの親類の後についてブース内を巡ったとき、食品が陳列されていた。ワインが置かれていたが、さすがに子どもには飲めないので、チーズを頂いた記憶がある。

私にとって、具体的にルーマニアにつながるのは、あのとき食べたチーズでしかないのだが、その後、同国の輸入食品のいずれかを食していたかもしれない。

2025年5月28日水曜日

雨音、そして雨上がり

きょうの日付に変わった深夜、午前3時ごろに雨音がしたように思った。朝になって「アメダス」で確認したところ、早朝に微かに降った(4時~5時、0.5mm~1.0mm)ようだ。暗い寝床から掛け時計を目視したわけではないので、夢うつつに時刻を錯覚したのだろう。

歳をとると微妙な音に反応する。もしかしたら、空耳だったかもしれないと訝しむことしきり。雨音、風音、そして何かの気配。単なる耳鳴りかもしれない。
雑念のない幼児が、部屋の奥を指さして誰かいると親に伝えることがある。一方、年配者は雑念がかすれて、想いだけが強くなり過ぎ、幻聴をおこしているのかもしれないと、少々不安になる。

昼になって家の前を覗けば、通り道は真っ白に乾燥している。雨跡らしき気配はない。

雨上がりの曲を探したら、以前(5/16)の本ブログに掲載した「La Mer(海)」を歌った Tatiana Eva-Marie* と同じルーマニアの血をひく Laura Bretan**の歌う「After the rain(雨上がり)」がYoutubeにあったので聞いてみた。
どこか復興を象徴するような宗教的雰囲気がする。「雨上がり、太陽が照りつける / 雨上がり、すべてがまた新しくなる」、「空は以前よりずっと青くなって、・・・今まで見たことのない美しさがある」。
(*)タチアナ・マリエは、スイスの歌手で、父親はスイス-フランス語系の人、母親はルーマニア人
(**)ローラ・ブレタンは、米国の歌手で、ルーマニア系の両親のもとにシカゴで誕生した。

(本ブログ関連:”ルーマニア”)

■ Youtube(登録: Laura Bretan)
「After the rain」(Laura Bretan)・・・ 歌詞はYoutube解説にある。
    ー https://www.youtube.com/watch?v=Vpy3ucLA7Ik

2025年5月26日月曜日

(資料)Maude Adamsの伝記

アメリカの舞台女優モード・アダムス(Maude Adams1872年11月11日 ~ 1953年7月17日)の伝記が、Wikipediaに掲載されている。ただし、彼女が35歳ころまでの内容。

「MAUDE ADAMS  A BIOGRAPHY」(By ADA PATTERSON、Published 1907年)・・・ 全文閲覧
    ー http://www.ldsfilm.com/actors/MaudeAdamsBio.html

(本ブログ関連:”モード・アダムス”)


(追記)
ところで、彼女が半生で経験したひとつのことに着目した人びとが、Youtubeに何やら吹き込もうとしている。時代も価値観も異なったものを、強引に現在に引き寄せるのはいかがなものだろう。伝記的範囲で、事実を語るべきではないだろうか。それ以上でも、それ以下でもない。

2025年5月25日日曜日

(江戸東京博物館コレクション)江戸東京のくらしと食べ物

昨深夜の雨は早朝に止み、路地に微かな雨跡を残すのみになった。そういえば、きょうは日曜日、小金井公園の賑わいを見てみようと昼(12時ころ)に出かけた。

公園東側から入り、学生たちがテニスコートの全面でラリー練習しているのを脇に見て過ぎ、「ゆりのき広場」でサッカーなどで遊ぶたくさんの親子連れを眺めて通り抜け、「こども広場」で遊具を使って楽しむ子どもたちの大声を耳にして、「江戸東京たてもの園」にたどり着いた。

「東京都江戸東京博物館」の分館である江戸東京たてもの園で、「江戸東京博物館コレクション ~ 江戸東京のくらしと食べ物 ~」(3/20~6/15)の特別展が開催されている。江戸期の武蔵野新田開発後の食生活が見られるかもと期待して出かけた。実際は、江戸市中の食文化に関する文献の展示といったところが中心で、WWⅡ後の生活(闇市・食器具)まで展示された。
そんなわけで、武蔵野(および葛西)と江戸との関係を示すのは、次図のみである。展示解説冊子に、次のように記している。
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大消費地であった江戸には、その周辺の村落から水路や陸路を経て、その地域でとれた商品作物が送られてきた。
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武蔵野から江戸に陸路で穀類(大麦・小麦・栗など)、および小麦・蕎麦は水車で加工してにしたものが運ばれたようだ。(ちなみに、は葛西方面から送られている)


上記の通り、江戸の食文化に関連する文献・書籍が精緻に造本されていることに驚く。よくぞここまでと思うほど、まるで活版印刷のごとく刷られている。「食文化」について、江戸独自の美味礼讃の書もあったろうと思うが、今回は西洋料理との関係で語られているようだ。

江戸のランキングで見る人気料理(写真左)、豆腐百珍(写真右)
・「日用倹約料理仕方各力番付」:日常の倹約料理の番付として、【精進方】 大関「はちはいどうふ」、【魚類方】 大関「めざしいわし」がある(相撲番付と同様、定期的に変わる)
・百珍物の先駆けとなった「豆腐百珍」(醒狂道人何必醇 著、天明2年(1782年)5月)

2025年5月24日土曜日

野鳥観察(82)

薄曇りの早朝、外気は 17℃近くで小寒い。月2回の野鳥観察(探鳥会)へ出かける。長袖の上着にしたが肌寒い・・・もう少し厚めにすればよかったと思うほど。

公園の通称「はらっぱ」には雑草が生い茂り、はらっぱの内側にある集合場所の「トウカエデ」の樹まで、雑草を踏み分けてたどり着く(草/藪漕ぎほどじゃないが)。
不思議なことに、トウカエデの樹下に雑草が生えていない。推測(空想)だが、トウカエデの根から除草の成分が出ているのではないだろうか・・・関係ないかも知れないが、木どうしのコミュニケーションに根を介した化学信号があると聞いたことがある。何らかの物質が出ていてもおかしくない・・・と思うのだが。

フィールドに入って早々、常緑樹の林の地面に枯葉が厚く積もっていた。なぜこの時期にと不思議に思い、会長にうかがったところ次の回答をいただいた(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・常緑樹といっても、新芽が出るたび古い葉が落葉する。
    ー クスノキ、スダジイ(常緑高木): 新芽から数えて全て落葉
    ー ホルトノキ(常緑高木): 新芽が出ると古い葉から順次紅葉して落葉
    ー ユズリハ(常緑高木): 新芽から数えて2代前が落葉
    ー ツバキ(常緑高木): 新芽が出ても、古い葉は3~5年続く(落葉しない)
・常緑樹の落葉は、葉に寿命があり、老廃物を捨てるため。

今回も観察結果は、前回同様、樹木しか記述できない。
もちろん、幹事さんから報告される「早朝探鳥会の記録」には野鳥の種類と数が記載されているのだが・・・何と、参加者数と同じ数の野鳥の種類が観察できたとのこと。
・ムクドリ: 群れをなして飛んでいた。(別の場所、1羽だけ地面のエサを探していた)
・ツバメ: 写真に撮れないほど早く、川原で群れになって交差しつつ頭上を飛んでいた。
・シジュウカラ: 木立ちの中を縫うように群れをなして素早く飛びまわるのが見えた。
・コゲラの巣: 枯れた幹に、コゲラが営巣した後、それをシジュウカラが利用したという。
・水鳥の姿が見えない。

ポプラの綿毛: 柳絮(りゅうじょ)
観察路上の脇に沿って、真っ白な真綿状のフワフワしたものが落ちていた。ベテランの方から、綿毛に包まれた「ポプラ」の種子(「柳絮(りゅうじょ)」:「ヤナギ」の例が有名)といわれた。Wikipediaに次のように記している。
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(ポプラ)細く直立して枝を上に伸ばした樹形が特徴的である。葉は広三角形。雌雄異株で、春に花を咲かせる。花が終わるとすぐに綿毛付きの種子を大量に付ける。この種子が風に飛ばされて空を舞い、並木など多数のポプラのある所では、地面が真っ白になることもある。このため、英語でコットンウッドともいう。
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■ 精選版 日本国語大辞典(kotobank.jp)
「りゅう-じょ【柳絮】」
〘 名詞 〙 柳の花が咲いた後、白い綿毛のある種子が散るさま。また、その種子。やなぎのわた。降る雪の形容にも用いられる。→ 柳絮の才(さい)。《 季語・春 》
・[初出の実例]「林中若二柳絮一、梁上似二歌塵一」(出典:懐風藻(751)詠雪〈文武天皇〉)
・[その他の文献]〔梁元帝‐登江州百花亭懐荊楚詩〕
    ー https://kotobank.jp/word/%E6%9F%B3%E7%B5%AE-658756

■ 漢字ペディア(kanjipedia.jp)
「絮」
・音: ジョ・ショ
・訓: わた・わたいれ・くど(い)
    ー https://www.kanjipedia.jp/search?k=%E7%B5%AE&kt=1&sk=leftHand

ホルトノキ
観察路の道脇に「ホルトノキ」の赤い葉が落ていた。木の下から見上げると、赤い部分が目につく・・・上記の通り、まだまだ落葉するのだろう。Wikipediaに、次のような逸話が紹介されている。
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和名ホルトノキの由来は、元来はオリーブの木を意味する『ポルトガルの木』が転訛したもので、江戸時代の学者平賀源内*が本種をオリーブと誤認して、ホルトノキとよばれるようになったものである。「ホルト」とは、ポルトガルのことを意味し、平賀源内による命名とされている。
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(本部ブログ関連:”平賀源内”)


 クワ(桑)の実
観察順路の途中3か所に「クワ」の木が赤い実をみのらせていた。黒く熟した実は、甘いというので試したところ、黒い面の裏側が未だ赤くてちょっと酸っぱかった(指先が赤くなった)。他の人は甘いといっていた。別の場所で、実を摘んでいる人がいたので聞いたところ、「ジャムにできるが、そのまま食べる」ようだ。

2025年5月23日金曜日

モッコク、ヤマボウシ

きょうの天気は、これまでと打って変わり、ヒンヤリした薄曇りだ*。久し振りに野鳥観察のフィールドである公園を散策した。探鳥路と違う路すじを通ったとき、こんな場所があったのかと目を疑った。それほど草木が繁り、緑が深く濃くなっていた。
(*)夜10時過ぎ、外気温が19℃を切ったようで肌寒い気がする。

おとついの二十四節気「小満」(5/21)に記した、「江戸五木」や「三大庭木」のひとつである「モッコク」を探しに公園を巡った。合わせて、白い花を咲かせた「ヤマボウシ」と出会った。

(本ブログ関連:”小満”、”モッコク”、”ヤマボウシ”)

モッコク
・サービスセンター配布の「樹木マップ」に掲載された <おすすめコース> を頼りに、公園南側で「モッコク」の木(一本)を観察した。写真の通り、樹名板が2つも付いている・・・枝先に、つやつやした光沢のある葉が集まって <車輪状> に付いている。葉柄(葉の柄の部分)が赤いので、樹姿全体に赤みを感じる。病害虫に強く、歴史的に庭木に採用されたようだ。


ヤマボウシ
・ <おすすめコース> の北西側に、白い花におおわれた「ヤマボウシ」の木が現われた。この時期、他の木々に花を見つけることがないので、さっそくカメラにおさめた。「ハナミズキ」に似た白い花は、蕾を包んでいた総苞(そうほう)片で、実際の花は中心にある。山法師のかぶる白い頭巾に見立てたものだそうだ。

2025年5月21日水曜日

小満 2025、モッコク

今朝は早くから暖かくて三度朝寝した。さすがに寝疲れして階下に降りたところ、一階の涼しさに驚いた。そう、いつもの夏がやって来たのだ。(天気予報では、きのうをピークに徐々に気温が下がるということだが)

きょうは二十四節気の「小満(しょうまん)」で、万物の命が満ち足れれば、草木・枝葉が繁るころ。たしかに道すがら、つやつやした葉*が陽光を受けて輝いているのに気づく。
(*)小公園に「ツバキ」のように光沢のある葉を身につけた高木が繁る。何の木だろう。

(本ブログ関連:”小満”)

モッコク
ところで「庭木の王様」といわれる木があることを、次の植木業者のサイトで知った。それは、江戸時代からの人気という「江戸五木」と、「三大庭木」の両方に挙げられている「モッコク(木斛)」の木だ。

■ クイック・ガーデニング 庭サポ
「モッコク(木斛)/ 古くから愛される庭木の王様
    ー https://www.919g.co.jp/blog/?p=5200
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江戸五木と三大庭木
江戸五木:江戸時代に人気の高かった5つの庭木(モッコク、アカマツ、イトヒバ、カヤ、イヌマキ)
三大庭木:庭づくりに昔から親しまれている常緑樹(モッコク、モチノキ、モクセイ)
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2025年5月20日火曜日

今年最初の「真夏日」

昼、スーパーへ買物に出かけたとき、気温は30℃を超えて、太陽の熱射が半袖の腕先をじりじり焼く気がした。バイキングの小峠さん流にいえば、まさに「何て日だ!」。

アメダスによれば、きょうの最高気温は 32.0℃(14:26)に達したようだ。アスファルトの歩道上では、もっと熱かったはず。まさに「真夏日」である。

(本ブログ関連:”真夏日”)

(参考)夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など気象庁の用語
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            夏日   :日最高気温が25℃以上の日。
            真夏日:日最高気温が30℃以上の日。
            猛暑日:日最高気温が35℃以上の日。
            熱帯夜:夜間の最低気温が25℃以上のこと。(気象庁の統計種目にはない)
            ------------------------------------------

ちなみに、今年の月別「最高気温」は次の通り。
            1月:15.2℃
            2月:17.7℃
            3月:25.9℃
            4月:29.2℃

ラジオの天気予報は、このまま夏へ突っ走るのではなく、今日をピークに気温が下り、天気が崩れるとのこと。週末・週明けにかけて雨降りを予想している。
関東・甲信エリアの「梅雨入り」(平年は6月7日)は、どうなるのだろうか。

■ 気象庁
「令和7年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」
    ー https://www.data.jma.go.jp/cpd/baiu/sokuhou_baiu.html

2025年5月19日月曜日

キツツキ、(テレビ漫画)ウッドペッカー

キツツキは、キツツキ科(woodpecker)の名称で、その下に「コゲラ」、「アオゲラ」、「アカゲラ」の種がいる。

実は、野鳥観察(探鳥会)で見たことがあるのは、コゲラとアオゲラだ。鳴き声は今も朧だが、木を突く「ドラミング」を耳にすることがある。以前の探鳥会で、一団が通り過ぎたばかりの木立奥に、コゲラがいたと小学生の会員が伝えた。あわてて大人たちが引き返して観察したことがある。子どもの目は鋭い。

ちなみに、キツツキの各種には「~ゲラ」が末尾に付く。「野鳥の名前  名前の由来と語源」(安部直哉 文、ヤマケイ文庫)は、キツツキの名称になる前段に「ケラツツキ」と呼ばれたことから、「ケラ」について鳴き声に由来していると説明。
・普通の鳴き声: キョキョ、ケッケッ
・軽度の警戒・興奮・驚きの声: キャラララ

ウッドペッカー
昔の民放*テレビでアメリカのアニメ(当時「テレビ漫画」といった)が放送されたとき、何より驚いたのはタダで見られることだった。まあそれも、ラジオの民放と同じだと直ぐに気づいたのだが。
(*)民放: 民間放送。NHKは「商業放送」と呼ぶことがある。

鳥を主人公にしたものに、2羽のカラス(カササギ)の「ヘッケルとジャッケル」や、キツツキの「ウッドペッカー」があった。ドタバタ劇の意味では、ネコとネズミの「トムとジェリー」と同様であった。

1960年代初頭に見た、の主人公の独特な笑い声(鳴き声)が今も耳に残る。振る舞いからキツツキ(woodpecker)ということは分かったが、キツツキの何という種類かについて関心はなかった。それより、テレビ漫画の世界にどっぷり漬かった。

■ Youtube(登録:sunaf king)
「【懐かしアニメ】ウッドペッカー【OPテーマ】」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=CGuVB_ogSm8

2025年5月18日日曜日

BIRDER 6月号

近隣街の本屋に「BIRDER 6月号」(文一総合出版)を求めに出かけた。特集は「観たい! 撮りたい! カワセミ」だ。公園の小川で指し示されてやっと気づく鳥だ。

でも、探鳥会のベテランの方がデイリーに配信される公園周辺の野鳥写真には、カワセミを欠かすことがない。図鑑や写真集で、カワセミの細部をあたりまえのように見るが、フィールドではいったん飛んだら見つづけることも、ましてやカメラにおさめることも、私には到底無理なのだ。

運よく、枯れたアシにとまって静止したものを撮影したことがある。それって、カワセミらしさが、ちょっとしか撮れていないのに気づく。だから、6月号のカワセミの特集は大いに期待した・・・そして機体通りだった。

エサ取りに水面ギリギリに嘴が迫っていく写真、エサを取り上げて舞い上がるときの水しぶきが四方に散り輝いている写真・・・よくぞそこまで細密にとらえたものと感心する。

カワセミの瑠璃色の姿はますます神秘さを増した。


(追記)
合わせて、上記書店で「新版 くらべてわかる 野鳥」(叶内[とのうち]拓哉 著、山と渓谷社)を購入した。実は、同書のポケット版をいつも携帯しているが、その大版(B5版)といえるもので、よく似た鳥・仲間の鳥をまとめて図版にして一覧性がある。見やすく分かりやすい。

(ChatGPT)ブロードウェイ、ハリウッドを発展させたのは

映画製作の独占を目論んだエジソンから逃れるようにして、米国東部の映画関係者が西部のハリウッド移動したといわれる。その役割を果たしたのは、どんな人たちだったのだろうか調べてみた。
  • 東部の「ブロードウェイ」には、ショービジネス(舞台公演)を仕切る先発のユダヤ系移民がいて、後発のユダヤ系移民による映画産業と共存がむつかしかったという話があるが・・・。
  • 西部「ハリウッド」の映画ビジネスの先駆けも同じくユダヤ系の人びとだったことになる。
そこで、ユダヤ系の人びとが果たした役割について、ChatGPT にQ&Aを求めたので結果を載せる。

Q - ①.ブロードウェイを劇場街に仕立て上げたのは、どこからの移民でしょうか?
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A - ①.ブロードウェイを現在のような「劇場街(シアター・ディストリクト)」として発展させた中心的な役割を果たしたのは、<ユダヤ系移民(特に東欧からのユダヤ人> です。

背景と経緯:
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ(特にロシア帝国ポーランドオーストリア=ハンガリー帝国など)から多くのユダヤ人がアメリカに移住しました。
多くはニューヨークに定住し、その一部が演劇音楽出版といった文化産業に関わるようになりました*。

(*)ブロードウェイのショービジネスが立ち上がったのは、19世紀半ば~後半(1850年代〜1880年代ころ

主な貢献:
興行師プロデューサーとして成功したユダヤ系移民**(例:フローレンツ・ジーグフェルドなど)は、ショービジネスの仕組みを整備し、商業演劇の発展を促しました。
作詞家作曲家としても多くのユダヤ人が活躍し、ブロードウェイのミュージカル文化の土台を築きました。たとえば:
    ー ジョージ・ガーシュウィン(作曲家)
    ー アーヴィング・バーリン(作詞・作曲家)
    ー リチャード・ロジャース(ロジャース&ハマースタインの一人)

(**)Googleの生成AI Gemini は「ユダヤ系移民 」について、次のように回答している。「イディッシュ劇場から発展し作曲家作詞家劇作家プロデューサーとして、ブロードウェイの黄金時代を築き上げました

影響:
彼ら(東欧系ユダヤ移民)の努力によって、ブロードウェイはアメリカ文化の中心として栄え、演劇・ミュージカルのメッカへと成長しました。

要約すると、
東欧系ユダヤ人移民が、ブロードウェイを現在のような劇場街に仕立て上げた主な担い手です。
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Q - ②.アメリカの映画産業が、「ブロードウェイ」のショービジネスと共存せず、米国西部の「ハリウッド」にあるのはどうしてですか?
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A - ②.(回答より抜粋

4. ハリウッドに集まった移民と企業家たち
・ユダヤ系移民の影響:
映画産業の初期、特にニューヨークから移住***したユダヤ系移民が重要な役割を果たしました。彼らはブロードウェイに加えて映画業界でも積極的に関与し、ハリウッドに映画スタジオを設立しました。例えば、パラマウント(ユダヤ系のアドルフ・ザカリー)やMGM(ユダヤ系のルイス・B・メイヤー)など、初期の映画スタジオの設立者たちニューヨークのユダヤ系移民が多かったです。

(***)20世紀初頭(1910年)エジソンが映画権独占を目論んだ東部から西部へ移動して製作。

・実業家たちの集まり:
ハリウッドには、映画産業を商業的に成長させるために集まった実業家や投資家が多くいました。彼らは、ブロードウェイと同じようにショービジネスを扱っていましたが、映画という新しいメディアの商業化に取り組んだため、ブロードウェイのような舞台公演とは異なるアプローチを取ることになりました。
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2025年5月17日土曜日

(ChatGPT)「漢委奴国王印」

ネットを巡っていたら、Youtubeで「漢委奴国王印」の真偽について田中英道氏(1942年2月20日~2025年4月30日)が解説されていた。金印は、教科書的な遺物であり、いかにも冊封(弥生時代の漢王朝との関係)を意味するけれど、発見自体が唐突だなとは思っていた。

■ Youtube(登録: 田中英道のNEW HISTORY)
「【国宝・金印の偽造説】漢委奴国王印の真贋を問う!読み解ける古代日本と中国の関係も田中英道が解説」(2024/08/17)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=jBvUEcHS924

果たして本物だろうかという思いがあったが、(いちおう本物として)次のような疑問を感じ、生成AIのChatGPTにQ&Aを求めたので結果を載せる。

Q.「漢委奴国王印」が発見された場所に、金印以外に、他の古物も残っていたのでしょうか? また、倭王の系統が「漢委奴国王印」を持っていたことで返って不利になる状況があって、隠したという考え方はありますか?
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A.「漢委奴国王印」が発見された場所(福岡県糸島市の志賀島)に、金印以外の古物が見つかっていたのか、またその印章が不利な状況を引き起こす可能性があり、それを隠したという考え方について、いくつかの考察を加えます。

1. 「漢委奴国王印」発見地の他の古物について
志賀島で発見された「漢委奴国王印」自体は非常に重要な遺物ですが、発見場所である志賀島では、金印以外の古物が多数見つかっているわけではありません。しかし、遺跡や発掘調査から、志賀島周辺には古代の倭の国に関連する遺物が出土することがあり島自体が貿易や文化交流の中心的な場所であった可能性があります。

具体的には、以下のような古物が関連して出土したり、考古学的に注目されています*。
(*)どうやら、金印と直接関係(傍証)あるような出土物はなさそうだ。

(1) 土器や石器
古代の人々が使用していた土器や石器が志賀島周辺から発掘されることがあります。これらは日常的な生活や交易活動に関連するものであり、金印とは異なる性質を持っています

(2) 鏡や装飾品
古代の倭国では鏡や金属製の装飾品が重要な役割を果たしており、これらが発掘されることもあります。これらの遺物は、当時の王や支配者層の象徴として使用されていた可能性があり、印章とともに出土しても不思議ではありません

(3) その他の印章や銅鐸
金印に関連する他の印章や、宗教的儀式に使われたと考えられる銅鐸などが出土する可能性もありますが、これらが志賀島から直接発見されたわけではなく、周辺地域で見つかることがあります


2. 「漢委奴国王印」が不利になった可能性と隠した理由
「漢委奴国王印」を持っていたことが不利な状況を引き起こしたという考え方についても、いくつかの仮説が存在します。特に、印章の授与が倭国の支配体制にどのように影響を与えたか、またその後の政治的背景がどうであったかという点に注目すると、以下のような推測が可能です。**
(**)金印を貰っていっとき喜んだものの、状況が変化して持て余した(不利に働く)可能性の説明。

(1) 外部からの圧力国内の政治的対立
「漢委奴国王印」を持つことが不利になる状況があったとすれば、まず考えられるのは、外部との外交的な圧力や、国内の政治的対立です。倭国が漢王朝から印章を受け取ったという事実は、倭国が中国の支配下にあることを示唆するものであり、もしそのことが他の王国や支配者層に知られた場合倭国内部での権力闘争や対外的な外交問題を引き起こした可能性があります。特に、倭国には複数の王国(例えば奴国や博多など)が存在し、支配権を巡る争いがあったと考えられます。これにより、金印を持つことが一部の勢力にとっては不利に働いた可能性があるのです。

(2) 「倭の王権」の正統性を巡る問題
金印を授与されることは、倭国の王が漢の朝廷から正当な王として認められた証として重要な意味を持ちますが、同時にこれが倭国の王権の正当性を問われる問題を引き起こした可能性もあります。例えば、後に倭国の支配者が金印を持つことに疑問を持ち、あるいは正当性を主張する際にそれが足枷になった場合印章を隠すという判断がなされることも考えられます。

(3) 「漢の支配下」に置かれることの恐れ
また、倭国の王が金印を持つことは、倭国が漢王朝の支配下に組み込まれる恐れがあるという不安を生じさせる可能性もあります。印章を受け取ること自体が、倭国が漢の属国であることを意味すると捉えられ、内外の圧力から逃れるために印章を隠す、あるいは記録を遺さないという行動に繋がった可能性もあります。

(4) 外交的な立場の変化
倭国が漢王朝から金印を受けた後、外交的な立場が変化した場合、特に中国との関係が変わったり他の外国勢力との関係を重視する必要が生じた場合、金印を持ち続けることが逆に不利になることもあります。このような状況が生じた場合、金印を隠すという行動に出た可能性があります。

3. 隠した理由についての総合的な考察
「漢委奴国王印」を隠すという行動があった場合、その理由は以下のように考えられます:
内部的な政治闘争:他の王族や貴族との権力闘争が影響し、金印が一部の勢力にとって不利に働く可能性があった。
外交的圧力:倭国が漢王朝の支配下に置かれることを避けるため、金印が隠された可能性がある。
王権の正当性を巡る問題:金印を持っていることで、倭国の王の正当性が問われる状況に陥ることを恐れた。

隠された理由が「作為的な隠匿」であったかどうかは不明ですが、倭国がその後、金印の存在をどのように扱ったかという点で、一定の外交的・政治的な計算が働いていた可能性は高いと言えます。

結論
「漢委奴国王印」が発見された志賀島には、金印以外の古物も発見される可能性があるが直接的な証拠は少ないことが分かります。また、金印を隠した理由については、内部の政治闘争外交的な立場を守るため倭国の王が金印を持つことが不利に働く状況があったことも考えられます
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2025年5月16日金曜日

夏の海 「ラ・メール」

きっと誰れもが聞き覚えのある「ラ・メール」(作詞・作曲 シャルル・トレネ、1946年)の曲は、作者トレネ(1913年~2001年)が16歳の時に作った歌詞に、シャンソンとジャズの旋律を加えたという・・・フランス語を知らないので、歌詞について何ともおぼろだが・・・旋律は美しく軽快である。

英語版は、ジャック・ローレンスが英語詞をつけ、ボビー・ダーリンが歌った「ビヨンド・ザ・シー」(1960年)としてリリースされたが、歌詞はフランス語版とは無縁とのこと。(ネットの種々訳詞を参考にして)どこか風景画風な「ラ・メール」に対して、若者の恋する願いのような「ビヨンド・ザ・シー」といったところだろうか。つまり場面の遠近を以って区分けできるような気がする。

それより、夏風の流れるように、あるいは海へいざなうように軽やかなフランス語原曲の雰囲気はよい。次のYoutubeの映像で、穏やかでぬくもりのある発声で歌う歌手タチアナ・エバ・マリエ(母親がルーマニア人)には、いろいろな意味で、さらに一歩親近感を感じる気がする。

■ Youtube(登録: Tatiana Eva-Marie)
①「Tatiana Eva-Marie & Avalon Jazz Band - La Mer ("Beyond The Sea" in FRENCH)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=a5Za8pKGT2E


②「Tatiana Eva-Marie & Avalon Jazz Band - LA VIE EN ROSE (Edith Piaf)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=UM0SSu8iclw

2025年5月14日水曜日

公園の南側

公園を東西に横切る幹線道路を越えた南側に大きな広場「大芝生」があって、陽射しの緩い昼間(11:50)、幼稚園や保育園の園児たちが遊んでいるのが見えた。広い空間のせいか、遊び声が空に抜けて聞こえてこないのが不思議。また、同行したと思われる母親たちが遠くから見守っているのも微笑ましい。

そんな公園にもう一つの広場「少年デイ・キャンプ場」がある。前回(4/21)来たとき、黄色の花を一斉に咲かせた「カントウタンポポ」の群落があったが、今回は白い綿毛の群落に変わっていた。次の写真のように、まるでアニメの世界のような不思議な光景だ。

2025年5月13日火曜日

自然観察園の午後

陽射しの強い(25℃)昼過ぎ、公園併設の自然観察園は初夏を迎えて(晩春という気分はさらさらない)、木立の葉が一斉に繁り、視界を遮っている・・・その結果、観察園の駐輪場にたくさんの自転車があるのに、園内では来園者の姿に気付きにくいほど。

先日(5/4)開催の、多摩霊園に隣接する「浅間山」観察会に参加しなかったため、ここ自然観察園で(「ニッコウキスゲ」の変種である)黄色の花が咲く「ムサシノキスゲ」が見られるとのことで来たが、残念ながら姿を確認できなかった。その代わりに、一見似た感じの黄色の花の咲く「キショウブ」を「かがみ池」の水辺で見た。
同池内にある仕切り板に、「カルガモ」が2羽たたずんでいた。やがて、ゆたり泳ぎ、静かに飛び去った(番(つが)いは、うらやましいほどに呼吸の調和がとれていた)。
観察園内のあちこちに、落ち着いた紫の花の咲く「シラン」の群生が、先日(5/1)より広がっているような気がする。

スイカズラ(写真左)、ヤブヘビイチゴ(写真右)
・甘い蜜があり、子どもたちが吸ったという「スイカズラ(吸い葛)」が、観察園入り口付近の東側通路に見られる。花は白から黄色の変わるそうで、妖しく華奢な花の姿に魅かれる。
・スイカズラを見た散策路の足元に、隠れるようにして点在する「ヤブヘビイチゴ」の赤い実に気付く。プクプクとした実は充分大きくて、口にしてみたい・・・無毒だが、味はないとのこと。よく見れば、ここかしこに見つかる。