仙人になるのはたやすくないはず。修業は秘伝であるはず。仙人修行のそんなイメージがあるところに、本物かどうか怪しい者が現れて、仙術を修めたと自称する。聞けば、そんなものかと納得するが実にあっけない。
(本ブログ関連:”仙人”)
田中貢太郎(1880年【明治13年】~1941年【昭和16年】)の掌編、「仙術修行」(青空文庫)は、仙人志願の男が四川省白竜山の麓を彷徨い、年数をかけて偶然見つけた仙界へつながる小径(こみち)をたどり仙人たちと出会う話しだ。まるで、桃源郷に至るよう。そこで仙人たちの群れに交わるのに、何の試問もなく、いきなり彼らの行動と一体して修行を努める。そんな経験が語られる。
(本ブログ関連:”桃源郷”)
仙人修行は、俗世でも手の届きそうなくらい安逸な方法で一瞬錯覚させる。仙人が人間の延長であること。誰もが分かる方法なのだ。厄介な修練を積んで、ある境地に達したところで更に深めるというわけではない。
飛翔感は別にして、洞穴のいってみれば他愛もない、誰にもできそうな修行だが、ずっと続けるとなると、世俗の価値と吊り合わない。仙界を俗世に紹介するにはこうするしかないのか、或いは仙人を語る大嘘つきか。そんな修行部分を抜き書きしてみる。
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・(鳥の飛びたつような容(さま)をして走る仙人の)群の最後になった仙人は、彼の傍へやって来た。彼は粛然(しゅくぜん)として立っていた。仙人は瘠(や)せた手をあげて、彼を招いてから走っている群の方へ往けと云うようにして見せた。彼は仙人の群を追うて駈けだした。最後の仙人も彼の後(あと)から駈けて来た。
・絶壁の上も樹木の間も、平地を往くようにして駈け走った。そして、朝霧のかかった谷川の岸に出て、そこで衣(ころも)を脱いで行水(ぎょうずい)をやった。皆黙黙として何人(だれ)も一言(ごん)を発する者がない。彼も同じように冷たい氷のような行水をした。
・行水が済むと、仙人の群ははじめの路(みち)を走って帰った。彼もその群に交まじって帰った。皆それぞれ洞穴(ほらあな)を持っていた。行水から帰って来るとその日の行(ぎょう)にかかった。全身の力を咽喉(のど)に集めて、わあと云う懸声(かけごえ)をだした。それを一日に一万遍(べん)やることになっていた。彼も他人の使わない洞穴を求めてその懸声をはじめた。そして、空腹になれば木の実を探しに往った。それにも山の法則があって、他人の執(と)りかけたものに手をつけることはできなかった。手をつけた印には木の葉を扱(しご)いてあった。そのうえに木の傍で喫(く)うばかりで、持って来て貯えて置くことはできなかった。それがために、ひもじくなれば二里も三里も遠くに木の実を執りに往くことがあった。
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