KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/20)に、人物シリーズ68回目として、「宝城ソリ(ポソンソリ、보성소리)」といわれる歌の伝承者、鄭權鎭(チョン・クォンジン、정권진:1927年~1986年)を紹介した。
まずはじめに、パンソリ流派の「西便制と「東便制」の歴史解説から始まった。
・朝鮮時代末、興宣大院君(1820年~1898年)の寵愛を受けたパンソリ歌手、朴裕全(박유전)の歌は、「江山制(강산제)」或いは韓半島西側地域で歌われたため「西便制(서편제)」と呼ばれた。
・興宣大院君失脚(1873年)後、ソウル(漢城)を離れた朴裕全に教えを受けた弟子の鄭在根(정재근)は、後に甥の鄭應珉(정응민)を連れてソウルに上京。植民地時代、鄭應珉はひとりソウル(京城)で歌の勉強を続け、朴裕全の没を期に帰郷する途上、「東便制(동편제)」の名唱金贊業(김찬업)について学ぶ。後に全羅南道宝城(ポソン)に落ち着き後輩の指導にあたる。「西便制」と「東便制」を重ねた独特な「宝城ソリ」は、鄭應珉の息子鄭權鎭が伝承する。
▼鄭權鎭による「水宫歌(수궁가)」の中から「ウサギが絵を描く題目」を聴く。優しい口調で子どもに童話を語るよう・・・。
・鄭應珉は、他の弟子をとっても、息子鄭權鎭にはパンソリを学ぶことを許さなかったほど、厳しい修練を必要とするものであったが、幼い頃から聞いて覚えた歌で、父と同じ道を歩むこととなる。
次に、鄭權鎭のプロフィールが紹介された。
・1927年 全羅南道 宝城に生まれる。
・15歳、歌を学び始めるものの、昼の仕事の後、夜に歌の勉強を続ける日々を送る。
・1950年 朝鮮戦争勃発。特別採用で警察官となる。南島民謡を歌い放送を通じてパルチザンの投降を促す。
・30代になり、警察の職を辞し、正式に歌い手として活動を始める。
・1961年 国立唱劇団発足。団員活動と伴に国楽芸術学校で歌を教え、自身の歌の確立、完成へ整える。
▼鄭權鎭による「沈清歌(심청가)」の中から「泛彼中流(범피중류)」を聴く。悲愴な始まりにもかかわらず抑制を効かせて深い悲しみを歌っているのだろうか。
・1982年まで 国楽芸術学校での指導後、全南大学の国楽科の教授として招聘される。
・1986年 持病で没する。
・現在、鄭權鎭の長男鄭会泉は国立唱劇団長と全北大学教授を経て、国立伝統芸術高等学校(旧国楽芸術学校)校長、次男鄭会浣はテグム演奏者、三男鄭会石は国立国楽院パンソリ団員として、国楽界で活躍している。
▼鄭權鎭による「沈清歌(심청가)」の中から「沈奉事(봉사:盲人)が目を開く題目」を聴く。目が開いて喜びの後、何が起こるかの見えないとは・・・。
(参考)「第 III 章 パンソリが文学に与えた影響」:元東京外国語大学教授三枝壽勝氏のホームページに「パンソリ」の要約紹介ならびに解説がある。