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2019年8月31日土曜日

夏の終わり、今年も2/3が過ぎた

気象庁の「時に関する用語」にある「季節を表わす用語」*の通り、<夏>は今日で終わりになる。いつまで続くのかと思った熱暑の夏が、カレンダーとともに過ぎて行くのを惜しむ気がする。私は寒いのが苦手なので、暑い夏の方がまだましと思っていただけに・・・。
(*) 季節: http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/toki.html#A95
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・春:3月から5月までの期間
・夏:6月から8月までの期間
・秋:9月から11月までの期間
・冬:12月から2月までの期間
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この時期、小学生のいる親にとっては、子どもたちの世話から解放されてホッとしているかもしれない。一方、夏休みを楽しんだ子どもたちにすれば、明後日の月曜日から2学期が始まるわけで、クラスの友だちと再会してどんな遊びをしようかと思い巡らしていることだろう。

「夏の終わり」なんていうと、賑やかさから静謐へといった季節の変わり目を意識しておセンチになるようで、急に暖かみを求め始めるのかもしれない。

ネットに熱烈なファンが多くいる、カントリーフォーク シンガーソングライターの「ジョン・プライン(John Prine)」の「夏の終わり(Summer's End)」を、オフィシャルビデオと合わせて聴けば、世界が静まり返る秋を前にして、胸に迫るものがあるようです。(映像の最後にある呼びかけとは違った世界にいても・・・)


(Youtubeに登録のJohn Prineに感謝)

2019年8月30日金曜日

無頼

内村剛介著「ロシア無頼」の中で、古い感覚での無頼を「ブラトノイ」と呼んでいた。少しでもその言葉をネットに探したところ、次の資料に触れられていた。

「ロシアにおける地下経済とマフィア ー 社会学的考察」*(青山学院大学 寺谷弘壬)に、ロシアの闇経済について紹介されている。(1993年に発表されたもののようだ)
(*)資料: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees1993/1993/22/1993_22_27/_pdf
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「マフィア」や「レケヅト」が日常的に使われる以前は、「ブラトノイ(Блатной=やくざ=泥棒仲間)」や「ブラターリ(блатрь=泥棒)」が使われ、「ウォール(вор=悪党)」と「スゥカ(сука=雌犬=うらぎりやくざ)」の二派に分けられていた。
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(本ブログ関連:”ブラトノイ”、”エセーニン”、”内村剛介”)

2019年8月29日木曜日

ユダヤ教の現代がわかる 2019-3

3日連続の一般公開講座「ユダヤ教の現代がわかる - 宗教と言語の観点から -」の第3回目の最終日に出かけた。街中は真夏に戻ったように陽差しが照りかえり・・・まさに汗だらけになった。途中、涼を求めて喫茶店に飛び込んだほど。

(本ブログ関連:”ユダヤ教の現代がわかる 2019”)

今日の東京都心の最高気温は、34.6℃(12:38)だった。久し振りに高温だったことが分かる。ちなみに、先週土曜日から今日までの都心の最高気温は次の通り。
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24日(土) 31.4℃
25日(日) 31.1℃
26日(月) 28.5℃
27日(火) 29.4℃
28日(水) 28.1℃
29日(木) 34.6℃
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最終回は、日本学術振興会特別研究員(東京大学)鴨志田聡子氏から、「現代ユダヤ人とユダヤの言語」というタイトルで、ユダヤ人の母語としての「イディッシュ語」と「ラディノ語」、および各種の「ユダヤ諸語」の存在について紹介された。

・ユダヤ人の母語と母国語
  - 母語: 母親が内輪で話す言語(例.イディッシュ語の場合、「マメ・ロシュン」)
  - 母国語: 母国(国家)の言語(例.イスラエルの公用語としての「ヘブライ語」)

・「イディッシュ語」と「ラディノ語」
  - イディッシュ語: 1000年前にドイツのフランクフルトを起点に東欧へ展開した言語
  - ラディノ語: 1492年に「スペイン追放」された後、トルコなどへ移動した言語
  - 当然ながら、イディッシュ語はドイツ語を、ラディノ語はスペイン語を基底にする

・ユダヤ人の気質を知る
  - 絵入りイディッシュ語のジョーク・サイト(YiddishWit.com)*の紹介
    (*)サイト: https://www.yiddishwit.com/index.html
      例:「大きな河で大物が釣れる」(でかいことをしたければ大舞台でやれ)
「Yiddish Wit」に掲載より
・イディッシュ語(ヘブライ文字:右から左へ読む).אין אַ גרויסן טײַך כאַפּט מען גרויסע פֿיש
・イディッシュ語(ラテン文字転記:左から右へ読む)In a groysn taykh khapt men groyse fish.
・英語訳  In a big river you(men) catch big fish.

2019年8月28日水曜日

ユダヤ教の現代がわかる 2019-2

玄関ドアを開けて、雨が降っているのに気付いた。そんな中を外出するのは久し振り。今まではいいタイミングで雨に会わず済んでいたのに・・・。そんなわけで、のんびり傘差して一般公開講座「ユダヤ教の現代がわかる - 宗教と言語の観点から -」の2日目へ出かけた。

(本ブログ関連:”ユダヤ教の現代がわかる 2019”)

今回も初回に続き、早稲田大学の研究員志田雅宏氏からお話があった。「現代社会とユダヤ教 ~ 宗教学の視点から ~」というタイトルで、フランス革命の影響を受けた「ユダヤ啓蒙主義」(19C初頭)とその後の展開について紹介された。

ユダヤ啓蒙主義
・近代的価値観にユダヤ教も合わせるよう活動がおこる
・ユダヤ教は、ユダヤ人の自治的位置付けから、国家の中で選択される一宗教となる

ユダヤ教の宗派(ユダヤ啓蒙主義の影響を受けての位置づけ:前回(8/27)の補足)
  ⇒ (ドイツ)「改革派」の登場 ⇔ 「正統派」の反発
                                             ⇔(東欧)「超正統派」の反発
  ⇒ (米国)「保守派」の登場(改革派と保守派の中間に位置づけられる)
  ⇒ (欧州)「世俗派」の登場(信仰が失われ/教会離れの時代に登場・・・多数派となる)
      (イスラエル)「シオニズム」が登場(世俗的運動を宗教的に解釈しなおしたもの)

世俗化とゆり戻し
・ますます世俗化が進むものと思われたが、宗教が復権しつつある
  - 「カラバー」(世界が創りだされる前の神の世界を聖書から探し出す研究)の見直し
  - イスラエルで、世俗的な若者が超正統派へ戻る運動がある(その逆もあるが・・・)

この後、「人間中心」の宗教観について語られたが力不足で理解が難しかった。

2019年8月27日火曜日

ユダヤ教の現代がわかる 2019-1、ロシア無頼

素人の横好きというか歳相応の冷や水というか、夏の終わりを好奇心で満たしてみたく、一般公開講座の第2弾に出かけた。今日から3日間、「ユダヤ教の現代がわかる - 宗教と言語の観点から -」を聴講する。

(本ブログ関連:”ユダヤ教の現代がわかる 2019”)

第1回目の今日は、早稲田大学産業経営研究所研究員の志田雅宏(まさひろ)氏による、「ユダヤ教文化の歴史性と多様性」について、ユダヤ教の理解(解釈)の仕方の歴史性や、ユダヤ教の宗派の多様性について紹介があった。
以前、他所の一般公開講座「ユダヤの歴史を学ぶ」*で、志田雅宏氏の回を聴講したことがある。

(本ブログ関連:”志田雅宏氏の「ユダヤの歴史を学ぶ」”)

ユダヤ教
・ユダヤ聖書の理解に2つのトーラー(律法)がある。
  - 成文トーラー: モーセが文書(文字化)したとされるものに従う
  - 口伝トーラー: モーセの口伝したとされるものに従う、ラビによる解釈の集大成にタルムードがある
・神の信仰の仕方に、人間の自由意志が認められる面がある

ユダヤ教の宗派
・ユダヤ教の伝統をどのように守るかによっていろいろな宗派が存在
  - 超正統派: 東欧のアシュケナームの伝統を持つ
                      イスラエル(メアシュリーム)と米(NY ブルックリン)に居住       
  - 正統派: 西欧(ドイツ)起源で、イスラエルで最大勢力
  - 保守派: 米最大の宗派、女性ラビが存在し礼拝時に男女同席もする
  - 改革派: さらに現代的価値観に合わせ、米西海岸に多い
  - 他にパレスチナで入植活動する宗教シオニズムがある


(付記)
昨日(8/26)のブログで、ロシアの詩人「エセーニン」について触れたつながりで次に記す。「エセーニン詩集」の訳者内村剛介氏が著した書籍がAmazonから、今日の講座に出かける直前にタイミングよく届いた。さっそく電車の中で読んだところ、気になった部分があった。

(本ブログ関連:”エセーニン”、”内村剛介”)

書名は「ロシア無頼」(内村剛介著。高木書房)、1980年に発行されたもので、ソ連崩壊の10年ほど前のこと。ここでいう「ロシア」はその意味で、ソ連時代の根の深いところにある原初的意味合いである。なお、内村氏は戦後にシベリア抑留を経験している。
書名にある「無頼」の徒について、旧いロシアに誕生した(農奴や奴隷から導き出された)彼ら「ブラトノイ」の語源を紹介している。
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ブラトノイ」=またの名を「ヴォール」ともいう。この語は「ブラートの人」「結び合った人」「血盟の人」を意味する。
ブラート」=コネ。有用な結びつき。おそらくイディシ(ユダヤ人のことば)が起こりである。十九世紀からオデッサで用いられはじめたが、その後「一般」のロシア語にも用いられるようになる。オデッサは古来ロシア犯罪人たちの故郷、犯罪人たちの首都でこの状態は二十世紀三〇年代の終わりまでつづいた。この犯罪者たちの頭目に伝統的英雄が多々あり、それはしばしばユダヤ人であった。イディシの「ブラート」が採りあげられるようになるのは自然の成りゆきであろう。
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2019年8月26日月曜日

ロシア・スラヴの言語と文化入門 2019- 3

夏の一般公開講座「ロシア・スラヴの言語と文化入門」の最終日(第3回目)に出かけた。家を出るのに少し遅れたので、いつもと違うコースを選んで向かうことにした。途中、ネットで知った、講座会場近くにある、或る書店に寄った。

其処で(語学力を全無視して、記念のつもりで)「詩と散文【ロシア古典叢書】」シリーズの中から「セルゲイ・エセーニン  楓(かえで)の落葉...」を求めた。ハードカバーの表紙は、若い女性たちに愛される詩人であることを示すように、赤い服を着たエセーニンが片手に楓の枯れ葉を持っている絵で飾られている。

(本ブログ関連:”エセーニン”)

表紙に詩の書き出しがあって、詩集の中を見ると1925年11月28日と記されている・・・彼が自死したのはたしか27日だったはず? (素人にはよく分かりません)

楓の落葉の詩を歌った、Youtube映像を見てみよう。歌手Igor Mirkurbanovについて存じないが、渋い歌い方は独特である。


(Youtubeに登録のmedpupに感謝)

ところで、今日の「ロシア・スラヴの言語と文化入門」は、東京外国語大学非常勤講師 阿出川 修嘉(のぶよし)による「現代ロシア語成立の歴史の概説  - 言語と文字の発展 -」という、門外漢には難易度が高いものだった。
・「スラブ祖語」: スラブ民族に共通して使われだしたのが、6~7、8世紀ごろという。意外と古くない。
・「キリル文字」: ギリシャ字をベースに、現代のキリル文字に落ち着くのにいろいろと変遷している。

(本ブログ関連:”ロシア・スラヴの言語と文化入門”)

講座の帰り道、クラス仲間と、地下鉄「茗荷谷」駅近くにあるロシア料理店「ソーニャ」へ行ってみた。美味かった、同時に苦しいくらいに満腹した。

2019年8月25日日曜日

里ごころ

今日は(小学生にとって)夏休み最後の日曜日。街に出てみれば、親子連れの姿が思ったほどでもない。家族サービスに疲れ果てた親は、子どもたちの夏休みの宿題の手伝いに追われているのかもしれない。やがて9月になれば、普段の生活に戻れることを期待しながら。

2学期になれば夏の終わりを実感するだろうけれど、久し振りに顔を合わせた子どもたちはそれでも楽しい。でも、やがて秋の気配がしんしんと深まってくる。

昨日(8/24)、北原白秋の童謡「おむすびころりん」の詞について記したが、実のところ、その歌(曲)を聴いた覚えはない。詞だけが古い本に残されていた。

そこで、北原白秋の作詞で、実際に童謡として歌われたものを探したところ、Youtubeに登録された「里ごころ」(作詞北原白秋、作曲中山晋平など)があった。なんだか、「雛祭り」の歌のような始まりだが、賑やかさはない。夏祭りというより、秋祭りだろうか、ぽつんと取り残されたような、寂しさがやがてつのる。(ちなみに、歌詞はYoutubeの登録者の解説にある)


(Youtubeに登録の四日市 童謡愛好会に感謝)

2019年8月24日土曜日

おむすびころりん

探査機「はやぶさ2」が、小惑星「リュウグウ」に2回目のタッチダウンした際に作った<穴ぼこ>が、「おむすびころりんクレーター」と命名されたと、時事通信の記事「『おむすびころりん』と命名=りゅうぐうの人工クレーター - JAXA」(8/22)は次のように伝えている。(抜粋)
(*)記事: https://www.jiji.com/jc/article?k=2019082200920&g=soc
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宇宙航空研究開発機構(JAXA)は22日、探査機「はやぶさ2」が小惑星「りゅうぐう」表面につくった人工クレーターに「おむすびころりんクレーター」と愛称を付けたことを明らかにした。
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(本ブログ関連:”はやぶさ2”)

なお、8/22にJAXAで開催された記者説明会資料***に、「はやぶさ2」ミッションの概要が紹介されていて分かりやすい。人工クレータの命名の他に、小惑星探査に関わった半ばに逝去された技術者たちの名を冠した<岩>についても紹介されている。
(***)資料: https://fanfun.jaxa.jp/countdown/hayabusa2/press/files/20190822_hayabusa2.pdf

ところで、転がり落ちるイメージから「どんぐりころころ」の童謡を思い出すが、「おむすびころりん」の童謡は聴いた記憶がない。童話については、話を聞かされたことがあるけれど。そこで、童謡はないかと探せば、国立国会図書館デジタルコレクション**に、北原白秋の作品があった。
(**)デジタルコレクション: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720371

(本ブログ関連:”国立国会図書館デジタルコレクション”)

北原白秋の童謡集「国引」(帝国教育会出版部、昭和18年7月25日)の中に、「おむすびころりん」(p.66)が収録されている。以下転記する。なお、岩波書店のサイト****にも、この童謡集が転記されているので参考にした。
(****)国引: http://www.j-texts.com/hakushu/kunibikiah.html


おむすびころりん



おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、小山をころげてく。

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、砂山、砂に穴。

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、ころころ、穴のなか。

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。



おむすびころりん、
ころころりん、
爺さん、おむすび投げまする。

おむすびころりん、
ころころりん、
まいにち、お山で日が暮れる。

おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、こんどは重箱だ。

重箱ころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

爺さんころりん、
ころころりん、
ころりん、爺さん、ころげてく。



おむすびころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

重箱ころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

爺さんころりん、
ころころりん、
ころりん、ころりん、すつとんとん。

鼠の餅つき、
ころころりん、
ころりん、小山の穴のなか。

爺さんお禮よ、
ころころりん、
ころりん、黄金(こがね)も的(臼)のなか。

すつとん、すつとん、
ころころりん、
ころりん、小槌も添へてあぎよ。



おむすびころりん、
ころころりん、
おかげで爺さん、ほいこらさ。

婆さん、これ見な、
この小槌、
どつさり、お(たから)うち出そか。

爺さん婆さん、
若くなれ、
ついでに赤んぼ、飛んで出ろ。

お家も出ろ出ろ、
よいお家、
よいことづくしで、すつとんとん。

おむすびころりん、
ころころりん、
今でも、どつかで、すつとんとん。

2019年8月23日金曜日

処暑 2019

夏の終わりを気付かせるマイルストーン、二十四節気の「処暑」。昼間と朝夕の気温差も、このごろ当り前に受け入れるようになった。今日の午後には、外出途中、ヒンヤリした小雨がぱらついて傘の世話になったばかり。テレビのキャスターは子どもたちに、そろそろ夏休みも残りわずかといいながら、宿題はどうかと問いかける。
でも余韻はまだある。夏のゆるい気分にピッタリな「サルスベリ(百日紅)」が、民家の塀越しに気ままに花を咲かせている。

(本ブログ関連:”処暑”)

そういえば、若いころ、夏の休みにはきっといいことがあるに違いないと・・・そんなことを考えていた。コニー・フランシス(Connie Francis、1938年~)の歌「ヴァケーション(Vacation)」(日本語版)をYoutubeで聞きながら懐かしんでみよう。彼女を最初に知ったのはラジオから。甘えた歌声にいろいろ想像したものだ。

(本ブログ関連:”コニー・フランシス”)


(Youtubeに登録のtengokuemakiに感謝)

2019年8月22日木曜日

ヤブランとアカメヤナギ

「自然観察園」の入り口には、いくつかに間仕切りしたボックスがあり、それぞれに、園内の季節の樹木や草花情報を印刷したリーフレットが入っている。特に「花だより」は、毎月、前半(No.1)・後半(No.2)の2回に分けて発行される。花の開花期間を考えてのことだろう。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

このところ季節の変化をしっかり感じる。日向と日影で気温の差がはっきりしてきたことだ。そんな薄曇りの今日、8月度版のNo.2「花だより」を片手に、すれ違うひともない静かな自然観察園を巡った。

ヤブランの花とアカメヤナギの幹
以前、8月初(8/2)に訪れたとき以上に「ヤブラン(藪蘭)」の淡紫色の花が咲き乱れていた。華やかさを主張しない花だが、左の写真のように、「アカメヤナギ」(マルバヤナギの別名)の樹下に群集するのを見ていると、その場がまるで「ジブリ」アニメの世界のような錯覚すら覚える。幻想的なしっとりとした色合いが美しい。

(本ブログ関連:”ヤブラン(藪蘭)”)

アカメヤナギの幹の太さとうねり具合に驚く。ヤナギ科ヤナギ属の樹木ながら、一般的な「」の持つ、なよとした女性的なイメージとは真反対で、力強く立つこの樹に寄り添うようにヤブランが咲いていた。

その他に観察した草花は次の通り。名前にこだわりたくなる白色の「センニンソウ」は仙界や貴種というより、身近な感じすらする地味な「つる」植物だ。目をもっと近づけると華奢で可憐。また、小さな花が茎に淡紫色の花がかたまって、数珠繋ぎするように咲く「ハッカ」は、園内を巡る板橋から覗くにはこじんまりしていた。




キツリフネの葉表
ところで先月(7/3)、「ハンゲショウ(半夏生)」の草の葉に、白い斑(ふ)がまだらに付いているのを見た。よい例えではないかもしれないが、まるで緑色の葉の上に、飛ぶ鳥がフンを落として白色に乾いた跡のようというのは言い過ぎだろうか。昔の人は、もっと洒落て、女人の白化粧なかばのイメージから「半化粧」の名を与えたものだ。

(本ブログ関連:”ハンゲショウ”)

さて今回、同じように葉の表面が変化する様を楽しんだ。やがて黄色の花を咲かす前の「キツリフネ」の葉表が、左の写真のように、葉の茎側が薄緑色して葉先に向かって緑色を増すグラディエーションが目に留まった。開花前の、キツリフネの葉の色合いの違いを見て、おもわず木漏れ日による光の魔術かと錯覚してしまうほどだった。

公園は静まり返っていて、小川で水遊びする家族連れもまれ、日を受けながら沼に掉さす釣り人もまれ。上空を飛び交う飛行機のエンジン音だけが響いていた。

2019年8月21日水曜日

清瀬ひまわりフェスティバル

念願の「清瀬ひまわりフェスティバル」*へ行ってきた。例年、清瀬市の農家や関係者によって開催されるもので、今年で12回目という。ブログ情報などで知ってはいたが、訪れたのは今回初めてのこと。現地には、JR武蔵野線の新座駅前からバスに乗って行く。バス停からさほど距離もなく会場に着いた。
(*)http://www.city.kiyose.lg.jp/s029/050/010/010/010/20190628172128.html

(本ブログ関連:”ひまわりフェスティバル”、”ひまわり”)

本当は、昨日(8/20)行こうとしたが、午前中に雑用のため出かけるタイミングを失い、あれよあれよというまに午後には曇り空と雨。今週の天気は余談を許さない。そんなわけで、今日は早めに出かけた。一瞬、お天気雨もあったが、「ひまわり」の花の海を十分堪能できた。

ひまわり畑中央の見晴台より
会場はとにかく広く、農地いっぱいにひまわりの花が咲き、所狭しと群集している。しかも大人の丈ほど成長していて、間近で見ると花が視界に入りにくく、実感が湧かないほど。小さな子どもたちに、どう見えただろうか。そこで、花畑全体を俯瞰するには、フィールド中央にある見晴台から臨むしかない。見渡す限りひまわりだらけなのがよく分かる。

ここは、住宅街の狭間にあるような畑地と違い、本格的農地ということに気付かせられることがあった。密集したひまわり畑は、意外と空気の流れがなくて、堆肥の臭いがこもっていたのだ。そんなとき、ソフィアローレンが、映画「ひまわり」の中で、ひまわり畑(ウクライナで撮影)の中をくぐり抜けたとき、どんな香りがしたのだろうかと思ったりした。

ところで、会場の休憩広場の木陰で、「猿まわし」*が演じられていた。まだまだ一歳という幼い小猿が、一生懸命「輪くぐり」や「走り高跳び」を頑張って見せてくれた。私は最近、よその家族の子どもも可愛いだけでなく、小猿のような小動物まで愛しくてしょうがない。そんな思いができる歳になった。
(*)戦豆のさるまわし: https://sen-zu.com/

2019年8月20日火曜日

子どもの好きなもの

以前(夏休み直前のころ)、帰宅する私の前を小学低学年の男の子たち3人が歩いていた。小学時代のこどもは真っ直ぐ歩けない。じゃれあって、横に広がったり、留まったりで、見ていてハラハラする。やがて、その中のひとりの男の子が、みんなと分かれて、私と同じ横道を曲がってどんどん先を進んだ。

そのとき、遠くで、ご近所のお婆ちゃんが路地に出て孫の帰宅を待っているのが見えた。
「お孫さんですか」とたずねた。たしか、3世代同居を始めたと聞いていたからだ。
「そうなんですよ、ちょっと帰りが心配で」と、孫を見つめながら応えた。
大人の会話の雰囲気を察したらしく、坊やは気安く話をできる相手と判断したのだろう、私にいきなり訊ねてきたのだ。
「おしり探偵知ってる」といって、なにやら「おしり探偵」の歌らしきものを歌いだした。実は良く知らないので、ネットで調べてみるからと返事するのが精一杯だった。突然、腕白目線の世界へ引き込まれてしまった。

子ども、とりわけ男の子は、お尻とか、ウンチ(うんこ)といった根源的下ネタが大好きだ。天真爛漫さは持ち上げすぎかもしれないが、かのモーツァルトも手紙にしたためたという。それが公認されたからという訳ではないだろうが、最近、書店で小学生向けの学習ドリルを見て驚いたというか、ニンマリしたことがある。素材(用語)に「うんこ」を多用する「うんこドリル」といったシリーズで、小学全学年に対応しているというのだ。

あの坊やは、見たところ一年生ぐらいだったか、「お尻」や「うんこ」への関心が絶頂期のころ。まして、できたばかりの友だちと話せば、これ以上愉快なものはないだろう。

2019年8月19日月曜日

ロシア・スラヴの言語と文化入門 2019- 2

先週の月曜日(8/12)は、その前日(日曜日、8/11)が祝日「山の日」だったため、お盆休みの最終日ともいえる「振替休日」となり、月曜日開催の一般公開講座「ロシア・スラヴの言語と文化入門」が休講となった。そのため、今日、一週空けて久し振りの同講座、第2回目に出かけた。

(本ブログ関連:”ロシア・スラヴの言語と文化入門”)

今回は「芸術・文化に親しむ」のタイトルで、ロシアの(クラシック)音楽状況やコンサートホール(& ネットによるチケット申込方法)などについてピアニストの日高志野(しの)さんから紹介があった。声楽家(メゾソプラノ)の小野綾香(あやか)さんとの共演もあり、知って得する機会に恵まれた。合わせて、東京外国語大学非常勤講師の小川暁道(あきみち)さんから語学的補足などあった。

ロシア・スラヴの世界に門外漢の私にとっては、十分すぎる内容と時間だった。その中で、面白い話題がいくつかあった。
・ ロシアに西欧の音楽が導入されたのは、バッハ(1685年~1750年)の時代に遅れること100年を過ぎた1800年代だった。そのため、ピアノは当然ながら100年後に進化した(差を持った)構造や奏法から始まった。
・ モスクワの音楽会場について詳細に紹介された。ところで、ネット申し込みの際、最終的に(ロシア内での)「電話番号認証」が要求されるので、日本からの申し込みは不可となる。
・ 贈り物(プレゼント)についての注意点: ① 花束は奇数本であること、黄色は不可。② ハンカチーフは涙に通じるため不可。

最後に、小野綾香さんの歌、日高志野さんのピアノ伴奏によるミニコンサートを聞くことができた。あたりまえのことだが、どこからそんな声がでるのかと驚いた。曲目のひとつにある、チャイコフスキーの「昼の光が満ちようと...(День ли царит)」は、情感あふれる旋律がして、耳にとても心地よくとどいた。

ネット上のブログ「梅丘歌曲会館」の「使途音楽」コーナーに、この曲について訳詞と解説がある*。素人はこちらに頼るしかなく鑑賞させていただいた。(藤井宏行氏に感謝)
(*) http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S442.htm

そこで、「День ли царит(Denj li tsarit)」をYoutubeで検索して、次にエンベッドさせていただく。

А. Нетребко、 Д. Мацуев、 "День ли царит")

(Youtubeに登録のЕлена Рудневаに感謝)

2019年8月18日日曜日

ひまわり

例年、小学校近くの畑地に観賞用だろうか丈の低い「ヒマワリ」(キク科の一年草)が栽培されていたが、昨年につづき今年もその様子が見られない。農家の都合なのでなにもいえないが、夏の日を浴びた黄金色の花を畑いっぱいに見渡すことができないのは惜しまれる。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

その代わりに、去年訪れてみようとして果たせなかった「西武線清瀬駅近くの農園で、8/17~24の間、10万本の『ひまわり』を楽しむことができるという」清瀬市の「ひまわりフェスティバル」*に、明後日の火曜日(8/20)にでも行ってみたい気がする。盆休みと重なった今日(8/18)の日曜日は一番賑わったかも知れない。
(*)http://www.city.kiyose.lg.jp/s029/050/010/010/010/20190628172128.html

合わせてこの時期になると、1970年にマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した映画「ひまわり( I Girasoli )」のことが思い出される。今となっては、WWⅡは70数年前に終わったことだろうが、この映画が公開された時期、終戦から35年ほどしか経過していなかった。大戦と関わったひとびとが50代という中年期にかかり、人生を振り返るころでもあったと思う。その中で、イタリア人夫婦の別れと再会そして別離という運命に、映画を見た当時のひとびとは十分に共感できる体験を持っていたはず。

(本ブログ関連:”映画「ひまわり」”)


(Youtubeに登録のlemikeylesに感謝)

さて、明日は夏期一般公開講座の「ロシア・スラヴの言語と文化入門」の2回目を聴講する。久し振りに都心に出かけることになる。曇りの昼間より、雨が降るかもしれない夕方の方が暑いという変わった天候のようだ。

2019年8月17日土曜日

エストレリータ

遠く輝く「小さな星」に願をかけるような恋の歌「エストレリータ(Estrellita)」(マヌエル・ポンセ作詞作曲、1912年)がある。ポンセはメキシコのクラシック作曲家だそうだが、正直この曲についてネットで調べるまで知らなかった。「彼の愛なしには生きていけないのだから」と星に訴える女性の想いは、今の時代感覚からすれば随分かけ離れて古風に聞こえる。

そこで、できるだけ昔の音源をたどったところ、米女優で歌手でもあった「ディアナ・ダービン(Deanna Durbin)」(1921年~2013年)が歌ったものがYoutubeにあった。なんだかモノクロームの映画の雰囲気がしてよい。いつごろ歌ったのだろうか、音源はSPレコードだったのか、それともLPレコードだったのか・・・。

バラードは、時間や空間を遠く隔てて想いを歌ったのだろうけど、今の時代になっては、表現の新しさを追い求め、せっかくの美しい羽をつぎつぎ自らむしりとってきたのではないかと思ったりする。残ったのは、大量生産の丸裸になったブロイラーだけだったではつまらない。

ちなみに、次のYoutubeの登録者による解説の「もっと見る」を開くと、スペイン語の歌詞の後に、英語訳も添えてくれている(もっぱらこちらで知るのだが)。


(Youtubeに登録のviolinthiefに感謝)

(付記)
昨日(8/16)、隣町にあるスーパーで、(主婦に人気の菓子メーカーといわれる)ブルボン社製の「バナナのオムレット」を見つけた。バナナ味する(洋酒アルコール分1.2%を添加した)クリーム(ピューレ)を、黄色の四角いスポンジでくるんだもの。さて、どこかで食った記憶があるとブログを見直すと、2012年9月18日に味見していた。アルコールが効いて、ちょっと刺激的な大人の菓子だ。

(本ブログ関連:”バナナ味”)

2019年8月16日金曜日

計画運休

台風10号は、昨日(8/15)、四国の愛媛県から中国の広島県、鳥取県を縦断して、今日(8/16)、日本海へ抜けた。明日(8/17)にも熱帯低気圧になる見込み。関東地方には、わすかだが一部風雨の影響を与えたが、大過なく終わった。昨夕、鈍色の低層雲が南から北へ次々と走り抜ける様に、ある意味勇壮感すら覚えた。そして今夕、真っ白な高層雲の下、西空の果ての雲が紅く染まっていくのが印象的だった。まことに美しかった。

事前の予測で、ゆっくりと北上しながらも強風圏が大きいため十分な注意をテレビの天気予報で繰り返し喚起された。一方、交通網に混乱が起らないように、事前に新幹線や飛行機の運休が計画されたりした。

信毎Web(日新聞信濃毎日新聞)の記事「計画運休の実施 周知の改善を図りつつ」(8/16)*は、国土交通省が示した「計画運休」の指針とモデルケースを次のように紹介した。(抜粋)
(*)記事: https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190816/KT190815ETI090008000.php
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国土交通省**は7月に計画運休の指針とモデルケースを示した。48時間前に計画運休の可能性を公表し、24時間前に詳細な情報を提供するよう求めている。
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(**)「計画運休・運転再開時における情報提供タイムラインのモデルケース」
         https://www.mlit.go.jp/common/001296917.pdf

台風10号の被害は思いのほか少なかったものの、今回の早めの措置(計画運休)の実施について、テレビのニュース番組で一般客による感想が紹介された。カメラを向けられると何かを言いたくなる人もいるだろうけれど、抑制の効いた報道に徹したようだ。

たまたま運が良かっただけで、台風の気分次第では何が起るか分からないのだから。事前の措置は有効だと思う。

2019年8月15日木曜日

異界百名山

山歩きにとって「日本百名山」踏破は夢だろう。私にしてみれば、根っからきついことに触手がおよばない。登山であれトレッキングであれ、関心はあっても登山靴の紐を結ぶ(ブートする)ことはできなかった。

そんなぐうたら気分でも、登山気分や山の風景を味合わせてくれる番組が、深夜に再放送を重ねている。NHKの「にっぽん百名山」(関連の番組)だ。その番外ともいえる、山を異界に見立てて不思議な体験を伝える番組があった。「異界百名山~体験者が語る不思議な話~」(初2018年8月15日、再2018年9月9日、再2019年8月15日)は、山中やその周辺で体験したいくつかの奇妙なエピソード紹介と同時に、(人選に多少疑問があるが)四人の人物による体験(経験)を踏まえたスタジオトークが展開された。

NHKのサイトにある同番組「異界百名山」の紹介に、スタッフから「異界百名山との出会い」のタイトルで番組成立の背景(動機)について次のように語られている。(抜粋)
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・・・今回の番組のディレクターが「面白い本があるんですよ!」と嬉々として見せてくれたのが「山怪〜山人が語る不思議な話」という「山と渓谷社」から出版されている本でした。著者の田中康弘さんはマタギの暮らしなどを撮影している写真家で、日本各地の山で聞いた不思議な体験を地道な取材によってまとめたルポルタージュでした。まさに自分がこれまで山で聞いて来たような不思議な話が、鬼気迫るリアリティと共に、かなりのボリュームでまとめられていたのです。この本で紹介されている不思議体験者の中には、昔からの知り合いもいて、本で紹介された話をベースに映像化したら相当面白いドキュメンタリー番組が出来るのではないかとディレクターとうなずき合ったのでした。

さっそく、著者の田中さんや出版社の方に連絡し映像化について相談したところ快諾を頂き、本には登場しない新たな取材先も加えつつ番組制作が始まりました。どうせなら、体験者の人物像や山での暮らしぶりなども深掘りしつつ、不思議体験を安易な再現映像にはせずに、山の風景のイメージ描写とインタビューのみで表現しようと考えました。撮影には情景描写に優れる一眼レフカメラを多用。結果、山の“異界感”の表現に成功したと思います。

日本の山は、太古の昔から、この世とあの世をつなぐ異界の入口だったというテーマのもと、日本人の死生観や自然との付き合い方、また、神話や物語の生まれる原点などについてスタジオトークも盛り上がりました。私たち日本人は、山にひかれ、山を仰ぎ見て、ご来光に手を合わせます。現代人が無意識のうちに求めている「異界の物語」の魅力とは何なのか?
都会でなくしてしまった「山」の中でしか得られない「何か」に気づく番組となりました。
※取材協力 田中康弘 「山怪」より

(クリエイティブネクサス プロデューサー 佐藤知樹)
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なるほど、元ネタは、ブログでも関心を持った本「山怪」(田中康弘著、山と渓谷社)だった。「山怪」シリーズが(秘かな)ブームになっていることを先日(8/11)の祝日「山の日」に記した。今回の上記番組について率直な感想をいえば、活字と映像ではイマジネーションの入り込む余地に違いがありそう。まして「神話や物語の生まれる原点」について語り合うのなら、人選にも注意を払っていただきたかった。

(本ブログ関連:”山怪”)

2019年8月14日水曜日

Mr. サマータイム

夏の定番の曲といえば、コーラスグループ「サーカス」の「Mr. サマータイム」(1978年)だろう。軽やかで洋風な心地よい響きは、湿気の多い日本の夏と違った洒落た空気を感じさせたものだ。この曲がフランスの(シンガーソングライター)ミシェル・フュガンの「Une Belle Histoire(美しい物語)」(ミシェル・フュガン作曲、ピエール・ドラノエ作詞、1972年)のカバー曲だったとは、その当時まったく知らなかった。

(本ブログ関連:”Mr.サマータイム”)

サーカスの「Mr. サマータイム」は、ふとした気の迷いを女性の側で歌うのに対して、ミシェル・フュガンの「美しい物語」は、次のYoutubeによれば、男女の一日の出会いと別れを歌う(訳詞者に感謝)。


(Youtubeに登録のKei's Echoに感謝)

2019年8月13日火曜日

チョコバナナ

最近、アイスクリームは、帰り道の途中にあるコンビニでときどき買うくらい。スーパーに行っても、アイスクリーム・コーナーに立ち寄ることはなくなっていた。そんな今日、スーパーのアイスクリームのケースに箱入りの「チョコバナナ」アイスを見つけた。

黄色のパッケージに、「Dole」のマークの下にチョコレートでコーティングされた<棒アイス>が6本描かれている。てっきりDole社製のものと思って購入。帰宅してパッケージの説明書きを見たところ、ロッテ社の商品だった。Doleとの関係はどこにも触れていない。

アイスの「種類別」を見ると、「ラクトアイス バナナ果汁・果肉 10%」と記されている。棒アイスにチョコレートコーディングしているものの、屋台のそれのような曲がり具合がなく棒状である。味は、チョコのコーティングが薄い割りに濃い、少し細めのアイス(薄黄色)もバナナ風味がしっかりしている。ただし、一本当りの分量が少なめで・・・子ども向けといった方がよいかもしれない。

というわけで、久し振りに人工風味のバナナ味(菓子・飲料)を楽しんだ。バナナ信仰ともいうべき、バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。

(本ブログ関連:"バナナ"、”バナナ2”)

2019年8月12日月曜日

昼夜の気温差

普段使わない二階部屋に熱気が夕方までこもることが少なくなった。それも、ここ一週間ほどの変化の気がする。季節を感じるのは、意外と身近な処からかもしれない。

秋の気配を、鋭い観察眼をもって、風がかすめる具合や木の葉の揺れ具合といった振る舞いから気付くのが、少々高尚のような気がしないでもない。でも、日常生活の中でとっくに気付いていることがある。水道水に温みを感じなくなったとか、冷蔵庫の麦茶の消費量が減ってきたとか。

詩情というのは、個人的な生活感よりも、自然のなかで気付く日の陰りなどといった共通体験で語る方がよいのかもしれない。

でも、実感は日常の中にありそうだ。

2019年8月11日日曜日

山の日 2019

今日は、2016年以来施行されている祝日「山の日」だ。山にちなんだイベントもあるようだが、趣味の鉱物採集から遠ざかって以来、山に近寄ることもなくなった。いくつかの公園の中に、山の名を冠した標高50m~70m台の山がある。山というには余りにも低山。いつの間にか通り過ぎている。

(本ブログ関連:山の日”2016”、”2017”、”2018”)

「山の日」にちなんで、山にかかわる歌を思い浮かべた。その出しに「山には山の うれいあり」から始まる「あざみの歌」(作詞横井弘、作曲八洲秀章、1949年)がある。何と、昨年の今日もそれをブログに記していた。それじゃあ「山男の歌」ってか・・・、よほど山への想像力が足りないようだ。もともと、近場の高尾山が限界だったせいもある。

山といえば、おじさん好みの、山の怪異集「山怪」(山と渓谷社)シリーズがある。聞けばなんと累計17万部を突破したという。書店を巡ると書棚に真っ黒なカバーをした「山怪」シリーズが並んでいる・・・書店の規模に関わらず目にすることができる。どうやら秘かなブームのようだ。

(本ブログ関連:”山怪”)

「山怪」の発行元「山と渓谷社」のニュースリリース「累計17万部突破のベストセラー『山怪』第三弾! 現代版遠野物語『山怪 参 山人が語る不思議な話』刊行」*(2018/09/10)は次のように紹介している。(抜粋)
(*) https://www.yamakei.co.jp/news/release/20180910_02.html
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 インプレスグループで山岳・自然分野のメディア事業を手掛ける株式会社山と溪谷社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:川崎深雪)は、9月10日に『山怪 参  山人が語る不思議な話』を刊行しました。

 2015年6月に刊行されてベストセラーとなった『山怪 山人が語る不思議な話』、2016年1月に刊行された続編『山怪 弐 山人が語る不思議な話』(共に田中康弘・著)に続く第3弾に当たります。

 本書は、長年、マタギや狩猟など山に入り取材を続けてきた著者が、山に暮らす人や働く人をはじめ、多くの山人の元を訪ね、山の不可思議な体験談を取材しまとめた一冊です。本シリーズは「現代版遠野物語」として、新聞・雑誌等数多くのメディアで絶賛され、今作も同様に、すべて改めて取材した「現在形のフィールドワーク」であり、その集大成。シリーズ初となる北海道の取材を決行しています。

 また、前作『山怪』『山怪 弐』は、2018年8月15日放送のNHK BSプレミアム「異界百名山」の原案にもなりました。
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真っ黒な装丁をした本といえば、埴谷雄高の全集なんて思い出す・・・。

2019年8月10日土曜日

ツクツクボウシの鳴き声が聞こえた

8月10日の今日も暑かった。東京都心の最高気温は、「真夏日」(最高気温が30℃以上の日)の34.4℃(13:11)で、「猛暑日」(最高気温が35℃以上の日)までに至らなかった。とはいえ今月に入って、東京都心の最高気温を見ると、すべて35℃以上で、「真夏日」は4日間、「猛暑日」は6日間だった。昨日までの4日間は「猛暑日」が連続した。

8月  最高気温
01日  35.0℃
02日  35.1℃
03日  33.7℃
04日  34.3℃
05日  34.9℃
06日  35.0℃
07日  35.6℃
08日  35.5℃
09日  35.6℃
10日  34.4℃

このところ、最高気温の時間帯と比べて、午後3時以降に日が傾き始めると、暑苦しさを逃れ、落ち着きを感じるようになった。微風から秋が遠くないことを知る。

昨日、街路樹の下で、色々なセミの鳴き声に混じって「ツクツクボウシ」の声を聞いた。本来、夏休みの終りごろ、宿題作業に駆け込む時期に聞こえてくるはずのもの。こんなに早く鳴き声がすることについて、ネットの情報では、梅雨の期間が長かったせいとか、夏が早仕舞いするのではといった見解がある・・・果たしてどうなのだろう。

(本ブログ関連:”ツクツクボウシ”)

ところで、テレビのニュース番組で、台風情報が盛んに流されるが、一説に番組制作の都合ではないかという。天気予報コーナーの制作費がかなりリーズナブルだからというのだ。テレビ苦難な時代だからこそか。

2019年8月9日金曜日

晩鐘

先日(8/5)、公開講座(「ロシア・スラヴの言語と文化入門」)を聴講した際、アンケート用紙が配られ、今後の要望などあれば記入するようにとあった。門外漢の素人が気ままに、勝手なことを記入した。ロシアンPOPとかエセーニンの詩を元にした歌があれば紹介して欲しいと。

(本ブログ関連:”ロシア・スラヴの言語と文化入門”)

そのとき、名前を失念して記入できなかったロシアンPOPの女性歌手がいる。神田にあった今はないソ連(ロシア)専門のレコード店で、店内に流れていた「マリーナ・カプーロ(Марина Капуро)」の澄みきった歌声を聞いて、あまりの美しさに直ぐにCD(1997年版)を求めた。

(本ブログ関連:”マリーナ・カプーロ”)

Youtubeを検索すると、彼女が歌う(ロシアで人気の・・・という)「晩鐘(Вечерний звон)」(作詞:イワン・コズロフ、作曲:アレクサンドル・アリャービエフ、1827年)があったので、次にエンベッドする。


(Youtubeに登録のMarina Kapuroに感謝)

2019年8月8日木曜日

立秋 2019

今日は二十四節気の「立秋」。名の通りまさに秋が立つころ。立秋の前が「大暑」だったことを思い返すと、季節の大きな変わり目に気付く。あれほど暑さを気遣ったのに、今から秋の心構えが必要のようだ。今朝の寝起きに感じたのは、昨日までの汗ばんだ気だるさではなかったことだ。

(本ブログ関連:”立秋”、”大暑”)

秋の気配を、まずは風の変化で知ることになる。和歌の理解というより、季節の変わり目に一般に語られる例えに、平安時代の歌人「藤原敏行」の歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(「古今和歌集」秋歌上169)がある。立秋の日に詠んだ歌だそうだが、もしかして、この風に、台風の予兆まで思い巡ったのだろうか。

これから本格的な台風シーズンを迎える。気象庁の統計資料「台風の平年値」の「地方ごとの台風接近数の平年値」によると、<関東地方・甲信地方>の場合、来月(9月)をピークにつぎつぎ押し寄せてくるようだ。
0.2/6月 ⇒ 0.4/7月 ⇒ 0.9/8月 ⇒ 1.1/9月 ⇒ 0.6/10月 (その他の月は 0)

ちなみに、藤原敏行が詠んだであろう<近畿地方>の場合、8月、9月にピーク差はない。もちろん温暖化といわれる現代と平安時代の気象状況に差はあるだろうけれど。
0.3/6月 ⇒ 0.5/7月 ⇒ 1.0/8月 ⇒ 1.0/9月 ⇒ 0.5/10月

今晩の月は月齢7、上弦の月。夜空に浮かぶ姿を見れば、玄の張り加減が弛めに感じたが。

2019年8月7日水曜日

旧暦 七夕

今日は旧暦の7月7日。東京では、新暦の7月7日に「七夕」の風習があるが、地域によって月遅れのこの日に行うこともあるようだ。その理由について、マイナビニュースの記事「七夕祭りに月遅れが多い理由とは?」*(8/7)は、次のように紹介している。(抜粋)
(*)記事: https://news.mynavi.jp/article/20190807-ogiboy2/

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七夕は7月7日に織姫と彦星が一年に一度だけ天の川で会う日で、それをお祝いするイベントが七夕祭りです。七夕祭りも7月7日開催が当然かと思いきや、地域によって一ヶ月後に開催されることも多くあります。

これは旧暦と新暦(明治時代に導入された現在の暦)とが関係しているからです。織姫と彦星が合う七夕の話は7月7日で間違いないのですが、この7月7日は旧暦で、現在の暦では8月20日ごろになります。さらに、七夕は夏に行われるお祭りという「夏」のイメージがあったので、季節感と7日という日付を調整して8月7日に開催する地域もあるといわれています。

日本(東北)三大祭りに数えられる「仙台七夕」祭りも 8月7日をメインに開催しており、今年は6(火)・7(水)・8(木)になります。・・・
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(本ブログ関連:”七夕”)


(Youtubeに登録のハグクモーションに感謝)

2019年8月6日火曜日

ロードクロサイト

今日のテレビ東京の番組「なんでも鑑定団」を途中から視聴したところ、いきなり、赤い透明で四角面の立体をした結晶群が映った。それは美しい結晶で宝石にもなりそう。画面に「ロードクロサイト(rhodochrosite、菱マンガン鉱)」の名が表示された。

ところで、持ち込まれた物品は、ピンクの乳白色したものが粒(房)状に群集した鉱物で、いかにもマンガン系の鉱物にありがちな色合をしていた。
(なんでも、祖父の家にあったものを貰い受けたらしいのだが、周りに不人気で放置していたようだ。)*
(*) https://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20190806/02.html

事例紹介された赤色透明の結晶は、<半貴石として宝飾や収集> 対象になるだろうけど、番組で鑑定されたものはもう少し地味なものだった。

マンガン系の鉱物は、一般に酸化すると黒くなるので、保管がむつかしいといわれる。採集地のズリ跡などにある「バラ輝石(rhodonite)」は、周りに黒い粉がある石塊で、ハンマーで叩くと石英並みに固いものの、割れた断面はピンク色している。

鑑定品も菱マンガン鉱だったが、随分長く家の中に置かれていたそうだが色褪(黒色化)していない。酸化に強いのだろうか。
- 一般に、菱マンガン鉱の方が、バラ輝石よりも酸化しやすいというのに?

2019年8月5日月曜日

ロシア・スラヴの言語と文化入門 2019- 1

今日から始まった <TUFS(東京外国語大学)オープンアカデミー>の夏期間公開講座「ロシア・スラヴの言語と文化入門」(全3回)の初回は、中澤英彦 東京外国語大学名誉教授による「小さなグミの木(Тонкая рябина)ー グミは川を越えられるか」で、興味深く聴講させていただいた。

(本ブログ関連:”ロシア・スラヴの言語と文化入門”)

実は、夏期間公開講座に予定されていた別講座を申し込んだものの、事務局から成立できなくなったとの連絡があり、関心と近い関係のあるクラスに急遽振り替えていただいた。当然ながらキリル文字を苦労してたどっても、文法も単語も知らず出かけたのだから、我ながら相当な心臓だ。

今回のタイトルにある小さなグミの木をもとに、ロシアの独学の詩人「スーリコフ・イワン・ザハーロヴィチ(Суриков, Иван Захарович)」(1841年~1880年) の詩について解説された。付いていくのが精一杯だったが、話題は多岐にわたり、素人でも楽しく拝聴することができた。

「小さなグミの木」の詩は、日本でも1960年代の歌声運動で盛んに歌われたという*。しかしながら、もともとの詩は、スーリコフが23歳ころの1864年に詩作されたもの。この詩を元にした歌が、彼の死後の1920年ころから歌われだしたという。

(*)日本語歌詞: http://www.utagoekissa.com/gumi.html
        露語歌詞: Что шумишь, качаясь (どうして揺れながら立っているの)


(Youtubeに登録のaaasssdd100に感謝)

川をまたいで立つ2つの木、薄幸な乙女を指すナナカマド(≒グミ)の木と、たくましい若者を指すオーク(≒樫)の木はついに合間見えることはない。このことから、旧帝制ロシアの過酷な労働下の女子工員と男子工員の関係とか、あるいはWWⅡ後の戦争未亡人の想いとか、いろいろな解釈があると紹介された。

ところで、スーリコフがロシア革命前の農民を愛した「農民派」の詩人なら、一方、ロシア革命をまたいで激しく生きた「無頼派」の詩人セルゲイ・エセーニン(Есенин、1895年~1925年)についても気になる・・・。

(本ブログ関連:”エセーニン”)

2019年8月4日日曜日

タレント年表

先日のテレビ番組で、タレント年表が語られた。芸能界で活躍した若い女性ポップ歌手を指していた。その(年表の)一番にあげられたのが、沖縄復帰の前年にあたる1971年に「17才」でデビューした南沙織(みなみ さおり、1954年7月2日生まれ)だ。キラキラと輝いた目鼻立ちが印象的な少女だった。

むかしのタレント(歌手)はみなひとりで歌っていた。それも、演歌とは違う大衆歌謡を。一体いつ頃から、タレントという言葉が使われるようになったのだろう。若手演歌歌手を今ではタレント扱いするのだろうか。よく分からないのが現実だ。

ところで、南沙織が写真家の篠山紀信と結婚して生まれた息子の篠山輝信が、テレビで活躍しているのを見ると、よい意味で南沙織の姿が浮かんでくる。合わせて思い出すのが、渡辺徹と榊原郁恵の息子の渡辺裕太もそうだ。遠目でしかないけれど、二人の若者たちの頑張りを、それぞれ家族を通して見てしまう。

今もタレントがつぎつぎ登場しているが、おじさんには最早ついて行くことができない。深夜のテレビに、若いタレントだけで構成される番組があるが、誰が誰やら見当つかない。まるで、見知らぬタレントばかりなのだ。若者を熱気させるのは、若者だけでしかないということだろう。

2019年8月3日土曜日

鰻の蒲焼

先週の「土の丑の日」(7/27)に果たせなかった鰻の蒲焼を食しに近隣の街へ出かけた。昔から(江戸以来?)の夏バテ防止の習慣。これで猛暑の夏場を乗り越えられるだろう。

今日の東京都心の最高気温は、33.7℃(13:50)で、一昨日、昨日の「猛暑日」とはならず、「真夏日」に終わった。たしかに、家を出たとき、真綿でくるまれたような逃げ場のない暑さほどではなかった。この後、(明日の予報を別にして)これから先は真夏日が続くという。一段落か。

ところで、今日利用した鰻の蒲焼屋は、この時期でない限り寄りがたい店だが、昼には客であふれていた。「土曜の丑」の日近傍ならではのことか。庶民にとっては通過儀礼(儀式)のようなもの。そう思えば、確かに美味かった。

先日の台風6号は本土上陸して、岐阜あたりで熱帯低気圧になった。その後の7号は、今ごろベトナムにあるという。そして、台風8号が南の海に発生し、8/5過ぎには九州横断との予報がある。鰻のように、にょろにょろ動くことなく、北西に直進するという。スパコンの神託や如何に。

2019年8月2日金曜日

ヤブラン(藪蘭)

分かっていても暑い。昼過ぎ街に出れば、熱射でじりじり焼かれる気がする。家にいて、クーラーで涼んでいた方がよっぽどましだったのにと躊躇する。今日の東京都心の最高気温は、35.1℃(13:26)だった。ここ数日を見ると次の通り。

7/24 31.6℃
7/25 32.4℃
7/26 33.1℃
7/27 31.4℃
7/28 32.3℃
7/29 33.7℃
7/30 33.6℃
7/31 34.6℃
8/01 35.0℃
8/02 35.1℃

東京都心の最高気温は、「夏日」(最高気温が25℃以上の日)は別にして、7/24から「真夏日」(最高気温が30℃以上の日)が連続し、ついに昨日、今日は「猛暑日」(最高気温が35℃以上の日)となった。すこしも緩まる気配がない。

その足で、久し振りに「自然観察園」を訪れて、8月初の草花を観察した。こちらも人影はまばらで、セミの鳴き声だけが聞こえてくる。それにしても、いずれの公園もセミの鳴く場所が限定的なのが気になる。子どものころは、セミは処かまわずあちこちで鳴いていたものだ。

(本ブログ関連:”自然観察園”)


自然観察園の扉を開けて入れば、すぐに淡紫色の「ヤブラン(藪蘭)」の花(写真)を目にする。意外と場所をかまわず咲いているようだ。公園発行のリーフレット「初夏~夏の草花」に次のような解説がある。
「葉は長く、幅は約1cm、花の大きさは約0.6cm、8~10月にうすむらさき色の花がさきます。花は棒のような形に集まって、葉よりも上にのびます。日かげでもよく育ち、林の中で多く見られます」

このヤブランと同じキジカクシ科に属し、花弁も同じ淡紫色ながら、花の大きさが全然違う「コバギボウシ(小葉擬宝珠)」も咲いていた。落ち着いた姿形は、どちらかいえば野趣に富んでいる気がする。

このほか、中華の色感が濃い淡紅色の「シュウカイドウ秋海棠)」、野に置いてこそ可憐といえそうな白色で小粒の「ユウガギク(柚香菊)」など観察した。

2019年8月1日木曜日

日時計

予想はしたが、昼過ぎに外出するとうだるような暑さだった。まるで、湯船に浸かったような熱さ・暑さにくるまれたよう。さすがに街は人影がまばら。みな暑さを嫌って外出を控えたのだろうか。

その足で公園を訪ねてみると、やはり人っ子ひとりいない・・・は大袈裟にしても、太陽ががんがんに照りつける原っぱで日光浴している若者がちらりほらり。いつもの、幼児連れの家族の姿がとんとないのだから。こんな日に来ればたちまちに日射病(熱中症)になりかねない。

いつもなら、いろいろな遊具のある遊び場に子どもたちが集まってくるのだが。歓声もない静まり返った遊び場の近くに、白いコンクリート製の「日時計」が置かれている。もちろんここも静まり返っている。いわゆる「赤道式日時計」のようだ。

(本ブログ関連:”日時計”)

昨年のブログに、この日時計について記したことがある。5月の末頃のことだった。日時計は16時ごろを指していた。今回は、写真のように、白い矢印の先に右下に落ちる薄い影が見える。15時ちょうど指していることになる。実際、携帯電話で正確な時刻を確認すると、14:59だった。日時計が意外なほど正確なのに驚かされる。