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2014年1月14日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 北斗七星

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第38回として、「北斗七星(북두칠성)」にまつわる話を紹介した。

まず、夜空の星々と北斗七星の歌について、次のような紹介から始まった。
・韓国のことわざに、とても不可能の意を表す、「空の星を取る(하늘의 별 따기)」がある。確かに、星を手にすることは難しく、現代の都心では、星さえ忘れて暮らしている。昔の人々は、きらめく夜空を見上げて様々な思いをはせ、星々に特別な力があると考えた。
・朝鮮時代の女性歌曲(여창가곡)にも、北斗七星(평롱)が登場する。「北斗七星、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つの星たちよ、私の願いを聞いてください。恋しいあの方がいらっしゃったから、この夜がどうか、ゆっくりと明けるようにしておくれ」。

▼ 界面調(계면조) 平弄(평롱)「北斗七星(북두칠성)」を聴く。星の輝きする・・・今様に編曲したのか?

次に、北斗七星に寄せる思いの強い歴史的、文化的なかかわりについて次のように解説した。
・北斗七星は、ひしゃく形をして明るく光るため、簡単に見つかる。西洋では神話に登場するが、韓国でも、先史時代の支石墓(コインドル、고인돌)に、北斗七星が刻まれている。また高句麗時代の墓の壁画に北斗七星が描かれている。
・空に東西南北の四方位を守る神がいて、北斗は北の空を司る神の意がある。さらに空を神と見立てて、北はその喉と舌に当たり、北斗七星は、空それ自体を象徴すると捉えられた。
・古く、空は人の運命をも左右する力を持つとされ、北斗七星は人間の生き方、寿命、幸福、災いなどと関連すると神格化された。(一)母親は、家族の健康と和平を祈るため、甕の上に水を汲んで、北斗七星に祈りをささげた。(二)(シャーマンの)巫堂(ムーダン、무당)によるクッ(굿)のお払いの際、北斗七星を祀ることが多かった。さらに、(三)寺院には、釈迦を祭った本堂とは別に、七星閣(チルソンガク、칠성각)という小さな建物がある。仏教が根付く過程で、深く信じられた北斗七星信仰をたくみに習合した。

▼ 済州(島)の七頭堂クッ(칠머리당굿)中の「七星本プリ(칠성 본풀이)」を聴く。淡々と語りつぐ・・・七にこだわり、ヘビ信仰と?(「本プリ」とは、クッを受ける神が神となった話を含む部分とのこと)

最後に、済州島の北斗七星にまつわる伝説を次のように紹介した。
・済州島には、(一)年老いた母に孝行を尽くした息子たちが死後に星となった話、(二)あの世の尊い薬を手に入れ、父の命を救ったパリ姫の息子が7つの星となった話が伝えられている。この島の北斗七星の伝説には、不思議なことに、全て女性が関連している。女性が他地域に比べて多く、家庭のやりくりを主導していた風習が反映されていたからだろう。

▼ 「The Starry Night(별금자)」を聴く。コムンゴファクトリーの演奏・・・超モダンで難解に・・・。

・・・わかりました、空の星を眺めながら、遠く宇宙のかなたに想いをはせてみましょう。

2014年1月13日月曜日

冬景色(続)

今日は成人の日。夕方の街中、成人式の帰りだろうか、かわいらしい振袖姿があちらこちらに目につく。何はともあれ、若いことはよいものだ。当人たちにとって、私のときもそうだったが、成人式の今日は単なる通過点でしかない。でも、この日を祝われてこそ、自覚を促されるというもの。頑張れ。

ところで、近隣の駅ビルにある本屋で、「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)を求めた。というのも、本書に収められた71曲中に、昨日の本ブログに記した唱歌「冬景色」について、次のような記載(岡田康晴記者)を目にしたからだ。(抜粋)

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「私が好きなのは『朧月夜(おぼろつきよ)』と・・・・・・『冬景色』です」
皇后陛下(美智子妃殿下)からそうお聞きして、国語学者の金田一春彦はポンとひざを打ちたかったという。金田一も詞の美しい、この二つの歌が大好きだった。

『冬景色』は、一九一三年(大正二)、音楽教科書「尋常小学唱歌(五)」で発表された。

(歌詞が当時として斬新な)六五調の節回しとリズミカルな三拍子
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この項の最後に、作詞・作曲不詳であるいきさつと、作詞者の推定までされていて興味深い。

それにしても、この歌の始まり(早朝)と終わり(黄昏)の描写がことのほか美しい。

    さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
    舟に白し朝の霧

    若(も)し燈火(ともしび)の漏れ来ずば
    それと分じ野辺の里

2014年1月12日日曜日

冬景色

冬の夜、起きているときはガス・ストーブで部屋中熱くしても、就寝中はガス・ストーブをつけっ放しにするわけにもいかず、足元を暖めるため電気あんかを使った。しかし、それでも暖が足りず、昨晩ついに電気マットに取り替えた。

今年の冬は、昨年より厳しいのだろうか、それとも歳とともに寒さに耐え難くなったのか。こんなとき、少しでも心を癒すのは昔の歌だ。文部省唱歌の「冬景色」は、その歌詞がなぜか優雅な気がする。しっかりした文体は、心落ち着かせるものだ。
「京都 大原 三千院」の詞で思い出深い、デュークエイセスの歌で「冬景色」を聴いてみよう。

(Youtubeに登録のhinanohiに感謝)

2014年1月11日土曜日

イ・ソンヒの「あなたに届くなら」

イ・ソンヒの11集所収の「あなたに届くなら(너에게 가면)」(1998年)は、この歌の作者から、あるいは彼女の人生から、つい深読みしたくなるが、素直に聴けばよいのであって、かえって何処かで耳にしたような親和な曲風である・・・でも、気になる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「あなたに届くなら」”)

耐えられぬ日々の様に  忘れられないあなたに届くなら
ふるえる手で  記憶の中をたぐっても

怒れぬ時間の中で  忘れられないあなたの前に立てば
私の小さな手に  むせび泣きささやくでしょう

倒れないで、私が耐えられる また戻ってくる  その日を忘れないで
いわないで、あなたをしのんで待っています

隠さないで、忘れられぬ時間を すすり泣きながら  私のぬれた目で
愛しています、永・遠・に


(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2014年1月10日金曜日

「知りたい」と「分かりたい」こと

以前このブログで、イ・ソンヒの「分かりたいです」という曲名から、「知りたい」と「分かりたい」ことについて考えてみた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「分かりたいです」”、”分かりたいです”)

さらにもう一歩、高尚な捉え方かもしれないが、次のような話を読んで、上記曲名の理解にそのまま当てはめてよいか躊躇するが・・・ある高名な歴史家*が、若い頃に恩師の語った言葉を伝えたもので、歴史(対象)と取り組む姿勢を若者に伝えたものだ。

(恩師の言葉) 「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」
(歴史家の解説) 「・・・何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、『解る』ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そうのような『解る』体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだと思えるのです。」

この言葉を、世俗に引き寄せて、曲名「分かりたいです」を解すれば、想いを相手に伝え、応えを求めて、よって自身が変わろうとするまでを含むようだ。一方、「知りたいです」では、知りたい側の言葉だけで、相手との共鳴する想いが響いてこない。

少々大げさだが、そう理解した。

(*)「自分のなかに歴史を読む」阿部謹也著)

2014年1月9日木曜日

健康体操教室の翌日は

毎週水曜日に、市の施設で開かれる健康体操教室に通っている。年末と年始の2回は休みだったため、体が少々なまってきたところで、昨日、今年最初の教室に出かけた。

運動を教わっているとき、「休みの間、自宅でやっていましたか?」という先生の問いかけに、視線が思わず天井に向いてしまう。まあ、回りの皆さんも同様だったが。そんなわけで、久し振りの運動をして気付いたのは、①屈伸をすると腹が邪魔になる、②太もも、ふくらはぎの後ろ側を伸ばすと痛いのだ。年末、年始をダラダラ過ごしたせいだろうか。反省。

いつも通りの体操にもかかわらず、(それを家で繰り返すこともなく)暫く間を空けたため、「明日は体が痛くなりますよ」といわれた・・・まさにその通り、今日は体のあちこちが強張る。あらためて、体操教室のありがたさに気付く、人間の体は少しの荷重が必要だ。納得。

ところで、椅子に座りながらブログを作成しているとき、姿勢が自然と前かがみになるのを防ぐために、子ども用のボール(φ22cm位い)を背中~腰にあてて、背筋を伸ばすようにしている。まだ一ヶ月ほどの試行だが、姿勢を意識するのに無理のない道具だと思う。推奨。

2014年1月8日水曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

イ・ソンヒは20歳になる1984年に、MBCの第5回「江辺歌謡祭」において、「Jへ(J에게)」で大賞を受賞してデビューを果たした。このいきさつについては、本ブログで何度も繰り返しとりあげてきた。

(本ブログ関連:”Jへ”、”江辺歌謡祭”、”イ・ソンヒのスター・ストーリー「7.『江辺歌謡祭』の裏話」”)

「サニー」の愛称でファンに親しまれる彼女は、今年デビュー30周年を迎える。来月、アルバム15集を出すことになり、マスコミは、「いつの間にかデビュー30年」、「カムバック」、「ディーバ(歌姫)の帰還」と同時に、昨年のチョー・ヨンピルの復活に照らして、「バタフライ効果」、「音楽業界の圧力」などとベテラン歌手の彼女への大きな期待を伝えている。

「江辺歌謡祭」のステージに立ったイ・ソンヒは、ある意味、歌の力だけを信じて挑むことができた、よき時時代の象徴でもあった。

(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2014年1月7日火曜日

ボルヴィック

数日前、名前を忘れたがテレビ番組で、スタッフ?の(日本)女性がフランスの名勝を廻るというコーナーがあって、ある家?に泊った翌朝、その家庭の若い娘が洗顔しないことに驚く場面があった。フランスの水道水は硬質で、肌が荒れるからだそうで、以って化粧水で代用するという。

いわれることに、フランスの水道水は硬水のため、飲料水に適さない。代わりに、ミネラルウォーターやワインを飲むのだと。日本でポピュラーな、フランスのミネラルウォーターに「ボルヴィック(Volvic)」がある。このボルヴィックは、どんな処で汲み出されているのだろうか。

▼ ボルヴィックを販売しているKIRINのホームページに、次のように紹介されている。
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・ボルヴィックが生まれるフランス中部オーヴェルニュ地方は、「ピュイ・ド・ドーム」、「カンタル」、「オート・ロワール」、「アリエ」の4つの県からなり、北のアリエ県を除く南部3県は全て山岳地帯で、中央山地(マッシフ・サントラル)と呼ばれています。フランスの中では珍しく変化に富んだ地形をもつこの地方では、昔の火山活動でできた湖や渓谷がいたる所にあります。

・ボルヴィックの水源地はおよそ4,000ヘクタール。その広さは東京ドーム約850個分にも及びます。フランス中部オーヴェルニュ地方に広がる火山自然公園の中心にあるピュイ山脈。・・・

・オーヴェルニュ地方に広がる緑濃い火山自然公園の北端にある美しい村がボルヴィックの故郷、ボルヴィックです。・・・
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ボルヴィックは、硬度60で「軟水」の範疇に入る、1927年に発見された比較的歴史の新しいミネラルウォーターである。


▼ 「ヨーロッパ火山紀行」(小山真人著、ちくま新書)に、ボルヴィックの産地ピュイ・ド・ドームが次のように紹介されている。
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・パリ盆地と地中海にはさまれる形で、広大なフランス中央山塊(Massif central)が存在し、2000メートル近い高山がひしめいている。ただし、山塊の大部分は、険しい山と言うよりはなだらかな高原によって占められている。・・・

・このフランス山塊に数多くの火山が存在する、といっても大部分はすでに活動を終えた古い火山であり、豊かな森におおわれ、その懐には町や村が作られている。・・・

・ピュイ・ド・ドームは、シェヌ・デ・ビュイ火山群の最高峰(一四六四メートル)であり、およそ一万一○○○年前に噴火した溶岩ドームである。高原上に噴出したので、ドームそのものの高さは四五○メートルであり、ドームの底径は二キロである。・・・

・シェヌ・デ・ビュイ火山群には数多くのハイキングコースが整備されている。・・・お勧めは、ピュイ・ド・ドーム北側にあるいくつかのスコリア丘や溶岩ドームである。・・・
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約1万1,000年前に噴火した溶岩ドームのピュイ・ド・ドーム(Puy de Dôme)の写真を見ると、何となく伊豆半島の伊東にある、約4000年前に噴火した単成火山であるスコリア丘の大室山の姿を連想する。時間の経過と、緑に覆われた遠望がそうさせるのだろう。

ボルヴィックのボトルラベルに、なだらかな緑のピュイ・ド・ドームの絵が描かれている。高尾山に登るような気楽さなのだろうか・・・。

(本ブログ関連:”大室山”)

KBS WORLD「国楽の世界へ」 (吉報)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、毎週水曜日に放送されているが、先週水曜日は元旦(1/1)であり、特別放送(仁川アジア大会開催)のためにお休みだった。

ところで、昨年大晦日(12/31)に「アナウンサー・オン・パレード」があって、日本語放送の番組関係者がそろって歌対抗する恒例のイベントを放送した。

そのなかで、いつも楽しく拝聴している「国楽の世界へ」担当の岸加那子さんが、昨年3月17日に結婚されて、今年には赤ちゃん誕生と紹介された。おめでとうございます。そしてお体大事に願います。

七草粥

今日で松の内が明ける。

「せり/なずな、ごぎょう/はこべら/ほとけのざ、すずな/すずしろ」と暗記した、春の七草の七草粥を食べる風習がある。草の名は何となく覚えても、七草粥を食べた覚えはない。

春の息吹を感じるよう、そろそろ気持ちを切りかえるときである。

2014年1月6日月曜日

本屋の棚から消えるもの

文学者であり小説家が、以前雑誌に肩のこらぬ連載をしていて、それがまとまって確か文庫本になっていた筈だと、近在の中古書チェーン店の数店に探しに行った。ところが、その方の作品が書棚に驚くほど見当たらないのだ。

昨年、亡くなられたばかりというのに、扱いがこんな風なのかと少々驚いた。旧仮名遣いを押し通したせいでもないだろうけれどと思いながら、書店を巡ったが、何処も同じだった。今の若い世代には、とっつきにくい作家だったのかもしれない・・・そうでもあるまいに。似た雰囲気の女性作家も、今は高齢となれば作品は見当たらない。

文学や評論は、活字として残ると思いたいのだが、残念なことに余程に特質なのものでない限り、読み継がれることは結局ないのだろう。つくづく古典の凄さがわかるというものだ。

本屋の書棚から、時代を共有しただけだが、著名な作家、文学者そして評論家たちの作品が次々消えていくのは、火が薄れていくようでさびしいものだ。

2014年1月5日日曜日

小寒2014

今日は、二十四節気の最後から二番目である「小寒」だ。新暦の正月の行事が一通り過ぎたところ、季節の変化を意識するわけだが、この後、更に「大寒」が待っている生憎の節気でもある。(寒の入りの小寒の方が大寒よりも寒いということもある)

昨日、マフラーをつけて外出したところ、店舗内の暖房に額に汗が滲んだものの、一歩外に出れば、寒風にその効用に気付く。やはり、今は厳冬だ。

とはいえ、陽の温みをそろそろ察知して、雁は北へ帰り始めるという。ネット情報をいくつか見ると、地域によって異なるが、実際は、来月(2月)下旬頃から飛び立つようだ。寒い時期にやがて来る温もりを避けて北帰行するわけだが、それを見送る者には置いてけぼりされたような寂しさと少しの不安が残る。

イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울 애상)」(1989年)も、傷心のまま癒されることもなくじっと、飛び去る雁を見送るだけのようだ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「冬哀傷」”)

ところで、イ・ソンヒの2月リリースの15集アルバムが(日本の)店頭に並ぶのは、いつのことかな。待ち遠しい。

2014年1月4日土曜日

魯迅の「お長と山海経」

魯迅の短編「お長と山海経」(藤井省三訳、光文社古典新訳文庫)に登場する「お長(阿長)」は、まるで漱石の「坊っちゃん」の下女(養育係り)の「清」のように、主人公の世話をする。「坊っちゃん」の明治気質の清と違って、「お長と山海経」のお長は頑固さや狡さがあり、そして適当さもあわせ持っていているが、人間味のある彼女と主人公(僕)との距離感は返って近いようにも見える。

「お長と山海経」の主人公は、大叔父の影響もあって、彼から聞いた絵入りの中国古代の地理書である「山海経」が欲しくなり、新年のお年玉としてお長にそれを求めた。後日、お長は実家からの帰りがけに、木版色刷りの「山海経」四冊を買ってきてプレゼントしてくれたのだ。

「ページをめくれば、たしかに人面の獣、九頭の蛇、一本足の牛がおり、袋のような帝紅鳥、頭がなくて『乳を目とし、臍(へそ)を口とし』、さらに『干戚(たてとおの)を執って舞う』刑天がいるのだ。」という、粗末な色刷りだが、その図は少年の空想を膨らませるに十分なお宝となった。

(本ブログ関連:”山海経”)

イ・ソンヒの歌「狐の嫁入り(여우비)」がOSTである、SBSのロマンチック・コメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」の主人公「九尾狐」について、その起源を記した「山海経」に関心がますます深まる。魯迅が幼い頃に見たであろう、子供向け色刷りの「山海経」の四冊(「南山経」、「大荒東経」、「東山経」、「海外東経」)を、実際に手にとって見てみたいと思う。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

2014年1月3日金曜日

イ・ソンヒ 来月(2月)に15集をリリース!

イ・ソンヒは来月(2月)、ついにアルバム15集をリリースする。

NEWSIS.COMの記事「『サニー姉さん』 イ・ソンヒ、いつのまにかデビュー30年…来月15集」(1/3、イ・ジェフン記者)は、次のような期待を込めた情報を知らせる。いやあ、待ち遠しい。それにしても突然知った。

イ・ソンヒの再婚した夫からの昨年の情報では、「最近、活動がまばらな妻イ・ソンヒの近況については『非常によくやっている。今は休んでいるが近いうちにコンサートをするのか、アルバムを出すのかよくわからない。妻の歌手活動については一切関与していない』と述べた。」と、確証を得られていないが、一方、彼女のファンクラブは、30周年記念に向けて応援を企画している。

ともあれ、ついにというか、やっと期待が実ることになった。早速、記事を見てみよう。感謝。
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・今年でデビュー30周年を迎えた歌手イ・ソンヒ(50)が、5年ぶりに正規アルバムを発表する。

・マネージメント社のフックエンターテインメント(Hook Entertainment)によれば、イ・ソンヒは、2月中に第15集を出す。2009年2月の14集「愛よ・・・(사랑아・・・)」以来初めてだ。

・正規アルバムだが、30周年記念の意味も入れる。既存のヒット曲を再びのせるのを検討中だ。

・1984年江辺歌謡祭で、「Jへ」で大賞を受賞してデビューしたイ・ソンヒは、爆発的な歌唱力で人気を享受した。「分かりたいです」や「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」など、多くのヒット曲を出した。

・2011年2月米国、ニューヨークのカーネギー・ホールのアイザック・スターン オーディトリアムでコンサートを開いた。同マネージメント社所属歌手兼タレントのイ・スンギ(27)の音楽先生としても有名である。
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チャン・ヘリの「私に残った愛を差しあげます」

チャン・ヘリ(장혜리)の歌「私に残った愛を差しあげます(내게 남은 사랑을 드릴께요)」(作詞ハム・キョンムン、作曲ハ・クァンフン、1988年)をYoutubeで聴こう。

まず、Youtubeの登録者pops8090のおかげで、こんなに美しい映像を見ることができて感謝。それに、登録者がいずれのYoutube映像に選ぶ女性たちも、古風というか日本人の感覚にマッチしているのがうれしい。

今回Youtubeに登場の、ソン・イェジン(손예진)については、この歌にまさにピッタリの映画に出演していることなどの情報を、以前の本ブログで触れた。ところで、私は女性の涙が戦術的だ・・・と思うのだが、ソン・イェジンの、鼻を赤かめてうっすら涙を浮かべる顔を見ると・・・はい、女性の涙はやっぱり強力です。(今日の日付に変わった、深夜の午前2時30分から、その映画がテレビ放映された)
なお、Youtube後半に、この歌の歌い手であるチャン・ヘリが登場する。

(本ブログ関連:”チャン・へリ「私に残った愛を差し上げます」”)

そよぐ風の便りに
愛の歌 聞こえます
私のそばから離れてしまった
懐かしい愛の歌が聞こえて 心 震えます

暗闇が過ぎ去って
明日が来ると
焦がれた過去の日々が
私にそっとまた近づく ようです

もう泣かないわ
別れはあまりにも苦しいのです
再び離れるとしても
私に残った愛を差しあげます

記憶はなくても
消せないのです
悲しいように押し寄せる懐かしさ

歳月が流れても
いつまでもそのまま
私のかたわらにいてください


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2014年1月2日木曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「9.忙しい活動の中の毎日」

先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第9回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒが、マネジャーとの出会い、忙しい新人時代の様子、そして健康管理などを知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)


[9] 忙しい活動の中の毎日
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初めてのアルバムが想像以上に大ヒットをした後、私は新しいマネジャーのユン・ヒジュン先生*と手を取り合って2集の準備に入った

    (*) ユン・ヒジュン先生:イ・ソンヒの人生に大きく関係することになる。
          1991年の27歳当時の手記であるため、後の1998、1999年の出来事を知るべくもない。

ユン先生は、まずナイトスポットの出演を厳禁した。そうしたところに出て行って、煙たいタバコの煙とホコリの中で歌ってみても良いことは一つもないといって、放送出演以外の時間はみな練習に費やせと忠告した。また、ギターリスト出身の専門の音楽家らしく各種の名曲を聞かせながら、先生の言葉通りに「基礎から再び」教えた。

私はその時、音楽理論もたくさん学んだ。さらに国楽まで学びに通うほどであった。

だが、私の周辺の状況は、のんびりと(?)音楽の勉強でもするように日中放っておくだけではなかった。スケジュールがハードな日は、一日に何と八ヶ所の舞台に上がったりもした。

特に、両方の放送局の特集番組が一度に集まる年末年始には、言葉通り「あわてて(目をつり上げて)」MBCからKBSに、KBSからMBCに飛び回らなければならなかった。私は化粧もしなくて舞台衣装もズボンにジャケットを掛ける式で、気軽な方なので、それなりにちょっと落ち着いたりしたが・・・

それでも、ソウルでの放送出演は、地方に比べれば「両班」(気楽)だ。済州道と釜山などで、まるで隣家に飲みに行くように足しげく上がり下りして見たら、苦労は並大抵ではなかった。その上、今も飛行機酔いのある私は、主に自動車を愛用する。公演開始時間に合わせて見ると、食堂を訪ねて食事を済ませる余裕は最初から考えもできない。やむを得ず、車中でカップラーメンの切れ端で食事を間に合わせたりするけれど、その姿を見たある雑誌社記者は「イ・ソンヒが好む食べ物はカップラーメンだ」と書いたりした。

その記事のおかげで、我が家にしばらくの間、ファンが送ったラーメンが「どこにでも」あるほどあふれた。

目が廻るほど忙しい「行軍」を2年ほどしたので、そうでなくても虚弱な私の体は耐えることができなかった。結局、10日間病院の世話にならなければならなかった。退院後は、無理な出演依頼をできるだけ断る方だが、それでも定期的に「バタバタ」倒れるのは昔も今もあまり変わらない。

「健康に留意」という水準を越えて、「体力を鍛練」する必要がある私は、規則的な生活を最優先にする

たいてい歌手たちは、「ふくろうの生活」(夜間の仕事?)をする場合が大部分なので、何かわきまえず朝に電話しては「朝っぱらから何の大騒ぎだと」 「けんつく」されるのが常だ。甘い睡眠を邪魔されたくなくて、とても親しくなければ互いの電話番号も正しく教えないようにしている。

反対に、私は夜の仕事をしないので、歌手としては比較的早く寝る。私がしばらくの間、熟睡している夜明け(深夜)の1時頃にかかってくる電話は、私をとても苛立たせる。たいてい、私に電話する人は、その遅い時間まで外国歌手の公演ビデオや新曲を聞いて、音楽の話をしようとかけてきたことを分かってはいるけれど、いな、真っ暗ならば寝なければならないのではないか。

寝るとき寝て、仕事をするとき仕事をする規則的な生活以外にも、私は特に喉とお腹に神経を多く使う

歌手にとって、生命とも同じものが正に声なので、私は一日も欠かすことなく寝床につく前に、食塩水でガラガラしながら声帯「清掃」をする。たとえ一日に一度であっても、それがどれくらい面倒なことかは、しない人は分からないことだ。体質上、生卵はちょっと吐き気を催して、それでも一日中、口の中でトローチなどをモグモグすることは嫌いで・・・それで開発した方法が、毎晩「塩味補気」(塩辛いものを飲むこと?)である。

また、朝6時なら、寝床から起きて家の近所のヘルスクラブに走って行く。その位置は、明け方に運動する方々に、どちらであるか明らかにできない点、理解して欲しい。

ヘルスクラブで最も汗をたくさん流すステップは、「腹筋運動」コースだ。それもそのはずなのが、お腹の中で鳴って出てくる声と、喉だけ使って出す音声(国楽では「黄色喉(노랑목)」といったか)とは声自体が違うものであるから。運動のおかげなのか、今でも158cm、46kgの体を無理なく維持している。平素に、体力管理を怠れば、少なくとも人気歌手になることはできない。私でも、公演スケジュールが通常6ヶ月の前までは、埋まっている状態だ。公演日程に基づいて、着々進行されるのだが、体だけが何ともはやスケジュールに従って痛むことか。

いつ寝込むかもしれなくて、用心用心するが私の体は鋼鉄ではないので、時々出演パンク(破る、펑크)を出す時がある。大慨は、痛くて出られないといえば形式的で無愛想な語り口で「健康管理、上手くしなさい」という慰めの言葉をする。だが、時々は到底抜け出せない場合もある。

去る1988年、蔚山KBSで<歌謡トップ10>を生放送したことがある。

当時、私の歌「私の街」が1位曲であったが、その日に限ってスケジュールが重なってしまった。近いといえば近い距離ではあるが、釜山でも放送に出演しなければならなかったのだ。

結局、私は釜山公演を終えるやいなや、蔚山KBSに向かって全速力で車を疾走した。今考えて物凄い途方もないスピードであり、しばらくして何か焼ける臭いがした。タイヤのフレームが、アスファルト上に転がったところで、車中いっぱい煙が立ちこんだ。窒息するようだった。マネジャーの先生が、洋服の上着で覆わなかったならば、おそらく私は窒息死まではないにせよ気絶ぐらいはしただろう。

とにかく、どうにかこうにかかろうじて蔚山スタジオに入った時は、出演歌手全員がいっぺんに歌う準備をしていた。その瞬間、あたふたと駆け付ける私の姿を見たMCが、「たった今、イ・ソンヒちゃんが到着しました」と叫ぶと、私は「私の街」を息つまるように歌った。後ほど聞いてみると、2秒だけ遅れても、私は舞台に上がることができなかったという。その日私は、どんな悪条件下でも歌を歌う可能性があることを証明した。夜10時に寝て、朝6時に起きること。これにより、ほぼ午前中に進行される放送録画の時、一部歌手のように喉がかれることがないだろう。歌手志望生に聞かせたい言葉だ。
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2014年1月1日水曜日

2014年 あけましておめでとうございます

2014年 あけまして おめでとうございます

今年も 良き年でありますように

今年の干支は 「午(うま)」で 十二支中 七番目の折り返しの年にあたる

「午」は 午前、正午、午後という風にも使われ 切れ目のいい文字だ

午年は 「西暦年を12で割って10が余る年」(Wikipedia)とのこと

今年の20124年=12×167+10 フムフム なるほど

ちなみに 丙午年は「西暦年を60で割って46が余る年」(Wikipedia)とのこと

最近では 1966年が これからでは 2026年だそうだ


さて これから 地元神社に初詣にいこう

2013年12月31日火曜日

2013年にさようなら

さて今年もあと数時間でおしまいだ。あっという間の1年だった。

こんな年の暮れ方も珍しい・・・惜しむ間もなく、ざるから漏れるように時が過ぎた。

ここで1曲、イ・ソンヒの「惜別の情(석별의 정)」、つまり「蛍の光」を聴きたいたいところだが、残念ながら単独で2013年の最後を飾るに相応しいYoutube映像が見当たらない。・・・昨年版のものはあるのだが。

そんなわけで、軽快にポール・モーリヤ(Paul Mauriat)編曲の「蛍の光(AULD LANG SYNE)」を聴きながら今年を仕舞いましょう。(Youtubeに登録のufrp136に感謝)

来年もよい年でありますように。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 クリスマス

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第37回として、「クリスマス(크리스마스)」にまつわる話を紹介した。

まず、イエスの「5つのパンと2匹の魚」の奇跡の紹介から次のように始まった。(聖書に基づき改編)
・イエスを慕い従った人々に、夕暮れに与える食べ物が全くなく困った時、弟子はわずかに残ったパンを5つと魚を2匹差し出した。イエスはこれを裂いて5千を超える人々に与え満腹にした。このイエスの奇跡は、小さくとも、自ら所有するものを人々に喜んで差し出す行為に、尊い価値を知らせた。独占する心を、喜んで分け与える心に変えること、それがイエスの奇跡だった。

▼ パンソリ「イエス伝」中の「イエスが馬小屋で誕生する題目」を聴く。こんな・・・布教の巧みさを考える。

次に、韓国のキリスト教の広まりについて次のように解説された。
・1549年、ザビエルが日本にカトリックを布教した。文禄・慶長の役(1592年~1598年)の際、西洋のセスペデス(Sespedes)神父が、日本から朝鮮に入った記録があるが、戦乱中の宣教活動は限定的だった。1631年、中国へ朝貢の使節を通じて、カトリックが本格的に伝来した。カトリックはまず学問として西学(서학)の名で広まる。当初、友好的だったが、その後百年余りの間、迫害を受け数多くの殉教者も出したが、現在数多い信者がイエスの生き方とその教えに感化されることとなった。

▼ 「ホワイトクリスマス」を聴く。伽耶琴(カヤグム)による演奏・・・国楽から洋楽へ、いいかもしれない。

最後に、シルクロードを経由したキリスト教の話が次にように説明された。
・シルクロードの繁栄を狙っていた唐代の首都、長安には世界から人々が訪れ賑わっていた。その中で、景教というキリスト教一派が仏教に負けずに栄えていた。景教はトルコの宣教師ネストリウスから広まったもので、シルクロードを通じて中国に伝わったもので、ユーラシア大陸を行き来した躍動的な動きが感じられる。

▼ 「あなたは愛されるために生まれてきた人(당신은 사랑받기 위해 태어난 사람)」を聴く。二弦の擦弦楽器、奚琴(해금:ヘグム)による演奏・・・美しい調べする、今様である。

2013年12月30日月曜日

丸いこと

内部で回転運動をすると不思議なことに安定感が増す。といってもジャイロ効果のことだが、回転の進行は同じでも、直径の両端から向かいあって見ると、反対方向に走っているように見える。一見、互いに運動を打ち消すようで、そのことが安定をもたらすといっても・・・。

その安定感には、態勢を決める重力が関わるだろうと思っても関係ない。宇宙船のなかで実験してみせてくれる映像がYoutubeにある。どんな道具を使うのかと思ったら、なんとCDプレイヤーのスイッチを入れてCDディスクを回転させて、ジャイロ効果を見せるのだ・・・あら不思議。

(Youtubeに登録のPlasma Benに感謝)

丸い回転運動は互いに中心を引っ張り合うように、反対に走ればよい。ものごといずれに片寄っても按配よくない。回転エネルギーさえ保てば円運動はうまくいく。

そういえば、マンホールの蓋が円板なのは、それ以外の形状では、傾き具合で蓋が穴に落ちてしまう危険性があるからだ。円板の蓋なら、マンホールの穴に落ちない・・・という、まっとうな仕組みになっている。円板は回転してもじっとしても安定する。

ところが、丸い球体は転がすとどこへ進むのか分からない・・・野球、ゴルフ、ボーリング、はてはサッカーなどスポーツや娯楽に最適だ。丸が3次元に変わると、いろいろな要素が加わって、コントロールがむつかしくなる。それもいいものだ。

よく人は「丸くなれ」というが、2次元を選ぶか、3次元を選ぶか・・・私は、3次元球体も捨てがたい。その場合、でんと座っているために人は「角張れ」とでもいうのだろうか。