昔、子どもの頃に、切手コレクションが流行った。今では、切手収集はブームとしてすたれているようだ。いっとき熱中するも、関心が長続きしないのが、子どもの趣味である。
そういえば、切手帳という冊子に、収集した切手をそれなりに収めたが、随分昔、わが子に与えたけれど、その後、趣味を継承?しているという音沙汰もない。時代の向きが変わったのだろう。
実は、今までに集めたもので、場所をとっているものがある。鉱物採集した未整理の標本(石片とでも言った方がよい)である。産地ごと明記した袋に、いずれ整理するのが楽しみと思って、一切放り込んでいるが溜まる一方だ。この際、採集を中断して整理にとりかかったほうが良いのかもしれない。
日本を代表する、名だたるアマチュア採集家の標本は、亡くなった後、その標本の素晴らしさからしかるべき場所(格式ある標本館、博物館など)に常設として継承、保管されている。それに近い、大ベテランの方の物もしかるべく収まっているようで、博物館などで特別展示されているのを見かけることがある。どれも見栄えする大きな結晶で、そんな標本と出会うとため息ばかり出る。
ところで、末席にいて気分だけ味わっているような、私のようなものの収集品は、結論から言うと、いずれゴミになるだろう。庭の隅にでも・・・なんてことに。
一般マニアのコレクションは、標本ケースに収めて標本ラベルが付されたとしても、一代限りだろう。それでいいのかもしれない。趣味は個人的なものだから。
鉱物趣味の会などで、生きているうちに自分のコレクションを会員に配布しようとする方がいる。それをうれしくもらっている会員が、配布する会員と歳の差が大きくはないのが現実だ。
(付記)
明日からFIFAワールドカップが始まるけれど、ゴールの瞬間しか分からぬにわかファンは、また他人に聞かねばならないことがある。選手の名前と布陣、試合のルール、そしてワールドカップの勝ち抜きのルールだ。