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2017年6月25日日曜日

イ・ソンヒ 90年代の「韓国の伝説的な歌手」第4弾

日本の掲示板サイトに「2ch」があって、それと同一レイヤーにあたる韓国版のものに「ガセンギ・ドットコム」があるそうだ。このガセンギに、(2011年頃のものだが)「90年代の韓国の伝説的な歌手」があり、歌手ひとり(グループ)ずつについて意見が掲示されている。

第1弾、歌手のキム・ゴンモの「間違った出会い」(김건모  '잘못된만남' )
第2弾、グループのソテジワアイドゥルの「僕は知っている」(서태지와 아이들  '난 알아요' )
第3弾、歌手のチョー・ヨンピル
第4弾、歌手のイ・ソンヒ

そこで、第4弾のイ・ソンヒ編をちらり見した。海外からの投稿もあるようだ。後半に、韓国の(多分)若者のコメントも列記されている。内容は礼賛で、兵役時代の懐かしい思い出もあるが、ライブ感覚というより、自分たち親世代の歌といった認識のようだ。

中に、イ・ソンヒを美空ひばりに重ねるものもある。その投稿、それなりの年配者によるものか、それとも韓国向けだからそうしたのか。世界の料理にそれぞれ国柄があり、つきつめれば郷土の味にいたる。イ・ソンヒは、韓国に在ってこそ普遍性を持つわけで・・・。まぁ、そんなことより、おおぜいの庶民による反応を直接知るいい機会、一見の価値あり。

ヘルムの町の穴掘り

いわれることに囚人を精神的に追いつめる穴掘り作業がある。掘り出した土を元の穴に埋め戻すという作業を繰り返させる。意味の無い、実りの無い作業の強要は、囚人の人間性を奪うわけで、その残酷さは容易に想像がつく。本当にそんなことを課していたか知らないけれど、物語の一場面なら象徴的で分かりやすい。

穴掘りを、悪意ではなく正当な作業と信じたらどうなるだろう。はたから見れば、当然おかしなことに違いない。そう、ヘルムの町の住人が、それをやってくれるのだ。
今回は「民話の本」シリーズの「ユダヤの民話」(ピンハス・サデー著、秦剛平訳、青土社)に所収の「ヘルムの賢者たち」だ。ここには他に3つの話題もある。(一昨日(6/23)記した、「イディッシュの民話」は同シリーズのもので訳者も同じだ)

(本ブログ関連:”ヘルム”)

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その知恵で知られていたヘルムの住民たちが自分たちの町をつくることにしたとき、彼らはまず基礎を掘りはじめた。突然、彼らのひとりが叫んだ。「兄弟諸君! われわれはここで掘って掘って掘りまくっているが、この土の山はどうするつもりなのだ?」そこでヘルムの賢者たちは頭をひねったあげくに宣言した。「われわれは次のような手順を踏む。まず大きな穴を掘り、そこにこの土山を崩して埋める。」
「だがその穴を掘ってできた土山はどうするんだ?」と執拗に質問する者がいた。
ヘルムの賢者たちは考え続けたあげくに言った。「われわれはもうひとつ穴を掘り、その中に最初の穴から出た土を埋める。」
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「賢者たち」として登場するひとびとは、町(村)のルールを定める決裁者であり、「長老たち」と記す読み物(童話)もある・・・、翻訳上の選択なのか分からないけれど。今回も一種の「いれこ構造」といったおかしさがある。とぼけた感じがたまらない。