コレクションといっても、いつの間にか手元に残り、処分しないまま置いておけば、それは立派なコレクションだ。なぜなら、捨てる意志がなかったし、目の前から消えるのが心底寂しかったからだろう。やがて離れがたく、いつの間にか傍らに鎮座する。
いっそ、コレクション自身が口をきいて減らず口でも散々叩き、不快にでもしてくれたら決心がついただろうに。
(本ブログ関連:”コレクション”、”石”)
題名が「野川」というだけで、図書館で借りた古井由吉の小説に、コレクターの老人が問わず語りするところがある。実は、主人公が友人からもらった掌サイズの土製の小さな馬埴輪を、どうしたものかと思案しているとき思い出したことだ。
その老人は、焼き物趣味でかなり集めていたが、ほとんど他人に譲り渡し、今ではわずかなものが残っているだけ。老人と残った焼物の、奇妙で珍妙なやり取りを次のように記している。
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~(老人の)今残っているのは大した値打ちの物でもない。あの世まで持っていく了見もさらにないが、なにせ手前の手垢が染みついて、人手に渡すのも気がひける。~
~さらに、(主人公の)私をからかったか、(老人が)焼き物と押し問答を交わす、と話した。私の覚えているかぎり、おおよそこうである。
---俺が死んでも、お前らは残る。
---それは、わたしらはもともと、死んでますから。
---何を言う。俺よりは生きるって顔をとうにしてるぞ。そう思ってるんだろう。
---わたしらは物を思いません。
---思おうと思うまいと、何にしても絶対優位にはあるな。しらばっくれるな。
---叩き壊したらどうですか。
---そんなことしてやったら、よけいに死なくならあ、お前らは。
---いっそ早く人手に渡したら。わたしらは構いません。
---その、構いませんてのが、気に入らねぇ。他人に呉れたって、この手が覚えてら。知っているか、人は最後に手にだけになって絶えるんだ。
---思わなくなれば済むことです。わたしらみたいに。
---アハハハ、語るに落ちたァ。やっぱり、俺の済むのを待ってやがら。楽しいだろう。
一人で埒もない憎まれ口を叩いて、手前で眺めていたって楽しいぐらいなもんだ、と老人は笑って話しを切り上げたが、しばらく両手をひらいて見つめていた。その手が私の眼には妙に大きく、いかつく映った。
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コレクションと不即不離の関係で、憎まれ口をききながら対話する。物の中に何かを見出したのか。原始的な観察か、それとも即物的な欲望か。
個人的なコレクションは、手垢が染みこんでしか価値が実感できないのだろう。相手を選び、手離してこそ賢明かもしれない。
(追記)
そうそう、昼頃に随分固い雨音と思ったら、ヒョウ(雹)が降った。前回はいつだったかな、珍しいことだ。