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2024年11月27日水曜日

トニー・ザイラー

小学生のころ、学校でスキー教室の案内があり大いに期待していたとき、足の親指を捻挫して参加できなかったことがあった。それを因縁に感じてか、後に成人になってスキーの機会があっても経験することなく終わった*。
(*)家族どうしでスキー旅行に行ったときも、足腰の按配から私だけ子守役に徹していた。

子ども時代のスキーは、特別なものだった。未見だが、洋画「白銀は招くよ!」(1959年)で歌われた、同名の日本語歌詞を教室で合唱したものだ。そこで、今回、歌詞付きの映像をYoutubeに探したところ、雪斜面を滑り降りる軽快な旋律が蘇ってきたが、歌詞は曖昧で「ホーヤッホー」の掛け声しか思い出せないのに気づいた。

それでも、映画の主人公が、実際のオリンピックのアルペンスキー種目で金メダリスト(1956年、回転・大回転・滑降の初の三冠達成)の「トニー・ザイラー」(Anton "Toni"  Sailer、1935年~2009年)だったことは今でも鮮明だ。トップ・スポーツ選手が映画スターになるなんて、万能だなと驚き感心したものだ。

(本ブログ関連:”トニー・ザイラー”)

どうやら、この映画は「日本の戦後のスキーブーム」と連動したようで、Wikipediaに次のように記されている。
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・1959年に国鉄が臨時特殊割引乗車券の扱いを始めたことなどを含めて、戦後最初のスキーブームは1961年(昭和36年)に始まるこの年にはスキー客が年間100万人を突破した。スキー場行きの夜行バスが誕生した年であり、レジャー」が流行語になった。
・背景には高度経済成長による可処分所得の増加、第7回冬季オリンピックにおける猪谷千春の銀メダル獲得といった活躍、同オリンピックで回転・大回転・滑降の3大競技を制覇するなどして活躍したトニー・ザイラーが俳優業に転向後に作られた一連の映画『白銀は招くよ!』(1959年公開)や『銀嶺の王者』(1960年公開)他がある。
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■ Youtube(登録: fritz5130)
「Toni Sailer - Ich bin der glücklichste Mensch auf der Welt 1959」
https://www.youtube.com/watch?v=z3AhVnwSfB4

2011年2月10日木曜日

白銀は招くよ トニー・ザイラー

薄いフィルムのように透明で色付けされた、フィルムレコード(ソノシート)というものがあった。LPレコードよりも、EPレコードよりも安価でありながら、レコードデッキで聞くことができる音質度外視のレコードだ。そのため雑誌付録や景品になったりしていた。

たしか、カルピスのクイズに応募したときに当選したのだろう、フィルムレコードが四、五枚収められた小冊子が届いた。歌あり、歴史的な録音ありといったバラェティに富んだものだった。その中に、トニー・ザイラーが映画で歌った「白銀は招くよ」が収録されていた(ような気がする)。
彼は、Wikipediaによれば、「1956年の(イタリア)コルティナダンペッツォ冬季オリンピックにてアルペンスキー回転・大回転・滑降の金メダルを獲得し三冠を達成」したし、その風貌から映画スターにもなっている。スポーツ選手の爽やかさもあって、当時とても支持されたと思う。

ところで、わたしはずーっと、トニー・ザイラーがドイツ人だと思っていたが、オーストリアの人だったのですね。

子どもの頃、学校行事でスキー教室があったが、ちょうど足の親指を骨折していたため行く機会がなかった。そのせいではないが、以来スキーとは無縁である。


(孫のため紙飛行機の本を国分寺の書店で探しているときメールを受ける)
★★★★★ 孫が、おもちゃのシャベルカーに乗って、得意そうに操縦している写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、折り紙で作った紙飛行機を力いっぱい、飛ばそうとしている動画が届いた ★★★★★