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2012年4月18日水曜日

イ・ソンヒの「Because Of You」

イ・ソンヒのアルバム12集CD「MY LIFE」(2001年)は入手困難だが、韓国のTwitter に奇跡のように求めたと喜びを記されたものがあって本当にうらやましい。
このアルバムに収録の「Because Of You」(作詞・作曲ユ・ヨンソク)は、悲しみの深さを歌っているのに、彼女の抑制した歌声とバックコーラスが重なり繰り返されるうちに、旋律の美しさが抜きんでて印象に残る不思議な曲だ。

-- 残念ながら現在、Youtubeに登録の「Because Of You」の映像は削除されている --

2012年4月17日火曜日

雨上がりの夜の公園

夜桜気分も終わったこの時期、雨上がりの夜の公園を利用する人はいない。韓国語教室の帰り、自動車がときたま走る道に併行した公園の小道を、街燈の灯りを頼りに進むと何かが香る。雨に濡れた地面の枯松葉が、辺りに香りを漂わせていたのだ。

ひんやりした空気に、松脂様の独特の香りがして、なぜか緑陰の夏の高原を思い出した。春の暗闇と夏の緑の世界が、この香りで一瞬でつながった。公園の夜道が自然に穏やかになった気がした。ほんの僅かな時間であるが香りを楽しんだ。
そういえば、山深く歩く「森林浴」という言葉があったことを思い出した。

陸橋を渡ればすぐに、公園の端に着く。また人家のつづく街に戻る。

2012年4月16日月曜日

神野美伽の「夜桜善哉」

桜の花びらが散って、界隈の景色は先をいそいでいる。満開の桜花の艶やかな光景などなかったかのようだ。自然の移ろいに、眺める方が追いつかない。時間の過ぎ去りをますます早く感じるようになった。

今年は、夜桜見物をしなかった。体調不良の身には、この花冷えが出歩くことを億劫にさせた。

せめて、春の夜のほんわりしたひと時を感じたくて、神野美伽の「夜桜善哉」(歌詞)を聴いてみよう。夜桜がほどよい舞台装置になって、そうそう与謝野晶子の歌にありましたね。

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みな美しき

・・・なんちゃって。

2012年4月15日日曜日

新鉱物の発見

子どもたちが成りたいものに、まぶしいほどのヒーロー、プロ野球選手がいる。もしかしたら夢の中で見た、グラウンド上のあの絶妙なプレーが現実になるかもしれないと、また夢を見る。やがて、子どもたちは夢を見なくなる。

今日、四谷で開かれた鉱物の会に出かけた。なのに体調が思わしくない。長引いた風邪は沈静化したものの今月いっぱい用心と思っていたところ、一昨日から腹をくだしているのだ。会場までの中央線車中、フラフラしているのに気付く。

鉱物の会では、総会および例会の後に、関西の若手研究者による「新鉱物発見の実際」というテーマで、国内で発見した2種の新鉱物を事例に講演があった。
図解や写真を多用して、新鉱物であることについて分かりやすく語られた。さらに、発見した鉱物の化学組成や結晶構造などをいろいろな観点で分析するための装置も紹介された・・・、何だかその気にさせていただいたのがうれしい。
新鉱物発見の夢は、子どもがプロ野球選手になる夢を見るようなものなんだろうな、実現するのは大変なことだ。

今回の集まりに、小学生の子どもを連れた親子が数組参加されていた。この子どもたちの中から、つぎの新鉱物発見者が生まれることを楽しみにしたい。彼らは鉱物の会の宝物だ。

(追記)
新鉱物の発見場所って、日曜ミネラルハンターお決まりの採集場所である「ズリ」でもいいのかなあと気になって、隣席の筑波の研究者にうかがったところ、「ダメ」との回答。講演事例の通り、採集場所は坑内、つまり確定した場所、産状でなければならない。いやあ、ズリでとんでもない夢を見るところだった

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

イ・ソンヒのアルバム10集「First Love」(1996年)所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때 )」(作詞・作曲イ・ソンヒ)は、彼女がシンガーソングライターとして、本格的に自身の作品を発表した最初ものである。
想い出を美しく情熱的に歌う、この曲をYoutubeで聴いてみよう。(登録のKnightmareSMに感謝)

作品発表について、アジア経済紙と彼女のロングインタビュー「イ・ソンヒ『まだ自分自身について分かりたいです』-2」(2011/6/16)で、次のように述べている。
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実は、私は最初のアルバムから、いつも曲を書いていたけれど、当時、シンガーソングライターという概念がそれほど良く考えられないし、女性が曲を書くといえば、評価がそんなに豊かでない時期で、「私も曲を書いたが、入れてみたい」というと、いろいろな理由で反対されて。
私の曲をのせてもよくなったのは、「ライラックが散るとき」(10集)の時からです。私が作った曲をやってもよいだろうと思ったし、少しずつ比重を増やしました。そうするうちに「因縁(인연)」を発表して、そのアルバムが予想外にうまくいって。
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(本ブログ関連:"ライラック")

2012年4月14日土曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 コムンゴファクトリー

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、今週水曜日(4/11)に、人物シリーズ23回目として初めてのグループである、「2006年、20代の若いメンバーで結成されたコムンゴファクトリー(거문고 팩토리、Geomungo Factory)」を紹介した。

まず、(伝統的)弦楽器コムンゴ거문고、「玄琴」表記あり)の復習・解説から始まった。
伽耶琴(カヤグム、가야금)とよく似た形をしているが、
- コムンゴは弦の数が伽耶琴の半分の6本
- 胴体の厚みは伽耶琴の二倍ほどで、ずっしりとした形状
- 伽耶琴に比べ、その音色は重く低い(伽耶琴は女性らしく、コムンゴは男性的ともいわれる)
・演奏方法も、弦を指で弾くのではなく、
- 《右手》に持った匙(スルテ、술대)という短い木の棒でで叩いたり、すくったりして音を出す。
- 《左手》では弦を(胴体の上に置く16個の木の板)フレット(fret)である固定の「クェ(괘)」の上で押したり揺さぶったりしていろいろな表現をする。
・コムンゴは、テンポが速く、変化の激しい曲を演奏するのは難しいとされ、現代創作音楽では除外されることが多かった。

▼コムンゴファクトリーによる「コムンゴ&タンゴ」を聴く。むむむ、新しい楽器の登場といった方がよいような・・・これも、総合化・統合化の流れなのでしょうか。
Youtubeの「Geomungo&Tango」も参考にして。

次のようにコムンゴファクトリープロフィールが紹介された。
・2006年 20代の若い女性3人、男性1人でグループを結成。
・数々のバリエーションを持ったコムンゴ楽器を創作。・・・改良楽器を演奏することに対して、韓国でも賛否両論がある。

▼コムンゴファクトリーによる「自由な鳥へ(자유로운 새에게)」を聴く。演奏会の雰囲気を知りたいような、分かるような・・・。
Youtubeの「Fly to the Sky」も参考にして。

▼コムンゴファクトリーによる「ピョルクムジャ(별금자)」を聴く。月夜に星がきらめくような雰囲気で・・・。
Youtubeの「The Starry Night」も参考にして。

(Youtubeに登録のTheGeomungofactory、kindheartedgeomungoに感謝)


彼らの存在は、どれくらいの潮流というかムーブメントとなっているのでしょうか。解説の岸さんが「チャレンジ」という言葉で後押ししているのがわかります。時代を変えるのも創造するのも、結局若い人たちなんですからね。

2012年4月13日金曜日

ベサメ・ムーチョ

中学生の頃、精一杯大人の振りをしたくて冒険するものだ。ある街の駅の裏通りにあった薄暗い喫茶店に仲間と一緒に行って、すっかり緊張したが、翌日教室で自慢げに話したものだ。もちろん、それを聞く周りは、大きくうなづき感心していた。

アメリカのフォークソングを歌っても、歌詞の意味を深く考えなかった。まして、トリオロス・パンチョス(Trío los Panchos)の歌に至っては、旋律の美しさにひかれただけかもしれない。スペイン語の歌詞は、その内容よりも発音のしやすさに関心があった。
特に、トリオ・ロス・パンチョスの「ベサメ・ムーチョBésame mucho)」は、仲間と一緒に何度も歌った。

ところで、この「ベサメ・ムーチョ」の作詞者コンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez)が、16歳の少女で誕生日前に作ったと、Wikipediaで知った。作詞当時、彼女はキスをしたこともなかったという。そう、彼女も歌詞の中で精一杯大人になっていたのだろう。日本でこれを歌っていた、中学生の子どもたちも同様に。

(Youtubeに登録のgu7196に感謝)


(追記)
今日は、福島沖でM5以上の地震が何度も発生している。

2012年4月12日木曜日

ファンについて

思い違いがあるかもしれないが、記憶に浮ぶまま綴ってみる。随分以前、あるテレビ番組で、著名な日本人現役野球選手が、米国の敬愛する元バスケットボール選手を訪れた。TVカメラをはずして二人だけで談話したとき、野球選手は元バスケットボール選手から、ファンについてあるアドバイスを得たという。それは、慎重にして冷徹な、ファンの存在と関わりについての分析であった。

さて、イ・ソンヒはファンについてどう語っているのだろうか。
以前、アジア経済紙が彼女とロングインタビューをしたときの記事から抜き出してみよう。彼女は、冷静な自己分析と同時に、ファンについてそのあるところを次のように承知していた。

再掲
アジア経済「イ・ソンヒ『まだ自分自身について分かりたいです』-2」(2011/6/16)より
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(大衆性について)
・私が大衆的な人だと(笑い)、いつも宿題のように残っている部分です。大衆の心はいつも動きます。変わらないのは、容赦なくて、また冷たく評価しますから。

(大衆が願うことと、したいことのバランスについて)
・評価の前にいつも悩んでいる自分がいます。初めにハードロックをしたので、まだその精神が残っていて(笑い)。ところで、アルバムは作曲者がいて、その人の意図を充実しようとしますが、ライブの時は、本当にハードに歌います。その時そのように感じて、私がそのように生きてきた、ありのまま表現します。
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ファンにもお国柄があって一般化できないけれど、それでもファンは、ファンなりに自身を省みる必要があるでしょう。

2012年4月11日水曜日

【詩朗誦】 「私はイ・ソンヒに似ているんですって?」

曇天に、思い返したように小雨がパラつき、追い討ちをかけるように風が吹く。おかげで、桜の花びらを辺りに散らし、濡れたアスファルトの路面に張り付かせる。春雨の無粋な仕業だ。

今朝、病院で風邪の回復のお墨付きをいただき、久し振りに地元公園にある健康運動センターの健康体操コースに出席する。病み上がりを考慮して、まずは体慣らしから。
そのコースへ通う道すがら、珍しい光景に出あった。春風が吹いてくる方向に桜の木が見えないのに、十字路に花吹雪が舞っていたのだ。まるで、お天気雨のような、そこだけ不思議な空間になっていた。

ところで、イ・ソンヒの詩「私はイ・ソンヒに似ているんですって?(내가 이선희를 닮았다구요?)」は、詩集「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈꿀 수 있다)」(1990年4月1日)に収められている。この詩集が出版された同年6月には、朗誦版のアルバムがリリースされる。

上記の詩は、25歳のイ・ソンヒの内省を物語っている。歌手として存在の意味と、行く末に対する不安が交錯する。彼女は音楽のために在るのか、ファンのために在るのか、いや自分のために在るのか・・・。
当時の彼女は、歌手として音楽活動において、数々の大賞を得ていたし、絶頂期でもあった。音楽評論家の冷徹な目でみると、実はこの1990年にリリースした、彼女の第6集アルバムがピークであり、変換点でもあったといえる。それを、彼女は予期していたのだろうか。(もちろん数々の試行の結果、現在の彼女が、揺るぎない大きな存在であることはいうまでもない。)

詩の最後は次のように結ばれている。

・・・・・・・・・・・

そうだ、私は、
イ・ソンヒに似たもので 、
イ・ソンヒではないかも知れない。
それなら、
イ・ソンヒは、どこに行ってしまったのだろうか。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの詩"、"イ・ソンヒの変換点")
(本ブログ関連:"「カンホンの歌手列伝」 イ・ソンヒ"、"イ・ソンヒの「分かりたいです」、そして漢詩")
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの詩「マックス・ミュラーの『ドイツ人の愛』を読んで」")
(本ブログ関連:"1986~2009韓国女性歌手の好感度")

(音源)
ブログ「AESTHETICA」で、(ドラマチックな音楽の流れる)この詩を聴くことができる。感謝。

2012年4月10日火曜日

満開の桜を探しに行く

東八道路を三鷹方面に見る
気分を変えて、今日は野川方面に満開の桜を探しに行く。

南北に走る西武多摩川線の新小金井駅と多磨駅の間に、武蔵野公園野川公園が東西に連なり、広い園内を国分寺崖線の斜面からの湧水を得た野川が流れている。その南側を、野川と並行して、写真のように東八道路が西武多摩川線を横切っている。

(本ブログ関連:"野川の桜"、"はけの道(小金井市)")

線路そばの陸橋から東八道路を三鷹方面に眺めると、切り通しのような両側が見事な桜並木になっている。この道路を走る自動車から、やや視覚が上になるが、美しい満開の桜にどれくらい気付くだろうか。

線路に沿って南下する。住宅街に囲まれてアメリカンスクールの横を通り更に進むと、東京外国語大学の広大な府中キャンパスが現れる。
春の陽射しを受けて、のんびり散歩を楽しんだ。帰り道、野川公園の桜が、少しずつ散り始めていた。

2012年4月9日月曜日

春のぬくもりにさそわれて

小金井公園の満開の桜
春のぬくもりにさそわれて、ふたたび小金井公園に行く。
4/6(金)~4/8(日)の3日間つづいた「桜まつり」は終わったものの、今日も公園の桜は満開で、平日とはいえ家族連れも含めて人の波は絶えない。

園内の「江戸東京たてもの園」前の広場を囲む桜の木立は、春の陽をうけて薄紅の白色の花をしっかりと咲かせ、眩しいほどだ。先日(4/6)たずねたときの人出と変わらない。いや、それ以上かもしれない。

かすかに咳きが残っていて多少不安があるものの、これくらい暖かいと、もう一度遠出してみるのもよい。晴れた広い空から降りそそぐ春の陽射しに満足した。今日の都心の気温は、23.5℃で、5月下旬並の気温だったそうだ。

(本ブログ関連:"桜まつり")

2012年4月8日日曜日

本当なら今日は石採りに

本当なら今日は石採りだった。栃木県の石仲間に加わって、日光市小百(こびゃく)にある大井沢鉱山に鉱物採集を予定していたのだ。(同会の今年最初の採集会になる!)

先日、お世話になっているXa氏から、出欠確認の電話があった。2月半ばに寝込んで以来長引いた風邪が不調だったため欠席とお願いした。ここ数日、回復の兆しがあるものの、遠出して山中に採集に行くまで自信がない。残念!。

同鉱山は、方鉛鉱、自然蒼鉛、輝蒼鉛鉱、閃亜鉛鉱、鉄重石、リリアン鉱、硫酸鉛鉱などが採れるという。
成果はいかがだろうか。

体力の完全回復まであと少しなのに・・・。

パティ・キムの引退

パティ・キム(74)が54年の歌手生活から引退すると、2/15に発表(リリース)した。
・・・完全に記事をスルーしていた。遅れての情報入手だが次に綴る。

中央日報の記事「“韓国歌謡界最高の歌姫” パティ・キム、54年の歌手生活に終止符」(2/15)によれば、韓国歌謡史で「初めて」が付く彼女の業績を次のように記している。
・1960年 NHKに出演。
・1962年 韓国初となるリサイタルコンサートを開く。
・1963年 米国進出し、米国地上波NBCの番組に8回に渡り出演。
・1978年 大衆歌謡1号として、世宗文化会館に入城(公演)。
・1989年 ニューヨークのカーネギーホール公演。

また、KBS WORLDによれば、ラストコンサート「GLOBAL TOUR CONCERT」を、6月2日(土)19:00、 オリンピック公園・体操競技場で実施するとのこと。

パティ・キムのCDを初めて聞いたときの驚きは今でも忘れられない。それがきっかけで、韓国歌謡を聞くようになった。彼女の代表曲「離別(이별)」(作詞・作曲:吉屋潤(길옥윤))は、彼女の手を越えて、もはや韓国歌謡の大きな礎となっている。

(本ブログ関連:"パティ・キムの「Jへ」")

(本ブログ関連:"パティ・キム(패티김)は凄い!"、"国民歌手"、"カラオケ"、"テネシーワルツ"、"イ・ソンヒのカーネギーホール公演と全国ツアー"、"イ・ソンヒの「2011コンサート」")

2012年4月7日土曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 李銀珠

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、今週水曜日(4/4)に、人物シリーズ22回目として「京畿民謡(경기민요)の名人、"銀のお盆の上で玉を転がすような声"という代名詞で呼ばれているほどの美声の持ち主の李銀珠(이은주、1922年~)」を紹介した。

(本ブログ関連:"民謡"、"民謡(続)")

▼李銀珠の歌による「離別歌(이별가)」を聴く。ソウルに近いからというわけではないが、どこかスマートで伸びやかさを感じる。・・・・内面的な理解までは。

次のように李銀珠プロフィールが紹介された。
・1922年 京畿道楊州に生まれる。(本名、李潤蘭(이윤란))
・14歳で京畿民謡大家の元慶兌(원경태)門下に入る。李銀珠の芸名を授かる。
・1942年 20歳で京城放送局と専属契約を結ぶ。
・李昌培(이창배)の下で後輩の指導にあたる一方で、積極的な音楽活動をする。
・1975年 京畿民謡の芸能保有者(重要無形文化財第57号)として選定される。

▼李銀珠ほかの歌による「ノドル江辺(노들강변)」(1934年、パク・ブヨン(박부용))を聴く。新民謡なんだね明るいな、すいすいと前向きな、水辺の柳が春風に揺れて・・・。

▼李銀珠ほかの歌による「回心曲(회심곡)」(歌詞)を聴く。太古宗奉元寺の霊山斎(「和請」)のCDでも聞いたが、女性ながら太く芯のある声に驚く。経文ではなく民謡の要素が強いとのこと、人生を宗教的に省みて俯瞰することにつながるのかな・・・。

(歌詞:ブログ「花の世 国楽芸術団」より。感謝。)

(本ブログ関連:"(資料)霊山斎、奉元寺")


(余聞)
以前、地元駅そばにあった韓国家庭料理店の名前が「ンジュ(銀珠)」だった。今は、「明洞」の名になっているが・・・家庭料理店らしいメニューと雰囲気は変わらない。

(本ブログ関連:"昼さまざま"、"明洞")

2012年4月6日金曜日

桜まつり

今年は、2月半ばに風邪で寝込んで以来回復が遅れ、寒さに耐えて咲く梅の花や、華やかに舞う桜の花吹雪も見ずに終わりそうだった。しかし、ここ2、3日の暖かさのおかげか、咳き込みが消え体調も一気によくなった。そこで念のため厚着して、小金井公園に観桜に出かけた。

小金井公園では、今日(4/6)から明後日(4/8)まで「小金井桜まつり」が開催される。園内の「江戸東京たてもの園」前広場では、特設の野外ステージにアマチュアの歌や踊りが演じられ、通り道には食べ物主体の屋台が並び、たくさんの人々であふれていた。

広場を囲む桜木立はほぼ満開に近く桜色に染まり、低く垂れた花のひかりを愛でるように、人々はその下で宴を楽しんでいた。他方、別の場所の桜の木々はまだ芽を膨らませているといった具合である。公園の桜が 一斉に咲き誇るまでの暖かさに至っていないのだろうか。

今日は、小金井市の小学校の入学式と新学期であり、そのせいか平日金曜日の午後ながら、親子連れが多い。とりわけ、春の初々しさを象徴するように、幼い子どもたちのはしゃぐ声や姿が微笑ましい。待望の春である。

(付記)
小金井市はゴミ問題で世間を騒がせたせいか、公園のあちこちにゴミを持ち帰るよう、看板などが設けられて少々うるさい・・・カメラの視野にかならず入ってくるのだから。

2012年4月5日木曜日

Ci Sara

石好き(鉱物マニア)だからといって、それだけに専念するわけでない。同好の士にイタリアンPOPのファンがいる(人物そのものイタリア気風の方で・・・)。お気に入りは、ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)だそうだが、カーステレオで聞いた(聞かされた)ものに、タイロン・パワー(Tyrone Power)の娘と結婚した歌手のデュエット曲があった。

さて、その歌手が誰だったのか記憶が曖昧なためインターネットで調べてみたところ、アル・バーノ(Al Bano)であり、 タイロン・パワーの娘とはロミナ・パワー(Romina Power)のようだ。早速、Youtubeに彼らのデユエット曲を探したところ、1984年にサンレモ音楽祭で大賞を受賞した「Ci sarà」(邦題:愛の架け橋)があった。まさに世界を二人のものにした、明るく高らかな讃歌といったところでしょうか。

(参考)アル・バーノについて「POP!ITALIANO」サイトに詳しい紹介がある。感謝。

ちなみに、サンレモ音楽祭大賞と、イ・ソンヒの年代と合わせていえば次のようになる。
・1964年 ジリオラ・チンクエッティが「夢みる想い(non ho l'età)」で受賞。この年、イ・ソンヒが誕生。
・1984年 アル・バーノと タイロン・パワーが「愛の架け橋(Ci sarà)」で受賞。イ・ソンヒが江辺歌謡祭で「Jへ」で大賞してデビューを果たす。

(Youtubeに登録のseradimusicaに感謝)

(本ブログ関連:"ジリオラ・チンクエッティ 「雨」")

2012年4月4日水曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」は、何度聴いても心地よい。2004年に音楽活動20周年を記念して世宗文化会館の大劇場ステージで歌う彼女の透きとおるような高音の美しさとパワーに圧倒される。彼女の姿は清潔で美しい。
それに、映画「家門の栄光」シリーズに巧みに使われているのも楽しい。もしかしたら、この曲が大衆性を持ちあわせて、いつまでも人気あるのに寄与した一因かもしれない。
そうそう、この歌は、恐縮ながらカラオケで数少ないわたしの持ち歌の一つである。

(本ブログ関連:”私はいつもあなたを”、”「家門の栄光」”)


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2012年4月3日火曜日

「偉大なる誕生」1と2の似たところ

スポーツ韓国の記事「[TV拡大鏡] "偉大なる誕生"1・2の勝者似た形である理由」(4/3)は、MBC「偉大なる誕生」のステージ1、2の優勝者に共通するところを次のように挙げている。
(アン・チンヨン記者)

・それぞれのステージで、最終決戦に残った二人のメンティーが、特定のメンターのもとにあったこと。
・優勝者が、かたや国境を越えてきたものであり、かたや栄光と挫折を経たもので、背水の陣で共に夢を実現したこと。

勝者への惜しみない賛辞が語られた文面であるが、イ・ソンヒについて触れている部分を次に写させていただきたい。

・「偉誕2」のイ・ソンヒは、「ママ・メンター」と位置づいた。特有の多情多感な語り口で、自身のメンティたちを含む全ての出演陣を暖かくかばい、直接料理をして励ました。(MBC)関係者は、「ク・チャミョンとペ・スジョンにも危機はあった。だが、生放送に突入後、回を繰り返すほどより一層安定した実力を見せて支持を受けた。ここには、イ・ソンヒのメンター指導とともに、イ・ソンヒの指導を支持するファンたちの応援まで加わったと見られる」と付け加えた。

(付記)「春の嵐」
これはどう考えても台風だ。空といわず地上のすべてを巻き上げるように唸り、息を吐くように家を揺する。今年の春風はおとなしくない。そういえば一昨年の春分の日も強風に見舞われて、公園の木が倒れたりしていた。
穏やかな桜日和が待ち遠しい。それに、咳も早く治まって欲しい。

2012年4月2日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 コッピョル

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/28)に、人物シリーズ21回目として「ヘグム奚琴해금)の演奏家のコッピョル((李)花星(이)꽃별・Ccotbyel、1980年~)を紹介した。

まず、へグムの復習から始まった。
・ヘグムは、弓で弦をこすって音を出す擦弦楽器で、大きめの小槌(こずち)を逆さに持つような形で、中国の二胡と似ている。
・絹糸をより合わせた二本の弦の内側に、馬の尾の毛で作った弓を挟み入れて、弦とこすり合わせて音を出す。弦を持つ位置や、引っ張る力の強さによって音程が変わる。

▼コッピョルの演奏による「コリアンビター(Korean Bitter)」を聴く。今風の響きはとても親和力がある・・・ただし、どうしても西洋楽器のように対象化してしまうよ。(cf.DaumのTVポッド版)

次のようにコッピョルプロフィールが紹介された。
・1980年8月23日 ソウルに生まれる。
・国立国楽中学・高校、韓国芸術総合学校、伝統芸術院でヘグムを学ぶ。
・2001年 大学2年生のとき日本巡回公演に参加、その後日本で正式に音楽活動を始める。

▼コッピョルの演奏による「Small flowers Near by the railroad」を聴く。現代曲演奏として、同心円が広がっていくようです。確かに心地よいのですが・・・。

▼コッピョルの演奏による「トラジ(桔梗、도라지)」を聴く。現代風でも、これは良いね。楽器がのびやかに歌っていますよ。

(付記)
演奏家コッピョル(花星)の名は、ロマンチックだ。それも本名(李花星)のようだ。親の愛が感じられる。国楽ということもあって、アーティストの名前に漢字名をさがしたが、花星もよいが「コッピョル」の響きもよい。

(付記)
韓国ジャズ歌手の珠玉、ウンサン(웅산)との協演がYoutube(「Yesterday」)にあります。追憶にひたりながらも、どこか凛とした東洋的な強い女性像が浮かびます。
(Youtubeに登録のjinurockに感謝)

2012年4月1日日曜日

昭陽江の乙女

トロットも含めて、イ・ソンヒの守備範囲の広さについては以前触れた。Youtubeに、キム・テヒ(김태희)が鼻音をきかせて歌った「昭陽江の乙女(소양강 처녀)」(1969年)を、イ・ソンヒが大衆歌謡の心情を損ねることなくステージで巧みに客席と一体となって歌い継いでいるものがある。

東亜日報の記事「[オピニオン]昭陽江の乙女」(3/28)は、このタイトルと同名の「昭陽江の乙女」(作詞:バン・ヤウォル(半夜月、반야월)、作曲:イ・ホ(이호))の歌の成立とその後について記している。
まず春川の衣岩(의암)湖に立つ「昭陽江の乙女像」のいわれから始まり、先日亡くなった作詞家のバン・ヤウォル(1917年8月1日~2012年3月26日)の追悼の意を込めて、「時代」とともにあった巨木として、思い出深く淡々と綴っている。

(Youtubeに登録のmomo86ist、yokosuka30に感謝)

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの水準"、"イ・ソンヒとトロット"、"イ・ソンヒのトロット・メドレー"、"金裕貞")