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2010年3月26日金曜日

CTKー495

昨日のブログで、ビリー・ヴォーンの「浪路はるかに」をYoutubeにリンクしたが、YAMAHAの上級キーボードTyros2で演奏されたものなので、ビリー・ヴォーン演奏のものにリンクを換えた。
Tyros2は国内販売はされていないらしい。Youtubeにデモンストレーションがある(demo-1、demo-2)。音色の美しさに驚かされる。

ところで、入門用のカシオのCTK-495を随分むかしに購入して、そのままにしている。いい具合にリズムを選択すると、2種類トーンで鳴らして、ウソのコードと指使いをしても、意外とその気になれるものだ。ただし基本を知らないから、いじって終わるだけだが。
このままではもったいないので、CTK-495には申しわけないが、いずれ孫のおもちゃになってくれればと思っている。

(Youtubeに登録Robsev、sosoa123、jkuser22497に感謝)

★★★★★ 孫が、風呂上りにテルテル坊主を牛乳の入ったコップに入れたというメールが届いた ★★★★★

2010年3月25日木曜日

浪路はるかに

ビリー・ヴォーンの音楽は、子どもには近寄りがたい感じがして、どうしても馴染めなかったものだ。それがどうしたことか、今となっては懐かしい。「夕陽に赤い帆」(本ブログ:1/8)もそうだが、海につながる「浪路はるかに(Sail Along Silvery Moon)」もよい。不思議なことに、しっとりと耳に入ってくるのだから。極端に例えれば、秋刀魚のわたを歳をとってこそ美味いと気付くのと同じかな。

「浪路はるかに」は、1937年に書かれた曲(作詞:Harry Tobias、作曲:Percy Wenrich)を、1957年にビリー・ヴォーンによりリリースされて、翌1958年に全米5位のヒットをしたそうだ。<Wikipedia、Youtube(概要)などより>

(Youtubeに登録の draadnagels、ilovetrains63に感謝)

2010年3月24日水曜日

「ハニー」のような「サニー」

このタイトルは、イ・ソンヒがテーマソングを歌った少女アニメ「走れハニー」、およびファンからの愛称「サニー」をもとにした次の記事タイトルから採った。

「文化日報」の記事「『ハニー』のような『サニー』…その声が懐かしい」('04/8/3)には、デビュー20周年記念「Jへ 20年 イ・ソンヒ・コンサート」('04/8/26~28)の準備に忙しい頃のイ・ソンヒとのインタビューがあり、次のような話題が載っている。
・イ・ソンヒの江辺歌謡祭大賞受賞('84年)は、「背が低くて声の大きい女性歌手」のさきがけとなり、以降チョン・ユナ(전유나:'89年大学歌謡祭大賞)、ユ・ミリ(유미리:'86年江辺歌謡祭大賞)などの「イ・ソンヒにつづく歌手」が入賞している。
・高等学校の時、作曲家イ・セゴンに会ったが、その方からこの歌の楽譜を受け、そして1年6ヶ月の間温めていた。【江辺歌謡祭時期から逆算すれば、いつ頃この曲を得たかがわかる】
・「ミュージシャン」といわれるよりも「歌手」にこだわる。【それは、彼女らしい筋の通った信念だろう】

(Youtubeに登録のamplify82、koreanballadsに感謝)リンク

★★★★★ 孫が、機関車トーマスのお面で、いない・いない、ばぁ~をする動画が届いた ★★★★★

2010年3月23日火曜日

孫と独り歩き

4月から保育園に通う孫に会いに行く。今までのように訪問もままならないだろうから、今日は孫と目一杯遊ばせてもらった。

風邪で鼻づまりの孫は、それでも元気に笑顔を振りまいてくれた。そして何より驚かせたのは、目の前で呼びかけに応えるように、両手を斜め上に挙げて立ち歩きしたことだ。独りで六歩は歩いた。先日のメールで、五、六歩と歩いた知らせを受けたが、直接見るとでは大違いの感激だ。親たちも、その洗練された歩きに感心したくらいだから。
風邪で決して快調ではないのに、何と頼もしい孫だ。1歳の当月に歩いたのだから。

小金井公園の桜まつりまでに孫が風邪を完治したら、ともして花見に行きたいものだ。早く元気になっておくれ。

2010年3月22日月曜日

桜開花

気象庁は、東京の桜(そめいよしの)の開花を発表した。靖国神社の標本木を観察して、携帯電話で開花を報告している女性職員の姿をテレビ朝日のニュースで報じていた。平年比6日早く、昨年比1日遅れだそうだ。

昨日訪れた小金井公園の桜は、まだ蕾を大きく膨らませているだけだったが、4月2日~4日に「第56回小金井桜まつり」が開催される。

イ・ソンヒが選ぶ印象的な歌

イ・ソンヒとのインタビュー記事「イム・ジンモが会った人-イ・ソンヒ」(oimusic '03/2)が、Daumミュージック(뮤직)に載っている。(インタビューは以前(1/7)、一部紹介)

インタビューの中で、イ・ソンヒが自身の曲から、40代が記憶する「Jへ」※と、30代が(記憶する)「思い出のページをめくれば」※※を最も印象的な歌に選び、後者はファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという説明を付け加えた・・・とのこと。
※、※※ これらの曲は、彼女が歌番組「歌謡トップテン」で1位となった曲である。(2/28に紹介)
※※ イ・ソンヒが高音の強い発声のイメージから脱却した曲のひとつである。(2009年の8/27に紹介)
(Youtubeに登録のmongtec、pops8090に感謝)

また、このインタビューで、彼女は見せかけの自由より、教本の通り行くことを選ぶといい、歌に専念するゆえにむしろ無口であり、歌手は歌でだけ話しますと述べている。そこから彼女の清潔さにつながる、ある意味で一途なイメージが窺われる。

2010年3月21日日曜日

ケロロ軍曹

訂正がある。先日、孫が「ケロケロ軍曹」の着ぐるみを見ている写真メールが届いたと記したが、正しくは「ケロロ軍曹」だった。緑色していたので、ついついカエルのイメージの延長で、<ケロケロ>としてしまった。言い訳はここまで。

ケロロ軍曹の(公式?)ホームページを参照したところ、次のような説明があった。ケロロ軍曹は、ケロン星人で地球侵略の尖兵として活動していたが、地球の子どもと出会った結果、大切な武器?を奪われて囚われの身となり、今は面従腹背しているらしい。
このアニメをYoutubeのPart1で見ても要領を得なかったが、Part2で上記いきさつがわかった。このケロロ軍曹、困ると自ら「ただのカエル」と言い逃れしている。

(Youtubeに登録のTainted46に感謝)

春分の日2010

今日は、二十四節気のひとつ、「春分の日」である。昨日からの強風は衰えたとはいえ、まだ幾分の名残りがある。

穏やかな陽を受けて小金井公園に行くと、春の嵐の凄まじい跡を見ることができる。「江戸東京たてもの園」前の広場に並ぶ桜の一本の古木が根こそぎ倒れていた。桜の根は地中浅く広がると聞いている。強風に耐えられなかったのかもしれない。
また、公園中央にある「いこいの広場」のケヤキの木立の下には、強風に折れた枝が散乱していた。









★★★★★ 孫が、夜泣きして両親を振り回した後、あどけない寝顔で寝ている写真が届いた ★★★★★

2010年3月20日土曜日

国民の妹

せっかく穏やかで暖かい日和になれた筈なのに、強風に邪魔された一日だった。夜分、その風はますます強くなった。
(追記)深夜、風力は増して烈風となり、まるでラジオの効果音のように外気をゆすり、おまけに家まで軋ませてくれる。

キム・ヨナには、韓国で「スケートの妖精」などの愛称があるが、日本では2010冬季オリンピックのテレビ放送で、もっぱら「国民の妹」と呼ばれていると紹介された。
(本ブログの「キム・ヨナ」関連:2009年の3/283/298/20、2010年の2/242/26

ところで、元祖「国民の妹」といわれたのは、映画俳優イム・イェジン(임예진)だそうで、ブログ「The Blog of Samma」によれば、女子高生時代に多数のハイティーン映画で最高の人気を謳歌したという。例えば、Google「画像検索」で「임예진」と検索すると、当時の愛らしい画像を見ることができる。
(本ブログ関連:2009年の10/15

チュ・ヒョンミ&ソヒョンの「チャラチャチャ(짜라자짜)」MVに、イム・イェジンが出演して、少女時代のセピア色の写真を見て懐かしむ可愛いオンマ役を演じている。
・ブログ「Love」からの孫引きだが、「80年代最高のハイティーン・スターのイム・イェジンと少女時代のユリが共演して『離れの客とお母さん(사랑방 손님과 어머니)』をモチーフに、家庭教師を(間に)置いて繰り広げられる母と娘の三角関係をコミカルに描く予定」との記述がある。
・「シネマコリア」に、映画「離れの客とお母さん」の紹介がある。

(Youtubeに登録のchararabiに感謝)

(追記)
Jo!nsの記事「華麗な人脈」(3/19)によれば、イム・イェジンがSBS番組「ペ・キワン、チェ・ヤン、チョ・ヒョンギの良い朝」で、芸能界で顔が広いことを誇ったそうだ。番組に特別出演したスターたちは、歌手イン・スニ、演劇俳優ユン・ソクファ、俳優コ・ドゥシム、俳優バク・ジョンスとのこと。

★★★★★ 孫が、おばあちゃんと一緒にケロロ軍曹の前に立って見上げている写真が届いた ★★★★★

2010年3月19日金曜日

白木蓮

近くの民家にある白木蓮は、あっという間に白い厚手の花びらを開き、大きな木立を真白に飾った。そして、白い花弁を塀越しの路面に散らしはじめた。待ち遠しかった白木蓮の花が散るのは惜しいが、こちらの勝手というものだろう。

木々が新芽を出し、花を咲かせ散ることも、冬の木立にも意味があると思う。そして、それが平穏に繰り返されることに感謝を覚える。歳をとるというのは、そういことだろう。歳を重ねるといろいろなことが見えてくる。自然にも人にも。

★★★★★ 孫が、パンをゆっくり、じっくりと味わうように次々口にする(大丈夫?)動画が届いた ★★★★★

2010年3月18日木曜日

持ち歌探し

中学時代の仲間と毎月、八重洲にあるカラオケ店に夜分集まり、出来不出来は別にして思い思いに放吟している。
持ち歌に足して、先月はイ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」をチャレンジしたものの、残念な成果だった。その挽回に今夜は、イ・ウンハの「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」を歌ったが、やっぱり残念だった。どちらも良い歌なので、これから何とかものにしたいと思う。

(本ブログ関連:2009年の10/9、2010年の3/6

(Youtubeに登録のdove2727、xxcoltsneckxxに感謝)

★★★★★ 孫が、スーパーのカートの台座で体をねじるように爆睡している写真が届いた ★★★★★

2010年3月17日水曜日

イ・ソンヒと学生家長

イ・ソンヒがソウル市議会議員になる前に、「学生家長(学生が家長となっている世帯)助け合いチャリティーコンサートなど社会的に苦しい隣人のための活動」をしていたことを本ブログで触れた。

彼女の実際の慈善コンサートの記録が、公式ホームページ(HOME > Biograph > 공연활동[公演活動])に次のように載っている。
・'86年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 7/26(弘益大学校)、11/30(大韓生命63ビル)
・'87年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 1/25(釜山社稷室内体育館)、5/31(大田忠武体育館)、8/30(大邱室内体育館)、11/29(大韓生命63ビル)
・'88年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 8/14(釜山KBS公開ホール)、12/4(88体育館)
・'89年 「学生家長助け合いイ・ソンヒコンサート」 12/3(88体育館)

これらの活動の後、ソウル市議会議員('91.7.1~'95.6.30)として、社会福祉委員会委員、保健社会委員会委員などの活動をしている。

(本ブログ関連:2009年の8/3110/29

★★★★★ 孫が、ゆったりと大きなイチゴを4つも続けて口に頬ばる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、寝ている父親の頭を触るつもりで引掻いて謝る?動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、母親から絵本をとって頁をめくり声を出して読む?動画が届いた ★★★★★

2010年3月16日火曜日

カスケーズ

カスケーズの「悲しき雨音(Rhythm of the Rain)」(1963年全米ポップチャートで2週間1位)は、妙に懐かしい曲だ。導入部の雷鳴と雨音にもかかわらず、どこか楽天的な少年の失恋を歌っている。

EPレコードから流れてくる「悲しき雨音」の、まだまだ大丈夫なんて思っている、のんきで(未熟な)、おばかな少年の失恋の歌を、もっとのんきで、もっとおばかな少年が聞いていた。
考えてみれば、湿潤なモンスーン地帯の僕らの雨と、明るいカルフォルニアの雨とではちょっと違う。雨雨降れ降れもっと降れとはいわないだろう。じめつく雨と乾く雨の違いかな。

(Youtubeに登録のksabondに感謝)

★★★★★ 孫が、孫の名を入れて歌ってくれる母親と、声をあげてよろこび遊ぶ動画が届いた ★★★★★

2010年3月15日月曜日

孫と歩き初め

孫が、5、6歩も!歩いたというメールがお嫁さんから届いた。今日は記念日になった。

孫は、はいはい、つかまり立ちなどといろいろ成長の歩みを進めて、まわりを驚かせてきた。今回の驚きと喜びには格別なものがある。メールに1、2歩と歩く動画が添付されているが、5、6歩も歩いたという姿を直接見たいものだ。
幼い子どもの発達は、遺伝子の設計図で自動的に進むものではないだろう。深い愛情というトリガーがなければ、そして愛されているという絶対的な自信がなければならないと思う。
孫は、若い両親の愛情に包まれて、成長の歩を進めている。本当に幸せなことだ。

ちょうど1歳を過ぎたばかりの孫が、初めて歩いたことに感謝したい。

カスマプゲ

昨晩、Twitterを覗いたら、韓国の作曲家朴椿石(박춘석)氏の訃報が綴られていて、今日のインターネットのニュースは死去の記事を一斉に報じている。

わたしたちの耳に馴染んだ朴椿石の曲は何といっても、「カスマプゲ(가슴 아프게)」だろう。少し前の会社の飲み会などでは必ず誰かが歌い、カスマプゲのフレーズになると、みな一斉に口ずさんだものだ。日本でのこの曲の流行は、李成愛(이성애)によっている。彼女が最後のステージで歌う感動的な録音がYoutubeにある。当然、今なお日本の歌手に受け継がれている(キム・ヨンジャも含めて)。また、本ブログの左に、元唱者ナムジン(남진)の映像を載せさせていただいている。

朝鮮日報(chosun.com)の記事「’島の先生’から’雨降る湖南線’まで」(3/14)には、朴椿石の幼少時からの天賦の音楽的才能と経歴などが記されている。
・(韓国)国内歌謡作曲家中最も多い2700余曲を残した。そのうちの1152曲が韓国音楽著作権協会に登録された。最多登録である。
・1964年地球レコード社に移った彼は、李美子(이미자)とともに音楽家人生の変化(第2の転換期)を迎える。彼が一生の間作曲した歌の4分の1を李美子が歌ったし、李美子が歌った歌の3分の1を彼が作った。(「島の先生(섬마을 선생님)」)

(Youtubeに登録のkmw2500、zingaz98、yokosuka30に感謝)

2010年3月14日日曜日

韓国料理

今日の天気は暖かいを通り越して、セーターにジャケットの身づくろいには、働かずとも額に汗が出た。

さて、むかしの仕事の仲間とJR新大久保駅で待ち合わせて、駅のそばにある韓国料理店「辛風(Kara Kaze)」で昼食をとった。
マッコリ、海鮮チヂミ、ジャガイモチヂミ、海鮮トッポギ、キムチ盛り合わせ、足りなければ追加注文のつもりだったが、おじさん達にはこれで十分満腹してしまった。同行仲間は、ジャガイモチジミが気に入ったようで、美味いと口にしていた。
コリアタウン巡りは、新大久保と靖国通りにある、CD(書籍)ショップや韓国食材スーパー等々を覗いてみたが、同行仲間を疲れさせただけのようだった。

解散後、新宿三越アルコットのジュンク堂書店に行き、孫のために絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」と仕掛け絵本を購入した。われながら疲れを知らない。

★★★★★ 孫が、溶けるような笑顔で母親と遊ぶ動画と、食事に専念!没頭!する動画が届いた ★★★★★

2010年3月13日土曜日

イ・ソンヒのファン

韓国の雑誌ELLEのELLE.co.krに、他誌編集者に自らのファン経験について質問に応えてもらっているページがある。
その中で、 雑誌GQ(korea)のフィーチャー・エディターのチャン・ウチョル(장우철)が、イ・ソンヒについて次のように思い出を語っている。

小学2年の頃に、イ・ソンヒの2集「秋の風(갈바람)」(1985年)を聞いて(生涯最初のファンとなり)、小学校を卒業するまで良くてたまらなかった。6学年の時に、イ・ソンヒの単独「リサイタル」(当時コンサートをこのように呼んだ)に、背が高い高等学校の姉たちの間に一人挟まって屈せず入場した。・・・
2集の歌「そうよ過ちは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)※」を、彼女がさえずる様子を見て、イソンヒに初めて女性らしさを感じた。・・・そうだ。
※ この曲はブログ「blueeco」で聞くことができる。

イ・ソンヒが男女全ての世代に支持されたことがわかる。国民歌手といわれる由縁だ。

★★★★★ 孫が、何と朝5時に食事をとりご機嫌で、愛くるしい声で「バイバイ」する動画が届いた ★★★★★

2010年3月12日金曜日

ロールモデル

Osenの記事「私も顔知らせたい」(3/4)に、歌手イェイン(예인)が理想(ロールモデル)とする歌手として、イ・ソンヒの名を上げている。

イェインは、ロールモデルにイ・ソンヒとインスンを挙げて、次のように語っている。「先輩たちは本当に私のロールモデル(롤모델)だ。 幼い時代に歌謡を開始した時から、イ・ソンヒ先輩の歌を聞いて彼女の歌と共に幼年時代、青少年期を送った。 本当に彼女の声は最高だと思う。むかしのままの彼女の少女のような声を聞けば感嘆する。 常にあのように歌手活動しなくてはならないと考える。」

イェインは、ラン(란)という名を改名して4年たっているにもかかわらず、同名の別の歌手がいていまだに混乱があるようだ(jo!ns 3/12)が、記事以上のことを知らない。
ここでは、「ロールモデル」という言葉の響きが気になったわけで、むしろ、成りたい~、憧れの~、理想の~といった方がわかりやすい。イ・ソンヒは誰にもそういう存在なのだから。

★★★★★ 孫が、公園の原に座って、「待て待て待て」に逃げる振りしてクルリと戻る動画が届いた ★★★★★

2010年3月11日木曜日

Kaleidoscope World

英国のポップ・バンド「Swing Out Sister」の「breakout」(1986年)は耳に残った。ボーカルのコリーン・ドリュリーは見た目もお洒落だし、軽快なサウンドながら落ち着いた歌声が心地よかった。
Wikipediaによれば、彼女はファッション「デザイナー兼モデルの仕事」から出発したようだ。
・ちなみに1986年にイ・ソンヒは、アルバム3集「分かりたいです(알고싶어요)」(歌詞)を発表している。

随分昔のこと、2集「Kaleidoscope World」(1989年)のVHSを購入して、音楽だけでなく万華鏡のような色彩とデザインの画面を楽しんだ。なかでも「Waiting Game」は、最初の印象を残してくれていた。
ということで、またVHSを見直したが、今もセンスのよさを感じる。

(YouTubeに登録のpinhamrv、empressmeに感謝)

★★★★★ 孫が、いよいよ離乳の練習を始めた。お嫁さんのお母さんにあやされる動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、画面に向って初めて聞く「バイバイ」の声を発し、少しの間立った動画が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、初めて離乳のまま今晩寝てくれたと、「成長の証」という喜びのメールが届いた ★★★★★

(追記)
母の命日の今日、妹と一緒に小平霊園に行く。風が強く、線香に火がつかず難儀する。

2010年3月10日水曜日

春の寒さ

昨晩の雨は、屋根の雪を固まりにして、深夜にドスンドスンと音を立てて落した。それは驚かせるに十分な響きだった。 今日の風は随分と寒い。まるで雪の上を走って来る風のようだ。芯から冷たい。

そういえば以前のこと、まだ雪が残っている茨城県の錫高野で鉱物採集したときに、沢を下りてくる風の冷たさに閉口した。熱燗できる缶の日本酒を飲んだが、寒さを癒すことはできなかった。顔だけ赤くして震えていた。

図書館から借りた「生き急ぐ」(内村剛介著)を返しに行った帰り、あるお宅の白木蓮(ハクモクレン)のつぼみが膨らんで、白い花を僅かながら覗かせているのが見えた。寒風のなか春はひた走ってくる。

「生き急ぐ」には、デカダンスにモスクワに散ったエセーニンの詩「母への手紙」を載せていて、その詩の中に、無頼をつづける息子を気遣う母への気休めに「春 わが家の白い庭で木々が枝をぐっと伸ばすころ/ぼくは帰ってくよ/八年前みたいに 朝早く/起こすのだけはやめとくれ」という気を許す一節がある。 (本ブログ関連:1/132/16) 

 ★★★★★ 孫が、皿の料理を手づかみでゆったりと食べている動画が届いた ★★★★★