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2010年7月3日土曜日

歌謡曲名の表記

以前、イ・ソンヒの「Jへ」(1984年)も含めて、韓国の歌謡曲(歌詞)について語彙頻度分析をした論文(劉 美貞:2006年)を見たことがある。
(本ブログ関連:1/24
インターネットを探すと、今度は歌謡曲名(タイトル)について表記分析した論文「韓・日の歌謡曲名の表記変化の研究-1970年から2005年までを中心に-」(Yoon Sa-Yeon、中央大學校:2007年)があった。韓国歌謡曲については次の通り。

<時代別歌謡曲数:構成比> 調査対象曲(イ・ソンヒの「Jへ」を含むかどうかについては不明)
・1970-1979年(171曲:3.0%)
・1980-1989年(500曲:8.8%)
・1990-1999年(2,030曲:35.5%)
・2000-2005年(3,015曲:52.7%)

<時代別曲名表記のパターン分類(曲数:構成比)>
曲名パターン---------1970年代-----1980年代------1990年代------2000年代--
・ハングルのみ:------171(100.0)---495(99.0)----1,770(87.2)---2,055(68.2)
・漢字含み:---------------------------------------12(0.6)-------29(1.0)
・アルファベット含み:------------------5(1.0)-------248(12.2)-----931(30.8)

1980年代に登場したイ・ソンヒのデビュー曲「Jへ」は、アルファベット含むものとして、先駆的位置にあったといえるだろう。

2010年7月2日金曜日

「美しい江山」の変貌

シン・ジュンヒョン(신중현)の作詞・作曲による「美しい江山(아름다운 강산)」には、キム・ジョンミ(김정미)のバージョンと、イ・ソンヒのバージョンがある。(※:キム・ジョンミのYoutube映像と歌は一致しない)

ブログ「cinemarxの文職人(cinemarx의 글공장)」の「歌唱法の違いは政治的な違いを作る2」(7/2)によれば、二人の歌唱法には、結果として次のような違いがあるというのだ。
(本ブログ関連:2009年の11/17、2010年の2/10

・(「美しい江山」の)<歌詞>だけ見れば余りにも露骨な国家礼賛だが、・・・キム・ジョンミが歌ったバージョンは、・・・「退廃的な<歌唱法>」と指摘を受けた彼女は、この曲でも退廃美を思う存分発散する。
・キム・ジョンミのバージョンの反語法を証明するのは(=際立たせるのは)、その正反対側にあるイ・ソンヒのバージョンだ。 きれいな声と突き出す<歌唱法>のイ・ソンヒは、直説的な<歌詞>を直説的な<歌唱法>で倍加させる。

(Youtubeに登録のPAPPT1、blacflag、pops8090に感謝)

敢えて申せば、時代に受け容れられる歌手は、その時代の聴衆と合わせ鏡の関係にある。歴史はその鏡の隙間を流れ、大衆はとても柔軟である。

(参考)シン・ジュンヒョンについて
・7/4の世宗大劇場におけるシン・ジュンヒョンの〔公演情報〕に、彼についての詳細な解説がある。
・「Jo!ns(中央日報)」(6/25)掲載の「newsen」の記事によれば、シン・ジュンヒョンはYTNの番組「ニュース&イッシュー」(6/25)に出演して、70年代の苦難の時代、その後の音楽環境の変化に対する戸惑いと適応について心境を語った。

2010年7月1日木曜日

民選5期イベント

dongA.com(東亜日報)の記事「[首都圏]“低姿勢につましく”…7月1日民選5期の団体長就任式」(7/1)によれば、「民選5期当選者等の就任式が1日一斉に開催される。就任式を一日に控えて、あらかじめ調べた結果、大部分予算節減の立場から質素な行事を準備していた。」 と報じている。

そのなかで、「(ソウル)中浪区(중랑구)も、(就任式費用を当初1900万ウォンと予想していたが)過度に派手に見えるという指摘に(500万ウォンに圧縮した)」結果、「(就任)式典行事に歌手イ・ソンヒ氏と交渉した舞台を取り消した。」そうだ。イベント業界にとっては厳しい時代に移行しつつあるのだろう。

ところで<民選5期>については、サムスン経済研究所(SERIJapan)の「民選の地方自治5期の政策課題」で次のように記している。
・韓国では、第5回全国同時地方選挙が2010年6月2日に実施された。
・1995年6月の全国同時地方選挙を通じて、民選の地方自治制度が再発足してから15年が経過した。
・2010年7月1日には、いよいよ民選の地方自治5期が発足する。

★★★★★ 孫が、同じ学年になるいとこに手を引かれて、可愛い二人の散歩する動画が届いた ★★★★★

2010年6月30日水曜日

仏国寺

本ブログに先日(5/316/86/22)紹介した、「角川 日本地名大辞典 8 茨城県」(昭和58年12月8日発行)に記載の錫高野、高取鉱山につづき、仏国寺について次に記す。
なお仏国寺は、錫高野への入り口のひとつでる。(本ブログ関連:3/28

「仏国寺<七会(ななかい)村>
西茨城郡七会村塩子にある寺。真言宗豊山派、岩谷山清浄院と号す。本尊は十一面観音で、岩谷観音として信仰を集める。寺伝によれば行基の開創という。古くから関東の高野山、女人高野山として広く信仰されていたといわれる。慶長年間に教導上人が中興してから寺勢が盛んになった。幕府からの朱印寺領は10石とも25石ともいわれる。本尊の十一面観音は室町末期~江戸初期の作(県文化財)。水戸藩家老が奉納したと伝える貞亨元年在銘の銅造梵鐘(県文化財)などがある。」

(参考)西茨城郡七会村は合併により2005.02.01から東茨城郡城里町になりました。(日本郵便

2010年6月29日火曜日

ザ・ウォーカー

今日の昼間は、大変蒸し暑かったものの天気は良かった。久し振りに息子と一緒に、有楽町マリオンにある丸の内ピカデリーに映画「ザ・ウォーカーThe Book of Eli)」を見た。
主人公のイーライ(デンゼル・ワシントン)は自らを使命として、一瞬の光に廃墟となった世紀末後のアメリカ大陸を、ある<書物>を背に西海岸へと横断する。途中、荒廃した町の支配者カーネギー(ゲイリー・オールドマン)はその<書物>の価値(効用)を感知して、多数の部下を死に至らしめてまで、その奪取を試みる。結果、支配者はその<書物>を手に入れるのだが。
果たして、<書物>は何を語っているのか。支配者は、それを読むことができるのか。そして、主人公イーライは、使命を果たすことができるのか。
イーライは、彼を慕う娘ソラーラ(ミラ・クニス)と伴に、その聖なる<書物>が復活すべき場所にたどり着くことができる。彼こそは、稗田阿礼であった。

映画の物語は、「マッド・マックス」+「ポストマン」+アルファをイメージする世界にあるものの、題材の<書物>の意義を重視するなら暴力場面はどう理解すれば良いのだろうか。あっ、それからソラーラの母親クラウディア役のジェニファー・ビールスが美しく印象に残った。

ところで帰宅途中に、雷鳴をともなう土砂降りに遭い、駅前の喫茶店で長時間過ごして、ようやく帰宅することができた。

★★★★★ 孫が、激しい雷鳴と雨音に驚いて父親のふところに飛び込んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年6月28日月曜日

佐野史郎のなぞの石学

今晩(22:25~)からNHK教育TVの番組「極める!」で、「佐野史郎のなぞの石学」(全4回シリーズ)が始まった。

第1回は、タイトル「古代のパワーストーン」で、古代日本の神々と石の関係を<祭祀考古学>の立場で、「神話のふるさと・島根県出雲」ほかを訪ねて検証する。山中の自然巨石にいます神々を想う古代人の精神世界に触れてみることからこのシリーズは始まる。(【講師】國學院大學名誉教授…椙山林繼)
ところで、「パワーストーン」という言葉には違和感があるが、流行り言葉を使う番組の苦心の立場として了解しよう。

次回の第2回は、タイトル「輝きの科学」(7/5、22:25~)で、堀秀道先生から<鉱物学>の立場で、美しい結晶世界を教えうけることになるだろう。楽しみだ。うらやましい。
そうだ早速、番組テキストを求めねば。(テキスト:「極める!6・7月」 佐野史郎のなぞの石学ほか)

パティ・キムの「Jへ」

パティ・キム(패티김、〔本名〕キム・ヘジャ:김혜자、1938年2月28日~)といえば、日本ならば雪村いずみ(1937年(昭和12年)3月20日~)を思い浮かべてしまう。ほぼ同年齢の二人であり、圧倒的な歌唱力に通じるものがある。
日本で活躍する韓国出身の歌手以外に、直接韓国の歌手のCDを探すきっかけなったのは、パティ・キムの曲集をCDで聞いたときだった。スケールの大きさ、迫力に驚いたが、「愛するマリア(사랑하는 마리아)」のような明るく軽快なメロディーにすぐに馴染んだ。

(本ブログ関連:2009年の2/17

彼女が、イ・ソンヒの「Jへ」を丁寧に歌う映像がある。常々思うことだが、カバーするときに、独自色を出そうとする日本の歌い手と違い、韓国の歌い手は曲そのものを尊重しているように見える。大御所のパティ・キムもその例に漏れない。

(Youtubeに登録のSeoulRiver、hsianggelilahに感謝)

(付記)
イ・ソンヒがSBSの「イ・ソンヒと友人達」で、「私の街(나의 거리)」(1989年)を歌う姿は、ちょっと気難しげだが美しい。
(Dailymotionに登録のgamuwangに感謝)

2010年6月27日日曜日

HDPN-U320K

先日から、WindowsXPの動作が不安定のため、CDにデータ・バックアップをしようと始めたところ大変手間がかかることに気付き(6/25)、ようやく今日、吉祥寺のヨドバシカメラで、電子辞書サイズのUSB接続HDD(I-O DATA「HDPN-U320K」)を購入した。
専用高速化ソフトを使わなくても、あっという間にバックアップ・データはHDDにコピーされた。とても簡単、何で早く気付かなかったのかなあ。おまけに費用は、ヨドバシカメラのポイントを使って最小で済んでしまった。これまた楽々。
でも、Windowsの再インストールは面倒だな。

(付記)
帰り道、吉祥寺駅の書店「ブック1st」で、「ゲーテ地質学論集・鉱物篇」(ちくま学芸文庫、木村直司編訳)を見つけた。鉱物関連ならばと物怖じせず手に入れよう。文学論的強迫感に臆することなく読めるだろうことが幸いである。
鉱物篇の「ボヘミアの森」の「カールスバート」では、宝石彫刻師の標本(コレクション100種)について、個々の標本番号ごとにカールスバート(カールスバット)の現地産状も紹介している。
「この小冊子に見出される記述は、自然の鉱物体を直感的に見ることなしには明確に把握することができない。前提にされるのはむしろ、読者がカールバートの内外で、このコレクションをテクストとして携行されることである。そうして初めて、この注釈書から利点を引き出し、著者の意図を認識し活用することができるであろう。」(p.145)と極めて実践的です。

2010年6月26日土曜日

孫の成長

先週末に風邪で熱を出した孫が、無事に回復したとのことで、快気祝いを口実に会いに行く。孫は、鼻水など風邪の余韻をまだ残しているが、普通に過ごしていた。
孫は、奥の部屋で気持ちよく寝ていた。昼過ぎも寝続けて、夜眠れなくなるのではと、孫の周りを大人たちが囲んでゆっくりと目覚めさせた。孫は気持ち良さそうにころころと寝返りをうった。

1歳4ヶ月を超えた孫は、言葉につながるだろう<声>を発していた。きっと練習をしているのだ。例えば、物を持ちながら、「これ」に近い声で指したりする。
それに、欲しい物の優先順位がしっかりしてきた。母親のカメラが好きなようで手放さない。携帯電話を渡そうとすると、手を出して受け取ろうと反応するが、カメラとの交換を手真似しても首を横に振って拒否するのだ。その他の物を以ってしても同じだった。しまいに、バイバイと手を振って対話を拒絶までした。これは、会話上の応答ができるだけでなく、会話(セッション)そのものを切る意志表示までできるのだ。

そして、父親が寝転ぶと、孫は繰り返し父親の体の上を這っては乗り越えて遊ぶ。父親の存在をますます意識し、さらに家族の枠組みの中での存在まで認識できているようだ。

また、わたしが帰りの身支度をすると、孫は両手を上げて抱っこをせがんできた。2度までも、別れを惜しむ表現をしてくれたのだ。こんなに感動的なことがあるだろうか。こんなにうれしく切ないことがあるだろうか。

★★★★★ 孫が、私の胡坐の上で一緒に絵本を読んで、歌った?動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、父親が布団を使って作った滑り台から転げ落ちる動画が届いた ★★★★★

2010年6月25日金曜日

バックアップ

WindowsXPの調子が悪い。サポートセンターには、OSの再インストールを推奨された。
データをバックアップしようとCDに焼いていたら、手間が大変なことに気付いた(^n^;)。USB接続のHDDを明日にでも用意せねばならないのかなあ。それでだめだったら、新しいPC・・・でも。

ということで、Skeeter Davis の「The End of the World」(1962年)を。
(Youtubeに登録のvezzle12に感謝)

(付記)
そうそう、市役所で参院議員選挙の期日前投票をしてきた。さすがに夜分だけに混雑していなかった。

2010年6月24日木曜日

CD売り上げ状況

Daumミュージック(뮤직)に、イ・ソンヒとのインタビュー記事「イム・ジンモが会った人-イ・ソンヒ」(oimusic 2003年2月号)が載っている。イ・ソンヒがソウルの大学路にライブ劇場を経営していた当時のインタビューである。
(本ブログ関連:1/73/22
<最近(2003年当時)の音楽ファンは、確かにレコードを買うよりも公演を見ようとする。イ・ソンヒも、「レコードから公演に重心が移動していることを実感しています。歌謡界の様子が変わっている。」と楽観を披瀝した。インタビュー中の彼女は、人気歌手というエンターテイナーを超えて、公演会場の経営者の威厳を放った。「小さいけれど大きな」人物、まさにそのイメージだった。>

当時(2003年)の韓国のCDの売り上げ状況を、社団法人日本レコード会「世界各国のレコード売上」で見ると次の通りである。(最近は、ますます厳しくなっていると推測される)
年度__シングル_CD (百万枚)
--------------------------
1998年_0.03__12.5
2000年_0.10__21.5
2002年_0.10__21.4
2004年_0.07__11.5
--------------------------

(付記)
本日の日本経済新聞によれば、「『はやぶさ』カプセルからガス成分回収 JAXA 」と報じられている。小惑星「イトカワ」の土壌成分であるかどうかは、今後の分析で判定されるそうだが、良い結果を期待したい。

2010年6月23日水曜日

Are you Lonesome Tonight

エルヴィス・プレスリーの「今夜はひとりかい?(Are You Lonesome Tonight?)」(1960年 6週間連続1位)は、気のいい若者がいまだ一人合点しているようなセンチメンタルな歌だが、旋律が流れるように美しく、歌の中のプレスリーが語りかける言葉をバックで甘く引き立てる。
それにしてもねえ、早く気付いても良いものを、いつまでも・・・。若者は純情である。 (本ブログ関連:3/164/24

イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」も夏の日にかかわる歌だが、こちらは気持を一応整理しているようにも思えるが。どちらにしても、若者にはやっかいな夏が近づいてきている。頑張れ若者たち。

(Youtubeに登録のJackiej61too、013picに感謝)

★★★★★孫が、風邪から元気に回復して、段ボール箱に頭を入れては遊んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年6月22日火曜日

高取鉱山

本ブログに先日(6/8)紹介した、「角川 日本地名大辞典 8 茨城県」(昭和58年12月8日発行)に記載された錫高野〔近代〕のつづきとして、高取鉱山を次に記す。
「高取鉱山<桂村>
東茨城郡桂村錫高野にある鉱山。古くは錫高野鉱山とよばれた。佐竹時代に開発され、徳川光圀の頃は高取山付近の小勝・塩子・下伊勢畑・高野の4か村に錫山があった。高野には御錫山奉行衆の屋敷・錫蔵・精錬所が置かれ、幕末には徳川斉昭が開発を奨励し、村名を錫高野と改めた。明治41年にタングステン鉱が発見され、名称も高取鉱山と改められて、活況を呈した。三菱鉱業の経営により大正期に全盛を極め、発電所・選鉱所などを設け、従業員約200人、家族を含めると約600人が生活していた。現在、昭和42年に荒川鉱業より継承した千歳鉱業が操業。」

高取鉱山をモデルにした、プロレタリア文学前期の作品といわれる、宮嶋資夫著の小説「抗夫」(大正五年、1916年)がある。(本ブログ関連:1/23

(参考)東茨城郡桂村は合併により、2005.02.01から東茨城郡城里町になりました。(日本郵便

高取鉱山に隣接する「仏国寺」について以降記す。

2010年6月21日月曜日

夏至2010

今日は天気の良い夏至だった。
国立天文台の「こよみの計算」によれば、今日の東京(緯度:35.658、経度:139.741、標高: 0.0、標準時:UT+9h)の<日の出・日の入り>時刻は、<日の出(4:25)、南中(11:43)、日の入り(19:00)>で、昼時間は14時間35分となる。
一日の半分に、2時間35分の昼時間がオマケされたことになる。子どもたちは、その分しっかりと遊んだろうか。

子ども時代、夕暮れどきに、原っぱの周りの家々に明かりが灯ると、遊んでいる仲間が一人ずつ呼ばれては帰っていった。それでも残ったものたちは薄暗いなかで、草野球のボールを追いかけたものだ。

ところで、国立天文台の「よくある質問」のこたえに、夏至と冬至について次のような解説がある。
・「昼間が一番長い日(夏至)に、日の出がもっとも早く、日の入りがもっとも遅くなるわけではありません。同様に、昼間が一番短い日(冬至)に、日の出がもっとも遅く、日の入りがもっとも早くなるわけでもないのです。」
理由は、季節に異なる、太陽の高さと速度によって、昼時間が決まるということのようです。
・「そのため、日本では、日の出がもっとも早い日は、夏至より1週間ほど早く、日の入がもっとも遅い日は夏至より1週間ほど後になります。また、日の出がもっとも遅い日は冬至の半月ほど後、日の入がもっとも早い日は冬至の半月ほど前になります。」
子どもたちよ、これからしばらく、夕暮れまでもう少し遅く遊べるよ。

★★★★★ 孫が、先週末の発熱から回復して、元気に就寝前の歯磨きをしている動画が届いた ★★★★★

ミュージック・パワーコンサート

今日は天気がよくて陽差しが強かった。暑さに勝つにはパワーがいる。
イ・ソンヒのファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」に公開されている情報によれば、イ・ソンヒは、慶尚南道南部の港湾都市泗川市(사천시)の「ミュージック・パワーコンサート(뮤직파워 콘서트)」に次の通り出演する。
・日時:6月30日(水)、午後7時30分~
・場所:泗川市文化芸術会館 大公演会場客席850席)
・出演者:イ・ソンヒ、ゴナドゥル(건아들)、キム・ジョンソ(김종서)バンド
・主催:泗川市
・前売り:本日(6/21)から

イ・ソンヒの当日の曲目は次の通り。 (事前に曲目が開示されているコンサートは珍しい・・・)
・因縁
・Jへ
・私はいつもあなたを
・ああ!昔よ
・美しい江山
・愛よ...


(Youtubeに登録の013pic、kiseon80に感謝)

2010年6月20日日曜日

イ・ソンヒの年齢

イ・ソンヒは、一般に1964年11月11日(陰暦)に誕生と知られているが、戸籍上の生年月日は、1967年3月10日である。その理由は、届出を父に頼まれた祖母が忘れたため、出生申告が3年も遅れたというのだ。
(本ブログ関連:5/22
芸能人には年齢を少なく見せようとすることはあっても、彼女の場合、結果としてそれが逆になっていることになる。今も容貌は若々しく、肌艶は清潔そのものといった彼女は、アジュンマたちの羨望の対象である。アジュンマ世代になれば、3年若返ったとしても誰もがそうなるわけではないだろうから、彼女の日頃の手入れの賜物ということになるのだろう。

ブログ「野ガラスの通り路~(들까마귀의 통로~)」(2009年4月2日)に、イ・ソンヒが1991年にソウル市議会議員に立候補した際の事情について、次のような気になることが書かれている。
<当時の政界進出を通じた彼女の役割は、誰が見ても1991年「民自党」の3党合同(:民主正義党・統一民主党・新民主共和党が合併し発足)に悪化した民心を収拾するために出した雇われマダムでした。 イ・スンジェ(이순재)、イ・ドクファ(이덕화)、イ・ジュイル(이주일)と同じケースで、各党で皆有名芸能人らを獲得するために血眼になっていた恥ずかしい時代に、彼女は満25の若い年齢で被選挙権獲得のために戸籍まで変えなければならなかった時代の犠牲の羊であり、不幸であった芸能人です。>
(本ブログ関連:2009年の8/3110/29、2010年の3/174/2

上記については、大状況的に捉えていて、かつ恣意的表現が気になる。問題にしている戸籍を変えた内容が不明なので、その重大さが分からないが、単に住所を変えただけなのか知りたいところだ。
ところで、イ・ソンヒが1991年に出した自伝「夢よ愛よ出会いよ」(本ブログ関連:5/30)から、当時の経緯が窺えることができるだろうか。

2010年6月19日土曜日

シド・ミード

子ども時代に、未来のイメージは、少年雑誌の色刷りページに載った空想画から得ていた。代表的な挿絵画家(当時イラストレーターという言葉は使われていなかった)に小松崎茂(1915年2月14日~2001年12月7日)がいる。彼の絵には、未来を描きながらどことなく太平洋戦争の航空機、戦艦のにおいがすることを子どもながら感じていた。戦後の洋画壇のような高踏な反省を振舞うことはなく、彼は子どものためにだけ絵を描きつづけたひとだった。
以前、荒川区の図書館で彼の作品展が開催され、展示された絵画や資料を観覧した。一つ一つの作品を覚えていたわけではないが、雑誌「少年」に掲載された当時の絵を思い浮かべつつ記憶をたどった。懐かしい絵が目の前にあるように思えて驚いた。

その後、空想画という言葉が使われなくなると、デザイナーによって未来のイメージが語られるようになった。特に、SF映画で未来を見ることが当たり前になった。例えば、映画「2001年宇宙の旅2001: A Space Odyssey)」(1968年)のデザインは、当時の工業デザインの延長上に作られているように見えて、妙にリアリティがあったと記憶する。それは超えられないアメリカそのものだった。

映画「ブレードランナーBlade Runner)」(1982年)は、文化も人類も混沌とした世界を描いているわけで、デザインは自由だったろうけれど合理性を意識しているように感じられた。ただし暗い画質のために控えめに思われた。デザインは、アメリカを超えざる得なくなっていたのかも知れない。この映画で工業デザイナーとして指導をしたのは、シド・ミード(Syd Mead)である。

(本ブログ関連:”ブレードランナー”)

彼のデザイン画集「センチネル(Sentinel)」(1979年)は、映画「ブレードランナー」が話題になった後になって、洋書店に並んでいた。今にも利用できそうな未来の室内、自動車だけでなく、遊び場所までが違和感なく描かれていた。当たり前だが、真面目な明るい工業デザイン集だった。彼が映画「ブレードランナー」に関わったのは、この画集の出版の後である。

(Youtubeに登録のchuter、theevilmrravenに感謝)

2010年6月18日金曜日

1980年代の韓国バラード

韓国における1945年から2000年までの大衆歌謡史を鳥瞰した記事「<第20号>韓国人の人生を変えたもの⑧ -大衆歌謡」が、「Weekly共感(공감)」(ハン・キホン(한기홍)記者、2005年7月1日)に掲載されている。1945年以降の韓国大衆歌謡の流れを理解するのに大変有意義な解説である。その中から、イ・ソンヒのバラードに関わる背景や位置づけについて見ると、次のような内容で叙述されている。

・1979年にユン・シネ(윤시내)は、歌謡祭スタイルの曲「熱愛(열애)」で大ヒットを記録した。この曲の核心は、彼女の’血走る歌唱力’とストリングを主に使うポップス・オーケストラのアレンジによる広大なスケールであり、1980年代初頭の主流の成人歌謡に最も大きな影響を及ぼした、・・・としている。

・例えば、1980年代初期の大ヒット曲である、チョー・ヨンピルの「窓の外の女(창밖의 여자)」、イ・ヨンの「忘れられた季節(잊혀진 계절)」、チェ・ジンヒ(최진희)の「愛の迷路(사랑의 미로)」、イ・ソンヒのバック・サウンドやスタイルは、全て「熱愛」を土台にしたものであった、・・・と述べている。

・1980年代の韓国歌謡史は、チョー・ヨンピルで始まる。彼は、1980年の「窓の外の女」、「蝋燭(촛불)」などを通じて韓国成人バラードを‘チョー・ヨンピル式’に変えた。彼は、この年すべての歌謡祭の大賞をさらい、「窓の外の女」は最高人気を得た最高歌謡になった。

・彼はストリング中心のオーケストラ演奏の代わりに、ピアノとシンセサイザーを使って1970年代末のスタイルを維持しながらも1980年代の新しいサウンドの道を切り開いておいた。以後、イ・ヨンの「忘れられた季節」とイム・ビョンス(임병수)の「約束(약속)」、そしてイ・ソンヒの成功でバラードは若者たちが最も好む歌謡ジャンルになった、・・・と述べている。

以上から、韓国歌謡バラードの成立にとってのメルクマールに、ユン・シネとチョー・ヨンピルの存在と影響の大きさを知る。

(Youtubeに登録のorienkorean、mongtec、31CarpeDiem、www0433、ProfessorHiginsに感謝)

2010年6月17日木曜日

宇宙の終焉

Gyaoには映画やTVドラマ以外にも、いろいろと面白い映像がある。例えば、科学番組、ナショナルジオグラフィックチャンネルの「神秘なる宇宙の起源 130億年前の宇宙は手のひらサイズ?」がある。今ある星々の誕生と死はイメージできても、それらを包む広大な宇宙はどうなっているのだろうか・・・というわけで視聴した。

初めに光があった。ビッグバンで膨張して以来、宇宙にH、He、~、Feなどの元素で星々が作られたが、Feより重い元素が登場するのは超新星(supernova)爆発以降だ。そのおかげで人類も栄華を極めているわけだが、宇宙は余勢を駆っていまだに膨張を加速しているという。

知りたかったことは番組の最後に説明された。宇宙の終焉には、あらゆるくびきを解き放たれ、(数千兆年後に)全ての部質が素粒子に戻り、無(空虚:empty)の冷たい暗黒の世界になるだろうというのだ。
どうも、こうなってくると哲学なのか宗教なのか・・・。

なに、そんな心配より明々後日(6/20)の天気の方が大事だ。雨が降るのか降らないのか。鉱物採集には、晴れ空の方がやっぱり良い。雨降りなら、雨合羽を着れば良いだけのこと。

(付記)
今日の「男性の料理教室」の課題「ボンゴレ・スパゲッティ」は、アサリやアスパラガスの具沢山で上々の出来だった。それに、同班メンバーによる「ワカメスープ」、「野菜サラダ」および「桜餅」まで、大したメニューだった。先週の「肉ジャガ」に比べると、とてもうまくいったようだ。

★★★★★ (今日は天気快晴、日差しも強く随分と暑いので、孫は日光浴を楽しんだようだ) ★★★★★
★★★★★ 孫が、おしめ一つの裸ン坊になって、得意そうに絵本を読んでいる動画が届いた ★★★★★

2010年6月16日水曜日

ドリス・デイ

高校2年のイ・ソンヒが、「チャン・ウクチョ(ウッチョ、장욱조)音楽室」で歌の勉強をしていたとき、作曲家イ・セゴンから名曲「Jへ」を得て、歌手への道が開けたように、曲との出会いにより歌手のその後が決定付けられることがある。

18歳で専属歌手としてジャズ・バンドに加わったドリス・デイDoris Day、1922年~)は、同バンド・リーダーから「センチメンタル・ジャーニーSentimental Journey)」(1945年、作曲: Les Brown、Ben Homer、作詞:Bud Green)を提供されて、彼女の最初の#1ヒットをものにした。その1945年は、第二次大戦終了の年であり、Wikipediaによれば、この歌は、多くの(ヨーロッパ戦線)退役軍人のための非公式の帰国テーマになったと記されている。
ドリス・デイの父親は音楽教師、母親は主婦だった。彼女の顔立ちは、北欧系の感じがするが、ドイツ移民の孫である。
彼女には、よきアメリカのイメージがある。鼻先の丸いところは、ノーマン・ロックウェルの絵に出てきそうな庶民的な、家庭的なイメージを感じさせる。ただし彼女は離婚を繰り返したようだが。

(Youtubeに登録のDayniac4324に感謝)