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2011年10月30日日曜日

秩父鉱山 石灰沢 11-10-30

鉱物の会の催す鉱物採集会に参加する。採集場所は、埼玉県秩父市の秩父鉱山石灰沢で、昨年の9/26に個人的に行って以来のことである。
うす曇りのなか、新宿からマイクロバスで向かう。現地集合組と合わせて総勢30名弱だ。今回の採集会は、今までにない特徴があった。何と、小学生以下の子どもを連れた家族が3組もいらしたことだ。随分と和やかな雰囲気になった。

今回の目的は「ベスブ石」と「スピネル」の採集だ。埼玉県道210号線道路沿いの小倉沢の涸れた川原を横切り、石灰沢(地図)を前回より上側に遡った。結果は次の通り。

<石灰沢>
・ベスブ石、スピネル、灰礬柘榴石、方解石・・・(前回より成果は芳しくなく、スピネルはいただきもの)

<小倉沢>
・磁鉄鉱、方解石の球(沢の流れに丸くなったもので、孫のお土産)


(採集帰りのバスの中で、孫が妹のお休み時間に、母親とデートを楽しんだという知らせを受けた)
★★★★★ 孫が、母親と一緒に、足蹴り三輪車、ブランコ、滑り台で遊んでいる写真と動画が届いた ★★★★★

(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景

今回のソウル市長選挙(10/26)を通じて、世代別の特徴(投票の背景)をマスコミ各紙が(社会科学風に)分析している。各世代の一側面だろうけれど、下記のようにまとまったものを、今まで他に見ていない。

(参考)イ・ソンヒファンの世代構成
2010年1月時点の、彼女のファンサイト「SunnyLoveCarrot(써니사랑 홍당무)」会員について調査母数n=77であるが、10代(0%)、20代(9%)、30代(44%)、40代(39)、50代以上(8%)という、世代構成の公開情報を本ブログに記している。・・・30代を中心にしているが、1964年生まれの彼女と同世代の40代が潜在的に厚いファン層だろう。

<東亜日報の解説>
東亜日報の「[オピニオン]若者の支持獲得」(10/28)は、当選者側に支持の多かった、40代、30代、20代を次のように解説している。(支持陣営などの情報について一部省略した)

◆40代(新旧世代の間にいる)は、62~71年生まれで、80年代に大学に通った386世代だ。
87年の民主化デモを記憶している抗争世代だが、景気の好況期に難なく職に就き、しばらく生活水準の向上を体感した。97年の通貨危機当時、高い地位にいなかったので構造調整も避けられた。しかし、数年前から、子どもの教育費の高騰と高い大学授業料に苦しみ、老後の備えができない人が多かった。中年以降が不安だと感じる人が変化に票を入れたようだ。
⇒40代をつかむには教育費の軽減の解決が急務だ。

◆30代は、72~81年に生まれで、90年代が大学入学年度だ。
彼らは、学生時代からコンピュータを使用した世代なので、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)適応力が高い。97年の通貨危機を体験し、就職の時から苦労し、まだマイホームのない人が多い世代で、チョンセ(高額の保証金を預ければ、その運用益で家賃負担が不要となる賃貸方式)価格の上昇に苦しんでいる。子どもが幼く、無償給食、無償保育の公約にも敏感だ。選挙日の終盤に投票所に走っていくネクタイ、ハイヒール部隊が主にこの世代と分析される。
⇒30代をつかむにはチョンセ価格の引き下げと無償給食・無償保育の解決が急務だ。

◆20代は、82~91年に生まれで、2000年代が入学年度だ。
多くの人が大学に進学する高学歴時代を生きているが、雇用のない成長の中で就職難に苦しんでいる。授業料半額公約に共感し、若年失業の解消を望んでいる。
⇒20代をつかむには若年失業の解決が急務だ。

<朝鮮日報の解説>
① 記事「ソウル市長選:世代間交流の途絶」(10/29、chosuncom)によれば、(「情報収集や交流の手法が完全に異なっている」)世代間の違いを次のようにネーミングしている。
・金文朝(김문조)高麗大学教授(社会学科)は「50‐60代が理性的な<談論世代>だとすれば、SNSを積極的に活用する20‐30代は感情的な<トーク(対話)世代>として、両者は文化的に大きく異なる別の種族」と語った。

② 記事「ソウル市長選:現在の40代、87年当時の30代と同じ地位」(10/29、chosuncom)によれば、40代の地位が大きく変わったことを次のように説明している。
・87年当時の40代は、企業で部長以上の中堅クラスに昇進し、安定的な階層となっていたのに対し、今年の40代は、87年当時の30代と同じく、課長クラス程度の不安定な階層で苦闘を強いられている・・・、現在の40代が、以前のような「安定的な階層」から「不安定な階層」に転落したという現実があるものとみられる。

2011年10月29日土曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

2004年、イ・ソンヒの20周年記念コンサートで歌われた「秋の風(갈바람)」(歌詞、1985年の2集アルバム)の映像が次のYoutubeにある。
西から吹いてくる風は、秋を促し葉を染める。そして、この歌のように心を奪って行ってしまう。秋の風は、彼の地を問わずせつない。けれど、イ・ソンヒの歌は情熱的だ。そして美しい。
この「秋の風」については、既に2回(2010/9/1、2011/9/4)記しているけど・・・。

(本ブログ関連:”秋の風”)


(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

(追記)
慶尙日報のコラム「値千金な国語」(1/17)に、「秋の風(갈바람)」について次のように解説している。(홍영진記者)
・ 「ガルパラム(갈바람)」は、西から吹く風を意味する。( 「カル(갈)」は西側を意味する言葉で、「ハヌィ(하늬)」と同義) また、「ガルバラム」は、秋の風の略語として使われたりもする。

この秋は、先日の木枯らし1号で吹き飛ばされたかもしれないけど、まだ少しの暖かさと大部の寒さの間を行きつ戻りつするだろう。

2011年10月28日金曜日

孫の変身

孫が変身したという知らせが届いた。朝から強い子になったのだ。
毎朝、保育園に通うのに「行きたくない」と泣いたりしていたのが、オオカミになってから、平気になったらしい。先日、吉祥寺で求めたオオカミ帽子をかぶって変身したのだ。

今朝は寒い。防寒の厚着をしてもらい、頭にオオカミ顔の帽子をかぶり、保育園に出で立つ元気な孫が可愛い。男の子は変身が大切だ。それを見守る母親の眼差しを感じる写真が届いた。

変身できる孫がうらやましい。頑張れ!

ケ・セラ・セラ

ドリス・デイは、とても家庭的な感じがした。そう、豊かなアメリカの生活を勤(いそ)しむ優しい母親像が似合った。彼女の実際の人生は別として。
ヒット曲「ケ・セラ・セラ(Que Sera Sera)」は、恵まれた人生に世界を疑わず、素直に生きる女性の歌として聴くことができる。陽が射す空を、眩(まぶ)しげに見上げるようなあかるい歌だ。

幼いころ母親にたずねたこと「わたしどうなるの」、成長して恋人にたずねたこと「これから何があるの」、そして結婚して子どもたちにたずねられたこと「わたしどうなるの」、それら全てに答えが決まっていた。
そう、「ケ・セラ・セラ、なるようになる」のだと。

人生って、知り過ぎていてはいけない。まだ見ぬ未来に、希望を託せる程度に幸せと遊びが必要なようだ。

(Youtubeに登録のzennmannに感謝)

(本ブログ関連:"ドリス・デイ")

2011年10月27日木曜日

仮面で変身

新宿のフルート教室の帰り、駅事故があったせいで電車が遅れて、ようやく地元駅を降りたところ、コンコース(という程でもないが)に、小さな屋台が出ていた。饅頭などの菓子類の他に、子どもたちが喜ぶTVに登場するキャラクターの仮面がいくつも並んでいた。近づいて見ると、孫の好きな?ウルトラマンの仮面も何種類かあった。

「一番上の段の、ドラエモンの直ぐ左にあるウルトラマンをお願いします。」と頼むと、店の主人に「ウルトラマンセブンですね?」と念を押された。実は、初代ウルトラマン以外、はっきり識別できない。そんなわけで、「ええ、それを」といって求めたわけだが、孫は喜んでくれるだろうか。もっと別のキャラクターにした方がよかったのだろうか。

ハロウィンの仮面ではないけれど、孫もウルトラマンセブンの仮面で、しばらく夢の空間にはまって遊ぶことだろう。子どもは素晴らしい、いつでも変身できるのだから。

イ・ソンヒの写真

何度触れたことだろう。イ・ソンヒの「Jへ(J에게)」は名曲である。この曲の作家との運命的な出会いは、その後、彼女に輝くデビューを贈ることになる。祥明女子高の3年生のときだった。
仁川大学の1年に在学中、音楽グループ<四幕五場>に属した彼女は、イム・ソンギュンと組んで、MBC第5回「江辺歌謡祭」(1984年)に登場し大賞を受賞して、デビューを果たす。

(本ブログ関連:"Jへ")←表示後、画面右下の「前の投稿」をクリックを!

<四幕五場>当時の彼女の写真が、次のYoutube映像にある。
デュエットを組んだイム・ソンギュンと一緒に並んだ、前段のポートレートと、後段の歌謡祭壇上のものである。前段の二人の写真は始めて見た。若者の初々しさと不安が垣間見える、まさに青春そのものである。「江辺歌謡祭」以前のものだろうか。



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2011年10月26日水曜日

ハロウィンのこと

テレビなどで、アメリカの白人家庭の子どもたちが夜に、骸骨や魔女の奇怪な仮装で、ご近所を廻ってはお菓子をいただく「ハロウィン」の風習を見かけたことがある。カボチャをくりぬいて作った暗闇に光るランタンもお決まりだ。宗教行事というよりは、お祭りのような気がするが、一体どうなのだろう。

超現実的になれる子どもだからこそ、ハロウィンのお祭りのなかで、大人には見えない悪魔的世界と一瞬通じる不思議な感覚を持つことができるのかもしれない。恐怖を感じ、恐怖を楽しんでいるのだろう。それは、子どもだけが知っている、互いに共有できる感覚だ。もう忘れてしまったが。

ハロウィンの言葉を身近に知ったのは、高校時代に読んだレイ・ブラッドベリの短編小説のなかのことだ。読書というものは自分の閉じた世界で楽しみ記憶に残すもので、ことさら見える形にしてまで求めるものではない。だから、ハロウィンは曖昧なまま心に残してきた。子ども時代に感じた、恐怖と平穏の境を懐かしむように。

ところで、日本のハロウィンブームはどうだろうか。子どもたちは、塾やお稽古ごとに忙しく、集団になることにも慣れていないし、ご近所にしてもコミュニケーションがとれていないこのご時世、アメの準備どころか唐突に来られても戸惑いがあることだろう。子どもを平気で暗闇に出してやる親もそうそういない。まして、いただいたアメに対す信頼性も怪しい時代なのだから。

日本ではまだ、若い女性がイノベーターとなって支持する、ファッション感覚のイベントに近い気がする。それを、ファッション誌や特定の都心の商業地がブームを形成しようとしているのだろう。
ところで、ご近所で子どもたちのハロウィンごっこの光景を一度だって見たことがないが、回を重ねて、年を経れば、バレンタイン行事のようになるかもしれない。(弁明として、フォーマルなものの起源も、先端ファッションであり、それが変遷して定着したものであることを考えれば、ハロウィンもバレンタインのようになるかもしれない。)
ただ、子供の方が正直だとだけ言っておきたい。

ふと気になったことがある。アメリカにも昔の日本のような駄菓子屋があれば、こんな大騒ぎをしなくても済んだのに・・・、そんな訳ないか。


(付記)
日本経済新聞の記事「東京に冬の訪れ『木枯らし1号』」(10/26)によれば、寒い今日、「木枯らし1号」が訪れたことを次のように知らせている。
・気象庁は26日、冬の訪れを告げる「木枯らし1号」を東京都心で観測したと発表した。昨年と同じ日で、この10年間では最も早かった。
・同庁によると、26日は西高東低の冬型の気圧配置となり、東京都心で午後5時前、最大瞬間風速15.0メートルの北西の風を観測。寒冷前線が南下した影響で最高気温は20.3度と、25日の26.9度から大幅に下がった。
・気象庁は、東京都内について、10月半ばから11月末までに初めて吹いた最大風速8メートル以上の西北西~北の風を木枯らし1号としている。


★★★★★ 孫ふたりが、父親の上になったり横になったり、纏(まと)わりついている写真が届いた ★★★★★

2011年10月25日火曜日

結局ROSATはどこに?

ドイツのX線観測衛星(ROSAT)は、結局どこへ行ったのだろう。先日、chosoncomの記事タイトルのように「ドイツ衛星、中国、渤海湾付近に墜落のよう」(10/23 11:09)といった予想があったが、ぎりぎりまで分からない状況だった。

結局、日経新聞の記事「独衛星、日本落下なし インド洋上で大気圏突入か」(10/23 18:30)によれば、
・ドイツ航空宇宙センターは23日、エックス線天文衛星「ROSAT」が日本時間同日午前10時45分から午前11時15分の間に大気圏に突入したと発表した。米戦略司令部の情報によると、突入地点はインド洋上空とみられる。
・落下地点の特定は難航が予想される。ドイツ航空宇宙センターは軌道の計算による割り出しを進めるとともに、目撃情報などを集めている。

で、落下地点は、今現在も不明のようだ。

(本ブログ関連:"ROSAT")

2011年10月24日月曜日

霜降 2011

とりとめなく綴る。

今日は、二十四節気の「霜降(そうこう)」、寒さが進み霜が降(お)り始める頃を指すが、霜はまだ見ていない。
九州から東京の小学校に転校して、通学路わきにあった関東ローム層の畑の黒土が霜でもりあがっているのを見たとき、輝安鉱のように美しく輝く霜柱に驚いた。霜をグサグサと踏み潰して歩き、それが粉々になるのが楽しくてしょうがなかった。

二十四節気の「霜降」は、牛肉の「霜降り」ではない・・・当たり前だが。
ところで、テレビなどで、牛肉を食して「このお肉、柔らかいですね」などというものだから、子どもまでが「柔らかい」と言うようになった。私の子ども時代には、料理に牛肉が入っていたら、「肉がある!」と叫んだものだ。断じて、肉料理に「柔らかい」という言葉を軽々使うべきでない!・・・うん。(小言じみてきたなあ)

寒むくなるので、近所のスーパーで、インスタントコーヒーを探した。韓国では、インスタントコーヒーはスティックコーヒーが定番というか主流だそうだが、砂糖を敬遠しているので、ためらっていた。ところが、いったんA社のブレンディーを飲んでみると、手間いらずで、「これで、いいじゃないか」ということで、今日も買いたした。

インスタント・スティックコーヒーと一緒に、円形蛍光灯ランプを探した。P社のパッケージに、昔馴染みの「サークライン」という表記がない。インターネットで調べてみれば、「サークライン」はT社の商標とういうことを初めて知った。
「電球色」のものを選んだ。つけてみると、まるで懐かしい裸電球の光がする。部屋が一瞬、暖かい昭和に戻った気がした。食卓の明かりだった。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 並唱

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/19)に、弾き語りの音楽である「並唱〔竝唱〕(병창)」が紹介された。

はじめに、演奏スタイルについて次の通り説明があった。
・並唱〔竝唱〕(병창): パンソリの演奏の前に発声練習を兼ねて歌う短い歌(단가)、また各地方の民謡を歌うときなどに、このスタイルがとられる。また、弦楽器の伽耶琴(가야금)とコムンゴ(거문고)を使って歌と演奏をする場合、それぞれ、カヤグムビョンチャン(伽椰琴並唱)、コムンゴビョンチャン(コムンゴ並唱)と呼ぶ。
・併奏(병주): 二つの楽器による演奏スタイルで、例えば、笙に似た笙簧(생황)」と、短い縦笛の短簫(단소)が代表で、楽器名を合わせて「笙簫併奏(생소병주)」と呼ぶ。

<カヤグムビョンチャン>
▼パク・グィヒ(박귀희)による「タンカ(カヤグムビョンチャン)」を聴く。あれっ、以前・・・そう、チュンモリチャンダンの紹介のとき聞いたお声だ(8/1)。のりがよいというか、おもわず聞き入ってしまう。とても健康的な感じがする。

・他の伝統音楽の分野に比べ、多少、低く見られがちだったが、近年、様々な演奏家が発展に努力を重ね、これらの活躍により、1968年、散調と共に重要無形文化財第23号に指定されている、とのこと。

(参考)「伽倻琴竝唱」:韓国伝統ソリ文化より

・最近では、洗練され、楽器についても伝統的な伽倻琴よりも、改良された「25弦伽倻琴」で並唱を行うことも多くなってきている、とのこと。
▼チャン・ソユンによる「蘭、私の姿(난초 내 모습)」(25弦伽倻琴並唱)」を聴く。詩人の号から取った歌だろうか。25弦伽倻琴の現代風演奏と、素朴な語り・・・なるほど、演奏家の子ども時代のものなんですね。

(参考)「ホナンソラン(허난설헌:許蘭雪軒)」:ko-Wikipediaより

<コムンゴビョンチャン>
▼シン・クェドンによる「セタリョン(コムンゴビョンチャン)」を聴く。このお声も、以前(5/4)、コムンゴの紹介のときに聞いている。音に飾りがなく透明感がある。伝承者が少ないのが現状だそうだが、継承されんことを・・・。

2011年10月23日日曜日

イ・ソンヒの「ハンネの別れ」

「1975年キム・ヨンドン(김영동)芸術監督が音楽を引き受けて国楽ミュージカルとして初めて舞台に上がった」、「ハンネの昇天」の中から「ハンネの別れ(한네의 이별)」を、1994年「ソウルの愛コンサート」で、イ・ソンヒが歌う映像がYoutubeにある。
(なお、1977年には、ハ・ギルチョン(하길종)監督によって映画化されている。)

「ハンネの昇天」については、LifeDaeug掲載の、2007年「第1回大邱国際ミュージカルフェスティバル」公演の「国楽ミュージカル"ハンネの昇天"」の記事に解説されている。土俗的な因習、仏教的な輪廻観、そして羽衣天女譚などで構成される、とても重く苦しい悲恋物語のようだ。

イ・ソンヒは、1992年に新しい境地を切り開こうと、キム・ヨンドンと一緒に、国楽と彼女の音楽との融合を試みて、第8集「小船(조각배)」を出した。彼女にさえ巡ってきた音楽的苦難の時代があり、その中で試みたひとつである。東洋的回帰への試行は、後の代表作となる「因縁(인연)」に結実する。



(Youtubeに登録の526apolloに感謝、感謝)


(程よい日和の今日、孫たちが多摩動物園に行ったという知らせを受けた)
★★★★★ 孫が、ライオンバスの窓の手すりをしっかり掴み、ライオンの群れを見ている写真が届いた ★★★★★

2011年10月22日土曜日

ROSATの落下ルート

10/23、07~21時のROSAT地上軌跡
文科省のfacebookに掲載の、「総理官邸内危機管理センター内の『ドイツ人工衛星落下に関する情報連絡室』より」発表の「ドイツ人工衛星に関する情報について」を、次に転記する。(10月22日16:30 )

・ドイツ航空宇宙センター(DLR)の情報によれば、ドイツのX線観測衛星(ROSAT)は世界協定時の10月22日18時から23日12時(日本時間10月23日03時から23日21時)に大気圏に再突入すると予測されています。(略)

  
・日本上空において大気圏に再突入する可能性は完全には否定できませんが、ROSATは、明日23日09時30分頃に南西から北東にかけて日本列島上空を通過する見込みです。


・「日本上空の時刻(日本時間)」(Jaxa作図の軌跡図)
① 10/23、09:30頃
② 10/23、15:40頃
③ 10/23、17:10頃
④ 10/23、18:50頃


さてさて、「人間に当たる確率は『2000分の1』で、同衛星が2000回落ちると仮定した場合に1人に当たる頻度に相当する。陸上にいる特定の人物に当たる確率は15兆分の1という。」(YOMIURI ONLINE)とのことだが、何度聞いてもわからない。地上に人間は、決して均等に分布しているわけではないのだから。
果たして、日本に落ちるのか、落ちないのか。まして人に当たるのか、当たらないのか。

(本ブログ関連:"どうしよう、今度はドイツの人工衛星が落下だって")

ピーター・ブリューゲル

テレビ東京の「美の巨人たち」は、小林薫の淡々として飄々とした語り口で、美術作品を様々な視点で解説する番組だ。先週(10/15)、伝ブリューゲル「イカロスの墜落の風景」を紹介した。

(大)ピーター・ブリューゲル(Pieter Bruegel, 1525/30年-1569年9月9日)の絵は、芸術作品というより、身近に馴染みやすい、もっと言えば、庶民の体臭さえ感じる。北方ルネッサンス絵画の中で、遊ぶ子どもたちの姿を、収穫の農作業にくたびれて昼寝する農民の姿を、最も人間らしく描いた画家ではないだろうか。以前、本ブログで触れたこともあるが、思い出方々、思ったまま再度記してみよう。

私の中学時代に、国別・時代別の大部の美術全集が学校の図書室に並んでいて、借り出しては、退屈な授業の合間に眺めていた。その全集の中にブリューゲルの作品が収められていた。
当時、「農民画家」と呼ばれて妙な持ち上げ方をされていた。美術全集の中の彼の作品を見れば、そんな評価に違和感を感じたものだ。子どもなので、ボッシュの系列に位置づけられたりする奇想さに関心もあったけれど。

高校時代になると、画家別の手頃な全ページカラー印刷の美術全集が登場して、ブリューゲルもその1巻となった。いろいろな意味で、ファン層が拡大したと思う。

社会人になって、ブリューゲル研究の第1人者である、森洋子教授のオープン講座に出席したところ、なんと会場を中年女性が埋め尽くしていた。海外旅行先を主要商業都市から、競い合うように地方古都市に移していったように、ブリューゲルにも関心が向けられたのだなと複雑な気持ちになった。(ああ、中年女性を敵に回してしまった・・・)

農夫であれ、職人であれ、商人であれ、そして彼らの子どもも含めて、庶民という名に生きて、働き、いつか死ぬひとびとの本当の強さを、ブリューゲルは感じていたのかも知れない。神や神話との距離の同心円内に、庶民も見ていたのだろう。
歴史を超えて、日々働き生活する庶民は、保守的だが強固にその立場を守る。ブリューゲルの絵に、そんな庶民の力強い生活観がいきいきと見えてくる。とはいえ、彼は安易な接近や同調もしなかったろうし、シニカルな目も持っていたことだろう。庶民だって、そのことは承知していたと思う。

今よりも静かな時代、遠くの教会から鐘の音が聞こえてくる、そんな農村風景の中に身を置いて、ブリューゲルの絵を眺めてみたい。

私の好きな、ブリューゲルの絵は、「農家の婚礼」と「農民の踊り」だ。

(本ブログ関連:"イカロス")

2011年10月21日金曜日

オリオン座流星群

外灯の明かりに照らされて、ぱらぱらとわずかだが雨滴が降ってくる。先日(8/13)の「ペルセウス座流星群」は曇り空で残念だったが、今日の「オリオン座流星群」は小雨のためにもっとだめだった!

weathernewsのソラマド特別番組「SOLiVEスター」(23:00-25:00)は、全国7元ライブ中継を試みたものの、新潟県の胎内自然天文館(いそやん担当)の上空にかすかに星座が見えただけで・・・同地は中継時間内ではないけれど、番組内で流星を2つ以上ゴールした。リプレイ映像で、その流星を確認することができた。
流星を実況中継できないかわりに、怪しい馬?が出てきたり、超ミニUFOの噂が流れたりと、理系人間のギャグが炸裂した愉快な番組だった。

イ・ソンヒ「私はいつもあなたを」との出会い 「NHKに恋ハセヨ」

月刊「朝鮮」(2011年11月号)に、NHKプロデューサー上嶋隆一とのインタビュー記事「KPOPが日本語を変えている(K­POP이 日本語를 바꾸고 있다)」(インタビュアー:廉東浩)が載っている。

・二十を超えたばかりの日本人青年(上嶋隆一)が、韓国語を学ぼうとソウルを訪ねたのは1987年、大学4年生の時であった。(当時の韓国の政情が語られる)
・(騒然とした)ソウルの空気を吸って、下宿代わりに使用していた新村(신촌)の奥まった宿屋に帰ってきた。郷愁を慰めるためにつけておいた白黒TVに、一曲の歌が流れた。意味は分からなかったが、小さい体格のメガネをかけた女性歌手の歌は、彼の耳と目を画面に釘づけにしてしまった。歌手イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」だった。「こんなにきれいで、美しい音があるとは…」 青年は、韓国語の美しさに魅了された。
・(カセットテープに収められたイ・ソンヒの歌を求めて、ソウル市内を駆け巡ったり、公開放送録画現場で女中高生の中にまぎれて熱狂したりした)
・このように韓国歌謡を愛する彼が、2011年10月30日、ソウルで「NHKに恋ハセヨinソウル(NHK에 고이하세요 in 서울[NHKに戀하세요])」というテーマの公開放送を進行する。

日・韓+英の番組タイトルができあがったようだ。

ところで、放送スケジュールについて調べてみると、どうやら主催は、NHKワールドラジオ日本コリアンサービスによるもので、在韓日本大使館のイベント情報欄に次の通り掲載されている。
・出演:梅津正樹アナウンサー(NHK)、イム・スミンアナウンサー(KBS)、古家正亨(コリアンカルチャーナビゲーター)、山田敦子アナウンサー(NHK)
・日時:10月30日(日)午後1時から(12時30分開場)
・場所:在韓日本大使館公報文化院ニューセンチュリーホール(定員126人)/ ソウル特別市鍾路区雲泥洞114-8


(深大寺の近くにある植物園に、孫娘がバラやダリアを見に行ったという知らせを受けた)
★★★★★ 孫娘が、公園のススキの原を勇ましく、両手両足でハイハイする写真が届いた ★★★★★     

メアリー・ブレア 生誕 100周年

今日のGoogle画面のロゴは、可愛らしい色彩で描かれている。

メアリー・ブレア(1911年10月21日~1978年7月26日)の生誕100周年を記念してのことだ。2年前の9月18日に、東京都現代美術館で開催された「メアリー・ブレア展」に行ったことを思い出した。

彼女が担当した、ディズニーアニメ作品の色彩は、まさにアメリカの豊かさを象徴していた。それは、清潔で、色鮮やかで、まぶしかった。金髪で青い目をした、肌の白い主人公たちの世界だ。ディズニーが、世界市場への適合を意識していない、アメリカの国力が十分にみなぎっていた時代の色彩だ。ぼくらは、それを無条件で受け止めていたし、欲していた。

(本ブログ関連:"メアリー・ブレア")

2011年10月20日木曜日

韓国文学翻訳院「東京フォーラム」

新宿のフルート教室の後、地下鉄赤坂三丁目駅そばにある「韓国文化院」に、韓国文学普及のため設けられた「韓国文学翻訳院」主催の「東京フォーラム」(10/19-20)に行く。

今日は、申京淑(신경숙)と津島佑子の対談「文学に見る家族」がある。文学論に深くないので、今回の一番の目的は、申京淑がどんな感じの人かを見るためだ。
彼女は、親しみやすく、穏やかに笑いをまじえながら話す。一言でいえば、気さくな感じがする。とはいえ、対談のなかでこたえる彼女の言葉は明晰で、現代人を、家族を、作品中の登場人物を語った。だから、時代のなかの喪失感であり、家族探しであり、家族の再構築が語り合われた。話題の中心に、彼女の最新の「母をお願い(엄마를 부탁해)」(日本語翻訳版:集英社)が置かれた。
そして、津島佑子の言葉には、申京淑に対する「お姉さん」の眼差しが感じられた。

(本ブログ関連:" J物語"、"浮石寺へ"、"離れ部屋"、"いま、私たちの隣りに誰がいるのか")

ところで、イ・ソンヒと申京淑(シン・ギョンスク)は同じ世代である。
・申京淑は1963年に、イ・ソンヒは1964年に生まれている。
・イ・ソンヒは1984年に江辺歌謡祭で「Jへ」を歌い、申京淑は1985年に短編「冬の寓話(겨울우화)」でデビューした。
・2002年に、申京淑は、「J物語(J이야기)」を発表した。
・今年、申京淑の「母をお願い」がアメリカで出版され、イ・ソンヒはカーネギーホールでコンサートをおこなった。
そして、イ・ソンヒと申京淑は、ともに気さくな話し方をする。

(追記)
素人ながら気になるのは、集英社が、すでに「母-オモニ-」(姜尚中)を出版していたので、同社としては、申京淑の作品タイトルを「オンマをお願い」ではなく、「母をお願い」にしたのだろうか。それから、装丁(写真、レイアウト、色彩)について、初めて文庫本を見たとき思わず息が止まってしまった。

(付記)
フォーラムが始まる前に、赤坂三丁目駅近くにある「雲南米線」という中華料理店で、昼食に「マーラー米線」をとる。四川料理のマーボ豆腐に似た味付けで、真っ赤なヒリヒリしたスープに、半透明の柔らかい米線(米で作ったヌードル)が入っている。食べ初めて一時食がひるむが、やがて独特な香料にもなじんでくる。汗を出しながら、無事に!食べきる。癖になりそうだ。
テレビなどに見る、雲南の少数民族の人々の顔に、日本人に似た懐かしさを覚えることがある。なお、雲南省は四川省の南に隣接している。

2011年10月19日水曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

SBS歌謡ショー「イ・ソンヒと友人達」で、イ・ソンヒが番組の最後に歌う「私はいつもあなたを(나항상 그대를)」(歌詞:1988年)の映像がYoutubeに登録されている。以前、同番組で、「私の街(나의 거리)」(歌詞:1989年)を歌うものも本ブログにエンベッドしたが、この番組での彼女の姿はとても良い。



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「私の街」")

2011年10月18日火曜日

孫たちと公園散歩

先日、孫たちと一緒に吉祥寺に行ったのが火曜日(9/6)、今日の火曜日に、また孫たちと一緒に吉祥寺に出かける。伊勢丹跡の複合商業施設「コピス吉祥寺」で、孫たちの冬服選びのお供をする。孫(お兄ちゃん)はなぜか、オオカミ帽子が気に入ってずっと被っていた。孫娘(妹)は、さすがに女の子、可愛い服はどれも皆よく似合う。つまり、孫娘はとても可愛いのだ。

井の頭公園の野外舞台前の広場で、孫と一緒に階段を上ったり下りたりして遊んだときはまだよかったが、公園池の七井橋を渡り、井の頭自然文化園(分園)で走り廻って遊んだ頃には、だんだんと疲れが出てきた。そして、本園に着いたとき、とうとうギブアップした。追いかけっこで捕まえたときに、抱っこしたりしたのがいけなかったのか、無理がきかなくなった。

孫と遊ぶのは疲れる。だから、孫に言ってみた。「お前は、どうして、疲れないんだい?」ってね。孫は何も答えてくれない。
でもねえ、そんな元気な孫たちも、別れ際には、孫は父親に、孫娘は母親に抱かれて寝入っていた。ああ、また可愛くなる。

(本ブログ関連:"孫と買い物")

(追記:帰宅後すぐに目覚めた孫は、お腹がすいたと親をせかして急いで夕飯を用意させた)
★★★★★ 孫が、目覚めてすぐの夕飯を前に、得意そうに食事椅子に座っている写真が届いた ★★★★★