子ども時代のベーコンは、周りが赤く染まった薄切りのクジラ肉だった。白くべったりして繊維状の脂身だが、フライパンで熱すると急に縮んでしまう。親の転勤で東京に来るまではそうだった。だから、豚肉のベーコンにしばらく馴染めなかった。その頃から、しだいにクジラ肉は姿を消していったが。
また、子ども時代のすき焼きで、最初に牛脂で熱した鍋をなじませるが、脂身は赤み肉の一部であり、延長だった。熱で油を出し切ってとろとろになった脂身も、兄弟で取り合いした。それが、今は、脂身を見向きもしなくなって、ほんの少量しか使わない。(使わないこともあるという)
テレビのレストラン紹介番組で、タレントさんが牛ステーキを食して、「柔らか~い」とびっくり顔する。撮影に協力してくれたレストランへの心向けもあるのだろうけれど、< 肉が柔らかいってどういうこと > と思ったりする。わたしにとって、肉は噛み切るものであり、そしゃくするものといった思いがある。どうやら、この「柔らか~い」は、今では「美味し~い」の同意語らしい。
骨董の鑑定のため、骨董商は、わが子に最高品だけ見せると聞いたことがある。食通も、本来そうなのだろう。余談だが、高級レストランのオーナーシェフが、料理人になったいきさつを、昔、テレビで語った。徒弟制度の時代、あるレストランに雇われて、初めてハンバーグを食べたとき、この世にこんなに美味いものがあるのかと驚いたという。それが、誰もが知るシェフである。この場合、子ども時代に徹底して美食に漬かっていたわけではないともいえるが、だからといって、だれもが食通、美食家になれるとも思えないし・・・。
わたしは、ステーキの焼き加減は、しっかり焼いたものが好きだ。
(付記)
学校給食の思い出で、脱脂粉乳の温かいミルクを、同じ世代が唾棄せんばかりに語るのを聞くと情けなくなる。ミルクのおかわりに並んだ記憶はないのかと。