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2026年7月6日月曜日

戦い済んで日が暮れて、あるファッションの変遷

最近、朝に二度寝してしまうことが多い。このところのW杯(FIFAワールドカップ)が、深夜・早朝に試合が中継され、それを見ようと頑張ったからかもしれない。

にわかファンは、訳も分からず、すぐに熱狂し・すぐに冷める。以前もそうだったが、今回もそう。自分でも冷めた後、さて次に何しようと無関心ぶりに驚く。(まるで、恋の相手を乗り替える駆け引きのよう・・・今の時代、これ以上は踏み込めない)。

W杯前、早朝4時ごろに起床していた。その分、時間がたっぷりありあって、持て余すほどだった。W杯に熱中して、エネルギーが涸れてしまったのかもしれない。
W杯から離れては、<おはら庄助さん> が大好きな「二度寝」に入ったようだ。ぐっと起床が楽になった。

もう一つ、理由を考えるなら、医院で処方してもらった消炎薬が、なぜか体調を整えてくれて快便・快眠なのだ。

ところで「戦(たたかひ)いすんで日が暮れて」は、軍歌「戦友」の一節にある。


あるファッションの変遷
Youtubeを見ていると、国会・討論番組に出席のリベラル側の女性に特徴的なファッションがあるのに気付く。伝播するというか、共通するというか。例えば、ある政党の議員が語るとき、同党の重鎮のしゃべり方に極めて似通うことに通じる、それも3世代ぐらい続いているのではと思ったりする。

そこで、ファッションについて、Gemini に特長的な男・女スタイルの歴史を聞いてみた。

■ Gemini

Q.左翼・リベラルといわれる人々に特長的なファッション(髪型、メガネ、衿詰めの服など)ありますが、年代別にどのようなものがありますか。私の若いころ、共産党と全共闘の若者の間で、「Gパン」を穿くことに違いがありましたが・・・、おやおや、数年も立たず共産党の若者もGパンを穿いていました。もっと昔に、地方文化人といわれるおじさんたちに、「ベレー帽」スタイルが多かったですね。
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A.左翼・リベラル、あるいはその時代の進歩派・文化人と呼ばれた人々のファッションには、確かにその時々の思想的背景や「集団としてのアイデンティティ」が色濃く反映されていました。

おっしゃる通り、1960年代から70年代にかけてのジーンズ(Gパン)を巡る「共産党(民青)vs 全共闘(新左翼)」の対立や、それ以前の「地方文化人のベレー帽」などは、当時の空気感を生々しく伝える非常に興味深いディテールです。

日本の近現代における、いわゆる左翼リベラル文化人系のファッションの変遷を年代別に振り返ってみます。

1. 1950年代〜1960年代前半:新劇風・ロシア風と「ベレー帽」の地方文化人

戦後直後から安保闘争(1960年)の時代です。この頃の知識人や左翼系の定番は、どこかヨーロッパの労働者ロシアの知識人を思わせるスタイルでした。

  • 地方文化人とベレー帽 おじさま方の間で流行した「ベレー帽」は、手塚治虫や当時の画家・芸術家、そして社会運動に関わる知識人のトレードマークでした。これにロイド眼鏡(丸眼鏡)や、マフラーを無造作に巻くスタイルが合わさり、「私はモノを考える人間である」という記号になっていました。

  • サークル文化とカチューシャ: 若者の間では、うたごえ運動労働組合のサークル活動が盛んでした。女性はカチューシャにサブリナパンツ、男性は開襟シャツ(オープンカラー)にスラックスという、清潔感のある「健康的な労働者・学生」のスタイルが共産党系を中心に好まれました。

2. 1960年代後半:全共闘の反体制「Gパン」と共産党の「正装」

まさに、ご指摘のあった「Gパン論争」の時代です。1968〜69年の大学紛争期、新左翼(全共闘など)と既成左翼(共産党・民青)の間には、ファッションにおいて明確な思想的断絶がありました。

  • 全共闘(新左翼)の「反体制・実戦」スタイル: 米国ヒッピー文化公民権運動(反戦運動)の流れを汲み、ジーンズ(Gパン)をアイコンとしました。当時はまだGパン=「米軍の放出品」や「労働者の作業着」であり、既成の秩序に対する反逆の象徴だったのです。これに長髪(ロングヘア)軍歌調ではないフォークソング、そしてヘルメットにタオルで顔を隠すスタイルが彼らの定番でした。

  • 共産党(民青)の「規律と信頼」スタイル: 当初、共産党系の若者はGパンを「不良の服」「米帝の退廃文化」として嫌いました。市民や労働者から信頼されるために、男性は詰め襟(学ラン)や小綺麗なシャツ、スラックスを履き、髪も短く整えていました。当時の党派間の衝突(内ゲバなど)の際も、服装を見ればどちらの陣営か一目で分かったと言います。

  • 数年での「Gパン」の一般化: お気づきの通り、70年代に入るとジーンズは単なる「若者の大衆ファッション」として完全に定着します。思想的な意味合いが薄れたことで、共産党の若者たちもごく自然にGパンを穿くようになり、ファッションによる分断は急速に融解していきました。

3. 1970年代〜1980年代:「衿詰め(人民服風)」とエコロジーの台頭

浅間山荘事件(1972年)以降、過激な政治運動が衰退すると、思想は「生活習慣」や「エコロジー」「市民運動」へと形を変えていきます。

  • 衿詰めの服(人民服・マオカラー風): 70年代の中国(毛沢東主義)への憧憬や、カンボジア、ベトナムなどのアジアの解放運動に共感する知識人の間で、スタンドカラー(衿詰め)のジャケットや(白色)シャツが流行しました。スーツという「西欧資本主義の象徴」を拒否し、アジアの労働者や革命家に連帯するというポーズです。

  • マニッシュな女性と自然派: リベラル系の女性たちの間では、ウーマンリブ運動の影響もあり、女性らしさを強調しないマニッシュ(男性風)なパンツスーツや、逆にインド綿などの民族衣装、草木染めといった「自然派・オーガニック」のスタイルが定着し始めました。髪型はショートカット、または無造作なロングが好まれました。

4. 1990年代〜現代:記号化された「インテリ・リベラル」

現代(2000年代以降)になると、かつての戦闘的な左翼ファッションは姿を消し欧米の「リベラル・左派」に共通する、洗練された、あるいは定番化されたシニア知識人のスタイルに落ち着いています。

  • 現代の定番アイテム:

    • 特徴的なメガネ: 昔のロイド眼鏡の流れを汲む、少し個性的で知的なデザインのフレーム(丸メガネや太めのセルフレーム)。

    • 天然素材の服: 麻(リネン)綿(コットン)を中心とした、体に張り付かないゆったりしたシルエットの服。

    • 色使い: アースカラー(カーキ、ベージュ、ブラウン)や、藍染めなどの藍色。

    • 髪型: 本質主義・自然主義の現れとして、あえて白髪を染めない「グレイヘア」を綺麗に整えたり、男性であれば少し長めのロマンスグレーにしたりするスタイル。

こうして振り返ると、Gパンを巡る数年での変化は、「若者の風俗のエネルギーが、政党の硬直したイデオロギーをあっさりと乗り越えていった」象徴的な出来事だったと言えます。時代の変遷とともに服装のトゲは抜けていきましたが、「既成の権威(ピシッとした高級スーツなど)に対するアンチテーゼ」という精神だけは、形を変えながら現代の衣服の選び方にも息づいているようです。

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若いころの「Gパン論争」は、目の前で起こった懐かしいファッション論争でしたね。
少し前、「スタンドカラー(衿詰め)の(白色)シャツ」がものすごく流行りましたね。
今は、大江健三郎風の「丸メガネ」が目立ちます。

これからもファッションに注目していきたいと思います。