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検索キーワード「C-119」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
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2024年9月13日金曜日

C-119 輸送機

輸送機といえば、民間の場合、旅客機を改造したものがほとんどだろう。専用機として開発されたといわれる「ボーイング 777F」や「エアバス A350F」などあるそうだが、素人目には、ボーイング 777やエアバス A350旅客機の窓がないくらいのものにしか見えない。

自衛隊機で多く見るのは、何といってもターボプロップの四発プロペラ機「ロッキード C-130(ハーキュリーズ)」だろう。その後の国産の双発ジェット機「川重 C-1」、その後継の「C-2」がある。サイズがどんどん大きくなる。

ところで、小学生のころ、九州に住んでいたとき、小学校の校庭の上空を双発・双胴のレシプロ機「フェアチャイルド C-119」が飛んでいた。というか、ゆったりと浮かんでいたといった方がよいかもしれない。たいてい一機だけ。レシプロエンジンのブォーンといった音は、辺り一帯に充満した。

(本ブログ関連:”C-119”)

遠賀川の河口、芦屋海岸に米軍基地(現:空自の「芦屋基地」)があり、C-119輸送機のベースになっていたようだ。子どものころなので、遠賀川は遠くにあって、子どもだけで遊びに行く距離じゃなかった。まして、芦屋基地に行くあてもない。
芦屋という地名を身近に感じていたので、今お騒がせの兵庫県にある芦屋と、なぜかイメージが重なったりした。おかしなものだが。

C-119輸送機が何処へ飛んで行くのか気にしたことはまったくなかった。何度見返しても一向に飛び去る気配がない、そんな機影が不思議だった。だいぶ上空を飛んでいたのだろうけど。

ところで、プラモデル好きだったが、C-119を作った記憶はない。実機をしょっちゅう見ていたのに、やっぱり地味な機体だったせいかもしれない。プラモデル人気はあまりないようで、ネット検索しても国産メーカー大手の「タミヤ」も製造販売していないようだ(イタリアのイタレリ社製を扱っているようだが)。


(付)
① Youtube:「米軍史上最高の軍用輸送機トップ7」(登録:ミリタリーテレビ)
https://www.youtube.com/watch?v=Nj8vdIev3xc&t=21s

② Youtube:「フェアチャイルド C-119 ”Flying Boxcar”の歴史」(登録:Hagerstown Aviation Museum)
https://www.youtube.com/watch?v=xw_gkzEZKu0

2009年11月12日木曜日

校庭の空の上

九州の八幡市の小学校に通っていた頃、地元の帆柱山は校歌に歌われ、洞海湾沿いの工業地帯が吐き出す煙は「七色の煙」と賛美された。子どもの記憶には、まことに平和な時代だった。

小学校の校庭から見上げる空には、いつも双胴の飛行機がゆったりと飛んでいた。レシプロエンジン音が上空でいつまでも響いていた。この双胴のC-119(C-one nineteen)輸送機がどこから飛び立ち、どこへ降りるのか関心なかった。子どもには、空よりも校庭の方がずっと広かったのだ。

それでも、輸送機が遠賀川の先の芦屋基地にいることをぼんやりと知った。遠賀川といえば遠くにあるものと思っていたし、遠賀川方面に芦屋があるということも何となく聞いていた。C-119輸送機は、遠賀川河口の米軍芦屋基地にいたのだ。

上空を見上げると、双胴のC-119輸送機の機影はどこかのろまなユーモラスな感じがした。しかし、歴史を見ると、決してなまやさしいものではなかったことを知った。
それでも、あの双胴の輸送機は、今だに記憶の中で、レシプロエンジン音を空中にのんびりと聞かせている。

2017年5月16日火曜日

6/3,4 幕張海浜公園上空にDC-3飛来

DC-3は身近なようで、本当は知らない。レシプロエンジンの回転音が懐かしいようで、本当は知らない。知っているのは、カセットテープに収められたハワイ上空を飛ぶ実況録音版だけなのだ。だから実物をいつか見たいと思っていた。

(本ブログ関連:”DC-3”、”飛行機”、”飛行場”)

レシプロエンジンの飛行機といえば、子どものころ、上空をのんびりとまるで停止しているかのように飛んでいた、双胴のC-119(C-one nineteen)輸送機が懐かしい。ブォーンという音を発しながら漂っていた。遠くの米軍基地*を拠点にしていたようだ。私が見上げた空に、すでに戦乱(朝鮮戦争)の臭いはなかった。

(* 米軍基地: 芦屋基地と思っていたが、もしかしたら板付基地だったのかもしれない)

ところで、DC-3について、近々本物と出会うことができるようだ。RedBull AIR RACEの案内に次のような情報がある。九州から順に巡ってきているようだ。
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伝説の航空機「DC-3」が幕張の空を舞う
現在、世界1周飛行中の名機を間近に見られる絶好のチャンス

6月3日(土)、4日(日)に開催されるRed Bull Air Race World Championship 2017シーズンの第3戦、「レッドブル・エアレース千葉2017」。そのサイドアクトの一環で、伝説の航空機として世界中のファンを魅了する「DC-3」が、会場となる千葉県立幕張海浜公園の上空に登場する。

双発プロペラ機の「DC-3」はダグラス・エアクラフト社(現ボーイング社)が開発した旅客機・輸送機で1935年に初飛行。その丈夫さ、低燃費、長距離輸送力により、航空産業を支えた往年の名機として名高い。しかし、今や飛行できる機体は世界で約150機に限られる。そのうちの貴重な1機がまもなく日本上空にその姿を現すのだ。
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(エンジンの始動に息遣いを感じる)

(Youtubeに登録のmatthiashaenniに感謝)

2024年4月29日月曜日

昭和の日 2024

昭和の時代は、大正15年(1926年)12月25日に始まり、昭和64年(1989年)1月7日*に終わった。この時代で大きな節目となったのは、第2次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)だろう。それを基準に、昭和の時代の様々なできごとには「戦前」、「戦後」の区分が付された。
(*)官報: 昭和64年(1989年)1月7日付 号外特第3号
ー https://www.npb.go.jp/product_service/books/kanpo/unique2.images/image2-1_large_2.png

わたしは戦後の世代である。戦前に対して大いに意識が隔絶している。子ども心に敗戦の余波を感じたものだ。私たち世代は、敵国だった軍人が街中を闊歩している時代から始まった。
地方都市に住んでいたころ、地域の繁華街を布製の帽子(ギャリソン・キャップ)をかぶった米軍兵士たちとすれ違ったこと。ハレの気分で親について行った老舗百貨店の高いフロアから見おろした隣接の敷地に、米軍の軍用車がぎっしり並んでいるのを見たこと。小学校の校庭から、空高く双胴のプロペラ機 C-119 輸送機が浮かんでいるのが見えたこと。

親の転勤で東京に来て、昭和の繁栄を享受した。戦後の高度成長を実際に担ったのは、戦争経験者たちだった。彼らはがむしゃらに働いた。工業地帯の排煙を「七色の煙」といったり、公害を引き起こしたりした。今ではすっかり忘れられたかもしれないが、海外の僻地へ恐れず出向き商売に邁進した。彼らは、敗戦直後の貧窮から国民を救ってくれた。

昭和は、平成、令和の時代を経て、遠の歴史の中にある。

私のカラオケの持ち歌だった歌謡曲に「昭和最後の秋のこと」(阿久悠作詞、浜圭介作曲、1999年7月1日)がある。最近とんとカラオケ通いもなくて、Youtubeで久しぶりに聴くだけだ。
ちなみに昭和の最後は、天皇が崩御された昭和64年(1989年)1月7日の冬の日だった。

作詞家の阿久悠が、がん告知を受けた後のインタビューで、こんなことを口にしている。
「阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲史」(篠田正浩 他 責任編集、柏書房、2007年)
ー 「ガンの告知を受けて、まず最悪のことから考えた」(阿川佐和子との対談、週刊文春、2004.6.3号)より抜粋
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阿川  今回出された『生きっぱなしの記』は、日経新聞の「私の履歴書」の連載をまとめられたものですね。”生きっぱなし” というテーマは最初から?

阿久  いや、これは時の語り部というかたちで書こうかなと思っていたんです。僕は歌謡曲なり作詞に対して、その歌からどのくらい時代を想起できるかを一つのテーマにしているものですから、それは大げさに言えば、時の語り部と言えるかもしれないと。それがまとまってみたら、誰に対してなのか遺言のようになってしまいました。
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上記インタビュー内で語られたのによれば、がん告知を受けたのは、2001年7月だったそうだ。なので、「昭和最後の秋のこと」は1999年7月にリリースされているので、それ(告知)以前の作品だったことになる。


(資料)元号
・明治元年(慶応04年) 1868年~
・大正元年(明治45年) 1912年~
・昭和元年(大正15年) 1926年~
・平成元年(昭和64年) 1989年~
・令和元年(平成31年) 2019年~

2024年6月5日水曜日

芒種 2024

きょうは、二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」。イネ科植物*の籾殻(もみがら)に見られる「棘(とげ)」、すなわち「(のぎ)」を持つ栽培植物の「種」を播(ま)くころ。ただし、現実の6月は、田植えの時期でもあるので、種まきはもっと早い。
(*)イネ科植物:「イネ、ムギ、タケ」と「トウモロコシ、キビ、ヒエ、ススキ」の2系統

(本ブログ関連:”芒種”)

最近寝不足で、昼下がりに転寝してしまった。目が覚めると、掛け時計が4時を指していた。明け方の4時かと勘違いしそうになったが、それにしては明るすぎる・・・ようやく気付いた。NHKの「チコちゃん」に、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られそうな気がした。


「芒」の字について
① 記憶違いなのか、ネットを探しても見当たらないものがある。それは、麦畑で遊んだ子どもが、芒(のぎ)に目を突いて失明するという話しだ**。今は、そんな遊びもない時代なのか・・・。
(**)動物病院(現在は犬が散歩中に被害にあう)
    ー https://119.vc/aimblog/archives/204

② 小児のウィルス性感染症に「はしか(麻疹)」がある。その語源に「芒」があるそうで***、症状が、イネ科植物の穂先にあたってチクチクするのと似ているからという。
(***)「看護roo!」用語辞典
    ー https://www.kango-roo.com/word/20903

③ そもそも「芒」の文字は、草かんむり「艹」に「亡」****が組み合わさっている。亡は「亡ぶ」の意があることから、こんな気分になる・・・、すなわち、「麦穂」や「稲穂」がたわわに実ることは生存へつながるため黄金に例えたりするが、風に吹かれて一斉に揺れる景色を見ていると、何故かボンヤリした手がかりのない感がしてくる。
(****)書き順辞典(楷書では「亡」の文字)
    ー http://kakijun.com/c/8292.html