きょうで4月が終わる。あっという間に、今年の3分の1を食ってしまったことになる。なぜか宙ぶらりんのような気がしてならない。新型コロナウィルスの感染を恐れて自宅にこもったままいると、まるで恒温槽の中で生活しているようなもので、時間感覚を鈍らせてしまいそう。そして季節感まで忘れるんじゃないかと心配になる。
気象庁の「時に関する用語」に掲載の「季節を表わす用語」*によれば、今はまだ春。夏になるには6月まで待たねばならない。とはいえ、近々の5月5日には二十四節気の「立夏(りっか)」になり、初夏の気分になるだろう。・・・カレンダー上はまだ春なのだが。
(*) 季節: http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/toki.html#A95
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・春:3月から5月までの期間
・夏:6月から8月までの期間
・秋:9月から11月までの期間
・冬:12月から2月までの期間
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(*) 季節: http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/toki.html#A95
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・春:3月から5月までの期間
・夏:6月から8月までの期間
・秋:9月から11月までの期間
・冬:12月から2月までの期間
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生活実感から、季語でいえば5月5日の「立夏」を境に終わる「晩春」がふさわしい。
きょうは旧暦の3月19日。芭蕉が「奥の細道」の旅に立ったのは旧暦3月27日。旧暦では3月末までが春なので、まさに晩春のこと。行く春を惜しみつつ別離の心情を込めたのだろう句がある。
行(ゆ)く春や 鳥啼(鳴き)魚(うお)の 目は泪(涙)
若いころ、都電で通勤したく、都電荒川線の終点「三ノ輪橋駅」近くに住んだことがある。休日には界隈の史跡をたずね歩いたりした。その一つに、芭蕉が「奥の細道」の起点にした、隅田川を渡った千住の街がある。この句から、ひっそりとしてのどかな景色を浮かべるかもしれないが、今は交通量の激しい日光街道の大通りが北上し、隅田川に大きな鉄骨の千住大橋が架かる忙しい街並みが続く。
ところで、上記の「魚の目は泪」の魚とは、隅田川で船に乗ったとき舟辺に追うように泳ぐ魚を見たのだろうなんて想像してしまう。では鳥は一体なんなのか、見当つかない。上空をヒバリでもさえずっていたのだろうか。景色と心情のその差が大きかったのかもしれない。
話しはそれるが、都電三ノ輪橋駅の近くに「大関横丁交差点」があって、日光街道と明治通りが交差している。これって、明治の帝都に江戸の線が入るのを絶ち切っているのではなんて想像したりした。
(追記)
ちなみに、日光街道の大部分は「国道4号線」と重なる・・・