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2024年5月18日土曜日

公園の南側巡り、カルミアの花と蕾(つぼみ)

快晴の土曜日の昼下がり(午後3時半ころ)、いつもの公園の南側を巡った。考えてみれば久し振りのこと。切り通しのように幹線道路が公園を東西に横切っていて、南側へ行くのに陸橋を渡る必要がある。そのため、わずかだが坂道を登ることになる。ただそれだけのことなのに、足腰の按配がよくなくて、最近おっくうになっていた。

公園の南側には大きな原っぱもあり、小さな子ども連れの家族で賑わっていた。時間的に、そろそろ帰り支度する様子もうかがえるころだった。

カルミアの花と蕾(つぼみ)

公園の散歩道にしたがい巡っていると、サービスセンター近くにある小屋のそばに、今まで気付かなかった白っぽい薄紅色の「カルミア」(ツツジ科)の花が咲いていた(幹に「カルミア」のプレートがあった)。
プレートには「常緑低木で葉は有毒、花には葯(やく:雄しべの先の花粉が入った袋)を入れるポケットがある」と記されていて、ここでは見上げる程だった。
花は、まるで白い傘を上に向けたような、萼とつながった5枚の花弁があって、雄しべが花冠に貼り付くように放射状(5×2本)に伸びている。

公園北側へもどるのに、別の陸橋を渡ろうと坂道をのぼったとき、道ばたに丈の低い美しい花があった。蕾(つぼみ)を見ると実に可愛らしい。見たことある花?・・・見おろしながらカメラにおさめて、サービスセンターへ戻り確認したところ、カルミアの花と蕾だと教えてもらった。

カルミアは、常緑低木で 0.2~5m の丈があるという。花を見上げたり見おろしたりできるわけだが、そのたび花の姿が違って見える(そんな早とちりをした)。また、蕾は薄桃色の濃いめで、形が「金平糖」に似て可愛らしい・・・といわれているようだ。


見上げたカルミアの花(写真左)と、見おろしたカルミアの花と蕾(写真右)


2024年5月17日金曜日

(資料)世界情報社会・電気通信日

きょう(5/17)は、「世界情報社会・電気通信日」である。日常利用する通信について紹介するとき、まず「電気通信」と「情報通信」の違いから説明することが多い。
電気通信は、電信・電話網の技術であり、情報通信はコンピュータ・ネットワークの技術である。違いは、一言でいえば、通信できる「帯域」(周波数の幅)の差だ。それにより、通信手段の種類が分けられる。

●この「世界情報社会・電気通信日(5月17日)」の制定(決議)について、Wikipediaは次のように紹介されている。
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・「国際電気通信連合 (ITU)」は、前身の「万国電信連合」が 1865年5月17日に設立されことを記念して、「世界電気通信の日」として制定した(1973年)。
・「世界情報通信サミット」は、世界電気通信の日と同じ5月17日を、「世界情報社会の日」にすることを決議した(2005年)。
・「ITU全権大使会議」は、上記の2つの国際デー5月17日を合わせて、「世界電気通信および情報社会の日」とすることを決議した(2006年)。
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国際デーの順序の通り、電気通信の技術は歴史的(技術的)に情報通信へと進展した。
以前、ブログで触れたことがあるが、電気通信について、電信と電話に関連する資料を見てみたい。

電信
・送信:電線に接触(モールス信号)して符号を送信する。
・受信:電線から電気信号(符号)を、電磁石を利用して受信(感知)する。
・日本初の公式な電信機は、ペリー提督の2度目の来日(1854年)時に、米大統領から江戸幕府へ贈られた「エンボッシング・モールス電信機」である。

(本ブログ関連:”電信”)

❶-1:電信の基礎
●(資料-1)NHK for school
「通信の始まりは電磁石」
- https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005300719_00000

❶-2:日本での事例(西南の役)
・「西南の役」(1877年:明治10年1月29日~9月24日)の戦況通信の手段に使われた。
・「西南の役」当時の通信の様子を描いた「錦絵」を見たことがある。錦絵から、電信柱が十分なかったため街道の並木を替わりにして、電信線を架けていたのが分かる。
・東京~鹿児島間は長距離である。電信線の直通は電信線の抵抗が増すため、複数の地方電信局に継電器(リレー)を置き、電信線をつなぎ減衰を防いだ。

(本ブログ関連:”西南の役”)

●(資料-2)山口県文書館: 第13回中国四国地区アーカイブズウィーク
「『文書館レキシノオト -「音」で読み解く防長の歴史 - 西南戦争と電報』解説シート」
- https://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/archivesexhibition/AW13%20rekishinooto/25.pdf

●(資料-3)和楽web
「西南戦争勃発時は脆弱だった!?電信と電話の普及に奔走した石井忠亮」(大井 昌靖、2022.01.22)
- https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/187954/


電話
・「電話」の帯域は、人間の可聴域(声の周波数は4000Hz以下)に合わせて、300~3400Hz とした。
・3.4kHzあれば、電話口の声で相手を識別できるとされたことによる。ちなみに CDの周波数の上限は、~20、000Hz である。

●(資料-4)LoopGate:テレビ会議ブログ
「音声通話における周波数や音質、聞こえ方の違いについて解説」(2023.06.29)より
- https://loopgate.jp/guides/knowledge/use-tips/guides-5600/
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音声周波数とは、電話やWeb会議などの音声伝送に使用される周波数の幅のことです。もともと一般電話では300Hz~3400Hzの音声周波数帯域でしたが、(モバイル専用の通信規格の1つ)VoLTEでは50Hz~7000Hz、VoLTE(HD+)では50Hz~14.4kHzと時代とともに可聴音のレベルに近づいてきました。また、一部のテレビ会議などでは20kHzに対応しているものもあります。
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2024年5月14日火曜日

自然観察園

昨日の早朝、風を交えて雨が降り始め、夜遅くになってともに止んだ。明けてきょう、明るい日射しを受けた樹々の葉は、きのうの雨に洗われてか緑に輝いた。

昼下がり(16時に)、5月の薫風にあたろうと、公園に併設の「自然観察園」へ出かけた。この時刻の太陽高度は意外に高く、頬(ほほ)をじりじりと焼くのを感じた。

例によって、観察園入口で配布の(今月の)「花だより」(見ごろの花一覧と観察順路図を記載)を手にして園内を巡った。人影がまばらの園内は、辺り一面、夏草に覆われていた。途中に出合った「エノキ」の緑陰と、雑草を照らす日向とのコントラストに、みなぎる生命を感じた。


スイカズラ(写真左)、シラン(写真中央)、キショウブ(写真右)
・観察園に入ってすぐに、ツタのための柵があり、「スイカズラ(吸い葛)」の花が白から黄に変わる様を見ることができる。常緑つる性木本で、草のように見えて木質である。「細長い花筒の奥に蜜があり、古くは子どもが好んで花の管の細いほうを口に含んで甘い蜜を吸うことが行なわれた」(Wikipedia)とのこと。知っていれば、味わってみたのに。
・小柄なラン科の野草「シラン(紫蘭)」が、観察順路とを区分するロープそばに、紅紫色の花を咲かせていた。すぐに目につくおとなしい花だ。
・「かがみ池」の岸辺に、黄色の大きな花を咲かせた「キショウブ(黄菖蒲)」が群生していた。遠目にも目立つ。観察園のボランティアの方が居合わせたので、話をうかがったところ、外来種(要注意外来種)で、今後の扱いをいろいろ検討しているとのこと。たしかに、「花だより」にも、園入口の掲示板の写真にも紹介がない。

(本ブログ関連:”スイカズラ”、”シラン”)


調度、閉園時間(16時30分)となり退出した。帰り道、「カモジグサ」が小川の土手に沿うようにたくさん生えていた。

公園を離れたところにある小公園に寄ったところ、池の水は相変わらずで、水鳥たちの姿を見かけない。がっかりしていたら、足元の石畳の上を、ミミズ*を口にくわえた「ムクドリ」が小走りに横切り、草むらに姿を消した。
(*)きょうは、二十四節気「立夏」の<次候>「蚯蚓出(みみずいずる)」の最終日。

2024年5月12日日曜日

母の日

5月の第2日曜日を、アメリカの例にならい、日本でも「母の日」としている。本来、国民の祝日「こどもの日」を定めた法律に「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」の趣旨があるのだが。

(本ブログ関連:”母の日”)

合わせて、きょうは、近代看護の象徴的存在である「フローレンス・ナイチンゲール」(1820年5月12日~1910年8月13日)の誕生日(5/12)であり、その功績に対してこの日を、「国際看護師評議会(ICN)」は、1965年以来「国際看護デー」(ナイチンゲール・デー)として祝わっているそうだ。

ちなみに、赤十字社の創設に深くかかわった、スイスの実業家「ジャン=アンリ・デュナン」*(1828年5月8日~1910年10月30日)の誕生日(5/8)に合わせて、(ナイチンゲール・デーと4日間の差だが)「世界赤十字デー」となっている。また、彼は1901年の「第1回 ノーベル平和賞」を受賞している。
(*)アンリ・デュナンの人生には、大きな波乱があったことをWikipediaで知った。帰りたくても帰れない思い・・・

母の日のきょう、「エセーニン」の詩「母への手紙」に触れることが多いが、今回は少し趣きを変えてみたい。若き詩人の思いと、中高年の思いと・・・。

(本ブログ関連:”エセーニン”)

「すぎもと まさと」(1948年~2015年5月10日)の「吾亦紅(われもこう)」**(作詞ちあき哲也、作曲杉本眞人、2007年)を聴いてみる。Youtubeの写真が曲のイメージに合わせて沁みる、登録者”The Man”に感謝。
(**)作曲家である杉本真人が、歌手「すぎもとまさと」として発表した楽曲

2024年5月11日土曜日

「巡検」という言葉の出自がわからない

地学的関心を持って実地調査・踏査に訪れることを「巡検」といったりする。この堅苦しい表現は、例えば地方で開催される鉱物・地学関連の学会の後、研究者の一団が現地視察するときなどに使用される気がする。だから、アマチュアの鉱物マニアが趣味的に鉱物採集地へ行くとき、巡検なんていったりするのを聞くと、とても気恥しくなる。

(本ブログ関連:”鉱物採集”、”錫高野”)

言葉には、造語者がはっきりしている場合がある。
きのう(5/10)のブログに記したことだが、野鳥観察の際に使われる「探鳥会」(「野鳥」を含めて)というポピュラーな言葉を造語したと、中西悟堂氏がみずから語っている。

(本ブログ関連:”野鳥観察”、”中西悟堂”)

ならば、上掲の鉱物産地をうかがう「巡検」との言葉は誰れが造語したのか気になる。生成AIの「Gemini」や、「ChatGPT」に問うてみたところ、次のような回答(一部だが)を得た。
・江戸時代の後期に、鉱山や採掘現場を巡視する際に使われ始めた言葉。
・「巡検」という言葉は、明治時代の地質学者である福澤諭吉が造語したとされています。
う~ん !!!  根拠が示されない解説・回答は、どうにも確信が持てない。

そこでもう少しネットを検索したところ、Togetterに「『巡検』という言葉の由来とその使用について」という討論が掲載されていた。同サイトの性格上、そういう話もあるんだねというくらいかもしれない。

結局、鉱物世界の「巡検」という言葉について、出自はよくわからないままだ。

2024年5月10日金曜日

(資料)愛鳥週間、「野鳥」・「探鳥会」という言葉

きょうから、「鳥類保護連絡協議会」(現「日本鳥類保護連盟」の母体)が設けた「愛鳥週間」(5月10日~16日)が始まる。地元の自然観察会に入会して、月2回開催の探鳥会に参加してきたが、正直なところ、この愛鳥週間の催事について意識したことがなかったし、どんなことをするのかよく知らないでいる。

野鳥に関心ある広範な団体に、比較的カジュアルな「日本野鳥の会」がある。こちらは、中西悟堂氏ほか(文芸的色彩のあるひとびとを含めて)により創立されたことで知られている。メディアで、何かをカウントするイベントの際、(野鳥のカウントが得意である)会員が呼ばれたりする。
日本野鳥の会は、愛鳥週間に合わせてキャンペーン「愛鳥週間! 夏鳥をeBird*に投稿しよう」を実施するとのこと。
(*)eBird Japan:世界最大の野鳥観察情報のDB(日本では日本野鳥の会がサポート)
ー https://www.wbsj.org/activity/conservation/ebird/
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・5月10~16日は愛鳥週間(バードウィーク)です。野鳥の子育てが始まり、夏鳥も渡ってくるこの季節、日本野鳥の会では、期間中いつでも好きな時に野鳥を観察し、見た鳥を世界最大の市民科学プロジェクト “eBird” に情報を寄せていただくキャンペーン「愛鳥週間!夏鳥をeBirdに投稿しよう」を実施します。
・今回のテーマは「夏鳥」。観察対象種は「ツバメ」「キビタキ」「オオヨシキリ」の3種です。
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日本野鳥の会の主要な創立者である中西悟堂氏(当時82歳)とのインタビュー記事が、「文藝春秋デラックス 野鳥を楽しむ」(昭和53年(1978年)6月号)に掲載されている。その中から、興味ある話題を(長くなるが)抜粋する。
ー 日本野鳥の会 会長 中西悟堂、聞き手 読売新聞編集局参与 高野昭
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小学生のころ寺に預けられ、厳しい修行を経験して仏教的な自然観を身につけたよう
・ええ、結跏趺坐(けっかふざ)してますでしょう、すると、好奇心の強いヤマガラやヒガラといった鳥がやってきて、わたしの膝をつつくんですよ。まるで遊びましょうよ、というみたいに、ああ、こんなかわいらしい鳥と一生暮らしてみたいと思いました。

武蔵野の自然に住み、野生の生き物に接すると同時に、多くの知己を得る
・わたしの家の隣りが東京女子大学で、(鳥類愛護団体をつくるようにすすめた竹友藻風)彼はそこの英文学の教授をしていました。・・・私に相談もなしに、まず柳田国男さんに話をもちこんだのです。柳田さんも鳥が好きだし・・・。

日ごろ使いなれている「野鳥」と「探鳥会」を造語している
・考え出すのに、二カ月かかりました。最初は「山野の鳥」といったんです。柳田さんに、「野鳥というのは、いい言葉を考えてくれましたね」とほめられた。「探鳥会」という言葉も私がわたしが作ったのです。もっとも、はじめはこれも「鳥類見学旅行」といっていた。

江戸時代と比べて、明治以降は鳥の暗黒時代
・明治になって、「御留場(おとめば)」**の制度がなくなると、抑えられていた連中がワッと猟欲へかられる、そこへ村田銃が入る、的になりやすい鳥をどんどん撃とうというので大型の鳥は姿を消した。ツルは本州からいなくなってしまう、トキも佐渡や能登に隠れてしまうといった惨状でしょう。
それから、羽毛を輸出するために、鳥島のアホウドリが五百万羽ほど殺されている。アホウドリというのは少しのろい鳥で、人間のそばへ首をさしのべて寄ってくる、それをこん棒で殴って、どんどんトロッコで港へ運ぶ。本当にひどいものですよ。ですから、「鳥獣保護法」***が戦後にできるまでは鳥の暗黒時代です。

戦後、空気銃の普及による被害
・戦後は、農薬が散布したために、鳥の生命がどんどん絶たれている。それから、昭和二十五、六年には、空気銃が大流行した。そのころ許可を受けた空気銃は三十万丁、ヤミが百万丁。一人が一年に三十羽殺すと、三千万羽の鳥を殺している計算、加えて昔からカスミの被害も年に三千万羽くらいにのぼる。

欲を六分に、心を風雅に
・欲を六部くらいにして、もう少し風雅をもったらどうか、と思うんです。・・・
・不思議なことに、人間が澄んだ気持ちで近づくと鳥もよってくるんです。邪悪な気持ちだと逃げてしまう。そしてまた、鳥ほど悦ばしげに動いて、歌う動物はいないでしょう。あらゆる生物のうちで、もっとも幸福な生活をしているのではないですか。そんな鳥の生活をお手本にして生きてきたような気がします。
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(**)御留場: 一般の狩猟を禁止する場所。江戸時代、将軍の狩猟場をいう。
(***)1896年(明治28年)成立の「狩猟法」は、1963年(昭和38年)の法改正で、「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」に名称を変更した。

(ゴンブログ関連:”アホウドリ”、”かすみ網”)

地元の公園をフィールドにする探鳥会はありがたいことに、初心者が初心者のまま低迷していても、居心地悪くならず許容してくれる。

2024年5月9日木曜日

うたた寝

昼過ぎ、ヒンヤリとしたなか、年配者向けの体操教室へ出かけた。ベストのボタンを留めたほどで、会場でも参加者の間で肌寒さが話題になったくらい。

開催時(14:00)の気温は、きのうの 20.8℃と比べて、きょうは 17.8℃ で低目だった。とはいえ、青い空に綿雲がいくつも浮かんで、爽快な天気だったのも事実。雲の下を、ジェット戦闘機2機が間をあけて、排気音を轟かせながら、東から西に向かって飛んで行った。

このところ、体操を終えて帰宅してしばらくすると、うたた寝してしまうことが多い。実に心地よく寝落ちしてしまう。ずいぶん寝入ってしまったと、掛け時計を見て勘違いすることしばしば。日をまたいで夜中ではと慌てるが、ガラス戸から明るい日が射しこんでいる。

芥川龍之介の掌編「黄粱夢(こうりょうむ)」*には、きび(黄粱 こうりょう)が炊けるほどの束の間に、若者の盧生(ろせい)が一生分の長い夢を見た話が語られている。一方、わたしときたら夢の覚えもない、目覚めても時刻を間違えるくらいがせきのやま。
(*)青空文庫: https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/88_15189.html

盧生は、道士(呂翁)に人生のはかなさを諭されたはずだったが、彼はそれでも諦めない。
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道士:「これであなたの人生の執着も、熱がさめたでしょう。得喪(とくそう)の理も死生の情も知って見れば、つまらないものなのです。そうではありませんか。」
・・・
盧生:「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私わたしは真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」

呂翁は顔をしかめたまま、然りとも否なとも答えなかった。
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2024年5月6日月曜日

井上尚弥(4団体統一「スーパーバンタム級」王者)

今晩、東京ドームで開かれた、世界4団体統一「スーパーバンタム級」タイトルマッチ12回戦で、チャンピオンの井上尚弥が防衛に成功した。信じられないほどの強靭さと正確さに度肝抜く。世界4団体を制覇してなお、新たな挑戦もはねのけている。まさに圧倒的だ。

■ 日刊スポーツ(Yahoo掲載)
「【ボクシング】井上尚弥がネリを6回TKO撃破、日本人初4団体統一王者として防衛成功」(5/6(月) 21:25)より抜粋
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f7fbe4a831e5c4bea78e468eeddc5ecf23ea2da
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4団体統一スーパーバンタム級王者井上尚弥(31=大橋)が防衛(WBAスーパー、IBF初、WBC、WBO2度目)に成功した。元世界2階級制覇王者のWBC世界同級1位ルイス・ネリ(29=メキシコ)の挑戦を受け、6回TKO勝利。日本人初となる4団体統一王者としての防衛を成し遂げた。
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実は、ルール違反だろうけどYoutubeに登録の動画やショートなどいくつかを見て、試合の概要を知った次第。1回のダウンを受けた画面に慌てたが、2回、5回にダウンを奪取、そして6回のTKO場面で驚き安堵した。やっぱり、井上尚弥はモンスターだと納得した。いつもながら思うことだが、強い選手は試合後の顔に傷がない。

ほとんどの男はボクシング経験がないはずなのに、Yahoo掲載記事のコメント欄が凄いことになっている。見るたびに投稿カウント数が増えている! わかりますよ、何か言いたくなる心境を。

高校時代、体育の授業に「柔道」のコマがあって、素人(白帯)の私でも、「初段」の連中(柔道部員の黒帯取りたて)と必死にかかり稽古をした経験がある。あるとき、「二段」を有する柔道部員と稽古した(させてもらった)とき、自分の体があっけないほど転がるのを感じた(安全を心掛けてくれたことはいうまでもない)。柔道選手は、二段から格(実力)がまったく違うのを実感した。

まして、プロスポーツで世界トップレベルがどれほどすさまじいものか、考えればわかるのだが、誰もが試合後にコメントしたくなる・・・のも、よ~くわかる。

(追記)
何よりの驚きは、パワーで世界のトップに立つ日本人選手の登場だ。井上尚弥、大谷翔平たちの、これほどの活躍があるなんて=実現するなんて、わたしら世代には思いもよらないことだ。

2024年5月5日日曜日

立夏 2024、こどもの日

きょうは国民の祝日「こどもの日」であると同時に、二十四節気の「立夏(りっか)」でもある。こどもの日は 5月5日と決まっているが、立夏は 5月5日以外に、たまに 5月6日の場合もある。これから2060年までの間、立夏が 5月6日となるのは、2027年と2031年の2回である。

(本ブログ関連:”こどもの日、立夏”)

端午節句」のこどもの日は、いうまでもない、大人が子どもたちを大切に思い、そう心がける日だ。幼いものは尊い。もっといえば生命の誕生は奇跡だと思う。身近な生きものですら、細胞内の代謝系路とか、ミトコンドリア内の電子伝達系とか、それをになう有機構造とか一体誰が設計*したのだろう、不思議でしかない。子どもがいなければ、それらを次に伝えることはできないのだから。
(*)設計: 背景には必ず設計思想があるはずだ。

立夏は、次第に夏めき、その気配が濃厚になる深緑の候。
二十四節気の立夏について、更に三つに分けた「七十二候」は次のようになる(Wikipedia)。
・初候    蛙始鳴(かえる はじめて なく) : 蛙(カエル)が鳴き始める
・次候    蚯蚓出(きゅういん いずる) : 蚯蚓(ミミズ)が地上に這出る
・末候    竹笋生(ちくかん しょうず) : 筍(タケノコ)が生えて来る
初候の「蛙始鳴」は「かわず はじめて なく」の読み方が正解らしい。

ところで、わたしたちは、漂白(乞食、寺男とかわらぬ)詩人が好きで、特に俳人の(井上)井月、(種田)山頭火、(尾崎)放哉などが思い浮かぶ。すべてに自由であり、そこに才能を生かしたわけだが現実はつらい。生き方が記録に残さればなお一層のこと。

井上井月に次の句がある。
「蛙(かはづ)なく 夜の浅みや 囉(もら)ひ風呂 」
カエルが鳴く、春の宵、農家が風呂を沸かして互いに行きかう風習に混じって、井月ももらい風呂をしたという。昔の人びとは素朴で、心に余裕があったようだ(もちろん、手間や経済的な意味合いもあってのことだろうけど)。
(参考)「い~な 上伊那」「もらい風呂に蛙なく頃 【井月さんのこころ114】」(2015.05.16)
ー https://blog.nagano-ken.jp/kamiina/life/13533.html

風呂は朝風呂が、遅くとも夜の入りの薄明かりするまでに入るのが最高だ。

2024年5月4日土曜日

みどりの日 2024

早朝の野鳥観察(探鳥会)を欠席してしまった。
実は、きのう(5/3)公園へ出かけたとき、体調に不確かさを感じたからだ。今回は用心してのこと。結果として、探鳥会につづき別フィールドで一般公開の <自然観察会> にも参加を見合わせた。

合わせてきょうは、国民の祝日「みどりの日」である。若いときのように体力があれば、「森林公園」などに行けたろうけれど、いまは、歳とともにそんな自信がないのが正直なところ。それで、近所の並木道などを散歩するのがせいぜいかもしれない。

結局、一日中家に引きこもって終わった。外出は、おおむね午後3時までが限界だ。それを越えると意欲が急にしぼむ。とはいえ、もっと明るく、もっと暑くなれば、ちっとは頑張るかもしれない。

「みどりのそよ風 いい日だね」で始まる童謡歌曲「みどりのそよ風」(作詞清水かつら、作曲草川信、1948年:昭和23年1月 NHKラジオにて発表)がある。<春の光景を描いたのどかな歌詞と、明るく朗らかな旋律が特徴> とのこと(Wikipedia)

この歌の始まりのフレーズを、よく耳にしたものだが、最近、身の回りに聞くことがないように思う。懐かしいものが、忘れられていく気がして少し寂しい思いがする。

この歌の一番最後に、「もうじき苺(イチゴ)も 摘めるとさ」とあって、5月のイチゴの最盛期は間近だろう。5月はわたしの誕生月であり、誕生会にイチゴがいつも供された。(子どものころ、果物には旬があり、いつでも気軽に食味できるものではなかった・・・よいタイミングに生まれた)

歌詞(1番と5番)
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みどりのそよ風 いい日だね
蝶蝶(ちょうちょ)もひらひら 豆のはな
七色畑に 妹の
つまみ菜摘む手が かわいいな

    ~~~~~~~~~~~

みどりのそよ風 いい日だね
遊びにいこうよ 丘越えて
あの子のおうちの 花ばたけ
もうじき苺も 摘めるとさ
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2024年5月3日金曜日

自然観察園の野草

国民の祝日「憲法記念日」の真昼に、公園併設の自然観察園へ出かけた。公園は家族連れで賑わい、子どもたちが強い日射しを受けて、小川で水遊びする姿があった。すっかり夏景色だ。

観察園の方は、年配者がほとんどでいたって静か。湿地を巡る板橋*の通路は、新たに防湿塗装が施され、きしみも減って、改装工事が完了したようだ。
(*)板橋: 湿地の野草を、板橋の上で屈みながら観察するのは足腰の弱い者に大変。

一方、観察園近くにある「自然観察センター」は、当初予定の改装から作り替えとなり、(延べ一年以上かけて)今年10月下旬に生まれ変わるという案内が掲示されていた。どのような施設になるのか期待が膨らむ。

例によって、観察園入口で配布の、(今月の)「観察順路図」(見ごろの花を記載)を手にして観察園内を巡る。足腰に合わせて小範囲だが、次の野草の写真を(板橋の上から)撮った。「サギゴケ」はピンボケだったので外す。

オヘビイチゴ(写真左)、チョウジソウ(写真中央)、クサノオウ(写真右)
・湿地に、小振りで黄色の5枚花弁の「オヘビイチゴ」が、あちこちに群生していた。いろいろな雑草に混じっているため、葉の形を見極めずに終わった。名前の由来は、オ(雄)ヘビイチゴ(蛇苺)で「ヘビイチゴ(蛇苺)」より大きいからだそうだ。オオヘビイチゴではない・・・間違えるところだった。
・湿地に、これも他の雑草に紛れてしまいそうな、地味で、尖った薄青紫色の花弁(5枚)の「チョウジソウ」が群生していた。よく見ると、そこいらの野草と違って清々しく、意外に美しい。絶滅の危機にある貴重な花のようだ。
・これも湿地に群生する、黄色の花(花弁4枚)を咲かす「クサノオウ」だ。名前の由来に、① 草の黄、② 瘡(くさ)の王、③草の王があるとのこと(Wikipedia)。遠目にも、多数の雄蕊があるのに気づく。

憲法記念日 2024

きょうは国民の祝日「憲法記念日」*だ。
(*)日本国憲法は、1946年(昭和21年)11月3日公布、1947年(昭和22年)5月3日に施行。5月3日の記念日は、1948年(昭和23年)に祝日法により制定。なお、制定以来76年間、一度も改正されていない。

(本ブログ関連:”憲法記念日”)

日本国憲法が公布された日(11月3日)は、現在「文化の日」であるが、戦前は「明治節」だった。国民の祝日にそれぞれに起源があり、いきさつがある。けれど、わたしら大方にとって、きょうはゴールデン・ウィークのひとつでしかない。のんびりと過ごしたい。

世の中には変わることもあれば、変わらぬこともある。それを峻別し気付くのは意外と容易でないのかも知れない。むかし、ロシアの青年貴族に、貧困に苦しむ農奴の解放を通じて、新しい世界を求める者がいた。そんな彼らの中で、事態(変革)が現実に第一、第二と進むうち、えっ!こんなことになるのと慌てた連中がいたそうだ。貴族身分がどうなるかも考えずに。

先日、近隣の街を歩いていたとき、大きな屋敷があって、長い塀の壁に政治ポスターが貼られているのを見て驚いた。現在の地価を考えるととんでもない額になると予想できる。いずれ遺産相続されるだろう土地の所有者の信条をうかがいたいと思ったほどだ。
似たようなケースは他にもある。上記と同様のポスターを貼った好立地の民家の塀に、合わせて「怪しいものを見かけたら すぐ110番」の掲示があった。昔のことを知るだけに、時代も信条も大いに変わってしまったと気付かざる得なかった。

2024年5月2日木曜日

深緑のサクラ並木

夕方、晴天ながらちょっと肌寒いなか、町に用があって出かけた。昨晩の雨がすべてを洗い流したせいか、街路樹の葉が西陽を受けて美しく輝いていた。帰り道、知る人ぞ知る秘密の桜並木の入口に寄った。若葉が、緑を濃く深めているのに気づいた。

(本ブログ関連:”桜並木”)

実は、今春の4月6日に、せっかくの満開のサクラを、あっさりとしか見ていない。帰宅途中だったので、十分に満喫しなかったのだ。しかも、例年楽しみにしていた、桜吹雪を浴びることもなく終わった。いろいろとタイミングを逸している。

サクラ並木
せめてきょう、夏に近づくこの時期に、緑深まる桜並木の様子を見ようとした。若葉がきらきらと西陽に照り輝いているのを確かめた。サクラへの義理を果たした気分。


シロツメクサ
並木道のそばに、生垣に囲まれた小さな広場があり、雑草の中にマメ科植物の「シロツメクサ」*(クローバ)の白い花(頭状花序)が咲いていた。夕陽に照らされて、どことなく遠慮気味である。
(*)シロツメクサの茎は地面を這うのに対して、「アカツメクサ」は枝分かれして立つ。

子どものころ、シロツメクサで「草相撲」**した記憶がある。女の子は、花柄を編んで首輪や冠(かんむり)にしたようだが・・・そちらを気にした覚えがない。男の子はそんなもんだ。
(**)草相撲: 一般に、雑草「オオバコ」を使った遊びという紹介が多い。

(本ブログ関連:”シロツメクサ”)

2024年5月1日水曜日

八十八夜 2024

きょうは、二十四節気など暦日のほかに設けられた「雑節」の「八十八夜」で、「立春」の初日(今年は2/4)を1日目として88日目にあたる。茶摘みの言葉に、まぶしく清々しい光景を思い浮かべるが、あいにく今朝から曇天で、天気予報では午後には小雨に変わるとのこと(その通りになった・・・そして思いのほか冷える)。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

茶摘みの歌に、「夏も近づく八十八夜」で始まる唱歌「茶摘み」(「尋常小学唱歌 第三学年用」、1912年(明治45年)刊行)がある。誰もが知るこの曲は、作詞・作曲者が不詳とのこと、不思議である。そのせいか、唱歌や童謡の資料として参照している「唱歌・童謡ものがたり」 (読売新聞文化部著、岩波現代文庫) に掲載されていない・・・取材しにくかったのだろう。

そこで民謡に目を向けると、「日本民謡集」 (町田嘉章, 浅野建二編集、岩波文庫) に静岡県の「ちゃっきり節」*が採録されている。Youtubeには、市丸**(明治39年【1906年】~平成9年【1997年】)が吹き込んだレコード音源が紹介されている。
(*)ちゃっきり節: 観光用の新民謡北原白秋作詞、町田嘉章作曲、昭和2年(1927年)
(**)市丸とレコード盤の関係について、次の記述がある。(Wikipedia)
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全国的に知られるようになったのは、芸妓から歌手に転身した市丸が1931年にレコードに吹き込み、翌1932年にヒットして以後である。
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市丸が歌った、Youtubeの「ちゃっきり節」は、歌詞の一番、二番、六番で構成されている。

唄はちゃっきり節 男は次郎長
花はたちばな  夏はたちばな
茶のかおり
【囃子】ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ          
    蛙(かわず)が鳴くんで  雨ずらよ

茶山茶どころ  茶は緑どころ
ねえね***行かずか  やあれ行かずか
お茶つみに
【囃子】ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ          
    蛙(かわず)が鳴くんで  雨ずらよ

山で啼くのは  藪うぐいすよ
茶つみ日和の  晴れた日よりの
気のとろさ
【囃子】ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ          
    蛙(かわず)が鳴くんで  雨ずらよ

(***)ねえね: 良家の年若い女児

歌詞の各番の最後にある「雨ずらよ」は静岡方言だそうで、こんな経験がある。むかしの職場に静岡県出身の者がいて、彼はしばしば「ぞうずら」を口にしていた。「そうだよ」といった肯定の意味合いだけと理解していたが、「そのようだね」といった婉曲表現でもあることをネットで知った。とにかく愉快な人物だった。

(登録者 ”市丸/波岡惣一郎/鈴木正夫/喜久丸 - トピック”  に感謝)