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2010年11月30日火曜日

思い出のページをめくれば

一年がもうじき終わろうとしている。明日から、せわしさだけで億劫な12月が待っている。

イ・ソンヒの変換点ともいえる「思い出のページをめくれば」(歌詞)を、赤いドレス姿で歌う映像がYoutubeに登録されている。雨風と関わりなく春は訪れ夏は去る、涙を知らず花は咲き落葉散るように、思い出はいつか和らぎ懐かしさのなかにいる。紅葉の最後の今こそ、この「思い出のページをめくれば」が似つかわしい時期なのかも知れない。

ここでは、イ・ソンヒは赤いドレス姿で歌っている。歌だけでなく、会場をどよめかす女性らしい衣装もよいものだ。

(本ブログ関連:”変換点”、”ドレス”、”スカート”)

(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

樹木観察会(紅葉めぐり)

昨日孫と遊んだ 小金井公園の樹木観察会に参加。初めて参加した前回(5/18)のテーマが花巡りなら、今回は紅葉巡りである。(主催: 小金井公園サービスセンター、小金井公園樹木の会)
公園東側の樹木30種類近くを10時から、2時間かけて、小金井公園サービスセンター長で樹木医でもある松井氏が説明された。参加者は30名は越えていただろうか、みな熱心に耳を傾けた。

解説を聞いて興味深い話題を記す。
紅葉のメカニズム: 葉の緑色の色素のクロロフィルは紅葉時期に分解され、葉の付け根にできた離層により栄養分(糖分)が蓄積し、作られた色素(キサントフィルなど)が、葉の地色になって見える。すなわち日陰の葉は紅葉が遅い。
・ケヤキ: 黄、赤、茶色などの紅葉は、木々(遺伝子)によって違う。ただし暑い夏が続くと、くすんだ茶色になる。(ケヤキの切り株があり、断面にケヤキを死に追いやったベッコウタケが滲みのように侵食しているのが分かる。削り取ったベッコウタケはキノコ特有の臭いがをした。)
・ユリノキ: 前回も話題になった木で、寒地ヨーロッパでは、黄から赤に美しく紅葉するとのこと。(ゆりの木広場がある)
・イチョウ: 黄色の落ち葉の葉脈を見て、2又2又に分かれていると説明された。
・モミジ: この木の赤い紅葉が美しい頃には、他の木々の紅葉は終わっている。
・桑の木やお茶の木: この地は江戸時代に農地だったという。その名残りか。
・その他: 種を遠くに撒くために、木々がいろいろな工夫(伸びた枝先ごと落ちたり、葉?に種を付けて滑空したりする)をしているとの説明があった。
以上、聞き取り違いをしていたら容赦願いたい。

次回参加を希望してアンケートを提出したら、葉の葉脈だけを残してラミネート加工した栞(しおり)のプレゼントをいただいた。(わたしのは、ヒイラギの葉脈だ)
参考)葉脈の栞作り:福岡県青少年科学館

2010年11月29日月曜日

孫と公園遊び

 快晴の昼、紅葉の残る小金井公園に孫と遊ぶ。今日は息子が孫の面倒を見るとのこと。
小金井公園に向かう前、風邪をほぼ完治した孫のため、朝風呂で身を清めたのだが湯冷めしてしまい、鼻水とクシャミを繰り返す。連日要領がわるいな。

孫は、欅林に敷き詰められた枯葉を踏みしめて、その音を楽しんだ。そして、両手いっぱいに抱えた枯葉を風に舞わせては、目を輝かせた。もちろん、はじめに大人がやり方を見せたのだが、その後は孫一人で楽しさを味わっていた。
広場に出て、テニスボール大の柔らかなビニールボールで遊びに興じたが、孫にはボールの扱いがまだ難しいようだ。

暖かい陽射し、きれいな空気とはいえ、冬の外気に長居は無用ということで孫と息子は帰ることになった。別れ際、親にバイバイをせかされた孫は、「いやだ」といってくれた。うれしい気持ちを抑えて帰宅を促がせた。

2010年11月28日日曜日

天上沢鉱山2010年11月

快晴の今日、栃木県塩谷郡にある天上沢鉱山に鉱物採集に行く。過去2回は栃木の鉱物の会に同行したが、3回目の今回xаякава氏と同行した。
天上沢を登り始めたとき、上から狩猟ハンターたちが下りてきた。肩にライフルを構えている。猪狩りをしたとのこと。熊について聞くと、冬眠は雪が降り始めたときで、それまではこの森で活動しているという。沢伝いの範囲での採集なら大丈夫だろうといわれた。カウベル、ホイッスルを鳴らしながら沢登りを続行する。
途中、沢を横切ること3回。行きにxаякава氏の長靴を借りて横断した沢を、帰りにハイキングシューズのまま沢の流れに頭を出した石伝いに渡ろうとしてドボン、というトホホな経験をする。
採集の途中も、ホイッスルを鳴らし続けたことはいうまでもない。(沢には鹿や猪と思われる頭骨が転がっていた・・・)

さて、採集の成果は次の通り。(いただき物を含む)
・黄銅鉱(多い)、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、水晶(晶洞)、方鉛鉱、珪孔雀石など

帰路、沢の石がぐらついて岩のうえに仰向けに転倒する。リュックに背を、帽子に頭を守られた。ズボンが裂けたが大事に至らず幸いだった。まいったなあ。

(本ブログ関連:”天上沢”)

(追記)先月、xаякава氏夫妻が四国を周遊された際に立ち寄られた、愛媛の市ノ川鉱山、龍王鉱山、および徳島の東山鉱山での採集品を多数いただく。感謝。

2010年11月27日土曜日

ビング・クロスビー

俳優でいえば、ゲイリー・クーパー、メル・ファーラー。歌手でいえば、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ。子どものころに、銀幕で見たり、ラジオで聞いたひとたちだ。彼らは、おぼろげな記憶のどこかにいて、ある時ふと巡りあう。そのたびに懐かしい。

以前のこと、勤務地のビルのショップや、ロビーにできたスタンドで、なぜかビング・クロスビーBing Crosby)のCDがあれば求めていた。彼の声質は、当時の歌手の歌い方ではあるが甘いこもったような声で、ラジオの音質に合った。子どものころに聴いたラジオを思い出させるのだろうか。
子どもが飛びつくような歌手ではなかったが、「ホワイト・クリスマス」の歌は忘れられない。

イ・ソンヒもそうだが、ビング・クロスビーはクリスマス・ソングのアルバムという大事な宝物を子どもたちに残している。

(Youtubeに登録のBingCrosbyVEVOに感謝)

2010年11月26日金曜日

冬哀傷(2バージョン)

冬の夜、しんしんと寒さが深まれば、イ・ソンヒの透き通った声の「冬哀傷(겨울애상)」(歌詞)に耳を傾けたくなる。この歌には、情景を深く彫ることで、情を浮かび上がらせるような、どこか漢詩的な世界を想像したくなる。

Youtubeに、2つのバージョンがある。1990年のモントリオール室内管弦楽団の演奏とともに歌った元気さに溢れるバージョンと、しっとりと情感を漂わせる2002年のコンサートのバージョンである。

来年2011年2月にカーネギーホールで開かれる彼女のコンサートは、まだまだ寒い(2月平均気温:最低-2.2℃、最高5℃)頃なので、この「冬哀傷」が曲目に入るだろうか。
ニューヨークへ行きたしと思えども、ニューヨークはあまりに遠し。(いろいろな意味で)

(本ブログ関連:”冬哀傷”、”モントリオール”)

(Youtubeに登録のKnightmareSM、dove2727に感謝)

2010年11月25日木曜日

キム・ヒジン

キム・サムスンが望んだ名前はキム・ヒジン。同じ名前の歌手に済州市出身のキム・ヒジン(김희진)がいる。
"PRINCESS OF THE FOLKSONG"という愛称が、彼女のホームページに表示されていて、第2集アルバムの「永遠の私の愛(영원한 나의사랑)」が聞こえてくる。

彼女の好きな歌手に、イ・ミジャ、パク・インヒ(박인희)、カーペンターズがいる。Youtubeで、パク・インヒの「放浪者(방랑자)」を聞き、同じくキム・ヒジンによるカバーを聞くと、なるほどとうなづける。

以前、本ブログ(2/18)で、彼女の歌う「春が来る道(봄이 오는 길)」を記した。これ自体、パク・インヒの歌だが、キム・ヒジンの安定したトーンと優しく清らな声質が一層心地よく安心させてくれる。
彼女の他の曲もYoutubeで探して見よう。

(Youtubeに登録のmoe4414、(rhy11111)www0433、rhy11111に感謝)

(本ブログ関連:”キム・ヒジン”)

2010年11月24日水曜日

木星や火星の春

月に連れてってと我が儘いっぱいに、星間を巡りながら歌ったり、木星や火星の春がどうなのかを知りたいという「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーンFly Me to the Moon)」の歌は、やっぱりナット・キング・コール(Nat King Cole)が一番よい。
こだわりなく、さらりと流すような洗練された歌い方は、聴くものにとても心地よい。多分、彼がカバーする範囲は随分と大きかったのだろう。「モナ・リザ」も、「枯葉」も良かった。彼は、いろいろな意味で橋渡しをした偉大なアーティストだった。

ところで、木星はガス型の惑星のため季節変化は認められないようだが、火星は極冠の氷に変化が見られ、どうやら春があるようだ。いずれ、太陽系飛行の船内には、月を通過するときこの曲が流れ、ブラッドベリの火星年代記の世界のように、火星の春に待つ家族を思いながら聞くことになるのだろう。

(Youtubeに登録のarimentaに感謝)

2010年11月23日火曜日

見ることについて

鏡は光を反射しているだけで、鏡が像を作っているわけではない。はじめに光があって、鏡を向かい合わせると光を互いに反射し続ける。

動物は、鏡に写る自分の姿に反応して、テリトリの侵入者とみて鏡に直接攻撃したり、鏡の裏に回って存在を確認したりする。ところが人間の幼児は、鏡に映る姿を直ぐに自分と認識できる。

意志や推測の文章を綴るとき、「~(して)みたい」とするが、「~(して)見たい」とはしないようだ。けれども、その表現には「見る」の意が含まれているのだろう。発する言葉が鏡の役割をしているのだろうか。

子どものころの隠れんぼで、押入れに隠れ、襖をそっと開けて小さな手鏡で外の様子をうかがった。素晴らしいイデアで一度試してみたかったのだ。探しているオニの姿が見えた。そして目が合った。そう、鏡の像はわたしの目ではなくて、反射して互いの視線を感じることのできる世界だった。直ぐに捕まってしまったことはいうまでもない。鏡の世界は共有される言葉のようだ。

子どもが入院して、付き添いの親がベッドから少しの間離れるとき、その子の不安な様子を、親は見ることはできない。後追いする気配を感じたり、他に似た光景を見て類推するしかない。
子どもがどんなにうろたえているか直接知ることはできない。目を置いていくわけにはいかないし。
でも、親子の深い情愛は、見るだけで作られるものではないことも、孫の入院を見てよくわかった。
おやおや、見ることのループに嵌まってしまった見たいだ

インベスト・フォーラム2011

イ・ソンヒのファンサイトSunnylovecarrotに、本日開催の「大信証券インベスト・フォーラム2011」に招請されたイ・ソンヒの情報が次のように記されている。
・日時: 11月23日、12時40分~13時20分(イ・ソンヒ、SG Wanna Beなど出演の昼のイベント部分)
・場所: JWマリオットホテルソウル(ソウル市瑞草区盤浦洞)

(参考)同フォーラムには、提携の日本の企業(証券、教育分野)なども参加とのこと。

2010年11月22日月曜日

孫の退院

今日ついに、孫が退院した。風邪のために先週火曜日から、まるまる一週間入院したことになる。回復が早かったため、切り上げての退院となった。
面会の開始時刻に病室にとびこむと、孫はいたって平気に振舞っていた。消防のハイパー・レスキューのミニカーで一緒に遊ぶなか、孫はポツリと幼児言葉で母親は、父親はとたずねた。両親も揃った頃には元の様子に戻って遊んでいた。
小児病室では人気者だったようで、女医さんからは癒されましたよといわれ、ナースセンター前の退院の挨拶には全員の皆さんに送ってもらった。

孫の帰宅の供をした。久しぶりの自宅で、孫は母親から離れずに泣いた。一週間近く一人で病室の夜を過ごし、面会の両親を待ち続けたことの不安からようやく解放された、一歳八ヶ月の孫は思いのたけを訴えるように泣き続けた。カタルシスを経た孫は、両親の愛情をしっかり確信して、彼らの前を思いきり元気に飛び跳ねまわった。
それから、孫は小さな両腕をわたしの首に回してくれた。

聖チェチーリア

今日11月22日は、音楽家と盲人の守護聖人とされる聖セシリア(聖チェチリア)の記念日だそうだ。
耳に心地よい、グノーの「聖チェチリア荘厳ミサ曲」(指揮:Jean-Claude Hartemann)で知ったカトリックの聖人であるが、以前テレビ番組で、この聖女にちなんだローマにある聖チェチーリア音楽院が紹介されていて、石畳の通りに面した小さな佇まいに意外に感じた記憶がある。
貴族の彼女が非業の死を遂げた当時のローマ皇帝が、あの「自省録」を著したマルクス・アウレリウスというのも、今から見ればバランスのとれぬ話ということにでもなるのだろうか。

(本ブログ関連:”グノー”)

(Youtubeに登録のMekertitchに感謝)

(追記)
Newsenの記事「イ・ソンヒ 『バッジが誇らしいです!』」(11/22)に、イ・ソンヒが国務総理表彰を受賞する大衆文化芸術賞授賞式を次のように述べている
 ・2010年大韓民国の「大衆文化芸術賞授賞式」が22日午後5時、ソウル奨忠洞「新羅ホテル」のクリスタル・ボールルーム(舞踏場)で開かれた。
 
(本ブログ関連:”大衆文化芸術賞 ”)

2010年11月21日日曜日

龍角散

龍角散は、仁丹や太田胃散に通じる懐かしい漢方薬だ。小さじですくうと、まるで煙のように薬粉が舞う龍角散のCFに、イ・ソンヒが登場していたことを先日(11/17)記した。

ブログ「日本へ食べに行こう(일본에 먹으러가자.)」では、その龍角散が顆粒(細粒)になって、分包を振ると音がすることを問わず語りしている。当然、イ・ソンヒのCFも載っていて、次のように述べている。

・どことなく奥ゆかしい(有名人モデルによる)証言式広告(증언식광고)ですね... だが、当時の薬広告が大部分こういう感じでした。

ところで、龍角散は同社の沿革によれば、江戸中期に秋田・佐竹藩の家伝薬として伝えられてきたとのこと。関ヶ原の合戦のいきさつから江戸初期に、佐竹氏は常陸から秋田に転封されたが、その際、常陸に抱えていた沢山の金山をつぶしたということを聞いた。また秋田においては、秩父鉱山に関わったとされる平賀源内を通じて、秋田蘭画の勃興がある。どうやら佐竹藩は、伝統的に本草学(博物学)の気風があるように思える。

(追記)
スポーツ韓国の記事「イ・スンギ、3時間にわたって沸きたつ」(11/21)によれば、本日の「2010 イ・スンギ希望コンサート」にて、イ・ソンヒが「僕のガールフレンドは九尾狐」のOST「狐の嫁入り(여우비)」を歌った。

孫の入院(3)

今日も孫を見舞った。面会開始時刻直ぐに病室に入ると、孫はベッドの柵を握って立っていた。わたしの顔を見てニッコリと笑った。
母親が到着するまでの20分間を独りじめだ。その間、孫は十分甘えてくれたし、ウンチのおしめを初めて交換させてくれた。一昨日に比べて、随分と元気になった。回復した分、一人遊びの方がよくなったようだ。抱きかかえられるのは、お気に召さなくなったというわけだ。

母親が来れば、孫はもう安心。夕方に父親が来れば、もっと安心。というわけで、孫のバイバイに見送られて帰宅した。それでも、また明日行くことにする。

2010年11月20日土曜日

大衆文化芸術賞

先日(11/15)記した、イ・ソンヒの国務総理表彰の詳細が、京郷新聞の記事「俳優シン・グ(신구)ら 『大衆文化芸術賞』に宝冠文化勲章を受ける」(11/17)に次のように掲載されている。
・文化体育観光部(=省)は、「大衆文化芸術人の社会的地位向上と士気高揚」のため新設された、大韓民国の「大衆文化芸術賞」の最初の受賞者を17日発表した。
・最高の栄誉である宝冠文化勲章は、シン・グ氏ら3名が受賞。
・大統領表彰、国務総理表彰、文化部長官表彰などがあり、イ・ソンヒは国務総理表彰を受賞。
(その他、コンテンツ振興院長表彰などがあるようだ
・授賞式は、やはり今年初めて制定された『大衆文化芸術人の日』の11月22日に開かれる。

ところで、この表彰制度は従来(韓国)の「文化勲章」とどのような関係になるのだろうか。
勲章制度に追加されたものなのか、あるいは文化体育観光部独自の制度なのか。

(参考)ブログ「韓国語 今日の重要表現」に、韓国の勲章制度について紹介がある。感謝。

2010年11月19日金曜日

孫の入院(2)

今日も、面会時間に合わせて、孫のいる病室を訪れた。四方を柵に囲まれたベッドの中で、孫はスヤスヤと寝息をたてていた。これから、母親のいない3時間と少しの間を一緒に過ごすのだ。
体温計を脇の下に入れたとき、孫は目を覚ました。それ以降、わたしからひと時も離れなかった。ベッドの白い敷布に足を触れるのも嫌がった。一歳八ヶ月の孫は、お茶を飲むときも、おやつを食べるときも、ずっとわたしの腕の中にいた。(おしめの取替えなどは看護師さんに助けていただいた)

わたしとしてはこの上ない時間である。孫は、わたしを受け入れてくれるのだから。
でもねえ、母親を見るや孫は、直ぐに身をゆだねて、暖かさを確かめて心安らいだようで、ベッドの上でぴょんぴょんと飛び跳ねだしたのだから。母と子の絆ほど素晴らしいものはない。
 
安心安心、この後、韓国語教室へ向かうことにした。

2010年11月18日木曜日

孫の入院

孫は可愛い。その孫が、風邪で入院したとメールの知らせが届いた。しかも、一昨日から入院しているというのだ。なぜ早く知らせてくれなかいのかと思ったが、病状から若夫婦なりに判断したのだろう。
今日の午後、息子と二人で病室に孫の見舞いに行く。寝覚めた孫は、父親を片時も離そうとしない。食事をするときも、テレビを見るときも。
やがて母親の顔を見て、孫は少し落ち着いたが、夜は完全看護のため孫を置いていかなければならないという。そのため、すっかり寝付くまで時間をかける必要がある。夜分10時過ぎに寝かしつけ、それから若夫婦はようやく帰宅するという。今しばらく、親と子の我慢が続く。

明日の午後、また面会に行くことにした。何ができるかわからないが、孫との貴重な時間を過ごすことができる。

2010年11月17日水曜日

カーネギーホール公演

カーネギーホールのカレンダーに、イ・ソンヒの公演が次のように記載された。

・プログラム: ”Sun Hee Lee, Korean Pop Music
・日時: 2011年2月3日、8PM
・舞台: Stern Auditorium / Perelman Stage(同ホール最大のクラシック演奏会場:2,804座席
・提供: KOREAN RADIO BROADCASTING (ニューヨーク市唯一の韓国語ラジオ局) ←未確認

CF

イ・ソンヒは、公共団体や大手企業、金融機関の催すイベントにたびたび招請されているが、テレビCFについても、昔から「HERSHEYチョコレート(허쉬초콜릿)」、「七星サイダー(칠성사이다)」、コカコーラの「チェリー・コーク(코카콜라 '체리 코크')」、ロッテの「ピビッコル(비비콜)」など多数に登場しているようだ。
(ところで、「ピビッコル」の味は如何なのだろうか)

なんと、Youtubeに「龍角散」のCFが登録されていた。

(Youtubeに登録のにkcanari謝)

(本ブログ関連:”CF”、”CM”)

2010年11月16日火曜日

イ・ソンヒのカーネギーホール公演と全国ツアー

京畿道民日報の記事「イ・ソンヒ 米ニューヨーク カーネギーホールで公演」(11/16)に、イ・ソンヒの公演日程が次のように報じられている。
・16日、(所属事務所の)フック・エンターテイメントによると、イ・ソンヒは、来年2月3日(木)のカーネギーホールで単独公演を行う。
・(カーネギーホールで)韓国の歌手としては、パティ・キム(패티김)、チョー・ヨンピル(조용필)、イン・スニ(인순이)などが公演した。  
(Youtubeに登録のにmine391感謝)

⇒公演日程が明らかになったが、なお現在、Carnegy hallのカレンダーの2月3日は空白である。

連合ニュースも同様の記事を載せており、さらに来年の全国(韓国)ツアーについても次のように報じている。
・(フック・エンターテイメントによると)「この公演を皮切りに、来年5月に国内での全国ツアーを開く計画」と紹介した。
・所属事務所は、「イ・ソンヒ氏が自身の舞台に完璧を期するうえ、カーネギーホールの公演会場規定が厳しく、2ヶ月余残った時間の間、公演準備に時間を過ごす」と付け加えた。

(本ブログ関連:”カーネギーホール”、”フック・エンターテイメント”)

小惑星イトカワの微粒子

日本経済新聞の記事「小惑星イトカワの微粒子と確認 はやぶさ回収物」(11/16)によれば、「宇宙航空研究開発機構JAXA)は16日、小惑星探査機『はやぶさ』のカプセルに、小惑星『イトカワ』の微粒子を確認したと発表した」とのこと。

根拠として、微粒子の成分比率が隕石(普通コンドライト)と一致し、地球上の岩石のそれと合わないこと。および地球上の一般的な火成岩(玄武岩や安山岩やデイサイトなど)が見つからないこと。その他あげられている。

小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)は、太陽系の起源解明に真に貢献したことになる。

(本ブログ関連:”はやぶさ”)

2010年11月15日月曜日

キム・ジョンウンのチョコレート

昨日(11/14)SBS放送の、音楽トークショー「キム・ジョンウンのチョコレート(김정은의 초콜릿)」で、イ・ソンヒとイ・スンギによるワールドカップ応援歌「Smileboy」(歌詞)のデュエット映像がさっそくNATE動画に登録されている。

(参考)
毎日経済の記事「[師弟]イ・ソンヒ-イ・スンギ、放送初『デュエット』熱唱…『拍手喝采』」(11/15

イ・ソンヒの11月予定(続)

イ・ソンヒのファンサイトSunnylovecarrotに公開の「Sunny's Important Schedule」に、彼女の11月予定が次のように追記されている。

大衆芸術国務総理授賞式(대중예술 국무총리 시상식)
・日時: 11月22日(月)、16:00~
・場所: ソウル 新羅ホテル

大信証券(대신증권)フォーラム2011 
・日時: 11月23日(火)、12:40~
・場所: セントラルシティ  ミレニアムホール6F

▲以上詳細未確認

2010年11月14日日曜日

孫と飛行機

久しぶりに、孫との時間を持つことができた。昨夕、孫は風邪で両親を地元の医院や大学病院まで走らせたが、今日は回復しつつあるというので無理をして出かけたのだが。
昼食を家族と一緒過ごした頃までは、孫も元気で飛行機の絵本に夢中になっていたが、次第に声がかすれ、咳き込んできた。母親から離れなくなったのだ。いつもなら、孫を抱いてさらっていきたいほど可愛いという冗談が、今回はいえなくなってしまった。無理させたのではと悔やんでいる。

先日、羽田飛行場で旅客機の姿に興奮した孫は、その後も多摩川上空にジェット機の編隊飛行を見上げてますます飛行機が気に入ったようだ。そんな孫と一緒に旅客機に乗ってみたいが、いざ命をあずけるのは心配だ。
昔、飛行機好きの紹介で調布飛行場からパイパー双発機に幼稚園の息子と一緒に乗って、東京上空を巡ったことがある。旋回時の急傾斜に、息子は景色どころではなかったらしく、その後飛行機への興味を示さなかった。

孫には、羽田にあるANAの機体工場見学から始めるのがよいかな。それには、も少し大きくなってくれるのを待つことにしよう。(年齢制限に小学生以上とあるので、これ以外の方法も考えなくては)

イ・ソンヒの総演出

スポーツ韓国の記事「〔スターインタビュー〕イ・スンギ『睡眠・友人・家族あきらめましたよ』」(11/14修正)は、「歌手で俳優として、広告モデルとして、芸能人として変身を遂げている」イ・スンギの人気と多忙振りを紹介している。記事中、近日予定の彼のコンサートをイ・ソンヒが総演出すると次のように記している。
・イ・スンギは、(11月)21日(日)にソウルのオリンピック体操競技場で<2010 イ・スンギ希望コンサート>を開く。コンサートは、イ・スンギがファンと近くで歌う場を用意しようと、一年に一回ずつ進める例年行事だ。イ・スンギは、このコンサートでファンに今までと違った姿を見せる計画だ。イ・スンギを発掘した歌手イ・ソンヒが、イ・スンギのコンサートの総演出を引き受ける。

イ・ソンヒがどのような演出をおこなうのか、その様子をYoutubeで紹介されるのを楽しみにする。

2010年11月13日土曜日

蟻の街のマリア

広尾駅のそばにある大学ホールで演じられた、芝居「蟻の街のマリア」(Wiki)を観にいく。「蟻の街のマリア」という言葉を、むかし聞いたことがあるが、その実体は今日初めて理解した。
隅田川の言問(こととい)橋近縁にあったバタヤ集落を舞台に、そこに身を投じたある若き女性クリスチャンの物語だ。
(ストーリーは、「goo映画」が紹介の同名映画の<あらすじ>が参考になる)

外部から、ある土地に根ざした問題にかかわった者は、突き詰めていくと、その土地への同化、土着化に帰結することがある。以前に、土地収用や公害などの問題で、それに対する運動の結果、そうした例を見ることができる。このドラマの主人公も結果的に、そのことに29歳の命を費やしたのだろう。

時代背景が戦後に近いためか、モンテンルパにある刑務所に戦犯として収容されたひとびとと手紙による交流があったという。純粋に宗教的な自己犠牲のうえで活動することのできた、戦後の一時期だったのかもしれない。その後の高度経済成長の時代に発生した問題へのかかわり方は、このドラマとは随分と違うスタイルになった。

ところで、今の若者はこの芝居を見て、戦争の傷そのもののモンテンルパの戦犯から「ああモンテンルパの夜は更けて」(Wiki)を、傷跡をひきずるパンパンから「星の流れに」(Wiki)を思い浮かべることができるだろうか。生きたい、行き続けたいという時代が戦後もあったことを。

(注)(Wiki):Wikipediaの解説

(Youtubeに登録のsabusan678、akiraplastic3に感謝)

2010年11月12日金曜日

ステキなタイミング

ジミー・ジョーンズの「Good Timin'」(1960年)は当然耳にしたが、「この世で一番かんじんなのは/ステキなタイミング」と歌う坂本九の「ステキなタイミング*」の方が記憶に残っている。アメリカン・ポップスの原曲はラジオの深夜放送で聴き、それを日本人歌手が日本語で歌うヒットパレードは夜のテレビで視聴した。
*Youtubeの映像(1963年放送)に、三代目古今亭志ん朝の姿が現れたのにはおどろいた。
(Youtubeに登録のdalkey130388、liratに感謝)

戦前、東京発のファッションが長崎に流行るのに、一ヶ月ほど遅れがあったという話を身近に聞いた。60年代のアメリカと日本の、ポップミュージックはどれくらいの時間差があったのだろうか。中学生の子どもは、ラジオから流れる「ビルボード」や「キャッシュボックス」のヒットチャート情報を聞いているだけで、距離が縮まったような気がしていた。

ところで、11月11日という”1”並びのきのう、近所の自家製パン屋で買い物をしたら”777円”だった。その帰り道、ある家に駐車していた車のナンバープレートに”55-55”の数字が並んでいるのが見えた。縁起がよさそうだ。
ステキなタイミングに今日は巡り合わなんだが、何か良いことがあるだろう。そうそう、明後日の日曜日に、孫と久しぶりに会うのだ。

2010年11月11日木曜日

黒い牡牛

Youtubeに、映画「黒い牡牛(The Brave One)」(1956年:予告編)が登録(9/22)されているのを、ついに見つけた。
(登録者のBraveone2012に感謝)
当時、この映画を見たわけではない。ラジオから流れるサウンド・トラック(「映画音楽」かな)を聞いて、初めて買ったEPレコードに、映画予告編に繰り返される曲がおさまっていた。懐かしい思い出深い旋律である。
ストーリーをどうやって知ったのだろう。EPレコードを入れたポリエチレン袋に同封の、「黒い牡牛」のタイトル紙片の裏側に解説があったのだろうか(真っ白だったような気がするが)、それとも後で知ったのだろうか。
予告編の最後に、ビクター・ヤングの名前が大きくクレジットされている。

(本ブログ関連:”黒い牡牛”)

2010年11月10日水曜日

イ・スンギ、”イ・ソンヒ先輩、最も尊敬します”

韓国経済の記事「イ・スンギ、”イ・ソンヒ先輩、最も尊敬します”」(11/10)に、「国民の息子」と呼ばれる愛弟子イ・スンギと並ぶイ・ソンヒの写真が掲載され、次のように記している。
・歌手であり俳優のイ・スンギが9日、ソウル瑞草洞のSamsung本館多目的ホールで開かれた、SamsungのZipelアサク*の「スンギのおいしい招待状」イベントで、歌手のイ・ソンヒに拍手をしている。
  *Zipelアサク:キムチ冷蔵庫
・この日、「スンギのおいしい招待状」イベントは、イ・スンギのライブ・パフォーマンスやトークショーだけでなく、お母さんに手紙を朗唱、イ・ソンヒの祝賀公演などが開かれ、現場に参加した600人余りのファンたちと楽しい時間を持った。

(Youtubeに登録のleeseunggi01に感謝)
 
(本ブログ関連:”イ・スンギ”)

(追記)
Youtubeに早速、当日のイ・ソンヒの映像#1#2が登録されています。
(登録者leeseunggiworld02、526apolloに感謝)

国民歌手

朝鮮日報の「美味しい教育」の記事「〔幸せな投資〕国民歌手 vs 一時(一発屋)歌手」(11/9)に、国民歌手を例えに、実績のある揺るぎない企業を見出すべき要件を、コラムニストのカン・ビョンウク(강병욱:韓国証券新聞の紹介)教授が述べている。
さて艱難な投資活動における徳目はさておき、国民歌手について具体的に次のように語られている。

・チョー・ヨンピル(조용필)、イ・ミジャ(이미자)、パティ・キム(패티김)、ヒョンチョル(현철)、ソン・デカン(송대관)、テジナ(태진아)、ソル・ウンド(설운도)、そして筆者(カン教授)が一番好きなイ・ソンヒとキム・ゴンモ(김건모)まで、彼らは、それでも韓国を代表する国民歌手として十指に数えられる人たちである。 彼らの特徴は、倦(う)まず弛(たゆ)まず活動し、また、人々の胸の中にいつも位置しているということだ。

(Youtubeに登録のkece3、Keepingtabs03、sAxy604、spoofkorea、themblanに感謝)

2010年11月9日火曜日

都電荒川線

昔、通勤に都電荒川線の三ノ輪橋駅から東池袋駅の間を利用したことがある。地下鉄利用の通勤が息苦しくて、わざわざ時間をかけて、都電に換えて通った。なにより良いのは、朝の車内に心地よい陽光が差し込んできて、清々しい開放感を味わえたことだ。また帰りのチンチン電車の揺れは、心地よい眠りを誘ってくれた。
利用した当初、行き帰りに乗車した7000形、7500形、8500形の車体番号を、毎日メモしたものだ。ポケットサイズのノートに書き続けることが楽しみだった。
荒川線の途中の大塚駅には、鉱物標本店があったりしたが、途中下車の思い出はあまりない。ただし年末に、荒川車庫で都電カレンダーをもとめた。
軒先をちょっと借りるように走る荒川線は、平凡で静かな光景を毎日与えてくれた。

ところで、新しい車体8800形2009年4月26日開始)にはまだ乗っていない。一瞬ライトレールを思わせるデザインは、従来のチンチン電車のものと隔絶しているように見える。荒川線の乗客は高齢者が多いが、この車体にすっかり馴染んでいるだろう。
いつか孫と一緒に、この都電荒川線に乗ってみたいと思っている。

(Youtubeに登録のにKITAKIKENTA感謝)

2010年11月8日月曜日

百万本のバラ

百万本のバラ」といえば、加藤登紀子の歌しか知らなかった。歌声喫茶風の旋律に少々戸惑いを覚えたが、いつしか耳になじんだ。でも、歌詞は今でも照れくさい。

できれば、画家が一晩で百万本のバラの絵を広場に描いて欲しかった。翌朝あのひとに窓から見せた広場のバラは、いつもの人ごみに消されたとしても・・・と。どちらにしても照れくさい。

韓国では矢張り、シム・スボン(심수봉)の1997年にゴールデン・ベストアルバムになったのが代表でしょうか。
シム・スボンがチャン・ギハ(장기하とともに歌う「百万本のバラ(백만송이 장미)」はいいな。彼女は存在感があるし、落ち着いた母性的なビロードのような声に、この歌はとてもよく合っている。

* チャン・ギハ: ブログK-POP(KR2JP)にプロフィールが紹介されている。

この「百万本のバラ」の原曲が、ラトビアの「マーラは与えた(Dāvāja Māriņa)」**であることを、Wikipediaで初めて知った。

** ブログ「のすたる爺や」に、この歌について世界に広まった経緯や、ラトビヤ語歌詞などの詳細な解説がある。感謝。

なお「バラ」に連れて、趣はことなるが、イ・ソンヒには「バラ(장미)」の歌がある。

(Youtubeに登録のsanninmusume2、1985obj、burkaaninjsh、2kilometerに感謝)

2010年11月7日日曜日

(資料)韓国の鉱物資源

先日、韓国語の教室で、韓国の鉱山が話題になった。現在操業中かどうか別にして、韓国の鉱物資源について、「地質ニュース」(発行:産業技術総合研究所 地質調査総合センター)に報告があることを、本ブログに次の通り記している。
(注)本日、産業技術総合研究所のサーバーはメンテ中のようです?

韓国の金鉱床
韓国の金属鉱床
韓国の非金属鉱物資源

また、インターネットで、韓国地質資源研究院(KIGAM)の地質博物館による、「鉱物の世界(광물의 세계)」の展示を見ることができる。
中央日報は、同館の展示の化石見学に訪れた子どもたちの姿を載せている。(2009/1/9


★★★★★ 孫と従兄弟が、江戸東京たてもの園に展示の都電の前に、母親と一緒の写真が届いた ★★★★★

SBS創社特集20周年記念番組

11月14日、ソウル江西区登村洞のSBS公開ホールから生放送される、「SBS創社特集20周年記念番組」に、イ・ソンヒが出演する。
文化日報の記事「[AM7] “私いま震えているの”」(11/5)によれば、同記念番組に登場予定の彼女について、次のように報じている。
・「SBS創社特集20周年記念番組」には、アイドル・グループが大挙出演して20年の歌謡大賞を振り返る。20年前、SBS開局祝賀ショーに出演した歌手のイ・ソンヒは、(今回の)20周年記念の舞台にも上がる。イ・ソンヒは、「美しい江山」と「僕のガールフレンドは九尾狐」のOST「狐の嫁入り」を歌う予定だ。

(本ブログ関連:”九尾狐”)

知りえた情報だけでの判断だが、今年後半のイ・ソンヒは、なにかとSBSとの縁が深いようにみえる。

(追記)
14日当日の生放送は、午後4時30分から約3時間30分をかけて、1、2部に分けて中継するようです。

2010年11月6日土曜日

(資料)走れハニー

朝鮮日報の記事「〔ユンジュ姉さんのキャラクター旅行〕ハニーの陸上選手成長記」(10/31)には、テレビアニメ「走れハニー」の誕生などにまつわる話題が載っている。そのなかにイ・ソンヒとの関わりを含めて次のような部分がある。

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「走れハニー」を構成するもう一つの面白味は、助演キャラクターの活躍です。
個性あるキャラクターと充実した物語で多くの人に愛されたし、1988年には漫画映画(アニメ)も製作されています。
わが国初のシリーズ漫画映画(アニメ)でした。(KBSテレビの)「走れハニー」は、他にも多くの話題をまきました。
鼻声混じりのホンドゥケ(홍두깨)先生の独特の声の演技、そして、「私はねぇ/ママが世界一大好き/空と地ほど〜♬」で始まる、イ・ソンヒの主題歌などが大変愛されました。
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(本ブログ関連:”走れハニー”、”走れハニー1”、”走れハニー2”)


(父親の仕事の都合で、孫家族は先日、誕生日祝いをした)
★★★★★ 孫が、父親の誕生日祝いに、ディズニーランドで一緒に遊んでいる写真が届いた ★★★★★

2010年11月5日金曜日

イ・ソンヒの2011年予定

イ・ソンヒのファンサイトsunylovecarrot.comに公開情報によれば、(来年)2011年のライブ予定を次のように紹介している。
・2011年2月: ニューヨーク、カーネギーホール
・2011年5月: ソウル、世宗文化会館

その他詳細未確認。

Carnegy hall : "Go to Month : Select(Feb 2011)"
http://www.carnegiehall.org/SiteCode/Events/MonthCalendar.aspx

Sejong center
http://www.sejongpac.or.kr/performance/performance.asp#searchVal=&startDate=20110501&endDate=20110531

東京でのライブを待望しています。

2010年11月4日木曜日

カレンダー・ガール

先日、新宿の紀伊国屋書店1階にある鉱物・化石標本のコーナーで、小さな鉱物標本ケース(マイクロマウント)をもとめた。三川鉱山で見つけた、母岩を含めて親指の爪サイズの藍銅鉱をおさめるためだ。
現地で採集したとき、藍銅鉱の結晶は、それは綺麗な濃青色の美しい結晶を見せてくれた。マイクロマウントに練りゴムで固定すると、標本ぜんとして、ズリで見せてくれたあの清々しい輝きが足りないのはどうしてだろう。

ところで、同書店で来年のカレンダーが多数展示販売されていた。
去年もそうだったが、今急がなくてもと思っているうちに、購入の機会を失ってしまい、しまいには満足できるものが残っていないことになる。
ということで、二ール・セダカの「カレンダー・ガール」(1960年)を聴いてみる。小学生の子どもに、この曲はアメリカ、アメリカ、アメリカだった。でも、16歳のカレンダー・ガールなんて想像もできなかったし、毎日想い続けるなんてこともね。

(Youtubeに登録のbega1947に感謝)

2010年11月3日水曜日

イ・ソンヒの11月予定

イ・ソンヒのファンサイトsunylovecarrot.comに公開の、彼女の重要スケジュールに、SBSの音楽トークショー「キム・ジョンウンのチョコレート(김정은의 초콜릿)」の放送録画および放送が次の通り記されている。
・出演: イ・ソンヒ、イ・スンギ
録画: 本日(11月3日)
・場所: SBS登村洞(등존동)公開ホール
・放送: 11月14日(日)、深夜 12時20分~ (12時10分?~)

その他詳細未確認。

大物

SBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」のOST参加につづき、イ・ソンヒは、SBSドラマ「大物(대물)」のOSTパート5で「去らないで(떠나지마)」(歌詞)を熱唱している。
導入部を静かに語るように、やがて彼女らしい抑制をきかせながらも、ドラマチックにバラードを盛り上げている。

このドラマは未見だが、ドラマの女性大統領について与党議員の間で、そのモデルを想定して期待などが話題になっているという新聞記事を見たことがある。

(Youtubeに登録の526apolloに毎度のことながら感謝)

NHKテレビでハングル講座

今日からといっても、実質昨晩の24:00に放送されたNHKの「テレビでハングル講座」は、新しいスキット・ドラマ「ソウルの恋人(서울의 연인)」を開始した。第一回は、久しぶりに帰国した主人公が、ソウルのCDショップでアドバイスをしてくれた女性店員と、別の場所(書店)で再び出会うという、物語の始まりである。

ところで、CDショップの陳列棚が映ったとき、なんと画面の中央に、イ・ソンヒの14集「愛よ...(사랑아...)」のジャケットがしっかり見えましたよ。ディレクター、カメラマンの皆さん、本当に感度がよいですね。
(本ブログ関連:"14集(1)"、"14集(2)")

それから、ドラマのなかで推奨されたCDは、イ・ウンミ(이은미)の「恋人がいます(애인 있어요)」で、このドラマのメイン曲になるのだろうか。
(本ブログ関連:"イ・ウンミ")

(Youtubeに登録のkorgaiago、RoleTripleDicesに感謝)

★★★★★ 孫が、従兄弟と一緒にカメラを気にしないで、仲良く遠くを見ている写真が届いた ★★★★★

2010年11月2日火曜日

ウ・ウンミ(2)

e-Today(이투데이)の記事「ウ・ウンミ、新しい歌『捕まえて(잡아줘요)』ちゃんと見て~」(10/27)は、「カリスマに満ちたイソンヒ先輩のような歌手になりたい」の書き出しのもとに、ウ・ウンミの二番目のシングル・アルバム「Evolution」と彼女の今後の計画について紹介している。
そのなかで、イ・ソンヒについて、次のようにリスペクトしている。
・「どのような歌手としてファンに記憶されたいか」と尋ねると、「イ・ソンヒ先輩のようなカリスマに満ちた歌手になりたい」と力強い抱負を明らかにした。
・イ・ソンヒと世代間のギャップが多少あるけれど、彼女は「いつも先輩の歌をよく聴いて歌う。『Jへ』、『私はいつもあなたを』、『美しい江山』などが好きだ」と述べた。

(Youtubeに登録のJuhonnaに感謝)

(本ブログ関連:”ウ・ウンミ”、”ソロ歌手”)

2010年11月1日月曜日

神田古本まつり

何年振りだろうか、神田古本まつりに行ってきた。連日の雨のため、開催が影響されるているのではと案じたが、杞憂だった。昔は、靖国通りに面した舗道に設置の古書露店だけでなく、古書店もくまなく巡ったものだが、今回は露店だけ三分の二位しか覗けなかった。
古書露店で、「鉄のシルクロード」(窪田藏朗著)を手に入れた。モンゴル・中国から中近東を訪ねて、鉄の古代史を探る見聞記である。自称、鉄の歴史に転んだアマチュアの著者は、鉄の考古学、文化史など多数の著作がある。
その他古書を探し歩いたが、自分に合ったものを見つけることはできなかった。

そこで、新刊書店の三省堂を訪れて、「標高0メートルから山岳地まで 地形図の読み方・歩き方」(渡辺一夫著)を購入した。都内を東(海抜0mの江戸川区篠崎)から西(海抜2,017.1mの雲取山)まで、25,000分の1の地図を基に、写真も多数掲載した横断ガイドブックといえる。