曇天に、思い返したように小雨がパラつき、追い討ちをかけるように風が吹く。おかげで、桜の花びらを辺りに散らし、濡れたアスファルトの路面に張り付かせる。春雨の無粋な仕業だ。
今朝、病院で風邪の回復のお墨付きをいただき、久し振りに地元公園にある健康運動センターの健康体操コースに出席する。病み上がりを考慮して、まずは体慣らしから。
そのコースへ通う道すがら、珍しい光景に出あった。春風が吹いてくる方向に桜の木が見えないのに、十字路に花吹雪が舞っていたのだ。まるで、お天気雨のような、そこだけ不思議な空間になっていた。
ところで、イ・ソンヒの詩「私はイ・ソンヒに似ているんですって?(내가 이선희를 닮았다구요?)」は、詩集「去る者だけが愛を夢見ることができる(떠나는 자만이 사랑을 꿈꿀 수 있다)」(1990年4月1日)に収められている。この詩集が出版された同年6月には、朗誦版のアルバムがリリースされる。
上記の詩は、25歳のイ・ソンヒの内省を物語っている。歌手として存在の意味と、行く末に対する不安が交錯する。彼女は音楽のために在るのか、ファンのために在るのか、いや自分のために在るのか・・・。
当時の彼女は、歌手として音楽活動において、数々の大賞を得ていたし、絶頂期でもあった。音楽評論家の冷徹な目でみると、実はこの1990年にリリースした、彼女の第6集アルバムがピークであり、変換点でもあったといえる。それを、彼女は予期していたのだろうか。(もちろん数々の試行の結果、現在の彼女が、揺るぎない大きな存在であることはいうまでもない。)
詩の最後は次のように結ばれている。
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そうだ、私は、
イ・ソンヒに似たもので 、
イ・ソンヒではないかも知れない。
それなら、
イ・ソンヒは、どこに行ってしまったのだろうか。
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(音源)
ブログ「AESTHETICA」で、(ドラマチックな音楽の流れる)この詩を聴くことができる。感謝。