思い違いがあるかもしれないが、記憶に浮ぶまま綴ってみる。随分以前、あるテレビ番組で、著名な日本人現役野球選手が、米国の敬愛する元バスケットボール選手を訪れた。TVカメラをはずして二人だけで談話したとき、野球選手は元バスケットボール選手から、ファンについてあるアドバイスを得たという。それは、慎重にして冷徹な、ファンの存在と関わりについての分析であった。
さて、イ・ソンヒはファンについてどう語っているのだろうか。
以前、アジア経済紙が彼女とロングインタビューをしたときの記事から抜き出してみよう。彼女は、冷静な自己分析と同時に、ファンについてそのあるところを次のように承知していた。
【再掲】
アジア経済「イ・ソンヒ『まだ自分自身について分かりたいです』-2」(2011/6/16)より
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(大衆性について)
・私が大衆的な人だと(笑い)、いつも宿題のように残っている部分です。大衆の心はいつも動きます。変わらないのは、容赦なくて、また冷たく評価しますから。
(大衆が願うことと、したいことのバランスについて)
・評価の前にいつも悩んでいる自分がいます。初めにハードロックをしたので、まだその精神が残っていて(笑い)。ところで、アルバムは作曲者がいて、その人の意図を充実しようとしますが、ライブの時は、本当にハードに歌います。その時そのように感じて、私がそのように生きてきた、ありのまま表現します。
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ファンにもお国柄があって一般化できないけれど、それでもファンは、ファンなりに自身を省みる必要があるでしょう。