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2014年2月10日月曜日

バイキング・ザ・バイキング

昨晩のテレビで、ドラゴン退治の伝説をCGを使って紹介するなか、バイキングに触れるところがあって、ふと思い出したことがある。主題歌の一節に「バイキング・ザ・バイキング」と歌うアメリカのテレビシリーズだ。

1960年に放送されたTV番組に「バイキング(Tales of The Vikings)*」があった。当時、子どものなので、バイキング(ヴァイキング)の歴史的な背景・・・キリスト教との対立など知る由もなかったが、戦いにあけくれる展開に毎回釘付けになったものだ。ある意味、海洋民族?に対する親和があったのかもしれない。

    (*) 「クラシック・テレビ・アーカイブ」に詳細な紹介がある。

ソチ冬季オリンピック開催式に入場した北欧諸国の選手団が掲げた国旗に、十字架のデザインが多いことに気付く。


(Youtubeに登録のStephen Carrollに感謝)

2014年2月9日日曜日

雪かき

降雪はいつ止んだのだろう。今朝はすっかり晴天になって、屋根上から積雪の塊がドスン、ドスンと音をたてながら落ちたり、溶けた水滴が雨だれのようにポトポト垂れている。

昨日のうちに、(前回の積雪の反省から)、門のレールに水道水をチョロチョロ流し続けていたので、雪に埋もれることもなく開閉がスムーズなのは幸いだ。後は、玄関前と通り道の雪かきだ。

今日は、降雪の心配もないようなので、玄関前の雪は水道水で溶かす。同様に、家の前の通りに水を撒くのは、凍結の心配というご意見もあるだろうから、新品の雪かきスコップで取り除いた。このスコップ、軽くて作業が楽だ。思いのほか短時間で終えることができた。

雪塊が屋根から落ちる音が続く。前回の降雪で、2階の屋根から落下した雪の塊が、1階屋根の雨どいを壊してしまったことがある。今回はどうだろう・・・ちょっと心配。


ところで、昨日の都心の降雪について、日本経済新聞の記事「東京都心で積雪27センチ、戦後4位 628人けが」(2/9 1:48、共同)は次のように報じている。(抜粋)
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・日本列島は8日、南海上を急速に発達しながら進んだ低気圧の影響で、東京都心(大手町)で戦後4番目となる27センチの積雪を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となった。都心で20センチを超える積雪は1994年2月以来、20年ぶり。東日本や東北では9日にかけて大雪が続く所があるという。
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東京の最深積雪:「気象統計情報」(気象庁
  年  cm
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1994 23
1995   2
1996 14
1997 -- (該当現象:なし)
1998 16
1999   0 (該当現象:1未満)
2000   0
2001   8
2002 --
2003  1
2004   0
2005  2
2006   9
2007 --
2008  3
2009  0
2010   1
2011   2
2012   4
2013   8  ← あれ、もっと降ったような気がするが!
2014 27 (2/8現在)
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2014年2月8日土曜日

大雪警報

サラサラ粒の雪が一日中降り続く。止む気配がない。通りに、雪が大好きなはずの子どもたちの姿を見ることができない。あっという間に、雪が肩に積もる。

徒労を承知で、家の前を雪かきした。次に、玄関先の蛇口から、門が雪に埋まらぬよう水を撒いて降雪を溶かしたが、小一時間もすると、辺りはしっかり雪に埋もれている。しかも、蛇口が凍ってしまい水が出てこないのだ。慌てて、熱湯をかけて解凍した。凍結防止のために、ちょろちょろと水を流し続けることにした。

テレビの気象情報では、降雪量(高さ)が、「~年振り」と次々更新して報じられている。


気象庁予報部は、当地に次のように「大雪警報」を発表した。(抜粋)

2月8日16時29分発表
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当地 [継続]大雪警報 風雪,着氷,着雪注意報 

 雪 警戒期間 9日未明まで
    注意期間 9日未明まで
    24時間最大降雪量 40cm
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なんと降雪量が、24時間で40cmだって!

イ・ソンヒの「雪は降る」

朝方、やはり雪は降っていて、外を覗けばすでに真っ白だ。積雪が吸音材になって実に静か・・・じっくりというか、絶え間なく降り続いている。テレビの天気予報は、本格的な降りとなるので、できるだけ外出を控えるよう伝えた。

予定した遅めの新年会は延期と連絡があった。以前のこと、大雪の晩遅くに帰宅したら、何と門が雪に埋まってしまい開かずに焦ったことがある。今日の雪かきが・・・心配だ。

ともあれ、銀世界ともなれば、イ・ソンヒの「雪が降る(눈이 내리네)」(S.Adamoの1963年の”Tombe la neige”より)を聴かないわけにはいかない。イ・ソンヒにはキャロル・アルバムというシリーズ?があって、「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年11月20日)に、この曲が収められている。随分しっとりした情緒ある歌い方だ。

(本ブログ関連:”雪が降る”)


(Youtubeに登録のKnightmareに感謝)

ソチ冬季オリンピック開会式

日本時間8日午前1時(現地7日午後8時)過ぎ、ロシアの黒海*沿岸都市ソチで、「第22回冬季オリンピック競技ソチ大会」が始まる。

(*) 「黒海」の名の由来について、Wikipediaによれば、黒海の深層で嫌気性バクテリアの発生する硫化水素と、水中の鉄イオンが結合して黒色の硫化鉄が発生したため、との説を紹介している。

早目にテレビの前に座っていたら、ストーブの温もりでいつのまにかうたた寝してしまっていた。開会式の実況放送を見過ごしたかと慌てたが・・・大丈夫、まだ間に合う・・・でも眠い。

全競技種目は、7競技98種目(内12は新種目)だそうだ・・・ところで、日本の出場競技は何種目?

今大会のメダル目標は、長野五輪(金5、銀1、銅4)を越えるとのこと。


(追記) うたた寝しつつ、開会式を見ながら
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・日本選手団は遅いなあ・・・うたた寝して見失ったのかと心配したら、最後に登場の主催国ロシア選手団の直前だった。そうか、ロシア語(キリル文字)で日本は、「Япония(Yaponiya)」となり、文字順で最終だ。お陰でちゃんと、日本選手たちの姿を見ることができたよ。
・開会式を飾るショーのなかで、歴史を象徴して、機関車を模したものが会場高くに登場したのを見たとき、なぜかセルゲイ・エセーニンの詩を思い返した。ソ連時代の始まりは、工業化であり、その象徴が国民大衆にとって機関車だったのだろう・・・馬を凌駕する速さとその力強さは、同時に不安さえ覚えたのかもしれない。

(本ブログ関連:”ロシア”、”ソ連”、”セルゲイ・エセーニン”)

2014年2月7日金曜日

雪かきスコップ

今日も寒さが緩む気配なく、寒気が顔を刺す。コートの襟首を閉じて冷気の侵入を防禦する。
どんよりとした空を怪しんで、DIYショップで雪かきスコップ(シャベル)*を購入した。柄(え)以外は、プラスティック製(刃先は金属で一部補強)のため軽く、雪降りの中での雪かき作業が軽便かもしれない。

    (*)スコップとシャベルの違いについては、JISに定義されているようだ。

気象庁によれば明日8日に雪が積もりそうで、当地に「大雪注意報」(2月7日17時40分、気象庁予報部発表)が発令された。(抜粋)
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・東京都の注意警戒事項
東京地方では、大雪や空気の乾燥による火の取り扱いに注意してください。

・当地: [発表]大雪注意報
雪 注意期間 8日明け方から8日夕方にかけて以後も続く、24時間最大降雪量 15センチ
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さあ準備万端、雪よ!いつでも降って来い。というものの、明日8日の晩に、遅めの新年会を予定しているのだが・・・どうなることやら。

明日、大雪になったら、イ・ソンヒの「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)をブログに書こうかな。

2014年2月6日木曜日

春の七草

立春に入った矢先、雪に見舞われて寒い日が続く。週末にひと雪あるかも知れないという。積雪が心配で、スーパーの店頭に並んだ雪かき(スコップなど)が気になる・・・早めに購入すべきかどうか。

うっとおしかったストーブが、まだ役目を終わらない。とてもじゃないが春は暦の名ばかりだ。

旧暦で見れば、今日はまだ1月7日で寒いはずだ。昔は、この日に春の七草を食べたという。先日、このブログに(1/7)に七草粥についてメモして、春の息吹を期待したのに・・・まだ遠いな。

七十二候を書いたガイドブックに、春の七草を小寒の項に入れてあるのを見て、はたと気付いた。すべて旧暦のなかで考えれば順当だったのに、このブログでは新暦で節気を記して、旧暦で思いをはせるという、まことにまとまりの悪いことをしている。旧暦の言葉は、旧暦がおさまりよいというもの。

ところで、国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、「七草粥を作るときに歌う歌を知りたい」の問いに対して、次のような回答がある。
「1月6日の夜、七草をまな板の上に載せて、包丁で刻むときに歌う歌で、地域によって歌詞は異なる。例えば、山梨県では、『唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、あわせてこわせてバッタバッタ』と唱え、栃木では『七草なずな唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬうちにすととんとんとんとん』、宮城では、『七草ただげ七草ただげ七草なずなとうどの鳥といなかの鳥と通らぬ先に七草ただげ』と唱える。」

<七草粥を作るときの歌>でいう七草とは、「春の七草」、「秋の七草」両方を指しているのだろうか・・・「唐土の鳥」と「日本の鳥」というように、渡りの<時期>に符合させているとイメージしてしまうが。

2014年2月5日水曜日

(予定)イ・ソンヒの2014コンサート・スケジュール

イ・ソンヒの公式ホームページを覗いたら、自由掲示板に、ファンからのコンサート・スケジュールの問い合わせに、4月予定と回答が記されている。
(回答者は、イ・ソンヒの(ファンによる)30周年記念事業推進委員会の方のよう)

さて、チケットをどうしよう。

2014年2月4日火曜日

立春2014

春雨だ濡れていこう、といっても知られぬ時代になったのだろうか。無声映画を見たわけではないので、もしかしたら市川歌右衛門の映画のせりふだったのか・・・それとも、小雨の中を強気になって走り出した子どものころの掛け言葉だったのか。

昨日と打って変わって、一年の季節の始まりというに、小雨でひんやりしている。

(本ブログ関連:”立春2010”、”立春2012”、”立春2013”)

(追記) 立春に降雪
栗林に降る雪
あるテキストを求めて書店を巡って、昨日は地元の2軒になく、今日は小雨が霙(みぞれ)に変わりつつあるなか近くの街に出かけて、ようやく2軒目で手に入れた。さて、地元駅に戻って、駅ホームから外を眺めると、絶え間なくベタ雪というかドカ雪が回転しながら落ちてきた。真っ白な空に、隙間がないようにさえ見えた。

雪降りはますます勢いづいた。この街を走るマイクロバスで帰宅したのは正解だった。降雪の気配はしばらく続いたが、陽の沈んだ外に改めて様子をうかがうと、路面に積雪はなく、ただ夕暮れの中に存在を示すように、わが家のポストの上にこんもり雪が残っていた。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 旧正月

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第41回として、「旧正月元旦(ソルラル、설날)」にまつわる話を紹介した。

まず、ある晦日、貧しさに溜息つく妻へ玄琴(コムンゴ)の音で慰めたという逸話を次のよう紹介された。
・新羅時代、慶州の狼山の麓、貧しくて繕(つくろ)った服を着た男がいた。村人は「百結(ペッキョル、백결)先生」*と呼んだ。家は貧しくとも、昔を慕い、常に玄琴を弾き、人生の喜怒哀楽を表現した。

    (*)百結: KBS WORLD「韓国偉人伝-百結」参照

・大晦日に、近所から穀物を搗(つ)く「パンア(搗き、방아)ソリ(音、소리)」が聞こえて、ため息をつく妻に、百結先生は「人の生死はその命に関わるものであり、貧富は天の決断である。これに対してあがくことはできないのに、婦人はどうして心を痛めているのか?」と言い、玄琴で臼をひく音を再現して慰めた。この音楽が世に知られ、「碓樂(テアク、대악)」、または、「パンア打令(방아타령)」と呼ばれた。

▼ 霊山会想から玄琴演奏「下弦還入(하현도드리)」を聴く。ゆたりと風流に響く・・・そんな部分か。

次に、さまざまな旧正月の料理の品々を次のよう解説された。
・旧正月、家庭は名節料理の準備で慌しい。次のような元旦の詩がある。「牛肉を煮てのせ、白い餅も積み重ねる/年の暮れの豊かさだ/元旦に膏粱(こうりょう)珍味を腹いっぱい食べれば/一年中、空腹を感じることはない」。
・食物が十分でない時代、元旦に先祖を祭る大切な目的があり、料理を盛りつけて分かち合い、一年が豊かで実りあるよう祈願した。
・元旦の客に出すお節料理に「歲饌(세찬)膳(상)」がある。トックク(雑煮)に餃子などを準備し、「シッケ(식혜、甘酒)」や「スジョンクァ(수정과)」の飲み物に、果物や「ナバッキムチ(スープ状キムチ)」を添えた。本格的に宴には、さらに、もち米に栗やなつめなどを加えた飯である「ヤクシク」や、「トッポッキ」、肉を煮た料理の「ピョンユク(片肉)」、小麦粉に甘く味をつけ揚げた「ヤックァ」などの菓子類、さらにゆでた栗やしょうが、なつめなどで作った「スックァ(熟果)」などを並べた。

ビナリ「祝願徳談(축원덕담)」を聴く。歌と打楽器で賑やかな・・・ともに祝いあう空気が伝わる。

・元旦の朝に飲む「屠蘇酒(トソジュ)」は、様々な薬草を入れて作り、冷たくして飲むと、悪い気運が去ると信じられた。屠蘇酒は一番若い人から、新しく一年を得るため先に飲み、年長者が歳月を失っていくため最後に飲むという。

▼ 「報念(보렴)」を聴く。祈り、地の香りして・・・今年もよい年でありますように。

2014年2月3日月曜日

節分 2014

節分の今日、鬼も張り合いがないのか、わが家にその気配がない。豆まき用の豆を買い置くのも忘れたくらいだ。なにしろ彼らときたら、腰が引けているのか、おさなごたちの前にしか登場しないのだから・・・全くブルブル感が足りない。

一日中、体が追いつかないほどの暖かさだった。最高気温が都心で17.8度、もはや春の兆しして、鬼も現れるタイミングを失ったかもしれない。そう、明日は立春、新しい季節の始まりである春になるのだから。

鬼さん、出てくるなら今晩限り・・・まあ、会いたくはないけれど。

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「12.統一のための触媒になりたい」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その最終回である第12回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒのファッションの特徴であるズボン着用の理由、結婚について、統一公演などについて知ることができた。

これまで掲載のスター・ストーリー(第1回~12回)を、ブログ画面左にある「ブログ本文&資料」に「●資料:이선희 Profile (自伝)」として、まとめて掲載する予定。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[12] 統一のための触媒になりたい
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読者や視聴者が、私に対して最も気にかけられるのは「なぜズボンだけ着るのだろうか」と、「いつ嫁入りするのか」ということだ

・ズボンだけこだわる理由は、中高時代に制服のスカートだけ着ていたらズボンが着たかったし、また、大学へ行って洋服にネクタイ姿に変えてみると、そんなに楽なことではなかったためだ。また、スカートは女性だけ着るものなので、化粧もしなければならないようだし、随所に装いもたくさんすべきなようで、ちっとやそっとのことで着ないことに決めたのだ。スカートよりはズボンが「自己防衛」にも良いようだったし。

デビュー当初、「結婚はいつ頃になるか」という問いには、いつも「三十歳前です」と答えた。当時には、はるかに遠い未来の年齢だと感じた「30才」が、もうそろそろ目に見え始める。だが、私たちの年齢(数え年)で三十前まで結婚できないようだ。

・今年と来年には、「公人」としてすべきことが山のように前を遮っており、また、29才になれば大人がダブー視される、いわゆる「九数(九がつく年齢、人生の節目)」にひっかかることになるので、どうやらこうやら三十には皆さんに麺をもてなすこと(結婚式を挙げること)ができそうだ。

・私は、ある種責任意識を持っている。私を大切にしてくださった全ての方に、企業が利益を社会に還元するように、何かをお返ししなければならないという信念を持っていることだ。

「私たちの願いは統一」のように、私は必ず北韓公演を成功させてみる。過去の東西ドイツの例を見ても、大衆文化交流は明らかに統一のための触媒として作用できると信じる。

・「つつじの花、菜の花ひとかかえ、胸に抱いてみればいつも夢見るよ。・・・一つになった愛で、自由と平和を思いっきり享受して生きる(懐かしい)その夢を・・・」、6集(1990年)に入っている「懐かしい国(그리운 나라)」*の一部である。

    (*)本ブログ関連;”「懐かしい国」

・つつじが春の園を刺繍する北方の地から、菜の花満開な南端の済州道まで、わだかまりなしに行き来することができるその日を描いて、私は公演のたびごとに必ず「懐かしい国」と「美しい江山」を切実な心境で歌っている。

・来る5月頃には、すでに作られ、統一を念願する多くの人々の口から口へ歌われている「愛の世界」(イ・コンサン作詞、キム・ジョンイル作曲)という歌を収めたレコードも出す予定だ。この歌はソ連のルドゥミルラ・ナムイの来韓公演でも歌われたし、テナー(歌手)のパク・インス教授も愛唱する曲だ。

・また「愛の世界」は、北韓にも知られているようだ。歌詞中の「開けよう・・・開け・・・」という小節を巡って、北側では「開け」を「開こう」に直そうと要求するという声も延辺自治区のある僑胞(海外在住韓国人)から聞いた。

・北韓公演は、来る9月の韓民族体育大会とほぼ同時に可能だと耳打ちして下さった関係者もおられる。公演関連の詳細は、私のマネジメントを担当している、ヘグァン企画で緻密に推進中だ。

・これまで、私が経験した27年を記録した貴重な紙面を快諾された日刊スポーツに心より感謝し、今後もこの新聞の芸能面を通じて、読者の皆さんになんどもお会いするのを希望する。
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(付記)
上記自伝(掲載1991年)の最後に語られたように同年9月に、イ・ソンヒの平壌公演は実現したのだろうかよく知らない。

現代峨山の報道資料(2003年9月25日)によれば、2003年10月6日に、平壌にある柳京鄭周永体育館(류경정주영체육관、12,500人)で開催される、南側の公演に歌手のイ・ソンヒ、ソル・ウンド、チョ・ヨンナム、声楽家のキム・ドンギュ、新世代グループの神話、ベイビー・ボックスの出演が予定される・・・。
彼女の公式ホームページに、この公演の記録は掲載されていない。(Youtubeに映像はあるが・・・)

ちなみに、チョー・ヨンピルは、2005年に同場所で単独コンサートを行っている。

2014年2月2日日曜日

「女性歌王」イ・ソンヒ・・・2月出撃

歌謡界の2月の動向を記すスターニュース記事(2/1、キル・ヘソン記者)は、「女性歌王」イ・ソンヒ・・・2月出撃として、次のように記している。抜粋。
いよいよ待望の、イ・ソンヒのアルバム15集を、今月遅くとも来月始めに入手可能とのこと。どんな内容なのか知りたい。あわせて、30周年のイベントについて時期や場所など詳細情報を今後得たい。

(本ブログ関連:”15集”、”●資料:이선희 Concert”)
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・(旧)正月の連休が終わる2月、多彩なスター級歌手たちが、歌謡界に同時出撃する予定で、すでに歌謡ファンをときめかせている。

・「女性歌王」の一人と評価されるイ・ソンヒは、早ければ2月の内に正規(アルバム)15集を出す予定だ。

・イ・ソンヒ側関係者は、1日のスターニュースに「イ・ソンヒは、現在の新しいアルバムの追い込み作業に心血を注いでいる」といいながら、「現在としては2月末、遅ければ3月初めに15集をリリースする計画」と伝えた。

・特に、今年はイ・ソンヒが歌手デビュー30周年を迎える年なので、彼女の新しいレコードに注がれる関心はより一層大きい。

・イ・ソンヒは、去る1984年、満二十歳の初々しい大学生時代、「Jへ」により第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を獲得、シンドロームを起こしてデビューした。以後ずば抜けた歌唱力を前面に出して、「ああ、昔よ」、「秋の風」、「分かりたいです」、「ヨン(You)」、「愛が散るこの場所」、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などを次々大ヒットさせて、80年代と90年代初期を代表する女性歌手として地位を確立した。

・イ・ソンヒの音楽活動は以後も着実に続き、2005年発売した13集収録曲「因縁」は、(観客動員)1000万の興行映画「王の男」にも挿入*されて人気を独占した。2011年には、全国ツアーを盛況裏もまさに盛況裏のうちに終えた。

    (*)映画「王の男」: 未見であるが、サウンドトラックとしては使われたわけではないという。
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2014年2月1日土曜日

(資料)50代と漢字

新聞記事を通じて韓国の世代論をフォローしているが、時代を決定する50代に差し掛かった世代およびその下の世代であるハングル世代(한글 세대)が、漢字との親和が乏しいという現状を、朝鮮日報の記事「名前さえ漢字で書けない韓国人」(2/1、(魚秀雄(オ・スウン)記者 , 兪碩在(ユ・ソクチェ)記者)は次のように報じている。抜粋。

イ・ソンヒが1984年「江辺歌謡祭」で大賞受賞を紹介する、京郷新聞(テレビ番組紙面)にある記事は(氏名を除き)ハングルばかりだが、タイトルや写真の見出し部分に「熱気」、「大賞」、「音楽」など漢字が見られる程度である。
ちなみに、イ・ソンヒの2005年の13集アルバムタイトルは漢字で「四春期」(思春期ではない!)で、2009年コンサートのタイトルに「招待」の漢字が使われた。「인연(インニョン、因縁)」以降、彼女のヒット曲に東洋的香りする旋律が織り込まれている。

(本ブログ関連:”50代”)
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・1970年に「ハングル専用政策」が始まってから44年。今や、小学校で漢字を学んでいない最初の世代は50代に差し掛かった20-30代はもちろん、40代すらも漢字になじみがない時代になったということを意味する

スマートフォンやタブレットPCからは漢字の入力システムが姿を消し、ハングルだけで誤記された単語が、正しい表記として「定着」するケースも多い。

・成均館大学中文科のチョン・グァンジン教授は「漢字語は韓国語の語彙(ごい)の70%、学術用語の90%以上を占めている・・・

・仁済大学のチン・テハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は「漢字が多く使われている1980年代以前の本を大学生が全く読めないということは、韓国各地の大学図書館に所蔵されている資料の90%以上が、そのまま死蔵されるということを意味する・・・
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2014年1月31日金曜日

旧正月

今日で1月が終わり、あっという間に今年の12分の1を食ってしまった。時が過ぎるのを、消化に例えるとあっけない。まるで食いちぎったように消え去ってしまったよ。

太陽暦の西暦2014年の元旦に、まさに新年を迎えたつもりでいたし、新しい空気を感じたが、旧暦でみれば昨年の12月1日でしかなかった・・・けれど。そして今日、やっと旧暦の新年である旧正月を迎えた。

今日、旧暦ながら新年の香りを探したが何にもない。きわめて淡々と日常が終わった。五感に訴えるような変化を感じない。街には平日しかなかった・・・当たり前だ。

旧暦の正月行事など当然ないけれど、日常に探すと、このところストーブがうっとおしくなってきたかな。そして、日没が徐々に遅くなっているのに気付く。気候に小さな変化を見つけることができる。

寒中に感じる正月がよいか、それとも寒暖の緩みに感じる正月がよいか。まっ、どっちでもいいけれど。

それよりも、このところ、日めくりカレンダーの日めくり作業がルーズになってきたなあ。3日分まとめてはがすなんてこともある・・・カレンダーが目の前にあっても気にもならないなんて。

2014年1月30日木曜日

STAP細胞って?

STAPって、SMAPじゃないよね・・・そんなわけはない。凄い発見だそうで、同じ「命」とか「細胞」を持っているだけに、何となく分かったような気がしてくるが、本当はよくわからない。いっそ、素粒子のような世界なら、ただ受身一方でうなずくだけで済むのに。

今回の発見は、生命科学を究めるのにつながるだけでなく、医療分野への適用もあって、マスコミが大騒ぎして、わかったような気にしてくれるのはありがたい。

発見者のいうように、「数十年後、百年後」を見据えた長期的な視野の研究で、将来が期待される。それまで待っていよう・・・私の命では間に合わないって?・・・それも、いいじゃないですか。

研究リーダーの小保方(おぼかた)晴子さんは、何と30歳という若い女性だ。テレビで見る彼女は、率直な物言いでしっかりしているのだろうけど、どこかお嬢さんのような純な感じもする。可愛らしいね。
研究室は、全員が女性だそうで、壁色にいろいろあり、童話の「ムーミン」のキャラクターたちが描かれている。おまけに、ペットに亀のスッポンまで飼っているという。
うれしいことに、彼女の研究スタイルは、いわゆる白衣ではなくて、お祖母さんからの由来の「かっぽう着」だ・・・ますます、おじさんファンが増えるというもの。うれしいね。

それにしても、かつて彼女の論文を酷評した「Nature」誌の評者(論文審査員?)の面々は、今ごろ赤面していることだろう・・・と、どこか溜飲下げたように気になるが、結局はよく分からない。Natureさんにも、ごめんなさい。

すぐに科学雑誌「Newton」で特集が組まれることだろう。iPS細胞、STAP細胞など、比較した分かり易い絵解きを見よう、そしてその気になろう。楽しみだ。

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒの、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年)の映像はネット上で数々見てきたが、秋の枯葉が敷き詰められた木々の下で彼女が歌う珍しいビデオがYoutubeに登録されている。やわらかな西陽に照らされながら、いかにも彼女らしいズボン・スタイルで、樹間を歌い逍遥する。音量がやや小さいが、それを次に埋め込む。

(本ブログ関連:”Youtubeでイ・ソンヒを見たという友に返信”、”イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」”)

Youtubeに記載の<概要>によれば、MBCテレビの音楽番組「土曜日土曜日は楽しくて(토요일 토요일은 즐거워)」(357回、1993年8月21日)のもので、画面表示に、撮影場所は、ソウル市北東にある京畿道抱川市に位置する「光陵樹木園(광릉수목원)」(現「国立樹木園(국립수목원)」)としている。撮影は1990年10月、ちなみに6集アルバムは同年8月20日リリースしている。
(登録者:MBCfestival

 

2014年1月29日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「11.私の華麗な事件」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第11回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒの、音楽以外の側面での慈善活動や、詞に政治的なテーマと取り組む試行など、あるいは彼女のファン層について知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[11] 私の華麗な事件
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時折、このような質問をする人がいる。「同じ歌、何度も歌ってたらウンザリしない?」

そのような問いに触れると本当にあきれる。私は、私が好む歌をその時その時の気持ちと舞台の雰囲気に合わせて歌うことがとても楽しくて、その独特の雰囲気を「満喫」しているからだ。

「炎のように(불꽃처럼)」のようなダンスミュージック風の歌も入っているが、ポップ・バラードが中心である5集アルバム(1989年)は、私が歌手デビュー後、ぴったり5年ぶりに出た。このアルバムの最高人気曲は「私の街(나의 거리)」。放送とDJ人気チャートで、2ヶ月以上頂上に留まった歌だ。

5集で格別に愛着がある曲は、「五月の陽射し」である。「5月の光州の英霊」*たちを考えて、私が歌詩を書いた。少なくとも、国民の愛(支持)を受ける歌手ならば、私たちの社会の痛みに「他人任せ」していることはできないと思った。この歌は、大学街のデモの時も「愛唱」されたし、光州のローカル放送では10週連続1位に留まったりもした。だが、一つ物足りなさは残る。私が直接行ってみた光州を素材で映像ビデオを製作しようとしたが、色々な理由で失敗に終わってしまった苦々しい記憶のためだ。**

    (*)5月の光州の英霊: 1980年5月の光州事件参照
    (**)イ・ソンヒは、善意から政治に関わった経緯があるが振幅もあって、現在は遠ざかっているようだ。

1989年6月には、香港3MGレコード社で「これがオリジナルソングだ」*というディスクが出た。ホイットニー・.ヒューストンなどそうそうたる歌手10人が、自身のヒット曲を収録したアルバムだ。アジアでは私が「代表選手」に選ばれたけれど、チョー・ヨンピル先輩が抜けたという事実が、当時にはちょっと面食らってしまった。

    (*)「これがオリジナルソングだ」: 企画アルバムのようだが詳細不明(ジャケット写真:感謝)

しばしば、イ・ソンヒのファンは少女層が大部分であると知られているが、それは事実と違う。1990年7月のある世論調査結果を見ると、男子大学生の24%、女子大生の15%が私を「最も好きな歌手」と挙げたのだ。その調査で、男性歌手ではチョン・テチュン氏が1位であり、私は女性歌手の中で人気1位だった。

(人気)数字だけ次々並べて見ると、ちょっと目まぐるしい気がする。とにかく、私のレコードは男性がたくさん探して、カセットは女性ファンがたくさん買ったそうだ。職場の趣味サークルの内では、男性中心の同好者の集いで私をよく招待する方だ。

昨年の春(1990年4月)、ミュージカルに出演したことがある。世宗文化会館で幕を上げた「オズの魔法使い」の主人公「ドロシー」役だった。ドロシー役は、米国ではダイアナ・ロスが引き受けたとか。とても手に余る舞台であった。

スカートを着て靴をはいたまま、幕間ごとに明かりの消えた舞台裏を飛び回ったら、台詞をいうたびに息があがってフウフウしなければならなかった。また、緊張の連続だったので、体と心が別々に動いた感がなくはない。気球に乗って帰宅する最後の場面では、靴のかかとに装着された豆電球に点灯しなくて慌てたりもした。確かにかかとをぶつければ明かりが「パッ」と入ってくることになっていたが・・・分かってみれば、あちらこちら暴れる(?) 間に、つながれた電線が切れてしまったのだ。

何も知らずに飛びまわったミュージカルを通じて、私は多くのことを悟った。中学2年生だった末っ子の弟(妹?)*が生まれて初めて私の姿を見に公演会場にきて、また非常に不思議に思った。漫画の映画やビデオでは味わうことが出来なかった夢と希望を感じたと言った。「ずっと大きな」子がそうなのだから、まして子供たちが・・・

    (*)イ・ソンヒは長女で、弟とさらに2人のきょうだい(男?女?)がいる。

公演練習のために、放送出演など私の「生業」が支障をきたすことになって、公演後遺症で病んで横になることが心配だけれども、私は今春にもミュージカル「ピーター・パン」に出演する。ズボンではないが、草色のタイツを着た万年少年のピーター・パンの役に。

体が「パキムチ(葱キムチ)」*になれば、いいのだが。私には、万病に効く、薬のような参鶏湯(サムゲタン)一杯あれば軽く「元気回復」するのを・・・

    (*)葱キムチ: 疲労回復に効能があると、ネット上に記述ある。

ミュージカルにすっぽりはまってみると欲が出る。子どもと青少年に夢と希望をあたえる専用の文化空間をたてたいのだ。それで、今でも日本や米国など外国の資料をこまめに集めている。合わせて、誰かが「コンチュイ・パッチュイ」*など、私たちの話をミュージカルで脚色してくださるように祈る。

    (*)忘れ形見の娘コンチュイが継母とその娘パッチュイにいじめられるが幸せをつかむ。(シンデレラと似る)

また、学生家長と進学できない不遇な青少年のための奨学財団の設立も着々進行中だ。隠れてしようとしたことなのに、つい言論(マスコミ)に「見つけられて」'しまった。全国から多くの方々が寄付を送ってくださるが、ほとんど送り返している。例外は、ぴったり二件、①同じことなら障害者も助けようと直接お金を持って訪ねてこられたある障害者の寄付と、②自身も豊かではないスーパーマーケット女性従業員が寄託された「大金」の百万ウォンは、お二方の勢いがあまりにも「みなぎ」って、どうにもならなく「受付」してしまったのだ。

昨年秋(1990年10月)には、カナダのモントリオール室内管弦楽団と共演した。あの「敷居の高い」世宗文化会館大講堂で。その楽団が著名な外国クラシックオーケストラではなかったとしたら、私一人で世宗文化会館の舞台に立つということが可能だったのだろうか? ほろ苦い。また、私が望んだことは、外国楽団でない私たちのオーケストラであった。しかしながら、伴奏はできないというのだから、私だってどうすることができようか。

昨年の春(1990年4月)には詩集も出版して、詩朗唱会も持った。「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈 꿀 수 있다)」という自作詩集であるが、大型書店のベストセラー詩集部門1位に上がったりした。元老詩人の趙炳華(チョ・ビョンファ、조병화)先生は「きれいな露をうける小さい野草のような詩・・・繊細で愛らしい詩語・・・」と過分な評をしくださったりもした。

だが、詩をもって、話したい言葉を全て語ることが少し難しかったので、今年の末か来年の初め頃、私の考え、私の生活を書いたエッセイ集*を出そうと思う。

    (*)エッセイ集: 未確認

昨年の初冬には、哲学者金容沃(김용옥)教授と東国大講堂で「デュエット」で歌ったことがある。曲目は「美しい江山」、金教授の招待で行われた突然この日舞台は、私の歌が主でなく、東洋哲学の講義が目的だったが、教授は「芸術はすべからく大衆と近づかなければならない」という信念で、私を講壇上に呼び出したのだった。金教授はまた、私にまるで詩のようでもあって、幽玄な哲学のようでもある歌詞を二編もくださった。
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2014年1月28日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鷹狩り

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第40回として、「鷹狩り(매사냥)」にまつわる話を紹介した。

まず始めに雉猟に関わる諺について次のような紹介から始まった。
・諺に「雉の代わりに鶏(꿩 대신 닭)」がある。同様に「歯がなければ歯茎で(이가 없으면 잇몸으로)」もあって、必要な物がなければ他で代替する意だ。昔、餅の雑煮(トックク)に雉肉(現在は牛肉)を入れた。農耕社会で不可欠な牛肉を食べるのは難しく、雉肉は味もよく、また天からの使者として縁起よい鳥とされた。そこで新年を迎えて雉肉を食し、天の気運を頂く思いがあったが、捕えるのが難しい雉の代わりに鶏を使った。
・そうした風習から、旧正月目前に、雉を捕まえに寒い山に入る者が大勢いた。このときの猟師の猟法が鷹狩りだった。

▼ 「雌雉打令(カトゥリタリョン、까투리타령)」を聴く。雉の鳴声に似てかまびすしく・・・山々巡る。

・この「雌雉打令」のカトリ(까투리)は雌雉を表し、羽の美しい雄雉はチャンキ(장끼)という。

次に鷹狩りに使う鳥の種類や鷹狩りの伝統について次のように解説された。
・鷹が狩るので鷹狩りという。鷹狩りに、まだ飛べぬ幼鳥から手なずけるため「大鷹(オオタカ)」か「隼(ハヤブサ)」がよいとされる。①大鷹はスピードが速く、獲物に急降下して捕まえる。鋭い嘴(くちばし)で獲物を一撃して即死させる。②隼は鋭い爪で獲物の喉笛を襲い窒息させたり、嘴で胸元を突刺す。強い鳥で空の帝王ともいう。羽の抜け変わる前の幼隼を「ボラメ」という。
・鷹狩りに手なずけた鷹を「スジニ」といい、最初の1年ほどを「チョジニ」、2年過ぎて「チェジニ」、3年ほどで「サムジニ」と呼び方を変える。勇猛で素早いチョジニが狩りに最も適している。猟師が「ウーウー」と言って森の木を揺さぶると、隠れていた雉が飛び出したのを逃さず、綱を解かれた鷹は雉めがけて飛んでいく。

▼ 「南原山城(ナムォンサンソン、남원산성)」を聴く。・・・以前聴いた陽気な歌だが、鳥の美しさ?

・狩に使う鷹の尾の飾りつけを「ペジッチェ」と呼ぶ。飾りに、飼主の名を書いた「シチミ」と、鈴が付けられる。鷹が捕えた雉肉を引裂くとき鈴が鳴る、あるいは鷹を見失っても、この音で居場所を知ることができる。
・鷹狩りは古くから楽しまれたが、百済の法(ポプ、법)王は、仏教信仰から殺傷を禁止し、狩猟用の鷹全ての解放を命じた。一方、高麗のとき、鷹を訓練させ狩専門の官庁「ウンバン」が作られた。現在、鷹狩りを楽しむ人は少ないが、伝統は受け継がれている。2010年に、モンゴル、スペイン、アラブ首長国連邦など、11カ国共同で、ユネスコ人類無形遺産に登録された。

▼ 伽倻琴(カヤグム)演奏による「Flying bird」を聴く。・・・天空を軽快に泳ぎ漂うよう、今様である。

2014年1月27日月曜日

鉱物採集では落ち木を杖にする

寒い季節のこのごろ、負荷のかかる運動といえば、毎週の健康体操と、ほぼ毎月の鉱物採集くらいしかない。そんなわけで、たまに体を動かすと、その翌日以降にジワジワと筋肉痛になる。若い頃は、このくらいの運動なら平気だった・・・のに。

昨日、鉱物採集に行った錫高野の入り口にある小さな山越えと、採集場所の沢を上がり降りしたくらいだが、今日の夕方には「ひざ」と「ふくらはぎ」が筋肉痛するが・・・。

以前は、足腰が弱まってきているのに、鉱物採集の山歩きを痩せ我慢していた。この頃は、落ち木をひろって杖代わりにするようにしている。落ち木の杖を使うと、岩の沢や急坂を登り降りするとき安定感が増す。第三の足が加わって、ふらつくことも少なくなる・・・もちろん、落ち木の杖に頼り切るのは危険と承知している。

だいぶ前のこと、幅は狭いが水流の激しい沢にかかった丸太橋を渡ったことがある。橋の長さは2m位い、太い丸木一本だけなのだ。石仲間はそれをスイスイと渡りきる。私は沢の近場に落ちていた木を探して、杖代わりにした。丸太橋を横歩きして、落ち木の杖を流れに刺して、3点で体を支えながら渡った。

最近は杖を使う習慣がついてきて、鉱物採集の山に入るときは、まず落ち木の杖を探す。