夕方降り始めた雨は、深夜を境に明朝には静まるようだ。
今晩放送のNHKスペシャル「中国文明の謎 第2集『漢字誕生 王朝交代の秘密』」はおもしろい。漢字の起源(甲骨文字による占い)と特徴を紹介した。三千年前の殷時代に登場した漢字の歴史の裏表(恐怖政治)は少々気が滅入るが、その後歴史に受け継がれる表意文字の漢字は、時代を超えて意味を持ちつづけ、空間の広がりで意味を拡大した。
表意文字の漢字の重みと柔軟性にあらためて気づかされる。他方、表音文字カタカナの蔓延に言葉の理解の仕方も変わっていくのではと気掛かりだ。
・・・夜分、雨音が急に止んだと思っていると、またしとしと雨音がしてくる。やっぱり一晩中降るようだ。
2012年11月11日日曜日
2012年11月10日土曜日
イ・ソンヒの「恋文」
美しい序奏で始まる、イ・ソンヒのアルバム7集(1991年)に所収の「恋文(연서)」は、彼女が持つ少女のような一面をあらわしている珠玉の一品だ。
ぽっかりと空いた少女の心を埋めるのは、置かれた写真からの視線ではない、思い出の言葉でないのだと、切ない心の恋文を送る。・・・かわいらしいね。それにしても美しい曲だ。
Youtubeのイ・ソンヒの写真に、彼女の少女時代の面影が見えませんか。素晴らしい選定だ。
(本ブログ関連:"7集")
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
ぽっかりと空いた少女の心を埋めるのは、置かれた写真からの視線ではない、思い出の言葉でないのだと、切ない心の恋文を送る。・・・かわいらしいね。それにしても美しい曲だ。
Youtubeのイ・ソンヒの写真に、彼女の少女時代の面影が見えませんか。素晴らしい選定だ。
(本ブログ関連:"7集")
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
2012年11月9日金曜日
小金井公園秋逍遥
![]() |
| 公園東側散歩道 |
公園中央「いこいの広場」のユリノキは、洒落た木立で全体に黄葉が進んでいる。秋のロマンチックな気分に浸りたいならここがよいかもしれない。
「こどもの広場」に小学校の低学年らしい集団がいて、帰り支度をする様子をしばらく見た。22名の生徒を、4、5人の先生方が引率している。さて、一列に前並びして、順に番号を言わせるのが面白い。ひとりひとり番号を口にしながら回れ右するのだが、女の子は何事も静かでゆっくり声を出し回転するが、男の子ときたら、例えば、「ななっ(七)!番~ん」てな具合で、元気よく大声を出しながら飛び上がって回転する。22番目まで言わせるのは大変だ、先生方お疲れさまです。そんなことも知らず、低学年の小学生一団は、元気よく手を振りながら一列になって帰っていった。楽しい眺めだった。
(本ブログ関連:"ちいさな男の子は阿呆である")
2012年11月8日木曜日
今日の記事:イ・ソンヒ(李善熙)
Google検索で、「期間指定」を24時間以内にして、「이선희」(イ・ソンヒ)を調べると、上位記事に歌手イ・ソンヒ(李仙姫)について見られず、三星ライオンズ所属のスカウターであるイ・ソンヒ(李善熙)が、ハンファ・イーグルスにコーチとして迎え入れられた・・・ということばかりだった。
歌手イ・ソンヒが検索のトップ(2ページに渡って)に上がらないなんて、こんなことは珍しい。ハングル氏名では男女の区別ができないことがある。
ちなみに、李善熙の経歴は次の通り。(Daumスポーツ掲載のxportsニュース記事(11/8))
・慶北高校を卒業した、李善熙(現コーチ)は、プロ元年の1982年~1987年まで三星ライオンズとMBC青龍を経て6年間通算133試合に出場し、28勝36敗3セーブ、防御率3.35の成績を残した。
・以降、1994年~2000年までハンファのコーチを歴任し、2000年~2007年までは古巣チーム三星のコーチを務めた。2008年からは三星のスカウターを歴任した。そして(今回)、2000年代初頭一緒だったキム・ウンリョン監督が率いるハンファのコーチ生活を始めることになった。このコーチの職務は今後決定され、投手パートを引き受けるものと見られる。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")
歌手イ・ソンヒが検索のトップ(2ページに渡って)に上がらないなんて、こんなことは珍しい。ハングル氏名では男女の区別ができないことがある。
ちなみに、李善熙の経歴は次の通り。(Daumスポーツ掲載のxportsニュース記事(11/8))
・慶北高校を卒業した、李善熙(現コーチ)は、プロ元年の1982年~1987年まで三星ライオンズとMBC青龍を経て6年間通算133試合に出場し、28勝36敗3セーブ、防御率3.35の成績を残した。
・以降、1994年~2000年までハンファのコーチを歴任し、2000年~2007年までは古巣チーム三星のコーチを務めた。2008年からは三星のスカウターを歴任した。そして(今回)、2000年代初頭一緒だったキム・ウンリョン監督が率いるハンファのコーチ生活を始めることになった。このコーチの職務は今後決定され、投手パートを引き受けるものと見られる。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")
2012年11月7日水曜日
立冬2012
今日は、立春から数えて19番目の節気「立冬」である。「冬」の始まりなのに、最高気温はなんと20℃(立川市、Weathernews)になった。平年7日の最高気温は、18.3℃(府中市、1981年~2010年)なのだから随分と暖かい。とはいっても寒がりなので、先月中旬からガス・ストーブを使っている。
健康体操教室で汗をかいて帰り道、マクドナルドに寄って窓際の暖かい席に座ると、ガラス窓越しの陽射しを浴びてうつらうつらしてくる。文庫本の同じページを何度も読み直す。
本格的な納得できる冬はいつ来るのだろうか・・・気付いたときが冬というわけだろうけど。立春(来年の2月4日)になっても、まだ寒い寒いといっているだろう。
健康体操教室で汗をかいて帰り道、マクドナルドに寄って窓際の暖かい席に座ると、ガラス窓越しの陽射しを浴びてうつらうつらしてくる。文庫本の同じページを何度も読み直す。
本格的な納得できる冬はいつ来るのだろうか・・・気付いたときが冬というわけだろうけど。立春(来年の2月4日)になっても、まだ寒い寒いといっているだろう。
2012年11月6日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 朴松熙
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/31)に、人物シリーズ52回目として、パンソリの歌い手(ソリックン、소리꾼)で、今年85歳になる朴松熙(パク・ソンヒ、박송희、1927年~)を紹介した。
解説の岸さんの熱い語りにいつも感銘を受けます。
まず、「口伝授心」の説明から始まった。
・弟子は「師匠の影は踏んでもならぬ」という、常に師匠に対する尊敬の念を持つ意を込めた言葉がある。伝統音楽の国楽も、口伝えて心を授ける「口伝授心(구전심수)」という、師匠と膝を向かい合わせて、一節一節、聞き取って、師匠の歌をひたむきに守ることを通して確立された。師匠の存在が格別な存在であったことも分かる。
師匠の教えを守ったパンソリの歌い手、朴松熙の歌を聴く。
▼朴松熙による「興夫歌(흥보가)」の中から、<ノルブ(놀부)の二つ目の瓜から大道芸人たちが出てくる場面>を聴く。こぶとり爺さん、舌切り雀、あるいは金の斧か・・・とにかく元気で威勢がよい。
(本ブログ関連:"興夫歌"、"興甫歌")
次のように朴松熙のプロフィールが紹介された。
・1927年 全羅南道和順に生まれる。
・10代前半の頃から複数の師匠に師事しパンソリのみならず歌や舞を学ぶ。
・結婚して田舎で農業を営みながら村人に公演などしていたが、夫の死後、ソウルで朴綠珠(パク・ロクジュ、박록주)名唱と出会い、「春香歌(춘향가)」、「興夫歌」、今は忘れ去られた幻のパンソリ「淑英娘子傳(숙영낭자전)」など学ぶ。
・また朴鳳述(パク・ボンスル、박봉술)名唱から「赤壁歌」の伝承を受ける。
▼朴松熙による「赤壁歌(적벽가)」の中から、「軍士点考(군사점고)」を聴く。歌というより語り・・・。
・中国三国志に由来する赤壁歌だが、歌中に韓国固有の情緒が(空想により)込められている。
・2002年、パンソリ、フンボガの芸能保有者として指定され、伝承が絶えたといわれている「淑英娘子傳」などを音源として残した。
▼朴松熙による「淑英娘子傳」の中から、<仙君(선군)が淑英(숙영)を恋い慕う題>を聴く。夢と現実が交流し・・・現実に救われる不思議な話。物語伝承として聴きたい。
解説の岸さんの熱い語りにいつも感銘を受けます。
まず、「口伝授心」の説明から始まった。
・弟子は「師匠の影は踏んでもならぬ」という、常に師匠に対する尊敬の念を持つ意を込めた言葉がある。伝統音楽の国楽も、口伝えて心を授ける「口伝授心(구전심수)」という、師匠と膝を向かい合わせて、一節一節、聞き取って、師匠の歌をひたむきに守ることを通して確立された。師匠の存在が格別な存在であったことも分かる。
師匠の教えを守ったパンソリの歌い手、朴松熙の歌を聴く。
▼朴松熙による「興夫歌(흥보가)」の中から、<ノルブ(놀부)の二つ目の瓜から大道芸人たちが出てくる場面>を聴く。こぶとり爺さん、舌切り雀、あるいは金の斧か・・・とにかく元気で威勢がよい。
(本ブログ関連:"興夫歌"、"興甫歌")
次のように朴松熙のプロフィールが紹介された。
・1927年 全羅南道和順に生まれる。
・10代前半の頃から複数の師匠に師事しパンソリのみならず歌や舞を学ぶ。
・結婚して田舎で農業を営みながら村人に公演などしていたが、夫の死後、ソウルで朴綠珠(パク・ロクジュ、박록주)名唱と出会い、「春香歌(춘향가)」、「興夫歌」、今は忘れ去られた幻のパンソリ「淑英娘子傳(숙영낭자전)」など学ぶ。
・また朴鳳述(パク・ボンスル、박봉술)名唱から「赤壁歌」の伝承を受ける。
▼朴松熙による「赤壁歌(적벽가)」の中から、「軍士点考(군사점고)」を聴く。歌というより語り・・・。
・中国三国志に由来する赤壁歌だが、歌中に韓国固有の情緒が(空想により)込められている。
・2002年、パンソリ、フンボガの芸能保有者として指定され、伝承が絶えたといわれている「淑英娘子傳」などを音源として残した。
▼朴松熙による「淑英娘子傳」の中から、<仙君(선군)が淑英(숙영)を恋い慕う題>を聴く。夢と現実が交流し・・・現実に救われる不思議な話。物語伝承として聴きたい。
2012年11月5日月曜日
イ・ソンヒの「分かりたいです」
イ・ソンヒが2009年5月のコンサートに向けてメディアに登場したひとつに、MBCの番組「音楽の旅 ラララ」(2009年3月26日)がある。その中で、彼女の代表曲「分かりたいです(알고싶어요)」を歌っているのをYoutubeで聴こう。。
忍び入る月光のような青い明かりを背に受けて、かわらぬ高趣ただよう彼女の姿を見ることができる。全画面、画質を上げて視聴したい。
(本部ログ関連:"分かりたいです")
(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)
忍び入る月光のような青い明かりを背に受けて、かわらぬ高趣ただよう彼女の姿を見ることができる。全画面、画質を上げて視聴したい。
(本部ログ関連:"分かりたいです")
(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)
2012年11月4日日曜日
四谷で鉱物の会 12-11-4
四谷へ鉱物の会の例会に行く。この時期、プログラムのメインは夏休み報告で、会場は大盛況、会員であふれていた。
基本的に夏を中心に、鉱物採集した産地、採集物、地元状況などの成果について、会員がひとりひとり報告する。なかでも、秋田県(A鉱山)と愛知県(T鉱山)の採集報告が重なった。多数の会員が同一鉱山におもむいたようだ。それから最近の傾向だが、親子連れの新入会員が増え、子どもたちの自己紹介がほほえましかった。
また、会員有志による群馬県沼田周辺のミニ鉱物採集会の丁寧な報告があった。
ちなみに私の報告は、8月末に栃木県西沢鉱山へ行ったこと。10月初めに秩父鉱山大黒坑でブーランジェ鉱を手に入れた(いただいた)こと。10月末に東京都埋蔵文化財センターの見学会で滑石を使って勾玉作りを・・・まず砥石で大きく削り取り、鉄ヤスリ、サンドペーパー、水ペーパーなどで整形し、最終的に感熱型のレシートで磨くと光沢が増して綺麗に仕上がる・・・ことを。
ところで、いつもお世話になっている筑波の研究者S氏から、鉱物の学会で催された巡検に参加して採集した標本をいくつか分けていただいた。
・桜石(京都府亀岡): インド石を核に菫青石が周りを囲むように成長。断面が花弁に見えて美しい。
・正長石(大阪府能勢町): がっつり組み合ってカルルスバット式双晶がわかる。
・高温型石英(大阪府能勢町): しっかり両錘状だ。
・コーク石(兵庫県猪名川町): 希少鉱物だそうだ・・・黄土色皮膜の地味な鉱物。
また、毎回会員が提供する鉱物標本をいただいた。
・水晶(秋田県大仙市A鉱山)
・緑水晶(秋田県大仙市A鉱山)
・黄鉄鉱(岩手県北上市S鉱山)
・赤鉄鉱(岩手県北上市S鉱山)
・砂(モロッコ、サハラ砂漠)
基本的に夏を中心に、鉱物採集した産地、採集物、地元状況などの成果について、会員がひとりひとり報告する。なかでも、秋田県(A鉱山)と愛知県(T鉱山)の採集報告が重なった。多数の会員が同一鉱山におもむいたようだ。それから最近の傾向だが、親子連れの新入会員が増え、子どもたちの自己紹介がほほえましかった。
また、会員有志による群馬県沼田周辺のミニ鉱物採集会の丁寧な報告があった。
ちなみに私の報告は、8月末に栃木県西沢鉱山へ行ったこと。10月初めに秩父鉱山大黒坑でブーランジェ鉱を手に入れた(いただいた)こと。10月末に東京都埋蔵文化財センターの見学会で滑石を使って勾玉作りを・・・まず砥石で大きく削り取り、鉄ヤスリ、サンドペーパー、水ペーパーなどで整形し、最終的に感熱型のレシートで磨くと光沢が増して綺麗に仕上がる・・・ことを。
ところで、いつもお世話になっている筑波の研究者S氏から、鉱物の学会で催された巡検に参加して採集した標本をいくつか分けていただいた。
・桜石(京都府亀岡): インド石を核に菫青石が周りを囲むように成長。断面が花弁に見えて美しい。
・正長石(大阪府能勢町): がっつり組み合ってカルルスバット式双晶がわかる。
・高温型石英(大阪府能勢町): しっかり両錘状だ。
・コーク石(兵庫県猪名川町): 希少鉱物だそうだ・・・黄土色皮膜の地味な鉱物。
また、毎回会員が提供する鉱物標本をいただいた。
・水晶(秋田県大仙市A鉱山)
・緑水晶(秋田県大仙市A鉱山)
・黄鉄鉱(岩手県北上市S鉱山)
・赤鉄鉱(岩手県北上市S鉱山)
・砂(モロッコ、サハラ砂漠)
2012年11月3日土曜日
標本の整理
鉱物標本の置き場に困り、仮置きしたつもりの応接間も埋まってしまった、どうしよう。
むかし採集しながら、ラベル紛失など整理不十分で産地不明になってしまったものの、綺麗というだけで残していた石を、とうとう玄関先の窪みに置いて(というより捨てて)しまった。他に持っていく処はないのだから。
横を通るたび、光をうけてキラリと輝く水晶の群晶、鮮緑色が美しい孔雀石、ピンクに染まったバラ輝石・・・色は混じり光が散乱している。半分楽しみ、半分心苦しく思っている。
まだまだ、未整理品がいっぱいある、どうしょう。
むかし採集しながら、ラベル紛失など整理不十分で産地不明になってしまったものの、綺麗というだけで残していた石を、とうとう玄関先の窪みに置いて(というより捨てて)しまった。他に持っていく処はないのだから。
横を通るたび、光をうけてキラリと輝く水晶の群晶、鮮緑色が美しい孔雀石、ピンクに染まったバラ輝石・・・色は混じり光が散乱している。半分楽しみ、半分心苦しく思っている。
まだまだ、未整理品がいっぱいある、どうしょう。
2012年11月2日金曜日
カマキリ
昼の日向、外出しようと鉄製の門を見ると、暖かい陽射しに鮮黄緑の色を透かした体長10cm程のカマキリが動かずにいた。ぬくい、むしろ熱いくらいの門にじっと佇み温まっているのだろうか。
この時期に?とWikipediaを見れば、「野生下においては、関東以西では雄個体は10月中~下旬頃、雌個体は11月上~下旬まで見られる」とのこと。はたして、今日見たカマキリは雄だったのか、それとも雌だったのか。美しい体色から想像するに雌だったのでは・・・。この時期はカマキリの産卵期でもあるそうだから。
ところで、子どものころ平気だったカマキリの手づかみを今はできない。その理由がないからだ。じゃあ逆に、子どもは何で平気で虫に手を出すのだろうって考えてしまう。とにかく触りたいという燃えるような好奇心をすっかり忘れちゃったみたいだ。
カマキリの名を漢字で「蟷螂」とあらわすが凄みが感じられない。虫偏に「當」と「郎」に一体どんな意味があるのだろうか。むしろ、和名の通り「鎌斬り」とでもすれば、あの前足で身構える姿に通じてピッタリするのだが。
・・・それに、韓国語でカマキリと疣(いぼ)が何で同じ「サマギィ(사마귀)」なんでしょうね。しかも英語では「祈る(praying)カマキリ(mantis)」だし。
さて、家を出て振り返って見ると、門にカマキリの姿はなかった。どうやら邪魔しただけのようだ。
この時期に?とWikipediaを見れば、「野生下においては、関東以西では雄個体は10月中~下旬頃、雌個体は11月上~下旬まで見られる」とのこと。はたして、今日見たカマキリは雄だったのか、それとも雌だったのか。美しい体色から想像するに雌だったのでは・・・。この時期はカマキリの産卵期でもあるそうだから。
ところで、子どものころ平気だったカマキリの手づかみを今はできない。その理由がないからだ。じゃあ逆に、子どもは何で平気で虫に手を出すのだろうって考えてしまう。とにかく触りたいという燃えるような好奇心をすっかり忘れちゃったみたいだ。
カマキリの名を漢字で「蟷螂」とあらわすが凄みが感じられない。虫偏に「當」と「郎」に一体どんな意味があるのだろうか。むしろ、和名の通り「鎌斬り」とでもすれば、あの前足で身構える姿に通じてピッタリするのだが。
・・・それに、韓国語でカマキリと疣(いぼ)が何で同じ「サマギィ(사마귀)」なんでしょうね。しかも英語では「祈る(praying)カマキリ(mantis)」だし。
さて、家を出て振り返って見ると、門にカマキリの姿はなかった。どうやら邪魔しただけのようだ。
2012年11月1日木曜日
陶淵明-1
中国六朝時代の詩人陶淵明(365年~427年)の描いた世界について、市民講座があり出かけた。今日は講義の初回で、全5回を予定している。
漢詩・漢文は、高校時代の授業が最後で素養もないにもかかわらず、今回受講した目的は、先日ブログに記した通り、イ・ソンヒの歌「分かりたいです(알고싶어요)」に付された漢詩について知りたいからだ。
(この漢詩の由来は承知のうえで・・・)
さて、地元公民館の教室は、多数の聴講者が集まり埋まっていた。講師は、入門書「MY古典 陶淵明のことば」(斯文会)をテキストに同著者の田部井文雄氏が解説された。(以下同書より)
初回講義は、「帰りなんいざ、田園 将(まさ)にあれなんとす・・・」で有名な「帰去来の辞」だ。詩四段の書き下し文、語句について順に解釈された。陶淵明が職を辞して帰郷するという意気盛んなイメージがあったが、人生の有限を嘆じていることまで含まれていたとは知らなかった(忘れていた)。
すなわち、「已(や)んぬるかな/形を宇内(うだい)に寓すること復た幾時ぞ」(ああ、もう終わりなのだなあ/この身をこの世に生き続けさせるのも、これからどれほどの間のことであろうか。)とうたいながらも最後に、天命にまかせて疑いを持たず生きようとする。けれど・・・。
それはそうと、これからイ・ソンヒの「分かりたいです」の漢詩(蕭寥月夜思何事 ~)を調べてみようかな。
漢詩・漢文は、高校時代の授業が最後で素養もないにもかかわらず、今回受講した目的は、先日ブログに記した通り、イ・ソンヒの歌「分かりたいです(알고싶어요)」に付された漢詩について知りたいからだ。
(この漢詩の由来は承知のうえで・・・)
さて、地元公民館の教室は、多数の聴講者が集まり埋まっていた。講師は、入門書「MY古典 陶淵明のことば」(斯文会)をテキストに同著者の田部井文雄氏が解説された。(以下同書より)
初回講義は、「帰りなんいざ、田園 将(まさ)にあれなんとす・・・」で有名な「帰去来の辞」だ。詩四段の書き下し文、語句について順に解釈された。陶淵明が職を辞して帰郷するという意気盛んなイメージがあったが、人生の有限を嘆じていることまで含まれていたとは知らなかった(忘れていた)。
すなわち、「已(や)んぬるかな/形を宇内(うだい)に寓すること復た幾時ぞ」(ああ、もう終わりなのだなあ/この身をこの世に生き続けさせるのも、これからどれほどの間のことであろうか。)とうたいながらも最後に、天命にまかせて疑いを持たず生きようとする。けれど・・・。
それはそうと、これからイ・ソンヒの「分かりたいです」の漢詩(蕭寥月夜思何事 ~)を調べてみようかな。
2012年10月31日水曜日
サンフランシスコに行くなら夏がよい
本屋に行けば、来年のカレンダー、手帳、年賀状のソフトCD付ムックがずらりと並んでいるし、スーパーなどでは、おせち料理の予約が始まっている。押せ押せムードで、消費を押しまくっている。
今日はハロウィン(祭り)で、舶来品の臭いがして少々異論があるが若者たちの馬鹿騒ぎならともかく、先日多摩センター駅前で若い親たちが子どもに揃って魔法使いの衣装を着させているのを見たとき、力が抜けてしまった。まだ風習になっていないだろうに、その気持ち超早くない?
ところで、健康体操教室の若き指導者が、イタリアのベネチアに旅したばかりなのに、今度はサンフランシスコに行きたいなどと、楽しいことを言っている・・・元気な人はいいねえ。
そのむかし、フラワー・チャイルドなどといったヒッピーの住む街、サンフランシスコに行くのなら、こんな歌はどうだろうか。スコット・マッケンジー(Scott McKenzie、1939年1月10日~2012年8月18日)の「花のサンフランシスコ(San Francisco)」(1967年)が懐かしい。(・・・財津和夫の声質を思い出す)
まだ若者たちが異議申し立てできた(していた)時代の歌だ。当時、日本の大学構内では、ジーンズを穿いているかどうかで、思想信条の違いまで色分けされたときがあった。
(Yooutubeに登録のtimasnewに感謝)
今日はハロウィン(祭り)で、舶来品の臭いがして少々異論があるが若者たちの馬鹿騒ぎならともかく、先日多摩センター駅前で若い親たちが子どもに揃って魔法使いの衣装を着させているのを見たとき、力が抜けてしまった。まだ風習になっていないだろうに、その気持ち超早くない?
ところで、健康体操教室の若き指導者が、イタリアのベネチアに旅したばかりなのに、今度はサンフランシスコに行きたいなどと、楽しいことを言っている・・・元気な人はいいねえ。
そのむかし、フラワー・チャイルドなどといったヒッピーの住む街、サンフランシスコに行くのなら、こんな歌はどうだろうか。スコット・マッケンジー(Scott McKenzie、1939年1月10日~2012年8月18日)の「花のサンフランシスコ(San Francisco)」(1967年)が懐かしい。(・・・財津和夫の声質を思い出す)
まだ若者たちが異議申し立てできた(していた)時代の歌だ。当時、日本の大学構内では、ジーンズを穿いているかどうかで、思想信条の違いまで色分けされたときがあった。
(Yooutubeに登録のtimasnewに感謝)
2012年10月30日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 バイナログ
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/24)に、人物シリーズ51回目として、若手フュージョン国楽グループの先頭に立って活動しているグループの「バイナログ(vinalog、바이날로그)」を紹介した。
解説の岸さんの熱い語りが、とても印象的でした。若いひとはそうなんだろうな。
まず、「フュージョン国楽」の解説から始まった。
・芸術家にとって、伝統は引き継ぐだけでなく、その枠を超えて時代の変化を取り入れ、自らの個性をも表現したとき、ようやくその価値を見出すといわれる。
・昔、歌い手は他人の歌を真似て歌うことを「写真歌(사진소리)」といって嫌った。伝統を背景に目まぐるしく変化する現代、「フュージョン国楽」という国楽発祥のフュージョンがあって、大衆に合う音楽を作ろうと活動する音楽家たちがいる。活躍するグループに「バイナログ」がいる。
▼バイナログによる「chicken run」を聴く。・・・ケーナ(Quena)に似て明るく、まさにワールドミュージックの響きだ。
次のようにバイナログのプロフィールが紹介された。
・バイナログの名は、レコード盤を表す「バイナル(vinyl、米俗)」と「アナログ(analog、米)」を合わせた、豊で温かい質感のある音を追求する意を込めている。
・メンバーは、打楽器と歌、管楽器のソグムとタンソなど、作曲とピアノ、そしてギターを担当する4人である。
・2003(2004?)年 結成。感覚的なメロディーとリズムで、若い世代を中心に大きな反響が寄せられた。
▼バイナログによる「君と僕(영나영)」を聴く。・・・これも、ワールドミュージックというんだろうね。
・2012年9月 全州の音楽祭でフュージョン国楽グループがパフォーマンスを競い大賞を受賞。
▼バイナログによる「Land of Morning Calm」(朝鮮?)を聴く。これは地の香りがする・・・いいよ。
解説の岸さんの熱い語りが、とても印象的でした。若いひとはそうなんだろうな。
まず、「フュージョン国楽」の解説から始まった。
・芸術家にとって、伝統は引き継ぐだけでなく、その枠を超えて時代の変化を取り入れ、自らの個性をも表現したとき、ようやくその価値を見出すといわれる。
・昔、歌い手は他人の歌を真似て歌うことを「写真歌(사진소리)」といって嫌った。伝統を背景に目まぐるしく変化する現代、「フュージョン国楽」という国楽発祥のフュージョンがあって、大衆に合う音楽を作ろうと活動する音楽家たちがいる。活躍するグループに「バイナログ」がいる。
▼バイナログによる「chicken run」を聴く。・・・ケーナ(Quena)に似て明るく、まさにワールドミュージックの響きだ。
次のようにバイナログのプロフィールが紹介された。
・バイナログの名は、レコード盤を表す「バイナル(vinyl、米俗)」と「アナログ(analog、米)」を合わせた、豊で温かい質感のある音を追求する意を込めている。
・メンバーは、打楽器と歌、管楽器のソグムとタンソなど、作曲とピアノ、そしてギターを担当する4人である。
・2003(2004?)年 結成。感覚的なメロディーとリズムで、若い世代を中心に大きな反響が寄せられた。
▼バイナログによる「君と僕(영나영)」を聴く。・・・これも、ワールドミュージックというんだろうね。
・2012年9月 全州の音楽祭でフュージョン国楽グループがパフォーマンスを競い大賞を受賞。
▼バイナログによる「Land of Morning Calm」(朝鮮?)を聴く。これは地の香りがする・・・いいよ。
2012年10月29日月曜日
イ・ソンヒの「冬哀傷」
冬の夜中、熱々のインスタントラーメンがうまくなる。できあがるのに3分間というけれど、茹でたりして調理すれば5、6分間はかかるだろう。そんな短時間に友人が作った歌詞を受けて後、作曲家が作り上げたのが、何とイ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(歌詞、1989年、5集:作詞キム・ヨイル(김요일)、作曲ソン・シヒョン(송시현))だ。
冬の夜、青い月の光を受けて、凍える心・・・イ・ソンヒの澄んだ声が冷たい冬の空気に共鳴するようだ。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面"、"アルバム紹介:イ・ソンヒ 4集+5集(All That Masterpiece)")
(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)
冬の夜、青い月の光を受けて、凍える心・・・イ・ソンヒの澄んだ声が冷たい冬の空気に共鳴するようだ。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面"、"アルバム紹介:イ・ソンヒ 4集+5集(All That Masterpiece)")
(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)
2012年10月28日日曜日
勾玉作り
小雨降るなか、午前・午後の半日をかけて、多摩センターにある「東京都埋蔵文化財センター」の見学会に行く。主催は、地元小金井公園に併設の「江戸東京たてもの園」(友の会)である。ちなみに、同園で開催中の「武蔵野の歴史と考古学展」は同センターと連携している。
今回、センターの収蔵庫をのぞいたり、勾玉作りをしたり貴重な経験をさせていただき、関係者に感謝です。
午前は、最初にDVD(フジテレビの放送映像)による、縄文時代のクッキー(パン)作りの紹介を見る。マテバシイ(ブナ科の常緑高木)のドングリの実を使ったもので、手近な材料であらためて真似したくなる。縄文の食事は、温暖化による広葉樹林のおかげである。
同センターは、本年度の企画展示として、「縄文人の食事」をテーマに縄文時代の人々の食生活を紹介している。多摩センター地域は内陸地のため、縄文人の食材はもっぱら木の実、獣、川魚などが中心で、海産物を食べた痕跡はないそうだ。
次に、展示室と遺跡庭園の竪穴住居(再現)を巡る。展示室の縄文土器が新しくなるとともに大きくなることについて、貯蔵が目的だったのではという解説があった。時代とともに、食料の生産力も上がってきたことがうかがえる。遺跡庭園で驚いたのは竪穴住居が、内部で火を焚くと意外に暖かいのだ・・・とはいえ、室内は暗く、煙通しが天井にあるが、さぞ煙たかったことだろう。この生活を、私たち先祖は生まれてから死ぬまで何代と過ごしたことになる。
庭園は、北側に川を望む丘地にあり、崖下に湧水を得られる、実際に縄文人たちが生活した場所である。
縄文時代(前13000年~前2400年頃)は、集落の規模も小さく、互いに争いをした形跡は残されていない平和な時代だったようだ。残念ながら、当時の子どもたちの世界を垣間見ることのできる遺物(たとえば玩具のようなもの)は、まだ発見されていないようだ。
午後は、勾玉作りだ。実は参加者に子どもたちが多ければ席を譲ろうと思っていたが、真反対の世代ばかりのため、安心して製作に励む。勾玉の石材といえば、糸魚川の翡翠を思うけれど、今回は超柔らかい硬度1の滑石(チョークの材料)を使って指導を受けた。結果は左写真の通り・・・まんざらでもない。
直方体の滑石の石片に、勾玉の図柄を描き、砥石で削り取ることから始まる。順次、鉄ヤスリ、サンドペーパー、水ペーパーなどを使って整形する。ところで、指導の方から、感熱型のレシートはさらに細かい仕上げに使える・・・とのことで使ってみれば、なるほど艶がでてきたから驚き。
今回、センターの収蔵庫をのぞいたり、勾玉作りをしたり貴重な経験をさせていただき、関係者に感謝です。
午前は、最初にDVD(フジテレビの放送映像)による、縄文時代のクッキー(パン)作りの紹介を見る。マテバシイ(ブナ科の常緑高木)のドングリの実を使ったもので、手近な材料であらためて真似したくなる。縄文の食事は、温暖化による広葉樹林のおかげである。
同センターは、本年度の企画展示として、「縄文人の食事」をテーマに縄文時代の人々の食生活を紹介している。多摩センター地域は内陸地のため、縄文人の食材はもっぱら木の実、獣、川魚などが中心で、海産物を食べた痕跡はないそうだ。
次に、展示室と遺跡庭園の竪穴住居(再現)を巡る。展示室の縄文土器が新しくなるとともに大きくなることについて、貯蔵が目的だったのではという解説があった。時代とともに、食料の生産力も上がってきたことがうかがえる。遺跡庭園で驚いたのは竪穴住居が、内部で火を焚くと意外に暖かいのだ・・・とはいえ、室内は暗く、煙通しが天井にあるが、さぞ煙たかったことだろう。この生活を、私たち先祖は生まれてから死ぬまで何代と過ごしたことになる。
庭園は、北側に川を望む丘地にあり、崖下に湧水を得られる、実際に縄文人たちが生活した場所である。
縄文時代(前13000年~前2400年頃)は、集落の規模も小さく、互いに争いをした形跡は残されていない平和な時代だったようだ。残念ながら、当時の子どもたちの世界を垣間見ることのできる遺物(たとえば玩具のようなもの)は、まだ発見されていないようだ。
午後は、勾玉作りだ。実は参加者に子どもたちが多ければ席を譲ろうと思っていたが、真反対の世代ばかりのため、安心して製作に励む。勾玉の石材といえば、糸魚川の翡翠を思うけれど、今回は超柔らかい硬度1の滑石(チョークの材料)を使って指導を受けた。結果は左写真の通り・・・まんざらでもない。直方体の滑石の石片に、勾玉の図柄を描き、砥石で削り取ることから始まる。順次、鉄ヤスリ、サンドペーパー、水ペーパーなどを使って整形する。ところで、指導の方から、感熱型のレシートはさらに細かい仕上げに使える・・・とのことで使ってみれば、なるほど艶がでてきたから驚き。
2012年10月27日土曜日
パスワード設定
「パスワード設定に気を付けて」といわれて久しいけれど、いまだに安直なものが多いそうだ。
IPA(情報処理推進機構)の「1.4.1 類推しやすいパスワード例」を次のように例示している・・・一度はやらかしたことがあるものばかりだ。
・ユーザ名と同一
・姓名または姓名の片方(yamadaやtaro)
・ユーザ名に数字を加えたもの(yamada01)
・製品名や商標名(WindowsやUNIX)
・名詞(bookやpencil)
・地名(tokyo)
・組織の略語(ipa)
・規則のある数字や英字(777やabcde)
・キーボードの配列(qwert)
ところで、中央日報の記事「米国 '今年最悪のパスワード'...'password'」(10/27、連合)は、パスワード設定について孫・孫引きで話題を報じている・・・こちらの方が、よりリアリティがある。
・'password'、'123456'、'12345678'、'abc123'、'qwerty'・・・
・パスワード管理アプリケーション「スプラッシュ・データ(Splash Data)」が選定した、今年の"最悪のパスワード"リストだ。
・26日(現地時間)CNNインターネット版によると、スプラッシュデータは、ハッカーがオンラインサイトで盗み出して公開したパスワードを集計して「最悪のパスワード」を選定した。
・特に 'password'、'123456 'と'12345678'は、昨年にも最悪のパスワードに選ばれた。
・'monkey'、'letmein'、'dragon'、'111111'、'baseball'なども10位圏内に入った。
・このほか、 'iloveyou’、'welcome'、'123123 '、'jesus'、'password1'なども25位内に選ばれた。
くわばら、くわばら・・・である。
IPA(情報処理推進機構)の「1.4.1 類推しやすいパスワード例」を次のように例示している・・・一度はやらかしたことがあるものばかりだ。
・ユーザ名と同一
・姓名または姓名の片方(yamadaやtaro)
・ユーザ名に数字を加えたもの(yamada01)
・製品名や商標名(WindowsやUNIX)
・名詞(bookやpencil)
・地名(tokyo)
・組織の略語(ipa)
・規則のある数字や英字(777やabcde)
・キーボードの配列(qwert)
ところで、中央日報の記事「米国 '今年最悪のパスワード'...'password'」(10/27、連合)は、パスワード設定について孫・孫引きで話題を報じている・・・こちらの方が、よりリアリティがある。
・'password'、'123456'、'12345678'、'abc123'、'qwerty'・・・
・パスワード管理アプリケーション「スプラッシュ・データ(Splash Data)」が選定した、今年の"最悪のパスワード"リストだ。
・26日(現地時間)CNNインターネット版によると、スプラッシュデータは、ハッカーがオンラインサイトで盗み出して公開したパスワードを集計して「最悪のパスワード」を選定した。
・特に 'password'、'123456 'と'12345678'は、昨年にも最悪のパスワードに選ばれた。
・'monkey'、'letmein'、'dragon'、'111111'、'baseball'なども10位圏内に入った。
・このほか、 'iloveyou’、'welcome'、'123123 '、'jesus'、'password1'なども25位内に選ばれた。
くわばら、くわばら・・・である。
2012年10月26日金曜日
イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」
ひとは夏の終わりに過ぎ去った物語に気付き、葉の落ちる秋にようやく思い出のページをめくるようになる。
イ・ソンヒは、2003年のインタビューの中で、自身の曲から40代が記憶する「Jへ」(1984年)と、30代が(記憶する)「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)を最も印象的な歌に選んだという。後者はファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという説明を付け加えたそうだ。
この「思い出のページをめくれば」こそ、彼女の音楽家として大きな変曲点となった作品である。
(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")
(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)
イ・ソンヒは、2003年のインタビューの中で、自身の曲から40代が記憶する「Jへ」(1984年)と、30代が(記憶する)「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)を最も印象的な歌に選んだという。後者はファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという説明を付け加えたそうだ。
この「思い出のページをめくれば」こそ、彼女の音楽家として大きな変曲点となった作品である。
(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")
(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)
2012年10月25日木曜日
ハロウィンのイメージ
ハロウィンを知ったのは、だいぶたってのこと。高校時代に、レイ・ブラッドベリ好きがいて、作品を紹介されたのがきっかけだ。
最初に読んだ、ブラッドベリの短編集「10月はたそがれの国」(創元SF文庫)の表紙に、ジョーセフ・ムグナーニ(Joseph Mugnaini)による、捻じ曲げられたように古びた陰気な家屋が描かれていたのを記憶している。ファンタジー・マニア好みのイラストである。
ブラッドベリの作品に、ハロウィンを題材にした物語がいくつもあるが、そこには邪悪なものが漂うマジカルな印象が共通する。見えないものが見えてしまう子どもたちの恐れをハロウィンは抱えている。ハロウィンの夜、だが重く塗り込められた暗闇に対する子どもたちの視点をブラッドベリは忘れていない。
そんな印象があってか、今流行の「ハロウィン」にはちょっと違って、若者たちのお祭りのようなものを感じる。ファッション・ショーなどのイベントで、「ハロウィン」舞台に立つ子役たちが怪しい衣装を着ても、実際ご近所を夜な夜な菓子もらいに巡る彼らと会うことはないだろうし・・・今のところ。
闇にうごめく邪悪なものを感じさせないハロウィンは、子どもたちの心に残るだろうか。
(本ブログ関連:”ハロウィン”)
最初に読んだ、ブラッドベリの短編集「10月はたそがれの国」(創元SF文庫)の表紙に、ジョーセフ・ムグナーニ(Joseph Mugnaini)による、捻じ曲げられたように古びた陰気な家屋が描かれていたのを記憶している。ファンタジー・マニア好みのイラストである。
ブラッドベリの作品に、ハロウィンを題材にした物語がいくつもあるが、そこには邪悪なものが漂うマジカルな印象が共通する。見えないものが見えてしまう子どもたちの恐れをハロウィンは抱えている。ハロウィンの夜、だが重く塗り込められた暗闇に対する子どもたちの視点をブラッドベリは忘れていない。
そんな印象があってか、今流行の「ハロウィン」にはちょっと違って、若者たちのお祭りのようなものを感じる。ファッション・ショーなどのイベントで、「ハロウィン」舞台に立つ子役たちが怪しい衣装を着ても、実際ご近所を夜な夜な菓子もらいに巡る彼らと会うことはないだろうし・・・今のところ。
闇にうごめく邪悪なものを感じさせないハロウィンは、子どもたちの心に残るだろうか。
(本ブログ関連:”ハロウィン”)
2012年10月24日水曜日
(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ
Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)に、イ・ソンヒのデビュー(1984年)から2000年に至るアーティスト(音楽家)としての変遷を、1990年代の変換に焦点をあて相当辛口ながら次のように記している。感謝。
(1980年代)
・イ・ソンヒといえば、常に少年のような顔とズボンだけに固執する特有の衣装スタイル、小さな体躯にもかかわらず客席の規模を問わず聴衆を圧倒させるすっきりした歌唱力などが思い浮かぶ。これは、ほとんど1980年代に確立され、今日まで続いているものである。俗に言うイ・ソンヒの黄金時代も1980年代に集中している。
1984年、第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を受賞し、彗星のように登場したイ・ソンヒは、文字通り時代を代表するに不足ない活動を示した。特にヒット・ソングを量産して送り出す能力だけ見れば、同時代にイ・ソンヒより優位を占めることができる名前はほとんどない。いちいち羅列するのが難しい(音楽)チャートの成績や受賞歴がこれを代弁する。その中のいくつかは単発のヒットにとどまらず、時間と世代を超えた国民歌謡の位相さえ獲得した。
大衆にはじめてイ・ソンヒを刻印させた「Jへ」が代表的だ。「あ! 昔よ」と「ヨン」、「私はいつもあなたを」なども美しい曲だ。TVアニメ「走れハニー」の主題歌も欠かすことができない。真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った。
今でこそ「美しい江山」を聞いて、果たしてこれが原作者の意図を十分に反映した再解釈か疑問を持つが、当時国民学校低学年子供の胸まで食い込んだ痛快さを、熱心でなかった感情で片付けたくない。思い出をちょっと美化したいのに、窮屈にしてるんじゃないではないかと?
(1990年代)
・2000年代を生きていくということがちょっとうんざりされる頃、1990年代の音楽は豊かさに満ちていた時代の産物と格上げされた。しかし、1990年代に全盛期を享受した音楽家たちの大部分は、2000年代に入ってネームバリューのみ残しただけで、実質的に影響力を行使できなかった。
イ・ソンヒには1990年代がそれにあたる。1990年代がとうてい理解できないラップとダンス音楽であふれるロマンも何もない時代と呼ばれた時、イ・ソンヒは1980年代に全盛期を送った昔の人というだけだった。発表するに従い、誰でも歌える流行歌で作った1980年代のイ・ソンヒは最早存在していなかった。
しかし1990年代は、イ・ソンヒが最も意欲的に正規アルバムを作業していた時期でもある。当時、発表された結果を見れば、いかなる意味では1980年代よりさらに興味深い内奥がある。事実イ・ソンヒが1980年代に発表したアルバムは、流行歌の歌集としては優秀かも知れないが作品としての満足感はとても低い方だ。しかし1990年代のアルバムは、作品単位で何か残そうとする意志が強くうかがえる。例えば、本格的に国楽を試みた「小船(조각배)」(1992年、8集)と、はじめて自作曲で満たした「First Love」(1996年、10集)、はじめて1990年代(音楽)語法を受け入れ始めた「Dream of Ruby」(1998年、11集)などは、以前と差別される内容で面白味を与えた。微弱なチャート成績により大きく注目をあびられなかったが、イ・ソンヒそれなりに、絶えず新しさを追求して変化を模索したのだ。 これはボーカリストを越えた音楽家としての可能性である。
(1990年代から2000年代へ)
・もちろん、そのような試みが完全に優れた結果を残したわけではない。「小船」での国楽の導入はボーカリストとしての地位が再確認させてくれただけで継続的な成果につながれなかったし、「First Love」は、唱法の変化と多様なジャンルの選択(権)を提示したが、開始段階以上ではなかった。メガネをはずし撮ったジャケット写真が印象的な「Dream of Ruby」は、1990年代に流行した作法とラップを導入するなど、視覚的な部分で予告されたように、非常に破格的な変身を込めたがあまり似合わなかった。
1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。
(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")
しかし、イ・ソンヒが1990年代に果敢に試みていた、残りの方法論が無意味に終わったわけではない。 これは、イ・ソンヒが再び成長する過程であった2000年代を準備する心強い足場となった。出発はやや揺れた。2000年代に入ってはじめて発表した「My Life + Best」(2001年、12集)は、「Dream of Ruby」の延長でユ・ヨンソクとパク・チニョンなどの曲を受けゴスペル的な要素とアフリカのリズムを取り入れたいくつかの試みはユニークたが、アルバムを主導した催涙性(感傷的な)バラードとの出会いは確かにぎこちなかった。
(2000年代)
結実が現れたのは「四春期(사춘기)」(2005年、13集)だ。 「First Love」から久し振りに自作曲で満たした「四春期」は、1990年代に試みとしてとどまっていた部分が最終的に自分の枠組みの中で成果を収めたことを証明する結果である。結局、整理と補完だ。
「因縁(縁)」から漂う東洋的な色彩は、国楽に没頭した「小船」時期を連想させるアプローチの違いを見せ、(さらに)「なぜ?」という初期から試みたロック的な要素をもっとモダンに整えた曲だ。「First Love」が、他人の曲を受けたときよりも、直接曲を書いたときに魅力的にアピールすることができるかも知れないという余地を残したアルバムだったとしたら、「四春期」は、これを実現させたという点で意味を付与することができる。「ひまわり」と 「あなたの街」が収録された(現在の最新アルバムである)「愛よ...(사랑아...)」(2009年、14集)では、安定圏に入った作法とは別に依然として新しいスタイルに対する好奇心が感じられる。歌の感情線もさらに深まった。
(これから)
・イ・ソンヒを言うとき、高音と声量を根拠に、1980年代から今日まで何の変化なしに一貫した歩みを繰り返した歌手と規定することは適切ではない。特定の結果の達成に代弁されていないため、アルバム単位のアクセスを基本とする評価対象には退屈だが、流行歌をはき出した1980年代はもちろん、様々な変化を模索していた1990年代、試行に伴う結実を収めた2000年代、どの時代を振り返ってみても歌手らしい歌手として残るための努力を怠らなかった時がない。他人の歌で歌手としての能力の検証を受けることも重要だが、私にはイ・ソンヒの道がより貴重にせまる。
(1980年代)
・イ・ソンヒといえば、常に少年のような顔とズボンだけに固執する特有の衣装スタイル、小さな体躯にもかかわらず客席の規模を問わず聴衆を圧倒させるすっきりした歌唱力などが思い浮かぶ。これは、ほとんど1980年代に確立され、今日まで続いているものである。俗に言うイ・ソンヒの黄金時代も1980年代に集中している。
1984年、第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を受賞し、彗星のように登場したイ・ソンヒは、文字通り時代を代表するに不足ない活動を示した。特にヒット・ソングを量産して送り出す能力だけ見れば、同時代にイ・ソンヒより優位を占めることができる名前はほとんどない。いちいち羅列するのが難しい(音楽)チャートの成績や受賞歴がこれを代弁する。その中のいくつかは単発のヒットにとどまらず、時間と世代を超えた国民歌謡の位相さえ獲得した。
大衆にはじめてイ・ソンヒを刻印させた「Jへ」が代表的だ。「あ! 昔よ」と「ヨン」、「私はいつもあなたを」なども美しい曲だ。TVアニメ「走れハニー」の主題歌も欠かすことができない。真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った。
今でこそ「美しい江山」を聞いて、果たしてこれが原作者の意図を十分に反映した再解釈か疑問を持つが、当時国民学校低学年子供の胸まで食い込んだ痛快さを、熱心でなかった感情で片付けたくない。思い出をちょっと美化したいのに、窮屈にしてるんじゃないではないかと?
(1990年代)
・2000年代を生きていくということがちょっとうんざりされる頃、1990年代の音楽は豊かさに満ちていた時代の産物と格上げされた。しかし、1990年代に全盛期を享受した音楽家たちの大部分は、2000年代に入ってネームバリューのみ残しただけで、実質的に影響力を行使できなかった。
イ・ソンヒには1990年代がそれにあたる。1990年代がとうてい理解できないラップとダンス音楽であふれるロマンも何もない時代と呼ばれた時、イ・ソンヒは1980年代に全盛期を送った昔の人というだけだった。発表するに従い、誰でも歌える流行歌で作った1980年代のイ・ソンヒは最早存在していなかった。
しかし1990年代は、イ・ソンヒが最も意欲的に正規アルバムを作業していた時期でもある。当時、発表された結果を見れば、いかなる意味では1980年代よりさらに興味深い内奥がある。事実イ・ソンヒが1980年代に発表したアルバムは、流行歌の歌集としては優秀かも知れないが作品としての満足感はとても低い方だ。しかし1990年代のアルバムは、作品単位で何か残そうとする意志が強くうかがえる。例えば、本格的に国楽を試みた「小船(조각배)」(1992年、8集)と、はじめて自作曲で満たした「First Love」(1996年、10集)、はじめて1990年代(音楽)語法を受け入れ始めた「Dream of Ruby」(1998年、11集)などは、以前と差別される内容で面白味を与えた。微弱なチャート成績により大きく注目をあびられなかったが、イ・ソンヒそれなりに、絶えず新しさを追求して変化を模索したのだ。 これはボーカリストを越えた音楽家としての可能性である。
(1990年代から2000年代へ)
・もちろん、そのような試みが完全に優れた結果を残したわけではない。「小船」での国楽の導入はボーカリストとしての地位が再確認させてくれただけで継続的な成果につながれなかったし、「First Love」は、唱法の変化と多様なジャンルの選択(権)を提示したが、開始段階以上ではなかった。メガネをはずし撮ったジャケット写真が印象的な「Dream of Ruby」は、1990年代に流行した作法とラップを導入するなど、視覚的な部分で予告されたように、非常に破格的な変身を込めたがあまり似合わなかった。
1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。
(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")
しかし、イ・ソンヒが1990年代に果敢に試みていた、残りの方法論が無意味に終わったわけではない。 これは、イ・ソンヒが再び成長する過程であった2000年代を準備する心強い足場となった。出発はやや揺れた。2000年代に入ってはじめて発表した「My Life + Best」(2001年、12集)は、「Dream of Ruby」の延長でユ・ヨンソクとパク・チニョンなどの曲を受けゴスペル的な要素とアフリカのリズムを取り入れたいくつかの試みはユニークたが、アルバムを主導した催涙性(感傷的な)バラードとの出会いは確かにぎこちなかった。
(2000年代)
結実が現れたのは「四春期(사춘기)」(2005年、13集)だ。 「First Love」から久し振りに自作曲で満たした「四春期」は、1990年代に試みとしてとどまっていた部分が最終的に自分の枠組みの中で成果を収めたことを証明する結果である。結局、整理と補完だ。
「因縁(縁)」から漂う東洋的な色彩は、国楽に没頭した「小船」時期を連想させるアプローチの違いを見せ、(さらに)「なぜ?」という初期から試みたロック的な要素をもっとモダンに整えた曲だ。「First Love」が、他人の曲を受けたときよりも、直接曲を書いたときに魅力的にアピールすることができるかも知れないという余地を残したアルバムだったとしたら、「四春期」は、これを実現させたという点で意味を付与することができる。「ひまわり」と 「あなたの街」が収録された(現在の最新アルバムである)「愛よ...(사랑아...)」(2009年、14集)では、安定圏に入った作法とは別に依然として新しいスタイルに対する好奇心が感じられる。歌の感情線もさらに深まった。
(これから)
・イ・ソンヒを言うとき、高音と声量を根拠に、1980年代から今日まで何の変化なしに一貫した歩みを繰り返した歌手と規定することは適切ではない。特定の結果の達成に代弁されていないため、アルバム単位のアクセスを基本とする評価対象には退屈だが、流行歌をはき出した1980年代はもちろん、様々な変化を模索していた1990年代、試行に伴う結実を収めた2000年代、どの時代を振り返ってみても歌手らしい歌手として残るための努力を怠らなかった時がない。他人の歌で歌手としての能力の検証を受けることも重要だが、私にはイ・ソンヒの道がより貴重にせまる。
登録:
投稿 (Atom)
