近隣の町にちょいと出かけて買物し、お世話になる方へお中元を送ってもらう。町なかにある大手書店まで足を延ばして渉猟したら、「山師入門 登山で見つけよう大地の宝」(著:成谷俊明、2013年)という楽しいタイトルの本を見つける。
ひとくち、ふたくち、みくちと量に違いはあるが、日本各地の鉱山情報(採集鉱物)が列記されている。普通、鉱物採集の本には、鉱山名の一覧リストが掲載されていることが多い。その点、この本は、あの鉱山はこんな石が採れる・・・といったひとくちコメントが豊富で、出歩かない鉱物マニアにはありがたい。さっそく手元に置かせていただく。
それにしても、昼間っから(私を含めて)何という人の混みよう。結局、歩き疲れて帰宅する。居間でごろりと転寝したら・・・朝になっていた。でも、何だか様子が変。テレビの7時のニュースに出てくる、アナウンサーがいつもと違うのだ~。
レレレのおじさんの登場。「お目覚めですか~? レレレのレ~?」
そう、朝ではないのだ。まだ今日なのだ。どうりで、辺りがどんどんと暮れていく。今じゃ真っ暗くらな夜なのだ。
レレレのおじさんといえば、赤塚不二夫がリスペクトした、杉浦茂のキャラクターを思わせるが、そのギャグは幻灯機で映し出された世界から飛び出して自由ではちきれんばかり。レレレのおじさんのイメージが浮かんだということは、粗忽と粗忽の二重唱なのだ。
2014年7月8日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 茶
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第62回として、昔ながらの趣が感じられる「茶」にまつわる話を紹介した。
(先週は特別番組で休みのため、2週間ぶりの放送になる)
まず、時間をかけて飲む緑茶の効用について、次のような紹介から始まった。
・茶に色々な種類がある。喫茶店で「お茶をする」こともあるが、本来、緑茶のように茶の葉で抽出するものをいう。昔はどのようにして茶を楽しんだのだろうか。
・茶の中でも緑茶は時間をかける飲み物で、入れ方にこだわりがある。水は泉の水の方が良く、沸騰させた後、ある程度冷めるまで待つ。(発酵させた茶には沸騰した湯をそのまま注ぐが)緑茶は少し冷ませて注ぎ、しばらく待つ。この時間は、忙しい現代人に無駄に思えるかもしれないが、客と茶について多様な話ができるし、一人であれば自分だけの時間に集中できる。待つ時間があるからこそ、茶が更に香ばしく感じられる。白い茶碗に、透き通った緑色の茶。昔の人々には、これが風流であった。
▼ 「清声の曲(청성곡)」(清声とは高い音域を指す国楽用語)を聴く。短簫の響きは、落ち着いて澄み平明である。
次に、朝鮮後期の草衣禅師(초의선사、本名張意恂、1786年~1866年)の茶との関わりを次のように説明された。
・古く三国時代から茶を飲んだ。特に、仏教では茶の供養を重要視し、仏教美術の作品に茶に関するものがある。茶の新しい境地を開いたことで有名な、草衣禅師は修行僧だが、わらぶきの小さな庵を作り「一枝庵(일지암)」と名付けた。そこに茶の木を植えて育てながら「茶禅一味」(茶道と禅が一体であること)を広く知らせた。草衣禅師の詩「東茶頌(동다송)」には、茶に関する内容が歌われ、湯を沸かす音がひっそりとしていて、冷たい空気が骨に染み込んで魂を覚ます、という内容から始まる。茶を入れる方法から、識別する方法、飲み方、そして、韓国茶の趣や香り、中国茶より薬効が優れている点など、美しい詩で記録した。
▼ 「東茶頌(동다송)」を聴く。茶を古色にたしなむ・・・今様で。(参考:Ohmynews)
最後に、朝鮮後期の名筆と言われた秋史・金正喜(추사 김정희、1786年~1856年)と草衣禅師の茶を通した友情について、次のように解説された。
・忙しい中、茶をする時間は幸せだ。秋史・金正喜先生は、草衣禅師と手紙をやりとりして友情を分け合った。その中に、草衣禅師に対し、茶を送ってくれるようねだる手紙がある。「禅師に会いたいわけでも、手紙を待っているわけでもありません。ただ、茶に絡んだ縁だけは切ることができません」から始まるのに対して、草衣禅師は「茶の香りがしたのでふと目が覚めました。手紙が届いていることには気が付きませんでした」と返書した。このようなやりとりに微笑む二人の姿が想像され、友情が伝わってくる。どんなに忙しくても大切な人と茶をいっぱいできる余裕のある一日を過ごしたい。
▼ 「風が伝える言葉(바람이 전하는 말)」を聴く。南米の風音かと思わせる・・・今様である。
金寶愛さんの、茶には「ゆっくりと時間をかけてする時間の余白」があるという言葉、本当にそう思います。
(先週は特別番組で休みのため、2週間ぶりの放送になる)
まず、時間をかけて飲む緑茶の効用について、次のような紹介から始まった。
・茶に色々な種類がある。喫茶店で「お茶をする」こともあるが、本来、緑茶のように茶の葉で抽出するものをいう。昔はどのようにして茶を楽しんだのだろうか。
・茶の中でも緑茶は時間をかける飲み物で、入れ方にこだわりがある。水は泉の水の方が良く、沸騰させた後、ある程度冷めるまで待つ。(発酵させた茶には沸騰した湯をそのまま注ぐが)緑茶は少し冷ませて注ぎ、しばらく待つ。この時間は、忙しい現代人に無駄に思えるかもしれないが、客と茶について多様な話ができるし、一人であれば自分だけの時間に集中できる。待つ時間があるからこそ、茶が更に香ばしく感じられる。白い茶碗に、透き通った緑色の茶。昔の人々には、これが風流であった。
▼ 「清声の曲(청성곡)」(清声とは高い音域を指す国楽用語)を聴く。短簫の響きは、落ち着いて澄み平明である。
次に、朝鮮後期の草衣禅師(초의선사、本名張意恂、1786年~1866年)の茶との関わりを次のように説明された。
・古く三国時代から茶を飲んだ。特に、仏教では茶の供養を重要視し、仏教美術の作品に茶に関するものがある。茶の新しい境地を開いたことで有名な、草衣禅師は修行僧だが、わらぶきの小さな庵を作り「一枝庵(일지암)」と名付けた。そこに茶の木を植えて育てながら「茶禅一味」(茶道と禅が一体であること)を広く知らせた。草衣禅師の詩「東茶頌(동다송)」には、茶に関する内容が歌われ、湯を沸かす音がひっそりとしていて、冷たい空気が骨に染み込んで魂を覚ます、という内容から始まる。茶を入れる方法から、識別する方法、飲み方、そして、韓国茶の趣や香り、中国茶より薬効が優れている点など、美しい詩で記録した。
▼ 「東茶頌(동다송)」を聴く。茶を古色にたしなむ・・・今様で。(参考:Ohmynews)
最後に、朝鮮後期の名筆と言われた秋史・金正喜(추사 김정희、1786年~1856年)と草衣禅師の茶を通した友情について、次のように解説された。
・忙しい中、茶をする時間は幸せだ。秋史・金正喜先生は、草衣禅師と手紙をやりとりして友情を分け合った。その中に、草衣禅師に対し、茶を送ってくれるようねだる手紙がある。「禅師に会いたいわけでも、手紙を待っているわけでもありません。ただ、茶に絡んだ縁だけは切ることができません」から始まるのに対して、草衣禅師は「茶の香りがしたのでふと目が覚めました。手紙が届いていることには気が付きませんでした」と返書した。このようなやりとりに微笑む二人の姿が想像され、友情が伝わってくる。どんなに忙しくても大切な人と茶をいっぱいできる余裕のある一日を過ごしたい。
▼ 「風が伝える言葉(바람이 전하는 말)」を聴く。南米の風音かと思わせる・・・今様である。
金寶愛さんの、茶には「ゆっくりと時間をかけてする時間の余白」があるという言葉、本当にそう思います。
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