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2026年3月22日日曜日

(Gemini)大相撲の人気

 子どものころに、草相撲、草野球、あるいは学校での運動クラブ活動で経験した記憶は薄れない。大人になって、オリンピックやプロの競技を観戦するとき、思わず力が入るし、選手の心技体の奥深さを知ることにもなる。

オリンピックなどの国際大会で、卓越した選手に、国を越えて感銘し、自然に賛同を送ることがある。スポーツ選手の技の巧みさに驚き、あたかも一体化したような感動を覚えることがる。

きょうは、大相撲の千秋楽だった。実は、深夜(午前3:50 〜 午前4:15)のNHKテレビで、ダイジェスト「幕内の全取組」が放送されていて、ついつい眠れぬ夜になってしまい・・・連日(連夜)のことで、すっかり睡眠不足になった。

今場所、関脇の霧島*が3度目の優勝を果たした。大関への復活が確実とのこと。
(*)霧島関に、人間的な温厚さを感じる・・・報道もそのようだ。

ところで、相撲への関心が向いていることから、こんなことを Gemini に問うてみた。

■ Gemini

Q.相撲について、国民の関心が衰えないのは、独特なものがあるからと感じます。以前、週刊誌が相撲界をさんざん叩いてきましたが、最近は消極的ですね。時代の潮向きが逆の意味で反映している気がします。
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A.相撲という文化が持つ「底堅さ」は、確かにおっしゃる通りの独特な熱量を感じさせますね。一時期の週刊誌による激しいバッシングの波が落ち着き、むしろ世論の側が相撲の中に「変わらない価値」を見出そうとしているような、不思議な逆転現象が起きている印象を受けます。

この「潮向きの変化」には、いくつか興味深い背景が考えられます。

1. 「不変」への回帰
現代社会があらゆる面でデジタル化し、効率やコンプライアンス、スピードを重視する中で、相撲はあえて「前近代的な様式」を色濃く残しています。
・神事としての側面:  単なるスポーツではなく、土俵の祭式や力士の所作に宿る伝統的な美意識が、変化の激しい時代において、人々が立ち返る「心の拠り所」として機能している側面があるのかもしれません。
・身体の迫力:  加工の効かない、生身のぶつかり合いという圧倒的な「リアリティ」は、情報過多な現代においてかえって新鮮に映ります。

2. メディアの攻撃対象の変化
かつて週刊誌が執拗に叩いた「閉鎖的な門閥社会」や「徒弟制度」は、今や相撲界だけの問題ではなく、社会全体のガバナンスの問題として語られるようになりました。
・相対的な受容:  他の業界や組織での不祥事が相次ぐ中で、相撲界の伝統的な上下関係やしきたりが、むしろ「教育の一環」や「コミュニティの絆」として再評価される、あるいは「そういう世界である」とある種のリスペクトを持って受け入れられる土壌が再形成**された感があります。
(**)ある意味、これまでに浄化された結果の面もあると・・・。

3. 「地域」と「歴史」の記憶
相撲は日本各地の巡業や、歴史的な地名・エピソードと深く結びついています。
江戸時代から続く勧進相撲の系譜や、郷土の力士を応援するという素朴な熱狂は、グローバル化が進む中で失われつつある「ローカルな誇り」を刺激します。九州や東京など、特定の地域に根ざした興行の歴史も、人々の関心を繋ぎ止める大きな要因でしょう。

4. コンテンツとしての「物語性」
最近では、力士個人のキャラクターや背景にある師弟の物語、あるいは歴史的な記録への挑戦(横綱の品格や連勝記録など)が、SNS等を通じてより多層的に伝わるようになりました。批判一辺倒だった時代に比べ、ファンが直接「自分の推し」を見つけその文脈を楽しむ文化が定着したことも大きいのではないでしょうか。

時代の波が一周回って、以前は「古臭い」「不透明だ」と叩かれた部分が、今は「それこそが相撲の醍醐味である」という、ある種の文化的な防波堤のような役割を果たしているのかもしれません。
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2025年8月27日水曜日

(資料)AIが語る「乳児の笑顔」

歳をとると既視感が煮詰まって、ものごとに感動が薄くなる。マンネリ化といってもよい。わくわくするような好奇心とか期待が湧いてこないのだ。そこで、何か感動する場面がないかと、Youtubeを巡る。

乳児が、純粋無垢に両親へ微笑みを浮かべたり、幼児が祖父母と一緒に遊んだりしているのを見ると、よそながら我がごとのように心が和む。成長すると、他者との関係で笑いが複雑になる。むかし、大人の笑い顔について、基本的な表情のマトリクスの合成によると聞いたような気がする・・・が。

(本ブログ関連:”乳児”、”幼児”)

乳児の笑顔は天使の微笑みである。誰に迎合するわけでなく、発露するように湧き出る笑顔なのだ。どうして微笑むのだろうかと、生成AIのChatGPTに質問してみた。


■ ChatGPT

Q.産まれたばかりの乳児が見せる「笑顔」は、どのような反応なのでしょうか?
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A.産まれたばかりの乳児が見せる「笑顔」は、通常の意味での「喜びの表現」ではなく無意識的な反応生理的な反応であると考えられています。つまり、乳児の初期の笑顔は、感情的な喜び社交的な反応から来るものではなく、身体的なプロセスや反射的な動きの一部と見なされることが多いです。

乳児の笑顔の種類と解釈

乳児が生後数週間以内に見せる笑顔には、主に以下のような種類があります:

1. 生理的な微笑み(反射的微笑)

新生児や生後数日の乳児が見せる笑顔は、通常は生理的な反応として現れることが多いです。これは、赤ちゃんが眠っているときや、体の不快感から解放された瞬間などに見られます。この時の笑顔は、内的な快感筋肉の緊張の緩和に関わるものであり、感情的な「喜び」とは必ずしも結びつきません。たとえば、レム睡眠(夢を見るとされる睡眠段階)の際に見られることがあります。

2. 社交的微笑み(社会的微笑)

生後6週間から2ヶ月を過ぎたあたりから、乳児は実際に「社会的な微笑み」を見せるようになります。これは、親やケアギバーが笑いかけると反応して笑顔を見せるようになる、意識的で社会的な反応です。この微笑みは、乳児が周囲の人間に対して感情的な反応を示す最初のステップとされており、コミュニケーションの一環として機能します。つまり、親や周囲の人々が乳児の目線を引きつけることで、赤ちゃんは笑顔で反応するようになり、この段階での笑顔は喜びや安心感を表現するものと解釈できます。

3. 感情的な反応としての微笑み

さらに成長すると、乳児は外部の刺激に対して感情的に反応するようになります。例えば、親が赤ちゃんに面白い表情をしたり、楽しい音を立てたりすると、赤ちゃんはその反応として笑顔を返すことがあります。この時期の笑顔は、他者との絆を強化する社交的な役割を持ち、社会的な交流の一部として重要な意味を持つようになります。

結論

新生児や生後間もない赤ちゃんが見せる笑顔は、初めは主に反射的・生理的な現象であり、完全に感情的な「喜び」や「楽しさ」とは言えません。しかし、成長とともに、社会的な反応としての笑顔が現れ周囲とのコミュニケーションの一部として、より感情的な意味を持つようになります。ですので、乳児の笑顔は、最初は単なる身体的な反応から、やがて意識的な感情表現へと変化していくと言えます。

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2025年2月14日金曜日

「人間の絆」の映画断片

大学に入って早々、学部の語学クラスで仲間たちととりとめない会話をしていたとき、他学科の学生に「それは本質的でない」といわれたことがある。えっという驚きだった。高校生のころ部活にあけくれていた私には、日常こむつかしい会話を交わすことなく過ごしていたのだから。
「本質的」といわれても、何?という感じだった。高級な語彙の気がして、大学では「本質的」に値する話題を日常するものなんだと錯覚した。賢いやつに「本質的」という言葉のジャブを食らったのだった。

そのときは、自分に足りないものがあるのかもしれないと思い、大学の帰り道、駅のそばにあった本屋に寄って、何気なくイギリスの作家ウィリアム・サマセット・モームの「人間の絆」(1915年)を選んだのだった。正直、読み進めるうちに、だらだら続く流れに付いて行けず、すぐに積ん読に終わってしまった。そして、いつの間にか行方不明になってしまった。

Youtubeを巡っていたとき、邦題「痴人の愛」というタイトルの映画紹介が目についた。その補足に「Of Human bondage」とある・・・小説「人間の絆」の原題と同じなので、映画についてWikipediaを見れば、モームの小説の映画化という。そんな程度の情報でしかないが覗いてみた。

映画のヒロインが、画家マネの作品「フォリー・ベルジェールのバー(A Bar at the Folies-Bergere)」(1882年)の絵の中央に立つバーメイドを彷彿(勝手な想像だが)させる、そんな印象的な女性との恋の物語・・・映画の邦題を「痴人の愛」*にしたのは、小説の原題(Of Human bondage:「人間の絆」)のままでは、ヒロインの持つ魔性を訴求するに不十分と考えたからなのだろう。
(*)痴人の愛:日本語Wikipediaでストーリー展開の記述に一部誤りがある。

ヒロイン役(ある意味汚れ役、自分勝手でひとり破滅へと追い込んでいく・・・)を演じた「ベティ・デイヴィス(Bette Davis)」が、演技派女優としてどのような転機を経てものにしたのか、Wikipediaでドラマチックに知ることができる。役作りだったのか、あるいは地だったのか、とても興味深い人物(俳優人生)だったようだ。・・・ それにしても、Wikipediaの文章は分かりやすく読みやすい。

■ フルムービー
① Youtube(登録: Cult Cinema Classics) ← カラー化
「ベティ・デイビス | 痴人の愛(1934)ドラマ | by ジョン クロムウェル フルムービー」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=XQPfpHvR-wk

② 合衆国「公共放送サービス」(PBS)
「Lakeshore Classic Movies | Of Human Bondage (1934)」
    ー https://www.pbs.org/video/of-human-bondage-1934-pxiar7/


 ■ Youtube(登録:the1920sand30s)
映画「痴人の愛」(1934)の映像に重ねて、アル・ボウリー(Al Bowlly)の「君を思いてThe Very Thought Of You)」(1934)を聴くことができる。「I see your face in every flower」というか恋は盲目。
    ー https://www.youtube.com/watch?v=B2yike6Zs9k


(本ブログ関連:””)

2018年3月2日金曜日

「らばQ」で紹介された話:子ザルの帰還

「らばQ」のサイトは、いつも興味深い話題を提供してくれる。先日も、生き物の愛情あふれる光景を紹介した。「ケガした子ザルを保護、3週間後に野生に返すと…家族と感動の再会」(2/26)は、丁寧な解説を付している。(感謝)

そこで、元のYoutube映像に戻って、情報を得てみた。

タイトル「Umsizi Vervet Monkey Rescue release of Pearce..」にある「Umsizi」は、南アフリカのズールー語*で「支援、手助け」の意があり、ウムコマアス(UMKOMAAS)の地に、その名を冠した「ウムシズィ・ウムコマアス・ベルベットモンキー救援センター」が、小ザルのピアースを親元に放したといった内容のようだ。
(*)ズールー語の発音: 「青年海外協力隊として南アフリカ共和国で活動している」方のブログに紹介がある。

子ザルの帰還について、Youtubeに次のように記されている。
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Pearce(ピアース)は、1歳のベルベットモンキーで、足を怪我したため捕捉され、治療と休養の後、彼は家族に戻されました... このビデオは、母親とだけでなく、群れ全体およびボスザルをふくめて、驚くべき絆(きずな)を見せてくれます... お楽しみあれ...

(画面)かけがえのない愛... 気をつけて坊や
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人間と変わらぬ・・・といったら陳腐だろうか。わが子が無事に戻って安堵する母ザル、それを見守る集団とリーダー。そこには、忘れることのなかった、情愛の集団的共感があるようだ。逆に、人間もそれを理解できる存在だといった方がいいのかもしれない。それにしても、戻った坊やの母親へのしがみつき方がたまりません。


(Youtubeに登録のNigel Wrightに感謝)

(雑談)
Unix OSを祖に持つお手軽版ともいえるLinuxのひとつに、Ubuntuがある。このネーミングは、Wikipediaによると、< ズールー語で「他者への思いやり」、「皆があっての私」というような意味 > だそうだ。

2017年5月5日金曜日

「走れ、走って逃げろ」

イ・ソンヒが主題歌を歌ったTVアニメ「走れハニー(달려라 하니)」(1985年~1987年放送)は、幼い頃に母を病気で亡くした少女ハニーが、しかもその後、父親が女性タレントに心移りするといった辛い境遇にありながら、中学の陸上選手として成長するスポーツドラマだ。

(本ブログ関連:”走れハニー”)

体育教師との強い絆に見守れたハニーは、目標と心の支えを得たればこそ、自分を見つめ陸上選手として活躍することができたのだろう。ソウルオリンピックの前年まで放送されたという。

似た題名だが、児童書に「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)がある。体験に基づくもので、時代は遡り、第二次大戦中のポーランド国内の農村や森に逃げて生き延びたユダヤ少年の幸運な出会いを語っている。このGWに読んでみたらと、教室で先生から紹介されたものだ。

死者は語ることができないといった話を先生はされたと思う。主人公(スルリック、逃亡中「ユレク」と名乗る)は、8歳から12歳ころまでの間に生死を分けた、そして偶然といっていい出会いに救われる。幸いにも過去を語る側に立てたのだ。街角や森の奥に隠れ住むユダヤの少年たち、牛飼いのため雇ってくれたポーランドの農民家族、逃亡を見て見ぬ振りをしたドイツ兵、・・・、一個人で相対したとき、素の人間があらわれ、善人もいれば、恐怖の人間もいた。

私が子どもの時代でも、まだ戦後の余韻が残っていて、テレビは今では考えられないほど太平洋戦争の記録映画を放映したし、漫画雑誌に少年の戦闘機パイロット物語が連載された。だから、戦争経験者の体験記も文芸春秋の特集号として掲載された。子どもながらに読んだ印象は、銃弾の銃創の激痛であり、ひもじさであり、果てのない逃走の記録だった。生き残った人々の言葉は、直接的で、肉体的なものだった。彼らの言葉には、その後語られるような分析(俯瞰)はなかった。

「走れ、走って逃げろ」もそうだ。過去も明日もない、今日をどうやって生き抜くか、それが精一杯なのだから。もし、少年の回想に、死を身近にする場面があるとすれば、逃走の途中、偶然再会した瀕死の父の言葉かもしれない。生きるためにすべきこと、そして忘れてはならないことを、父親は早く逃げるようさとしながら語った。

結果、少年は生き抜いた。体験者(主人公)の話をもとに著された「走れ、走って逃げろ」は、似た経験を持つとはいえ、作家(著者)の手になるものだ。もし本人が体験記として書いたらどうなったか気になるところだ。

(本ブログ関連:”ひまわり ”、”シェルブールの雨傘”、”君の名は”)

(5/6追記)
今日(5/5)は、祝日「こどもの日」であり、春分と夏至の中間で夏の始まりを示す「立夏」だ。実際は、明日・明後日の土日の休日が残っており、GWがまだ続く。

2011年8月3日水曜日

絆(きずな)

スポニチの記事「復興祈り・・・なでしこ、五輪は『絆』の新ユニホーム!」(8/2)によれば、なでしこジャパンなどが「絆」をイメージしたユニホームを新しく着用することを次のように報じている。
・なでしこジャパン、ザックジャパンなどが来年から着用する新ユニホームに「絆」をテーマとしたデザインが採用されることが1日、分かった。ダークブルー基調でシャツ前面の中央に「絆」をイメージした赤いラインが入る。男女全カテゴリーの日本代表共通のデザインで、日本サッカー界を挙げて東日本大震災からの復興を支援する意志が込められる。

イ・ソンヒの歌に、東洋的旋律をとり入れて絆(きずな)をイメージした「因縁(인연)」(歌詞)がある。それは、成就されない愛の歌であるが、互いの縁(えにし)を浮びあがらせ、因縁を感じさせる。このうつしよに互いのつながりが切れたとしても、因縁という絶対的なものがあって、そこに還ることができるのだとわたしたちは信じている。この絆、つまり因縁は東洋に通底するとても強い人間観なのだと思う。




ところで、イ・ソンヒの「因縁」の曲作りのきっかけを次の通り再掲する。(本ブログ:2010年7月12日
・「因縁」について、MBCのインタビュー番組「黄金漁場-膝打ち道士」(2009年)に出演したイ・ソンヒは次のように語っているという。(悲恋と悲劇を併せ持った)MBCテレビドラマ「チェオクの剣다모:茶母)」(2003年)の、主人公チャン・チェオク(ハ・ジウォン(하지원))と、彼女が仕えるファンボ・ユン(イ・ソジン(이서진))との関係からインスピレーションを得たと。

(Youtubeに登録のRedGate86alrexに感謝)

(本ブログ関連:"因縁" 絆、縁、인연) ← 表示後、画面右下の”前の投稿”で継続参照します。


★★★★★ 孫娘が、可愛く上手に、飄々として寝返りをうつ決定的な動画が届いた ★★★★★

2010年7月10日土曜日

第17回 東京国際ブックフェア

「第17回東京国際ブックフェア」は、今日・明日一般公開される。陽の照り返しがきつい今日、会場の東京ビッグサイトへ出向いた。
姜尚中氏(東京大学院教授)の講演が始まるまで、面白いものはないかと会場を巡った。多数の来場者もあり、ムンムンとした会場の熱気に汗だらけになった。
・まず孫のためを優先して、「『はらぺこあおむし』万華鏡」と「お絵かきボードブック」を手に入れた。
・次に自分のために、同時開催の「教育ITソリューション」会場の韓国企業ブースで、電子回路学習用教材「NEO GEM BLOCK」を購入した。はんだ付け不要のブロック・タイプのキットで、光センサーにより、①陽が落ちるとランプ点灯、②光感知してメロデイーが鳴るの2種類の回路を楽しめる。

姜尚中氏の講演「読書の力-『自己内対話』が開く世界」は、超満員の会場でおこなわれた。入りきれない聴講申込者のために、モニター会場が別途設けられた。
講演タイトルの通り、同氏の若いころの読書経験がいかに人間形成に寄与したかを次のように説明された。
・まず、文字を知っているからこそ読書ができること。それは天が与えてくれた最大の恵みかもしれない。文字を知らなければ外と断絶する。究極の疎外である。
・読書することで、自己と対話ができる。それは、もう一人の自分を発見することである。その結果、他者と向き合い対話できる。そのことが、また読書につながっていく。
・自己内対話により、記憶に溺れることはなくなる。その結果、記憶が整理され、忘れることができるようになる。
・子どもは自ずから学んでいく。経験から見て、系統的な読書という考え方は不要でないか。
・読書は、本を通じて、書き手と読み手の対話であり、本を通じてしかできない絆である。
以上のほかに、同氏の現在と今後の取り組みについても語られたが省略する。