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2015年11月11日水曜日

MRJ初飛行

中学時代、飛行機ファンだった。当時の漫画週刊誌に、普通に戦時中の戦闘機を題材にした物語が連載されていたし、テレビでも記録番組が放送していた。いまとは大分違う時代感覚だった。

(本ブログ関連:”飛行機”)

飛行機について、その後、熱烈さは衰えたが、それなりに関心を持っている。千歳-女満別線のYS-11ラストフライトと聞いて、最終前日だったが乗った・・・知床硫黄山に硫黄を採りに行くことと合わせての旅だったが。その他は、平凡だが地元の飛行場に休日散歩しに行くことくらいである。

YS-11につぐ、戦後2番目の旅客機の<MRJ>(三菱重工)が、本日、約1時間半の初テスト飛行をした(愛知県営名古屋空港)。離陸の様子がテレビで実況中継されるのを見守った。「離陸後、太平洋側の空域を利用し、上昇、下降、旋回などの基本特性の確認」をしたとのこと。

すっと抜き出るような機首のラインがとりわけ美しい。輸送機転用を意図しないような、旅客機の優美さがある。2、3年後にANA機として就航するわけで、機会があったらぜひ乗ってみたい。

(Youtubeに登録のMitsubishiAircraftに感謝)

KBS WORLD「国楽の世界へ」 晩秋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<晩秋>にふさわしい3曲を紹介した。

始めに、旅人を歌う朴木月(박목월、1916年~1978年)の「旅人(나그네)」について次のように紹介された。
・田を黄金色に染める晩秋。ことわざに「稲は実れば実るほど頭を下げる」がある。「能ある鷹は爪を隠す」と似る。稲が実るこの頃の風景であり、黄金色の稲が風に揺れる。既に刈り終えた空っぽの田、人気のない秋の景色、心穏やかになる。朴木月の「旅人」の詩を謳うと、秋の趣が感じられてくる。豊かな季節でありながらもどこか寂しい感がする晩秋の趣だ。

▼ 張思翼(장사익)の歌う、コムンゴ伴奏曲「旅人」を聴く。百代の過客のよう、月と旅人が雲を追う味わいがする。

次に、キムチを漬ける「キムジャン김장)」の光景と、パンソリ「興甫歌(흥보가)」について次のように紹介された。
・11月8日は、冬が始まる「立冬」。この頃の光景に、キムチを漬け込む「キムジャン」がある。昔、どの家もキムジャンの準備をしたが、最近、温暖化の影響で時期を遅らすこともある。また、キムチを多く食べぬため、キムジャンをしない家もある。新鮮な野菜が多くなったのも理由だろう。キムジャンの時、家族がみな集まり、女性は白菜を塩漬けにし、大根を千切りにする。男は外で越冬用のキムチ漬けのかめを埋めるため土を掘る。2013年にユネスコ人類無形遺産に登録される。
・キムジャンのもうひとつの楽しみに、塩漬け白菜に、味付けしたヤンニョムと豚肉をはさんで食べることがある。でも、全て余裕があった人の話で、冬は貧しい人々にとって大変な時期だった。
・世の中、善人ばかりでない。興甫(흥보)とノルボ(놀보)の物語に登場する、兄ノルボは意地悪で、よりによって最も寒い時期に弟興甫を追い出すほどだった。

▼ パンソリ「興甫歌」から、「兄ノルボが弟興甫を追い出す場面」を聴く。そう思って聞けば情けもないように・・・。

(本ブログ関連:"興夫歌"、"興甫歌")

最後に、同じ頃の味噌作りなどについて次のように紹介された。
・この時期、キムジャンに劣らず重要な仕事に味噌作りがある。料理のほとんどに、醤油、味噌、辛みそのコチュジャンのひとつやふたつが入る。料理の味はこれらによって左右されるとも言われる。必要となる材料は、大豆の麹で、色々と手間のかかる作業で、醤油などを醸すには、色んな下準備を始め、何ヶ月も発酵させる手間がかかる。家族を想い、愛する心での大変な作業だった。

▼ 「冬の日に暖かい光を(겨울날 다슨 빛을)」の歌を聴く。修道女のコーラスを思い出す、心温まる今様だ。

2015年11月10日火曜日

イ・ソンヒの2015年末イベント

昨年(2014年)末、イ・ソンヒには次の主なイベントがあった。①12/20 救世軍慈善公演(新村歩行者天国 - 現代UPLEX前)、②12/22 デビュー30周年記念ライブ・アルバム発売、③12/28 SBSドキュメンタリー・スペシャルなどだ。今年はどうだろうか。

・まず、来月12月11日(金)に企業(ロッテ・カード)主催の「フリークリスマス11周年 - コンサート『同窓会』」のイベントに参加することがネット情報で伝えられている。(慶煕大 平和の殿堂、4,000人)

・韓国の誕生日は陰暦を採用していて、イ・ソンヒの場合、1964年11月11日(忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里)である。これを陽暦に換算すると、1964年12月14日となり、ファンクラブでは、この日に祝いのコメントが投稿されている。

(本ブログ関連:”誕生日”)

・テレビ放送についてはどうだろうか。韓国の通常放送の契約をしていないので、PCで見られれば幸いだ。

先日のインタビューのように、現在充填期のようで、次へ向けて英気を養っている。

2015年11月9日月曜日

列仙伝 卭疏

中国には、大袈裟な表現が好まれる中でも、悠々として奇なる仙人がいた。秘薬を操れたのも彼らだろう。古い本草学(者)のようなものか、そんな一人である「卭疏(きょうそ)」について、仙人のカタログ書のような「列仙伝」に語られている。

石由来の長寿の秘薬、石鐘乳を煎じたようだ。一体どんなものか気になり探してみた。「鑑賞中国の古典 抱朴子・列仙伝」(角川書店)の「列仙伝」(平木康平、大形徹)に、次のような解説がある。さらに、<四言八句の讃>が付加されていて、「五石」が記されている。(平凡社版の「列仙伝・神仙伝」には、この讃はなかったけれど)
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卭疏(きょうそ)者、周(しゅう)封史(【諸侯の領土の区域を定める官】)也。能(よく)行気(気をめぐらし)錬形(形を錬り【肉体を鍛錬する】)、煮石髄(石髄を煮て)而服之(之を服す)。謂之(之を謂う)石鐘乳、至数百年、 往来入(往来して入る)太室(【河南省登封県の北に連なる嵩山の異称、その一つにある】)。山中有臥石・牀枕焉。

八珍促寿 五石延生    山海の珍味を好めば寿命縮まる、されど五石は長寿の秘薬
卭疏得之 錬髄餌精    それを卭疏は手中におさめ、石髄練って精粋を摂る
人以百年 我享千齢    人は願う百歳の寿、わしの齢はすでに千歳
寝息中嶽 遊歩千庭    奥山に身を横たえて静かに憩い、そぞろ歩かん仙人の庭
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解説によれば、「石鐘乳」は鍾乳石であり、また「五石」は五種類の石(長生薬、丹砂、雄黄、白礬石、磁石)を混ぜて錬りあわせて服薬したそうだ。また、「行気」・「錬形」の呼吸法についても触れて、服薬と合わせてバランスが取れているという。

・鍾乳石から垂れる水を飲むならば、さぞや硬水だったろうし、さしずめ、Volvicといったところか。

・五石の「長生薬、丹砂、雄黄、白礬石、磁石」とは具体的にどんな石なのだろうか。これから調べたい。

五石について、「抱朴子」は「丹砂、雄黄、白礬石、曾青、磁石」(広辞苑)という。また、「五石散」というものがあって、「鍾乳石、硫黄、白石英、紫石英、赤石脂」を練り合わせた薬を指すようだが、中毒性があって絶えず散歩の必要があったことから「散歩」の語源になったという。そう考えると、上記<四言八句の讃>にある「寝息中嶽 遊歩千庭」はちょっとあぶなっかしい気がする。

2015年11月8日日曜日

立冬2015

自然を直接実感せず、街の飾りで「季節」を知ることが多い。カレンダーをめくるのが優先する。木立の変化に目覚め、風の変化を肌で感じる生活から随分遠い。日々、その兆しを探そうとつとめてはいるが、季節や年という単位で先走る。

今日は二十四節気の「立冬」。陽暦で生活をしていると、立冬の言葉に馴染みにくさがある。むしろ、秋分と冬至の真ん中といった方が分かりやすい。

(本ブログ関連:”立冬”)

二十四節気も、日毎変化が積み重なった結果だ。久し振りに、間を置いてこそ気付くことも多い。人は、どうやら、大きな区切りの中で理解するもののようだ。

一足飛びに、冬の不思議の国を巡ろうか。雪が積もった銀世界、これならいつもと違うってことが百も承知。わくわくさせる夢と希望が待っている。もう一度、子どものころの興奮あふれた世界へ舞い戻り、Dean Martinの歌う「Winter Wonderland」(1934年、作詞Richard B. Smith、作曲Felix Bernard)を聴いてみよう。なぜか私には、彼の世代が歌うクリスマスがお似合いの気がする。(まだクリスマスが街頭にあった時代のことだ)


(Youtubeに登録のL. Heitmannに感謝)

2015年11月7日土曜日

(資料) イ・ソンヒとのインタビュー(連合ニュース)

イ・ソンヒとのインタビューが、連合ニュースの記事「<インタビュー> イ・ソンヒ 『歌は無心の作業・・・「Jへ」は今聞いても胸がキュン』」(11/4、キム・ボギョン記者)に掲載された。若いファン層への感謝、後輩歌手たちへ助言、そして彼女の今後についてなど、31年間つちかった音楽経験を交えて聞くことができる。

イ・ソンヒの語り(=音楽観)には独特のものがあるという。以前、別のインタビュー記事にも、成程とうかがい知るような記述しているものがあった。今回は、どうだろうか・・・記者も苦心されたようだが、読み進むうちにイ・ソンヒらしさがやっぱり感じられてくる。妙に安心する。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ インタビュー”)

ところで、現在は充填期のようで、次ぎのアルバムまで時間がいるようだ。少々待ち遠しい気がするが楽しみである。

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「音楽は私を記憶する人との疎通(コミュニケーション)・・・若いファンたち感謝する」
「声は私だけの楽器・・・他の人が出てきて違うことを認めなきゃ」

イ・ソンヒは、誰もが自信をもって「国民歌手」と呼ぶことができる、数少ない歌謡界の巨匠中の一人だ。

1984年、「第5回 江辺歌謡祭」で、「Jへ」で大賞を獲得してデビューした彼女は、翌年1集のタイトル曲「ああ! 昔よ」を始め、「秋の風」、「分かりたいです」や、「私はいつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」などをヒットさせて、1980年代の代表的ディーバ(歌姫)として座をつかんだ。

彼女は小さい体躯から出る爆発的な歌唱力でファンたちをひきつけて、初の<姉さん部隊>(=中高女学生ファングループ)を誕生させたりもした。

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1990年代にも着実に新曲を発表したイ・ソンヒは、2011年、米国カーネギーホールのアイザック・スターン・オーディトリウムで単独コンサートも開いた。昨年(2014年)には、デビュー30周年を記念して、正規15集「セレンディピティ(Serendipity)」を発表した。

最近、イ・ソンヒを、ソウル江南区清潭洞の所属事務所(=フックエンターテインメント)の建物で会った。TVよりはるかに若く見られる容貌に記者が驚くと、すぐに彼女は、「私がTVによく出てないからよ」と冗談を言った。

まず、最近の近況を尋ねた。イ・ソンヒは、昨年3月アルバムを発売するやいなや、全国ツアーコンサートを開いて1年余りをファンたちのそばで過ごした。今年には、光復70年記念番組のKBS「私は大韓民国」に出演して「1945合唱団」を指揮したりもした。

「いま、やっとスケジュールがまばらになりました。昨年は一年中公演して、今年は『私は大韓民国』を準備するために緊張を解くことができませんでした。番組が終わって、およそ2週間患いました。そうして、ちょっと日常を楽しんだのです。休む時、したいことなどをリストに書き込みました。今は、それらをしに歩き回るのに忙しいですね。 (笑い)」

彼女は歌手として31年を生きた。短くない時間の間、彼女は歌と喜怒哀楽を一緒にこなした。イ・ソンヒにとって、音楽はどんな意味であろうか。気になってきたところで、単刀直入に尋ねた。

音楽は一種の疎通(=コミュニケーション)でしょう。歌う人は、歌で自分を表現します。私が過ごした時間にどんな考えをし、何をいいたいのか、結局、歌で語るんです。結局、私を記憶する人とずっと疎通(=コミュニケーション)するんです。」

数えきれないほど舞台に立って、ファンたちに会いながら、おのずから記憶に残る瞬間も多かったはずなのに。質問を投げると愚問賢答(=愚かな問にも賢く答える)が返ってきた。

「留めておく性格ではないので、何かを入れれば続けて注ぎます。歌もそうですよね。感情を続けて注ぎます。それで、うれしくても悲しくても、感情はその瞬間にだけ残るもののようです。そうするうちに、あえて過ぎ去った時間に何が残ったかどうか執着しない方です。」

このような回答を聞くと、気軽に他の質問をするのがためらわれた。だが、質問を止めることができなかった。発表した曲中、最も愛着がある曲を尋ねると、自然に「Jへ」という回答が出てきた。

「私はこの質問を受けたら、いつも『Jへ』と答えます。このように淡々と話しているけど、本当に『Jへ』は、今聞いてもキュンとします。おのずから過ぎた時間を振り返り見させる歌なんです。」

この他にも、最近、彼女の口の中で巡る歌がある。昨年発表した15集収録曲「今になって(이제야)」だ。「その時は分からなかったのでしょう/すべてを知っていて思ったが、愚かにも/感嘆符、休符も、そこに込められていることを」、という歌詞がなぜか胸に迫る。

「最近、私が元々進んだ方向からちょっと違うように、方向を定めました。そのように決めて見たら葛藤が多くなりました。すると、私も気づかぬ内に、この歌を口ずさんでいましたよ。この歌をしきりに歌うのを見て、私の視線が変わったことを感じます。」

イ・ソンヒといえば浮び上がるイメージがある。短いショートカットにメガネ、ズボン、スーツがそれだ。常にズボンだけはく彼女を見て、ファンたちは「イ・ソンヒの脚に大きい傷跡がある」とひそひそ話したりもした。彼女は、デビュー後7~8年間、素顔で放送に出たりもした。

一つのスタイルに固執した理由を尋ねると、「その時は、ただそれが良かった」という素っ気無い反応が返ってきた。

「今考えれば大したことないのに、その当時、瞬間瞬間ぶつかることが多かったです。化粧もして、メガネも外せというのが何となくいやだったんです。『歌う人が好きなスタイルで行くべきなのに、私がなぜあの人たちに従って行かなければならないのか?』という問いを持ち続けました。それで、固執半分、反抗心半分でずっと押し進めたら、そのまま私のスタイルに固まったんです。ところで、そうなるとそのスタイルが嫌いになりましたよ。(笑い) そのまま、その時その時やりたい通りに自然に従ったようです。」

イ・ソンヒの公演会場に、中壮年層の観客だけ訪れると考えると相当な誤算だ。彼女のコンサート会場にはいつも20~30代の観客で賑わっている。特に映画「王の男」のオリジナル・サウンドトラック(OST)に収録された「因縁(인연)」という歌が大ヒットを記録して、彼女は若い世代に名前を知らせた。イ・ソンヒが手紙好きという話を聞いて、直接、書いたファンレターを送る少女ファンも多い。

「公演会場で、観客席を見ればびっくりです。以前よりも観客が若くなっているとはっきりしてるんですよ。とてもありがたいことです。」

「最近、若いファンの意思表明が本当にどんどん目立ちます。公演レビューの掲示板も念入りに調べる方ですが、反応を見ればとてもおもしろいです。(笑い) 私を<姉さん>と呼ぶ中学生ファンがいるのだけど、自分のママも私を<姉さん>と呼ぶといいましたよ。そうしたところ、『うちの母さんも<姉さんファン>なのに家系図がどうなるのでしょう?』と尋ねたこともあります。」

イ・ソンヒは、MBCオーディション番組「偉大なる誕生2」で、メンターを引き受けるなど、後輩たちにも格別の愛情を注ぐ。しかし、最近の歌謡界を見ると物足りなさも大きいといった。<江辺歌謡祭>出身である彼女は、最近の雨後の竹の子のよう生じるオーディション番組を見ると、特にそのような感じを受ける。

「当時、<江辺歌謡祭>や<大学歌謡祭>は、私たち同士の祭りのような感じでした。もちろん決勝、準決勝と進んで競争したりしたが、みんな歌が好きだったし、お互いが違うということを認めましたよ。ところで、最近は本当に競争だけします。皆がみな違っているんですけど、私だけ頑張らなきゃという考えをするようで残念です。1、2位を獲る瞬間に歌手になるのではないのにね。」

彼女は話を続けた。

声は私だけの楽器です。他の人が私より歌をもっと上手だとしても、私の場所を持つのではありません。全てみな違った声を持っていますね。自分だけの声を持ってこそ、より豊かに生きていけます。グルメ通りを考えてみてください。一つのレストランでなく、多様なレストランが集まっているので、多くの人が訪ねてくるのじゃないの。他の人が出てきて、違うということを認めれば、全てみな上手くやれます。」

イ・ソンヒは、後輩たちが尊敬して似たがる巨匠の中のひとりだ。それだけに最近のTVをつければ、イ・ソンヒの歌をリメークしたり真似て歌う歌手をよく見かける。そのような姿を見て、本来本人はどんな思いがするのか気になった。

「最近の後輩たちは本当に音楽が上手いです。以前には良いものを表現する方法も知りませんでした。また、音楽される方の多くが付き従う音楽をしましたよ。ところが最近は、音楽で上手く表現する世代になりました。私の歌を、後輩たちが歌ってくれたら余りにもうれしいです。それを聞いて、『あんな方向にも歌を歌うことができるのだろう』と感じたりもします。しかし、私が歌った方式そのままに歌う後輩を見ると、上手いとは別にちょっと物足りないです。」 そのような後輩に、先輩としてしたい助言はないだろうか。

「とにかく経験するんです。編み出すというのは積もることで、積もれば吐き出すことができなければなりません。音楽をする人たちは、音楽に吐き出さなければなりません。もちろん競争が全てではないが、そのような過程を勝ち抜くのも必要です。だが、記憶しなければならないものがあります。人のために、私がだめなものなんてありません。人もなるし、私もなるんです。」

インタビューを進めて、31年(=デビュー31年目)の内面はやはり違うという考えが頭の中を離れられなかった。急がず自身の考えを一つ一つ明らかにする、彼女のカリスマに圧倒される瞬間も多かった。一時間余りのインタビューを終えて、今後の計画をたずねた。「小さい巨人」イ・ソンヒの答はやはり特別だった。

「以前には、男性と女性の声を同時に持つ少年のような声だったとしたら、今は女らしい声になりました。そうするうちに、そこに合った歌を歌うことになったし、声も澄んだのですよ。私は今、50代以後にどんな歌を歌うのか悩んでいます。次のアルバムですか? アルバムを出すというのは無心にする作業です。それで何かいっぱい満たしてようやく、結果に結び付けられます。ところで今は、満たせる時間が長く続かなかったです。それで当分は計画はありません。」
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(Youtubeに登録のqueen sallyに感謝)

2015年11月6日金曜日

(雑談)自然の美しい形

石好きの理由に、鉱物結晶の美しさがある。直線的で平らな表面をもった様々な晶系が作り出す不思議な世界だ。きれいな結晶にいきなり巡り会うことができるとすれば、鉱山業に従事する者の特権で、坑道で遭遇するケースだろう。そうでない、アマチュアは、選鉱した後に捨てられたズリの斜面で探すだけだ。

結晶を持つ母岩を見当づけて割る。運が良ければ出会いがある。ベテランは闇雲に割るわけではなく、母岩の特徴も知っているので確率も高い。そうでない者は、手当たり次第割るわけで、やがて疲労と空しさが押し寄せて来る。

自然の中で、美しい結晶を探すとき、自然と相似な姿を求めているのだろうか。山、谷、沢といった複雑な地形を考えると、美しい結晶は異様であり異質である。自然の景観とは違った、シンプルでめったに目にすることのない形だ。自然金は金ということで貴重だが、そのままの形は美しいものでない。むしろ水晶の六角柱や玄武岩の節理の方が驚異的なのだ。奇妙なことに、その姿を人工的と例えようとする。

人間の住居で当り前にしていることに、窓は四角で、柱は垂直で、床や階段は水平である。また、ディスプレイだって四角の直線で囲っている。自然の美しさを口にしながら、実際は直線的なものや、水平で平らなものを求めている。現代的だからというわけでもない。昔から、人間の生活には、直線的な造形が採り入れられている。そうでないと不安定で落ち着かない。

自然を唱えているが、僕らは他の動物たちとは違った観念で実際の生活をしているようだ。ぐにゃぐにゃな空間、ルールのない社会に耐えられそうもない動物なのだ。

2015年11月5日木曜日

イ・ソンヒ「冬哀傷」

久し振りに公園に寄った。紅葉は3分ほどか。それでも、一部に葉がすっかり枯れて、風に舞わせているものもある。樹下に積もって絨毯となり、幼児たちが持ち上げては舞い散らす。おもしろくて、うれしくて、何度も何度も楽しんでいる。

公園の紅葉が染まりきれば、いずれ雪景色、純白の世界になる。雪が珍しい幼ない子どもたちは再び、枯葉のときのように舞い散らすことだろう。風景が好奇心の対象でしかない、世界を感性で理解するのだから、うらやましい。

大人になると思い入れが深く、雪景色も感傷の舞台になる。きらめく澄んだ歌声を聞かせる、イ・ソンヒの5集所収の「冬哀傷(겨울 애상)」(1989年)は、聴くものをそんな世界に同化させる。でも、美しいこの作品ができたのは、ソン・シヒョンの家で、熱い即席ラーメンを作る最中だったなんてことは・・・。


星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に
*
風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

(*以下繰り返し)

凍ってしまった悲しい後姿


(Youtubeに登録のnaperboyに感謝)

2015年11月4日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 瞑想の音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<瞑想>にふさわしい3曲を紹介した。

始めに、瞑想の効用と風流音楽について次のように紹介された。
・瞑想は、ストレス解消や血液循環が良くなり、肉体疲労や病を回復させる力があるという。集中力が上がり、憂鬱な気分から解放されるともいう。しかし、本当に効果があるか確認する方法はない。直接体験して確かめることになる。瞑想方法は多様だが、共通するのは集中することだ。頭の中で思いを一ヵ所に集中する必要がある。最初は簡単でないが、静かな音楽と、そのリズムに集中するのもひとつの方法だ。

▼ 撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)演奏の代表的風流音楽「霊山会相(영산회상)」から、「上霊山(상령산)」を聴く。行間を読むように響く。

次に、撥弦楽器の「伽耶琴」や「玄琴(コムンゴ、거문고)」の奏法、仏教音楽「梵唄(범패)」について次のように説明された。
撥弦楽器の、「伽耶琴」や「玄琴」は、「スルテ(술대)」という絃をはじく竹撥(ばち)、または指で音を出す。西洋楽器のバイオリンと違い、弓で一度音を出すとすぐに消えるため、遠ざかる音を装飾音(꾸밈음、Trill)で飾ると、長く響くように感じる。「上霊山」の場合、ゆっくりした速さと、音階の少ないのが特徴。一曲の演奏に、初めから終わりまで集中が必要、瞑想でもある。
・仏教音楽の「梵唄」も同様である。中でも、歌詞を長く解釈しながら歌う、サンスクリット語からなるもっとも長い歌「ジッソリ(짓소리)」は、五、六文字で一時間歌うこともある。母音を長く伸ばすため間違えると大変で、集中しなければならなかった。

▼ 梵唄「ジッソリ」から「挙霊山(거영산)」を聴く。遍路歌ではないが、聞き入っていることに気付く。

・九文字で構成される歌詞を二度繰り返し、もう一度繰り返すとき一文字だけを長く歌う。大変短い歌詞だが、意味のない母音をリズムに合わせて歌う。長い歌詞のパンソリに匹敵するくらい難しい。僧侶の修行のひとつの方法ともされる。

(ちなみに、イ・ソンヒの父は、梵唄の指導者といわれている)

最後に、(韓国の)伝統音楽と瞑想の親和性について次のように紹介された。
・西洋の音楽は和音が多い反面、伝統音楽はメロディーがシンプルなため、瞑想に役に立つともいう。

▼ 「コル・ニドライ」(Max Bruch作曲)の、牙筝(アジェン、아쟁)とピアノ演奏(2005年、明洞聖堂大聖堂)を聴く。チェロも哲学的といわれる・・・が。

2015年11月3日火曜日

文化の日 2015

文化の日」の祝日というに、よほど文化的な生活と無縁なのか、本ブログに記念日について記述がない。休み気分に浮かれて、外出したり、趣味だったりしていたことにようやく気付いた。

<文化>といえば精神文化、<文明>といえば物質文明。「文化の日」こそ、人々の精神の高揚に貢献し、伝統文化の発展に努めた人々に栄誉(「文化勲章」など)が授与される日である。

文化勲章受章者リストを一覧すると、この制度の開始(1937年-昭和12年度)以来、日本をリードした人々が分かる。

ところで、今日は祝日ということで、教室が休み。気が緩むことに躊躇なく、だらだらと一日を過ごした。

2015年11月2日月曜日

ちあきなおみの「黄昏のビギン」

午前中の雨脚に、天気予報の通り夕方まで降るのかと気が滅入りそうだった。昼過ぎどうやら治まってくれた。とはいえ、冬並みの寒さが一日続いた。

雨が止んでも、空はどんより重く、晴れ間はついに訪れなかった。そんなとき、気分を変えてくれる歌が欲しくなるものだ。かといって、あけっぴろげな元気を求めていたわけではない。

今も絶大な人気を誇りながら、自らステージを去った歌手、ちあきなおみの歌「黄昏のビギン」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)は、その昔、コーヒーのコマーシャルにも歌われて、ちょっとした大人気分だった。(原曲は、1959年の水原弘の歌だった)

ちあきなおみの歌で、私のお気に入りは、「紅とんぼ」(作詞:吉田旺 作曲:船村徹)だ。なぜかって、カラオケでは、イ・ソンヒの歌とともに歌わせてもらっているから。新宿駅裏の小さな飲み屋が店仕舞いする。女将と客たちの別れ歌だ。


(Youtubeに登録のtoshiyuki maeda、HirooTanakaに感謝)

2015年11月1日日曜日

イ・ソンヒ、50歳になったら・・・

テレビ画面で、可憐にして清楚で淑やかに見える女性タレントが、インタビューを通して、案外しっかり者であるのを見受けることがある。考えてみれば、芸能界をしっかり生き抜いているわけで、柔なはずがない。強い意志がなければ注目もされないだろうと気付かされる。

イ・ソンヒも、どこかそんなところがあるようだ。歌も上手かった中学時代に、体育教師に「サニー」のあだ名を付けてもらったという。体育会系の朗らかさがあったのだろう。デビュー時に、歌手が並んだステージに登ってきた酔っ払いを独りで払いのけている映像がある。まさに、ボーイッシュなイメージがそのまま重なる面もあるが。

アジア・トゥデイの記事「イ・ソンヒ、この時代の真のメンター(指導者)・・・歳を早くとりたいという(映画評論家・コラムニスト)ホ・ジウン(허지웅)に言った忠告は?」(10/30、バン・チョンフン記者)は、イ・ソンヒのある意味<さっぱり>した仏教的価値観を垣間見る気がする。

イ・ソンヒは、数段大人だ。

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イ・ソンヒが過去、ホ・ジウンにした忠告が再照明されている。

イ・ソンヒは、過去放送されたSBSスペシャル「私は生きる-歌手イ・ソンヒ、大韓民国を慰める」で、自身のレコーディングルームを訪れたホ・ジウンに暖かい助言をかけた。

当時、放送でホ・ジウンは、「さまよっていた時代に、先生の歌を聞いて気を引き締めた」と告白し、それに対してイ・ソンヒは、「三十七歳だったらいいとき。いいなあ」と励ました。

ホ・ジウンは、「大学時代からの夢が、50代になることだった」とか、「歳を早くとりたい」理由は、「五十になったら心乱れないものだと思っていた」と言及した。

これに対して、イ・ソンヒは、「私も幼い時から、50になれば人生に対して解脱できる歳だと考えて早く大人になりたかった」といいながらも、「50になってもそうじゃない人にはならない。今がその時だと考えて、早く捨て去るべきことは捨て去り生きるのが良い」と和やかさを醸し出した。
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2015年10月31日土曜日

(雑談)ハロウィンよりも、残り2ヶ月しかないこと

1年をリンゴの実に例えて、軸を中心に縦に6等分すると、5/6を食ってしまったことになる。1/6しか残っていないのだ。後、2ヶ月で今年が終わる。あっけないほどだ。

子どものころ、時間は長かった。クリスマスや正月が来るのが待ち遠しかった。夏休みに遊び飽きることもなかった。時間は無尽蔵で、やることがいっぱいあったのだ。

若者は遊び上手だ。若い女性が先を走り、それを男たちが追う。ハロウィンは、口実かもしれないがうってつけだ。その構図は変わらない。

さて、おじさんは、どうする。残り2ヶ月を酒の肴にして味わうしかない。いつのまにか時間の皿は空っぽになって、酔いが覚め、ヒンヤリするのが毎度のこと。

2015年10月30日金曜日

イ・ソンヒ「ひとしきり笑いで」

イ・ソンヒの5集所収の「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(作詞作曲ソン・シヒョン、1989年)について、以前、「『あ!昔よ』、『美しい江山』、『ケンチャナ』などに通じる、彼女の歌の中で、何かを吹き払い、いかにも前向きな響きがする、韓国らしいトーンの強い曲である」と記した。コンサート会場で見た観客の熱狂からそう察した。

(本ブログ関連:”ひとしきり笑いで”)

会場の反応に、ある意味、定番のような気もしたが、昨日の本ブログに紹介した、釜山日報の「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)によれば、次のように社会性を帯びているという。歌詞を見れば暗喩的である。事情についていずれ知りたいと思う。
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■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)

(5集収録の)「五月の陽射し」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。・・・
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ひとしきり笑いして、知らないふりをするには
この世界の若いため息が、あまりにも深くて
ひとしきり涙して、忘れてしまうには
この世界の若い傷跡が、あまりにも大きい

私は再び眠りたいだけ、子どもの頃のように夢の中で
私は再び夢を見たいだけ、ひたすら笑っていた子供の頃のように

若いため息、ため息が薄れる日、世界は本当に美しいよ
若い傷跡、傷跡が薄れる日、世界は本当に美しいよ

ひとしきり笑いして、知らないふりをするには
この世界の若いため息が、あまりにも深くて
ひとしきり涙して、忘れてしまうには
この世界の若い傷跡が、あまりにも大きい

(Youtubeに登録のAlejandro Kimに感謝)

2015年10月29日木曜日

(資料) 「イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」

久し振りに、イ・ソンヒについての評論記事がネットを飾った。釜山日報(BUSAN.com)の「ウィークエンジョイ」(10/28)の記事、「【8090 この歌この名盤】17.イ・ソンヒの4集と5集(アルバム) - 『Jへ』 彼女を除いて80年代歌謡を語るな」(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)は、80年代に登場したイ・ソンヒの席捲と躍進について次にように語っている。

イ・ソンヒの4集、5集アルバムは、1988年、89年と連続リリースされた。これをリマスター版「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」として、2011年に再発行されている。昔からのファンの支持が、このような形に再結晶化したのだろう。本ブログで以前にも触れたが、名曲が網羅されている。記事では、ソン・シヒョンとの関わりが興味深い。

(本ブログ関連:”「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」”)

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1984年前半期、歌謡界最高のヒロインは、断然チェ・ヘヨン(최혜영)だった。彼女のデビューアルバム収録曲「それは人生(그것은 인생)」は、当時最高の人気曲であったし、後続曲の「水のような愛(물같은 사랑)」の人気も侮れなかった。そのままならば、年末の各種新人賞は、文字通り確実なものだった。

ちょうどその時、一瞬に地図をひっくり返してしまった問題ある、その人が忽然と登場する。彼女の名前はイ・ソン・ヒだった。 1984年夏、仁川専門大学生だったイ・ソンヒは、同じ学校のイム・ソンギュンと一緒に「4幕5場」という混成デュエットで、江辺歌謡祭に参加し、大賞を握った。受賞曲は「Jへ(J에게)」だった。その日を起点として歌謡界の人気版図は、荒波の中に巻き込まれていった。

江辺歌謡祭大賞後、ソロとして本格的な活動
84年の最高のヒット歌謡・・・各種賞獲得
ソン・シヒョンと出会って4・5集の付き合い、音楽も変化
5集には「五月の陽射し」など社会性の濃い曲

■ 歌謡界の地図塗り変えた「4幕5場」の登場 (1984年)

イム・ソンギュンの入隊のため、ソロで本格的な活動に乗り出したイ・ソンヒの人気は、想像を超越した。 「Jへ」は、KBS歌謡トップテンで5週連続1位を占めるなど、絶大な人気を得て、1984年最高のヒット曲となり、年末のKBS歌謡大賞とMBC10代歌手歌謡祭の新人賞も、当然イ・ソンヒの獲得だった。個人的な感想を言えば、当時、私は、チェ・ヘヨンと「それは人生」が好きだった。イ・ソンヒと「Jへ」の登場は、少なくとも彼女(チェ・ヘヨン)には不運だった。「Jへ」の人気がどれだけすごいといったら、しばらくして「J あなたは」という類似品が出たこともあった。 (両方の曲とも、イ・セゴン(이세건)が作詞、作曲した歌だ)

■ 1985年、正式デビューとヒットパレード (1集、2集)

「Jへ」ただ一曲で、1984年を自分の年してしまったイ・ソンヒの正規1集は、翌年の1985年の初めに出た。ここで、「ああ!昔よ(아! 옛날이여)」、「葛藤(갈등)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが相次いでヒットし、彼女は自分の人気が「Jへ」の一回で終わらないことを立証した。その年が経つ前(同1985年)に再度出した2集では、「秋の風(갈바람)」、「ケンチャナ(괜찮아)」、「そうよ過ちは私にあります(그래요 잘못은 내게 있어요)」などのヒット曲が続けて出たし、1986年出した3集でも「分かりたいです(알고 싶어요)」、「暗闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、 「Young(영)」などが多くの愛(支持)を受けた。

(□ 1986年 3集

■ イ・ソンヒ+ソン・シヒョン(송시현)、発展の証明書 4集、そして5集 (4集:1988年)

1988年2月に出た4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーで非常に重要な位置を占めている。ここから彼女の音楽が意味のある変曲点を迎えたのだ。ところで、その変化の糸口を説明する名前の一つがある。まさにソン・シヒョンだ。

1987年「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで名前を知らせたシンガーソングライター、ソン・シヒョンはこの時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加を始めたが、4集でLPのA面タイトル曲である「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」と、B面タイトル曲「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を含めて、全4曲が彼の作品である。二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和たし、以後も、彼はしばらくの間、イ・ソンヒと共にすることになる。

4集で最も高い関心が集まった曲は、「美しい江山(아름다운 강산)」である。韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメイクした「美しい山河」の評価は、多少分かれてるが、概ね編曲と演奏面ではそれほど高い点数を得ることができない。しかし、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは、非の打ち所がない。また、それまでは大衆的にそれほど大きく知られていなかった同名曲が、イ・ソンヒのリメイクによって、多くの人々から愛(支持)されるようになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞、作曲の「歳月は流れても세월은 흘러도)」を最も好む。容易で平易なメロディーを持ったこの歌は、たとえ大ヒットではなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ちに耳をひきつける曲だ。

■ あちこちに社会性の濃い曲配置した5集 (1989年)

5集は、1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ姿を見せてくれた。アルバムのあちこちに社会性の濃い曲を配置したのだ。「五月の陽射し(오월의 햇살)」は、80年光州民主化運動(光州事件)の犠牲者の英霊を慰める曲であり、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」もまた時代の痛みが滲んでいる曲だった。直接的ではないが、歌詞の中に比喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くおぼろげだった。この他にも、5集は、(ロックバンド)「山鳴り(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作った二つの曲が収録されており、目を引くのが、同年イム・ジフン(임지훈)によっても発表された「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。ソン・シヒョンは4集に続き、5集でも極めて重要な役割を果たしている。アルバムの代表曲である「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷(겨울애상)」がまさに彼が作った曲である。

■ 80年代を貫いた名・歌・手  李・仙・姫(イ・ソンヒ)

最近、「私は歌手だ(나는 가수다)」に続いて「覆面歌王(복면가왕)」というTV番組が首都の話題だ。この番組に対して、好き嫌いが交錯しており、個人的には、他の長所・短所を離れて、多くの人々が、次のような点をもう一度考えてみることができようになったのは、大いに励みになる。歌手とミュージシャンは違う。したがって歌が上手なのと音楽を上手なことも全く違う次元の問題だ。もちろん、優れたソング・ライティング能力と歌唱力を兼ね備えて両方をうまくこなした場合、是非の余地はないが、天才的ソングライターだが、歌ができない人もいるだろうし、逆にソング・ライティング能力がないが、歌だけは最高に上手くすることもまたありだろう。私たちは、どちらか一方を無視したり、けなす必要なく、それぞれを認めればそれまでだ。

この大きな課題で、歌が上手ということも一つで定義されるものではないと、異議を申し立て方があることが分かる。正しい。筆者もやはり賛成する。歌手はそれ​​ぞれの個性があり、またそれぞれの歌にふさわしい声やボーカルスタイルもある。唯一の爆発的な声量を持って、高音領域でクールなシャウトを聞かせてくれることだけが歌の上手なわけではない。時には低めの口ずさむことがより優れた瞬間もある。

しかし、すべてのものを考慮しても、これだけは明らかである。イ・ソンヒは、優れた歌手であり、彼女なしでは決して80年代の歌謡を話すことができない。このシリーズを介して再び紹介されるイ・ソンヒの4集と5集は、彼女が活き活きしていた初期を過ぎて、本当によく似合う組み合わせだったソン・シヒョンと会って成し遂げられた発展的成果であり、80年代を貫いた彼女の明確な足跡を確認する、最も明澄な(明るく澄みわたった)証明書だ。
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2015年10月28日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 祝福(祭祀)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<祝福>(祭祀)にかかわる3曲を紹介した。

始めに、旧暦10月の儀式と、崔南善최남선)の著「朝鮮常識問答(조선상식문답)」について次のよう紹介された。
・旧暦10月を、一年で最も優れた上の月の意で「上月(상 달)」と言う。今年の旧暦は、一年13ヶ月で閏月がある。今、旧暦9月だが、いつもなら10月が始まる頃。新年を迎える正月でもないのに、10月をなぜ上月と言うのか、崔南善(1890年4月26日~1957年10月10日)の著「朝鮮常識問答」に記載がある。この時期、一年の農作業が終わり、新しい穀物や果物を収穫したことを、天と先祖に感謝の儀式を捧げる。10月は神と人間が共に楽しむ月、最も良い月とされた。高句麗の儀式「東盟(동맹)」や半島南部の部族馬韓の祭天儀式も全て10月に行われた。

▼ 「パン」=ある場面、「ノリ」=遊びの意による、演奏「パンノリ(판노리)」を聴く。賑やかな味付けした今様である。

次に、民間レベルでの村祭り「洞祭(동제)」や、家ごとの祭祀「告祀(고사)」の風習について次のように紹介された。
・朝鮮時代、収穫の秋に国家レベルの祭天儀式はなかったが、民間レベルで「洞祭」と呼ぶ村祭りがあった。これ以外に、家ごとに「告祀」と呼ぶ祭祀があり、面白い風習もあった。告祀を行った夜中、子供たちが温かい小豆をのせた餅「蒸し餅(시루떡)」を籠に入れ家々を訪ねた。餅の種類も多種多様で、そば粉やもち米で作った餅、かぼちゃを入れた餅もあり、食べ比べる楽しみもあった。告祀の祭祀は、先祖に捧げる「祭祀(제사)」や、巫女の巫堂(무당)が捧げる「クッ(굿)」の祭祀と少し違う。告祀はその他の神々に捧げるものだ。また、クッと目的が似ているが規模が違う。クッは、巫堂が演奏に合わせて大規模に歌い踊る。半面、告祀は家族単位で捧げ、時に経を唱える盲人や僧侶を招くこともあり、比較的こじんまりしたものだ。

▼ 告祀の祭祀で行なう、祝福を願う経の意の歌「祝願経(축원경)」を聴く。のりの良い四方めでたい曲。いつ頃の作品だろう。

最後に、告祀の祭祀で、家に関わる(八百万の神のような)神々について次のように紹介された。
・告祀の祭祀を行うとき、「祝願経」や、家庭の平安を祈る「安宅経(안택경)」などを唱える。また、様々な悪鬼を追い払う「罷経(파경)」のようなものもある。神にはそれぞれレベルがあり、待遇の仕方が少し違った。家の敷地を守る土主神(터주신)、家の守護神(성주신)があり、主に台所を守る神(조왕신)には、供え物と共に礼をする。また、庭を意味する庭神(마당신)、門を守る門神(문신)、お手洗いを守る神(측신)は、場所ごとに留まり、不運が入らぬように守る神だ。これらの神には礼をせず、ただ供え物を用意した。告祀の祭祀は、家を守るため、家を持たぬ人はできなかった。

▼ バラジ=若い8人による「バラジ(바라지)の祝願」の演奏を聴く。珍島をオリジナルにした響きだそうだ。今様な洗練した音色だ。

2015年10月27日火曜日

月がとっても青いから

今晩、帰り道がとても明るかった。たなびく雲はくっきりと白く、天頂の満月は雲間から煌々と照らす。星の瞬きのない紺青色の更にその奥は深い。

月明かりに、高揚するのはなぜだろうか。青い光に照らされて、風を受けた帆のように気分がはためく。清清しくそよぐ風。空は大きく広がり、月明かりが充満するようだ。

そんな気分に浸っていると、おじさんに浮かんできたのは、昔の歌謡曲。曲調から、まるで戦前の歌のようだが、気分は戦後だ。菅原都々子(すがわらつづこ、1927年8月5日~)の歌「月がとっても青いから」(1955年、作詞清水みのる、作曲陸奥明)だ。

時代が鷹揚だったとはいえないけれど、古い調子に、新しい二人連れが公然と味付けしている。不安と確信が揺り戻る当時の青春だ。すれ違いはしたくないといった心意気だろうか。子どもの私には、わけもわからず、なんとも古めかしく聞こえたけれど。

(Youtubeに登録のBEGA1947に感謝)

2015年10月26日月曜日

(雑談)ハロウィン

今月末(31日)に、毎年賑やかになってきた「ハロウィン」行事がある。ハロウィンについては、SFファンタジー小説の世界で知ったのが最初だ。それが、こんなに普及するとは想像しなかった。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

ここ数年、人通りの多い街角で、魔法使い・魔女、精霊・妖精、吸血鬼、お姫様などの衣装を着た(着せられた)子どもたちの姿を目にする。それも、集団ではしゃぎ、若い母親が周りを囲んで写真を撮る。子どもたちは、少々戸惑いがあるようで、辺りをぐるぐる走り回る。よく見れば、父親の影がない。どこか照れが漂っているように見える。

この行事について、おもしろい記事がある。京都新聞の「ハロウィーン、実は欧州では低調 『日本人はまだまだ』」(10/25)によると、(英米中心で)ヨーロッパ本土では関心が乏しいようだ。日本で、ディズニーランドから火がついたというのも分かる気がする。ムードとして、若い女性が先を走り、若い男が後を追うという構図が主流かもしれない。

商業的な感のする風景に少々違和感があったが、子どもたちの光景を目にするようになると、彼らが楽しければ良いのではないかと思うようになった。だから、行き場の定まらぬ行事に終わるのでなく、しっかり土地(子どもたちの地元)に根付くようになればと願う。

家庭で楽しむように定着した、「クリスマス」行事の例もあるのだから。

2015年10月25日日曜日

万珠鉱山、富井鉱山

昨日、本ブログに記したように、栃木県の万珠(まんじゅ)鉱山へ鉱物採集に出かけた。

昨夜来の寒風が収まらぬ夜明け前、 始発電車にのる。考えてみれば冬のようなもの。乗り換え電車の酔客は、ヒーターが入ってないか座席下に手をかざし確認する。往路の途中ようやく東の空に明かりがさしてきた。待ち合わせ駅で、H氏の車に同乗させていただき、採集地へ向かう。

【万珠鉱山】
当初の目的地だった万珠鉱山については、ネットの随所に産地情報が掲載されている。情報を参考に山林と沢・泥道を進むも、最終地点にあるべき坑口が見つけらない。辺りを探しても、紫水晶の気配も全くない。表面採集に徹しているため、ほうほうの体で撤退する。(同行のH氏によれば、以前来たときと、ネット情報の道筋が違うという・・・)

・採集鉱物 : 水晶(微小群晶)、緑水晶、玉髄、赤鉄鉱


【富井鉱山】
万珠鉱山の惨敗を挽回すべく、富井鉱山へ移動。採集開始前、駐車中で昼食していたとき、同好の士に出会う。後で、貴重な標本をいただくことになる。
さて、採集の方ははかどらない。陽が傾くと、寒風が気になる。帰り仕度をしていたとき、同好の士と石談義を咲かせる。鉱物趣味の或る会を案内する。

・採集鉱物 : 閃亜鉛鉱、黄鉄鉱、赤鉄鉱、白鉄鉱、石英(紫色、紫水晶の破片?)


今日は風があり、簡易ヤッケで防寒するも、着れば着たで汗をかく、少々やっかいであった。それより、「紫水晶」は何処。

(本ブログ関連:”紫水晶”)

(追記)
北風の強さに身を屈めたが、気象庁の発表で、都心に「木枯らし1号」が吹いた。

2015年10月24日土曜日

霜降2015

今日は、二十四節気の「霜降(そうこう)」だ。文字面から連想して、牛の霜降り肉で「すき焼き」でもと思ったが・・・まっ、ハンバーグの載ったカレーライスと安上がりにした。

霜が降る「霜降」と関係ないけれど、先日のテレビに怪元気なスポーツおじさんが登場して、筋肉を連呼していた。そんなわけで、私も最近、肉を意識した食事にしているが、適切な運動を伴わなければ健康も増進しない。

ところで、午前中、近隣の駅ビルにある有名書店に、ラジオ講座のテキストを気分転換ついでに求めに行った。大きな書店にもかかわらず売り切れだった。他に駅前の小さな書店も同様だった。のんびり時を過ごして地元駅に帰って、駅のかたわらにある書店に行けば、何と置いてあるではないか。遠出の必要がなかった次第。

(付記)
明日は、少し遠出の予定。栃木県塩谷郡塩谷町にある、万珠(まんじゅ)鉱山へ鉱物採集に行く。元は金山だったそうだが、現在は紫水晶で有名だ。けれど、ネットで見る限り、余り芳しくない。けれど、期待と欲望は大きい。

以前、富井鉱山で会った元鉱山関係者から偶然入手した紫水晶(上品で優美な藤紫色)が忘れられないのだろうか、お誘いいただいたH氏は紫水晶を求めて産地を巡っているよう。

(本ブログ関連:”富井鉱山”)