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2015年11月6日金曜日

(雑談)自然の美しい形

石好きの理由に、鉱物結晶の美しさがある。直線的で平らな表面をもった様々な晶系が作り出す不思議な世界だ。きれいな結晶にいきなり巡り会うことができるとすれば、鉱山業に従事する者の特権で、坑道で遭遇するケースだろう。そうでない、アマチュアは、選鉱した後に捨てられたズリの斜面で探すだけだ。

結晶を持つ母岩を見当づけて割る。運が良ければ出会いがある。ベテランは闇雲に割るわけではなく、母岩の特徴も知っているので確率も高い。そうでない者は、手当たり次第割るわけで、やがて疲労と空しさが押し寄せて来る。

自然の中で、美しい結晶を探すとき、自然と相似な姿を求めているのだろうか。山、谷、沢といった複雑な地形を考えると、美しい結晶は異様であり異質である。自然の景観とは違った、シンプルでめったに目にすることのない形だ。自然金は金ということで貴重だが、そのままの形は美しいものでない。むしろ水晶の六角柱や玄武岩の節理の方が驚異的なのだ。奇妙なことに、その姿を人工的と例えようとする。

人間の住居で当り前にしていることに、窓は四角で、柱は垂直で、床や階段は水平である。また、ディスプレイだって四角の直線で囲っている。自然の美しさを口にしながら、実際は直線的なものや、水平で平らなものを求めている。現代的だからというわけでもない。昔から、人間の生活には、直線的な造形が採り入れられている。そうでないと不安定で落ち着かない。

自然を唱えているが、僕らは他の動物たちとは違った観念で実際の生活をしているようだ。ぐにゃぐにゃな空間、ルールのない社会に耐えられそうもない動物なのだ。