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2025年5月17日土曜日

(ChatGPT)「漢委奴国王印」

ネットを巡っていたら、Youtubeで「漢委奴国王印」の真偽について田中英道氏(1942年2月20日~2025年4月30日)が解説されていた。金印は、教科書的な遺物であり、いかにも冊封(弥生時代の漢王朝との関係)を意味するけれど、発見自体が唐突だなとは思っていた。

■ Youtube(登録: 田中英道のNEW HISTORY)
「【国宝・金印の偽造説】漢委奴国王印の真贋を問う!読み解ける古代日本と中国の関係も田中英道が解説」(2024/08/17)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=jBvUEcHS924

果たして本物だろうかという思いがあったが、(いちおう本物として)次のような疑問を感じ、生成AIのChatGPTにQ&Aを求めたので結果を載せる。

Q.「漢委奴国王印」が発見された場所に、金印以外に、他の古物も残っていたのでしょうか? また、倭王の系統が「漢委奴国王印」を持っていたことで返って不利になる状況があって、隠したという考え方はありますか?
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A.「漢委奴国王印」が発見された場所(福岡県糸島市の志賀島)に、金印以外の古物が見つかっていたのか、またその印章が不利な状況を引き起こす可能性があり、それを隠したという考え方について、いくつかの考察を加えます。

1. 「漢委奴国王印」発見地の他の古物について
志賀島で発見された「漢委奴国王印」自体は非常に重要な遺物ですが、発見場所である志賀島では、金印以外の古物が多数見つかっているわけではありません。しかし、遺跡や発掘調査から、志賀島周辺には古代の倭の国に関連する遺物が出土することがあり島自体が貿易や文化交流の中心的な場所であった可能性があります。

具体的には、以下のような古物が関連して出土したり、考古学的に注目されています*。
(*)どうやら、金印と直接関係(傍証)あるような出土物はなさそうだ。

(1) 土器や石器
古代の人々が使用していた土器や石器が志賀島周辺から発掘されることがあります。これらは日常的な生活や交易活動に関連するものであり、金印とは異なる性質を持っています

(2) 鏡や装飾品
古代の倭国では鏡や金属製の装飾品が重要な役割を果たしており、これらが発掘されることもあります。これらの遺物は、当時の王や支配者層の象徴として使用されていた可能性があり、印章とともに出土しても不思議ではありません

(3) その他の印章や銅鐸
金印に関連する他の印章や、宗教的儀式に使われたと考えられる銅鐸などが出土する可能性もありますが、これらが志賀島から直接発見されたわけではなく、周辺地域で見つかることがあります


2. 「漢委奴国王印」が不利になった可能性と隠した理由
「漢委奴国王印」を持っていたことが不利な状況を引き起こしたという考え方についても、いくつかの仮説が存在します。特に、印章の授与が倭国の支配体制にどのように影響を与えたか、またその後の政治的背景がどうであったかという点に注目すると、以下のような推測が可能です。**
(**)金印を貰っていっとき喜んだものの、状況が変化して持て余した(不利に働く)可能性の説明。

(1) 外部からの圧力国内の政治的対立
「漢委奴国王印」を持つことが不利になる状況があったとすれば、まず考えられるのは、外部との外交的な圧力や、国内の政治的対立です。倭国が漢王朝から印章を受け取ったという事実は、倭国が中国の支配下にあることを示唆するものであり、もしそのことが他の王国や支配者層に知られた場合倭国内部での権力闘争や対外的な外交問題を引き起こした可能性があります。特に、倭国には複数の王国(例えば奴国や博多など)が存在し、支配権を巡る争いがあったと考えられます。これにより、金印を持つことが一部の勢力にとっては不利に働いた可能性があるのです。

(2) 「倭の王権」の正統性を巡る問題
金印を授与されることは、倭国の王が漢の朝廷から正当な王として認められた証として重要な意味を持ちますが、同時にこれが倭国の王権の正当性を問われる問題を引き起こした可能性もあります。例えば、後に倭国の支配者が金印を持つことに疑問を持ち、あるいは正当性を主張する際にそれが足枷になった場合印章を隠すという判断がなされることも考えられます。

(3) 「漢の支配下」に置かれることの恐れ
また、倭国の王が金印を持つことは、倭国が漢王朝の支配下に組み込まれる恐れがあるという不安を生じさせる可能性もあります。印章を受け取ること自体が、倭国が漢の属国であることを意味すると捉えられ、内外の圧力から逃れるために印章を隠す、あるいは記録を遺さないという行動に繋がった可能性もあります。

(4) 外交的な立場の変化
倭国が漢王朝から金印を受けた後、外交的な立場が変化した場合、特に中国との関係が変わったり他の外国勢力との関係を重視する必要が生じた場合、金印を持ち続けることが逆に不利になることもあります。このような状況が生じた場合、金印を隠すという行動に出た可能性があります。

3. 隠した理由についての総合的な考察
「漢委奴国王印」を隠すという行動があった場合、その理由は以下のように考えられます:
内部的な政治闘争:他の王族や貴族との権力闘争が影響し、金印が一部の勢力にとって不利に働く可能性があった。
外交的圧力:倭国が漢王朝の支配下に置かれることを避けるため、金印が隠された可能性がある。
王権の正当性を巡る問題:金印を持っていることで、倭国の王の正当性が問われる状況に陥ることを恐れた。

隠された理由が「作為的な隠匿」であったかどうかは不明ですが、倭国がその後、金印の存在をどのように扱ったかという点で、一定の外交的・政治的な計算が働いていた可能性は高いと言えます。

結論
「漢委奴国王印」が発見された志賀島には、金印以外の古物も発見される可能性があるが直接的な証拠は少ないことが分かります。また、金印を隠した理由については、内部の政治闘争外交的な立場を守るため倭国の王が金印を持つことが不利に働く状況があったことも考えられます
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