インターネットの「青空文庫」に、薄田泣菫の「石を愛するもの」という短文がある。石を愛でる中国古典の奇人を述べている。変わらぬ石を愛着する姿に、神仙の不易に似たものを感じるかもしれないが、その実、生身の世俗部分がひょいと顔を出す可笑しさがある。
(本ブログ関連:"青空文庫”)
Wikipediaによれば、「宋代の書家として名声を馳せた米元章」は、「米芾(米元章)は奇矯な性格で、古書・名画を貪欲に蒐集するばかりではなく、奇石怪石の蒐集も趣味とし、名石に出会うと手を合わせて拝み、石に向かって『兄』よばわりするほどであったと伝えられる。よって、しばしば狂人扱いされて」とある。
ちなみに、米元章が居を定めたという潤州(現在の江蘇鎮江)から北西二百数十Km先に、奇石を産するという霊璧の地がある。
米元章の石好きに対して、それ以上に物欲をみせてしまった上役の滑稽な話を薄田泣菫はつぎのように著している。(抜粋)
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霊璧は変つた石を産するので名高いところだが、米元章はそこからあまり遠くない郡で役人をしてゐたことがあつた。大の石好きが、石の産地近くに来たのだから堪らない。元章は昼も夜も石を集めては、それを玩んでゐるばかしで、一向役所のつとめは見向かうともしないので、仕事が滞つて仕方がなかつた。ところへ、丁度楊次公が按察使として見廻りにやつて来た。楊次公は、元章とは眤懇のなかだつたが、役目の手前黙つてもゐられないので、苦りきつていつた。
『近頃世間の噂を聞くと、また例の癖が昂じてゐるさうだね。石に溺れて役向きを疎にするやうでは、お上への聞えもおもしろくなからうといふものだて。』
米元章は上役の刺(とげ)のある言葉を聞いても、ただにやにや笑つてゐるばかしで、返事をしなかつた。そして暫くすると、左の袖から一つの石を取出して、按察使に見せびらかした。
『といつてみたところで、こんな石に出会つてみれば、誰だつて愛さないわけにゆかないぢやありませんか。』
楊次公は見るともなしにその石を見た。玉のやうに潤ひがあつて、峰も洞もちやんと具つた立派な石だつた。だが、この役人はそしらぬ顔ですましてゐた。すると、米元章はその石をそつと袖のなかに返しながら、今度はまた右の袖から一つの石を取出して見せた。
『どうです。こんな石を手に入れてみれば、誰だつて愛さないわけに往かないぢやありませんか。』
その石は色も形も前のものに較べて、一段と秀れたものだつた。米元章はそれを手のひらに載せて、やるせない愛撫の眼でいたはつて見せた。楊次公は少しも顔色を柔げなかつた。
米元章はその石をもとのやうに袖のなかに返したかと思ふと、今度はまた内ふところから、大切さうに第三の石を取出した。按察使はそれを見て、思はず胸を躍らせた。黒く重り合つた峰のたたずまひ、白い水の流れ、洞穴と小径との交錯、――まるで玉で刻んだ小天地のやうな味ひは、とてもこの世のものとは思はれなかつた。
『どうです。これを見たら、どんな人だって、愛さないわけにはゆきますまい。』
嬉しくてたまらなささうな米元章の言葉を、うはの空に聞きながら、楊次公は呻くやうに言つた。
『ほんたうにさうだ。私だつて愛する…………』
そしてすばしこく相手の手からその石をひつ攫(さら)つたかと思ふと、獣のやうな狡猾さと敏捷さとをもつて、いきなり外へ駆け出して往つた。
門の外には車が待たせてあつた。楊次公はそれに飛び乗るが早いか、体躯(からだ)中を口のやうにして叫んだ。
『逃げろ。逃げろ。早く、早く……』
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水晶の玉中に先を占うように、奇石に宇宙の凝縮を幻視することができれば立派な石狂いだ。ただし、この石狂い、物欲と紙一重で、奇においては狂気に走らせ、俗においては我執に囚われる。奇と俗の峻別できぬものに触ってならない世界なのかもしれない。